安倍晋三のそれぞれに違う事実であるにも関わらず「歴史の事実と謙虚に向き合う」と言う狡猾なゴマカシ

2014-03-25 04:02:17 | Weblog

 

 オランダ・ハーグ核安全保障サミット出席のためにオランダを訪れている安倍晋三が「歴史の事実と向き合う」と二度述べたことを二つの「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。二つの記事共に3月24日(2014年)付である。

 一度は「歴史の事実と向き合う」と言葉通りに言い、もう一度は「過去に向き合う」と、「歴史」という言葉を「過去」という言葉に置き換えて、同じ趣旨のことを発言している。

 東京都内の図書館などで書物「アンネの日記」などが相次いで破られた事件が起きたことから、安倍晋三はオランダ訪問ついでにアンネ・フランクの家を訪れている。自衛隊基地を訪れてはヘルメットをかぶり。戦闘服に身を包んで戦車に乗り込んだり、私服ではあったが、戦闘機に乗り込んで得意気に親指を突き立てたりしているのだから、アンネ・フランクの家訪問は平和愛好家を見せかけるパフォーマンスに違いない。
 
 安倍晋三「(書物が破られたことについて)大変残念な出来事だった。こうしたことが2度と起こらないようにしていきたい。
 
 過酷な状況の中でも夢を持ち続けたアンネに、私も含め て多くの人が共感している。20世紀は戦争の世紀であり、人権が抑圧された時代だったが、21世紀はそうしたことが起こらないよ うにしたい。そのためにも歴史の事実と謙虚に向き合い、事実を次の世代に引き継ぐことで世界の平和を実現したい」――

 「20世紀は戦争の世紀」だと言っていることは日本だけが戦争をしたわけではないとの相対化と情状酌量化の意味が込められている。

 なぜなら、特に最も悲惨であった第2次世界大戦では日本はドイツと共に侵略側であったことを度外視しているからだ。

 もう一度は3月24日未明のルッテ・オランダ首相との会談時のオランダとの関係についての発言である。日本は第2次世界大戦でインドネシアを植民地としていたオランダと戦争している。 

 安倍晋三過去に真摯(しんし)に向き合いつつ、未来志向の外交を進めることを重視している。日本とオランダの平和交流事業のもとで、第2次世界大戦中の元戦争被害者らの心の和解と相互理解を継続したい」――

 安倍晋三は合理的判断能力を欠き、頭が単細胞のに仕上がっているから、「歴史の事実」、あるいは「過去」を誰もが例外なく同じ解釈で把えているとする文脈で発言している。

 「歴史の事実」の把え方、あるいは「過去」の把え方は全ての人間が同じだとは限らない。このことの証明は安倍晋三が絶好のサンプルとなる。

 誰もが分かっている当たり前のことを言うが、把え方の違いが歴史認識の違いとなって現れる。にも関わらず安倍晋三は等しいとする前提に立った発言を行っている。

 例え「歴史の事実」、あるいは「過去」を一般的な目とは異なる見方をしていたとしても、いわば一般的な歴史認識と異なっていたとしても、自らの歴史認識を正しいとしている以上、正しいとしているその歴史認識に忠実であることが真に「歴史の事実と謙虚に向き合う」 姿勢となるはずだ。

 あるいは「過去に真摯(しんし)に向き合う」ことになるはずだ。

 安倍晋三は従軍慰安婦募集に関して旧日本軍の関与と強圧等による強制性を認めた「河野談話」を、日本という国にとって「孫の代まで不名誉を背負わ」されたものと歴史認識している以上、ルッテ・オランダ首相との会談では日本軍占領下のインドネシアでオランダ人女性を未成年女性まで含めて日本軍兵士が彼女たちの意志に反して軍トラックに乗せて強制的に連行、過酷にも慰安婦に仕立てた「歴史の事実」、あるいは「過去」は根拠なき虚構と否定して初めて、「歴史の事実と謙虚に向き合う」 姿勢を真に演じることとなったはずだ。

 あるいは「過去に真摯(しんし)に向き合う」姿勢を示すことになったはずだ。

 さらに言うなら、「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていない」と言って戦前の日本の戦争の侵略性を否定している以上、日本の戦前の戦争は侵略戦争ではなかった、民族自決の戦争、あるいはアジア解放の戦争だったと断言することによって、歴史にも過去にも「謙虚」で真摯」という評価を得ることができるはずだ。

 「歴史の事実」の把え方、あるいは「過去」の把え方から生じている自らの歴史認識を隠して、しおらしげに「歴史の事実と謙虚に向き合う」と言い、「過去に真摯に向き合う」と言う。

 信用できないこの狡猾なゴマカシは如何ともし難い。 

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