野田首相の「不退転」とは社会保障制度の中身も改革の一体性も投げ捨てた消費税増税のみを指して言う

2012-06-14 10:05:41 | Weblog

 小沢元代表が激しく批判するのも無理はない。

 野田首相が昨13日(2012年6月)、自民党の「社会保障制度改革基本法案」を修正した上、共同提案を検討するよう民主党執行部に指示したという。

 首相の指示を受けて、民主党は同日の実務者協議で自民党の対案をほぼ受け入れた案を提示したと、記事《野田首相、合意へ前のめり=「丸のみ」批判拡大-民主》時事ドットコム/2012/06/13-23:53)が伝えている。

 13日昼の政府・民主三役会議。

 野田首相「民主党の考え方を盛り込んだ上で修正し、共同提出できるようにしてほしい」

 13日夕方、前原口先番長を首相官邸に呼ぶ。

 野田首相「我々の考え方をしっかりと打ち返し、より良いものにする努力をしてほしい」

 言っていることが矛盾している。いくら自民党の「社会保障制度改革基本法案」を修正したとしても、基本的には自民党案をベースとした修正であって、閣議決定の野田内閣案をベースとするわけではない。

 当然主導権は野田内閣ではなく、野党である自民党が握ることになる。「民主党の考え方を盛り込んだ上で」と言っても、ベースは向こうの案である上に主導権を持たない局面でどれ程「民主党の考え方を盛り込」むことができるというのだろう。

 当然「共同提出」と言っても、形式だけ、名前だけの共同提出であって、自民党の軍門に降(くだ)った捕虜程度ではあるものの一応は大将格であることからそれなりの敬意を払って同席を許される共同提出といったところだろう。

 現状はそういった力関係にあるにも関わらず、「我々の考え方をしっかりと打ち返し、より良いものにする努力をしてほしい」と、さも対等の力関係にあるかのように体裁のいいゴマカシを言う。

 もし対等の力関係にあったなら、主導権はどちらにも帰着せず、双方の折衷案という主張も可能となる。「民主党の考え方を盛り込んだ上で」といったあとから参入する形式、あるいは従の形式は取らずに済むはずだ。

 要するに自民党案をベースとしながら、「より良いものができた」とすることによって、改革の自己正当化の証明にしようという魂胆なのだろうが、言葉の巧妙さだけが際立つ。

 記事題名の〈「丸のみ」批判拡大〉は民主党内の反応を指している。

 〈民主党内には「金看板」の社会保障政策を棚上げし、自民党案を丸のみすることに対する批判が、消費増税反対派だけでなく、中間派にも広がってきた。〉・・・・・

 ある中間派議員「(将来の社会保障政策の)先送りでまとめようとしている。そこまで民主党の魂を売り渡してしまっていいのか」

 13日夜、都内のパーティー。

 小沢元代表「肝心要の年金制度も捨て去られようとしているのが今日の状態だ」

 野田首相の指示を受けて社会保障分野の実務者協議で纏めたという自民党案をベースとした民主党修正案のポイントを見てみる。

 《民主党案のポイント》時事ドットコム/2012/06/13-22:18)

 民主党が13日の修正協議で示した「社会保障制度改革推進法案」のポイントは次の通り。

 一、社会保障制度改革は「社会保障制度改革推進会議」を設置し、総合的・集中的に推進
 一、消費税収を主要な財源として確保
 一、中長期的な公的年金制度、今後の高齢者医療制度の改革については政党間協議を行い、推進
   会議で議論し結論を得る
 一、医療保険制度に原則として全ての国民が加入する仕組みを維持
 一、推進会議は内閣に設置。委員20人以内で組織し、優れた見識を有する者から首相が任命(以上)

 「社会保障制度改革推進会議」を設置して議論し、結論を得るとした中長期的な公的年金制度、今後の高齢者医療制度の改革は一見先送りのように見えるが、少なくとも参議院で民主党内消費税増税反対派を除いて対野党との力関係を逆転できる強い成算がなければ、主導権喪失の状況は続くことになり、結果として自民党案をベースとした政策を受け入れることになる。

 では、自民党案の要旨を見てみる。《社会保障基本法案の要旨》時事ドットコム/2012/05/29-12:32)

 自民党が29日まとめた社会保障制度改革基本法案(仮称)骨子の要旨は次の通り。

 【目的】社会保障制度改革について、基本的な理念、方針、国の責務その他の基本事項を定め、社会保障制度改革国民会議を設置することにより総合的、集中的に推進。

 【基本理念】国民生活の安定は、自助を基本とし、共助によって補完、公助によって生活を保障する順序で図られるべきだ。社会保障は社会保険制度を基本とする。社会保険料は収入の額に比例して徴収されるものが多いことに鑑み、財源は消費税が中心。

 【改革の実施・目標時期】社会保障制度改革の必要な法制上の措置は、この法律の施行後1年以内に、国民会議の審議結果を踏まえて実施。

 【具体策】保険料の納付に応じて年金が支給され、国民年金と被用者年金が分立する現行制度を基本に必要な見直しを実施。高齢者医療制度は現行制度を基本としつつ見直す。少子化対策については現行の幼稚園、保育所制度を基本とする。

 【社会保障制度改革国民会議】内閣に設置。委員20人以内で組織し、優れた識見を有する者のうちから首相が任命。(以上)

 要するに民主党の最低保障年金には反対、同じく民主党の後期高齢者医療制度廃止にも反対、総合こども園も反対、前二者の取り下げを迫って、年金制度は現行制度の改善でやっていくとし、総合こども園は既に民主党の方から取り下げを決めている。

 野田内閣がもし以上のことを受入れたとしたら、社会保障制度政策に関しては政権交代した意味を失うということである。

 政権交代の意味を失えば、当然、社会保障制度に関わる野田内閣の存在性にしても意味を失う。

 小沢一郎元代表がこのことを突いて、批判している。《小沢元代表 修正協議を厳しく批判》NHK NEWS WEB/2012年6月13日 21時34分)

 13日夜、東京都内開催の会合。

 小沢元代表「年金の問題をわれわれが厳しく追及したのが、大きなうねりとなって政権交代が実現できたが、なぜか肝心要の年金制度が忘れ去られ、捨て去られようとしているのが、今日の状態だ。

 これでは国民の理解を得られないという思いで、『原点に返ろう』、『初心を思い起こそう』と申し上げている」

 民主党が社会保障制度改革を議論するとした会議名は「社会保障制度改革推進会議」。自民党のそれは「社会保障制度改革国民会議」

 自民党の「改革国民会議」を「改革推進会議」と二文字変えるだけのメンツしか残されていないというのは滑稽である。

 勿論組織の構成の点で自民党と違ったことをあれこれ言うだろうが、何をどう決めるかがメインであって、あるいは何をどう決めるかに政権の価値が生じるのであって、それ以外は瑣末な問題に過ぎないし、名称の違いが政権の価値を生むわけではない。

 主導権を失っている状況での名称の違いの提示など、メンツだけを考えたムダな抵抗としか言いようがない。

 どちらが主導権を握っているかを証明する記事がある。《谷垣総裁 民主は受け入れを》NHK NEWS WEB/2012年6月13日 19時12分)

 6月13日の党会合。

 谷垣総裁「野田総理大臣も、民主党内をまとめるのは難しいだろうが、タマは完全に向こうにあり、自民党の基本法案を飲むかどうかだ。表現の一つ一つまでとは言わないが、基本的な枝葉は飲んでもらわないと、我々も動けないし、変な妥協はできない」

 「自民党の基本法案を飲むかどうか」の一点にかかっていると言っている。与党野田内閣の主導権喪失、野党自民党の主導権掌握の様子が如実に理解できる発言となっている。

 既にその兆候を見せていたのだが、社会保障制度の中身も改革の一体性も投げ捨てて消費税増税のみの実現を図る「不退転」への裏切りを事ここに至ってなり振り構わずに露見させた。

 「日本の将来を左右する大きな決断のとき」だ、「一体改革はやり抜かなければいけない。政治家としての集大成の気持ちで訴えている」だ、「政治生命を懸けて、命を懸けて、この国会中に成立をさせる意気込みで頑張る」だ、「政治生命を懸けると言った言葉に掛け値はない」だ、「不退転の決意で、この『社会保障と税の一体改革』をやり遂げる決意」だ等々と今まで言ってきた立派な言葉は何だったのだろう。

 口達者に言葉だけを踊らせてきたとしか思えない。

 消費税増税だけを実現させる「不退転の決意」だったと理解するなら、納得がいく。

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野田首相の「社会保障と税の一体改革」実現不退転の決意が後退しつつある

2012-06-13 12:23:01 | Weblog

 5月24日(2012年)、野田首相は第18回国際交流会議「アジアの未来」に出席、スピーチを行なっている。

 野田首相「リー・クアンユー元首相がかねてより警鐘を鳴らされているとおり、社会の高齢化の波は、2020年以降、確実にアジアを覆っていきます。高齢化がもたらす社会の歪みに、早くから万全な備えをしておかなければなりません。

 こうしたリスクを封じ込め、アジアは、強靭な活力ある社会を維持していけるのでしょうか。日本は、アジア全体の先行きを占う壮大な『鏡』であり、アジアのどの国よりも早く、この挑戦に立ち向かわなければなりません。

 その典型となる挑戦が、『社会保障と税の一体改革』であります。

 戦後の日本は、国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度に支えられた『分厚い中間層』の存在により、世界に類のない高度成長を達成しました。しかし、あまりにも急速に少子高齢化が進み、制度を持続可能とするため、大きな手術が『待ったなし』になっております。

 少子高齢化社会到来は、ずいぶん前に予見されていましたが、問題は半ば先送りされてまいりました。

 私は、この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭をつけたいと考えています。私は、『決断する政治』の象徴的な課題だと考えるからこそ、この一体改革を最優先課題の一つとして掲げ、その実現に向けて全力を傾けているところでございます。

 この長年の『宿題』を日本が自ら解決し、確かな処方箋を示していけなければ、2020年以降、日本を追いかけるように高齢化していく他のアジア諸国に対して、同じ課題を残したままになってしまいます。

 この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』を示していきたいと考えています」

 日本の解決なくしてアジアの解決なしと宣言している。そして日本の解決を成すのはこの俺だと。

 たいした自信である。高邁な理念と不退転の気概に満ちみちた美しい言葉の羅列共々、力強い素晴らしい宣言となっている。

 そう、改革を成し遂げることについての不退転の決意表明でもある。

 但し、ちょっとケチをつけると、 「戦後の日本は、国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度に支えられた『分厚い中間層』の存在により、世界に類のない高度成長を達成しました」は真っ赤なウソである。

 一国の首相がウソをついてはいけない。日本の高度成長は朝鮮戦争がスタートラインであって、濡れ手に粟のその特需の僥倖が与えた贈り物であることとアメリカの発展のおこぼれに与った高度成長であり、稼いだカネ(=税収、あるいは財源)を元手にした「国民皆保険、国民皆年金といった確かな社会保障制度」の確立なのである。

 他にはベトナム戦争特需、そして1ドル360円の固定相場制が日本の外需を潤すことになった。

 朝鮮戦争特需が日本の高度成長のスタートラインであることは5月16日(2012年)の朝日新聞の「天声人語」の一文が証明してくれる。

 〈戦後の日本経済は朝鮮戦争の特需で息を吹き返した。繊維などの業界で「ガチャ万」や「ガチャマン景気」と言われたのはそのころだ。機械をガチャと動かせば「万」のお金がもうかった。今は昔の糸偏(いとへん)産業の活気が、言葉の響きから伝わってくる。〉

 糸偏産業だけではない。トヨタ等の日本の自動車産業はアメリカ軍の軍用トラックや軍用ジープの修理のための部品生産や、後にライセンス生産で利益を上げ、アメ車をモデルに自家用車を開発していった。

 このことはカネ(=税収、あるいは財源)なくして政策・制度なしを雄弁に物語っている。何事もカネが元手となる。国民皆保険、国民皆年金が元手で高度成長を果たすとしたら、少しぐらいその制度が揺らいだとしても、国民皆保険、国民皆年金の社会保障制度が存続する限り、常に高度成長はついて回ることになる。

 だが、そうはなっていない。

 野田首相が言っている「この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭をつけたい」にしても、「この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』を示していきたい」にしても、その「改革」とは、2月17日(2012年)に閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」そのものの実現を前提とした行動でなければならない。

 自らの政策が優れていると掲げ、国の一つの大きな方向性を間違いなく示すとして掲げた政策を以てして「改革を成し遂げる」と、日本国内ばかりか、アジア全体に向かって高々と宣言したのだから、閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」そのものを前提としていたはずで、その政策から外れた「改革」というものは後退を意味するか、あるいは矛盾そのものを意味することになる。

 まさか自民党や公明党が掲げる社会保障政策や消費税増税政策を前提に「アジア・モデル」となる「改革を成し遂げ」ますと不退転の決意で宣言したわけではあるまい。

 また、野党との頭数の土俵を背景とした戦いで政策内容がどう変わるかも分からない「社会保障・税一体改革」を前提に「改革を成し遂げ」ますと不退転の決意を示したわけでもあるまい。

 もしそうだとしたら、無責任極まりないことになる。

 閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」をきっちりと法案とし、国会成立を図ってこそ、宣言し、決意表明した通りの「改革」の緒につく資格を得る。

 不退転とはこうこうしますと宣言することでも決意表明することでもない。また法案を単に通すことでもない。自らが掲げた政策を以てして「改革を成し遂げる」ところまでいって、初めて不退転は証明される。

 また、自らが掲げた政策を以てして「改革」を成し遂げげることについては内閣一致して不退転の共同歩調を取らなければならないのは断るまでもない。

 閣議決定した「社会保障・税一体改革大綱」を大綱のままに実現する不退転の共同歩調である。

 要するに「この改革を成し遂げることによって、課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭をつけたい」と宣言した時点で、あるいは「この改革を必ずや実現して、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』を示していきたい」と不退転の決意を示した時点で、野田内閣が掲げた「社会保障・税一体改革大綱」を大綱のままに実現する制約を自らに課したのである。

 くどいようだが、どう変わるかも分からない「社会保障・税一体改革」で改革を成し遂げますと宣言したわけではないはずだし、宣言できるはずもない。

 このわけではない、あるいはできるはずもないという制約も内閣一致して不退転の共同歩調を取らなければならないのは当然のことである。

 実際に自らが自らに課した制約通りに内閣一致して行動しているか見てみる。《首相“旗降ろせでは議論進まず”》”(NHK NEWS WEB/2012年6月10日 17時19分)

 記事題名からのみ見ると、断固として自らの政策を進める不退転の気概を感じることができる。

 6月10日、消費税率引き上げ法案などを巡る修正協議について東京都内で講演。

 野田首相「長い間、懸案だったテーマについてようやくテーブルに着いて協議を始めることができた。予断をもって何かを言える段階ではないが、楽観も悲観もしていない。

 (自民党が丸飲みや最低保障年金制度案等の撤回を求めていることについて)旗を降ろせとか理念を降ろせとか言うとなかなか議論は進まない。どういう形で現実的に制度改正ができるかに心を砕きながら国民のために成案を得る。ダラダラと時間をかければいいというわけではなく、一定程度のメドを持ちながらきちっと議論をしていくことが大事だ」

 野党案の丸飲みや与党政策の撤回要求を断固として撥ねつけるという言葉遣いではなく、修正を前提としたニュアンスとなっている。
 
 いわば修正を覚悟している以上、「社会保障・税一体改革大綱」の内容通りの実現を前提とはしていないことになり、その前提を裏切る政治姿勢となる。

 このことは不退転の放棄に当たる。
 
 「社会保障・税一体改革大綱」で掲げた、〈すべての子どもへの良質な成育環境を保障し、子どもと子育て家庭を応援する社会の実現に向け、地域の実情に応じた保育等の量的拡充、幼保一体化などの機能強化を行う子ども・子育て新システムを創設する。〉とした政策の結晶が「総合こども園」であるはずである。

 《“総合こども園” 必ずしもこだわらず》NHK NEWS WEB/2012年6月12日 11時42分)

 〈政府は、待機児童を解消するため、幼稚園と保育所の機能を一体化させた施設「総合こども園」を創設することなどを法案に盛り込んでいますが、自民・公明両党は、待機児童の解消につながらないとして、現在ある「認定こども園」を増やすなど、現行制度を基に改善を図るべきだとしています。〉・・・・・

 6月12日閣議後記者会見。

 小宮山厚労相「『総合こども園』の創設で盛り込みたかったのは、就学前の必要なすべての子どもに質のよい学校教育、保育をするということや、待機児童にしっかり対応することなど3つの大きな柱で、理念は一切曲げていない。

 子育て支援をしっかりやり、財源を確保しようという方向性は各党で一致している。法律の形式や仕組みについては譲り合って、修正協議がまとまり、今の国会で法案が成立するよう全力を挙げていきたい」
 
 記事は、〈待機児童対策など、政府案の理念が確保されるのであれば、「総合こども園」の創設には必ずしもこだわらないという考えを示し〉た発言だとしているが、主務大臣として自らが掲げた政策が優れているとその優越性を背負って国会に臨んでいるはずである。

 優越性は理念だけでは片付かない。優れた方法論を伴って、初めて理念は生きてくる。方法論を欠いた理念は空論と化す。

 民主党がいくら「国民の生活第一」と理念を掲げたとしても、「国民の生活第一」を現実社会に具体化する優れた方法論を見い出さなければ、空論のバラマキで終わる

 いわば理念・方法論共に優れているとして掲げた「総合こども園」政策であるはずだ。理念に共通項があっても、方法論で譲ったなら、政策の後退を示す。

 そもそもからして、与党野党共に政策にさしたる違いはないし、理念も左程変わらない。違うのは方法論である。与野党協議と言っても、方法論の戦いであろう。しかもその方法論は最終的には頭数が決定する。

 方法論の妥協、もしくは譲歩は最悪、政策の敗北を意味する場合もある。

 小宮山厚労相は内閣一致した不退転の共同歩調を取らなければならなかったが、共同歩調から脱落したと言いたいが、閣議後の記者会見である、野田首相や岡田ご都合主義原理主義者から因果を含まれて変節したといったところなのだろう。

 逆説的に言うと、内閣一致した不退転置き去りの共同歩調を取ったということであり、今や野田内閣全体で「社会保障・税一体改革大綱」優越性放棄及び不退転置き去りの共同歩調を取りつつあるということであろう。

 岡田副総理の不退転置き去りの共同歩調発言がある。閣議決定の一体改革大綱についての発言である。

 岡田副総理「関連する法案を『今の国会に提出する』とか、『来年、提出する』とか、さまざまなことが書いてあるが、それに優先するのが協議だということは間違いない。協議結果が大綱の内容と異なることになれば、協議結果が優先する」(NHK NEWS WEB

 「社会保障・税一体改革大綱」の内容通りの実現を前提としない「改革」の容認である。

 このことは「社会保障・税一体改革」の変質に対応した「改革」の変質を意味する。

 野田首相は共々、そのような変質した「改革」を以てして「課題を先送りしない『決断する政治』の先鞭」をつける、あるいは「持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』」を示すことになる。

 奇妙なことに輿石民主党幹事長が野田内閣の「社会保障・税一体改革大綱」の変質に逆の制約を課している。
 
 《“修正協議合意時 了承必要”》MSN産経/6月10日 21時40分)

 名古屋市での記者会見。

 輿石幹事長、「税の議論だけが先行してはいけない。一方、社会保障の全体像を議論していれば、大変時間がかかるという現実もある。急いで結論を出さないといけない分野と、全体像をきちんと出していく分野のバランスをどう取るかが課題だ。

 修正協議でその辺も含めて議論してもらっている。協議で方向性が決まったら、党に持ち帰って、議論して結果を出していく手順になろうかと思う」

 政策の無軌道な後退・変質は許さない。党が審査することになると言っている。

 修正協議と言うと体裁はいいが、頭数の力関係から政策の譲歩・後退、最悪一部丸飲みを覚悟しなければならない修正を前提としている以上、その修正は「理念は一切曲げていない」といくら抗弁したとしても、方法論の譲歩・後退、最悪一部丸飲みを伴う「社会保障・税一体改革大綱」の変質ということになり、そのような変質した「社会保障・税一体改革大綱」を前提とするなら、国際交流会議「アジアの未来」スピーチの「改革」との関係で実現する「決断する政治」も、「アジア・モデル」も、その有効性を失うばかりか、そもそもからして最初からそのようなことを口にする資格さえなかったことを示すことになる。

 大体が「決断する政治」とは譲歩や後退や丸飲みを言うわけではあるまい。

 尤も野田首相は口先だけの人、言葉達者な人だから、言う資格がなかろうと、矛盾していようと、高邁な理念と不退転の気概に満ちみちた美しく力強い素晴らしい言葉の数々を並べ立てずにはいられないのだろう。

 野田首相は大飯原発再稼動を容認、「精神論だけでやっていけることではない」と発言したが、その言葉をそっくり野田首相自身に返したい。

 「精神論だけでは課題を先送りしない『決断する政治』も、持続可能な高齢社会の『アジア・モデル』も実現させることはできない」と。

 頭数という現実的な要素が最も必要だと。

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菅政府のSPEEDI公表遅れは国民生命・財産軽視の国家犯罪

2012-06-12 12:53:53 | Weblog

 2011年3月11日東日本大震災発生から4日後の3月15日、文部科学省は原発から北西およそ20キロの福島県浪江町に職員を派遣、午後9時前に最大で1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定。

 この調査地点は3月15日夕方のSPEEDIの予測に基づいて選んだものだという。

 《SPEEDIで実測も非公表》NHK NEWS WEB/2012年6月11日 18時31分)

 いわばSPEEDIが教えた放出放射性物質高放射線量地点であり、教えた通りの放射線量を示したことによってSPEEDIの有効性を証明することになったということであろう。

 この事実はNHK入手の、文科省纏めの福島原発事故対応検証報告書に記されているという。

 「内外におけるコミュニケーションで不十分な面があった」と対応不備を認める記載もあるという。

 今更不備を言っても遅過ぎる。

 記事は、〈測定結果は官邸に報告すると共に報道機関に資料を配付し、インターネットで公開したものの、現地の対策本部には報告せず、自治体にも伝わらなかったとして「関係機関との連携に反省すべき点が見られた」と記しています。〉と書いているが、あくまでも福島県浪江町に於ける放出放射線量測定結果の公表であって、測定地点をSPEEDIのデータに基づいて選んだということも、またSPEEDIを用いて放出放射線量濃度や放出方向を予測計算していたことも未公表扱いとしていた。

 未公表と言うと、体裁良く聞こえるが、〈SPEEDIの計算の前提になる原発からの放射性物質の放出源の情報が地震に伴う停電によって得られなかったため、原子力安全技術センターが震災当日から放出量を仮定して入力して得られた予測データを文部科学省に報告してきたにも関わらず〉実質的には隠していた。

 いわば情報公開すべきを、その逆の情報隠蔽を謀っていたと見るべきだろう。

 事故直後から報道機関が公表を求めたのに対して、3月23日に一部試算データ公表、4月25日正式公表だと、原発事故発生から1ヶ月半も経過した公表を記事は遅過ぎる情報公開だとする文脈で書いているが、効果が分かっていながら、未公表としていたのだから、情報隠蔽以外の何ものでもない。

 文科省にしても、未公表の正当性を仮定のデータだからとしていた。

 文科省「放出源の情報が得られていないため実態を正確に反映していない予測データの公表は無用の混乱を招きかねない」

 だが、仮定のデータであっても、実態を、多分ほぼ正確に反映していた。

 「関係者は予測は現実をシミュレーションしたものとは言い難いと認識しており、当時の状況では(未公表は)適当であった」

 いずれの未公表正当性をウソにするSPEEDIの予測効果であろう。

 政府一丸となってウソをついていたと見るほかない。

 北澤宏一民間事故調委員長「予測が実際の放射線量に結びつくことが分かった段階で、SPEEDIは不確かとは言えず、直ちに公表して住民の被ばくを深刻なものにさせないよう必死に努力するのが責任だ。この検証ではSPEEDIを生かすにはどうすればよかったのか、住民の立場からの検証が決定的に欠けている」

 被災住民を放射能の危険に曝した。国民生命軽視の隠蔽であり、この意味で国家犯罪に相当するはずだ。
 
 また国会事故調は論点整理で、SPEEDIは「事故の進展中の活用は困難。100億円の予算が投じられたが、モニタリング手法の多様化が初動の避難指示では効果的」(MSN産経)としているそうだが、文科省が今回明らかにした事実はこの論点整理をも否定するはずだ。

 例え放出放射線量濃度が仮定の数値を用いて入力したものであっても、記事も書いているように各地の放出放射線量濃度実測値と気象や地形等の情報入力によって避難方向・避難地域の適不適、あるいは危険性の有無は予測できたことを教えている。

 国会事故調と違って、他の事故調はその有用性を表明している。
 
 政府事故調「仮に予測データが提供されていれば、自治体や住民は、より適切な避難経路や避難の方向を選ぶことができたと思われる」
 
 民間事故調「住民の被ばくの可能性を低減するため、最大限活用する姿勢が必要だった」

 これまでもブログに書いてきたと同時に既にご存知の向きもあるかもしれないが、政府のスピーディに対する対応をおおまかに振返ってみる。

 先ず震災発生の3月11日から約5カ月前の2010年10月20日に静岡県の浜岡原子力発電所第3号機が原子炉給水系の故障により原子炉の冷却機能を喪失、放射性物質が外部に放出される事態を想定した、菅首相を政府原子力災害対策本部会議本部長とした「平成22年度原子力総合防災訓練」を行っている。

 この訓練は「原子力災害対策特別措置法」の「防災訓練に関する国の計画 第十三条」に基づいているが、原発事故対応を通して「国民の生命・財産を守る」ことに主眼を置いた訓練であり、そういった訓練でなければならないはずだ。

 訓練では緊急時迅速放射能影響予測システ(SPEEDI)を用いた環境放射能影響予測を行なっている。

 次に地震発生が3月11日午後2時46分。その約2時間後の午後4時49分に政府が132億円かけて開発したという「SPEEDI」を作動させ、放射性物質の拡散状況を予測している(TBSテレビ『「報道の日2011」記憶と記録そして願い』/2012年12月25日放送)。

 東電は3月11日午後2時46分地震発生から約2時間後の3月11日16時36分、福島第一1・2号機の原子炉水位が確認できず、注水状況が不明なため原災法第15条に基づく事象(非常用炉心冷却装置注水不能)が発生したと判断して、3月11日16時45分に原災法第15条報告を行っている。

 その4分後に「SPEEDI」を作動させたことになる。

 当然と言えば当然だが、要するにSPEEDIに関しては迅速な対応を行った。

 昨年の8月27日(2011年)、東京都千代田区の日本プレスセンターで行われた民主党代表選共同記者会見。

 質問者「今のホットスポットにも絡むんですけど、文部科学省が持ったスピーディっていう放射線の飛散の状況についての発表が遅れましたですよねぇ、対応の遅れ、あるいは、被災地の方の対応の不信感ということの一つに情報開示の遅れというのがあると思うんですが、この点については担当大臣として海江田さん、どうですか」

 海江田経産相「私は今回、この福島の事故の対応で、自分自身に色々と反省することもございます。その中の、やはり一番大きな問題が先ずスピーディの存在を私自身、知らなかったんです。

 これは正直申し上げまして、で、まあ、そのとき官邸にいた他の方にもお尋ねをいたしましたが、実はスピーディの存在そのものをみんな知らなかったということでありまして、これはやっぱり大変大きな問題であります」

 菅仮免を政府原子力災害対策本部会議本部長とした2010年度原子力総合防災訓練時の経産相は大畠章宏で、大畠が訓練に参加している。

 だとしても、「スピーディの存在そのものをみんな知らなかった」という事実は浜岡訓練の事実を無意味化し、その無意味化は普段言っている「国民の生命・財産を守る」をウソにする事実をも含むことになり、訓練の経費を無駄遣いしたことにもなる。

 予算の適正な支出も「国民の生命・財産を守る」に関係してくる。

 3月12日午前1時頃、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算に基づく予測図がファクスで首相官邸に届けられていたが、菅仮免の許には上がっていなかった。

 5月19日記者会見。

 福山官房副長官「何らかの形で利用したのではないか。首相のもとにあがった事実はない」(日経電子版

 6月3日(2011年)の参院予算委員会。

 森雅子自民党議員「(SPEEDIの予測を)なぜ住民に知らせなかったのか。知らせていれば避難できた。子供を含めて内部被曝しているのではないか」

 菅仮免「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。責任者として大変申し訳ない。予測図は私や官房長官には伝達されなかった」(MSN産経

 《枝野官房長官の会見全文〈20日午前〉》asahi.com/2011年5月20日12時59分)

 5月20日午前の記者会見――

 記者「原発のSPEEDIのデータが、昨日夕方の福山副長官会見で、総理には上がってないと発言した。本当に上がっていないとすれば、何のためにデータを取り寄せたのか。」

 枝野「これは私も見ていない。福山副長官も見ていない。危機管理センターの幹部のところには、各省いろんな関連部局から情報がファクス等送られてくるのはコピーをとって配られるわけだが、そういうところにまったく上がってこなかった。まったく少なくとも政府とか危機管理センター幹部のレベルのところで全く共有されずにあった情報であるということだ。私も報道等をみて、どういうことになっているのかと問い合わせたところだが、官邸の担当部局のところにファクスはきていたが、そこの段階で止まっていたと報告を受けている
 
 記者「政府のこれまでの説明は、SPEEDIの元となるプラントの放出量が分からないから使えなかったということだが」

 枝野「だから少なくともその何日か後の段階で、SPEEDIというのがあるようだがどうなっているんだと私が問い合わせた時に、放出放射性物質量がわかることを前提としたシステムなので、これは役に立たないという報告を受けた。

 私から、いや逆に放射線量、周辺地域の放射線量がわかっているんだから、それは逆算して放出放射線量が逆算できるのではないかというアプローチはないのか、ということが数日後にあった。その時点での私への報告も、その2日目の未明にそうしたファクスが届いていたこととどういった整合性があるのか、しっかりと確認をしたいと思う」

 記者「政府は情報はすみやかに公開したいと言ってきた。SPEEDIを公表しなかったことをどう考えるか」

 枝野「私などからは繰り返し、すべての情報は迅速に公開するようにと指示を繰り返している。少なくとも私の手元に来ているような情報は、少なくとも問い合わせがあれば公表するということでやってきた。しかしそもそもが情報そのものの存在自体が伝えられていないなかにあったことについては大変遺憾に思っている。ただ、こうした今回取り上げられている推測も含めて、単位1ベクレルが放出された仮定でどうなるのかとか、仮にこれくらい出ていたらこういうことになりそうだな、ということも、我々の承知しないところでいろいろ試算していたものがあるということを把握した段階で、それは全部出せと指示した結果として皆さんの手元に届いている」

 記者「ファクスが来て上に上がってなかったというが、その情報はいらないという判断だったのか、何らかのミスだったのか」

 枝野「そこのところについてはしっかりと検証を、我々自身としてもやりたいし、遠からず検証委員会を立ち上げたら第三者的にも検証してもらいたい」

 記者「仮定に基づく試算とはいえ、避難指示を出す前に総理が見ていたら役だったのではないか」

 枝野「少なくとも避難区域の指示等についての時に、そういった情報があればそれは意義があったと思う」

 記者「長官はSPEEDIの存在を知らなかったが、原子力安全委員会という総理に助言する立場の部局は知っていたはずだが」

 枝野「その点は常に私、例えば班目委員長などのそばにいたわけではないので、その辺のそういうやりとりがあったかどうかは承知していない」 ――

 「放出放射性物質量が分かることを前提としたシステムなので、これは役に立たないという報告を受けた」

 「役に立たない」情報を何のためか分からないが、3月12日午前1時頃に官邸に上げたことになるが、3日後の3月15日夕方の時点で文科省はSPEEDIの予測に基づいて福島県浪江町に職員を派遣、午後9時前に最大で1時間当たり330マイクロシーベルトの高い放射線量を測定して見事役に立たせている。

 決して占い師に占って貰って、浪江町が最も放出放射線量が高い場所ですよと教えられたわけではない。

 3月12日午前1時頃にファクスで官邸に届けられたSPEEDIの予測図は官邸の担当部局の所で止まっていた。

 文科省は福島県浪江町の測定結果にしても官邸に報告したものの、測定場所選定はSPEEDIの予測データに基づいたものだと官邸に対して情報公開しなかったのだろうか。あるいは情報公開したが、最初のSPEEDI予測図と同様に官邸の担当部局の所で止まっていたのだろうか。

 前者であっても後者であっても、首相のところまで届かない度重なる情報隠蔽、あるいは情報停滞は官邸という組織、あるいは政府という組織の体裁を成していなかったことになる。

 当然、双方の責任者である菅仮免の、満足に組織を統括・運営することができない責任となる。

 例え3月12日午前1時頃、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算に基づく予測図がファクスで首相官邸に届けられたものの、官邸の担当部局の所で止まっていて菅仮免の許には上がっていなかったことが事実であったとしても、SPEEDIの存在そのものは官邸が承知していたことを細野補佐官が記者会見で明らかにしている。

 5月2日(2011年)の記者会見。

 細野補佐官「公開することによって、社会全体にパニックが起きることを懸念したというのが実態であります。

 ここまで公表が遅くなったことにつきましては、本部の事務局長として、心よりお詫びを申し上げたいと思います」(TBSテレビ『「報道の日2011」記憶と記録そして願い』/2012年12月25日放送)

 細野補佐官はSPEEDIの存在を知っていたし、その予測結果を知っていた。予測結果を知らずして、パニック懸念はあり得ない。

 放出放射線量が過小であった場合は逆に公表して、安心して下さいとアナウンスしたはずだ。

 また細野補佐官自身が知っていた事実と3月12日午前1時頃にファクスで官邸に届けられたSPEEDI予測図が官邸の担当部局の所で止まっていた事実とは真っ向から矛盾することになる。

 あるい担当部局の所で止まっていたとということを菅仮免等が事実としていることは問題でなくなる。

 細野個人、あるいは細野個人に限ったごく身近な周辺がパニックを懸念して、公表しないという情報隠蔽を選択したのだろうか。原子力災害対策本部長でもないのに、あるいは内閣の長でもないのにそういったことをしたなら、越権行為、独断専行となるばかりか、官邸に於ける情報共有という点で大問題となる。

 細野補佐官が知っていた情報である以上、菅仮免、枝野官房長官、その他原発事故に主として関わっていた閣僚その他が情報共有していなければならなかったSPEEDI予測結果であり、パニック懸念でなければならなかったはずだ。

 菅仮免、あるいは枝野官房長官が、いや細野補佐官がパニックを懸念して公表しないことを一人で決めた、我々の関知外だと果たして言うことができるだろうか。
 
 一つの組織に於いて万全を期すべき情報共有が破綻していたことになり、その破綻に対しても責任者たる菅仮免の責任が生じる。 

 菅仮免が言う、「予測図は私や官房長官には伝達されなかった」の事実にしても情報共有の破綻を示す一現象であり、当然、そこに負わなければならない責任が生じているはずだが、SPEEDI予測結果が住民避難に活用されなかったかばかりか、高放射線量地域に避難した住民も多く出ている事実に対する責任が重なって、犯罪で言うと重罪となるはずだが、「予測図は私や官房長官には伝達されなかった」の事実で対抗して平然と重罪を回避している。

 この重罪回避は優先させるべき「国民の生命・財産を守る」の責任意識よりも自己保身意識を優先させていることから生じている態度であるはずだ。

 逆に自己保身よりも「国民の生命・財産を守る」の責任意識を常に優先させていたなら、原発のシビアアクシデントという国民の生命・財産に関係する重大事故に直面しての情報共有の停滞・破綻は国民の生命・財産をなお一層の危険に曝す要因となりかねず、決してそういったことは招かない組織運営を心がけなければならなかった。

 だが、至る場面で情報共有の停滞や破綻を招いていた。「国民の生命・財産を守る」の責任意識もなければ、その能力もなかったということだろう。

 このことが国民の生命・財産の軽視に当たる国家犯罪に相当しないとしたら、国家の危機管理の存在理由を失う。

 
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学校給食は教育的観点から生徒自身に調理させるべし

2012-06-10 11:53:15 | Weblog

 今日はちょっと趣を変えて、学校給食を取り上げてみる。

 既に誰かが言っていることかもしれないが、私なりに考察を巡らしたいと思う。

 府内全中学465校のうち、今年3月末までに給食が実施されているのは63校。実施率は13・5%で、都道府県別で最下位の大阪府で、新たに32市町村が府の設けた給食施設整備費補助制度を活用、給食を完全実施する方向となり、既に全校で給食を提供している9市町と、平成25年度中に完全実施を目指す大阪市を合わせると、4年後の28年度までに堺市以外の全市町村で実施されることになり、実施率は90%を超えて、全国トップクラスとなると、《中学校給食実施率、4年後に全国トップクラス 大阪府》MSN産経/2012.4.5 22:54) が伝えている。

 この記事に触れたのは発信当時であったが、暗記教育の思考性・行動性から脱して自律心や主体性、創造性を育むための教育的観点から小学校の場合は5年生と6年生が、中学校の場合は1年生から3年生までが当番制で各学年の生徒と協力し合って、栄養士の指導のもと、自らメニューを決め、自ら調理する給食制度にすべきではないかと考えた。

 記事は、大阪府は昨年、当時の橋下徹知事(現大阪市長)が政令市以外の市町村に対する補助制度を創設。27年度までの5年間に限り、施設整備費用の半分や、調理器具などの購入費の補助を決め、市町村に給食実施の意向を確認していたと伝えている。

 この記事からでは生徒自身に調理させるのか、業者委託なのか把握できないが、次の記事では橋下市長は生徒自身の調理に関しては何ら触れていないから、大阪市は現在の業者委託を継続するということなのだろう。

 《橋下市長、最年少女性市長に「ちゃんと給食を」》YOMIURI ONLINE/2012年4月19日15時30分)

 4月18日、大津市の越直美市長が公約とした「中学校昼食実施」に向けた視察の一環で大阪市役所を訪問。橋下市長と会談、市政全般についても意見を交わしたという。

 大阪市の場合、希望者に委託業者の弁当(1食280円)を提供する「昼食事業」を実施、2学期以降は学校給食法に基づく給食を段階的に開始する予定でいるそうだ。

 記事が伝える両者の発言。

 越市長「(学校給食を求める)保護者の要望は強い」

 橋下市長「最終的には財政の問題が大きい。(中学校給食の必要性については)ちゃんとした飯を食べさせてから、『勉強だ』『体育だ』と言える」

 市政運営について。

 越市長「会議はいつも公開でやっているのか」

 橋下市長「ちょっとした連絡事項以外はオープン。最後の意思決定を公開することで、広く関心も得られる」

 〈<オープン化>を推奨した〉発言だと記事は解説している。

 越市長は会談後、昼食事業が導入されている大阪市の市立中を視察、弁当を試食。  

  越市長(取材陣に)「現場を見られ、良かった。大津市でもアンケートするなどして、学校昼食事業を進めたい。

 (会議の公開については)検討したい」

 どう読んでも業者委託であって、生徒自身の調理とはなっていない。生徒が関わっている給食に於ける役目は精々のところ、給食室からズンドウの容器に献立別に料理を入れて教室に運んでいき、各生徒の食器に盛ることぐらいではないだろうか。

 立命館小学校のHPに求職に関わる次のような記述がある。

 〈立命館小学校

立命館小学校の給食は食育の観点を重視し、栄養面、食材、衛生面などを検討した結果、大津プリンスホテルに委託し、月曜日から金曜日までを給食日として実施いたします。栄養バランスはもちろんのことですが、学校内に設置した調理室で調理された給食を、温かいものを温かく、冷たいものを冷たいものとして、おいしくいただいています。

給食委託先 大津プリンスホテル
給食費 年間125,000円〉・・・・

 なかなかに贅沢な業者委託で、毎日がおいしい給食となっているに違いない。

 だが、いくらおいしい給食であっても、業者委託で専門の調理人が作った料理をただ食べ、味わうのは上が与えた知識・情報を機械的に受容する暗記式教育と何ら変わらない味わいで終わる。

 知識・情報と食べ物の違いはあるが、食べ物にも知識・情報は常に付随して存在する。業者が与える料理の各材料が持つ値段や栄養価や産地等々の知識・情報、あるいは調理方法そのものの知識・情報は業者が作った給食を単に食べ、味わう機械的習慣からは伝わってこない。

 伝わってくるのは今日の献立は何だった、材料は何を使ってある、美味しかった、まずかった程度の表面的な知識・情報にほぼ限られる。

 少なくとも暗記教育と同様に各材料が持つ値段や栄養価や産地等々の知識・情報を自分の知識・情報とするところまでにはいかないはずだ。

 調理には時間が掛かる。当番となった生徒は朝から給食室に入って、調理に専念する。その日のメニューは前の日の調理が終わってから栄養士と相談して決め、生徒自身が材料を業者に電話して注文する。

 自分たちでメニューを決め、美味しい料理の作り方を心がけること自体が創造性の育成となる。その繰返しを行なっているうちに新しいメニューに挑戦する意欲が自然と湧くはずだ。他の当番の料理に対抗して、より美味しい料理、より新しいメニュー作りに意欲を燃やすこともあるはずだ。

 食べる側の生徒も自身も当番になったときは給食作りに携わる関係から、当番が作った給食のそれぞれの材料が持つ様々な知識・情報に無頓着ではいられなくなり、関心を持つようにもなるはずだ。

 当番となったとき、午前中の4時限分は授業に参加できないために、その間の知識・情報の入手は不可能となり、結果、勉強に遅れることになる。

 例えそうなったとしても、高々暗記教育のコマ切れの暗記知識でしかない。体系立った統一的な知識・情報を形成するような教育を受けているわけではない。

 4時限分を月に1回か2回そこら抜かしたとしても、大したことはないはずである。

 その証拠に小学校・中学校の成績が悪くても、高校・大学と伸びていくケースもある。小学校・中学校の成績が如何に当てにならないかを物語っている。

 勿論、逆に小学校から始まって以降成績がぐんぐん伸びていき、社会に出て大成するケースも多々あるだろうが、その多くが創造性の育成を遮断した暗記教育による暗記知識を基本とした機械的思考性・機械的行動性に優れているというだけのことであろう。

 だから、建築家安藤忠雄から、自分の建築事務所に採用した、多分東大生や京大生を指してだろう、「言われたことはやる。だけどそれ以上のことはやらない」などと言われることになる。

 上の指示では動くが、それも上の指示の範囲内の動きであって、その範囲を超えて自分で発想して、自ら進んで行動する創造性の欠如を言ったのである。

 自分で授業に参加できなかった4時限分の不足をどうしても埋めたいと言うなら、それぞれの自習で補うのもよし、あるいは教師の計らいで授業内容をボイスレコーダーに録音し、それを何本かのテープに複製して、その日の給食当番担当の生徒に渡せば、家で授業を疑似体験できる。

 何よりも給食という名の料理づくりに携わったり、新しいメニュウへの挑戦で学ぶことのできる創造性の取得と、給食材料を自ら手に持ち、それを食べ物へと替えていく過程で、それらが持つ様々な知識・情報を生きた知識・情報としていく知識・情報の自分化は、自らの体験によって得た何ものにも代え難い貴重な知的財産となるはずだ。

 創造性は自ら学ぶ姿勢から生まれる。自ら学ぶ姿勢は挑戦の精神によって裏打ちされる。故に優れた創造性は優れた挑戦の精神と相互関連する。(私自身には両方共ないが。)

 一つの分野で、それが給食作りであっても、挑戦することを学び、創造性を育むことに成功したなら、その経緯は自らに喜びを与える肯定的な体験として進んで記憶することになるだろうから、他の分野でも、関心さえ持ちさえすれば、同じ経緯の再体験を欲し、自ずと創造性を発揮することになる。

 そこから創造性発揮の連鎖が生まれるが、基本は先ずは一つの分野で創造性を発揮する機会を得ることであろう。

 スポーツや芸能等の一つの分野で優秀な才能を発揮している人材が他の分野、例えば料理や絵画、あるいは陶芸の分野等で優れた才能を発揮しているケースがあるが、これも一つの分野に於ける創造性の発揮が別の分野への創造性発揮の連鎖が招くことになっている例となる。

 子供たちが小学生の頃から給食料理に関わることによって、将来的な夫婦関係もかなり変化するはずだ。現在、料理が殆どできない若い女性がかなり多い。しかも料理・生花が女性にとっての嫁入り道具ではなくなって久しい。子供の頃から母親の家事を手伝わない習慣から、料理経験のないまま大人の女性に成長した影響が子どもの朝食抜きであったり、コンビニ弁当の宛てがいであったりするはずだ。

 女性がそうだから、ましてや男性となると、家事経験なし、料理経験なしは相当数にのぼるだろう。この影響が結婚しても家事・育児を手伝わない男性の姿となって現れ、家事・育児の一方的な女性の負担という不公平な偏りを見せることになっている。

 また、このようなことが《男性の育児休業 増加するも低水準》NHK NEWS WEB/2012年4月27日 8時24分)が伝えていた男性育児休業の低水準となって現れているはずだ。

 2011年10月時点での、

 男性育児休業取得率――前年+1.3ポイントの2.6%
 女性育児休業取得率――前年+4.1ポイント87.8%

 男性の場合、平成8年調査開始以来の最高率だそうだが、決して自慢できない数字であると同時に如何に女性に一方的に負担が偏っているかが理解できる。

 従業員500人以上事業所

 男性育児休業取得率――2.9%
 女性育児休業取得率――91.4%

 従業員30人未満事業所

 男性育児休業取得率――1.8%
 女性育児休業取得率――83.3%

 この事業所規模の大小に連動した育児休業取得率の多い少ないは育児負担の男女格差のみならず、企業規模格差の不公平をも生じせしめていることが分かる。

 厚生労働省「男性はほとんどの人が取得していないのが現状だが、育児休業を取得させている企業に助成金を支給する制度を周知するなどして、育児を積極的に行う男性”イクメン”を支援していきたい」

 カネで尻を叩く方法は会社から指示された育児としての機械的動作を促進するかもしれないが、自ら進んで行う自律性も主体性もキッカケとしないことから、創造性な取り組みはあまり期待できまい。

 助成金がありながら、男性の育児休業取得促進の状況となっていないということは助成金そのものが効果を産んでいないことの理由の一つとなっているはずだ。

 会社組織に於ける上からの権威主義的な力が業務に関わる行動を縛る暗黙の圧力となって働いていて、それが助成金を無力としていることが原因であろう。

 子供たちが給食料理に携わる教育制度を設けたとしても、それが暗記教育と同じ機械的な料理作業に終わった場合はたいして意味もなく、その多くが家では家事を手伝わない、高校に入ったら、料理する機会も持たなくなるといった結末を迎えることになるだろうが(勉強するという習慣自体が学校を卒業して社会に出ると、職業で必要とする以外はその習慣を忘れてしまうことが多い。)、生徒自身が自律的・主体的に自ら進んで取り掛かり、創造性の育成にまで進めることができた場合、男女に限らずに、男女平等に向けた社会変革の力となり得るはずである。

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野田首相の言葉巧者を以てしても隠蔽不可能なマヤカシを漂わせた大飯原発再稼動正当性の記者会見

2012-06-09 12:44:59 | Weblog

 昨日6月8日(2012年)午後、野田首相が大飯原発再稼働記者会見を行った。マスコミの世論調査では再稼動反対が50%超から70~80%も占めている。

 だからだろう、世論に反する再稼動を政府が示すことになるから、全編国民の生活を楯に取って体のいい威し紛いを駆使し、何が何でも再稼動を果たそうとする意思も露の言葉の数々となっている。

 野田首相「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています」

 「国民生活を守る」――表向きはこのことを唯一絶対の判断基準とした大飯原発再稼動決定だとしている。

 そして2つの意味から「国民生活を守る」ことを理由とした原発再稼動の必要性を示す。

 先ず第1の意味を上げる。「次代を担う子どもたちのためにも、福島のような事故は決して起こさないこと」。そのために「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整」えたとした上で、「もし万が一すべての電源が失われるような事態においても、炉心損傷に至らないことが確認をされています」と絶対的安全性を保証している。

 その根拠は「これまで1年以上の時間をかけ、IAEAや原子力安全委員会を含め、専門家による40回以上にわたる公開の議論を通じて得られた知見を慎重には慎重を重ねて積み上げ、安全性を確認した結果」だとしている。

 但し絶対というものは存在しないための逃げ道はちゃっかりと用意している。

 「勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました。そのため、最新の知見に基づく30項目の対策を新たな規制機関の下での法制化を先取りして、期限を区切って実施するよう、電力会社に求めています。」

 万全の上に万全を期している。新たな規制機関として予定している原子力規制庁での法制化前に30項目の対策を電力事業者に求めている。

 だとしても、「安全基準にこれで絶対というものは」存在しないと自ら認識し、そのことを口にした以上、「最新の知見に照らして、常に見直していかなければならない」体制を取り続けなければならない。安全の終わりのない追求を宿命とするということであろう。

 つまり安全の追求は終わりのない戦いであるとする宣言ともなっている。

 そのためにも新たな規制のための体制を一刻も早く発足させて、規制の刷新を実施に移せるようにしなければならないと約束している。

 いわば政府が現状で確保した安全判断の基準は「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整」えてはいるものの、あくまでも安全追求の途次にある「暫定的なもの」であって、「新たな(規制)体制が発足した時点で安全規制を見直」さなければならないとしている。

 要するに安全判断はそれで終わりではなく、新たな知見が提示された場合は、安全基準はその「知見に照らして、常に見直していかなければならない」姿勢を取り続けると、飽くなき安全性追求の姿勢を誇示している。

 これが事実なら、何も言うことはない。

 次に「国民生活を守る」理由の第2の意味として、「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響」への回避と、「豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気」の供給の保証であり、このような保証なくして「日本の社会は立ち行」かないことになると言っている。

 具体的には大飯原発が再稼動しない場合の計画停電や突発的な停電は「命の危険にさらされる人」も出現するし、「仕事が成り立たなくなってしまう人」も出現することになるとしている。 

 結果、「日常生活や経済活動は大きく混乱」を来すことになるから、「再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならない」と警告。

 つまり再稼動なしでは「国民生活を守る」ことにならない。再稼動こそが「国民生活を守る」との謂である。

 あるいは再稼働しなければ、「夏場の短期的な電力需給の問題」だけではなく、「化石燃料への依存を増やして電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響」が出てくるし、「空洞化を加速して雇用の場が失われてしま」う。「夏場限定の再稼働」では国は守ることはできない。「国の行く末を左右する大きな課題」であって、「国の重要課題であるエネルギー安全保障という視点からも、原発は重要な電源」であるからと再稼動の重要性を訴えている。

 「国政を預かるものとして、人々の日常の暮らしを守るという責務を放棄することはでき」ないし、「国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断」だと、2つの意味からの「国民生活を守る」理由を述べて、再稼動を判断したことの説明を尽くす。

 要するに一にも二にも三にも四にも、「国民生活を守る」ために再稼動は必要だと訴えている。

 だがである。第2の意味の面から掲げた「国民生活を守る」は第1の意味の面から掲げた「国民生活を守る」根拠としての「福島を襲ったような地震・津波が起こっても、事故を防止できる対策と体制は整」えたとしている原発の安全性が破綻した場合、第2の意味の面から掲げた「国民生活を守る」にしても破綻することになる。

 後者の破綻は、「安全基準にこれで絶対というものは」存在しない以上、否定し去ることはできない。

 要するに第2の意味として掲げた再稼働しない場合の、「計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響」にしても、「命の危険にさらされる人」や「仕事が成り立たなくなってしまう人」の出現にしても、「日常生活や経済活動」の大きな混乱にしても、「化石燃料への依存を増や」すことで生じる「電力価格」の高騰にしても、「空洞化を加速して雇用の場が失われてしま」うことにしても、あるいは逆に再稼働させることで手中可能となる「豊かで人間らしい暮らしを送るため」の「安価で安定した電気」の供給にしても、すべて原発の安全性が担保する約束事であり、そうである以上、第1の意味として掲げた「国民生活を守る」理由のみを具体的且つ詳細に説明して、かくかように再稼動については万全の安全性を確保しましたと、安全性の面からの国民の納得を得る努力を尽くすことを最優先とし、尚且つ「安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならない」から、常にその努力を果たしていきますとすべきを、再稼働したとしても、原発の安全性が破綻した場合は同じく破綻してしまう国民生活であることは論外に置いて、再稼働しない場合の国民生活のリスクを延々と説明して、どちらを取るかの選択を迫っている。

 まさしく全編国民の生活を楯に取った体のいい威し紛い以外の何ものでもあるまい。

 威し紛いである証拠を新聞記事から挙げてみる。

 《大飯原発敷地内 破砕帯は活断層か》YOMIURI ONLINE/2012年6月8日)

 渡辺満久・東洋大教授(変動地形学)と鈴木康弘・名古屋大教授(同)が、関西電力大飯原発3、4号機の敷地内を通る「破砕帯」と呼ばれる断層は「活断層の可能性が否定できない」との調査結果を纏めたという内容の記事である。

 〈破砕帯は断層運動などで砕かれた岩石が帯状に延びたもの。渡辺教授らが指摘する破砕帯は、2号機と3号機の間の地下を南北に通る「F―6破砕帯」(長さ約900メートル)・・・・・

 もっとも破砕帯は今回発見されたのではなく、関電が1985年に国に大飯原発3、4号機の設置許可申請を提出する際に、断層面を掘り出す「トレンチ調査」を実施した際、既に把握していた。

 だが、〈坑内南側で破砕帯を覆う地層に変位がないことから「12~13万年前以降に動いた活断層ではない」と判断〉、〈経済産業省原子力安全・保安院も2010年の耐震安全性再評価で関電の評価結果を改めて「妥当」と評価〉――

 今回の民間の調査は市民団体の依頼で資料を分析したものだそうで、渡辺教授は次のように説明している。

 渡辺教授「トレンチ調査の断面図を見ると同じ坑内の北側でF―6破砕帯を覆う地層が上下にずれているように見える。粘土が含まれていることも断層活動があった可能性を示す」として「活断層である可能性が否定できない。

 大飯原発周辺にある海底活断層が動くと敷地内の破砕帯も連動して動く可能性がある。原子炉直下を通る破砕帯もあり、詳しく調査するべきだ」

 関西電力「3、4号機建設前の調査で破砕帯の存在は確認しているが、いずれも短い。最大のF―6破砕帯はトレンチ調査も行っているが、耐震設計上考慮すべき活断層ではないことは確認済みだ」

 福井県原子力安全専門委員会委員の1人「再稼働の是非がこれだけ注目されている中で、一般が納得するような安全性判断をするためには、検討しなければならない問題だと思う」

 渡辺満久・東洋大教授と鈴木康弘・名古屋大教授の調査結果は野田首相が記者会見で言っている、「最新の知見に照らして、常に見直していかなければならない」安全性対策の「最新の知見」に入るはずだ。

 当然、地震学等の専門家に詳細な調査を依頼しなければならないことになる。

 だが、関西電力はそのような「最新の知見」に面と向き合わずに、過去の調査を以って「耐震設計上考慮すべき活断層ではないことは確認済みだ」と断定するのは東電が地震学者等から貞観地震を例にした、そのクラスの揺れの地震と津波再来の危険性を指摘されながら、その指摘に根拠がないと面と向き合わなかった事例に相当しないと誰も断言できないはずだ。

 東電は向き合わなかったために津波が防潮堤を乗り越えて建屋を浸水、全電源喪失を招き、重大な原発事故に至った。

 当然、福井県原子力安全専門委員会委員の1人が言っているように、「一般が納得するような安全性判断をするためには、検討しなければならない」ことになる。

 上記記事には書いてなかったが、他の記事によると、この調査結果は6月6日に纏めたと書いてある。

 そして次の日の6月7日、経済産業省原子力安全・保安院は「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」と否定。《大飯原発地下の断層、保安院が活動の可能性否定》YOMIURI ONLINE/◇(2012年6月8日10時03分)

 具体的には記事にこう書いてある。

 〈政府が再稼働を目指す関西電力大飯原子力発電所3、4号機(福井県おおい町)の敷地の地下にある断層が活動する可能性を専門家が指摘した問題で、経済産業省原子力安全・保安院は7日、「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」と否定した。

 同日の記者会見で森山善範・原子力災害対策監が述べた。〉・・・・・

 たったこれだけの内容だが、調査報告から1日しか経過していないのだから、保安院が地震学者その他に依頼して再調査する時間はなかったはずだ。いわば1985年の調査を基に安全判断をした。

 地震学者等が貞観地震の再来、その津波の再来の危険性を「最新の知見」として提供したのに対して東電がその「最新の知見」を、いわば握り潰したように保安院も「最新の知見」として提供した危険性を握り潰し、過去の調査の正当化に無条件に走った。

 同じ過ちとならない保証はどこにもない。

 そしてさらに1日経過した6月8日に野田首相は「国民生活を守る」を理由に、実際は再稼働しない場合の国民生活のリスク、経済のリスク等を楯とした威し紛いの再稼動の正当性を掲げて「国民生活を守る」と称した大飯原発再稼動正当性の記者会見を開いた。

 以上のことは「勿論、安全基準にこれで絶対というものはございません。最新の知見に照らして、常に見直していかなければならないというのが東京電力福島原発事故の大きな教訓の一つでございました」をいい加減なウソとする流れとなっているばかりか、原発の安全性が破綻した場合、「国民生活を守る」の言葉をもウソにしかねない危険性を孕んだ動きと言えるはずだ。

 「国民生活を守る」の言葉をウソにした場合、守るための理由として掲げた数々の生活のリスク自体が威し紛いであった証拠と化すことになる。

 いくら野田首相の言葉巧者を以てしても隠すことはできないマヤカシを漂わせた大飯原発再稼動の正当性と言うしかない。

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森本防衛相は集団的自衛権行使容認思想の点で文民統制の確実性を担保できるのだろうか

2012-06-08 12:12:34 | Weblog

 6月4日の第2次野田改造内閣で評論家で拓殖大学大学院教授の森本敏氏が防衛相の人事を受けた。元自衛官だとかで、日本国憲法が規定する「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」に抵触するのではないかとか、国民の負託を受けてはいない民間人出身者が安全保障上の決定に責任を持てるのかといった批判が起きている。

 法的には現役の自衛官は文民ではないが、かつて自衛官であった者は文民の範疇に入るそうだ。

 以下新聞が伝えている批判を眺めてみる。

 《防衛相経験者ら 批判や懸念》NHK NEWS WEB/2012年6月4日 22時10分)

 石破元防衛相「民主党内に適任者がいないなか、固辞する森本氏に泣きつき、防衛大臣に無理矢理引っ張り出したと聞いている。行き当たりばったりで、国家運営への定見を持ちえない民主党の体質を示している。軍事的な対応に責任を負えるのは、選挙の洗礼を受けた政治家だけで、国会で野田総理大臣の文民統制についての見識を問いたい。

 民主党政権の2年半の間で、安全保障政策は混迷を極めているが、自民党の考えに極めて近い森本氏の起用で、安全保障政策が現実的なものに大転換すると思う」

 「軍事的な対応に責任を負えるのは、選挙の洗礼を受けた政治家だけ」と言うのは理解できるが、このことと「文民統制」がどうつながるのか理解できない。

 文民とは通例、現職軍人でない者を言い、選挙で国民の負託を受けている者を言うわけではない。

 なお理解できないのは、森本防衛相人事を対国民責任上も文民統制上も不適切と批判しておきながら、その安全保障政策に期待している。

 浜田自民党国会対策委員長代理「森本氏は、私が防衛大臣の時に防衛大臣補佐官を務めていただいたこともあり、見識をしっかり持った方だ。しかし、防衛省は政治的な課題が大変多く、民間登用が本当によいのか疑問だ。選挙を経て当選した国会議員が防衛大臣を受け持つのが望ましく、議院内閣制の下、特に防衛に関しては、文民統制を巡って疑問の声が出てもしかたがない」

 浜田国体委代理も国家の安全保障問題に関しては国会議員を要資格者としている。「特に防衛に関しては、文民統制を巡って疑問の声が出てもしかたがない」と言っていることは元自衛官であることを問題にしているのだろうか。

 石破元防衛相も元自衛官であることを懸念材料として、「国会で野田総理大臣の文民統制についての見識を問いたい」と言ったのだとしても、法的には元自衛官は文民の範疇に入れている。

 既に自民党では防衛大学卒、陸上自衛官出身者の中谷元議員を第1次小泉内閣で防衛庁長官に任命している。当時、文民統制に関連して一部で議論を呼んだと、「Wikipedia」に記述がある。

 例え与党自民党内で批判が起きたとしても、与党攻撃が野党の最大の務めとなっている関係からして、野党民主党の批判が上回ったはずだ。

 それが既に消費税増税と社会保障一体改革で演じられているように今度攻守所を替えて国会では野党の批判を受けることになる。

 勿論与党民主党内でも批判とまではいかないとしても、懸念を示す議員や擁護する議員もいる。

 一川民主党参議院幹事長・元防衛相「今回の防衛大臣の人事は、私自身の思いからすると、『あれでいいのかな』という感じがある。文民統制=シビリアン・コントロールを考えると、政治家がしっかりと有権者の声を受けて、責任をもって国防政策にタッチするほうがいいのではないかと思う。学者の人は専門的な知識は豊富だが、自分の考えに凝り固まると困る」

 民間人が自衛官という軍人に対して文民としての統制――文民統制がしっかりできるのかの懸念である。

 とすると、前出石破元防衛相と浜田自民党国会対策委員長代理が言っている文民統制も、森本防衛相が国会議員でないことを問題としているから、一川議員と同じ趣旨の発言ということになるのだろうか。

 どうも理解力が弱いから、元自衛官であることを基準に文民統制を論じているような印象を受けてしまった。

 同じ趣旨だとすると、森本防衛相は現役自衛官ではなく、元自衛官だから、文民とは認めていることになる。

 また、中谷元防衛庁長官の場合は中谷氏自身が国会議員であったから、現在問題していることから一切外れることになる。

 川内博史民主党衆院議員「森本氏の起用には、絶対に賛同できない。防衛大臣は文民でなければならないが、森本氏は元自衛官であり、文民でなかった時期がある。さらに、これまでの評論家としての活動で非常に偏った発言をしており、国際社会に誤ったメッセージを与えることになる」

 川内議員の場合は、自衛官当時は文民ではなかったとして、元軍人であったこと自体を問題にしている。

 下地国民新党幹事長「今回の内閣改造で心配なのは、民間から防衛大臣を選んだのは初めてのケースだということだ。防衛大臣は最高機密を取り扱い、決断をしなければならないことがある。政治家は、そういったことを政務官や副大臣をやったりしながら経験を積んで大臣になるが、森本氏にはそういう経験がない。評論は優れていると思うが、あとは、周りがどうサポートしていくかだ。防衛省は、サポートの態勢づくりをしなければならない」

 「文民統制」という言葉は直接使っていないが、川内議員を除いた他の諸氏同様に国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性、あるいは能力に懸念を示している。但し、その欠点は防衛省のサポートで片付くとしている。

 仙谷民主党政調会長代行「政治経験があったほうがいいかもしれないが、防衛省の場合、武官の存在もあり、それをどう使いこなすかは誰であっても同じだ。野田総理大臣が、今の東アジアの安全保障を巡る環境の中で、各国との安全保障の課題を解決していくために最もふさわしいと判断して選任されたのではないか」

 野田内閣擁護の立場に立っているから、国会議員でなくても問題なし、元自衛官であっても問題なしの当然の擁護論となっている。

 政府側の人間である藤村官房長官の発言を見てみる。《官房長官 防衛相民間起用は問題ない》NHK NEWS WEB/2012年6月4日 23時16分)

 野田改造内閣初閣議後の記者会見。

 藤村官房長官「自衛隊の最高指揮監督権は総理大臣にあり、防衛大臣は、内閣の決定に従って職務を遂行する。自衛隊に関する法律や予算も国会の審議を経て成立するものであり、シビリアンコントロールの観点から何ら問題はない」
 
 要するに森本防衛相は総理大臣の指揮監督下にあり、尚且つ内閣の決定に従って動くから、文民統制に問題は生じないとしている。

 このことが事実だとすると、反旗とかクーデターは一切生じないことになる。民主国家日本に於いて反旗・クーデターの類を絶対的想定外としているとしたら、国防上の危機管理に反する。その危険性は少ないとしても、ありとあらゆる最悪の事態を想定して備えるのが危機管理であるなら、反旗・クーデターの類も最悪事態の一つに入れておかなければならない。そのための基本的な備えが日本国憲法の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」の規定であろう。

 記者「民間人を起用したということは、民主党内の議員に適任者がいなかったということか」

 藤村官房長官「民主党のなかにも大変防衛政策に詳しい方が何人かいるが、人事は任命権者である総理大臣の判断なので、私がどうこう言うことではない」

 国会対策上の適格性も入っているはずだ。野田首相が言葉の人であるから、あるいは言葉巧者であるから、同じ傾向の人物を選んだということであるに違いない。

 但し野田首相と同じく言葉の中味がないということなら、困る。

 森本防衛相自身の発言を見てみる。《森本防衛相 民間起用には問題ない》NHK NEWS WEB/2012年6月5日 0時28分)

 6月4日の首相官邸での記者会見。先ず野田首相から日米同盟の深化や北朝鮮ミサイル発射等の危機管理対応に努力するよう指示されたことを明らかにしたという。

 森本防衛相(沖縄のアメリカ軍普天間基地移設問題)「基地の危険性を除去するため、返還を実現していきたい。名護市辺野古への移設が、今日、考えうる最も適切な解決案だと思っており、私個人としても、ぶれたことはない」

 「ぶれたことはない」は大いに結構。問題はそんなことよりも、政府の利害とその利害に現在のところ真っ向から対立する沖縄の利害とどう折り合いをつけるのか、長いこと沖縄の基地問題、日米安全保障問題を学者として論じてきたのだから、政治家となった以上、具体策の一つぐらい示すべきだが、自身の辺野古移設堅持の姿勢のみで片付けている。

 森本防衛相(民間からの起用に与野党双方から批判や懸念の声が出ていることに関して)「シビリアンコントロール=文民統制という原則に立ち返れば、何ら問題はないと思う。ただ、国会議員という経験を経ていないので、政党や立法府での働きかけの面で、ほかの大臣のようにうまくいかないかもしれないが、なんとかカバーしていきたい」
 
 ここで言う「シビリアンコントロール=文民統制という原則」とは、森本防衛相が国会議員でないのだから、国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性、あるいは能力への言及ではなく、日本国憲法の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」の規定を指すはずだ。

 いわば自衛官時代は文民ではなかったが、現在は文民だから、憲法の規定を原則とするなら、何ら問題はないとした。

 後段の「国会議員という経験を経ていないので、政党や立法府での働きかけの面で、ほかの大臣のようにうまくいかないかもしれない」が、国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性、あるいは能力への言及となるが、「なんとかカバーしていきたい」と努力する姿勢を示している。

 どうも憲法の規定に対する解釈として法的には現役の自衛官は文民ではないが、元自衛官は文民であるとする考えも、元自衛官だから、文民という資格の点では問題ないが、国会議員ではない民間人による軍人に対する文民統制の適格性云々の考えにしても、単純且つ機械的な解釈に思えて仕方がない。

 何よりも問題なのは自衛隊という軍隊を統括する立場にある防衛相自身の思想・考え・意志(意志強固か否かの意志)であって、民間人かどうか、元自衛官であった、あるいは元文民ではなかったといった問題ではないはずだ。

 国会議員でなければ責任は取れないというなら、自衛隊の最高指揮監督権を有し、尚且つ閣僚の任命責任を負う首相が責任を取れば済む。

 防衛相が日中戦争も太平洋戦争も侵略戦争ではなかった、アジア解放の正義の戦争であったとする歴史観・極右的思想の持ち主で尚且つ煽動的弁舌に長けている人間であるなら、譬え純粋の文民であろうと、その適格性は限りなく疑わしくなる。

 自衛隊内の極右的思想の自衛隊員と思想的に呼応し、それが行動へと発展しない保証はない。

 逆に極右的思想に無縁で、思想的に穏健であっても、意志薄弱であった場合、特に元自衛官という立場にあった場合、古巣への親近感を利用されて極右的思想の自衛隊員に取り込まれない保証はない。

 例えば日本の戦争を人種平等の世界実現の世界史的役割担ったとする歴史観の持ち主であった田母神俊雄元航空幕僚長は在職中、その明快な右翼的思想と巧みな弁舌で自衛隊内に相当数のシンパを抱えていたと言われている。もし彼が防衛相に就任したら、自衛隊員から利用される存在となる可能性よりも、逆に自らの思想を吹き込み、洗脳していく過程で自衛隊員を利用する力とならない保証はない。

 勿論、田母神元航空幕僚長が防衛相に就任する可能性は100%無いだろうが、あくまでも一例であって、国防上の危機管理の点から、その近親性を避ける点で防衛相は文民であると限るにしても、思想・考え・意志をこそ問題としなければならないとする点に於いては変わりはないはずだ。

 森本氏の場合で言うと、自衛隊の集団的自衛権行使の問題がある。《防衛相 集団的自衛権解釈変更せず》NHK NEWS WEB/2012年6月5日 4時32分

 6月4日夜の防衛省での記者会見。

 森本防衛相(就任前に日本は集団的自衛権を行使できるという認識を示していたことについて)「一研究者、一学者として、個人の考え方があったのは確かだ。しかし、内閣の一員になり、政府が従来から集団的自衛権の行使を憲法解釈として認めていないことは理解しており、私の任期中、変更する考えは毛頭ない」

 だとしても、あくまでも任期中の妥協であって、本人の本質的な立場は集団的自衛権行使容認に変わりはない。自衛隊内の集団的自衛権行使を禁止している現憲法に飽き足らない自衛隊員と呼応する可能性は否定できないはずだ。

 そのような自衛隊員にとって森本防衛相就任は意を強くする人事であるはずだ。それが単なる思想的接近で終わったとしても、元自衛隊員であることから親近性を強め、森本防衛相の思想を支えとして同じ考えを持つ仲間を増やしていき、それが一つの大きな勢力と化した場合、憲法9条の改正がない限り、文民統制は少なくとも奇妙な危ういズレを生じせしめ、文民統制自体の確実性を微妙に損なわない保証はない。

 そしてこのズレが一旦生じた場合、後々まで後を引くことも考えることができる。

 杞憂で終わるならいいが、森本防衛相は元自衛隊員であるが故に集団的自衛権行使の思想の点で文民統制の確実性を担保できるか疑問が残ることになるということである。

 森本防衛相はアメリカ海兵隊の最新型輸送機「MV22オスプレイ」の普天間基地への配備について次のように発言している。

 森本防衛相「アメリカの装備の変更で抑止力が高まるなら、わが国にとっても害にはならない。ただ、事故も起きているので、沖縄の反発は深刻に受け止めなければならない。配備までの間に、沖縄の理解を得られる方法を模索したい。

 (防衛大臣就任の経緯について)『とてもその器でないので、重責は実行できそうにない』と断ったが、野田総理大臣から『今回の内閣改造は、ある種の人心一新という意味も強く含まれているので、ぜひ引き受けてもらいたい』と言われ、『未熟ですが』と言って引き受けた」
 
 「MV22オスプレイ」がモロッコで墜落、兵士が死亡した事故については誠意のない発言も行なっている。《オスプレイ墜落 米“機械的ミスでない”》NHK NEWS WEB/2012年6月5日 13時55分)

 森本防衛相「アメリカ側から、『少なくとも機械的なミスで起こった事故ではない』と日本側に通報されている。もう少し細部の結論を提供してもらえるよう引き続き要請している。

 できれば配備の前に、すべての調査結果が提供されることが望ましい。必ずしもそうならないこともありえるだろうが、最後まで飛行の安全に万全を期すよう努力しなければならない」

 「できれば」でも、「望ましい」でもなく、「配備の前に、すべての調査結果」の「提供」を求めるという強い意志を示し、もし配備前に提供がなければ、配備は許可しないと、提供要求の責任を果たすことでしか誠意ある態度とすることはできないはずだが、その逆の不誠実な態度となっている。

 学者だから、自身の思想・考えに目を向けるのみで、配備反対にも関わらず配備が着々と迫ってくる沖縄県民の危機感は理解できないのかもしれない。

 だとしたら、いくら文民統制を無難に果たしたとしても、自衛隊に対する役目上のクリアを示すのみで、国民に対する姿勢の点で問題を残すことになるだろう。

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岡田克也の雑な頭の愚民論漂わせたマニフェストに関わるなり振り構わない自己正当化

2012-06-07 10:31:47 | Weblog

 これ程頭が雑だとは思わなかった。頭雑男(あたまざつおとこ)といったところだ。頭が雑に仕上がっているからだろう、ご都合主義なばかりに自己正当化に走ることができる。

 6月5日の衆院特別委員会。《最低保障年金、未加入者は対象外 岡田氏、特別委で示す》47NEWS/2012/06/05 12:17 共同通信】)

 赤沢亮正自民党議員「民主党公約に最低保障年金の受給資格に関する記述がない。国民は全員が7万円を受け取れると思っている」

 岡田克也頭雑男「所得比例年金に入ってもらうことが前提だ。制度に加入していなければ最低保障年金は受け取れない。

 誤解があったかもしれないが、制度に加入していない方にも支払うとの議論はしていない」

 国民年金に加入していなくても、誰もが最低7万円を受け取ることができるなら、年金に入らない者が出てくる。真面目にコツコツ払った正直者がバカを見ることになるという批判払拭の発言だろう。

 だから、マニフェストにも大綱にも書いてないにも関わらず、「所得比例年金に入ってもらうことが前提だ」とした。

 先ず「2009年民主党の政権政策(マニフェスト)」にどう謳っているか見てみる。

 〈年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現します。

 消費税を財源とする「最低保障年金」を創設し、全ての人が7万円以上の年金を受け取れるようにする。「所得比例年金」を一定額以上受給できる人には、「最低保障年金」を減額する。〉

 次に「民主党政策集INDEX2009」

 〈消費税を財源とする「最低保障年金」を創設し、すべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにすることで、誰もが最低限の年金を受給でき、安心して高齢期を迎えられる制度にする。「所得比例年金」を一定額以上受給できる人には「最低保障年金」を減額する。

 消費税5%税収相当分を全額「最低保障年金」の財源として投入し、年金財政を安定させる。〉

 この「消費税5%税収相当分」とは現行の消費税5%を言う。「民主党政策集INDEX2009」の「消費税改革の推進」の項目に次のように書いてあるからである。

 〈現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します。将来的には、すべての国民に対して一定程度の年金を保障する「最低保障年金」や国民皆保険を担保する「医療費」など、最低限のセーフティネットを確実に提供するための財源とします。〉・・・・

 だが、野田政権は「最低保障年金」を導入するには現行消費税5%を当てるどころか、消費税増税10%に加えてさらに最大7・1%の消費税増税が必要だなどと言っている。

 サギもいいとこではないか。

 2月27日(2012年)閣議決定「社会保障・税一体改革大綱について」の「最低保障年金」の項目の記述は次のようになっている。

 〈最低保障年金(税財源)

○ 最低保障年金の満額は7万円(現在価額)。
○ 生涯平均年収ベース(=保険料納付額)で一定の収入レベルまで全額を給付し、それを超えた
  点より徐々に減額を行い、ある収入レベルで給付額はゼロ。
○ すべての受給者が、所得比例年金と最低保障年金の合算で、概ね7万円以上の年金を受給でき
  る制度。〉

 「最低保障年金」に関しては受給資格は一切触れていない。岡田頭雑男が言っているように「制度に加入していなければ最低保障年金は受け取れません」などとどこにも書いてない。

 所得比例年金は加入者が保険料を拠出し、それに応じて年金給付を受ける「社会保険方式」であるから、当たり前のことだが、断りがなくても保険に加入していなければ受給できない。だが、「最低保障年金」は税方式で国が払うことになっているから、保険に加入していなくても、有難いことにいただける。お笑い芸人ふうに言うと「ゴチ」になれる。

 保険に加入していなければ、所得比例年金はゼロ。最低保障年金でまるまる7万円がゴチの対象になることになる。

 問題としたいのは頭雑男の次の発言である。「制度に加入していない方にも支払うとの議論はしていない」

 確かにそのとおりだろう。だが、「制度に加入していない方には支払わないとの議論もしていない」はずだ。

 後者の議論をしていたなら、当然、マニフェストその他に受給資格に関する記述が入っていることになる。

 ゴマカシの詭弁に過ぎない。頭が雑に仕上がっているから、自分たちを正当化するためには詭弁を用いるしか手がない。

 もし頭雑男が所得比例年金加入を前提とした「最低保障年金」議論だったと言うなら、なお一層の詭弁となる。国民年金の未納者・未加入者が厳然として存在するからであり、そのような存在を無視することになるからだ。

 厚労省発表の2010年4月~11年2月(11カ月分)の 国民年金保険料未納率は前年同期と比べ、0.7ポイント高い41.3%。

 2007年国民年金加入者数約7千万人に2010年4月~11年2月未納率41.3%をかけると、2千9百万人弱が未納状態にある。この中の納入義務期間を満たさない者は受給資格を失うし、未納者以外に未加入者も存在する。

 「Wikipedia」には、〈平成18年度末において未納者(約322万人)、未加入者(約18万人)の公的年金加入者(約7041万人)に占める割合は5%となる。〉の記述がある。

 若者の貧困化化が叫ばれている昨今、未加入者が増えている恐れがある。

 もし加入していさえすれば、納入義務期間を満たさずに受給資格を失っていても、「最低保障年金」が保証されるというなら、職もなく生活に困窮している若者の中には生活維持のために払わずに済まそうという者も出てくるだろ。

 受給資格を失った加入者や元々受給資格のない未納者は最後のセーフティネットである生活保護で対処するとするなら、逆に未納・未加入を誘導することになる。

 しかも最低保障年金が約束する7万円よりも生活保護費の方はほぼ月10万円以上は貰える。

 現行の〈消費税5%税収相当分を全額「最低保障年金」の財源として投入〉すると言いながら、最終的には最高で17.1の増税が必要だなどとするマニフェスト違反も加えると、頭雑男の詭弁では済まない多くの問題を抱えることになる。

 選挙は他の政党の政策に優る自党の政策の優越性をマニフェストに掲げて戦い、国民の審判を受けて政権を手に入れたのだから、マニフェストに掲げた各政策の実現に原理主義的に立ち向かわなければならないはずだ。

 だが、原理主義者を自任する頭雑男岡田はマニフェストに対する原理・原則を投げ捨てにかかった。

 《「マニフェストで勝ったわけではない!」開き直る岡田副総理》MSN産経/2012.6.6 23:15)

 6月6日の衆院社会保障・税一体改革特別委員会。

 岡田克也頭雑男「マニフェスト(政権公約)というよりは、政権交代を望む国民の大きな流れで勝った」

 マニフェストが政権交代の主たる原動力となったわけではない、国民が政権交代を欲したことが大きな原動力となったと言っている。

 だとすると、国民は民主党という政党の中身はどうでもよかったことになる。

 これは国民はバカだと看做す一種の愚民論なくして言えない言葉である。

 記事解説。〈消費税増税を含む一体改革関連法案の修正協議に向け、自民党が撤回を求めるマニフェスト施策にこだわらない姿勢を強調したかったようだが、民主党の「マニフェスト原理主義者」の感情をまたも逆なでしてしまった。(桑原雄尚)〉・・・・・

 石井登志郎民主党議員「マニフェストは方向性を示す羅針盤のようなものではないか。子ども手当2万6千円支給というように(詳細に)分かりやすくしてこうなってしまったことに大いに反省すべきだ」

 岡田克也頭雑男「2万6千円が過大でなかったかといえば、過大であったというふうに思います。国民の多くは政権交代を一度行うべきだという思いの中で投票した」

 政策の構築は財源の裏付けを必要とする。いわば民主党には財源の裏付けを伴った政策構築力がなかったと岡田頭雑男は言っている。結果的にマニフェストに掲げる各政策が他党の各政策に優る優越性を謳うものでありながら、それは見せかけに過ぎず、他党の政策に劣る政策で戦ったものの、国民は政策などどうでもよく、国民の政権交代への望みに助けられて政権を獲ち取ることができたとしている。

 ここにも言葉の裏に国民に対する愚民論を張り付かせている。

 と同時に岡田頭雑男はマニフェストの比較不要論を述べたのである。国民は単純に与党・野党との比較でくじ引きふうに政権を託すか否かの一点を主体的基準に投票すると言っているからである。

 菅・野田系統の民主党政権は以後、マニフェストを掲げる資格を放棄したことにもなる。

 記事は、〈かつては岡田氏こそが「マニフェスト原理主義者」だった。〉と書いている。〈自ら先頭に立って「マニフェスト選挙」を主導してきた。平成16年7月の参院選では党代表として「年金一元化」などを掲げ、民主党は小泉純一郎政権の自民党に初めて勝利した。「マニフェストと違う行動を取る無責任な議員は党内にいない」(16年1月)と言い切ったこともある。〉と書いている。

 マニフェストに他党の政策に優るとする自党の政策の優越性を掲げながら、それが見せかけで、実現できないことの現状をなりふり構わずに正当化しようとする思惑を窺うことができる。

 その一方でマニフェストになかった消費税増税に不退転の決意をかける滑稽な倒錯を見せている。

 マニフェストに書いたことはできません、書いてなかった消費税増税は必ず実現させてみますと、不退転だ、不退転だと言っているのだから、その倒錯たるや、まさしく滑稽そのものである。

 民主党の今のザマがマニフェストで約束した政策を実現できないでいることが原因となっているはずだが、そのことを無視して自己正当化のみに自己利害を置こうとしているためにマニフェストを否定するような矛盾した発言が飛び出すことになる。

 野田や岡田や前原等の下らない存在を正当化するために 国民はバカだとされたのではたまったものではない。

 薄汚いばかりに頭が雑な、なり振り構わない自己正当化だ。

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菅仮免が真っ赤なウソつきだと分かる国会事故調参考人証言「東電全面撤退問題」

2012-06-06 14:06:44 | Weblog




 菅仮免国会事故調参考人証言についての前のブログに引き続いて桜井委員の残りの質問が当選の全面撤退問題と、菅が最後に責任逃れに原子力災害対策特別措置法に対する見解を述べていたから、その両方を取り上げることにする。

 菅が全編真っ赤なウソつきだと分かる発言となっている。 

 桜井委員「ありがとうございました。次に俗に撤退問題と言われている東電の撤退問題についてお伺いします。

 東電の方は総理の方にどのように申し出てこられたのか、どなたから、どの方から報告があったのでしょうか」

 菅仮免「15日の午前3時頃だったと思います。私は11日の発災後1週間、夜中も官邸に詰めておりましたので、仮眠と言いましょうか、奥の部屋でそういう状態にあったところ、経産大臣から相談があると、秘書官から起こされたというか、連絡がありました。

 そこで経産大臣が来られて、『東電が撤退したいと、そういう話がきている、どうしようか』と。

 そういう形で撤退の話を聞きました」

 桜井委員「それについてどのように思われ、どのように受け止められましたか」


 菅仮免「私はそれまでもですね、この原子力事故がどこまで拡大するのか、どこで停まってくれるのか、どこまで拡大するのか、私なりにも頭を巡らせていました。

 そいう中で少なくともチェルノブイリは1基の原子力です。スリーマイルも事故を起こしたのは一つだけです。しかし福島第1サイトだけでも6基の原子力と7つの使用済燃料プールがあります。

 20キロ以内にある第2サイトにはさらに4基の原子炉と4基のプールがあります。

 もしこれらがすべてですね、何らかの状況でメルトダウンなり、原子炉の破壊や、そうしたプールの破壊が起きたときにはチェルノブイリの何倍、どころでなくて、何十倍、何百倍というですね、放射性物質が大気中なり、海水中なりに出ていくと、そのときの及ぼす影響というのは、どれ程のものになるかと言うことを私なりに考えていました。

 そういうふうに考える中で私なりに思っていたのは、これは見えない敵との戦いだと。やはり何としても抑え込まなければいけないと。

 私自身はやはり命を賭けてやらざるを得ないと。

 そういう戦いなんだと。

 こういう認識を私の中で持っていました。

 ですから、経産大臣からその話があったときに撤退という言葉を聞いて、いやー、飛んでもないことだと。先ずそう感じました」 

 桜井委員「先程福島の原発を視察された際の成果みたいなこととして、吉田所長に対する信頼が高いというご発言を受けたのですが、責任感があるという。

 その吉田所長が現場で指揮を取っている東電として全員が撤退する、あるいは撤退するような申し入れをしているということについてどのように思われました」

 菅仮免「吉田所長とのですね、私は直接会話を、電話ですが、したのは色々とご指摘がありましたので、私なりにもう一度確認をしてみましたが、確か2回であります。

 一度は14日の夕方から夜にかけて、細野補佐官、当時の補佐官に、これは本人から聞きましたが、細野補佐官から聞きましたが、吉田所長から2度電話があったそうです。

 1度目は非常に厳しいというお話だったそうです。注水が難しいと考えていたその理由が何か燃料切れで注水が可能になったからやれるという話だったそうで、この2度目の時に細野補佐官から私に取り次いで、吉田所長がそう言っているからということで、私に取り次いでくれました。

 その時に話をしました。その時は吉田所長はまだやれるという話でした。

 もう1度は私の方から秘書官に調べさせて電話をしたということなんですが、どういうことを話したのか、事細かに覚えておりません。一般的に言えば、何らかの状況をお聞きしたことがもう1度あると認識しております。
 
 それ以外には私から直接と言いましょうか、誰かを通して直接話をしたことはありません。

 また私が携帯の電話を私が聞いていたということを野村委員が言われたので、私は全部調べてみました。(首を傾げて)記憶は呼び戻って来ませんし、同席をしていた秘書官、補佐官、審議官3名にも聞いてみましたが、そういう場面は見聞きしていないと言っておりまして、私の携帯電話にも登録は少なくとも記録はされておりません」

 桜井委員「清水社長に呼ばれまして、清水社長はいわゆる撤退問題についてどのような返答をしておられましたでしょうか」

 菅仮免「私の方から清水社長に対して、『撤退はあり得ませんよ』と、いうことを申し上げました。それにたいして清水社長は『ハイ、分かりました』。そういうふうに答えられました」

 桜井委員「その回答を聞いて、当時総理としてどのように思われました」

 菅仮免「その回答についてですね、勝俣会長などが清水社長が撤退しないんだと言ったと言っておりますが、少なくとも私の前で自らは言われたことはありません。

 私が撤退はありませんよと言ったときに、『ハイ、分かりました』、言われただけであります。

 国会の質疑でも取り上げられておりますけれども、基本的には私が撤退はあり得ませんよと言ったときに、(清水社長の方から)そんなことは言っていないとかですね、そんなことは私は申し上げたつもりはありませんとか、そういう反論は一切なくて、そのものを受け入れられたものですから、そのものを受け入れられたということを国会で申し上げたことをですね、何か清水社長の方から撤退はないと言ったことに話が少し変わっておりますが、そういうことはありません。

 私としては清水社長が、『ハイ、分かりました』と言ってくれたことは、一つは、ホッとしました。

 しかしそれでは十分ではないと思いました。そこで併せて私の方から統合対策本部をつくりたいと。そしてそれは東電本店に置きたい。細野補佐官を常駐させる。あるいは海江田大臣もできるだけ常駐をしてもらう。

 そういう形で私は本部長に。海江田さんと、その時確か勝俣会長と申し上げたつもりですが、会長か社長か海江田大臣と副本部長。事務局長は細野補佐官。そういう形でやりたいということを申し上げて、清水社長が分かりましたと了承していただきました。

 さらに私が申し上げたのは、それでは第1回の会合を開きたいから、東電の方で準備をして欲しい、どのくらいかかりますかと聞きましたら、確か最初2時間ぐらいと言われたので、もう少し早くしてくれということで、確か1時間ぐらい後に東電に私として第1回の会議を開くために出かけました」

 桜井委員「私の方が最後の質問の段階になると思いますが、総理の方に情報が上がらないと色々なことがあったと思います。で、本来地下に緊急対策センターというものがあって、そこに情報が集約されてくるということは総理もご存知だったと思いますが、なぜ近く、ずうっととは申しませんが、その近くに、発災から暫くの間は、その中、オペレーションセンターという中にあるわけですから、そこで情報の集約や情報の指示に使わなかったのでしょうか」

 菅仮免「先ず地震・津波という最大級の災害と、そしてこれまた最大級の原発事故というものが事実上同時に起きているわけです。地下のセンターにも、私も勿論、実際に戻って先ず行きました。

 先程申し上げました緊急対策本部を立ち上げました。同時に二つの極めて重要なことをやるということが非常に難しかったことが一つと、もう一つは総理そのものが、今ご指摘の緊急、何とか、言いました、チーム、これはどちらかと言えば、危機管理官がヘッドのチームでありまして、総理がそこに常駐しているということにはなっていませんし、そういう組織ではありません。

 必要があれば、同じ官邸に私、おりますから、そこの報告なり、何らかの決済が上がってくることになっております。加えて原子力災害については先程来お話がありますように、私が申し上げましたように、本来はオフサイトセンターについては、つまり炉以外のものについてはですね、オフサイトセンター、現地のオフサイトセンターがやることになっていたわけです。

 それが動かない。炉のことについては基本的には電気事業者がやることになっていました。しかしこれも後程議論になるかもしれませんが、小さい事故ならそれで済んだかもしれませんが、しかしベント一つ取ってもですね、一つ取ってもですね、ベントをするかどうかということは炉の問題であると同時に、それは影響が一般住民にもどんどん出るわけですから、それを事業者だけで判断することは、それはできないわけでありまして、そういった意味では現在の原子力災害対策特別措置法が想定した事故というものは、今回のようなシビアアクシデントで何十万、何百万という人に影響を及ぼすということには対応できていなかったわけでしてありまして、そういう点で私が地下にいた、いないということではなくて、元々総理がじぃっと、じぃっとと言うか、いるという仕組みになっておりませんし、その災害対策特別措置法そのものが、言えばたくさんありますが、例えば、オフサイトセンターも地震と原子力事故が別々に起きることを前提にしているわけですよ。

 地震で副大臣が入れないなんていうことは想定していなんですね。それらのすべての想定が不十分だったためにやらざるを得ないという意味で色々なことをやりました。

 それで本来の姿だと思っているわけではありません。 しかしやらなければならない状況であるということは是非ご理解を頂きたいと、こう思っています」

 桜井委員「ありがとうございました」

 (以上、桜井委員の質問は終了。)

 清水社長が海江田経産相に電話でなのか、撤退したいと申し入れ、海江田経産相は菅に取り次いだ。

 もし撤退の申し入れが事実なら、撤退は福島第一原発の現場の吉田所長から出た要請であるはずである。勝手に東電本店が撤退を決めるはずはないし、決めることはできないはずだ。

 先ずこのことを前提に置かなければならない。 

 桜井委員は菅が信頼を置いている吉田所長が指揮を取っているのに東電が撤退すると申し入れてきたことについてどう思うか尋ねた

 小此木潔・朝日新聞編集委員が書いた、《福島原発「悪魔のシナリオ」回避で菅直人氏の役割を検証・再評価すべきだ》WEBRONZA/2012年04月03日)には海江田経産相が記憶している清水東電社長の電話の内容と、その電話の後、枝野官房長官が現場の吉田所長と電話でやり取りした内容を次のように伝えている。

 3月14日深夜の海江田氏が記憶する清水社長の電話。

 清水東電社長「(福島)第1原発の作業員を第2原発に退避させたい。なんとかなりませんか」

 この後、枝野が吉田所長に電話で確かめる。 

 枝野官房長官(吉田第1原発所長に)「まだやれますね」

 吉田所長「やります。頑張ります」

 電話を切ってから、枝野が呟く。

 枝野官房長官「本店の方は何を撤退だなんて言ってんだ。現場と意思疎通ができていないじゃないか」

 この記述どうりだとすると、本店が勝手に撤退を決めたことになる。

 上記記事では、〈15日午前3時、官邸で枝野官房長官、海江田経産相、細野補佐官、寺田補佐官らが菅首相にこう言った。「東京電力が原発事故現場から撤退したいと言っています」〉となっているが、菅は海江田経産相から聞いたとしている。

 当然、吉田所長の「まだやれます」という言葉を伝えていたはずで、それが「14日の夕方から夜にかけて」「吉田所長から2度電話」があり、「2度目の時に」「吉田所長はまだやれるという話」だったと言っていることに相当するはずだ。

 15日午前4時17分(上記「WEBRONZA」)、清水社長を官邸に呼ぶ。

 菅としたら、この食い違いを当然持ち出さなければならない。現場が「まだやれる」と言っているのに本店の方が撤退したいと申し入れるのはあり得ない事実であって、あまりに奇怪過ぎるからだ。

 それにしても菅は携帯の番号を聞いたと言われているが記憶はないだの、同席をしていた者に聞いてみたが、そういう場面は見聞きしていないと言ってだの、質問とは関係のないことを雄弁に延々と話している。

 質問とは関係ないことを雄弁に延々と喋るというのも見事な逆説だが、相手の話を的確に聞いてそれに対して的確に答える、的確な情報処理能力(情報の把握と情報解釈、解釈した情報の的確な伝達)に欠けている。一国のリーダーとして著しい非適格性をさらけ出している。

 桜井委員「清水社長に呼ばれまして、清水社長はいわゆる撤退問題についてどのような返答をしておられましたでしょうか」

 菅仮免「私の方から清水社長に対して、『撤退はあり得ませんよ』と、いうことを申し上げました。それに対して清水社長は『ハイ、分かりました』。そういうふうに答えられました」

 現場が「まだやれる」と言っているにも関わらず、本店が撤退したいというのはどういうことなかと、その矛盾を尋ねたといったことは一言も触れていない。

 聞くべきことを聞かないこの不自然な矛盾は何を意味するのだろうか。

 菅はこのあと国会質疑に言及、「そんなことは言っていないとかですね、そんなことは私は申し上げたつもりはありませんとか、そういう反論は一切なくて、そのものを受け入れられたものですから、そのものを受け入れられたということを国会で申し上げたことをですね、何か清水社長の方から撤退はないと言ったことに話が少し変わっておりますが、そういうことはありません」と自己正当化に努めている。

 いわば菅の「撤退はあり得ませんよ」に対して、「ハイ、分かりました」以外に清水社長の反応は何もなかったことになる。

 但し、「ハイ、分かりました」で撤退問題は片付いたはずだが、「それでは十分ではないと思」って、統合対策本部を東電本店に設置したいと申し出て、直ちに第1回の会合を開催したいからと、確か1時間ぐらい後に東電に私として第1回の会議を開くために出かけ」た。

 しかし桜井委員は撤退問題についてこれ以上追及はしなかった。

 菅が東京・内幸町の東電本店に乗り込んだのは15日午前5時半過ぎだと言われている。部屋に入るなり、「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴ったとされているし、部屋の外にもその声が漏れたとされているが、「ハイ、分かりました」で片付いていたものの、念を押す意味で再度口にしたというのは理解できるが、怒鳴ったが事実だとすると、念を押す意味から外れることになる。

 この矛盾は別の委員があとから追及するかもしれない。 

 だが、何よりもの矛盾点は首相を退陣してから受けたマスコミのインタビューでは菅の「撤退はあり得ませんよ」の言葉に対しての菅が言う清水社長の反応は違ったものになっている。

 《菅前首相 原発事故を語る》NHK NEWS WEB/2011年9月12日 5時24分)

 2011年9月11日のNHKインタビュー。

 菅仮免(清水東電社長を官邸に呼び出して)「『撤退したいのか』と聞くと、清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった。私からは、『撤退は考えられない』と強く申し上げた」――

 《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに『東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」・・・・

 最初のインタビューの「清水社長は、ことばを濁して、はっきりしたことは言わなかった。撤退したいという言い方もしないし、撤退しないで頑張るんだとも言わなかった」と次のインタビューの「社長は否定も肯定もしなかった」の二つの反応はほぼ符合する。

 だが、この両反応とこの国会事故調での、「ハイ、分かりました」ではまるきり食い違っている。

 但し枝野官房長官の5月27日国会事故調参考人証言が上の両反応と一致する。《枝野氏“情報発信十分でなかった”》NHK NEWS WEB/2012年5月27日 18時15分)

 詭弁家枝野「清水社長との正確なことばのやり取りまでは覚えていないが、『そんなことしたら、コントロールできなくなり、どんどん事態が悪化する』と私が指摘したのに対し、、清水社長は、口ごもった答えだったので、部分的に残すという趣旨でなかったのは明確だ」・・・・・

 菅の両インタビュー証言と枝野の国会事故調証言は口裏合わせでもしたかのように奇妙に一致する。

 だが、枝野の5月27日国会事故調証言からたった1日経過の翌5月28日菅の国会事故調証言に於ける清水社長の発言は、「ハイ、分かりました」と明快な反応に変わっていた。

 どこかにウソがなくて、このような食い違い、あるいは矛盾は生じない。一見小さなウソのように見えても、証言全体が自己正当化を働かせた言葉の羅列となっている以上、責任逃れのウソとなるということだけではない。一国の総理である。悲惨な大きな被害をもたらした地震・津波、さらに原発事故に関わる政府対応の国民に対する説明・情報公開の一つである以上、小さなウソでは済まない、他の発言にも関わっていく真っ赤なウソと言える。

 最後に桜井委員は官邸地下の緊急対策センター近くで的確な情報処理になぜ当たらなかったのか、そうすれば的確な情報処理ができたのではなかったかという示唆のもと尋ねる。

 対して菅は「危機管理官がヘッドのチームでありまして、総理がそこに常駐しているということにはなっていませんし、そういう組織ではありません」と形式的なことを言っている。

 常駐云々ではなく、どこにいようとも、的確な情報収集と情報処理に基づいた指揮・命令が滞りなく行うことができていたかどうかが問題であるはずだ。桜井委員の質問からそのことを瞬時に汲み取って情報処理する能力を欠いているからだろう、誰がヘッドだ、総理は常駐することにはなっていないだと組織上の形式で答えることになる。

 その上で聞かれてもいない「原子力災害対策特別措置法」にまで踏み込んで答えている。勿論、責任逃れの趣旨となっている。

 「炉以外のものについてはですね、オフサイトセンター、現地のオフサイトセンターがやることになっていた」、「炉のことについては基本的には電気事業者がやることになってい」た。ベントは「炉の問題であると同時に、それは影響が一般住民にもどんどん出るわけですから、それを事業者だけで判断することは」できない。

 そして「現在の原子力災害対策特別措置法が想定した事故というものは、今回のようなシビアアクシデントで何十万、何百万という人に影響を及ぼすということには対応できていなかった」と法律の不備に責任転嫁している。

 その具体例の一語として「オフサイトセンターも地震と原子力事故が別々に起きることを前提にしている」と詭弁そのものの薄汚いゴマカシを言っている。

 厳密にはあくまでも地震・津波を受けた原子力事故であって、そのような状況下での原子力事故に限った対応を必要としたはずだ。

 飛行機が原子力施設に墜落して重大な原子力事故が起きた場合、法律は飛行機墜落と「原子力事故が別々に起きることを前提にしているわけですよ」と言うだろうか。

 何が原因であっても、法律に基づいて対策組織を立ち上げ、法律が義務づけている原子力安全委員会や原子力安全・保安員の協力と助言を受けながら事故そのものへの対策を臨機応変に統括して事故を収束させていくことが政府の危機管理であるはずだ。

 さらに「地震で副大臣が入れないなんていうことは想定していなんですね」と言っている。

 ここには臨機応変の危機管理対応能力という点についての視点が一切ない。法律が対応するのではなく、あくまでも初期的には法律に基づいて政府が対応するものの、法律で足りないところは臨機応変の対応で補っていくのが危機管理であるはずだ。

 原子力災害対策特別措置法に基づいて先ず頂点の組織として原子力災害対策本部(本部長:内閣総理大臣)を設置、そのもとに法律が規定している各関連組織を立ち上げて、後は各組織員の臨機応変の対応で処理、それらすべてを原子力災害対策本部本部長の菅が統括すると同時に各関連組織を事故収束に向けて機能的・機動的に動かしていく。

 いわばあくまでも政府のその場その場の対応が問題となるのであって、それらの対応まで原子力災害対策特別措置法が補ってくれるわけではない。

 また、菅仮免は官邸に20以上の対策組織を立ち上げて、結果的に情報処理、指揮命令系統に混乱を来たし、批判を受けて整理することになったが、そういった組織にしても全て法律が規定しているわけではないはずである。

 さらに菅仮免は10人近い内閣官房参与を任命しているが、これも法律が規定しているわけではない。自身の危機管理対応に応じた任命であったはずだ。

 法律には書いてないことでも自身が自身の危機管理対処方法に基づいて行動していながら、その一方で法律が想定していないことを取り上げて、さも不備があるかのように言う。

 どちらも的確に行動できていなかったのだから、的確な危機管理に基づいた臨機応変の対応ができていなかっただけのことに過ぎない。

 責任転嫁も甚だしいと言わざるを得ない。

 法律はオフサイトセンターに「地震で副大臣が入れないなんていうことは想定していなんですね」などと言っているが、法律がそこまで規定しなければ的確な対応が取れないということなら、すべて法律その他のマニュアルに則った機械的な危機管理しかできないことになる。

 東電の「福島第一原子力発電所事故の初動対応について」にはオフサイトセンターについて次のような記述がある。

 〈オフサイトセンターの原子力災害現地対策本部は、地震による外部電源の停電や非常用ディーゼル発電設備の故障の影響もあって当初活動ができない状態となっており、一部要員を除き、オフサイトセンターが開設された翌12日まで待機〉、12日3時20分に活動開始、〈その後、原子力災害の進展に伴い、オフサイトセンター周辺の放射線量の上昇や食料不足などに伴い、継続的な活動が困難との判断がなされ、15日に現地対策本部は福島県庁に移動した。〉云々。

 3月11日午後原発事故発災直後から地震の影響で機能不全に陥り、3月12日午後まで待機、3月12日3時20分機能回復を受けて活動開始したものの、継続的活動が困難となって3月15日に現地対策本部(オフサイトセンター)を福島県庁に移動した。

 なぜもっと早くに福島県庁に移動しなかったのだろうか。ここにも臨機応変な危機管理対応の不在を見ることができる。

 東電本店に福島事故対策統合本部を設置したのが3月15日5時35分。但し上記東電の「福島第一原子力発電所事故の初動対応について」に原子力災害対策特別措置法がオフサイトセンターに設置を義務づけている原子力災害現地対策本部に関して次のような記述がある

 オフサイトセンター設置の原子力災害現地対策本部には自治体組織も加わることになっているにも関わらず、〈最終的には当社本店が事故対策の統合本部となったが、自治体組織は統合本部に組み入れられなかった。〉

 リアルタイムの情報共有に自治体組織は預かることができなかった。

 東電本店への福島事故対策統合本部設置は法律が規定しているわけでない。素早い危機管理対応ではなかったが、臨機応変の対応で設置を決めた。要するに法律が対応するわけではなく、あくまでも政府の対応が問題となっていることを証拠立てている。

 だが、そこに自治体組織を加える臨機応変の危機管理対応を政府は果たすことができなかった。

 大体が法律の記述通り、あるいは法律が想定した規模・事態内で事故が発生すると想定すること自体が菅仮免の危機管理能力不足、危機管理に関わる創造性の貧弱さを暴露している。

 法律への責任転嫁は自身の危機管理無能力を誤魔化す心理操作であり、真っ赤なウソつきを性格としていなかったならできない責任転嫁であろう。

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野田首相5月4日(2011年)記者会見に見る菅仮免同様の冷徹な現実主義者足り得ない政治家の姿

2012-06-05 12:29:33 | Weblog

 昨日(2012年5月4日)野田首相は内閣改造を行った後、記者会見を開いた。1月13日(2012年)の内閣改造から、6カ月足らずの再改造である。

 1月13日の内閣改造のとき、次のように発言していた。

 野田首相「間もなく通常国会が始まりますけれども、予算を通し、そして昨年来からの大きな命題である復旧・復興を加速させ、原発の事故の収束をさせ、新たな戦いに向かって様々な取組を評価をする、あるいは経済の再生を図るといった野田内閣の当初からの命題の他に行政改革、政治改革、そして社会保障と税の一体改革という、やらなければならない、逃げることのできない、先送りをすることのできない課題を着実に推進をするための最善かつ最強の布陣を作るための、今回は改造でございました」

 要するに「最善かつ最強」をウリにしたものの、長続きしない「最善かつ最強」だった。

 言葉を替えて言うと、メッキに過ぎない「最善かつ最強」だった。そのメッキが剥がれた。

 野田首相は1週間前の5月28日の内閣記者会のインタビューで、辞任させられることになった問責2閣僚について、「しっかりと襟を正して職責を果たしてほしい」(時事ドットコム)と未来形で言ったばかりだが、その言葉を裏切って内閣改造を断行、冒頭発言の冒頭部分でその目的を述べている。

 野田首相「野田内閣は昨年の9月に発足をし、それ以来、震災からの復興、原発事故との闘い、日本経済の再生を最優先、そして最重要な課題として取り組んでまいりました。そして、今年初め、通常国会が始まる前に、第一次改造内閣をつくりました。以来、国会に入りましてみんなで力を合わせて平成24年度の予算を成立させ、復興庁を立ち上げ、あるいは懸案でありました郵政民営化関連法を成立させ、さらには国家公務員の給与引下げ等々、やるべきことを懸命に力を合わせてやってまいりました。

 そうした取組を進めている中で、いよいよ国会の会期も約20日を切るという大変重要な局面を迎えております。こうした中で今、国会で御審議をいただいている社会保障と税の一体改革含め、さまざまな諸懸案を前進させるための環境整備をするべく、今回、内閣の機能強化という視点の下で改造を行わせていただくこととなりました。

 「諸懸案前進の環境整備を意図した内閣機能強化」が目的だと言っている。

 「国民新党代表としての活動に専念したい」と自ら辞任を求めた自見国民新党代表は無関係事項として、野党が辞任を求めていた参議院問責決議の2閣僚の続投が与野党協議や国会審議の障害となっていることの、その除去と、新たに持ち上がった中国書記官スパイ疑惑で鹿野農水相の本人は否定しているが、農林水産省機密文書漏洩疑惑が国会審議で野党の追及が集中した場合の可能性として考えられる国会審議停滞となりかねない障害の前以ての除去に焦点を合わせた3者更迭の内閣改造が諸懸案前進の環境整備に当たり、各障害の除去によって手中可能と目している内閣機能強化ということだから、前回のメッキに過ぎなかった「最善かつ最強」とは違ってあながち言っていることとは違わないはずだ。

 では、野田首相が冷徹な現実主義者足り得ない政治家の姿を見せている記者会見の発言部分を取り上げてみる。

 野田首相「会期末に向けたこれからの約20日間は、日本の将来を左右する大きな決断のときとなると思います。これまで私は、政局よりも大局をと呼びかけてまいりましたけれども、与野党の垣根を越えて、是非すべての政治家の皆様にこの思いが届けば、もう届いていると思いますが、そうしたことを踏まえまして、今、国会の中では、特別委員会で一体改革への議論が行われております。長い時間をかけて法案をまとめた民主党の同志の皆様の汗をしっかり踏まえなければなりませんが、自民党を始めとする野党の皆さんも、このことを正面から受け止めて、今、特別委員会で真摯に御議論をいただいています。建設的な議論が積み重ねられてきていると認識をしています。

 国会は言論の府であります。当初の立場を乗り越えて、合意を導くという熟議の民主主義の実践の場であるということを国民の皆様にお示しをするためにも、国会審議のみならず、自民党を中心とする野党の皆さんとの政党間の協議を改めてお願いさせていただきたいと思います。

 私たち政治家の決断は、国民の皆様お一人お一人の考え方に大きく左右されます。厳しい財政状況の下で社会保障を持続可能なものとするために、その改革を成し遂げていかなければなりません。まだ大丈夫だと言いながら、問題の先送りを続けていいのか。いつまでも子や孫の世代につけ回しをしていいのか。こうした現状を踏まえて、まさにしっかりとこの国会中に結論を得なければいけないと思います。

 熟議を尽くした後に、決断し、実行することの政治、これを目指しておりますが、与野党を超えて、みんなでそうした思いの中で結論を出していきたいと思いますし、私もこの時期にこの厳しい状況の中で内閣総理大臣を拝命したのも、ある種の天命だと思っています。国のためにやるべきことをやる。この覚悟以外、私の心の指針はございません。そうした思いで政治生命をかけると申し上げてまいりましたが、まさにこれから日々、全身全霊を傾けて、一日一日大事な決断をしていきたいと考えております。

 是非、良識ある国民の皆様の御理解を改めてお願い申し上げて、冒頭の私の御報告とあいさつにしたいと思います」――

 美しい言葉を並べ立てている。

 「日本の将来を左右する大きな決断のとき」、「政局よりも大局」、「与野党の垣根を越えて」、「長い時間をかけて法案(社会保障と税の一体改革)をまとめた民主党の同志の皆様の汗」、「建設的な議論」、「国会は言論の府」、「当初の立場を乗り越えて、合意を導くという熟議の民主主義の実践の場」、「私たち政治家の決断」、「決断し、実行することの政治」、「政治生命をかける」、「全身全霊」等々・・・・・

 野田首相の熱意と理念がひしひしと伝わってくる言葉の数々となっている。「当初の立場を乗り越えて、合意を導くという熟議の民主主義の実践の場」といった言葉は理想的な政治の在り様(ありよう)、理想的な国会審議の在り様を謳い上げた素晴らさの籠もった名言と言うことができる。

 野田首相はこれらの数々の理想の基本を「熟議」に置いているはずだ。「熟議」への到達が「与野党の垣根を越えて」や、「建設的な議論」、「国会は言論の府」を実現可能とすると見ているはずである。「熟議」が理想的な政治の在り様・理想的な国会審議の在り様を演じる。

 だとしても、野田首相をしてこのようにも自らが理想としている政治の在り様・国会審議の在り様を強いている本質的状況は衆参ねじれ現象であることは言を俟たない。

 衆参ねじれという障害が存在しなければ、粛々と数の力で自らの法案を衆参共々賛成多数で採決し、通過させていったはずだし、このことは2007年参院選で自公政権が第一党の座を民主党に譲る以前と、民主党が2009年9月に政権交代をして2010年7月の参院選で敗れるまでの間の現実の政治が教えている。

 民主党は政権獲得後、2010年参院選に敗れるまで、野田首相が言っている「建設的な議論」、「国会は言論の府」等の理想に反して審議打ち切りを演じたし、「政局よりも大局」、「与野党の垣根を越えて」もどこへやら、強行採決も行なってきた。

 また、民主党は野党時代、「政局よりも大局」、「与野党の垣根を越えて」の理想には目もくれず、長時間に亘る審議拒否を度々見せてきた。

 要するにねじれ状況の障害回避の必要に迫られて掲げた数々の理想に過ぎない。

 裏を返して言うと、ねじれ状況の障害が存在しなければ掲げることはない数々の理想だということである。

 当然、常に現実と一線を画している野田首相の理想であることになる。

 だが、野田首相は党内消費税反対もあって、藁にも縋る思いでだろう、現実の政治が受け入れるはずもない理想を掲げるに至った。

 なぜ現実と理想が一線を画しているかと言うと、政策の競い合いを持って各政党が存在し合っているからなのは、これまた言を俟たないはずである。

 各政党は官僚の力と共に所属党員の英知を集めて、あるいは様々な識者が持つ英知を借りて作り上げた自党の政策を以って自己存在証明とし、他の政党の政策と競い合う。

 結果として、各政党とも自党の政策こそが優れていると他党の政策に優る自党の政策の優越性を掲げることになる。

 だが、いくら自党政策の優越性を掲げたとしても、最終的にはその優越性は数で決まる。

 優越性の帰着が数に決定権があるなら、そこに「熟議」が介在したとしても、「熟議」自体も数の影響を受けることになる。

 その最大の影響が与党による野党案の丸呑みであろう。

 より少ない影響として野党案の取り入れや、与党案の一部削除、譲歩等がある。

 とすると、「熟議」という体裁そのものがキレイゴトの政治の在り様でしかなく、実質的には数の劣勢に立たされた側の妥協劇ということになって、理想と一線を画した現実の姿を露にすることになる。

 野田政権は既に子ども手当に関わる法案を通すために自公に対して大幅な譲歩を演じている。民主党が当初決めた子ども手当から、自公時代の児童手当に名称を回帰させている妥協は数の力がどちらに有利に働いていたかを物語って余りある。

 また、6月1日のBS朝日番組収録での仙谷由人の、自公両党に申し入れた消費増税関連法案の修正協議についての発言は与野党協議や熟議に対する数の影響を象徴的に言い表している。

 《修正協議「丸のみ」も=大連立が一番-民主・仙谷氏》時事ドットコム/2012/06/01-12:52)

 仙谷「法案をどう実現するのか道筋が付けば、丸のみと言われようと社会保障のための財政規律を確立するという点で、同じ立場に立てる可能性がある」

 最初から熟議の正体をタネ明かししている。だが、ここには最早民主党政策の優越性に対する誇りはない。消費税増税を果たしさえすれば、「社会保障のための財政規律を確立」できるんだからそれでいいんだと丸呑みを正当化しているが、民主党の社会保障改革政策そのものが変質を迫られるのであって、自党政策の優越性の放棄、全面降伏となる。

 野田首相が記者会見で言っている「長い時間をかけて法案(社会保障と税の一体改革)をまとめた民主党の同志の皆様の汗」のなり振り構わない否定である。

 仙谷「消費税と原発を(次期衆院)選挙の争点にするのはいかがかという気持ちは、民自公とも持っているのではないか。そうならないようにする決め方としては、連立の形が一番素直だ」

 自らの政党としての存在証明となる政策の優越性実現を放棄して、政権維持だけを考えている。あるいは政権与党に属し、権力の一端にありつくことだけを考えている。最も卑しい部類に入る政治家だと言うことができる。

 前首相の菅仮免が2010年参院選に敗北して参議院与野党逆転のねじれが生じると、2010年8月10日の記者会見で次のように発言している。

 菅仮免「私は今回のこの臨時国会で、新しい民主主義あるいは新しい議会制民主主義の可能性を感じております。

 つまり従来の長い間の55年体制というのは、官僚任せであったり、あるいは族議員中心の政治であったわけですけれども、これからは議会の場で闊達に議論する中から結論を得ていく、そしてその背景には、国民のいろいろな意見を反映したこの民主主義制度、私の言葉で言えば参加型の民主主義というものが、ある意味でこのねじれ国会という天の配剤の中で誕生しつつあるのではないか。そういう期待を感じることができました。そういった意味で、私たちは国民の生活が第一、そして元気な日本を復活させるという目標を、この国会の議論を通して国民的な議論の中からその方向性を定めていきたいと改めて感じたところであります」(MSN産経

 そして2010年9月1日の民主党代表選日本記者クラブ公開討論会では次のように発言している。

 菅仮免「参議院の選挙の結果については私自身の責任も含め、反省をしてまいりました。その上で、ねじれという状況になったことについて、私はもちろん一般的には厳しいわけですけれども、ある意味では天の配剤ではないかとも同時に思っております。

 (中略) 

 私の経験では、確か1988年(1998年の間違い)でしたか、金融国会というものがありまして、長銀、日債銀の破(は)綻(たん)寸前になったときに、当時の野党でありました民主党、そして自由党、公明党で、金融再生法というものを出しました。いろんな経緯がありましたけれども、最終的には当時の自民党がそれを丸飲みされた。私は政局しないと申し上げて、小沢さんから少し批判をいただきましたけれども、しかし、あそこで政局にしていた場合には、私は日本発の金融恐慌が世界に広がった危険性が高かったと思いますので、そういう意味では、そういう真摯な姿勢をもって臨めば、野党の皆さんも合意できるところはあって、これまで超えられなかった問題も超えていくチャンスだと、このようにとらえて努力をしていきたいと思っております」(MSN産経
 
 各政党が自党政策の優越性を掲げて競い合うことを政党の存在証明としているものの、最終的には数が決定する優越性である宿命にある以上、数の力が介在しない熟議など存在しないにも関わらず、それが政治の現実だと看做す冷徹な現実主義的認識能力も持てずに参院選敗北のねじれを「熟議」成立の機会となる「天の配剤」だと言い出した。

 そして「熟議」の顕著な例として1998年の「金融再生法」の自公政権の民主党案丸呑みを挙げた。

 ここには与野党立場を替えたことに対する認識は何一つない。衆参ねじれ現象下での「丸飲み」は野党が仕向ける与党行為であって、その逆の与党が仕向ける野党行為では決してない。

 1998年の金融再生法が既にこのことを証明しているが、谷垣自民党総裁発言も「丸飲み」が野党が仕向ける与党行為であることを証明してくれる。

 《【消費税増税】対案丸のみなら応じる 修正協議で谷垣・自民総裁》MSN産経/2012.6.4 15:17)

 5月4日午後の党会合。

 谷垣総裁(消費税増税関連法案の修正協議について)「自民党の対案を丸のみすれば、受けなければならない」
 
 菅は参院選敗北、衆参ねじれによって自分たちが自党政策の優越性放棄に当たる「丸飲み」の立場に立たされることも考えずに参院選敗北を「天の配剤」だと言ったのである。

 現実主義であることから離れたこの呆れ返るばかりの判断能力ゼロが言わせた「天の配剤」論としか言いようがない。

 そしてここに来て野田首相が消費税増税関連法案を通すために菅が遺産とした「熟議」を持ち出すに至った。「政局よりも大局」だ、「建設的な議論」だ、「国会は言論の府」だとキレイゴトを口実にして。

 「熟議」が実現したとしても、待ち構えている障害は妥協、譲歩、丸のみであって、数の力関係の手前、避けることできない障害となっている。

 政治家は冷徹な現実主義者でなければならないにも関わらず、菅仮免と同様に政治の現実に目を向ける認識を欠いているからこそ可能とした、記者会見で見せることになったキレイゴトの数々の理想を散りばめた、非現実的な理想的政治の在り様(ありよう)、非現実的な理想的国会審議の在り様という逆説なのだろう。

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菅仮免も野田財務相も言っていた「雇用のミスマッチ解消」、中間層分厚くをウソにする言葉だけの政治風景

2012-06-04 09:05:20 | Weblog

 野田政権が若者雇用確保の雇用戦略原案を纏めたと2012年5月28日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。《政府が若者雇用戦略の原案》(NHK NEWS WEB/2012年5月28日 19時14分)

 原案の内容として次のことを紹介している。

 ●大企業志向が強い学生と
  採用意欲がありながら人
  材を確保できない中小企業との間のミスマッチ解消の政府版就職情報サイトの作成
 ●大学や高等学校に対する「キャリア教育」実施義務化
 ●学生の職場体験「インターンシップ」を産学官で支援する協議会の設置
 ●企業採用学生の出身校の公表化による学生の就職活動の参考化

 記事は雇用戦略原案作成の背景として、内閣府の推計である一昨年春卒業の大学生、専門学校生のうち52%が就職できなかったり就職しても早期に自分の都合で勤め先を辞めたりしている状況を挙げている。

 また、政府版就職情報サイトは〈知名度は低くても独自の技術やサービスで成長している中小企業などを紹介する〉ことが狙いだと解説。
 
 最後の企業が採用した出身校の公表化は学閥の助長を誘導し、慣れ合いの人間関係を招かないだろうか。

 ただでさえ日本人は日本人同士という意識が強くて、精神的な国際化が遅れているところに持ってきて、社会人というスタート地点で一種の同族化に向かうことになり、行動や考えの類似性(横並び性)を一層加速化することにならないだろうか。

 だとしても、早期中途退職等のない若者の的確な雇用確保を図らなければならないが、何よりも問題なのは記事が、〈政府は、これまで、若者の雇用対策を再三打ち出してきましたが、十分な効果を挙げられていないのが現状です。〉と書いていることである。

 いわば再三打ち出してきた民主党政権の若者雇用政策が実効性を持ち得なかった。その果ての今回の「若者雇用戦略」だということである。

 裏を返して言うと、民主党政権は若者の雇用に関わる政策創造能力不足だということになる。

 当然記事が書いているように、〈今回示した雇用戦略が、厳しい雇用状況の打開につながるのか、その実効性が問われそうです。〉ということになる。

 企業の人件費の抑制、雇用調整弁としての非正規採用の偏重といった問題を抱えているが、それでもなお若者の雇用問題は景気回復が最善の良薬となることに変わりはないはずだが、全体的な景気回復策を大枠とせずに不況による厳しい雇用環境を前提としているからだろう、否応もなしに対処療法的となっている。

 古川経済財政担当相(会議の中で)「次の時代を担っていくのは、いつの時代も若者だ。若い人たちにしっかりした雇用の場があって、それが生活にもつながっていくわけなので、来月、若者雇用戦略として正式に決定したうえで、関係者、政府が一体となって、戦略の着実な実施に努め、若者を取り込んだ成長を目指していきたい」

 具体性のない、極々当たり前の紋切り型の謳い文句を述べ立てたに過ぎない。

 大学や高等学校に対する「キャリア教育」の実施を義務化するということだが、「キャリア教育」を職業教育程度にしか理解していなかったから、インターネットで調べてみた。

 既に皆さん理解済みだと思うが、「はてなキーワード」に次のような記述がある。

 色々と書いているが、主なところを拾ってみる。

 「キャリア」の定義

 「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」(キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書「児童生徒一人一人の勤労観、職業観を育てるために」(平成16年1月)

 難し過ぎるタテマエとなっている。責任感のない人間が言うのは滑稽だが、要するに立場立場に於ける責任感(それぞれが与えられることになっている立場上の自分が引き受けて行わなければならない役目に対する間違いのない実行性)の保持を基本とした姿勢の要請というだと思う。

 「キャリア教育」の定義

 「望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育」 中央教育審議会答申 「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」 (平成11年12月)

 具体的方法論は次のように説明している。

 「職業観・勤労観を育む学習プログラムの枠組み例」(国立教育政策研究所 平成14年)

 1.人間関係能力: 他者の個性を尊重し、自己の個性を発揮しながら、様々な人人とコミュニ
   ケーションを図り、協力・共同してものごとに取り組む。
 2.情報活用能力: 学ぶこと・働くことの意義や役割及びその多様性を理解し、幅広く情報を
   活用して、自己の進路や生き方の選択に生かす。
 3.将来設計能力: 夢や希望を持って将来の生き方や生活を考え、社会の現実を踏まえなが
   ら、前向きに自己の将来を設計する。
 4.意志決定能力: 自らの意志と責任でよりよい選択・決定を行うとともに、その過程での課
   題や葛藤に積極的に取り組み克服する。

 このすべてを実現する基本的資質は自律性(自立性)であろう。

 要するに自律性(自立性)を育みさえすれば、自ずと以上の能力を発揮し得る。

 だが、日本の教育は「総合学習」で謳った、「自ら課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」という自律性(自立性)教育に失敗したのである。

 この失敗は日本の教育が伝統とし、文化とし、歴史としてきた暗記教育から脱しきれなかったことが原因であって、失敗がなお一層の暗記教育回帰を促すことになった。

 とするなら、民主党政権が「若者雇用戦略」で大学や高等学校に対して「キャリア教育」実施義務化をいくら掲げようと、その実効性に悲観的にならざるを得ないことになる。

 日本の教育が自律心(自立心)を涵養できなければ、単に人材不足の企業に卒業人材を当てはめるといったことしかできないだろう。大企業と中小企業間の雇用のミスマッチを少しぐらいは埋めることができるかもしれない。

 それも景気に左右されることに変わりはない。

 それにしても民主党政権の若者雇用政策に関わる政策創造能力不足は如何ともし難い。

 民主党は2009年総選挙用の《民主党政策集INDEX2009》で、「若者の雇用就労支援」に関して次のように謳っている。

 〈若者の雇用就労支援

雇用失業情勢の悪化に伴い、派遣労働者を含む多くの非正規労働者が職場を追われ、ネットカフェ等で寝泊りしなければならない人が増加しています。この状況を改善するため、「住まいと仕事の確保法」を制定し、住居がなく、安定した就職が難しい若者等に対して、ハローワーク・自治体・企業の連携のもと、カウンセリング職業紹介職業訓練賃貸住宅への入居などを支援します。

自立を希望する若者が安定した職業に就けるよう、

(1)「若年者等職業カウンセラー」による職安での就労支援
(2)「個別就業支援計画」の作成などによる職業指導
(3)民間企業での職業訓練
――等を行います。必要に応じて就労支援手当(1日1000円、月3万円相当)を支給します。

教育機関・企業・国・自治体が連携して、職業体験学習企業見学インターンシップなどを行い、若い世代の就労意欲の向上を図ります。〉――

 2009年の総選挙に掲げながら、2年9カ月後に再三なのか、再三再四なのか、掲げることになった。上記記事が〈政府は、これまで、若者の雇用対策を再三打ち出してきましたが、十分な効果を挙げられていないのが現状です。〉と書くのも無理はない。

 実は菅仮免許前首相が10年9月10日の民主党代表選公開討論会で景気対策及び雇用のミスマッチに関して発言している。

 質問「雇用を生み出すのは大変だ。具体的な手だては何か」

 菅仮免「雇用と成長は、いわば裏表の関係にある。経済が成長すれば雇用が生まれるという側面もある。同時に、雇用が大きくなることで成長につながっていくのもある。雇用については、雇用の創出と、雇用を守ることと、雇用をつなぐ。創出、守る、つなぐという言い方をしている。

 創出はたとえば、グリーンイノベーションとかもあるが、同時に介護や保育のような分野は、需要は潜在的にありながら、仕組みの問題やあまりにも給料が安いということで、せっかくの需要を生かし切れていない。こういうところは、まさに雇用を新たに創造する。今回の場合、20万人の雇用を緊急対策で約10兆円規模の事業費でやることを今日決定した。

 守るというのは、海外に移転するような企業に対して、国内で仕事がしやすい状況を作る。一部低炭素事業への補助金も出すが、法人税のあり方も含めて海外に税が高すぎて出ていくという傾向もあるので、年内にしっかりと法人税のあり方を検討する。

 つなぐとは、先日、京都のジョブパークに行って話を聞き、確かに大企業は求人倍率は0.5ぐらいだが、中小企業は4ぐらいある。中小企業がほしい人材、学生さんが暗い顔してやって来るのをカウンセリングして、いろいろ話をして、場合によってはトライアル雇用をやっていると、だんだん元気になってくる。逆に中小企業の人も、去年1人とってみたら元気だった、今年は2人とろうと。かなりの成果が上がっていた。そういうミスマッチをきちんとマッチングさせることも極めて大きいところだ。創(つく)る、守る、つなぐと。これで雇用を拡大していきたいと考えている」(MSN産経記事から)――

 だが、現在に至っても、若者の雇用を言わなければならないし、ミスマッチの解消を言わなければならない。

 野田首相も財務相だった2011年1月18日午前の閣議後会見で、4月卒業予定大学生の就職内定率が過去最低を記録したことを受けて、若者の雇用支援について発言している

 記者「この春に卒業する大学生の就職内定率が68.8%ということで、非常に氷河期よりもかなり悪い、3人に1人ぐらいが内定を得られていないという状況で、民主党政権も雇用対策というのを非常に重視していると思うんですが、なかなかその効果が上がっていないのではないかという見方も出来ると思うんですが、このデータの受け止め等をお願いします」

野田財務相「厳しい重たい数字だと思います。やっぱり政治の最低限目指す使命というか、役割というのは、この国に生まれてよかったと思える、そういう国を作ることであって、学びたい、働きたいと思っている若者達にチャンスを与えられない国ではいけないというふうに思います。

 その意味では菅政権、雇用に力を入れて、今回の平成23年度の予算も成長と雇用を最大のテーマにしていますが、その中に出てくるのは雇用のミスマッチの解消とか、あるいは求職者支援制度といったセーフティーネットですが、雇用を作ることが大事だと思います。

 その意味では税制改正の中で、法人実効税率の引き下げとか中小の軽減税率の引き下げ、あるいは雇用促進税制、こういうものを内容としていますので、予算とそしてこの関連法案を早期に成立させることによって若者達にチャンスを作るような環境整備を是非していきたいと思います」――

 財務相だった野田氏は首相となった。政策運営責任者としてなおのこと若者の的確な雇用を保証する政策の創造とその実効化の責任を追うことになった。

 確かに大震災の悪影響があった。ヨーロッパの金融危機の影響もあるだろう。

 だが、「やっぱり政治の最低限目指す使命というか、役割というのは、この国に生まれてよかったと思える、そういう国を作ることであって、学びたい、働きたいと思っている若者達にチャンスを与えられない国ではいけないというふうに思います」と言い、首相になってからも常々言っている以上、不況下にあっても国民に何らかの希望を与えるサイン(「『今日よりも明日が、より豊かで幸せになる』という確かな《希望》」(2012年1月1日年頭所感))のサインを政治が発信し、失望を与えない配慮が必要なはずだ。

 果たしてそのような配慮を示し得ているのだろうか。2011年自殺者は2010年から減ってはいるものの、2010年自殺者31690人から20011年30651人へと僅かに1039人減ったのみで、14年間自殺者3万人超えは政治が国民に対して決定的に希望を与えることができていない状況が原因の一端となっていることを示している。

 また、「働きたいと思っている若者達にチャンス」を約束できる政治の確立にしても、野田首相が掲げている「中間層を分厚くする」政策の主要部をなすはずだ。

 だが、いずれにしても実行能力を発揮できず、言葉だけの政治風景となっている。

 そのような政治風景を受けた今回の雇用戦略原案の取り纏めということであろう。

 野田政権の内閣支持率の低下、民主党の政党支持率の低下を単に数字だけのことと見ずに、自らの政策創造能力の欠如と見るべである。

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