3月7日衆院予算委、岡田克也の頭の悪い追及が頭の悪い安倍晋三を助けている

2013-03-11 14:40:14 | Weblog

 岡田克也という男は原理主義者だけあって、表面的な事実の原理原則にのみ視線が向き、事実の裏側を読み取る頭はないようだ。その頭の悪さは安倍晋三の比ではない。遥かに上回っている。

 そもそもからして頭の悪さを安倍晋三と比較される時点で、もう政治家の資格はないのではないのか。

 その頭も悪さを3月7日、衆院予算委員会での午後のの安倍首相との遣り取りの中から見てみる。

 発端は産経新聞の3月5日(2013年)の記事である、野田前政権が海自艦艇が尖閣近海で中国軍艦に対する場合は15カイリ(約28キロ)の距離を置き、中国側が近づくと後退することと領海侵犯の恐れがあっても先回りして警戒することを禁じる、中国側に過度に配慮した指示を、岡田克也前副総理が中心となって出していたと複数の政府関係者の話として伝えた。領空侵犯措置でも同じような過度な自制を求めていたと。

 萩生田光一自民党議員がこの記事を取り上げて、3月7日の午前中の衆院予算員会で安倍晋三に「産経新聞の報道は事実か」と質問した。

 安倍晋三「前の政権では、過度に軋轢を恐れるあまり、領土・領海・領空を犯す行為に対して、当然行うべき警戒・警備の手法に極度の縛りがかけられていた。相手方に誤ったメッセージを送ることになり、不測の事態を招く結果になると判断したので、安倍内閣が発足した直後から、前の政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」(NHK NEWS WEB

 野田前政権は中国側に毅然とし態度を取って来なかったと言ったのである。海自も政権の対応に応じて毅然とした態度を取ることができない「縛り」をかけられることとなったと。

 外交問題で毅然とした態度を取ることができなかったということは、既に政権を去った立場であっても、政権を再度獲得する場合の障害とならない保証はない。

 中心人物とされた岡田克也が当然、同じく国会で取り上げて、安倍首相を追及してもいい問題である。岡田克也自身の名誉に関わるばかりか、民主党という政党の名誉に関わる。

 だが、取り上げたものの、方向音痴な質問に終始して名誉回復どころか、安倍晋三に軽くあしらわれ、逆に「過度に軋轢を恐れる」という対中外交が事実であるかのような印象をつくり出してしまった。

 質問の的を間違えたからである。

 関係箇所の遣り取りをNHKの国会中継から文字で起こしてみた。

 衆院予算委員会(2013年3月7日)

 岡田克也「岡田克也です。先ず午前中の質疑について一言申し上げたいと思います。

 一昨日の産経記事を取り上げて、私の発言について質問をされた方(午前中の質疑者萩生田光一自民議員のこと)がいらっしゃいました。この記事については事実に反するということで私は既に産経新聞社に抗議を出しております。

 何らかのプラスアルファの根拠があったのであれば兎も角、そいうったのがないのであれば、こういった場で取り上げることは私は適切ではないと、いうふうに考えております。

 そのことを先ず申し上げておきたいと思います。その上で、例えば記事に中にありました。、あー、民主党政権下で海上自衛隊の艦船と中国軍艦との間に15カイリ、28キロの距離を置くことを決めていた。こういった事実が民主党政権下であったと、いうふうにご認識ですか、総理は?」

 安倍晋三「えー、今の、岡田委員の質問はですね。こちらの態勢の、ま、詳細に関わることでありますから、前政権のこととは言え、今、ここで詳(つまび)らかにすることは控えさせて頂きます。

 しかし、安倍政権ができたときに、それまでの対応を全体的に見直し、た結果ですね、中国に対して過度な配慮をした結果ですね、十分な対応ができていないと私が判断したことは事実です」

 岡田克也「私が承知している限り、民主党政権下で15カイリ距離を開けるべきだと、いうようなことはなかったと承知をしております。もしあるというなら、このことを堂々と言って頂きたいと思います。

 そして、そのことはきちっと把握したら分かることです。事務方に確認してください。そういうことでなかったわけであります。何かありますか」

 安倍晋三「私はですね、総理になってから、まさに事務方から態勢について聞いた結果、今、個々のことについては敢えて申し上げませんよ、そこまでは。

 いわばこちらの手の内を明かすことになりますから、過去のことは申し上げませんが、私は事務方から態勢について聞きました。防衛省と海上保安庁から聞きました。で、その態勢はですね、明らかに、過度な配慮をした結果であろうと思って、ですね、致しました」

 岡田克也「私は具体的なことを聞いているわけでございます。それは確認されれば、すぐ、総理は知ることができるはずであります。

 そして今は、総理の答弁の中にはですね、過度に軋轢を恐れる余り、いう表現がありました。政権が替わって、色んな取り扱いが替わることは理解できます。しかし、民主党政権下に於いて、過度に軋轢を恐れる余りと、何を根拠にそういうふうにおっしゃるんでしょう」

 安倍晋三「これはですね、私は実際に確認しているから、この場で述べているんですよ。しかし、それは敢えてここのことについてはですね、手の内に関わることですから、申し上げませんよ。

 しかし別に民主党を非難するためにだけで、えー、申し上げているわけではありません。いわば対応についてはですね、いくつかの対応、これは海上に於ける対応もそうですし、えー、上空、航空識別圏に於ける対応もそうですが、これも含めて全面的に対応を見直し、そして然るべき対応に変えたわけであります」

 岡田克也「ま、個々については言えない、言いながらですね、前政権のことについて、そういった表現を使って批判をする。私はフェアじゃないと、いうふうに思いますよ。総理大臣としてはもう少し公平に物事を言われたら、如何でしょうか。

 勿論、中国の軍と日本の自衛隊が必要以上に、これが対峙することになれば、それは色んなことは起こり得ることは考えて、我々は一つ一つの判断をしてきたことは事実です。

 しかしそのことは、私は恐らくは安倍政権も同じだと思うんです。具体的な対応について、色々と違うところはあるかもしれませんが、そのことは民主党政権が過度に軋轢を恐れる余り、とかですね、そういう感情的な表現は私は使うべきではないと、いうふうに思いますが、如何でしょう」

 安倍晋三「これは感情的じゃなくてですね、申し訳ないんですが、これは事実、ファクトを、述べている、わけであります。で、個別についてですね、申し上げることはできますよ。しかしそれは、いわば中国に対してかつての政権がやっていたこととはいえ、これは手の内を明かすことになりますから、敢えて申し上げていない、わけ、でありまして、えー、何も私はここでそんなものを引き出してきて、皆さんを、これは非難する必要なんてないわけでありますから、えー、質問に答えて、私はむしろファクトについて申し上げたわけでございます」

 岡田克也「総理、過度に軋轢を恐れる余りというのはファクトじゃないですよ。それは、だから、私は申し上げている。だいたい総理のパターンは一つあるんですよ。(声を強める)民主党のことを根拠なく批判をして、そして、私はそれを変えましたと言って、誇る。

 そういったことを時々やられるんですね。しかし、内閣総理大臣として取るべきことじゃないと私は思うんです。

 私は言わないでおこうかと思いましたが、じゃ一つ、日米首脳会談について申し上げたいと思います。安倍総理は日米首脳会談後の記者会見で、この3年間の民主党政権下で(よく聞き取れなかった)損なわれた日米の絆と信頼を取り戻し、緊密な日米関係が完全に復活したと宣言されましたが、何を根拠にそういうふうに言われたんでしょうか」

 安倍晋三「これはですね、民主党政権の3年間に於いてですね、普天間移設問題について、最低でも県外と、こういったわけですね。そして、で、結局ですね、その間に大統領に対して『トラスト・ミー』と言ったわけですね。

 結局それは実行できなかたわけじゃありませんか。それはかなり致命的なことだったと思いますよ、失われた信頼というのを回復するというのは、そう簡単なことではないんだろうと、このように思います」

 岡田克也「勿論普天間の問題は私も責任を感じております。しかし、にも関わらず、日米間、それぞれの首脳間で、あるいは外務大臣、閣僚間で、あるいは事務方で、様々な問題について取り組んで、そして信頼関係を育んできたということも事実じゃありませんか。

 そのことをあなたは一方的に否定するということは理解できません。例えば、クリントン長官が退任に当たってですね、日米両国間は北朝鮮、アセアンといった地域間問題やアフガンやイランといった国際的課題に取り組んできたと、日米同盟を継続して強化してきたと、日本国民及び日本国の指導者の皆さんに対して、日米同盟の協力と献身(的努力)に感謝したい、お礼を申し上げたい、こういうふうに最後の会見にありました。

 岸田大臣、おられましたから、この時同席しておられたから、あの、事実だということはご理解いただけると思います。それをこういう発言と総理の発言が余りにも乖離が余りにもあるわけですから、如何ですか」

 安倍晋三「それはですね、あのー、そのー、アメリカの国務長官が辞任会見に於いて、日米関係が大変なことになったという、そんな発言をしたらですね(吹き出すように短く笑い)、それはまあ、大変なことになるというのは、誰が考えても分かることでありますから、それは当然、外交の責任者としてですね、えー、責任ある立場で発言されるんだろうと、このように思います」

 岡田克也「クリントン長官の発言が責任ある発言だということであれば、最初に紹介した安倍総理の発言は無責任そのものじゃありませんか。日米同盟、お互い努力をして、様々なレベルで、これは育てて行かなければいけない。

 例えば、キャンベル国務次官補が朝日新聞の記者会見でこう言っていますよね。『日米関係の維持・進化は党派を超え、政権交代を超え、共通の取り組みでなければならない』

 私はこのとおりだと思うんです。あなたの言い方は、前の政権はデタラメをやってきた。俺が全部ちゃんとやっている。そういうふうに聞こえかねない。

 それはまさしく日本だけではなくて、米国のこの同盟関係に携わってきた、そういう人間に対しても、人々に対しても、これは侮辱だと、いうふうに、取られても仕方がないですよ。

 総理大臣であれば、もう少し国益を考えて、日米同盟を如何に育てていくか、そういう観点でお話しになるべきだと思うんですが、如何ですか」

 安倍晋三「日米同盟に於いてではですね、いわばむしろ、例えば、事務方、それを担ってきた国務省、外務省、ありますよ。そして例えばアメリカの国防相と日本の防衛省。あるいはアメリカの3軍と日本の自衛隊。ここに於いて、必死に頑張ってきたんだと思いますよ。その政治がなかなかちゃんとやってこなかったからなんですね。それによって守られていた、のは事実です。

 そしてですね、同時に、やっぱり、国民の中には日米同盟の絆、は、やっぱり、大切だなあ、そういう思いが強くあった。これはやっぱり日米同盟を下支えしていたんだと思いますよ。しかし民主党政権に於いてですね、岡田さんが胸を張って言えるような状況があったんですか。私はそうではなかったからこそ、私は選挙結果に於いてですね、こういう政党にはなかなか政権を任せるわけにはいかないという結果になったんだろうと思いますよ」(拍手が起きる。)

 岡田克也「まあ、これ以上あたなに言っても、ムダかもしれませんが、私はやはり総理大臣というものは常に国益を考えて、そして行動しなければならない、いうふうに思います。

 あなたのこの物の言い方と言うのは、私は日米同盟にとって決してプラスではない。アメリカにしてもかなり戸惑いが私はかなりあると思いますよ。そのことを申し上げたいと思います」

 次に移る。

 先ず岡田克也は野田前政権が中国艦船に対して15カイリ(約28キロ)の距離間隔を置いて対峙せよ、領海侵犯の恐れがあっても先回りして警戒するなの指示について、事実ではないとする立場から争った。

 対して安倍晋三は詳しいことは言えないが、「安倍政権ができたときに、それまでの対応を全体的に見直し、た結果ですね、中国に対して過度な配慮をした結果ですね、十分な対応ができていないと私が判断したことは事実です」と、15カイリ(約28キロ)距離間隔対峙と先回り警戒禁止の事実では争わず、前政権の対中対応は過度な配慮に基づいていたと「私が判断したことは事実です」と、自身の判断による事実だとしている。

 このことは午前中の萩生田光一自民党議員に対しては、「過度に軋轢を恐れるあまり、領土・領海・領空を犯す行為に対して、当然行うべき警戒・警備の手法に極度の縛りがかけられていた」と答弁しているが、岡田克也に対しては「過度に軋轢を恐れるあまり」という言葉も、岡田克也自身が使っているのみで、「極度の縛り」という言葉も使っていないことからも、15カイリ(約28キロ)距離間隔対峙と先回り警戒禁止の事実は安倍晋三は事務方等から把握していなくて、産経の記事を読んでいてそう判断したのか、萩生田議員が質問通告書を提出後、記事が書いている事実に気づいて自身が判断したことを答弁に用いたのか、いずれかである疑いが濃い。

 だが、証拠はない。

 だとしても、岡田克也は15カイリ(約28キロ)距離間隔対峙と先回り警戒禁止は確認していた事実なのか、そのような事実に基づいた発言なのか争うべきを、民主党政権下ではそういった事実はなかったと承知をしておりますとか、事務方に確認してくださいなどと、的外れな質問をしている。

 安倍晋三が確認しました、事実に間違いがありました、発言は失態でしたと謝罪すると思っているだろうか。事実に基づかずに前政権を非難したという事実が一つでも知れたなら、自身の政治判断に対する点数に関係するし、支持率にも悪影響を与える。発言の失態は強弁やゴマ化しで凌ぎ通すことだろうし、岡田克也にしても自身の失態発言や他の閣僚の失態発言は強弁やゴマ化しで凌いできたはずだ。

 実際にも安倍晋三は前政権のどのような具体的な対応を反面教師としたのか、「まさに事務方から態勢について聞いた結果」とは言っているものの、「こちらの手の内を明かすことになりますから」の口実で具体的な証明については触れないまま、尖閣近海に於ける対中対応を「全面的に見直し」たと言っているのみである。

 いわば距離間隔対峙と先回り警戒禁止は実際に確認していた事実であったのかどうかの具体的な証明では争わない姿勢を貫こうとしている。

 安倍政権で既に改めている対中対応なら、具体的内容には触れずに改めたと言うだけで中国側に対するメッセージとなるのだから、誰に聞いた前政権の対応であったかの事実は明かしてもよさそうなものだが、あくまでも明かさない。

 ここで岡田克也は質問の方向を変えなければならなかったはずだ。方向を変えるだけの頭の働きを見せることができずに、同じ質問を繰返すのみで、安倍晋三も具体的な事実には一切触れずに、同じような抽象的な答弁で、あれこれ凌いでいるに過ぎない。

 なぜ岡田克也は、「では安倍政権となって、野田前政権とは異なる対中対応を全面的に見直した結果、どのような成果を上げているか、ご説明願いたい」と追及しなかったのだろうか。「中国艦船の領海侵犯や(飛行計画を提出しなければならない)防空識別圏への中国軍機の進入がなくなったのか」と。

 「中国艦船の海自護衛艦に対するレーダー照射は野田前政権の方針を根本から見直し、冷静かつ毅然とした対応に変えてからのことだから、野田政権が過度に軋轢を恐れるあまり、わが国の領土、領海、領空を侵す行為に対し当然行われるべき警戒、警備の手法に極度の縛りがかけられていたからだなどと言うつもりはないでしょうね」と。

 安倍晋三は中国の尖閣諸島近辺への示威行動に対して機会あるごとに毅然とした態度を取ると言っているが、一向に示威行動は収まる気配がない。3月3日から10日まで、中国の海洋監視船3隻が尖閣諸島領海外側の接続水域を7日連続で航行している。

 甘く見られている点に於いて民主党政権と何ら変わりはない。

 いわば前政権と違って、「冷静かつ毅然とした対応を行う方針を示した」などと偉そうなことは言えない状況にある。

 結局岡田克也は安倍晋三に具体的に事実を確認した発言なのかどうか明らかにさせることができずに尤もらしい言葉で逃げられ、「私は言わないでおこうかと思いましたが」と言って、安倍晋三の日米首脳会談後の発言を取り上げて、別角度からの追及に入ったが、これも的外れな取り上げ方で終わっている。

 安倍晋三が岡田の最初の追及をうまく逃れることができたのは民主党政権の普天間対応や尖閣沖中国漁船衝突事件対応が国民に印象づけた外交無策を前提としているから、それなりの説得力を持ったのだろう。

 だから岡田克也が「総理のパターンは一つあるんですよ。(声を強める)民主党のことを根拠なく批判をして、そして、私はそれを変えましたと言って、誇る」と批判したとしても、安倍晋三の説得力に対して何ら説得力を持たず、単なる逆ギレにしか聞こえない結果で終わることになる。

 具体的に「根拠なく批判をし」た例を指摘し、「私はそれを変えましたと言って、誇」ったとして初めて説得力を持つことになるはずだが、そういったことすら気づかない頭の悪さである。

 岡田克也「安倍総理は日米首脳会談後の記者会見で、この3年間の民主党政権下で(よく聞き取れなかった)損なわれた日米の絆と信頼を取り戻し、緊密な日米関係が完全に復活したと宣言されましたが、何を根拠にそういうふうに言われたんでしょうか」――

 明らかに取り上げ方が間違っている。「安倍総理は日米首脳会談後の記者会見で、この3年間の民主党政権下で損なわれた日米の絆と信頼を取り戻し、緊密な日米関係が完全に復活したと宣言されましたが、緊密な日米関係とは両国間の懸案を双方が満足する形で一つ一つ成果を上げ、片付けていって初めて『復活した』と言えるであって、安倍政権が誕生してまだ3カ月も経っていません。満足いく形で成果を挙げた懸案事項の具体例を一つでもいいから挙げてみてください。普天間問題が片付いたんですか。中国の海洋進出問題が片付いたんですか。TPP参加を決めることができたんですか」と聞けば、「完全に復活した」という発言が如何に根拠のない言葉でしかないことを暴露できたはずだ。

 しかもクリントン国務長官の退任記者会見の発言を取り上げて、民主党政権も日米同盟の緊密化に役割を果たしたかのように言っているが、安部井晋三に「外交の責任者としてですね、えー、責任ある立場で発言されるんだろう」と軽くいなされてしまった。

 発言は「事実」だとして、その証言者として岸田外相まで持ち出しているが、発言ははそう言ったということの表面的な事実でしかなく、何を意味しているのかの「事実」が問われるはずである。

 外交辞令の場合もあるし、日本の失態は失態のない関係を築くことができなかったアメリカの失態でもあるのだから、対外的に失態を隠す必要からの日米緊密化の褒め言葉ということもある。

 さらに岡田克也はトンチンカンにもキャンベル国務次官補が言ったとする「日米関係の維持・進化は党派を超え、政権交代を超え、共通の取り組みでなければならない」という朝日新聞記者会見発言を取り上げて、「私はこのとおりだと思うんです」と言っているが、キャンベル国務次官補が言っていることはあくまでも日米関係の目標であって、それを「党派を超え、政権交代を超え」て具体化できるかどうかは政権の能力と責任にかかっている。具体化できなければ、タテマエで終わる。キャンベル国務次官補がわざわざ言わなければならないところに、何かの欠陥・不備・不足があるからと見なければならないはずだが、原理主義者らしく、発言の表面の原理原則の解釈で終わっている。

 岡田克也の追及の的外れ、認識能力も問題だが、安倍晋三には中国の領空侵犯や領海侵犯、あるいは防衛識別圏や経済水域への進入等の示威行為に対して効果ある措置をを見い出すことができていないのだから、尖閣諸島に関わるどのような対中対応も誇ることも、安倍政権発足まもなくで、日米間の懸案問題に関わる成果を何一つ挙げていないのであって、懸案事項のすべては今後の取組にかかっているのだから、「緊密な日米関係が完全に復活した」などと現時点に於いては誇ることもできないはずで、にも関わらず事実に反することを平気で言うことができる一国のリーダーという逆説は如何ともし難い。

 支持率が高いことに気をよくしてのことかもしれないが、「政治は結果責任」である。結果を見てから誇る冷徹な認識能力こそが求められているはずだが、結果を見ないうちから誇る。この程度の頭の持ち主に国の運営を任しておいていいのか心配になる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山成彬の『創氏改名』は強制でない、自由だったとする主張の認識能力

2013-03-10 13:37:00 | Weblog

 日本維新の会中山成彬が3月8日(2013年)の衆院予算委員会で日本の朝鮮半島植民地支配時代の朝鮮人の姓名を日本式に改める「創氏改名」は強制ではなく、自由だったのではないか、「高校日本史の教科書3つで、創氏改名を強制したと書いてある」が、正すべきではないかと追及していた。

 果たして朝鮮人の自由意志に任された創氏改名だったのだろうか。質疑答弁の内容はインターネットで見つけたブログを、「引用転載はご自由に。連絡不要です。但し誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので、必ずこちらのURLを添えておいて下さい」の注意書きに甘えて横着して利用することにした。議員名の細字を太字に替えた。新聞記事の写真が何枚か挿入してあったが、知りたい方はどうかアクセスを。

 記事題名が示すように中山発言を肯定する観点からの記事となっている。 

 《中山成彬議員が衆院予算委で日本の真の朝鮮統治(インフラ整備、創氏改名、慰安婦など)を語ってくれました》ぼやきくっくり/2013.03.08 Friday)

中山成彬議員
「実は国際的に日本の子供たちがいじめられている話を今日はしたいんです。いま日本の留学生がアメリカやカナダで、中国・韓国の留学生に『あんたたちの祖先から自分たちの祖先は酷い目に遭った』と迫られ、肩身の狭い思いをしている。そういう話を聞いたことがありますか?」

下村博文文科相
「我が国の子供たちは日本の歴史・文化・伝統を知らない。真の国際人は真の日本人であるからこそ、諸外国の人たちともきちっと話すことができる。外国に行ってみたら自分の国のことを知らない。そのために反論できない。いじめられるというよりは、多くの日本人が留学して、自分がいかに日本を知らないかを痛切に感じ、改めて日本の勉強し直す。日本の教育を変えてほしいという話をたくさん聞いているし、指摘もあると思う」

中山成彬議員
「中国・韓国は常に『歴史を直視して、未来志向で』と言う。今日は歴史を直視するとはどういうことかを考えてみたい。日本の台湾や朝鮮の統治は、欧米の略奪だけの植民地主義とは違っていた。学校などインフラを整えた。台湾では八田技師が大変な灌漑事業をやった。ちょうど出くわしたことがあるが、5月8日には地域住民が集まり、八田の徳を偲んでいた。朝鮮でも同じようなことをしていたことを、理解してほしい」

中山成彬議員
「京城に地下鉄という新聞記事が。東京で一番古い地下鉄の銀座線、浅草-渋谷が開通したのは1939年。1940年にはもう京城に地下鉄ができた。日本が韓国の近代化にいかに熱心だったかが分かる。昭和12年時点で朝鮮の国鉄・私鉄あわせて5000キロの鉄道できていた。昭和20年までにはさらに1000キロ延長。明治32年、1899年、わが国が京城と仁川の間に鉄道敷くまで、鉄道はなかった。鉄道網を短期間につくった。左の写真は京城帝国大学。大阪帝国大学より7年早く、名古屋帝国大学より15年も早く建てられた。併合時点では公立学校は100校しかなかったが、昭和5年で1500校、昭和17年には4271校を設置した。しかも鉄筋コンクリート、煉瓦造り。日本というのは、台湾もそうだし、朝鮮にも内地と同じような統治をした」

中山成彬議員
「創氏改名は朝鮮人が望んだと麻生さんが東大で講演し、朝日新聞でたたかれた。現在、使われている検定を通った高校日本史の教科書3つで、創氏改名を強制したと書いてある。しかし、氏の創設は自由だ、強制と誤解するな、総督から注意を促すという当時の朝日新聞記事がある。内地式に変更、締切後も変更できますという記事も。決して強制ではない。創氏改名に殺到しているソウル市民という写真記事も。平成15年に麻生さん発言した時は、これら知らなかったでしょ?(麻生副総理、うなづく) 今どう思いますか?」

麻生太郎副総理
「日韓関係に齟齬を来すということで私の方からその後、記者会見で、こういった話で韓国の方々に不愉快な思いをさせたとお詫びしたと記憶しています。個人的な認識をいま改めて言うのはいかがなものかと思うが、いまは閣僚なので個人的見解は差し控えさせていただきます」

中山成彬議員
「下村大臣、教科書検定は事実に基づき行われるべきだと思います。3つの教科書、明らかに間違ってますよね。これで学んだ学生が大学入試で、創氏改名は強制と答えた場合、これは○か×か? 大きな問題になる。本来であれば回収すべき。あるいは、これを使ってる学校へ正誤表を配布するなどしてもよいのでは?」

下村博文文科相
「現在の教科書検定では学習指導要領に基づき、教科書検定審議会の学術的、専門的な審議に基づいて行われ、申請図書の具体の記述について、その時点における客観的な学問的成果や政府見解、適切な資料等に照らして、欠陥を指摘するものです。これが欠陥かどうかは、日本史大事典、国史大辞典というところでも強制したという記述が表現されている中、教科書検定においては、これは欠陥には当たらないと判断されているところです」

中山成彬議員
「そこを政治主導で、間違いは間違いとちゃんと訂正すべき」

中山成彬議員
「午前中に(質疑で)辻元清美議員がいろいろ言ってた、いわゆる従軍慰安婦問題。官憲が介入したと誤解させた最初の記事は平成4年の(朝日新聞の)『慰安所 軍関与示す資料』。ところがよく見ると、悪徳業者が募集に関与しているようなので注意するようにという通達で、全く逆なんです。当時の朝鮮の道議会選挙、当選者の8割以上の人が朝鮮人。忠清南道の知事は初代、6代、8代、9代、10代、昭和20年に至るまで全部朝鮮人。他の道も同じようなものでした。この大田警察、ナンバー2の警部、高等刑事も朝鮮人。このような体制で、官権の強制連行は考えられないんじゃないですか」

中山成彬議員
「いま慰安婦問題が世界に広まってる。ソウルの日本大使館の前に慰安婦とされる少女の像が。アメリカでも朝鮮人の多いニュージャージー州に像が建てられ、高速道路には大きな看板が出て、日本軍が女性を20万人性奴隷をしたと。日本人にとって屈辱。こういうことをさせてはいけない。だいたい20万人もの女性をさらっていく、その親たちは黙って見ていたのか。まして、日本の兵隊さん、世界一軍律が厳しいと世界から賞賛された。もちろん日本が遅れて列強の仲間入りをしたから良く見られたいこともあったろうが、根底にあるものは武士道だったと思う。立派な戦いをしたのに、こういったことで侮辱されている。看過しがたい。安倍総理のお答えは入れないが、ぜひこういうことを皆で分からないといけない」

中山成彬議員
「官憲が強制連行したのではなく、これは1枚だけ東亜日報だが、あとは全部、当時の朝日新聞。朝鮮人が日本人の良家の子女を誘拐して満州に売り飛ばしたと。農村の娘に毒牙とか。警察がしっかり仕事をしていたことが分かる。日本人が何かやったというのは、調べても調べても出てこないんです。戦前の日本は貧しかった。慰安婦にならざるをえなかった女性がいっぱいいたことを私は知ってる。いかにも朝鮮人だけが従軍慰安婦にされたとか、誤解を解いてもらいたい。午前中に辻元議員が出したが、各国で慰安婦に関する決議がなされていると。朝鮮の方は粘り強いというか、しつこいというか、すごいなと思うが、こういうことがずっと蔓延しているのは自民党にも責任ある。歴代の外交が、その場しのぎで、謝ればそれ以上追及しないという言葉に乗せられて、談話等が出された。そのツケが全部いま来ている。日本人は惻隠の情や、人を騙してはいけないと小さい頃から教えられるが、しかし、騙されるほうが悪いんだと、嘘も100回言えば本当になると、プロパガンダに励んでいる国民もいることを忘れてはいけない。我々はそういう意味で、国際社会でダブルスタンダードで生きていかねばならない。総理にはあえて答えはいらないことにしておきます」

中山成彬議員
「先の戦争は侵略戦争だったと思い込まれているが、1951年、マッカーサーは米国議会の上院の軍事外交委員会で、『日本は米国によって閉じ込められ、資源供給の道を断たれた。日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障の必要に迫られてのことだった』と明確に、侵略戦争を否定している。このマッカーサーの発言を東京都では副読本で使っている。これを全国の公立学校に配布してはどうか」

中山成彬議員
「このような地域で作成した教材のうち、優れたものは他の地域でも活用されることは大変有意義。文科省として各都道府県の教育委員会などの担当者を集めた会議などを通じて、情報の共有化を図っていく」

中山成彬議員
「いま私たちは、子供たちがどういう教科書で習ってるのか調べることは困難。平成9年、安倍総理も、亡くなった中川昭一先生などと一緒に、日本の前途と歴史教育を考える議員の会をつくった。あれは最初、中川昭一先生が自分の娘の教科書を見たらとんでもないことを書いてあるので、これはいけないというので、教科書議連をつくって活動した。いまはもう中学の歴史教科書に、いわゆる従軍慰安婦という言葉がなくなった。良かった。ぜひ、日本でいま使われてる検定教科書を見られるように、文部省のHPに全部出してほしい。中韓はすごい反日愛国教育をしている。中国からもいっぱい入って来てる。彼らがどういう教育を受けてるか知っておいた方がいい。中韓の教科書もHPに載せてほしい」

下村博文文科相
「日本の教科書を広く国民に、HP含め、より情報を提供するのは重要で、しっかり対応する。ただ、他国の教科書等を掲載するのは著作権の問題、その時の政治的、外交的な判断もあるので、できたら民間等でお考えになっていただければありがたい」

中山成彬議員
「尖閣列島の地図、上の地図は外務省HPにあるが、下の地図(「世界地図集 第一冊東亜諸国」1965年・国防研究院・中国地学研究所発行)はまだ載っていない。台湾が発行したもの。これも外務省のHPに載せてほしい。はっきりと尖閣列島は日本の領土だと明らかになっている。 日本維新の会は教育問題に一生懸命取り組んでいる。集中審議をお願いしたい。その時に、朝日新聞の関係者にもぜひ来ていただきたい。委員長にお願い申し上げます」

委員長
「後刻、理事会で取りはからいます」

中山成彬議員「ありがとうございました」(質疑終了)

 中山成彬の、いわゆる“創氏改名自由説”に対して下村文科相が「日本史大事典、国史大辞典というところでも強制したという記述が表現されている中、教科書検定においては、これは欠陥には当たらないと判断されているところです」と答弁している。

 そこで当方は、『日本史広辞典』(三省堂)を利用する。

 「創氏改名」「植民地支配の皇民化政策として、朝鮮人固有の姓を廃止して日本式の名前を名乗らせた政策。

 1939(昭和14)11月朝鮮民事令改正によって公布、翌年2月施行。同年8月までに新しい氏名の届けをさせ、改名しない者には公的機関に採用しない、食糧配給から除外するなどの圧力をかけたために、期限内に全戸数の80%が届け出た。「内鮮一体」を提唱する南次郎朝鮮総督の政策の一つ」――

 ではなぜ朝日新聞は「氏の創設は自由だ、強制と誤解するな、総督から注意を促す」といった見出しの記事を載せたのだろう。考え得ることは、戦時中の新聞は新聞紙法(1909年公布・施行)によって検閲の対象となっていたということである。新聞社は前以て記事内容を大本営等に差し出し、日本軍に不都合な内容は訂正を受けてから、発行した。

 このことが慣習となると、新聞社の方から軍に不都合と思われる記事は避け、都合のいい記事のみを書くようになったという。新聞社の権力に対する阿諛追従(あゆついしょう)である。

 大体が先祖代々の朝鮮人としての氏名を植民地支配者たる日本の法律で日本風に変えるということは朝鮮人としての意味・誇りを自ら捨てることを意味する。変えるも変えないも現実に自由であったなら、日本の権力に取り入って出世を図る、あるいは自己生存を有利に図ろうとする朝鮮人以外は誰が進んで変えるだろうか。

 創氏改名が強制とするつもりもなく、自由選択を意図していたなら、朝鮮民事令を改正して創氏改名させる必要性はなかったろう。「内鮮一体」を口実とした皇民化を先ずは氏名から始めるべく、日本風に改める必要を感じたからこその創氏改名であったはずだ。

 また、皇民化政策による「内鮮一体」と言っても、このことは2010年8月12日当ブログ記事――《韓国併合時の日本のインフラ投資が韓国近代化原動力に貢献したは正当化し得る主張なのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも書いたが、〈「内鮮一体」と言っても、「一体」なる言葉が含意している対等性に反して、朝鮮の日本化、日本への吸収による支配的「一体」に過ぎない。当然そこには日本及び日本人による朝鮮及び朝鮮人に対する行動と精神に対する侵害が生じる。行動と精神に対する侵害とは彼らの精神の自由、行動の自由、尊厳を奪い、歪めることに他ならない。〉のだから、「改名しない者には公的機関に採用しない、食糧配給から除外するなどの圧力」を以てして初めて可能となる創氏改名であったことは容易に想像し得る。

 朝鮮全土に拡大し、日本軍に武力鎮圧され、死者7500人、負傷者4万5千人、検挙者4万6千人を出した抗日運動「三・一独立運動」は日本の植民地時代の1919年に発生している。いわば激烈な反日感情が朝鮮全土に噴き荒れていた。創氏改名を強制した1939(昭和14)11月の朝鮮民事令改正に遡ること20年前であったとしても、激烈な反日感情が収まっていたとでも言うのだろうか。

 さらに言うなら、抗日運動「三・一独立運動」から4年後の1923年〈大正12年〉)9月1日の関東大震災では、1日夕刻から、「朝鮮人投毒・放火」等の流言が広まり、自警団・軍隊・警察などによって数千人の朝鮮人が虐殺されている。

 この日本人の朝鮮人に対する人種差別は戦後まで続き、今なお少なからず残っている。

 以上の況からは特に戦時中の朝鮮半島に於いて日本人と朝鮮人との間の双方向からの親和性は、日本の植民地権力に取り入る朝鮮人以外どこにも認めることはできないはずだ。

 だが、中山成彬はこの非親和性を否定して、「当時の朝鮮の道議会選挙、当選者の8割以上の人が朝鮮人。忠清南道の知事は初代、6代、8代、9代、10代、昭和20年に至るまで全部朝鮮人」云々とさも日本人と朝鮮人が親和性を持った一致協力する信頼関係にあったかのように言っているが、ナチス・ドイツは1940年フランスに侵攻、フランス人の軍人・政治家のフィリップ・ペタンを主席とするヴィシー傀儡政権を樹立、ヴィシー政権はユダヤ人迫害法を成立させ、ユダヤ人を迫害までしている。

 一方で植民地体制に頑強に抵抗する者が存在するのに対して他方に於いて植民地権力体制への協力者は存在する。両方の観点からではなく、協力者のみを取り上げて、日本の朝鮮に対する支配を正当化することはできない。

 また、上記当ブログにも書いているが、《朝鮮人 強制連行示す公文書 外務省外交史料館「目に余るものある」》朝日新聞/1998年2月28日)に、内務省嘱託員が朝鮮半島内の食料や労務の供出状況について調査を命じられ、1944年7月31日付で内務省管理局に「復命書」を報告している。そこには日本に動員(=強制連行)された朝鮮人の留守宅の生活状況について次のように書いてあると解説している。

 〈動員された朝鮮人の家庭について「実に惨憺(さんたん)たる目に余るものがあるといっても過言ではない」と述べ、動員の方法に関しては、事前に知らせると逃亡してしまうため、「夜襲、誘出、その他各種の方策を講じて人質的掠奪(りゃくだつ)拉致の事例が多くなる」と分析。朝鮮人の民情に悪影響を及ぼし家計収入がなくなる家が続出した、などの実情を訴えている。また、留守家族の様子について、突然の死因不明の死亡電報が来て「家庭に対して言う言葉を知らないほど気の毒な状態」と記している。〉――

 中山は「京城に地下鉄という新聞記事」、「日本が韓国の近代化にいかに熱心だったかが分かる」と言っているが、北朝鮮の3代に亘る金独裁体制が体制協力者を特別市民・選民として首都平壌の特別地域に住まわせて金銭的・経済的恩恵を与える一方で、大多数の国民が飢え、飢餓状態となっている状況と同じで、京城を近代化させたとする一方だけを取り上げて日本の偉業だとする認識能力に合理性を認めることはできない。

 また中山成彬は「1951年、マッカーサーは米国議会の上院の軍事外交委員会で、『日本は米国によって閉じ込められ、資源供給の道を断たれた。日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障の必要に迫られてのことだった』と明確に、侵略戦争を否定している」と言っているが、朝鮮戦争で中国軍が参戦、アメリカ軍を主導とした国連派遣軍の最高司令官を兼務していたマッカーサーは中国共産党軍集結の満州への原爆投下、その他の軍事作戦を当時のトルーマン大統領に進言、だが、受入れられず、逆に解任された。

 この解任を受けて、多くの日本人が涙し、日本を去ることを惜しんだ。帰国すべく東京国際空港へ向う沿道に20万人の日本人が詰め掛けたと言われている。

 このような日本人の反応はマッカーサーの占領政策成功の証明以外何ものでもなかったはずだ。当然、その大成功はマカーサーにとっての栄光であり、勲章となる。 

 朝鮮戦争に於ける勲章の可能性を奪った時の政権と勲章を証明し、栄光と勲章を与えた日本及日本人を対比させたとき、日本の戦争がどのような戦争であったか証言を求められた上院の軍事外交委員会で果たして日本の戦争を否定できただろうか。

 いわばアメリカに対して恨みつらみはなかったのかということである。

 もし日本の戦争を言われているとおりに侵略戦争を起こし、非人道的な戦争行為を繰り広げたと否定的に価値付けたなら、日本人自身をも否定的に価値づけることになって、そういった日本人ということで、マッカーサーに対する価値付けも疑われ、自身の栄光と勲章を自ら否定することに跳ね返ってくる。

 マッカーサーの当時の心情を考えたとき、素直には受け取ることはできない証言としか言いようがない。

 中山成彬は「我が国の子供たちは日本の歴史・文化・伝統を知らない」と言っているが、この言葉をそのまま中山成彬に返さなければならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三は河野談話は「孫の代までの不名誉」だと国の姿・形を言いながら、政治問題化を恐れる小心さ

2013-03-09 11:06:40 | Weblog

 安倍晋三のその国家主義的歴史認識が国会で追及に遭遇している。但し首相に就任前は威勢いい自らの歴史認識をご披露に及んでいたが、国会では終始一貫、「いたずらに外交問題、政治問題にするべきではない」とか、「政治問題化、外交問題化をしていくことを配慮していくべきだ」とか言って、打って変わって頑なに口を噤んで自らの主張に臭い物に蓋をしている。

 昨日、3月8日(2013年)の衆院予算委でも辻元清美が歴史認識で追及していた。

 辻元清美「(安倍首相は)いたずらに政治問題化、外交問題化させるべきではないとおっしゃった。選挙中になぜこの問題が取り上げられることになったかというと、慰安婦の問題で直接・間接に日本が関与したことを認め、お詫びと反省を表明した、1993年の河野談話を見直すという趣旨の発言を繰返されたことから端を発している。

 総理がおっしゃる外交問題、どこの国とどういう問題になるんでしょうか」

 安倍晋三「どこの国とどういう問題になるということを総理大臣の私が申し述べることが外交問題ですか(笑いを漏らしながら)、繋がって参りますので、それは答弁は控えさせて頂きます」

 同じ答弁で逃げてばかりいるから、自分でも呆れてつい笑いを漏らしてしまったのだろう。だが、この心理の裏には同じ答弁で逃げることを決めている決意の強さを窺うことができる。

 とすると、河野談話や従軍慰安婦問題等の歴史認識に関わる追及は政治問題化・外交問題化を避けるとする安倍晋三の論理自体を打ち破る必要がある。

 だが、辻元清美はそうする意図は頭になかったようだ。

 1993年の《河野談話》(外務省HP)が「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と日本軍の強制性を認めていたことに対して辻元清美の2007年3月の安倍第1次内閣に対する質問主意書の答弁書が、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と強制性を否定していて、これが閣議決定された答弁書であることから、例え河野談話が閣議決定されたものではなくても、歴代内閣が河野談話を踏襲していくとしたことと矛盾しないかといった趣旨の追及を行ったことに対して、安倍晋三は次のように答弁している。   

 安倍晋三「矛盾はしておりません。なぜ矛盾していないかということについて、お話させて頂きたいと思いますが、それはいわば、歴代の内閣に於いて答弁してきた。

 あなたは今、たまたま質問したことについて閣議決定した。つまり、質問主意書って出されたのは重たいんですよ。閣議決定しますから。閣議決定。全員の閣僚の、いわば花押を押すという閣議決定なんです。

 今、そこでです、その重たい閣議決定をしたのは初めて。その重さの中で、では果たして、そうしたファクトについて、どうなったかということについては、様々な資料がございます。そういうことについて、むしろその場でですね、え、外交問題に発展するかも知れないという場に於いて、ここで議論するよりも、静かな場に於いて、ちゃんと見識を持った、専門家同士がちゃんと議論すべきだろうと、いうのが私の考え方であります。

 つまり、何の、私は矛盾していないということは、はっきりと申し上げて、お・き・た・い・と・お・も・い・ま・す」

 最後は小馬鹿にするように一語一語区切って、席に就いた。要するに閣議決定した内容だから重たいことを以って、矛盾していない理由とする矛盾を犯している。

 この程度の認識能力だということなのだろう。

 閣議決定されていなくても、一方に於いて日本軍の強制性を認めた河野談話が罷り通っていて、その一方でその強制性を否定した安倍内閣閣議決定が罷り通っていることの矛盾は打ち消し難く存在する。

 一つの事実に統一すべきであって、それが「静かな場に於いて、ちゃんと見識を持った、専門家同士がちゃんと議論」することが望ましいというなら、審議会なりを設けて決着をつけるべきが、河野談話の強制性を否定した者の果たすべき責任であるはずだ。 

 その責任は政治問題化・外交問題化を避けるという姿勢の一貫性を矛盾なく貫く責任よりも重たいはずだ。

 政治問題化・外交問題化を避けるとする安倍晋三の論理を打ち破るカギが2月7日(2013年)衆議院予算委員会での前原誠司の質問と安倍晋三の答弁の中に見い出すことができる。

 前原誠司「去年の9月12日、自民党総裁選挙立候補表明。強制性があったという誤解を解くべく、新たな談話を出す必要があると御自身がおっしゃっている。菅さんがおっしゃっているんじゃない、御自身が総裁選挙でおっしゃっている。総裁になれば政権交代で総理になる、そういう心構えで総裁選挙に出た総理がおっしゃっている、御自身が。

 そして、討論会、9月16日。『河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている、安倍政権のときに強制性はなかったという閣議決定をしたが、多くの人たちは知らない、河野談話を修正したことをもう一度確定する必要がある、孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない』。総裁選挙の討論会でおっしゃっている。これは御自身の発言ですよね。

 安倍晋三ただいま前原議員が紹介された発言は全て私の発言であります。そして、今の立場として、私は日本国の総理大臣であります。私の発言そのものが、事実とは別の観点から政治問題化、外交問題化をしていくということも当然配慮していくべきだろうと思います。それが国家を担う者の責任なんだろうと私は思います。

 一方、歴史において、事実、ファクトというものがあります。ファクトについては、これはやはり学者がしっかりと検討していくものであろう、こう申し上げているわけであります。

 そして、その中におきまして、例として挙げられました、辻元議員の質問主意書に対して当時の安倍内閣において閣議決定をしたものについては、裏づけとなるものはなかったということであります。いわば強制連行の裏づけとなるものはなかった。でも、残念ながら、この閣議決定をしたこと自体を多くの方々は御存じないんだろう、このように思います。

 ですから、そのことも踏まえて、いわば歴史家がこれを踏まえてどう判断をしていくかということは、私は必要なことではないだろうか、こう思うわけであります。

 しかし、それを総理大臣である私自身がこれ以上踏み込んでいくことは、外交問題、政治問題に発展をしていくだろう。だからこそ、官房長官が、もう既に記者会見等で述べておりますが、歴史家、専門家等の話を聞いてみよう、こういうことであります。私は、これが常識的なとるべき道であろう、このように考えております」――

 外交問題化・政治問題化回避の姿勢の一貫性はいずれの国会答弁に於いても同じであるし、「ファクト」(=事実)については学者に任せるべきだとする主張も同じである。

 だが、ここでは強制性を否定した閣議決定により、「河野談話を修正した」としている。但し、「多くの人たちは知らない」から、「もう一度確定する必要がある」と発言したのは事実だと。

 さらに強制性がないにも関わらず、強制性があったとする「河野洋平官房長官談話によって、強制的に軍が家に入り込み女性を人さらいのように連れていって慰安婦にしたという不名誉を日本は背負っている」と言い、「孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」とまで言っている。

 河野談話を「不名誉」と価値づけたことは、閣議決定により強制性がなかったことを事実としたという意味となる。

 事実としていなければ、「不名誉」と断定することはできない。いわば閣議決定の時点で、強制性はなかったことを事実としたのである。

 安倍晋三の言葉を使うと、強制性はなかったことをファクトとしたのである。

 強制性がなかったことを自ら事実(=フェクト)としたなら、何も専門家だ、学者だを集めて、検討する必要はない。世界に向けて河野談話を否定し、自らの閣議決定を以って新たな談話とすればいい。

 また、「孫の代までこの不名誉を背負わせるわけにはいかない」は河野談話に関わるあるべき国の姿・国の形を語ったことになる。

 「この不名誉」が続く限り、安倍晋三が掲げる「美しい国」は訪れないというわけである。いわば河野談話否定を「美しい国」の要件の一つとするあるべき国の姿・国の形を語った。

 野田前首相にしても首相時代、消費税を増税し、それを社会保障費使途として財政健全化を図ろうとすべく、「将来世代に負担を残すのではなくて、今を生きる世代が連帯して負担を分かち合うという理念」(首相就任記者会見/2011年9月2日))を持ち出しことも、あるべき国の姿・国の形を語ったことになるはずだ。

 だが、野田首相は消費税増税法案を通すために自公に対して解散を交換条件とし、結果、政権まで失うことになった。

 安倍晋三にしても、河野談話を孫の代まで残さないことを名誉ある国の姿・形だと発言した以上、政治問題化・外交問題化を恐れずに、あるいは政治問題化・外交問題化することに用心することなく大胆に河野談話の抹消に動き、従軍慰安婦の日本軍による強制性はなかったとするファクト(=事実)を日本政府の公式見解として打ち立てるべきであり、その責任を負っているはずだ。

 だが、政治問題化・外交問題化を恐れて、自らの信念に従って直接行動することを用心深く避ける小心さを見せている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田毅自民は3/7衆院予算委で「主権回復の日」よりも戦争総括を優先すべきを意味不明な発言に終始していた

2013-03-08 11:56:22 | Weblog

 3月7日衆院予算委質疑。質問に立った野田毅自民党議員は日本が太平洋戦争敗北のツケ、非人道的戦争行為のツケとして支払わされた占領がサンフランシスコ平和条約によって終止符を打ち、主権が回復した1952年の4月8日を「主権回復の日」として政府主催の式典を開催してもらいたいと安倍国家主義者に要望、安倍国家主義者は国家主義者の主義主張からいって断るわけもなく、実施する方向で検討していると答弁。

 何を言っているんだ、「主権回復の日」よりも戦争総括が先ではないかと内心罵りながら質疑を聞いていると、ドイツの総括を持ち出したから、日本の戦争総括を求めるのかと思ったら、求めないまま、「主権回復の日」の政府主催式典だけを求める訳の分からない意味不明な展開で終わった。

 安倍首相も国家主義者らしく「総括」の「ソ」の字も口にしない。

 国家主義者というのは殆どがその思想の根拠を自国家優越主義に置いている。勿論、自国家優越主義は自国民族優越主義をイコールとして成り立つ。国民が優秀ではなく、国家だけが優秀というのは二律背反そのものとなる。

 下手に戦争総括をして日本国家=日本民族が優越的でも何でもない正体を曝した場合、根拠とする思想が崩れて、国家主義者としての自身の立脚点が崩れる恐れが生じる。

 そういったプロセスを認め難い忌避反応が日本の保守政治家が戦後一貫して戦争総括をスケジュール表に置かなかった理由に違いない。

 安倍晋三もその一人だということである。

 現在、日本国家優越主義=日本民族優越主義を証明する唯一の縁(よすが)が靖国神社であろう。安倍晋三は靖国神社に祀っている第2次世界大戦の日本軍兵士を「国のために命を捧げた英霊」と価値づけることで、日本軍兵士に代表させた日本人を優れた存在とすることができるだけではなく、その優越性は命を捧げた対象としての日本国家に反映可能となって、日本国家をも優越性を纏わせ可能となり、日本国家優越主義=日本民族優越主義が完成する。

 では、昨日(3月7日の衆院予算委野田毅と安倍晋三の「主権回復の日」に関係する質疑を見てみる。

 【衆院予算委】2013年3月7日野田毅対安倍晋三

 野田毅「主権回復記念日、昨年の総選挙の際、Jファイル、我が党の公約集の中に4月28日を主権回復の日として祝う式典を政府主催で開催します、と、こう明記してある。約束したことは必ず守る安倍内閣の基本方針でございます。

 そこで善は急げということもございます。是非、今年の4月28日はちょうど連休前でもございますし、日曜日でもございます。大分時間的には切迫していますものの、どうぞ、今年の4月におやり頂くことができますように、先ずは宜しくお願いを申し上げたいと思います。如何でしょうか」

 安倍晋三「1952年、4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効致しました。7年に亘る長い占領期間を終えて、我が国は主権を完全に回復を致しました。

 つまり独立を手に入れたわけでございます。既に60年を経ているわけですね。むしろ若い方々の中には我々はかつて主権を失っていた、7年という長い占領期間があったんだということも、知らない人立ちも増えているわけでございまして、そんな中で、ご存知のように憲法、あるいは教育基本法といっった、日本を形作るそうしたものも、その期間に出来たわけでございますが、この、いわば4月28日、60年前の4月28日に独立をした。

 このことを認識をする。そして新しい歩みがそこから始まったんだということを認識をする。いわば節目の日でもあるわけですが、この節目を記念し、我が国による国際社会の平和と繁栄の責任ある貢献の意義を確認すると共にこれまでの経験と教訓を生かし、我が未来を切り拓く決意を確固としたものとするために、本年の4月28日に政府主催の記念式典を実施する方向で検討しております。
 
 ちょうど連休に入るわけでございますが、実施するということになりましたなら、どうか奮(ふる)って、議員の皆様にもご参加を頂きたいと、このように思う次第であります」

 野田毅、最初に議席を戴いたのは沖縄返還の年だとか、私にしたらどうでもいいことを一くさりしてから。

 野田毅「この国の形を考える上で二つのポイントがある。一つは終戦記念日なんです。8月15日、これはある意味ではお盆のときと重なって、戦没者の慰霊、英霊を顕彰する。感謝をする。と同時に平和を祈る。

 大事なことでございますが、同時に残念ながら、ポツダム宣言の受諾をした日でもありまして、言うなら日本自らの主権を残念ながら行使できない形になることを受け入れた、ということであります。

 爾来占領が開始されまして、日本は国の形としては独立国ではなくなりました。

 そしてもう一つは、その主権を回復した日がおっしゃるとおり、昭和27年の4月28日でございました。ある意味では主権をなくした日、そして同時に主権を回復した日、ある意味では国の形としては、二つの不連続点がある。

 これをですね、セットにして、改めて日本人がそのことに思いを致して、そして外国から総括されるのではなく、日本人自らがこのことに思いを致して、なぜ主権を喪失するに至ったのか、あるいはその時代、占領下のあるときにはどういう政治が行われていたのか、そして、主権を回復して独立こということを取り戻した暁にはどういう心構えで日本の政治、国の形はあるべきなのかということを、改めて、しっかりと、自らの考えをお互いが右左を超えて、考えをもう一遍冷静にしていくことも大事なことではないのか。

 特にドイツは敗戦のときに統治機構が崩壊をしました、ですから、占領軍の直接統治形になりました。それが解除されたあとは、ドイツは全国民が総括をした上で、戦後の独立国としての歩みを、立ち位置を定めて今日に来ていると思いますけれども、日本はある意味では間接統治をやったものですから、多くの国民の中には占領下にあったということさえ、もう皮膚感覚になくなってきていて、それを削って、ある意味では自虐的な史観になってみたり、ある意味ではそれに対する、反動する思いもあって、国論がなかなか、そいういう形で総括する形に至っていない。

 だが、総括して戦争の実態とその責任を自らに引き受けなかった。健忘症が幸いして、忘れることになったのだろう。)

 そろそろもう60年以上経って、今ここでですね、そういったことに思いを致していくということが、結果として、私も長年、日中関係の仕事を致しておりますけれど、そのことが却って近隣諸国との冷静な、お互いの関係、アメリカを含めて日本のこれから先の展望を考えた場合に大事なことではないか。

 まあ、そんな思いを持って、今日まで参りました。今回ようやくその思いが、総理のお陰で前進しようという運びになっております。私は是非ですね、心を込めて、その方針を全面的にバックアップしたい。むしろお願いしたい。そういう思いでおります。

 このことを冒頭私から申し上げるところでございまして、総理、もしこのことについて感想があればなければいいんですが、あれば、どうぞお願いをします」

 安倍晋三「この主権回復の日につきましては、えー、野田議員は長年に亘ってずうっと、この問題、議連をつくって進められて来られましたとに改めて敬意を評したいと、こう思う次第でございます。

 これはまさに委員がご指摘されたように特定の思想、これ、立脚するものではなくて、いわば日本がかつて主権を失っていたという事実、そして、えー、1952年4月28日から新しい歩みが始まったんだという事実を捉えてですね、主権を失うということはどういうことなのだ、あるいはまた主権を回復して独立したということはどういうことなんだ、国際社会に復帰したということはどういうことなんだということを、もう一度思い直す日に、まさに日になるんだろうと、思います。

 そういう意味に於きましては、若い人たち、子どもたちにとっても極めて有意義な日になる日にしていきたいと、このように思います」

 野田毅「ありがとうございました」

 公共事業の話に移っていく。

 野田毅は狡猾にも、「ある意味では主権をなくした日、そして同時に主権を回復した日、ある意味では国の形としては、二つの不連続点がある」と言っている。国の形としては異なっていたとしても、原因と結果の連続線をなしていたのであり、連続線の意識のもと、占領という統治を経験していったはずだ。

 いわば原因に対して支払わなければならない結果として連続させていた。

 このことは反占領闘争が存在しなかったことが証明しているし、朝鮮戦争のさ中の1951年4月、日本占領連合国軍最高司令官のマッカーサーが解任されて帰国すべく東京国際空港へ向う沿道に20万人の日本人が詰め掛け、帰国を伝えるラジオ放送に多くの国民が涙したということだが、このことも証明する連続性であったはずだ。

 大多数の日本国民にとって戦前の軍国主義国家日本に対比させて、占領日本国家は歓迎すべき国家だった。

 問題は次の件(くだり)である。

 「外国から総括されるのではなく、日本人自らがこのことに思いを致して」と言い、ドイツが戦争総括の上に戦後の独立国家の歩みを開始したことを言い、そのようなドイツに反して日本では「総括する形に至っていない」と言っている。

 当然、次は戦争総括の必要性を結論とする文脈が続くことになる。

 「そろそろもう60年以上経って、今ここでですね、そういったことに思いを致していくということが、結果として、私も長年、日中関係の仕事を致しておりますけれど、そのことが却って近隣諸国との冷静な、お互いの関係、アメリカを含めて日本のこれから先の展望を考えた場合に大事なことではないか」――

 だが、この件(くだり)は戦争総括の必要性を再度訴えたもので、必要性の結論とはなっていない。結論は次の件(くだり)である。

 「まあ、そんな思い(この「思い」は戦争総括の思いでなければ前後の整合性を持ち得ない。)を持って、今日まで参りました。今回ようやくその思いが、総理のお陰で前進しようという運びになっております。私は是非ですね、心を込めて、その方針を全面的にバックアップしたい。むしろお願いしたい。そういう思いでおります」云々。

 直訳すると野田毅の戦争総括が必要だとする思いが「今回ようやく」「総理のお陰で前進しようという運びになっております」となる。

 だが、「総理のお陰で前進」は「主権回復の日」の開催を指すはずである。

 要するに野田毅の戦争総括の必要性の思いを安倍晋三が受け止めて、戦争総括を「前進しようという運びになっております」という文脈にならなければならないはずだが、国家主義者の安倍晋三が日本の国の負の歴史を暴いて、日本国家優越主義=日本民族優越主義のメッキを剥がすことになる戦争総括など受け止めるはずもないことだが、野田毅は「そういったことに思いを致していくということが」と言って戦争総括の必要性を前置きとしながら、「主権回復の日」が「総理のお陰で前進しようという運びになっております」を結論に持ってきて感謝する、言葉の起承転結を破った意味不明の矛盾を平気で展開したのである。

 結論が戦争総括の必要性と違えていることは安倍晋三の答弁を聞けば理解できる。「総括」という言葉を一言も使わず、愚かしい戦争を原因として国家運営を占領軍に依存することになった恥ずべき占領を結果とした因果関係、その連続性に触れもせずに、単に主権を失ったという事実、主権を回復して独立したという事実を内容を問わずに表面的・無機的に把えて、「主権回復の日」を有意義な日にしたいとのみ片付けている。

 このように戦争と占領を連続性として把えずに占領と主権回復、独立のみを言うのは、そこに日本国家の正当性を置いているからだろう。

 日本国家の正当性をそこに置くためには国家の無謬性を前提としなければならない。日本の戦前の戦争は侵略戦争ではなかった、民族自存自衛の戦争であったとする無謬性である。

 侵略という愚かしい戦争の結果だとしたなら、日本国家の正当性・日本国家優越主義を自ら剥がすことになる。

 国家主義者として当然の「主権回復の日」である。

 一度は戦争総括の必要性を言いながら、安倍晋三の答弁に対して満足したのだろう、野田毅は「ありがとうございました」と感謝で応えている。

 この安倍晋三と野田、それ以下が熱心な「主権回復の日」に沖縄から反発が出ていると、《首相肝いり「主権回復の日」に沖縄反発 「屈辱の日だ」》asahi.com/b>/2013年3月8日2時33分)が伝えている。


 〈「主権回復の日」として4月28日を祝う記念式典を開く意向を示した安倍晋三首相に、沖縄から反発の声が出ている。サンフランシスコ平和条約が発効した61年前のこの日、沖縄は日本から切り離され米統治下に置かれることが決まった。沖縄では「屈辱の日」と呼ばれてきた。 〉――

 〈沖縄社会大衆党の委員長だった瑞慶覧(ずけらん)長方さん(80)は、1972年の本土復帰まで、4月28日になると復帰を求める集会や行進に加わってきた。沖縄は、本土が主権回復のために米国に差し出した「質草」だった、とみる。「いまも米軍基地は残ったまま。質草から脱していない沖縄を放っておいて式典とは、ばかにするにもほどがある」〉――

 国家主義者の安倍晋三にしたら、日本国家が優越国家であり、その無謬性こそが守るべき最重要なことで、個々の矛盾や被害は問題としないのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三、日韓関係で「未来志向、未来志向」と囀ってばかりいればいいというものではない

2013-03-07 10:03:17 | Weblog

 安倍首相が3月6日(2013年)朴槿恵(パク・クネ)韓国大統領に電話し、会談した。日本側からの呼びかけで午後6時前から15分間だそうだ。《首相 韓国大統領と電話で会談》NHK NEWS WEB/2013年3月6日 21時12分)

 安倍首相「日韓両国は、自由や民主主義それに法の支配など普遍的な価値を共有し、大きな責任と利益を分かち合う最も重要な隣国どうしだ。

 困難な問題もあるが、両国で新政権が成立した機会を生かして大局的な観点から21世紀にふさわしい未来志向の関係を発展させるため、これから緊密に協力したい」

 朴槿恵(パク・クネ)大統領「両国は東アジア地域での重要なパートナーであり、未来志向の協力関係を築いていきたい。そのためにも歴史認識が重要だ」

 安倍首相は「困難な問題もあるが」と前置きして、いわばそれを乗り越えてという意味なのだろう、「未来志向の関係」を構築・発展させたいと申し入れた。

 対して朴槿恵(パク・クネ)大統領は「未来志向の協力関係」を構築するには「歴史認識が重要だ」と、このことを前提条件とした。

 要するに安倍首相は歴史認識を前提条件に置かずに未来志向の関係構築に重点を置き、朴槿恵(パク・クネ)大統領は歴史認識を重点に置いた未来志向の姿勢を取った。歴史認識の問題がクリアされなければ、未来志向の関係構築は難しいと言ったのと同じであろう。

 安倍首相が電話して相手の言葉を待つまでもなく、朴槿恵(パク・クネ)大統領は2月25日(2013年)朴槿恵(パク・クネ)大統領の就任式に出席した麻生副総理と会談、同じ趣旨の発言をしているから、予想はできたはずだ。

 韓国大統領府関係者による発言内容。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領「隣国として両国が真の友好関係を築くためには、歴史を直視し、過去の傷がこれ以上悪化せず、癒やされるよう努力し、被害者の苦痛に対する心からの理解が必要だ。

 両国の指導者らが慎重な言葉と行動を通し、信頼を築いていくことが重要だ。これからの世代が未来に向かって進んでいけるよう、今の世代がより努力しなければならない」――

 記事は、〈日本側は、会談でパク新大統領から「歴史認識が重要だ」という発言があったと説明していましたが、韓国側によれば、より厳しい表現が使われていたことになり、双方の微妙な温度差が示されたといえます。〉と解説している。

 次の記事が会談後の麻生発言と外務省の会談内容の説明が載っている。《韓国新大統領:麻生副総理と会談 未来志向で緊密協力》毎日jp/2013年02月25日 23時41分)

 麻生副総裁(ソウルで)「(歴史認識などで)互いの立場を理解することが大事だ。未来志向で行かなければならないのははっきりしており、政治家として努力しなければならない」
 
 「未来志向で行かなければならないのははっきりしており」と、さも相手も未来志向に重点を置いていたかのようなニュアンスで双方の意見が一致したと見せる発言を行なっている。

 だとすると、朴槿恵(パク・クネ)大統領は歴史認識よりも未来志向をより重視したことになり、麻生の「(歴史認識などで)互いの立場を理解することが大事だ」は単に相手に敬意を評した形式的な言葉に過ぎないことになる。

 外務省関係者(日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題は双方が言及しなかったが)「未来志向の協力のためにも歴史認識が重要だ(と、言った。)」

 記事は、〈釘を刺した〉となっている。

 外務省の説明は歴史認識に重点を置いているが、麻生太郎が紹介している朴槿恵(パク・クネ)大統領の発言は上記「NHK NEWS WEB」記事が伝えている大統領の発言が意図しているところとは攻守を替えた、歴史認識よりも未来志向により重点を置いていることから解釈できる事実は(あくまでも解釈した事実だが、)麻生太郎は朴槿恵(パク・クネ)大統領の発言の厳しさを隠し、和らげて公表する情報操作を行ったことになる。

 歴史認識よりも未来志向により重点を置いていたとした方が日本側には都合がいいことだけは確かである。

 さらに朴槿恵(パク・クネ)大統領は就任式の2月25日(2013年)から4日後の3月1日の日本の植民地時代の1919年に発生、朝鮮全土に拡大し、日本に武力鎮圧され、死者7500人、負傷者4万5千人、検挙者4万6千人を出した抗日運動「三・一独立運動」の記念式典で次のように演説している。

 朴槿恵(パク・クネ)大統領「日本政府は積極的な変化と責任ある行動をしなければならない。

 加害者と被害者という歴史的な立場は千年の歴史が流れても変わらない。両国の未来世代にまで歴史の重い荷物を持たせてはいけない」(日経電子版
 
 歴史認識問題で日本側に対して一貫した姿勢を見せていることが理解できる。

 韓国側が日韓の未来志向の関係構築に歴史認識を前提条件としている以上、安倍首相にしても2月22日「竹島の日」を政府主催の式典開催とすることを公約としたことと、河野談話見直しを策していることなどの歴史認識問題をどういう正当性を持たせて未来志向の関係構築の要件とするのか、その判斷を創造する責任と創造した判斷を国民に説明する責任を負ったことになるはずだ。

 そのような責任を果たした上で、その判断に関わる韓国側の納得を得る責任があとからついてくる。

 ただ単に「未来志向、未来志向」と囀っただけで韓国側が納得するわけはなく、囀っていればいいというものではないからだ。

 頭のいい安倍晋三のことだから、このことは十分に認識していると思う。日本にとって都合のいい、「未来志向、未来志向」と囀ってばかりいればいいというものではないと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍政権は豪雪地域になぜ自衛隊を派遣しないのだろうか

2013-03-06 08:45:15 | Weblog

 既に自衛隊を派遣しているとなると、要らぬ心配となる。だが、自衛隊を派遣していると報道している記事が見当たらない。防衛省のHPには2012年1月の北海道岩見沢市等への除雪支援の災害派遣が最後となっていて、今年の派遣に関わる記述は見当たらない。 

 勿論、自衛隊の災害派遣は都道府県知事の要請に従う。今冬、豪雪に見舞われている地域の知事は自衛隊に派遣要請する程の災害と見ていないということなのだろうか。

 だとしても、雪の被害で多くの死者を出している。3月4日付の「毎日jp」記事は、総務省消防庁の今冬の雪の被害で3月4日午前7時までに89人が亡くなったとする発表を伝えている。内69人が雪下ろし中の屋根から転落、あるいは除雪作業中の転倒のケース。全体の6割に当たる53人が65歳以上の高齢者。

 都道府県別死者は北海道最多の29人、秋田県16人、青森県15人、山形県10人などだそうで、重傷者519人。

 これだけ多くの死者を出しているのだから、雪下ろし、その他の除雪に自衛隊を派遣してもよさそうなものだと思ったが、そう思うのは素人考えに過ぎないのだろうか。突出して一地域に集中しているわけではなく、4地域分散の平均で計算すると、災害派遣要請基準に入らないということなのだろうか。

 但し安倍首相は豪雪対策を古屋防災担当相に電話で指示している。3月2日夕方、山梨県鳴沢村河口湖近くの別荘を訪問。翌3日はゴルフの予定。大雪の情報に接したのだろう、3日午前、被害状況の確認、除雪の徹底、ライフライン確保と交通網の復旧への尽力等が指示内容らしい。

 そして別荘から戻ると、3月4日朝、関係閣僚会議を開いて、古屋防災担当相に指示したのと同じ内容の指示を行なっている。《北海道の雪被害 首相「除雪や復旧に全力を」》NHK NEWS WEB/2013年3月4日 11時55分)

 安倍首相「大雪により大きな被害が生じており、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げます」

 その上、〈現地の被害状況を詳細に把握するため、防災を担当する亀岡内閣府政務官と木村総理大臣補佐官を4日、北海道に派遣することを決め〉たという。

 現地被害状況把握にわざわざ東京から内閣の人間を派遣する必要があるのだろうか。国交省の出先機関が各地に存在するし、都道府県庁の役人に調査させてもいいわけである。

 いや、調査する前に管轄内全域に亘って既に降雪状況・被害状況を把握しているはずだし、把握していなければならないはずだ。

 いわばインターネットやファクスを通じた問い合わせ一つで、各地の被害状況は把握できるはずだ。

 自治体が何ら調査していない、情報は何ら把握していないとうことなら話は別だが、そんなことはないだろう。

 例え過剰反応に終わったとしても、手遅れにならないための早手回しの危機管理から、自衛隊を派遣して除雪だけでも担当させ、併行させて状況把握に努めてもいいわけである。
 
 どうも安倍首相のこれまでの危機管理を見ていると、アルジェリアの邦人人質事件でもそうだが、中国艦船からの自衛隊艦船に対するレーダー照射事案でも、しっかりやっていますという姿勢を見せるためのアリバイ作りに思えて仕方がない。

 なぜ自衛隊を派遣しないのか、何よりも奇異に感じたのは昨日の以下の記事に触れた時だった。《国交相 公共工事中止し除雪も》NHK NEWS WEB/2013年3月5日 14時35分)

 北海道で9人が死亡するなど暴風雪による被害が相次いだことを受けた太田国交相の閣議後の会見発言だそうだ。

 太田国交相「記録的な大雪で除雪の予算を確保できるのか心配している自治体も多いが、緊急事態であり除雪にかかる費用は国としてもしっかり支援するので除雪を急いでほしい。

 除雪にかかる人手確保のため、国の直轄の公共工事を進めているところは工事を止めて、除雪に対応できるよう力を注ぎたい」――

 除雪の不足費用は国が支援することと、人手不足は国直轄の公共事業従事作業員を回すと言っている。

 だが、この二項目は自衛隊を派遣することで同時に補うことができるはずだ。派遣自衛隊員に対しては派遣手当等の支出が必要となるかもしれないが、基本給は関係しないことに対してわざわざ工事を止めて完成を先延ばした場合の作業員の報酬、その他は工事が伸びた分、基本給がまるまるかかることを差引計算すると、自衛隊派遣の方が国の支出は少なく済むはずだ。

 尤も自衛隊員の方が3倍、4倍(2倍では完成が伸びた分で差引ゼロになってしまう)と高額を得ているなら、土木作業員をコキ使った方が安く上がる。

 そういった魂胆なのだろうか。

 さらに自衛隊派遣のメリットは災害派遣を担当する陸上自衛隊の施設隊はインターネットで調べたところ、北海道に複数個所、青森、秋田、福島、山形といった豪雪地域の近く駐屯地を構えていることと、除雪に必要な、雪を押していき山にするブルドーザーや雪を1トン2トンと大量に掬ってダンプに積み込んだり、一定個所に山にしたりする大型のショベルローダー等の重機やダンプを備えていることである。

 住民任せの除雪、あるいは過疎・高齢化地域の除雪は役所の職員を狩り出しているところもあるらしいが、そういった除雪よりも機動的に作業を行うことができるはずだ。

 自治体の長の派遣要請を待たずに官邸の方から、必要ならいつでも派遣すると申し出てもいいと思うが、どうだろうか。

 気温が高くなってきて、屋根からの雪の雪崩、山の斜面や壁面からの道路への雪崩の注意を呼びかけている。除雪を手っ取り早く行ってライフラインを確保する危機管理からも、これ以上雪害からの死者を出さない危機管理からも、自衛隊の早急な派遣が必要だと思うが、やはり要らぬ心配なのだろうか。

 多分安倍晋三に任せておけば、地域のこういった危機管理も大丈夫なのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の従軍慰安婦を「人攫いのように人の家に入っていって攫ってきた」の証拠はないを考える

2013-03-05 13:40:59 | Weblog

 今国会で安倍首相の河野談話や靖国神社参拝の取り扱いに対する質問が行われている。河野談話を否定する立場を取っていること、靖国参拝に関しては「第1次安倍内閣のとき、靖国参拝をしなかったのは痛恨の極みだった」と何度となく悔しがって見せていたことを追及して、もし矛盾した発言をするようなら、その有言不実行性を炙り出し、国民の目に曝そうという魂胆なのだろう。

 だが、矛盾した答弁をしていながら、今のところその有言不実行性を炙り出すことができていない。

 このブログ記事では河野談話が日本軍による強制性があったとして謝罪していることを否定している安倍晋三の従軍慰安婦観を取り上げる。

 2月7日(2013年)衆議院予算委員会。質問者である前原誠司民主党議員に対する答弁。

 安倍晋三「整理をいたしますと、まずは、先の第一次安倍内閣のときにおいて、(辻元清美による安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する)質問主意書に対して答弁書を出しています。これは安倍内閣として閣議決定したものですね。つまりそれは、強制連行を示す証拠はなかったということです。つまり、人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったということは、それを示すものはなかったということを明らかにしたわけであります。

 しかし、それまでは、そうだったと言われていたわけですよ。そうだったと言われていたものを、それを示す証拠はなかったということを、安倍内閣に於いてこれは明らかにしたんです。しかし、それはなかなか、多くの人たちはその認識を共有していませんね。

 ただ、勿論、私が言おうとしていることは、20世紀というのは多くの女性が人権を侵害された時代でありました。日本に於いてもそうだったと思いますよ。二十一世紀はそういう時代にしないという決意を持って、我々は今政治の場にいるわけであります。女性の人権がしっかりと守られる世紀にしていきたい、これは不動の信念で前に進んでいきたいと思っています」――

 安倍晋三は「20世紀というのは多くの女性が人権を侵害された時代でありました。日本に於いてもそうだったと思いますよ」と20世紀という時代のせいにして、罪薄めを謀っている。

 携帯電話で写真撮影が手軽となって、それを利用した女性盗撮が時代的な風潮となっている。だからと言って、個々の盗撮を時代のせいとすることはできないはずだ。

 要するに従軍慰安婦問題に関わる日本軍の責任を時代に転嫁している。20世紀という時代が悪いのであって、個々の日本軍兵士に罪はないのだと。

 この狡賢い狡猾さ一つを以って安倍晋三の歴史認識のいかがわしさを十分に窺うことができる。

 この、「人さらいのように、人の家に入っていってさらってきて、いわば慰安婦にしてしまったという」強制連行を示す証拠はなかったとする立場は安倍晋三一人のものではなく、保守系の多くの政治家・識者が同じ立場を取り、相互に持論としている。

 持論であるから、いつどこの答弁や発言を切り取ろとも、同じ意味・内容を取ることになって、上記発言で十分だが、一度ブログに利用しているから、2007年3月5日の参院予算委員会の安倍答弁を取り上げてみる。

 安倍晋三「河野談話は基本的に継承していきます。狭義の意味で強制性を裏付ける証言はなかったということです。

 (中略)

 ご本人がそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。また間に入って業者がですね、事実上強制をしていたという、まあ、ケースもあった、ということでございます。そういう意味に於いて、広義の解釈に於いて、ですね、強制性があったという。官憲がですね、家に押し入って、人攫いのごとくに連れていくという、まあ、そういう強制性はなかったということではないかと」

 この答弁では、「官憲」と言って、巧妙に日本軍兵士を対象から外している。このような作為からも安倍首相の歴史認識のいかがわしさを窺うことができる。

 業者が家に押し入って、人攫いのごとくに連れていった例はあったとしても、日本の官憲がそうしたことをした証言はなかったとしている。

 但しその業者が単独で家に押し入って強制的に連行したのか、軍の指示で動いたのかでは話が違ってくる。

 例えば福島の放射性物質除染作業で業者が2次下請けとか3次下請の親方のところへ単独で行き、下請に入れてくれるなら、作業員を集めるがどうかと相談し、オーケーを取ると、何人か作業員を集めて2次下請の下の3次下請に入ったり。3次下請の下の4次下請に入ったりする手口で作業員の頭をハネて利益を得るといったことをするが、この業者が暴力団をバックにしていたなら、そこにある種の強制性が働いて、例え人手が足りていても、その強制性を受けた否応もなしの承諾といった事態も生じる。

 尤も最近は暴力団排除の社会的風潮から断る業者も多くなったが、時代が遡るに連れ、そのコワモテは半端でなく通用し、飲食店などは殆どがみかじめ料(用心棒代)として月々いくらと強制的に支払わされていた。

 そして戦前の大日本帝国軍隊、大日本国帝国軍隊兵士は当時のヤクザに優るとも劣らない威嚇的存在であり、それ相応の強制性を備えていた。特に外地では恐れられた存在であったはずだ。何しろ中国では、生きている中国人捕虜を銃剣で突き刺す訓練をやらされたと証言している旧日本軍兵士まで存在する。

 きっと、度胸試しだ何だといった口実で面白半分にそういった訓練をさせたのだろうが、相手を縛り上げた、あるいは両側の二人が左右の手をそれぞれ押さえつけた無抵抗な存在を自由に殺傷する行為は殺傷する側を意識の上で絶対的強者に高める。

 「戦陣訓」は1941年1月8日に当時の東條英機陸軍大臣が示達した訓令だそうだが、そこに書いてある「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」自体が、俺達はそういう存在だとばかりに日本軍兵士の優越性を高める装置となっただろうし、その優越性と上官の命令は絶対服従の日本軍に於いて深く思想化していったはずで、当然捕虜は敗者として位置し、捕虜とした側は勝者としての位置に立たしめることになる。

 敗者としての捕虜の生命(いのち)を勝者として敗者の宿命とばかりに死に至らしめるまで暴力的に面白いように、且つ自由に扱うのだから、その優越性が意識的には自分たちを絶対的強者に高めずにはおかなかったろう。

 日本軍は特にその占領地に於いて恐れられ、そこに威嚇的存在として位置しているだけで絶大な強制性を担っていたことになる。

 当然、従軍慰安婦を狩り立てる業者が日本軍の指示・命令によって動いていた場合、業者はその指示・命令に背くわけにいかず、指示・命令の遂行のみを負うこととなり、その遂行が何らかの障害を受けた場合、指示・命令の遂行以外に逃げ道はないのだから、日本軍が持つ威嚇的な強制性を利用するのが人情の自然な動きとなる。

 中には日本軍の指示・命令で動いていない業者であったとしても、慰安婦をスムーズに狩り立てるために日本軍の指示・命令で動いているかのような口振りで動いた者もいたに違いない。

 確実に言えることは、日本軍の指示・命令で動いていた場合の業者の強制性は日本軍の強制性を日本軍になり代わって業者が示威的に表現していたはずだということであり、そのように見るべきだろう。

 いわば業者の強制性は軍の強制性を受けた、その反応だということである。相手によっては、例えば日本軍の攻撃で肉親が無残に殺されたりの経験を持つ場合、業者の強制性と軍の強制性がほぼイコールとなるケースもあったことは十分に考えることができる。

 そこには問答無用の力学が働くことになる。

 当然、文書で確認できる証拠はなかったからといって、強制連行はなかったとは言えない。例え日本軍兵士本人が「家に押し入って、人攫いのごとくに連れてい」くことはなかったとしても、日本軍の強制性を利用して業者がそれを自らの強制性として表現し、そこに問答無用の力学を働かせた場合、代理行為となって、間接的には日本軍の強制連行に当たるはずだ。

 安倍晋三が「間に入って業者がですね」と言っているように、業者が日本軍の指示・命令で動いていた文書等は残っている。その一例を次の記事が取り上げている

 《日本軍と業者一体徴集・慰安婦派遣・中国に公文書》朝日新聞/1999年3月.30日)

 日中交流の歴史を研究している神戸市の林伯耀氏(当時60歳)が中国人強制連行の資料収集を続ける中で、天津市の公的機関で発見、1944年から1945年にかけ、日本軍の完全支配下にあった天津特別市政府警察局で作成された約400枚の報告書が中心。

 その中にある日本軍天津防衛司令部から天津特別市政府警察局保安科への通知書には、「河南へ軍人慰労のために『妓女』(遊女のこと)を150人を出す。期限は1カ月」、「借金などはすべて取消して、自由の身にする」、「速やかに事を進めて、二、三日以内に出発せよ」と、書いてあったという。

 この二、三日以内に出発できるよう150人を集めろは日本軍の強制性を物語って余りある。

 警察局保安科は売春業者団体の「天津特別市楽戸連合会」を招集し、勧誘させた。報告書には229人が「自発的に応募」と記されているが、性病検査後、12人が塀を乗り越えて逃亡、残ったうちの86人が「慰安婦」として選ばれ、10人の兵士と共にトラック4台が迎えにきて移送。移送中なのか、到着後慰安婦をとして勤めている間なのか、86人のうち、半数近い42人の逃亡が報告書には記されているという。

 記事は報告書の記載として、徴集人数25人の他の派遣指示も取り上げている。

 逃亡者が出たことは、「自発的」を装っているが、そこに日本軍の強制性が働いていたことの証拠となる。いわば日本軍の強制性が、断った場合の何らかの報復への恐れとして売春業者団体に作用し、それを受けた売春業者団体の強制性が「妓女」に及び、「自発的」という名の強制が働いたということなのだろう。

 だが、多くが逃亡した。逃亡は従業と報酬を天秤にかけた損得で決まる。“借金棒引き・自由の身”は相当な報酬であったろう。だが、報酬を捨てて逃亡したということは、報酬のプラスよりも従業のマイナスが優ったことを意味する。“借金棒引き・自由の身”を問題としなかったということである。

 一日中、朝から夜まで何十人もの将兵を相手にしなければならないと口コミか何かで洩れ聞いていたとしたら、従業を地獄と見て、売春業者を介した日本軍の怖さ、その威嚇性に一旦は従ったものの、地獄に見舞われることの恐怖が“借金棒引き・自由の身”の報酬に優って、逃亡以外に逃れる手段はないことになる。

 その上、敗戦直後、機密文書や重要書類が米軍の手に渡ることを恐れて、陸軍省、海軍省共に野戦司令部や指揮官に向けて焼却の命令を出し、焼却しているのだから、文書で確認できなかったは事実を半分しか見ないことになる。

 高村自民党副総裁が安倍晋三と同じように2月10日(2013年)夜の都内の講演で慰安婦の強制連行を否定している。《慰安婦、韓国に反論=自民副総裁》時事ドットコム/2012/10/10-21:32)
 
 高村正彦「韓国で日本の軍が直接的強制連行をした事実はない。韓国以外ではあったが、日本軍による軍法会議で裁かれた」

 記事。〈自身が外相を務めていた1998年に日韓共同宣言をまとめた際、金大中大統領(当時)から「一度謝れば韓国は二度と従軍慰安婦のことは言わない」と説得され、「痛切な反省と心からのおわび」を明記したことを紹介。「国と国の関係で一度決着したものを蒸し返してはいけないし、蒸し返させてはいけない」と強調した。〉――

 李明博韓国大統領が2012年8月10日竹島を訪問、天皇の訪韓は韓国独立を戦った死者に謝罪することが条件だとし、野田政権が竹島の領有権問題を国際司法裁判所に提訴する、しないの動きを見せていた頃である。

 「韓国で日本の軍が直接的強制連行をした事実はない。韓国以外ではあったが、日本軍による軍法会議で裁かれた」と言っているが、インドネシアのオランダ人民間抑留所に日本軍兵士がトラックで乗り込んで、オランダ人女性を強制連行、慰安婦にした事実は抑留所視察の日本軍大佐に知れるところとなり、閉鎖されることとなった。

 処罰に関してはオランダ軍によるバタビア(ジャカルタのこと。オランダ植民地時代の呼称)臨時軍法会議で終戦後の1948年、BC級戦犯として11人が有罪とされているが、〈日本軍は、当事者を軍法会議にかける事も処罰も行なわなかった。〉と「Wikipedia」には記載されている。

 どこかの例を取り上げて「日本軍による軍法会議で裁かれた」としても、強制連行の事実は消えない。殺人の罪を刑務所で償ったとしても、殺人の事実は消えないのと同じである。

 高村の発言は事実が消えるかのようなニュアンスとなっている。

 さらに言うと、強制連行が「韓国以外ではあった」とする以上、韓国に於いても日本軍の慰安所が存在していた関係から、韓国では強制連行がなかったとすることはできない。

 業者を介さずとも、日本軍兵士が直接強制連行を可能としていたはずだ。

 直接強制連行を可能としていた例を挙げる。

 既にいくつかのブログに記載されているが、戦争中旧日本海軍の主計官だった中曽根康弘元首相が『終りなき海軍』という本の中で次のように書いているという。

 中曽根康弘「3000人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。」(同書第1刷98頁)

 中曽根がインドネシアで慰安所設置に積極的に関わっていた資料が防衛省が公開している文書「海軍航空基地第2設営班資料」の中からも見つかっているという。

 問題は慰安所建設に関わっていたことよりも、日本軍兵士が現地人女性を襲ったという事実である。数が多いから、慰安所の建設に至ったのだろう。一人や二人のために慰安所を建設するはずはない。

 この多人数が現地人女性を襲い、強姦するという、別の意味での日本軍兵士の集団的な暴力的強制性が慰安所建設で、そこで働く慰安婦の数を満たすために直接強制連行する可能性は否定できない。

 何しろ襲って強姦する直接的経験を積んでいるのである。兵士自身が自ら進んで強制的に頭数を調達しなかったとは言えないはずだ。

 文書が存在しない事実だけを錦の御旗として従軍慰安婦強制連行を否定しているが、日本軍及び日本軍兵士が担っていた威嚇的な強制性から軍自らによる強制連行か、兵士自らによる強制連行か、あるいは日本軍の強制性を体現した業者を仲介とした強制連行かを読み取るだけの認識能力が示されてもいい時期に来ているはずだ。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三の少子化高齢化・生産年齢人口減少に触れないトンチキな施政方針演説「世界一」

2013-03-04 10:52:56 | Weblog

 安倍晋三は2月28日の施政方針演説で、勇ましくも「世界一」という言葉を8回も使っている。「世界一を目指す」という意味の「世界一である」

 志は高く持つべきである。叶うなら、天高く、宇宙に届く程に高く、あるいは宇宙を大風呂敷に見立てて宇宙一杯に志を広げるのもいいだろうが、それが大言壮語化しては困る。

 施政方針演説から、「世界一」に触れた個所を拾い出してみる。

 安倍晋三「沖縄の地に、世界一のイノベーション拠点を創り上げます」

 これが最初。

 安倍晋三「(世界一を目指す気概)

 小さな町工場から、フェラーリやBMWに、果敢に挑戦している皆さんがいます。

 自動車ではありません。東京都大田区の中小企業を経営する細貝さんは、仲間と共に、ボブスレー競技用「そり」の国産化プロジェクトを立ち上げました。

 『世界最速のマシンをつくりたい』

 三十社を超える町工場が、これまで培ってきた、ものづくりの力を結集して、来年のソチ五輪を目指し、世界に挑んでいます。

 高い技術と意欲を持つ中小企業・小規模事業者の挑戦を応援します。試作品開発や販路開拓など、新しいチャレンジを応援する仕組みを用意します。

 ひたすらに世界一を目指す気概。こういう皆さんがいる限り、日本はまだまだ成長できると、私は、確信しています。

 今一度、申し上げます。皆さん、今こそ、世界一を目指していこうではありませんか」

 ここで3回、合計4回。

 安倍晋三「(家計のための経済成長)

 なぜ、私たちは、世界一を目指し、経済を成長させなければならないのか。

 それは、働く意欲のある人たちに仕事を創り、頑張る人たちの手取りを増やすために他なりません。

 このため、私自身、可能な限り報酬の引上げを行ってほしいと、産業界に直接要請しました。政府も、税制で、利益を従業員に還元する企業を応援します。

 既に、この方針に御賛同いただき、従業員の報酬引上げを宣言する企業も現れています。うれしいことです。

 家計のやりくりは、大変な御苦労です。日々の暮らしを少しでも良くするために、私たちは、『強い経済』を取り戻します」

 合計5回。

  安倍晋三「四 世界一安全・安心な国

 経済だけではありません。様々なリスクにさらされる国民の生命と財産を、断固として守る、『強靭(じん)な国づくり』も急務です。

 旅行で、仕事で、普段何気なく通るトンネルで、その事故は起きました。笹子トンネル事故です。

 私の育った時代、高速道路が次々と延びていく姿は、『成長する日本』の象徴でありました。しかし、あの頃できたインフラが、老いつつある。人の命まで奪った現実に、向き合わなければなりません。

 命を守るための『国土強靭(じん)化』が、焦眉(び)の急です。首都直下地震や南海トラフ地震など、大規模な自然災害への備えも急がなければなりません。徹底した防災・減災対策、老朽化対策を進め、国民の安全を守ります。

 治安に対する信頼も欠かせません。ネット社会の脅威であるサイバー犯罪・サイバー攻撃や、平穏な暮らしを脅かす暴力団やテロリストなどへの対策・取締りを徹底します。

 悪質商法によるトラブルから、消費者を守らねばなりません。地方の相談窓口の充実や監視強化などによって、消費者の安全・安心を確保します。

 『世界一安心な国』、『世界一安全な国、日本』を創り上げます」

 これで計8回。終わり。

 項目として、「経済成長を成し遂げる意志と勇気」を掲げ、「家計のための経済成長」、「子どもたちが主役の教育再生」、「子育て・介護を支える社会」、「女性が輝く日本」、「誰もが再チャレンジできる社会」、「持続可能な社会保障制度の構築」等々掲げているが、基本は“人”である。人が築く日本の社会の数々の姿であろう。

 各制度も経済も人によって支えられる。人なくして国は成り立たない。社会も成り立たない。社会が成り立って、国は成り立つ。国が成り立って社会が成り立つ。国と社会は相互関係性にあり、それを支えるのは人である。

 当たり前のことを言ったが、特に国の経済が支える各制度であろう。

 いくら立派な警察制度を確立していたとしても、国の経済が低迷し、国民の生活を直撃したなら、生活苦から犯罪に走ったり、自殺で人生にケリをつける国民が多く出てくる。

 日本の社会保障制度は世界に率先して優秀だと胸を張ったとしても、国の経済が衰退し、財源不足に陥ったなら、経済衰退で生活の打撃を受けている多くの国民に社会保障制度の持続性維持の名目で消費税増税という追い打ちをかけなければならず、「持続可能な社会保障制度」自体が半ば意味を失う。

 明日の安心よりも今日の安心にすがって生活している国民が無視できない数で存在するからだ。

 安倍晋三は「三本の矢」と名付けた経済政策を掲げ、経済成長を約束しているが、現状に於いては経済の作り手となる人、経済の担い手となる人は目先だけのことを考えるならそれ相応に足りるし、目先だけのことを視野に収めた施政方針演説なら、問題外とすることができるとしても、「世界一」を目指す壮大な夢を追うには、それが例え大風呂敷であっても、作り手・担い手たる人の数も無視できないはずだ。

 景気が良くなって各企業が雇用を増やすのは、好景気に従って拡大していく経営規模に応じてその企業固有の経済の作り手・担い手たる人をより多く必要とするからだろう。

 この関係は国に於いても同じはずだ。国の経済規模が拡大すればする程、働き手は必要となる。

 逆に国の経済規模が縮小すればする程、働き手は不必要となり、失業者が増えることになる。

 いわば景気、もしくは経済はより多くの人を必要とする、人との関係にある。

 ということなら、安倍晋三は「なぜ、私たちは、世界一を目指し、経済を成長させなければならないのか」と、「世界一」の日本の経済規模拡大を目指しているのであって、当然、「世界一」を目指すに応じた人の数を必要とするはずだ。

 にも関わらず、日本は人口減少社会に突入している。人口減少は当然のこととして生産年齢(15~64歳)人口の減少を伴う。

 このことは「世界一」を目指すことと相矛盾しないだろうか。

 既に触れたように目先だけのことを考えた施政方針演説なら、とやかく言っても始まらない。

 昨日の3月1日(2013年)金曜日、テレビ番組で安倍晋三の「世界一」を目指す壮大な政治目標との関係で興味を引くデーターを取り上げていた。

 日テレ「ネプ&イモトの世界番付!鉄道&未来予測図」で、 2011年国別人口ランキング

 1位 中国     13億4413万人
 2位 インド     12億4149万人
 3位 アメリカ    3億1159万人
 4位 インドネシア  2億4233万人
 5位 ブラジル    1億9666万人

10位 日本      1億2782万人 

 2100年人口予測

 1位 インド    15億5090万人
 2位 中国      9億4104万人
 3位 ナイジェリア  7億2989万人
 4位 アメリカ    4億7803万人
 5位 タンザニア   3億1634万人

27位 日本       9133万人 

 世界人口

 2011年 約70億人 → 2100年 約101億人
 
 日本人口

 2011年  約1億3000万人 →  2100年  約9000万人

 2011年GDPランキング(購買力平価をベースに換算)

 1位 アメリカ    1206兆円
 2位 中国       904兆円
 3位 日本       355兆円
 4位 インド      354兆円
 5位 ドイツ      249兆円

 2050年GDPランキング(購買力平価をベースに換算)

 1位 インド     7573兆円
 2位 中国      7049兆円
 3位 アメリカ    3442兆円
 4位 インドネシア  1227兆円
 5位 ブラジル    1020兆円

 9位 日本       571兆円 

 日本は順位を下げても、355兆円から571兆円に増えているが、現在でもそうであるように、主として中国、アメリカ等に牽引された伸びということであろう。

 但しGDP2011年3位から、人口減少に伴って、2050年9位と名誉の位置につける予想となっている。 

 とても「世界一」を目指すといった状況には見えない。安倍晋三の2月28日の施政方針演説を聞いてから、上記テレビ番組を視聴した者には志高く掲げた政治目標というよりも、まさしく大風呂敷と受け取ったに違いない。

 国を支え、経済を支える人を必要とする以上、現在の人口減少社会に歯止めをかけなければならないはずだ。施政方針演説で何か手を打つ政策を掲げているのだろうか。

 「持続可能な社会保障制度の構築」の項目の中で次のように述べている。

 安倍晋三「しかし、どんなに意欲を持っていても、病気や加齢などにより、思い通りにならない方々がいらっしゃいます。

 こうした方々にも安心感を持っていただくため、持続可能な社会保障制度を創らねばなりません。少子高齢化が進む中、安定財源を確保し、受益と負担の均衡がとれた制度を構築します」――

 「少子」と言う言葉に関しても、「高齢化」という言葉に関しても、これだけで、「人口」という言葉や「減少」という言葉は一切触れていない。

 しかも持続可能な社会保障制度創設の文脈で「少子高齢化」を取り上げたのみであって、人口増加政策の文脈とはなっていない。

 「出産」という言葉もなく、「出生」と言う言葉も、「出生率」という言葉もない。「待機児童の解消」だ、女性の育児と仕事の両立だと、目先のことだけを並べ立てているに過ぎない。

 要するに「世界一」は口先だけの大風呂敷で、目先の景気回復だけを狙っているとしか見えないトンチキな施政方針演説に見えたが、どんなものだろうか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森元首相は何のために訪露したのか

2013-03-03 12:17:14 | Weblog

 森元首相が安倍首相の特使として首相の親書を携え、2月20日(2013年)午前、ロシアを訪問するため成田空港を出発、21日午後、プーチン大統領と会談した。

 何てたって首相の特使なのだから、自身の役割をきちっと弁えていて、仕事をきっちとこなしたはずだ。

 国民の関心は、特に北方四島旧島民は、プーチンが昨年2012年3月、大統領選直前の外国メディア(朝日新聞らしい)のインタビューで、北方領土問題の最終解決に意欲を表明、自身が嗜む柔道に擬(なぞら)えて提案した双方の「引き分け」――言ってみれば痛み分けとは何を意味するのか、どのような返還を頭に置いてそう言ったのか、その真意を知ることにあったはずだ。

 当然、森元首相は何てたって首相特使なのだから、その真意を探ることに成功し、帰国後、その真意を国民に対して説明する責任を負ったはずだ。

 ハワイ沖で米原潜浮上時日本の水産高校練習船えひめ丸に衝突、沈没させたとき、当時日本の首相をしていた森喜朗はゴルフを楽しんでいる最中だったが、その一報を受けてもなおプレーを伊達に続けていたわけではあるまい。

 森首相自身も真意を探ることが自身に課せられた役目であることを十分に自覚していた。尤もこの時の首相は野田首相で、森喜朗を首相訪露の先触れとして派遣を考えていたが、敢え無く政権を失い、断ち消えとなった。

 だとしても、首相の顔が替わっても、役目自体は替わらないはずだ。

 《森元首相、来年1月訪露へ 「領土」など大統領の真意探る》MSN産経/2012.11.24 01:32)

 〈産経新聞の取材に対し、今年3月にプーチン氏が海外メディアとの会見で、北方領土について「引き分け」を目指す考えを示したことに触れ〉て――

 森喜朗「『引き分け』っていうのが、何を考えて言ったのか探る必要がある。それを首相に伝えることが大事だ」

 記事解説。〈森氏は首相時代の2001年、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)2島返還と、領土問題に北方4島が含まれることを確認したイルクーツク声明にプーチン氏とともに署名した。森氏は首相退陣後もプーチン氏と交流を重ね、「プーチン氏と一番親しい日本の政治家」(外務省幹部)とされる。〉――

 但し記事が伝えている森喜朗の次の発言が気になる。

 森喜朗「政府の代わりに交渉という気持ちはさらさらない」――

 政府としての権限は持たなくても、自身も首相として関わってきた日本の領土である北方四島の返還問題である。一歩前進の手がかりぐらいは自分の手で掴み取って、政府及び国民への手土産にしようぐらいの熱意を見せてよさそうなものだが、なぜか進展は見ないだろうことを予想して前以て身構えているような発言に聞こえる。

 プーチンの「引き分け」発言当時の野田首相は、この発言に関して2012年3月8日の衆議院予算委員会で東順治公明党議員の質問に答弁している。

 《2島では4島面積の7% 引き分けにならない》IBTimes/2012年3月9日 11時00分)

 野田首相「日露双方が納得できる結果をという意味と思うが、2島返還で半分だから良いというわけでない。返還される2島(歯舞、色丹)の面積は4島面積の7%で、93%が還ってこないのは引き分けにはならない。

 プーチン次期大統領が2島返還以上のことを考えているのかどうか、それ以上のことは真意として分からない」――

 野田首相が「引き分け」にならない例として歯舞、色丹の2島を持ち出したのは上記「MSN産経」記事が解説しているように、日露平和条約締結後の歯舞・色丹の二島返還を明記した「日ソ共同宣言」(1956年)の有効性を森・プーチンが文書で確認した「イルクーツク声明」(2001年)を頭に置いていたからだろう。

 野田首相が2012年3月8日、衆議院予算委員会で「歯舞、色丹2島返還で半引き分けにはならない」と答弁してから4カ月半経過した2012年7月28日に日ロ外相会談のために訪露した当時の玄葉光一郎外務大臣がプーチンを表敬訪問して、会談、「引き分け」の真意を探ろうとした。

 だが、〈プーチン氏はこの日の会談では真意を明かさなかった。〉と《プーチン氏、真意語らず=国後視察でしこりも》「時事ドットコム」/2012/07/29-00:24) は伝えている。

 ロシアは一方で「北方四島は第2次大戦の結果、法的にロシア領となった」を領有権の正当性理論とし、一方で前者との整合性を破ることになる「引き分け」を言っている。

 そして「引き分け」の真意をなかなか明かさない。

 だが、森喜朗は「『引き分け』っていうのが、何を考えて言ったのか探る必要がある。それを首相に伝えることが大事だ」と自分の役目を的確に弁えている。前回とは違って、今回は訪露が実現したのだから、満を持した上にも満を持して国民の期待に応えないはずはない。

 外務省HPが会談の概要を伝えている。 

 《森元総理大臣とプーチン・ロシア大統領との会談(概要)》(外務省/2013年〈平成25年〉2月22日)
 
 安倍総理大臣の特使としてロシアを訪問中の森喜朗元総理大臣は,現地時間21日15時22分から16時35分まで(日本時間同日20時22分から21時35分まで),モスクワのクレムリンにおいてプーチン・ロシア大統領と会談を行ったところ,概要以下のとおり。

1 安倍総理の訪露

 森元総理から,安倍総理の親書をプーチン大統領に手交し,安倍総理の人柄を紹介するとともに,安倍総理の日露関係にかける思いと公式訪露に向けた意欲を伝達した。プーチン大統領からは,安倍総理の訪露を心待ちにしている,来るべき訪露が日露関係の発展のための良いステップとなることを期待している,今日の会談をもって来るべき安倍総理の訪露に向けた準備に取り組みたい,内容が充実した訪露となるよう協力しようと述べた。

2 領土問題

 (1)森元総理から,2001年にプーチン大統領との間で署名したイルクーツク声明の重要性を強調し,また,領土問題を最終的に解決するためには,安倍総理とプーチン大統領が決断することが必要であると強調した。プーチン大統領はうなずきながら聞き,両国間に平和条約がないことは異常な事態であると述べた。

 (2)また,森元総理から「引き分け」の趣旨について質したところ,プーチン大統領は,「引き分け」とは勝ち負けなしの解決,双方受入れ可能な解決を意味すると述べた。これを受け,そのような解決を目指すべく,両国首脳から両国外務省に指示を出す必要があることで一致した。

 領土問題に関する記述はこれだけである。あとは日露経済協力の可能性や北朝鮮問題、レスリングがオリンピック競技から外れたこと、ロシアのソチ冬季オリンピック開催、開催立候補した東京オリンピックなどを話題としている。

 森喜朗は「引き分け」が何を意味しているか質した。プーチンは、「勝ち負けなしの解決、双方受入れ可能な解決を意味する」と答えた。

 具体性も何もない。「勝ち負けなしの解決とは、どのような解決を頭に置いているのか」、「双方受入れ可能な解決とは、例えばどのような返還なのか」と尋ねたのだろうか。

 「『引き分け』っていうのが、何を考えて言ったのか探る必要がある。それを首相に伝えることが大事だ」とマスコミに発言した以上、例え首相が交代しても、発言は生きているはずで、一種の公約となる。何ら言葉を実行させていない。首相親書を携えて訪露し、有言不実行のまま帰国したのと同じである。

 大体が、プーチンの「双方受入れ可能な解決」は今回が初めての発言ではない。

 玄葉光一郎が外相として訪露、2012年7月28日にプーチンと会談したときにもプーチンは言っている。《ロシア大統領“共同で密漁対策を”》NHK NEWS WEB/2012年8月5日 4時0分)

 玄葉外相(北方領土問題を解決、日露平和条約を締結することについて)「外務大臣や次官級の協議を進めたい」

 プーチン「対話を継続し、双方が受け入れ可能な解決策を真摯に模索する用意がある。両国間に平和条約のないことが、協力を推進することへの障害にはならないはずだ。

 信頼関係を深めるため極東地域で、共同で海賊対策の演習や密漁・密輸対策を行うなどの協力ができるだろう」

 玄葉外相「双方の利益のため、お互いの国民感情に配慮しながら前向きに進めたい」

 記事題名が「共同密漁対策」となっていること自体が嘆かわしいが、領土問題に関する話し合いが同じことの繰返しで、何ら進展を見ないからだろう。

 プーチンは「両国間に平和条約のないことが、協力を推進することへの障害にはならないはずだ」と発言している。
 
 だがである。日本側の日露平和条約締結は北方領土問題解決を前提としている。拉致問題で日本側が「拉致解決なくして日朝国交正常化なし」に譬えるなら、「北方領土問題なくして、日露平和条約締結なし」となる。

 ロシア側の平和条約を締結しなくても、経済協力は可能を日本側が受け入れることは日露平和条約締結の前提としている北方領土問題解決のプロセスを日露双方共に排除して経済協力を推進することになる。

 当然、経済協力だけが進んで、北方領土問題解決は置き去りとなる危険性が生じる。

 だが、今回の森訪露ではプーチンは「両国間に平和条約がないことは異常な事態である」と発言した。

 問題は領土問題解決を前提として平和条約を考えているのか、領土問題に先行して平和条約を締結すべきだの趣旨なのか、発言の意図を探らなければならない。
 
 だが、どのマスコミも森訪露に於けるプーチンの「平和条約がないのは異常な事態だ」の発言を伝えるのみで、森喜朗がどう応じたのか、何も伝えていない。

 外務省のHPで伝えていないのだから、当然なのかもしれないが、プーチンの発言を受け入れて領土返還よりも経済協力を優先させる意図を窺うことができる発言を次の記事が伝えている。

 《北方領土の解決策「年内検討を要請した」森元首相》MSN産経/2013.3.2 12:21)

 森喜朗(日本に協力を求めている極東開発について)「素直に(手を貸して)やらなきゃ。島をどうしよう、平和条約がどうだといって手をこまねいていたら中国と韓国ばかり向こうに行く」――

 「島をどうしよう、平和条約がどうだ」と「手をこまねいていたら」、北方四島が生み出す経済的利益は「中国と韓国ばかり向こうに行く」ということは、「島をどうしよう」は考えるな、「平和条約がどうだ」は考えるなと言っているに等しい。

 案外この辺りが森喜朗のホンネなのかもしれない。

 要するに北方四島開発に日本が率先して協力して、経済的利益のお裾分けを受けるべきだと。

 この協力は北方四島の一層のロシア領土化への協力ともなるはずだ。

 記事題名の《北方領土の解決策「年内検討を要請した」》が「検討」のみで終わって、いつどこですり替わって、経済協力優先とならない保証はない発言となっている。

 森喜朗の腹がどこにあるのか明確には分からないが、少なくとも領土問題に関しては安倍晋三の親書を携えて、野田首相が派遣を考えていたときと同じ使命感を胸に秘めていたはずで、その使命感で「『引き分け』っていうのが、何を考えて言ったのか探る必要がある。それを首相に伝えることが大事だ」と土俵に上がったものの、何ら戦わずに土俵から降りたような印象を受ける森訪露だとしか言いようがない。

 それとも軽量の幕下が試しに横綱に挑んでみたものの、回しを掴まれ、身体を丁寧に持ち上げられて土俵際まで運ばれ、土俵の外に静かに降ろされてしまったといったこところか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橋下徹の日本維新の会国会議員団との間の黒田日銀総裁人事を巡る民主主義を装った独裁主義

2013-03-02 12:08:39 | Weblog

 安倍首相は白川日銀総裁後任に財務省国際部門トップ元財務官、現アジア開発銀行総裁の黒田東彦(はるひこ)氏、二人の副総裁のうちの一人に岩田規久男習院大教授を起用する意向でいる。

 「NHK NEWS WEB」が、〈黒田氏は、国際金融の世界に豊富な人脈を持ち、海外への発信力に対する期待があるものとみられます。〉と解説している。

 勿論、安倍首相が金融に関わる政策としている積極的な金融緩和論者だそうだ。

 ところが日本のホープ、日本の維新の会共同代表の橋下徹は黒田東彦日銀総裁就任に反対している。

 《黒田氏に不同意も=維新・橋下氏》時事ドットコム/2013/02/25-13:33)

 2月25日、大阪市役所内で記者団に発言。

 橋下徹「いきなり財務省OBの就任を認めてしまうよりも、民間人からまずは幅広く(人材を)探っていくべきではないかという維新の哲学を、しっかり示すべきではないか」――

 要するに橋下徹はこの発言によって日本維新の会国会議員団に対して黒田東彦日銀総裁ノーの意思表示をすると同時に同調を要求した。

 そうでなければ、橋下徹はこのような意思表示を先ず最初に直接国会議員団に示して、国会議員団との間で議論を経て、多数決等の方法で結論を得る民主的な手続きを取ったはずで、もしそういった手続きを取っていたなら、記者たちを介した「しっかり示すべきではないか」という同調要求の言葉は不要となる。

 いわば議論もしていない、結論も得ていない、そういった手続きを経る前に、「しっかり示すべきではないか」と同調を要求したのだから、全体的議論や全体的結論を排している上に国会議員団が従うことを前提とした独裁意志の働きを見て取ることができる。

 だが、国会議員団が黒田総裁、岩田副総裁を「ベストに近い人事」と容認、賛成する意向だと分かると、橋下徹の独裁的同調要求に反することになるからだろう、国会議員団に対して手厳しい批判を浴びせた。

 《橋下氏:維新議員を「当選ぼけ」 黒田日銀総裁案の容認に》毎日jp/2013年02月26日 13時07分)

  2月26日、大阪市役所で記者団に発言。

 橋下徹「当選ぼけというか、野党の役割がぼけ始めている。大阪で見ていると、野党としての哲学が見えにくい。

 外部から人材を探さないと、永田町と霞が関だけで固定してしまう。維新の哲学なら、(外部人材である)岩田氏が総裁、黒田氏が副総裁だ」

 政治の世界にはよくあることだろうが、例えば能力は認めても、参院選を有利に進めるために世論受けを狙って霞ヶ関反対・元官僚反対でいこうということであったとしても、あるいは反対のための反対であっても、議員団と議論して納得という結論を得ていなければならないはずだが、ここでも一切省いて自身の意思を押し付けようとする独裁意志だけを露わにしている。

 このことは乱暴な発言となっているところに現れている。「野党の役割」、「野党としての哲学」は何も日銀総裁は外部人材でなければならないとすることではないだろうし、元官僚は副総裁が適任だと枠をはめることではないはずなのに、出身母体に応じて職業上の地位を決めつる独裁ぶりである。

 真にそれが有能な人材であるなら、出身母体で排除することは損失以外の何ものでもないことになる。

 天下りの弊害は民間や法人内に有能な人材がいながら、単に出身官庁との取引上のコネ、あるいは許認可のコネを維持するために役立てるという、有能とは無縁の利用方法で多額の報酬でもって要職に迎えるところにあるはずだ。

 《橋下共同代表 岩田規久男氏を総裁に》NHK NEWS WEB/2013年02月26日 20時34分)でみると、橋下徹は黒田氏の能力を否定していないばかり、その有能性を認めている。

 橋下徹「黒田氏の能力がないということではなく、財務官としての実績も、国際的な人脈もあるだろうが、結局、頼るところは財務省であり、官なのかということだ。そういう日本社会はつまらないので、政治家が必死になって、官以外の人材を探すというプロセスは重要だ。

 日本維新の会の哲学からすれば、総裁は財務省OBではない岩田氏にお願いし、国際的に人脈も広く、官僚として、実務を取り仕切ってきた黒田氏を副総裁にすることが一番合うのではないか。この考え方を入れて、国会議員団に議論してもらう」――

 あくまでも自説に拘っている。自説への拘りは独裁意志への拘りに他ならない。

 「財務官としての実績も、国際的な人脈もあるだろうが」と自身はその有能性を認めながら、「結局、頼るところは財務省であり、官なのかということだ」と、官僚出身の経歴に依存して人事を決定する「そういう日本社会はつまらない」、間違いっているから、そこから脱却しなければならないと主張して、その有能性を排除している。

 そして岩田総裁、黒田副総裁で「国会議員団に議論してもらう」と言って、さも民主主義的手続きを取るような姿勢を見せているが、自身が既に結論を出している人事に対する同調要求――独裁意志表示であることに変りはない。

 だが、このような官僚経歴否定の人事観は元経産官僚の古賀茂明氏を、その有能性を認めて大阪府特別顧問、大阪市特別顧問、大阪府市統合本部特別顧問に重用していることと矛盾する独裁意志ではないだろうか。

 日本維新の会の国会議員団が黒田総裁を容認姿勢でいることに橋下徹が「当選ぼけ」と言ったことに対して渡辺喜美みんなの党代表まで巻き込んで横槍が入った。

 《渡辺、橋下氏は野党ぼけ=自民・高村副総裁》時事ドットコム/2013/02/27-15:09)

 〈日銀総裁人事案をめぐる野党内の容認論を、渡辺喜美みんなの党代表と橋下徹日本維新の会共同代表が批判〉していることについて、2月27日自民党本部で記者団に発言。

 高村正彦副総裁「多くの国民は渡辺氏、橋下氏を『野党ぼけ』『政局ぼけ』と思っている。野党は政局より国益ということで対応してほしい」

 渡辺代表を巻き込んだのは、渡辺氏が〈財務省OBでも柔軟に対応するとした海江田万里民主党代表の発言を「与党ぼけ」と非難〉したことに対する当てつけだそうだ。

 どうもレベルの低い争いにしか見えないが、ここで問題にしているのはあくまでも橋下徹氏の日本維新の会に於ける意志決定の方法が民主的であるか、独裁的であるかである。

 ところが国会議員団は橋下徹の独裁意志に抵抗した。

 問題はどの程度の抵抗かということである。大袈裟に言うと、一政党内のこととは言え、民主主義が問われることになる。

 この抵抗に橋下徹の日本維新の会国会議員団に向けた独裁意志が思い通りに結末を手に入れることができないからだろう、感情的様相を示すに至った。

 《橋下氏:「維新代表に固執しない」 国会議員団にメール》毎日jp/013年02月28日 15時23分)

 橋下徹の独裁的意志の押し付けに対して議員団側は「国会のことは議員団が決める」と不満を募らせていたそうで、その中の誰かが「口を出すな」と発言し、マスコミがそのことを報道した。当然、橋下徹の耳に入る。

 2月28日記者団に。

 橋下徹「(議員団が)口を出すな、と言うなら維新の会には関わらない。そんなことを言われて代表にしがみつくような人生哲学を持っていない」

 自分の独裁意志を通すか、通らないかの力学しかない。説得という力学はどこを探しもない。だから、簡単に感情的になるしか手はないことになる。

 問題は次である。

 「口を出すな」と発言したのは民主党を離党して維新の会から衆議院に立候補、当選した小沢鋭仁維新の会国対委員長で、2月28日、橋下徹にメールを送って、謝罪したことを明かしたという。

 小沢鋭仁「大阪と議員団の関係は、特殊な関係だ。コミュニケーションを十分図らないといけない」

 自分たちの考えが正しいことの証明もなしに「口を出すな」は言論封殺に当たる。カミナリ親父が子どもや妻に対して、「俺が正しいと言ってるんだから、正しいんだ」と子供や妻の言論を封殺するようにである。

 当然、そこには正しいとしていることの証明がなければならない。

 いわば「口を出すな」と言う前に、誰が日銀総裁にふさわしいのか、黒田か岩田か、橋下徹と議員団の間で議論し、結論を得るコミュニケーションの手続きを取り、自分たちの考えが正しいことの証明をしなければならないはずだが、その証明の努力を放棄して謝罪したということは、自分たちが正しいとしていることの放棄に当たり、相手を正しいとして橋下徹の独裁意志を半ば容認したことを物語っている。

 「コミュニケーションを十分図らないといけない」と議論の必要性を言っているが、黒田か岩田か、決着をつけようという提案の文脈で言っているのではないのだから、単なる後付けの反省に過ぎない。

 松野頼久維新の会議員団幹事長「政党代表として意見を言える場をつくらなければいけない」――

 政党代表として橋下徹が国会議員団に対して「意見を言える場をつくらなければいけない」との意味であろう。だが、この発言にはお互いに意見を言い合う場――議論し合う場が必要だとする対等な意思疎通の双方向性を存在させていない。橋下徹が「意見を言える場」だとしている。

 橋下徹を上に置き、自分たちを受け身の状態に置いたニュアンスとなっている。

 そして決着を見た。

 《「国会議員団とは解決」=維新・橋下共同代表》
時事ドットコム/2013/02/28-22:14)

 2月28日の記者会見。

 橋下徹「(日銀総裁人事に関わる軋轢に関して)松井一郎幹事長(大阪府知事)らが奔走してくれたので大体、解決した。

 (人事について)議員団が僕の意見も聞きながら議論し、判断すればいいことだ」

 一見民主的手続きに従い、議員団の判断に任せるようなことを言っているが、人物本位なら人物本位という同じ判断基準を一つ土俵に乗せているわけではなく、議員団は官僚出身であるか否かは問題とせずに黒田氏の人物本位を基準とし、橋下徹は黒田氏の人物本位は問題とせずに非官僚・民間人を基準としていて、異なる判断基準を一つ土俵に乗せている以上、その人物に対する判斷の良し悪し、あるいはその人物を見る目は無視され、両者間の力関係が否応もなしに影響するはずだ。

 大体が黒田氏が有能な人材であることを前提とすると、私自身には判断できないが、橋下徹の黒田日銀総裁人事に関わる非官僚・民間人は脱永田町を見せる象徴的な意味しか持たないところへもってきて、岩田総裁、黒田副総裁でも、岩田総裁の能力不足を黒田副総裁が補うことができれば、入れ替わりの人事にしても象徴的な意味しか持たない。

 それを正当化しようとした場合、否応もなしに力関係をが決定要素としなければならない。

 日本維新の会国会議員団が橋下徹の独裁意志を覆して黒田日銀総裁・岩田副総裁で決定できれば大したものだが、もし橋下徹の独裁意志通りに岩田総裁・黒田副総裁で決定した場合、民主主義を装った独裁主義の横行だと見做さざるを得ない。

 例え前者のように覆したとしても、橋下徹が独裁意志を素地としていることに変りはない。今後共、機会あるごとにその独裁意志は大手を振ることになるだろう。


 何だか桜宮高校体育会系入試中止をゴリ押しをしたときの独裁意志に似た、日銀総裁人事の独裁意志に見える。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする