――親の所得格差が子の教育格差の世代間連鎖は日本人の思考・行動様式権威主義がそもそもの発祥――
あさひテレビの3月24日(2014年)『ビートたけしのTVタックル』は 3時間スペシャルということで夜の7時から始めていた。NHKニュースを見てから、録画しながら覗いてみたのだが、「第1部ニッポンが抱える大問題!格差」の「教育格差を解消して『世襲ビンボー』を救え!」のコーナーに出演していた下村博文が相変わらずバカなことを言っているなと思って、9時頃には寝てしまった。
録画しておいても、同じ録画してあるフジテレビの「ホンマでっか!?TV」とか、TBSの「ジョブチューン 〜アノ職業のヒミツ ぶっちゃけます!」といったバライティを時間があると先に見る習慣になっているので、やっと今朝(3月30日日曜日)になって録画で見直して、下村博文の発言が如何にバカげているか取り上げてみることにした。
取り上げてみることになった理由の一つに3月28日になって、親の所得が子どもの学校の成績に影響を与える関連性を伝える記事を目にしたからでもあった。
但し、所得格差が教育格差へと関連して、それが世代間連鎖へと拡大していく現象は既に前々から言われていたことである。子どもの教育にしても、投資によって成り立っているのであって、国や地方自治体の教育への予算という名の投資は子どもにほぼ平等に行き渡ることはあっても(予算で採用された教員の質によって平等が微妙に崩れることはある)、親の投資は如何にカネをかけることができるかの財力に負うことになって、必然的にそこに格差が生じることになる。
但しこのような構造を支えている日本人の精神性は金権精神とは関係ない。
記事の一つ。《親が高所得ほど子の成績良好》(NHK NEWS WEB/2014年3月28日 16時18分)
文部科学省が昨年2013年4月実施全国学力テスト参加の小学6年生と中学3年生保護者のうち約4万人を抽出、テスト結果と家庭状況との関連性をアンケートしたものだという。
その結果、所得などが高い程テストの正答率も高くなる傾向が見られた。
算数や数学の活用力を問う問題では、所得や学歴が最も高いグループと最も低いグループとで正答率に20ポイント余りの差が出た。
但し、所得等が最も低いグループで正答率が上位4分の1に入っていた子どもの場合は、幼い頃に絵本の読み聞かせをしたり、新聞や本を読むよう働きかけたりしていると答えた保護者が多かったほか、毎日、朝食を摂るなど規則正しい生活をしているといった特徴があったという。
アンケート分析担当者の一人。
耳塚寛明お茶の水女子大学副学長「家庭環境が子どもの学力に大きく影響し学力格差につながっているが、家庭での取り組みが難し くても学校できめ細かく指導することで学力を伸ばすことはできる。教員を増やすなどの対策のほか保護者の雇用の安定など社会的な支援策も必要だ」――
副学長が言っていることは、是正可能性であるが、アンケート対象は義務教育の小中学生の保護者限定であって、義務教育外の高校・大学の保護者が対象ではない。義務教育でありながら、小・中学校で親の所得格差が子どもの教育格差となって既に現れている傾向は、この傾向をつくり出している日本人の精神性が如何に強固に働いているかの証明でしかなく、そのことを考えた場合、義務教育外の上の学校に進む程に日本人の精神性はより強固に働くことになって格差はより確実性を持ち、大学受験時には決定的な格差となって現れるだろうことを考えると、簡単には是正できないように思える。
だが、副学長はこのことの視点を欠いている。
同じ内容を伝えているもう一つの記事を見てみる。《高収入・高学歴の家庭、学力も高く…文科省調査》(YOMIURI ONLINE/2014年3月28日16時55分)
年収が「1500万円以上」と「200万円未満」の家庭では、学力テストの平均正答率が小6で最大26ポイント、中3で最大23ポイントの差。
知識の活用力などを見る小6の算数のB問題の場合。
親の年収が「1500万円以上」の子どもの平均正答率は71・5%
親の年収が「200万円 未満」の子どもの平均正答率は45・7%
中3の数学Bの場合。
親の年収が「1500万円以上」の子どもの平均正答率は53・4%
親の年収が「200万円未満」の子どもの平均正答率は30・0%と差
小中学生の段階で既に親の所得格差がNHK記事も伝えているように20%以上の成績格差となって現れている。まして高校・大学の段階での格差を推して知るべしや、である。同じ20%程度で推移したとしても、その20%の差の固さは如何ともし難い突き崩すことのできない壁となって立ちはだかるに違いない。
では、『ビートたけしのTVタックル』で放送された、必要箇所だけを抽出した教育格差を見てみる。
このコーナーの最初の方で親の所得格差が子の教育格差の世代間連鎖の象徴的な例として小学校6年生対象の中学受験のための塾費用について取り上げている。
都内の東大合格率の高い有名塾。
年間費用 約115万円(授業料・教材費その他)
栄光ホールディングス(株)広報室長の発言。
横田保美(男性)「受験の最後の1年間の追い込みですね。小学校6年生1年間でおよそ115万円の費用がかかります。ちょっと高いなあという印象を持たれるかもしれませんが、少人数指導で、難関中学のとても高度で、応用の高い、工夫された問題を解くには、それだけの専門指導をしていかなきゃいけません」
解説「年間100万円以上の(学校外の)教育費となると、年収300万~400万の家庭では気楽に出せる金額ではない」
「年収300万~400万の家庭」でも、子どものために無理して出している親も存在するかもしれない。だが、「少人数指導で、難関中学のとても高度で、応用の高い、工夫された問題を解く」「専門指導」を授かるためには、親の所得が年収500万円以上の選ばれた子どもしか安心して利用できないという制限を小学校生のときから受けることになる。
阿川佐和子(司会者)「先ず下村大臣にお伺いしたいんですけども、格差の勢いというのはどんな感じでご覧になっていらっしゃいますか」
下村博文「あのー、私もですね、母子家庭で、9歳のときに父が交通事故で亡くなって、で、当時から極貧生活だったんですが、ま、当時よりもですね、今の方が、もっと格差が進んでいて、ま、残念ながら、この経済的な格差が教育格差で、負の連鎖がどんどん続いているという、深刻な状況だと思いますねえ。
貧困がまた、貧困を生むという、固定化しているっていうのが、この国の、その、さらなる硬直化につながると思いますから、非常にまずいと思いますね。これを変えていかないと」
何のことはない、教育行政を預かる身でありながら、教育に関心のある者なら誰でもできる表面的な分析にとどまっている。下村博文は現在59歳。後1ヶ月ちょっとで60歳になる。この50年間で当時よりも経済格差が教育格差へと連動していった原因、あるいは経済格差が教育格差を生むそもそもの原因が何に起因しているのかの分析が何一つない。
また、50年間の教育格差と連動した経済格差の進行は、それを是正することのできなかった政治の無力を物語る社会傾向でもあるはずだが、そのことに向ける目を持たずに、今さらながらに「非常にまずいと思いますね。これを変えていかないと」というノー天気は、果たして大臣が口にする言葉なのだろうかと疑わないわけにはいかない。
下村博聞の頭の足りないところを小池晃共産党議員が補った。
小池晃共産党議員「問題はどうするかって言うことで、OECD加盟している国で大学の授業料が無料、もしくは給付制の奨学金が全部ありませんよね。日本は学費は取るし、奨学金は利子をつけて返さなければいけない。やっぱ、これを変えなければいけないですよ」
確かに授業料無料化や奨学金給付化へと制度を変えていかなければならないだろうが、それだけでは解決できない問題の存在に気づかない。
このことはあとで纏めて話す。
親の所得に応じた子どもの塾の利用が成績を分ける話題となる。
阿川佐和子「塾に行かないと、ドロップアウトされちゃうんですか」
勝間和代(評論家)「入学・入試自体が塾に行かないと受からない仕組みになっている。中学受験にしろ、大学受験にしろ」
下村博文「受験勉強についてはやっぱり、その、どんどん加熱してきている。個人の努力だけでは、なかなか合格できない。まあ、そういう意味では、そのテクニック的な、技術的な部分で、塾とか予備校とか家庭教師にどの程度学べるかどうかで合否が決まる。残念ながらね」
相変わらず表面的な分析のみで文部科学省大臣で御座いますの役目履行となっている。
ここで、「教育機関への公的支出(GDP比)」(出典OECD )のキャプション
OECD平均 5.8%
日本 3.8%
下村博文「2%(の差)でも、額で言うとですね、10兆円くらいの額ですね。文部科学省の今年度の予算が、科学技術入れてもですね、5.4兆円ですから、これは相当ですね・・・・」
阿川佐和子「科学技術に取られちゃいますねえ」
下村博文「入れても、5.4兆円ですから」
大竹まこと「どう考えても、少な過ぎると思いませんか、日本の(予算は)」
下村博文「思います」
小池晃「高校のだけではなくて、大学まで無償にできると、大臣、答弁されてるんじゃないですか。やっぱり、そのくらい目指していかなければいけないし、すぐにそこまでいかなくても、例えば高速増殖炉もんじゅって、4000億円・・・・」
周りで一斉に笑い声を上げたために聞き取れない。
下村博文「もんじゅは別にしてね、例えば、私大臣なんですけどね、第2次教育振興基本計画にそれを書き込もうと思ったんですよ。つまり、OECD並みのね、ま、平均ですから、それくらいを出すのは当たり前の話で、そしたらなかなか財務省が財源を・・・・・」
勝間和代「文教族の議員が非常に力が弱くて――」
下村博文「そんなレベルじゃない。文教族が弱いとか、そういうんじゃなくてね、今の、今までの日本の社会コンセンサスっていうのは、やっぱ、社会保障と言えば、お年寄りの年金・医療・介護で、子どもは広い意味では社会保障と把えていなくて、それは、まあ、自助努力だと、本人が頑張って、貧しい家庭の子どもだって、東大、早稲田、慶応行けるんじゃないかと。
本人の努力が足らないんだという、それまではそういう意識がありました。(何人かが頷いている。)
今日、もっと格差社会が進んでいて、まあ、本人の努力以上に環境がやっぱ影響するから」
現役東大生の花房孟胤が教育格差をなくすために自身が授業を行っている動画をインターネットで無料配信する「manavee」を立ち上げて、共感した大学生らがボランティアで参加、その輪を広げた活動の紹介。
予備校等の授業動画は年間1講座約7万円だとのキャプションが出る。
下村博文「私が既に着手しているのは、大学入試試験が今のままではいいとは思えないんです。日本みたいに学力一発勝負の一点機材のテストで、その先社会でどんな能力を発揮するという意味で、還元性があるのかと考えたら、それはさっきから出ているように、学力よりも志ですね。
その後大学へ入って、何を学ぶか、社会に出て何をするのか。
ですから、大学入学試験の仕方も、こういうふうな学力一発勝負ではなくてですね、高校時代のトータル的な、あの、クラブ活動とか、生徒会とかのリーダーシップとか、ボランティア活動とかを含めた、大学入学試験が、そういう面接とか、小論文とかですね、トータル的にどう人間力を判断するかというふうに変えていかなくてはいけない」
・・・・・・・・・
下村博文「大切なのは(大学に)入るときに、力を入れて、後は関係ないと。問題は大学教育も出口を厳しくして、きちっとした大学で学んで、大学側も責任を持って社会に送り出すという、入学試験を出口を含めた大学教育そのものを根本的に変えていかなければならない、そういう時期にきている」
これが下村博文の親の所得差は子どもの教育格差の世代間連鎖に向けた解決策の結論である。
所得格差が教育格差を生み出している社会状況は日本人の精神性から出ていると既に触れたが、いわば日本人全体がつくり出した完成物としてある社会状況であるはずである。日本以外の国で日本と似たような状況があるとしても、そこに共通点を見出すことができたとしても、あくまでもその国の国民全体がつくり出すことになった社会的状況であるはずである。
繰返すことになるが、日本の所得格差は学歴格差という状況は日本人性がつくり出した。
では、どのような日本人性かというと、日本人は本質的には権威主義を思考様式・行動様式としている。人間の営為によって形作られる社会生活上の様々な形式を上下に権威づけて、上下の権威に従って思考し、行動する権威主義である。
学歴・地位・職業・家柄・財産の程度等々の社会生活上の様々な形式を上下に権威づけて、その権威づけに従って上下に価値づける。
学歴で言うと、東大や京大等の一流有名大学を最上位に権威づけて、無名大学程下位方向の権威つけを行い、その上下の権威に従って上下に価値づける権威主義を日本人性としている。
かつて小学校6年だけが義務教育であった戦前(昭和16年に高等科2年が加えられたが)、職人の子や小商人の子は親の家業を継ぐことが慣習となっていて、この手の職業には学問は要らないからと、一般的には子どもがいくら勉強好きでも、いくら学校の成績が優秀であっても、上の学校には行かせて貰えなかった。
これが自らの職業を下に権威づけた者の“分を弁える”社会を生きる知恵とされていた。
いわば各種職業自体を上下に権威づけて、上に権威づけた職業には上の学歴が必要だとか、下に権威づけた職業には小学校以上の学歴は必要ではないとか、権威主義に応じた価値観で判断された。
だが、戦後義務教育が小学校6年・中学校3年までとなって、日本が高度成長期に入ると、中学校を卒業して金の卵と持て囃されて親の家業から離れて会社勤務や工場勤務に労働移動するようになると、権威主義社会であることに変わりはなく、そこに学歴による地位の格差が既に存在していたことを知ることになって、その格差解消を自らの子どもに託すことになり、高卒進学が年々増加することになった。
最低高卒を手にすれば、汗や脂にまみれずに事務所で働く地位を獲得できるからであり、それを人並みであることの基準とした。
だが、高校進学率は1974年度に90%を超えたということだが、高卒がほぼ当たり前になると、汗や脂にまみれなければならない工場勤務は中卒ではなく、高卒によって占められていくという滑稽な現象が生じることになったが、当然、金銭的に余裕のある親は子どもを更に上の大学卒を望むようになる。工場内での出世ではなく、事務所内での出世を望むようになっていったということである。
工場内での最高の地位である工場長よりも、事務所内の常務や専務、社長・会長をより上の権威と価値づけているために後者の地位を欲を言えばと狙うためには、その地位を得るための一般的な条件となっている大卒を先ずは手に入れなければならない。しかも、同じ大卒でも、上位に権威づけている有名大学卒がより上位の地位を得るためには有利となるということで、単なる学歴競争を超えた自己権威づけ競争が生じることになる。
このような価値づけは世間的に作業服よりもホワイトカラーが尊重されていることに現れている。
そして学歴競争、あるいは自己権威づけ競争が年々激しくなって早い年齢から備える必要が生じて低年齢化することになり、それが現在の大枚のカネをかけた、有名大学合格実績を持った有名進学塾を利用した中学受験競争となって現れているということであろう。
子どもが有名進学塾で学ぶこと自体が既に自己を権威づける、あるいは親が自分の子供を権威づける機会となっている節があり、この面からの競争原理も働いていている格差競争と言えないこともない。
学歴や地位等を上下に権威づける権威主義とは、既に触れたように、それらが人間の営為によって形作られる社会生活上の形式であるにも関わらず権威づけを行っているのだから、そこに裸の個人・裸の個の価値を重要視しない思想を内在させていることになる。
貧しいがゆえに大学に行くことができなかった人間であっても、機会さえ与えれば、志高く優れた能力を発揮する人間はいくらでもいるはずだが、個人を見ずに学歴という権威を基準にその人間を判断するために、優れた能力を発揮する機会さえ与えられないケースが多々あるはずだ。
だとすると、このような権威主義から脱しない限り、例え大学授業料を無料にしたとしても、奨学金の給付化を実現させたとしても、下村博文が言うように、「学力一発勝負ではなくてですね、高校時代のトータル的な、あの、クラブ活動とか、生徒会とかのリーダーシップとか、ボランティア活動とかを含めた、大学入学試験が、そういう面接とか、小論文とかですね、トータル的にどう人間力を判断するかというふうに変え」ることができたとしても、既に前々から言われていることをさも自分の主張であるかのように繰返したに過ぎないのだが、それらが極々当たり前に一般化した場合、いわば受験のために殆どの生徒が右へ倣えの選択を行った場合、やはり最終的にはカネをかけた受験回答のテクニックが合格のためにモノを言うことになる。
面接にしても小論文にしても、そのテクニックを教える塾が現れるだろうし、その教えに従って前々から備えて訓練に励むことによって手に入れることのできる技能に過ぎなくなる。
例えば面接や小論文、そして学力試験を用いた1人採用枠の入社試験で受験の二人がほぼ同じの成績で、どちらを採用するかと迫られた場合、大学のランクの上下や、ランクが同等の場合、親の地位や職業がより上であることを採用の基準としない保証があるだろうか。
親の存在性がより上であることを以って安心感を得る材料とした場合、権威主義の思考様式・行動様式が働いた決定となる。
権威づけよって価値判断の基準とするということはまた、冒険をしない精神性の現れを意味する。権威づけに従属するだけで、自身の主体的な判断を活用しないからだ。
だから、金銭的担保のないアイディアの内容のみに投資するといった冒険が日本人には不得手となる。
ボランティアによる無料動画で多くの優れた知識を学んだとしても、それが高卒であった場合、余程の学力の差を証明しないことには、日本人が囚われている権威主義性から判断した場合、同じ程度の知識の大卒を入社の対象とすることになるはずだ。
要するに権威主義に縛られている間は、下村博文が言う、「トータル的にどう人間力を判断するか」の価値づけは有効な力を持ち得ないということである。
日本人の思考様式・行動様式となっている、何事も上下に権威づける権威主義が原因をなしていることを頭に置かない下村博文の所得格差が子の教育格差の世代間連鎖の是正策は決して有効足り得ない。
人間を個の価値観で判断せずに、子どもの学力や学歴で人間を判断し、親の地位や職業や財産、家柄で人間を判断する。
安倍晋三の「女性の活躍」にしても、日本人が伝統としていた、男と女を上下に権威づけた男尊女卑の名残りである権威主義からの男女差別意識を排除しないことには、「女性の活躍」がパートとかアルバイトとかの低収入の場での活躍で終わり、広い意味での真の活躍とはならないのと同じである。
いずれにしても、下村博文の心許ない的外れな教育論でしかなかった。