《「沖縄を安倍政権は最大限支援する」自民・石破幹事長》(asahi.com/2013年7月20日14時49分)
7月20日の沖縄県豊見城市での街頭演説。
石破茂「衆院で自民党、公明党は多数を占めている。参院においても多数をいただき、日本を再生させるための法律であり予算であり、間違いなく早く成立させるために、この沖縄で支援をお願いしたい。21世紀はまさしく沖縄の世紀である。沖縄が日本で一番、世界で一番幸せな島になるために、安倍政権はできるかぎり最大限の支援をしていく。自民党の夢であり、安倍政権の夢だ」――
「21世紀はまさしく沖縄の世紀である。沖縄が日本で一番、世界で一番幸せな島になるために、安倍政権はできるかぎり最大限の支援をしていく」と言っていることは、「沖縄を日本で一番、世界で一番幸せな島にする」ということの約束であろう。
いわば、沖縄を日本で一番どころか、世界で一番幸せな島にすると請け合った。
日本の中央政治は各地域に対する力の入れどころに違いはあったとしても、沖縄県のためにのみ存在するわけではない。「沖縄を日本で一番、世界で一番幸せな島にする」ということは沖縄県を除いた1都1道2府42県、すべての地域を日本に於いても世界に於いても沖縄に準ずる幸せな地域とすることを約束したことになる。
いわば地域格差をなくすことを約束しただけではなく、他の如何なる外国と比較しても突出した状態で最大の幸福を約束したことになる。
では、具体的にどのような生活状態によって幸せと判断され得るのだろうか。
《転職サービスDODA》の『2012年平均年収ランキング(47都道府県)』によると、1位神奈川県478万円、2位東京都471万円に対して沖縄県は最下位の353万円となっている。
石破の「沖縄を日本で一番、世界で一番幸せな島にする」の公約は例え参院選マニフェストに書いてなくても、天下の公党、自民党幹事長の約束である。沖縄県の平均年収353万円を神奈川県478万円を超えた日本一にするだけではなく、その日本一を2013年版「WHO世界保健統計」の「国民総所得(GNI)ランキング・国別順位」に従って日本の15位34,640ドル(約277万円)を1位ルクセンブルクの1,790ドル(約494万円)を超えて世界一にすることを、最低限、今回当選した議員の任期である6年間に果たさなければならない責任を負ったことになる。
まさか大風呂敷ということはあるまい。
また、収入に関して日本一、世界一を獲得していく過程で非正規社員ゼロの雇用環境、生活保護受給者ゼロの生活環境に必然的に到達していくことになる。でなければ、「日本で一番、世界で一番幸せな島」沖縄を筆頭に他の都道府県が準じていく幸福は一部分にとどまって、内部的な格差は従来と変わらないだろうし、内部的格差を抱えていたなら、とても世界一は獲得できまい。
要するに石破茂は非正規社員ゼロ、すべて正社員、生活保護受給者ゼロを約束したことになる。
では、安倍政権は限定正社員といった身分の雇用をは何のために設けようとしているのだろうか。働く場所の限定や労働時間の限定、残業ゼロは正社員という身分でも可能だからだ。
安倍政権にとって普天間基地の移設がかかっているから、地元沖縄の自民党候補が例え普天間基地の県外移設を公約とし、県内移設の党本部とねじれを見せていたとしても、県内移設に決定的に反対の野党現職糸数慶子候補を当選させたのでは、反対の民意を沖縄県民に確認させることになって不味いため、それを避けるためにも是が非でも自民党候補を当選させなければならない切羽詰まった状況に立たされているが、苦戦を強いられているという。
このような切羽詰まった状況が石破茂をして、自民党候補を当選させるためだけに用いた、聞こえがいいだけの約束、できもしない「沖縄を日本で一番、世界で一番幸せな島にする」のカラ約束だったのだろう。
選挙のためなら、それが欺瞞に過ぎなくても、欺瞞とも思わずに何でも言う。薄汚い政治家だ。
《小沢一郎生活の党代表日本外国特派員協会記者会見要旨》
今日は生活の党から配信された、7月17日の小沢一郎生活の党代表の日本外国特派員協会記者会見の要旨を紹介します。
最後に取り上げている自民党「日本国憲法改正草案」が削除している「日本国憲法」の97条と、安倍晋三がテレビの党首討論で97条を統合したという11条の条文を記載して、余分ながら少々注釈を加えておきます。
●安倍政権との経済政策の違い
安倍内閣の経済政策は,小泉内閣とほぼ同質であり、自由競争により競争力のある企業、生産性の高い分野を成長させようというものだ。しかし、そこで得られた富は偏在し、多くの国民に再分配されることはない。たとえば、大企業の内部留保金が260兆ある一方で、一般国民の所得は低下している。
この歪んだ政策を、安倍内閣は小泉内閣以上に徹底しようとしている。また、雇用の面でも、現在、非正規雇用が38%といると言われるが、今後、正規雇用を減らし非正規雇用の割合を拡大させる方向にある。医療分野でも、日本が誇る国民皆保険も破壊しようとしている。
もとより、自由は人間にとって根源的なものであり、自由競争を否定するものではない。ただ、まったくの自由放任主義とでもいうようなやり方は、弱肉強食の動物の世界と同じになってしまう。
民主主義は弱い立場にある多くの人間が安定した生活を営めるような社会を構築することで発展してきた。そういう観点からも、雇用、医療、農漁村、年金・・・、あらゆる分野でセーフティーネットをつくったうえでの自由競争であるべきだ。
安倍内閣との経済政策についての根本的な違いは、私は正規雇用の促進など個人の生活を安定させ、それによって個人消費を拡大させることで景気を回復・拡大していくのが最良の方法と考えていることだ。
とはいえ、大企業のもつ内部留保金を賃金や配当に強制的に回せとやみくもにいうのは筋が違う。たとえば、特定の年齢層を雇用した場合に税制上の優遇措置をとるなど、富の再配分を促す措置や政策を推進していくことが必要で、それが政治の責任だ。
●野党連合
参院選には間に合わなかったが、非自民の立場の政党が協力できれば、必ず政権交代できる。国民はその受け皿ができることを望んでいる。
昨年の総選挙でも自民党の獲得票数は前回に比べて決して増えてはいなかった。また、今年に入っての地方選でも、横須賀市長選に象徴されるように、自民党の敗北が目につき、国民は非自民を選んでいる。
政党のエゴもあり、野党の協力体制をつくるのはなかなか難しいが、今後、国民の側からこうした声がもっと高くなってくると思う。受け皿づくりは、参院選後も続けていきたいが、私が主導すると、メディアが妨害するので善意の第三者として協力してやっていく立場になりたい。
●普通の国
安倍内閣が提唱する軍事力を強化したり、あるいは愛国主義を鼓舞するような国を普通の国というなら、北朝鮮も普通の国ということになる。
私がいうノーマルな国、普通の国とは安倍総理の考える国家像とはまったく違う。国民一人ひとりが自己判断と自己主張ができる、自立した国民が増えることが普通の国になることだと考えている。私はこれを常に訴えかけているが、日本はまだ普通の民主主義国家になっていないと思う。
私の問題に関しても、私は古い体制を崩さないと新しい日本を生み出せないと信じているので、古い体制から利権を得ている人たちにとって大変危険な思想の持ち主と思われているようだ。しかし、意見の違いがあっても、その相手を権力をもって抹殺しようとするのは民主主義国家とはいえない。そういう意味でも、日本はまだ民主主義国家ではない。
●日米外交
安倍政権のもとで、日米外交は危ういものになってきている。このことを、安倍総理や国民は真摯に受け止めるべきだ。たとえば、先のサミットでも同じホテルに宿泊しながら日米首脳会談が実現しなかった。同盟関係にある国が、ほんの少しの時間もとれないなど異常なことといえる。今後、安倍政権の右傾化は、国際的に批判されていくだろう。
また基地問題については、前線に大量の実戦部隊を置くといういままでのアメリカの戦略に変化が見られ、沖縄に海兵隊を置く必要はなくなってきていると思う。極東の平和、有事即応の体制を考えたとき、沖縄を中心にどのような施設が必要か改めて考え直すべきだ。
また、有事といってもいろいろなケースが想定されるので、米軍がくるまで日本が日本の領土をどう守るかも考えなくてはならない。日本が平和と経済だけで、国際的な責任を果たしていないと言われることについても、はっきり自覚しておかなければならないと思う。
●憲法問題
自民党の改正案の骨子は、憲法9条2項を削除し「国防軍」を創設することと、97条の削除の2点といえる。これを実現しやすくするために96条を改正しようというのは乱暴な話だ。
97条は最高法規の章で、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果でかつ永久の権利として獲得した基本的人権を削除しようと言うのはまったく信じられない。
「日本国憲法」
第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第三章 国民の権利及び義務
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
自民党「日本国憲法改正草案」
第三章 国民の権利及び義務
(基本的人権の享有)
第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
「日本国憲法」の第九十七条は、基本的人権の自由は一人日本国民のみならず、人類が長年に亘って獲得したもの――人類不可侵の権利だと、国家権力を規制している。
いわば国家権力が基本的人権の自由を破った場合、日本国民だけの問題ではなく、人類全般に対する挑戦だと厳しく規制している。
当然、「日本国憲法」の第九十七条は同第三章 国民の権利及び義務の第十一条と同じことを言っているわけではない。
これに対して自民党「日本国憲法改正草案」は第三章 国民の権利及び義務 第十一条と同じ趣旨だからと第九十七条を削除、統合するとしている。
“人類不可侵の権利”だからとしている国家権力に対する規制を消し去っている。
また第十一条にしても、「日本国憲法」が「すべての基本的人権の享有を妨げられない」と、国家権力に対する規制を命令形としているのに対して、自民党「日本国憲法改正草案」は、「全ての基本的人権を享有する」と、その命令形を弱めているだけではなく、「日本国憲法」が規制している「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」としている保障の対象(=「現在及び将来の国民」)に対する永遠性の強調を自民党「日本国憲法改正草案」は、単に「侵すことのできない永久の権利である」とすることで保障の対象に対する強調を取り払っている。
自民党「日本国憲法改正草案」が国家優先・国家主体の国民主権、基本的人権としている思想の反映がこのような国家権力に対する規制の緩和となって現れているはずだ。
国民主権を字義通りに把えた国民優先の「侵すことのできない永久の権利である」ことと、国家優先・国家主体の「侵すことのできない永久の権利である」こととは自ずと違ってくる。
前者の国家権力にかかるべき規制が後者は国家権力による国民にかかる規制となり得る。
《小沢一郎代表 広島選挙区・佐藤こうじ候補応援演説》(2013年7月15日)
石破自民党幹事長のの発言を取り上げる前に小沢一郎生活の党代表の広島応援演説を紹介することにする。食い止めるべき暴走の具体的対象は安倍晋三の弱肉強食の政策そのものだからであり、小沢一郎の演説がこの点に触れているからである。
皆さんには大変お暑い中を、お休みの中を、こうして街頭にお出かけいただきまして本当にありがとうございます。まず皆さんのご厚意、ご支援に対しまして心から厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
ご承知のように参議院選挙もいよいよ後半戦に入っております。今日は私の古くからの友人であり、同志である、たどれば先代の佐藤守良(佐藤こうじ候補の父)先生以来、本当に苦しい時も厳しい時もお互いに力を合わせ、政治的行動を共にしてきた本当の同志である佐藤こうじ君が今回の選挙戦、大変厳しい状況の中で、戦っております。
どうか、皆様におかれましては何としても佐藤こうじ君を皆さんのお力でもう一度国会に送っていただきますよう今日はお願いに参りました。どうぞ宜しくお願いいたします。
今、政権は昨年の総選挙の結果、民主党政権の失敗によって、もちろんその責任の一端を私は回避するつもりはありませんが、自公の政権、安倍政権になってしまいました。
もちろん政治は、どの党であろうが国民皆さんにとって良い政治をすれば、どの党であろうがいいわけです。私も安倍さんが、自民党が国民皆さんのために良い政策を実行し、良い政治をしてくれるのならば、諸手を挙げて賛成いたします。
しかし、今日の安倍政権、自民党の政権運営の考え方を見てみますと、私ども、どうしても相容れない。受け入れられない政権運営のやり方があります。それは何かと言いますと、一言で言えば、今の政治の運営、政策の立て方はすべて強い者の味方、強い側に立ってやっているということであります。
昔から強気をくじき弱気を助けるという言葉がありますが、今は逆だ。強い者をどんどん強くする。そして彼(安倍氏)の言うには、競争力のある大きな企業をどんどん大きくしてそれらが儲けてくれればいい。その儲けを皆で配分すれば皆もよくなるのではないか。そういう理屈を言うわけでございます。
しかし皆さん、この話はいつか聞いたことのある話です。小泉さんも、そう言いました。自由競争、市場経済、自由な競争の中で、勝ち上がった者、強い者、生産性の高い産業をどんどん大きくすればいい。そう言いましたけれども、その結果、どうなったでしょうか。
確かに大企業はどんどん大きくなり、簡単に言えば(今や)大企業の貯金=懐(内部留保)は260兆円ものお金を持っていると言われている。260兆円と言っても想像がつきませんけれども、国の予算が90兆円前後なので、いかに莫大なお金かわかると思います。それだけ儲かったけれども、小泉さんの言うようには、儲かった分が国民皆さんに配分されることはなかった。
あれ以来、国民所得はどんどん減って、10パーセント以上、国民の所得・収入は減っております。したがいまして強い者をどんどん大きくして儲けさせたとすれば、そのおこぼれでもって国民生活もレベルアップするのだということは、全く事実と反することが既に証明されているわけであります。
ところが安倍さんはまた同じことを言っております。強い者をどんどん後押しして大きくするのだ。いずれ時間差はあるけれども、皆さんにも回ってくるに違いない。こういう無責任なことを言っております。
強者の論理、自由競争で勝ち残った者、負けた者はもう仕方がないのだと。企業も、地域も、弱い者を置いてきぼりにする以外にない。それでいいという考え方でございます。私たちは何としてもこの考え方を受け入れることができない。皆さんそうでしょう。自由競争、勝手に自由にやれ、それで勝った者が生き残ればいいのだと。これでは動物の世界、獣の世界と同じであります。
何のために政治はあるのか。政治は強い者だけを助けるのではありません。そうでなくて、弱い立場の人も皆が一定の生活をきちんとやってゆける政策を実行し制度を作る。それが政治の役割であります。
したがって私たちは国民の生活が第一という考え方で、党名も「生活の党」と名付けたわけであります。今アベノミクスとマスコミがもてはやしております。何か国民皆さんに良いことがあるのではないかという錯覚をお持ちになっている方もいるかもしれません。
しかし皆さん、超金融緩和で株が上がった。円が安くなった。これで一体得をした人は誰なのですか。株が上がっても、それは一部の方でしかありません。また円が安くなって一般の人たちが何か利益を得たでしょうか。
物価が上がるだけでありまして、利益を得たのは輸出をしている大企業だけであります。この輸出の大企業は消費税さえ払っていない。消費税はカットされるのです。ですからその意味において、このアベノミクスと呼ばれるものは、マスコミが作り上げたイメージであって国民の皆さんに何もプラスにもならないと、国民の皆さんもだんだん分かってきたと思います。私たちはそういう中で、直接国民生活に関することについて具体的な案を提案いたしております。
今TPPというアメリカとの交渉の問題も出てきていますが、TPPは、農林漁業、一次産業だけに大きな影響があるわけではありません。私は北国、岩手県の出身ですが、アメリカの言うとおり実行されたらどうなるか。そういう試算をいたしました。岩手県の農林水産物の生産高は半分になるという試算であります。
一次産業は致命的な影響を受けるのはその通りですけれども、アメリカの本当の狙いは農林漁業ではないのです。一番皆さんに身近なところを取り上げれば、医療の問題があります。
アメリカは国民皆保険ではありません。自分の収入に応じて自由に民間の会社と保険の契約を結びます。日本では皆保険を当たり前みたいに思っていますけれども、実はアメリカはそうではない。
それでアメリカ人の5000万人に近い人は保険に入れない。医療のサービスを受けられないのがアメリカ社会の実態なのです。そういうアメリカ流のルールを日本でも何とか広めたい。アメリカの大きな医療(保険)会社の後押しがあるだと思います。そういう考え方でTPP交渉が行われる。
ところが陰でアメリカから言われているのかもしれませんが、TPP交渉の前に政府は自分から先端的な医療あるいは非常に先端的な薬、こういうものについては保険の対象外にして自由診療の枠をどんどん広げようとしている。
TPP交渉にまだ入れてもらっていないでしょう。加入はしましたけれども、まだ議論はしていない。その前に政府自体が、安倍政権自体が混合診療、自由診療の枠をもっと拡大している。
皆さんそうなるとどうなりますか。結末はわかりきっています。いわゆる高度な先端技術、先端医療技術、あるいは高価な薬、それを手に入れられるのは一定の所得のある人しかいません。そうしますと、本当にその他の人はこれを受けられない。
そういう状況がどんどん広まってくれば、結局皆保険という制度を維持できなくなってしまう。当然でしょう。収入の多い人はそっちの方に行ってしまうわけですから。国民の健康、命にかかわる医療制度、日本の皆保険は、日本人の健康に関するセーフティーネットです。これさえもアメリカの言いなりにどんどん取り入れようとしているのが今の安倍内閣の実態であります。
また雇用の制度もそうです。安倍さんは雇用人口が増えたと言いますが、それは皆非正規(雇用)。非正規というとアルバイトみたいなもので、いつでも解雇できる。アメリカではレイオフと言って景気が悪くなり、企業の都合が悪くなれば、いつでも首を切れる。
この非正規社員が増えただけで、正規社員は13万人さらに減っているのが実情です。(現状は)38パーセントが非正規であるこの仕組みをどんどん(拡大)してしまうと、いつ首になるか分からないので、自分の人生設計ができなくなってしまいます。
もちろん日本の従来の終身雇用制については、プラスマイナスいろいろな議論はありましたが、少なくとも一所懸命働けば、その会社でずっと勤めることができるという意味で雇用のセーフティーネットでした。これも今崩れようとしている。それを政府自らが崩そうとしている。
今の自民党政権、安倍政権はまさに強い者の側に立つ、大企業の側に立った論理でもって政権運営、政治運営をしている。これは絶対許すことができません。私たちは何としても、そういう政治のやり方にストップをかけなければなりません。
昨年の総選挙において、自民党政権を誕生させてしまったことに私も責任を本当に感じております。何とかしてこの参議院選挙、国民皆さんの受け皿を作らなければいけない。そういう努力をして参りましたが、なかなかできずに選挙戦に突入してしまいました。
「自民党がこんなに勝ってしまったのでは、政権交代はもうとてもできない。」そう思っている方が私たちの仲間にもいますが、決してそんなことはありません。去年の総選挙、なるほど自公でもって3分の2の議席を取りました。しかし、これは小選挙区制度の一つの機能であり、自民党の得票率は全く増えておりません。
総選挙後の全国で色々な首長、市長選挙が行われてきましたが、ほとんど全ての市でもって非自民の候補者が自民の候補者を破っております。どういうことかというと、1対1の選挙戦となれば、国民は今なお、自民党ではなくて、もっと市民のサイド、国民サイドに立った人を、政党を選びたいという気持ちを持っているということです。
先日、小泉さんの地元である横須賀で小泉親父さんと進次郎さんの親子でもって一生懸命に自民党候補を推しましたが、横須賀の市民は自民党でない市長を選んだ。
ですから私は、この広島であれ、どこであれ全国皆そうできるのだと思います。私どもは何としても自民党に代わる本当に国民サイドに立った政権をもう一度打ち立てなければならない。それが今なお国民皆さんの願いであると思っております。
そのためにも、この参議院の選挙戦、何としても、もう1度の政権交代の第一のステップとして、皆さんのお力で我々は一定のきちんとした勢力を維持しなくてはなりません。
どうかそういう大きな背景をもったこの参議院選挙でございます。皆さんのお力で国民のための政権、この火を絶対消さないでいただきたい。そのためにも、佐藤こうじ君を皆さんの代表として是非とも参議院にもう一度送っていただきたい。それが私の皆さんへのお願いでございます。
本当に今日は太田町の皆様、地域の皆様、お忙しい中、こうして大勢ご参加いただきまして誠にありがとうございました。重ねてお願い申し上げましてご挨拶といたします。ありがとうございました。
7月17日、埼玉県県所沢市で山口公明党代表と共に街頭演説を行い、そうのたまわったそうだ。《石破幹事長 公明と連立で暴走ありえない》(NHK NEWS WEB/2013年7月17日 20時27分)
多分、それが最も説得力ある言葉遣いだと思っているらしく、目ン玉を上目遣いにして、一語一語を引きずるような独特の言い回しで尤もらしげに話したのだろう。
石破自民党幹事長「自民・公明両党は、これまで自衛隊のイラク派遣などいろいろなことを議論してきた。『自民党が参議院選挙で勝つと暴走する』という人がいるが、公明党と連立を組んでいるかぎり、自民党が暴走することはありえない」
山口公明党代表「自民・公明両党は、10年以上、連立政権を組んできた経験がある。時々、意見が違うこともあるが、国民が納得する道は何かということを、とことん議論を尽くして結論を出してきた。公明党の持ち味と自民党の力を合わせて国民の期待に応えていくことが大事だ」――
石破茂は東大出だから、自分が何を喋ったか十分に理解しているはずだ。
「公明党と連立を組んでいるかぎり、自民党が暴走することはありえない」・・・・・・・・
つまり、公明党が連立を離脱した場合、つまり、つまり、自民党が単独政権の場合は暴走があり得ると言ったことになる。「自民党が暴走することはありえない」のは、「公明党と連立を組んでいるかぎり」という条件付きなのだから。
このことを裏返すと、自民党は単独政権の場合は暴走しかねない党だと言ったことにもなる。
この場合、つまり公明党が連立を離脱しても自民党が参院で単独過半数の議席を獲得していたなら、石破茂が自民党は暴走を党の体質としていると言っている以上、暴走の条件は維持できることになる。
と言うことは、この参院選で公明党の議席無しで自民党が単独過半数以下の議席しか獲得できず、公明党と組むことでしか参院で過半数を維持できない状況に立たされたとき、自民党は自らが暴走した場合の公明党の政権離脱を恐れて、暴走を抑え、慎重に政権運営することになる。
公明党にしても、「10年以上、連立政権を組」もうと、20年以上組もうと、自民党の体質としている暴走を食い止めるには、既に衆議院では自民党が単独過半数以上の議席を獲得していて、実質的には公明党の議席を必要としていない以上、参議院で公明党の議席無しでは自民党が単独で過半数以上の議席を獲得できない状況の方が自民党暴走の最も効果的なブレーキ役としての力を発揮できることになる。
特に憲法改正問題で、安倍晋三が望んでいて公明党が消極的である憲法改正の各議院総議員の3分の2以上賛成と定めた発議要件を2分の1とする96条改正問題や公明党が反対している集団的自衛権を行使できる国防軍の創設を可能とさせる目的の9条改正は自民党が衆参両院とも単独過半数を獲得していたなら、憲法改正を公約としている野党の協力を必要として両院共に3分の2以上の勢力を確保しなければならないが、反対する連立政党は障害以外の何ものでもなくなって、公明党は自民党暴走のブレーキ役足り得なくなる。
やはり石破茂が望むように、大量議席を獲得した場合の自民党が体質としている暴走を前以て予測し、その食い止めに備えるには参議院選挙で自民党単独では過半数の議席を獲得できない程度に投票する危機管理が国民の側には必要ということになる。
「公明党と連立を組んでいるかぎり、自民党が暴走することはありえない」という天下の自民党幹事長石破茂の折角の条件付けである。その条件を叶えてやろうではないか。
「自民党日本国憲法改正草案」
――自民党草案の「国民主権」は国家の枠をはめた、国家主体の国民主権となっている――
これまで戦後GHQに提出して拒否された松本国務相「憲法改正私案」や自民党「日本国憲法改正草案」、日本国憲法について、2013年7月7日記事―― 《7月6日コメントへの返信/安倍晋三が党首討論で言った「憲法に国の姿を書き込む」と言っていることの意味 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》、2013年4月10日記事――《国民の基本的人権を制約する意思が露わな自民党日本国憲法改正草案の危険性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》、2013年4月8日記事―― 《安倍晋三が「占領軍が作った憲法」だと言うなら、日本国民にとってそれが正解だった日本国憲法 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》、2013年4月9日記事―― 《日本維新の会党綱領の「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」云々の憲法観の筋違いな責任転嫁 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》等で様々に比較してきたが、この記事を書くことによって重複する箇所も出てくるかもしれないし、以前書いていたことと認識が多少違う箇所も出てくるかもしれないが、今回は自民党の憲法草案と松本国務相「憲法改正私案」の近親性にテーマを絞って、その近親性を記憶にとどめておきたいがために、大したことは書けないが、書いてみたいと思う。
先ず最初に自民党草案の「国民主権」が国家の枠をはめた、国家主体の国民主権となっていることを既にブログで取り上げた安倍発言から見てみる。
2013年4月5日衆院予算委での細野豪志の質問に対する安倍晋三の答弁である。
安倍晋三「先ずですね、勝手に私がですね、(笑って)あたかも自由や民主主義や基本的人権を否定しているが如くにですね、発言されるのは極めて迷惑な話でありまして、自民党案に於いても明確に(日本国憲法の三原則である)平和主義・民主主義、基本的人権、この基本的な考え方、いわば国民主権ですね、そうしたものは受け継いでいくということを予めですね、宣言をしているわけでございます。
そこは誤解のないようにして頂きたいと思いますが、憲法制定過程に於ける、問題点についてですね、私は申し上げているわけでありまして、しかし問題点は決して小さなものではないということは申し上げておきたいと、思うわけであります。
そして同時にですね、憲法って言うものについては、権力を持っている、ま、権力者側、に対してですね、かつては王権でありますが、王権に対して様々な制約を国民が課す、という、そういう存在でありました。
しかし今ですね、自由や民主主義が定着していて、国民主権ということが明らかである中にあって、果たしてそれだけでどうかということなんですね。いわば、どういう国にしていくか、ということもやはり憲法には、これは込めていくべきなんだろうと、このように私は考えているわけであります」――
憲法はかつては「王権に対して様々な制約を国民が課す」存在であったが、現在では「自由や民主主義が定着していて、国民主権ということが明らかである」と言っていることは、王権の時代と違って現在では三原則が定着しているから、国家権力の側の権力行使に間違いはない、国家の恣意的権力の行使はあり得ないことを前提としての発言となる。
王権の時代どころか、長い歴史から見たら、すぐそこの戦前の時代に大日本帝国は国民の基本的人権と民主主義と平和主義を無視した権力の恣意的行使を恣(ほしいまま)にした。
いわば安倍晋三は、基本的人権や平和主義、国民主権が定着しているからと、日本国憲法は勿論のこと、憲法というものが基本的原則としている国民の側からの国家の恣意的権力行使に対する制約を、「果たしてそれだけでどうかということなんですね」と言って、他と並立する一つの役割に貶め、そこに「どういう国にしていくか」と、当然、国家権力があるべきとする、具体的に言うと安倍晋三があるべきとする国家の形を並立させようと欲している。
勿論、「どういう国にしていくか」、新たに国の姿を書き込んでも、その国の姿が国民の側からの国家の恣意的権力行使に対する制約という憲法が持つ基本的原則に縛られる構造であるなら問題はないが、発言の趣旨はあくまでも国家権力に対する制約と国家の姿を並立させたニュアンスとなっている。
このことは7月3日日本記者クラブ9党党首討論での安倍晋三の発言からも証明できる。
福島社民党党首「私は憲法は国家権力を縛るものだと思っています。立憲主義です。総理はこれに同意をされますか。もし同意をされるとすれば、自民党の憲法改正案はこれに則ったものでしょうか」
安倍晋三「先ず、立憲主義については、『憲法というのは権力を縛るものだ』と、確かにそういう側面があります。しかし、いわば全て権力を縛るものであるという考え方としては、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であってですね、今は民主主義の国家であります。その民主主義の国家である以上ですね、同時に、権力を縛るものであると同時に国の姿についてそれを書き込んでいくものなのだろうと私達は考えております」(読者指摘の文章からの採録)
当たり前のことだが、憲法が国家の姿を描くことを原則の一つとして国民の側からの国家の恣意的権力行使に対する制約という憲法の基本的原則と並立させた場合、本来的に国家権力は国民を縛る方向のメカニズムを備えるゆえに、だからこそ、憲法で国家権力を「縛る」必要性が生じることになったのだが、国家権力が常に常に無害であるなら、そういった必要性は生じないわけで、特に安倍晋三にはそういった衝動を精神的メカにムズとしているゆえに、後者の制約を薄める危険性を抱えることになる。
憲法が国家重視の姿を取ったとき、いくら国民主権を謳おうと、国家主体の国民主権を構造とすることになる。あるいは国家主体の枠をはめた国民主権となって、国家権力に対して国民主権は従の関係に置かれることになる。
果たして「自民党日本国憲法改正草案」がそうなっているかどうか見なければならない。
その前に2013年7月9日のTBSテレビ「NEWS23」の党首討論で、谷岡郁子みどりの風代表が「自民党日本国憲法改正草案」に対する国家主体の疑いを指摘した発言を取り上げてみる。
谷岡郁子みどりの風代表「今の憲法議論で基本的なことを考えなければならない。『日本国民は』で始まる私たちの憲法。これは日本国民が憲法の制定をしている。この憲法の制定によって、国家という概念が初めて生まれる。従って、国民のための国家である。
ところが自民党の今の案というのは『日本国家』で始まっている。つまり、この国民が制定者ではなくて、日本国という今までにはない概念がそこに入ってきてしまう。
先進国、殆どが『何々国民は』という形でつくられている。そうでないのは、例えば『国が』という形でつくられているのは中華人民共和国の憲法です。やはりそういうところに近づけるような、そういう基本的な考え方、立憲主義というもの、ここにについての柱の建て方というものを非常に大きな問題だと思っています」――
いわば日本国憲法は国民主体の国家の姿を描いているが、「自民党日本国憲法改正草案」は国家主体の国民の姿となっていないかという疑いを提示している。
日本国憲法が『日本国民は』で始まっているのは国民が主人公だということであろう。だが、多くの国家権力者は、あるいは国家権力層に属する政治家は、国家が主人公だと思っている。
次に国立国会図書館HPの《松本国務相「憲法改正私案」のページには「前文」を元々備えていなかったのか、記載されていないから、「自民党日本国憲法改正草案」の前文を見てみる。
前文
日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
前にブログに書いたことだが、「国民主権の下」と謳いながら、国民を主人公として位置づけているわけでもなく、国民主体としているわけでもなく、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家」だと、そのような国家を基本的な国の形として国民との関係性を上下で位置づけた文言となっている。 日本国憲法 前文
なぜなら、「戴く」とは自身に対して上に位置させた関係性を言うからだ。天皇は国民統合の象徴として敬う関係にあるが、国民主権とする以上、憲法に国民を下に置いて上下で位置づけた関係性を規定していいはずはない。国民主権とはあくまでも国民を国家権力よりも上に位置づけた関係性としなければならない。
そうでなければ、国民が国家権力を制約するという憲法の基本的原則は無効としなければならない。
「戴く」という言葉によって、秘かに天皇の上位性を打ち出している。
「前文」で既に「自民党日本国憲法改正草案」は国家主体の憲法であり、国民主体の憲法とはなっていなことを露呈している。
だからこそ、日本国民が、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合」うのはいいが、それはあくまでも社会人としての社会形成の務め(=義務)であって、そのような行為を以って「国家を形成する」と、国家形成の義務付けにまで高めて、国の姿を優先させている。
このことは戦前の日本国家が国民の行為を何事も「天皇陛下のために」あるいは「お国のために」等々、当時の国家形成の義務・国家的義務と結びつけていたことと本質的のところで変わらない。
「天皇を戴(いただ)く国家」、「国家を形成する」、「国を成長させる」、「国家を末永く子孫に継承する」等々、すべて国家の姿を優先させている。
このことは現日本国憲法の前文と比較すれば、一目瞭然である。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
「自民党日本国憲法改正草案」が様々に展開している国家形成を義務付けている国家主体の文言は日本国憲法前文には一言も存在しない。 松本国務相「憲法改正私案」(一月四日稿 松本丞治/国立国会図書館/日本国憲法の誕生)
では、「自民党日本国憲法改正草案」と1946年1月4日作成の松本私案との近親性を今までもブログに書いてきたが、国家主体という観点からの近親性を記憶して貰うために改めて纏めてみる。
松本私案は第七十五条削除と補足で終わっているが、国の姿を表わすことになるために主に天皇の役目と国民の基本的人権に関わる条文のみを取り上げて、「自民党日本国憲法改正草案」と対応する条文との比較を行なってみる。
第三条 天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス
第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会、閉会及停会ヲ命ス
天皇ハ衆議院ノ解散ヲ命ス但シ同一事由ニ基キ重ネテ解散ヲ命スルコトヲ得ス
第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス 但シ議院法ノ定ムル所ニ依リ帝国議会常置委員ノ諮詢(参考として意見を聞く。)ヲ経ヘシ
此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効カヲ失フコトヲ公布スヘシ
第九条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ行政ノ目的ヲ達スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
第十一条 天皇ハ軍ヲ統帥ス
軍ノ編制及常備兵額ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第十二条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ戦ヲ宣シ和ヲ講ス
前項ノ場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ帝国議会ノ召集ヲ待ツコト能ハサル緊急ノ必要アルトキハ議院法ノ定ムル所ニ依リ帝国議会常置委員ノ諮詢ヲ経ルヲ以テ足ル此ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ報告シ其ノ承諾ヲ求ムヘシ
第十三条 天皇ハ諸般ノ条約ヲ締結ス但シ法律ヲ以テ定ムルヲ要スル事項ニ関ル条約又ハ国庫ニ重大ナル負担ヲ生スヘキ条約ヲ締結スルハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ
前項但書ノ場合ニ於テ特ニ緊急ノ必要アルコト前条第二項ト同シキトキハ其ノ条規ニ依ル
第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ役務ニ服スル義務ヲ有ス
第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第三十一条 日本臣民ハ前数条ニ掲ケタル外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナシ
松本私案に於ける天皇の役目は大日本国憲法が定めた戦前の天皇の役割と殆ど変わらない。「天皇ハ至尊ニシテ侵スヘカラス」絶対的存在と規定した日本国家の姿を取っている。
「議院法ノ定ムル所ニ依リ帝国議会常置委員ノ諮詢ヲ経ヘ」ることさえすれば、「公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス 」ることさえ可能としている。
この「公共の安全」が、その名の下に国民の抗議行動に対する規制・弾圧、あるいは基本的自由に関わる様々な活動に対する規制・弾圧の姿を取らない保証はない。
天皇を「至尊ニシテ侵スヘカラス」絶対的存在とすることによって、当然、日本国民は天皇に対して遥か下に置かれた存在となり、国民主権など程遠い。
勿論、「自民党日本国憲法改正草案」は天皇を絶対的存在とはしていないが、前文で、日本国家を「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」だと見做して、天皇を国民の上に置き、国民を天皇の下に置いた国家主体の姿を取っていることや、その他国民に国家形成の義務付けを担わせた国家主体の姿を取っていることが既に国家主体の枠をはめた国民主権を構造としている以上、「第一章 天皇 第一条」で、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と謳った「主権の存する日本国民の総意に基づく」の「国民主権」は国家主体の枠をはめた国民主権でしかなく、そのような国民主権を基準として天皇を国家元首に位置づけていることを考えると、絶対的存在に擬したい衝動をそこにはめ込んでいると見なければならない。
基本的人権の自由について先ず松本私案を見てみる。
第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第三十一条 日本臣民ハ前数条ニ掲ケタル外凡テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナシ――
松本私案は「信教の自由」の保障を「安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ」と条件を付けているが、この「安寧秩序」は国家権力側の意図する「安寧秩序」であって、国家権力の恣意的行使を制約するとする憲法の基本的精神を明らかに逸脱し、逆に国家権力の恣意的行使を可能とする、あまりに非民主的な国家主体優先・国民主体排除の条文となっている。
いわば国民の「自由及権利」を国家権力が規制することができるものと見做している。
第三十一条の「日本臣民ハ前数条ニ掲ケタル外凡(すべ)テ法律ニ依ルニ非スシテ其ノ自由及権利ヲ侵サルルコトナシ」にしても、「凡(すべ)テ法律ニ依ルニ非スシテ」と法律によらなければ、「自由及権利」は侵されることはない、いわば、法律によって侵される場合もあると国家権力による規制を謳っている。
松本私案が民主国家を憲法の体裁としていない以上、その「法律」たるや、国家権力が国民統合に都合のいい法律を強制しない保証はない。
次に「自民党日本国憲法改正草案」を見てみる。
「第三章 国民の権利及び義務」
(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
(人としての尊重等)
第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。――
「自民党日本国憲法改正草案」が「前文」からして国民主体ではなく、国家主体の憲法を内容としている以上、いくら条文で民主主義を謳おうと、国民主権を謳おうと、国家主体の枠をはめた民主主義であり、国民主権であって、「憲法が国民に保障する自由及び権利」にしても、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」にしても、国家権力が意図する「公益及び公の秩序」の制約を受けることになる。あるいは国家権力が意図する「公益及び公の秩序」の範囲内にとどめられることになる。
いわば、「公益及び公の秩序」が国家権力側が意図し、担うルールであるなら、憲法が原則とする国家の恣意的権力の行使を国民の側が制約するとする立憲主義の役割を反故にすることになる。
当然、以下の条文が謳っている、「法の下の平等」の保障にしても、「思想及び良心の自由」の保障にしても、「信教の自由」の保障にしても、「表現の自由」の保障にしても、「居住、移転及び職業選択等の自由等」の保障にしても、「学問の自由」の保障にしても、その他諸々、「公益及び公の秩序に反してはならない」とい文言は直接書き込んではいないが、その文言通りの規制を国家権力側から受けることになる。
松本私案と「自民党日本国憲法改正草案」のこれ程の近親性はないであろう。
GHQのマッカーサーから非民主的だと激しく拒絶された松本私案である。その松本私案と「自民党日本国憲法改正草案」が近親性を持つ。
安倍晋三やそれ以下の自民党政治家が戦前の日本を取り戻したい衝動に駆られているゆえに松本私案と近親性を担うことになった「自民党日本国憲法改正草案」だと言うことができる。
安倍晋三が現日本国憲法を占領軍がつくった憲法だと忌避するのも、この近親性を持たせている国家主体の思想から日本国憲法が外れているからこそのところにあるはずだ。
記事題名がそのまま伝えている。《富士山3連休の登山者 去年より6%減》(NHK NEWS WEB/2013年7月16日 4時47分)
山梨県側の吉田口登山道での登山者数であって、すべての登山道での増減ではないが、しかし6月26日の世界文化遺産登録後の初めての3連休で登山者が殺到するだろうと思っていたから、前年比6%減というのは予想外であった。
7月13日から7月15日午後6時までの3連休登山者は1万4350人。前年度は1万5265人で、915人減ったことになる。
土日と登山して、月曜日を休養日とすれば、疲れを仕事の平日に持ち越さずに済む13日土曜日の連休初日ですら、7157人と去年とほぼ同じだそうで、14日日曜日が5590人、去年より13ポイント程少なかったという。
〈また、山小屋に泊まらず夜通し山に登り、御来光を見るいわゆる「弾丸登山」とみられる登山者は連休前日の12日金曜日からの3日間で1921人と去年より20%ほど少なくな〉ったと書いている。
富士吉田市の説明によると、土曜日からのマイカー規制を今年は金曜日の午後5時からに早めたためではないかと分析しているそうだが、体力ある若者にとって世界遺産登録後の弾丸登山は記念として、あるいは勲章として好まれ、挑戦の対象となりやすいように思えるが、そうでもなかったということなのだろうか。
前年比減少の考え得る理由の一つは世界遺産登録後初の3連休ということで、登山者が殺到し、混雑すると予想、警戒して却って登山を敬遠したのではないかと疑うことができる。
もう一つ、世界遺産登録されたということで気が逸ったのか、7月1日の富士山山開きから最初の週末の7月6日までの間に前年以上に登山者が殺到したことが連休中の登山の先食いとなって、逆に連休中の登山者を減らしてしまったと考えることもできる。
尤も、山開き後の混雑をテレビ・新聞等で知って三連休中のなお一層の混雑を予想、上記理由と同じで、警戒して敬遠したという理由も重ねることができるかもしれない。
次の記事から7月初めの登山者数を見てみる。《遺産効果 早くも1万人超 最多更新の見方強まる》(山梨日日新聞/2013年07月07日)
この場合も山梨県側の吉田口登山道での把握で、6合目安全指導センター前を通過した登山者に対するカウントだそうだ。
山開きした7月1日から7月5日までの5日間の登山者は昨年の1.5倍。
7月6日は強風が吹き荒れる悪天候にも関わらず、午後10時現在の登山者数は5055人で、7月1日からの累計は1万人を突破。
昨年は山開き後最初の土曜日の登山者数は4690人、1万人を突破したのは1日遅れの7月7日。
7月1日~7月5日の登山者数は6672人。昨年同時期を2322人(53.4%)上回った。
この数字は夏山シーズン中の登山者数が過去最多の25万9658人となった2010年よりハイペースの推移だそうだ。
記事は、3連休となる来週以降はさらに登山者が増える可能性を予想している。
富士吉田市富士山課担当者「今夏は過去最多の登山者数になる可能性は大きい」
5合目「こみたけ売店」小佐野昇一社長「例年山開き直後の客足はよくないが、世界遺産効果なのか、観光客はとても多い」――
世界文化遺産登録が例年の山開き後の客足の悪さを補ったということなら、7月中旬の3連休はなお一層その傾向が出てよさそうなものだが、逆の傾向となった。
果たして先食いなのだろうか。混雑を予想して敬遠した危険性回避からの手控えなのだろうか。記事は、〈地元関係者の間では、世界遺産登録効果で今シーズンの登山者数は過去最多を更新するとの見方が強まっている。〉と解説している。富士登山など考えたことのない者の間でも、世界文化遺産登録を機に一度日本一高い富士山に登ってみようという気を起こすのが人間の情というものである。山開き後の例年を1.5倍を上回る登山者殺到が招いた先食いからの3連休中の登山者数の減少とは考えにくい。
山開き直後数日の混雑を知って、3連休中のなおの混雑を予想、警戒して敬遠する気持が働くというのも人間の情の一つとしてある。
より時間的余裕が取れる夏休みが高校生なら7月末から8月一杯、大学生なら8月9月の2カ月間、社会人なら8月中旬の1週間前後間近に控えていて、混雑回避から3連休から夏休みに回したとしたら、夏休みがより混雑するとしても、休養日を数日用意できて時間的余裕を持つことができることに変りはなく、却って混雑の危険性回避の分散に役立つ。
富士山の間近の世界文化遺産登録にも関わらず、7月3連休の富士山登山者が前年比で減少したことを予想される混雑の危険性回避の心理が働いたと把えて、参院選で自民党が大勝、大量議席獲得した場合の危険性にも当てはめるべき回避意識ではないだろうかと有権者に訴えた立候補者は一人でもいたのだろうか。
大量議席獲得による怖い物なしの心理に囚われてかつての自民党の驕り、暴走の復活、あるいはかつてお得意としてきた地元利益誘導政治のDNAの復活、財政のムダを生んだ土建政治のDNAの覚醒等々、十分に考え得る危険性に対する回避の心理を有権者は働かせるべきだと。
例えば自公政権は震災被災地の復興事業で資材や工事の人材が集中、資材と人件費の高騰と人作業員不足を招いているにも関わらず、防災・減災の名のもとに大量の公共事業を復活、全国に広げているが、資材と人件費の高騰と人作業員不足を全国に広げることになって、このことが被災地と全国共々に影響し合って工事の受注希望の業者がなく、入札が成立しない「入札不調」が被災地の場合は前年度比1.6倍、北海道では今年度の3カ月間は昨年同時期と比較して約2倍の「入札不調」(2013年7月9日付「NHK NEWS WEB」)となっていて、全国的に拡大している可能性を指摘している。
被災地の公共工事は不可欠だろう。だが、工事が集中することによって資材と人件費の高騰と人作業員不足を招いている状況下で被災地以外の公共工事を選挙の票になるからと言って計画もなく無闇に増やせば、国の財政の負担を招く。
かつて来た自民党土建政治への逆戻りである。
こういったことになりかねないことを前以て予測し、自民党に驕らせず、暴走させずの程々の謙虚さを持たせる危険性回避策として、有権者は大量議席獲得だけは阻止する心理を働かせた方が懸命と言うべきではないだろうか。
自民党は変わったという。前の自民党とは違うと繰返す。自民党は改革政党になったと。
安倍晋三も政権交代を受けて、2012年12月25日、党の新執行部人事を一新したとき、次のように発言している。
安倍晋三「自民党は変わったことを人事でも示すとともに、来年の参議院選挙を勝ち抜くための執行部を作った」(NHK NEWS WEB)
第1次安倍内閣で官房長官を務めた塩崎恭久(やすひさ)の、現在衆議院議員だから、自民党参議院立候補者の応援なのだろう、松山市での街頭演説で、自民党がさも改革政党になっているかのように喋っている発言を次の記事が伝えている。
.《「役人の言う通りになる人いるかもしれぬ」自民・塩崎氏》(asahi.com/2013年7月14日21時43分)
塩崎恭久「参院選挙で何とか過半数を取らせてもらったら、もう1回強い日本を復活させる。その大仕事が残っている。
その時に、自民党の中で、役人の言う通りになる人がいるかもわからない。そして、業界の話ばかり聞いて国民のことを忘れる人がいるかもわからない。でも、我々は頑張る。これから、本当に自民党が改革政党なのかどうか、わかると思う」
一部に不心得者が出るかもしれないがと警戒線を張っているものの、改革政党であることを前提の文脈となっている。
政権交代前の2012年9月、野田政権下で各省庁の復興予算流用問題が表面化し、批判が巻き起こった。
東日本大震災を受けて国が5年間で19兆円を投じる復興予算のうち、「東日本大震災を教訓として、全国的に緊急に実施する必要性が高く、即効性のある防災、減災等のための施策」という名目で充てられていた1兆円が、復興とも防災・減災とも関係のない、各省庁の予算に流用されていた。
2012年10月18日午前の参院決算委員会。
蓮舫「一言言わせていただきたい。もともと(菅)内閣が出した復興基本法案は対象を被災地に限定していたが、自民党さん、公明党さんからの建設的な意見も踏まえ、対象は日本全国になった。
さらに7・1兆円上積みしろといわれた。立地補助金が足りないから5千億円上乗せしろと指摘された」(MSN産経)
ねじれ国会のために菅内閣は法案を通すために自公の意見を取り入れて、被災地限定の使途を1兆円を限定に全国使途とする修正を行い、法案を成立させた。
だとしても、1兆円が適正に使途されているかどうか監査・監督するのは当時の野田内閣であった。
安倍晋三も野党自民党総裁時代の2012年10月31日、野田首相の所信表明演説に対する衆院代表質問で野田内閣の復興予算流用問題を激しく批判している。
安倍晋三総裁「野田総理、被災者の皆様は、百万遍の美辞麗句より、ふるさとでの生活を取り戻すという結果を求めているのです。今もまだ、32万人の方々が避難生活を強いられています。新生活へと踏み出すための集団移転は、いまだ5割以上が着工すらできていません。
農地も漁港もいまだ3割程度しか復旧していません。新たな生活への見通しが立たないまま、被災地の皆さんは二度目の冬を迎えます。総理、あなたは1月にこの場で『復興を力強く進めていく道具立てが揃いました』と語りました。しかし、どの道具もあなたは使いこなせていません。
予算があっても現場では人手が足りず、使い切れない。復興庁があっても『査定長』などと呼ばれ、『自治体が案をつくり、国の復興庁は査定する』というお役所的な丸投げの発想が蔓延しています。
我々ならばまず、復興庁の役人の意識を根本的に改めます。そして受け身ではなく、国の職員達が自ら被災地に入り込み、被災地の皆さんと一緒になって復興プランを練り、着実に実行していきます。復興庁が発足してからほぼ9ヶ月。総理のリーダーシップで何が変わったのでしょうか。自民党が政権を回復した暁には、現場主義で現場に入り込み、被災者の皆さんと共に真の復興を『実行』する決意であることを宣言します。なお、政府・与党は復興予算を流用し、なおかつ、それをわが党のせいにするなど言語道断であり、強く抗議いたします。」――
野田内閣は「予算があっても現場では人手が足りず、使い切れない」と批判している。一昨日のブログに書いたが、この状況は安倍内閣になっても変わらない。変わらないばかりか、批判しておいて、劇的に変えることができていないのだから、なお始末に悪い。
復興予算の流用問題に関して、「政府・与党は復興予算を流用し、なおかつ、それをわが党のせいにするなど言語道断であり、強く抗議いたします」と語気鋭く批判している。
菅・野田両内閣の復興対応の拙劣さを反省し、学習したのだろう、政権交代を果たして首相に就任すると、被災地に対する「現場主義」を打ち出した。
2012年12月26日、首相就任記者会見。
安倍晋三「東日本大震災の被災地は、2度目の寒い冬を迎えています。いまだに32万人の方々が仮設住宅などで避難生活、困難な生活を強いられています。復興の加速化が何よりも重要であると認識をしています。
被災地、とりわけ福島の現場の声に精通をした方に復興大臣になっていただきました。被災地の心に寄り添う現場主義で、復興庁職員の意識改革、復興の加速化に取り組んでいただきます。
特に福島については、除染や生活再建など、課題は山積でありますが、新設をした福島原発事故再生総括担当大臣を中心に、関係省庁の力を結集して、国が前面に立って、国の責任において、福島の再生に取り組んでまいります。閣僚全員が復興大臣であるという意識を共有し、あらゆる政策を総動員してまいります。これにより、単なる最低限の生活再建にとどまらず、創造と可能性の地としての新しい東北をつくり上げてまいります」――
「被災地の心に寄り添う現場主義」には美しい言葉の響きがある。
年が明け、安倍内閣となって初めての「第5回復興推進会議」が首相官邸で2013年1月10日開催された。安倍内閣となって初めてだというのに、時間は13時10分から13時38分のたったの28分。
例えたったの28分であっても、「被災地の心に寄り添う現場主義」を自らの心としたたったの28分だったに違いない。
最後に報道関係者が入室して、会議議長である安倍晋三が発言。一種のセレモニーなのだろう。
それでも復興予算の流用を戒め、「使途の厳格化」を指示した。
安倍晋三「いまだ槌音が聞こえな 現状を改め、復興を目に見るものとし、新たな東北の創造に向 けて復興を進めいく必要があります。このため復興予算のフレーム、5年間で 19兆円を見直し、予算確保に関する不安を払拭すると共に、流用等の批判を招くことがないよう、使途の厳格化を行うこと」――
復興予算の流用はあってはならない、批判を招いてはならない、使途は厳格化するようにと指示を出した。この指示は厳命であるはずだ。厳命でなければ、前民主党政権に対する反省にもならなければ、学習にもならないし、大体からして「被災地の心に寄り添う現場主義」とはならない。
流用を一切排除して、被災地限定の使途とすることによって、「被災地の心に寄り添う現場主義」となり得る。
この「第5回復興推進会議」には副議長の根本復興相はもとより、麻生副総理兼財務相や谷垣法相、下村文科相、甘利、稲田等々多くの閣僚が出席している。当然、安倍晋三の厳命は各閣僚とも、自身の厳命としなければならないはずだ。
でなければ、厳命が宙に浮いてしまう。
2013年1月10日の「第5回復興推進会議」から2カ月半の2013年4月25日の参院予算委員会。
攻守所を変えた国会質疑。
蓮舫「実は、私は去年からずっとこの復興予算は追い続けてきました。民主党政権で何でこんな間違った予算編成しちゃったんだろうかと。本当に必要な事業の中に、増税をした方に御理解を頂けないような、流用と言われてしまうような事業が盛り込まれたことを我々は反省をして、もうこういう執行がされていないという視点で私はずっと追いかけてきました。
実は、そうした中で、今なお理解が得られないような、被災地以外で被災地とは関連の薄い事業が行われている可能性が高いということが分かりました。フリップを御覧いただきたいと思うんですが、(資料提示)野田内閣は見直しをしようとした途中でした。そのときに政権交代が解散・総選挙を経て行われた。
野田内閣のときには、平成23年度第3次補正、平成24年度当初予算で合わせて13兆の復興増税を財源にした復興予算を事業として執行いたしました。今、根本大臣がおっしゃったように、被災地向け事業、全国防災事業、これは整理をして、全国向け事業はこれを見直しをした。これはもうそのとおりだと思います。ただ、問題は、基金として、ここからこぼれてしまう事業が2兆ぐらい支出をされています。39の基金があり、年度を越えた今なお執行され続けている。
根本大臣、確認したいんですが、基金事業も厳格化の対象とされましたか」――
要するに復興予算の使途は被災地限定と厳格化したが、使途被災地限定としながら、復興予算の中から各省庁に基金として配分・積み立てた2兆ぐらいの予算は、それぞれの事業執行に於いて使途被災地限定の厳格化の対象となっているのかどうか質問した。
根本復興相「先程申し上げましたが、今回の予算に当たって、被災地向け予算、これはつまり、被災地向け予算は全て復興庁に一括計上する、そしてこれは被災地の要望を一元的に受理して、必要な予算を一括して要求し確保しておりますから、ここの段階で我々はきちんと厳格化している。
それから、執行段階でも、復興庁が事業箇所などの事業の実質的内容を決定して府省へ予算の配分を行っていますから、ここでもきちんとチェックしている。基金の場合は一回ですよ。基金の場合は各省庁それぞれありますから、それは確認していただきたいと思いますが、基金事業の場合は基金で一回積みます。そこはそれぞれの各省庁でフォローするということだと思います」
蓮舫「根本大臣、確認させてください。
先ほど来御答弁されているのは、25年度予算案については厳格化をした。じゃ、野田内閣でつくった23年度3次、24年度で積まれた基金は、各省庁において使途が厳格化されたことを確認をされていますか」
根本復興相「ちょっと丁寧に申し上げますが、基金は、復興関係の基金に予算を配分するに当たっては、関係府省においてそれぞれの基金の使途や執行見込みを確認した上で支出が行われており、その執行についても基金が設置された段階で適切に行われるべきものと考えております。要は、基金で一回積んだら、そこはその段階できちんとフォローしてもらうと、こういうことです」
蓮舫「いえ、違います。基金は、積んだ段階で確かに国からは補助金として執行するので100%の執行率になるんですが、基金の良さというのは年度を越えて支出をすることができますから、そこで全部フォローは終わったわけじゃないんです。そこから先に使われているかどうかというのを見直しをしていく、その使途の厳格化は行いましたかという確認をさせていただいています」
根本復興相「その点については、この基金の話は先ほど私が答弁したとおりの考え方でやっております。そして、今年度からは、基金の執行状況について、執行状況についてですよ、各府省が基金シートを作成し公表を行うこととされております。これは新たな取組で、公表を行うこととされている。復興関係の基金の執行状況についても、このような取組を通じて結果的にきちんとフォローされるということになると私は考えています」――
予算の執行状況については新たな取組として各府省が基金シートを作成して公表することになっているから、予算執行の厳格化は大丈夫だと請け合っている。さすが、「被災地の心に寄り添う現場主義」を貫いている。
蓮舫はなお例を上げて追求し、「茂木大臣の地元栃木、家電量販店、基礎自治体が存分にこの制度(基金)を活用して補助を受けています」と攻めた。
茂木経産相「資料を使って御説明いただきましたが、まず基本のところで、平成23年度、そして24年度の当初予算、これは民主党政権時代にお作りになったんですね。そして、そこの中でこういった全国を対象にした事業をおやりになった。ただ、執行が遅れたということで基金化されたんじゃないですか、皆さんが。
我々が基金化したわけじゃないんです、これは。皆さんの時代に基金化をされたんですね。そして、恐らくそういった事業を始められたと」――
これでは先に触れた2012年10月18日午前の参院決算委員会で、蓮舫が野田内閣が監査・監督の責任を負っていることを棚に上げて、復興予算の被災地限定の当初予定に対して自公が全国の防災・減災事業に使えるようにしたことから流用が行われることになったと責任転嫁したのと同じ論理となる。
例え野田政権が組んだ予算・基金であっても、政権交代した以上、予算執行の監査・監督は安倍内閣が負う。とても自民党は変わった、改革政党になったとは思えないし、安倍晋三の厳命にもかかわらず、「被災地の心に寄り添う現場主義」を窺うことはできない。
ここで安倍晋三の答弁を取り上げてみる。
安倍晋三「各所管大臣の責任の下で適切に執行されるものと承知をしておりますが、基金の執行状況等を継続的に調査、公表することは、効率的に資金を活用する観点から今重要な取組と考えているわけでございます。
こうした考えから、4月4日の第2回の行政改革推進本部に於いて復興事業を含めて、先ほど答弁させていただいたように、基金シートの作成について決定をしたわけでございまして、財務省としっかりとこれは、財務省にやっていただけるわけでありますけれども、行政改革推進会議と財務省と協力をしていただいて基金事業の適切な執行を求めていきたいと、こう思っております。
先程、山口県とか我々の出身の県を例として挙げられました。これ全然関係ない話ですからね。まるで我々がそこにそういう事業を持っていったかのようなイメージ操作をあなた、しようとしているんでしょうけれども、まず第一に皆さんがやったということはきっちりと反省していただいて、その上において我々はもう一度しっかりと予算の執行については厳正に対処していくということははっきりと申し上げておきたいと思います」――
復興予算は適切に執行される、復興予算の中から各省庁に積み上げた基金の執行も、基金シートの公表によって大丈夫だ、厳正に対処していくことを約束する、安倍晋三の地元の山口県の例を挙げたのは為にするイメージ操作ではないのかと、蓮舫に対して逆ギレしている。安倍内閣に間違いはないと。
このような逆ギレも、「被災地の心に寄り添う現場主義」に徹するあまりの感情の発露に違いない。
復興予算は各省庁に配分されたうちから各自治体に基金として配分・積み立てた予算もある。自治体管理のその基金が被災地以外の事業に流用されている疑いが出てきた。
《復興予算流用の指摘 執行停止も検討》(NHK NEWS WEB/2013年5月9日 15時12分)
5月9日の記者会見。
菅官房長官(流用の疑いについて)「現在、全国向け事業を対象としている基金について、執行状況の調査を行っており、調査内容がそろそろ上がってくる時期だ。
前政権からずっと続いていることだが、私どもの政権になり『流用は許さない』ということでスタートした。精査、調査して、現実にそうしたことがあれば、執行停止を含めて行っていくのが今の政府の考え方だ」――
「私どもの政権になり『流用は許さない』ということでスタートした」の発言は、安倍晋三の使途厳格化の厳命に対応した言葉であるはずだ。
ここで既に自民党が変わったかどうかが試される。変わったことで、改革政党となり得るのかどうかの試金石となる。塩崎恭久のように「これから、本当に自民党が改革政党なのかどうか、わかると思う」と、改革政党となっていることを前提とすることは許されない。
《復興予算、雇用でも流用 被災地以外に1千億円》(asahi.com/2013年6月3日8時0分)
〈東日本大震災の復興予算で2千億円がついた雇用対策事業のうち、約1千億円が被災地以外で使われていることがわかった。被災地以外の38都道府県で雇われた約6万5千人のうち被災者は3%しかおらず、被災者以外が97%を占める。「ウミガメの保護観察」や「ご当地アイドルのイベント」など震災と関係のない仕事ばかりで、大切な雇用でも復興予算のずさんな使われ方が続いている。 〉――
被災地以外の約1千億円とは被災地以外の38都道府県に基金として配られた1085億円算で、〈朝日新聞が38都道府県に聞いたところ、11~12年度に雇われた人は計約6万5千人にのぼるが、被災者は約2千人にとどまった。〉と解説している。
2千億円から1085億円をマイナスすると、915億円が東北や関東などの被害が大きかった9県が運営する雇用対策基金に配られた。
この予算配分から「被災地の心に寄り添う現場主義」を金額的に算出すると、半分以下程度ではあるが、精神的に算出すると限りなく希薄化することになる。
2013年4月25日の参院予算委員会での蓮舫の追及から約1カ月経った2013年5月20日の参議院決算委員会で安倍晋三は、調査の結果を踏まえて、予算執行見合わせの可能性に言及した。
安倍晋三「復興関連予算の使途については、本年1月の復興推進会議に於いて、不適切使用等の批判を招くことがないよう使途の厳格化を行うことを指示したところであります。それを踏まえて、復興関連予算については、被災地域の復旧復興に直接資する施策のみを復興特別会計に計上することを基本とし、平成24年度補正予算及び25年度予算について使途の厳格化を図りました。
また、執行段階でも、こうした予算について、復興庁が事業箇所等の事業の実質的内容を決定し各府省への予算の配分を行っており、このような予算計上の仕組みは復興予算の適切な執行や効果的かつ無駄のない活用につながるものと考えています。
昨今、全国向け事業を対象としている基金について不適切使用ではないかとの議論がありますが、現在、所管省庁、復興庁及び財務省においてその執行状況等の調査を行っているところであります。この結果を踏まえて、執行を見合わせること等も含め、適切に対処してまいります」――
安倍晋三は1月の復興推進会議での復興予算使途厳格化の自身の厳命が有効な実効性を持たせることができたかである。できたかどうかでリーダーシップが決まってくる。
「震災等緊急雇用対応事業」の場合は、〈被災地以外の38都道府県の基金に配られた〉と「asahi.com」は書いているが、「NHK NEWS WEB」記事によると、調査の対象は各自治体等が管理する16の基金で、配分された復興予算は約1兆1500億円、政府は未使用の約1400億円のうち約1000億円を各自治体などに対して今後返還を求めていく方針だと解説している。
〈残る400億円余りについては、被災地や被災者向けに使い道を限定する形で執行を認める方針で、政府は調査結果を取りまとめたうえで発表することにしています。〉――
もっと多くの基金が存在するはずで、それを16の基金のみを調査対象としたということは被告が裁判官を務めて自らの罪を軽くするのと同じではないだろうか。
未使用の約1400億円のうち約1000億円が不適切使途――流用に当たると言うことなら、単純計算で、配分予算約1兆1500億円のうち流用は約8200億円相当と計算可能となる。
もっと多くの基金が存在することを計算すると、相当な流用額となる。
安倍自民党は野田政権の復興予算流用を厳しく批判し、自分たちは違うと胸を張った。自民党は変わった、改革政党だと国民に売り込んだ。
だが、国民の目がアベノミクスの成果だと持て囃し、騒ぎ立てていた円安と株高に注がれている裏で、「被災地の心に寄り添う現場主義」をウリにし、去年暮れの総選挙前の福島県会津若松市での街頭演説で、「福島の復興、被災地の復興なくして日本の未来はない」と言いながら、復興の資金となる予算を満足に管理できていない姿を曝していた。
これでは復興予算を舞台とした民主党政権と変りはない。とても自民党は変わった、改革政党だとは言えないはずだ。
このような体たらくでは、例え経済が良くなっても、予算のムダや財政の悪化は変わらないことになる。
安倍晋三の勇ましい口ぶりに騙されてはいけない。
安倍晋三が任命した飯島勲内閣官房参与が7月14日(2013年)、日本テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して、政府がまだ訪朝結果を公表していないにも関わらず、全国民に向けて、と言いたいが、どのくらいの視聴率なのか分からないが、視聴している国民に向けてテレビ報告した。
その報告自体、安倍晋三がこんな男をよく内閣官房参与に任命した上に拉致問題を担わせて訪朝させたものだと呆れ返る程に適当も適当、適当な報告となっている。
多分、類は友を呼ぶで、飯島が小泉政権で内閣総理大臣秘書官であった頃から安倍晋三の適当さ加減と相呼応し合うこととなって、そのことからの内閣官房参与任命ではないかと疑いたくなる。
飯島の発言は必要な箇所のみ文字に起こす。歳のせいで、スタミナが続かなくなった。
解説とキャプション等を使った前フリがオドロオドロしくて、凄い。
「5月14日から4日間訪朝、北ナンバー2キム・ヨンナム最高人民会議委員長と会談。日本政府は未だその内容を公表していない。政府間の正式ルートではなく、安倍総理大臣も「総理大臣としてノーコメントです」(国会答弁の映像)と貫き、この訪朝を政府間協議ではないと位置づけている」
「5月に電撃訪朝した張本人が登場、『北朝鮮の真実』。内閣官房参与飯島勲。あの電撃訪朝は一体何だったのか。訪朝の張本人である飯島内閣官房参与が本日、その真意についてテレビで初めて激白。
北朝鮮の真実が今明らかにされる」
「訪朝の張本人」とは恐れ入る。普通は悪人扱いするときに使う「張本人」である。それとも実際に悪人なのかもしれない。発言を聞くと、適当というだけではなく、悪人かもしれないと思わせられないこともない。
「北朝鮮の真実」なる言葉を臆面もなく使っているところも凄い。「真実」という言葉程、怪しいものはないからだ。「真実」と言いながら、真実を明らかにしたケースにお目にかかったことはない。
ざこば「行こうと思ったキッカケは向こうから来てくれと言ったのか――」
飯島勲「いいえ、違いますよ」
ざこば「私から行きますよって言ったのですか」
飯島勲「いいえ、違います。安倍内閣は12月26日誕生した。1億3千万の国民に対して、安倍総理は自分の内閣で拉致問題を解決するといった。
ところが実態は、圧力、圧力、圧力、制裁。叩き潰せば解決みたいな気持しかなかった。なぜかって言ったら、10年間も閉ざされた扉、ミサイル、核、拉致ですから、そういう状態の中で行ったら、ただ圧力だけでは無理でしょうと。
ですから、参与になってから、時期を狙っておりまして、総理の親書を持てないんで、労働党のナンバー2に会えるかどうか、私も心配したんですよ。
えー、ですから、行く前にあるテレビ局で飛んでもない発言をしているんです。それでもあるかどうかっていう精神的な心理の確認、あるテレビ局で言った。
12月26日、安倍内閣の誕生日。北朝鮮で金正男暗殺未遂事件が起きました。そしてその26、27日にピョンヤンのダウンタウンで軍と軍の激しい銃撃戦が起きた。故にピョンヤンにある5箇所の金正恩の住居、これを、住居を戦車、それぞれの住居を数10台ずつで警備に当たった。
多分精神的に金正恩は今、大変な時期に来ている。ここまで発言したら、普通殺されていいくらいの内容なんです。ここまで言って、ナンバー2に会うということはどういうことか。10年間閉ざされた扉を如何にして開かせるか。
そのために事務協議とか外交、普通の無理なんですよ。トップ同士で本当にきちっと答えを出さなければならない状態を作り上げた。
そうでしょう。私がナンバー2だったら。アメリカのケリー長官クラスがやらなければ、ダメだし、そんな下でね、チマチマやったことは無理ですよ」――
論理的に整然としないところがある。
ざこばが「向こうから来てくれと言ったのか」と問うと、「いいえ、違いますよ」と答え、ざこばが「私から行きますよって言ったのですか」と再度尋ねると、「いいえ、違います」と答える。
一体どっちなんだと言いたいが、結局どっちとも明確には言わない。テレビで「飛んでもない発言をしている」人物も主語が誰か指定していないから、はっきりしないが、飯島本人ではないと辻褄が合わない。
要するに安倍晋三みたいに圧力一辺倒の単細胞な遣り方ではうまくいかないだろうからと参与になってから、訪朝の機会を窺っていた。ところがテレビで北朝鮮にとって物騒な発言をしてしまった。
そのような発言をまでして、「ナンバー2に会うということはどういうことか」とは北朝鮮側の反応を予測したということなのだろう。
だが、ナンバー2は会った。
このような経緯からだとすると、飯島の方からの訪朝ということになる。飯島の方からとは安倍晋三が指示した訪朝ということを意味する。
番組は冒頭で政府間の正式ルートによる訪朝ではない、政府間協議とは位置づけていないと紹介しているが、安倍晋三自身の個人外交ということであろう。
飯島は安倍晋三の個人外交に立派に応えて、「トップ同士で本当にきちっと答えを出さなければならない状態を作り上げた」と言っている。
あとは安倍晋三の訪朝を待つばかりである。
だからこそ、7月5日夜、BSフジの番組に出演して次のように発言したのだろう。
飯島勲「(北朝鮮の核・ミサイル開発、拉致問題等)「近い時期には横並び一線で全部解決する。動きだすのは遅くとも参院選の後。(9月下旬の)国連総会の前までには完全に見えてくる」(時事ドットコム)――
訪朝時に北朝鮮側から、核・ミサイル開発、拉致問題まで含めて、「近い時期には横並び一線で全部解決する」という感触を得たのだろうか。
北朝鮮側がそのような感触を与えるとしたら、先ず一番にアメリカに与えるはずだ。
しかしアメリカは北朝鮮が核放棄の姿勢を見せなければ交渉に応じないという態度を崩していない。北朝鮮もまた、核の維持に拘り、アメリカに核保有国と認めさせようとしている。
飯島の言っている事実と状況が全く異なる。
また、あとは安倍晋三の訪朝を待つばかりであるなら、なぜ古屋拉致問題担当相は7月8日から4日間の日程でモンゴルを訪れ、拉致解決の協力を要請したのだろうか。《拉致解決にモンゴルと協力へ》(NHK NEWS WEB/2013年7月11日 21時41分)
7月11日夕方、成田空港に到着したあと記者団に。
古屋「北朝鮮による拉致問題について、日本の基本的なスタンスを伝えたのに対し、エルベグドルジ大統領は『全面的に協力したい』と答えた。
拉致問題を解決するため、日本は世界各国と協力関係を構築しているが、北朝鮮と国交のあるモンゴルからも力強い支援の言葉を頂けたことは成果があった」――
「飯島勲は『事務協議とか外交、普通の無理なんですよ』と言ってますよ。飯島は安倍個人外交を見事に成し遂げましたよ。もう第三国の強力を依頼することはありませんよ」と古屋に言ってあげたい。
古谷拉致担当相は飯島帰国約1カ月後の6月末に、安倍晋三の出番を待つばかりであるなら必要もない、拉致現場まで視察している。
どこまで信じていいかわからない発言としか言い様がない。
井上和彦軍事ジャーナリスト「国民の最大の関心事は拉致被害者を取り戻せるかどうかだと思うんですが」
飯島勲「小泉内閣から3項目ある。
実は行く前に総理の腹構えは実は確認致しました。それは何かと言うと、拉致の関係者即刻帰還させる。2つ目は何かというと、その拉致をやった状態の真相究明、この調査。
一番北朝鮮で困るのは何かって言うと、3項目目の実行犯の引き渡し。これは絶対曲げないってことを前提に(北朝鮮側の)全部に私は話をしました。
それでも行く前にこちらの意見を言ったにも関わらず、指定通りに全部に会えたと。
つまり北がちゃんとやると。ですから、それなりの中間のレベルではなく、それなりのトップのレベルで一発回答みたいな状態でやることになった」――
この発言で先ず分かることは、安倍晋三の指示を受けた、途中で露見した、いわばピョンヤン空港着陸まで保つことができた秘密外交だったということである。
次にショッキングなことが判明する。対北朝鮮要求の3項目は既に広く知られている。但し3項目目の「実行犯の引き渡し」は、“絶対曲げない前提”とした。
つまり、第1項目目の「拉致被害者の全員帰国」よりも「実行犯の引き渡し」を優先させていたことになる。「実行犯の引き渡し」の要求が北朝鮮によって拒絶された場合、「拉致被害者の全員帰国」の要求に相手が応じる姿勢を見せていたとしても、日本側が北朝鮮側の拒絶を受け入れないことによって相手が認める姿勢を見せていた「拉致被害者の全員帰国」まで取り下げられる可能性は否定できない。
ブログに何度か書いてきたように、拉致被害者の人命を尊重するなら、「実行犯の引き渡し」も真相究明も放棄すべきだと主張しているが、少なくとも安倍晋三にしても飯島勲にしても拉致被害者の人命は「実行犯の引き渡し」の前に価値をなくしていることを意味する。
飯島勲の「実行犯の引き渡し」、“絶対曲げない前提”は津川雅彦への発言でも繰り返している。
津川雅彦「今度の場合、安倍総理とはちゃんとご相談なさったんですよねぇ」
飯島勲「先程言った、3項目目だけは絶対に曲げないっていうことです。あと一つ経済援助とか、すぐそういうことを言うんですが、これは無理ですね。日本も竹下内閣のとき、ODA資金、300億円中国に援助している。これはゼーンブ軍事費に使ってしまったということで、国会で問題になったことがあるが、事実かどうか分からない。
同じような状態で北朝鮮の場合、あくまでも軍政国家。日本の内閣総理大臣というポストは軍事委員会委員長だということ。
つまり一万円でも上げたら、軍政国家ですから、そちらの方へ使いたくなっちゃう。
こういう状態の一つの課題もありますから、援助というのは正常化になってから、どうする。ただ、国連から食糧援助などきた場合に差別してはならない」――
ここでも安倍晋三の指示を受けた訪朝であり、「3項目目だけは絶対に曲げない」ことが交渉の至上命題であったことを明かしている。
拉致被害者の人命への視点を一切欠いている点は安倍晋三共々立派である。
首謀者を金正日だと認めさせて、世界に名前を売り、歴史に名前を残そうとでも考えているのだろうか。
安倍晋三ならありそうな話である。
田嶋陽子「安倍さんは確か小泉内閣のときに帰ってきた方を北朝鮮は戻してくれって言ったけど、安倍さんは帰しませんでしたよね。
それが今、安倍さんが内閣総理大臣なんですけど、そういうことに対する不信とかは北朝鮮にはないですか」
飯島勲「あのー、帰すという条件で連れてきたという気持は小泉総理にはなかったということ。帰してくれたってこと。ただ、それだけです」
田嶋陽子「北朝鮮に一応日本に渡すけれども、またその人達に帰ってきて――」
飯島勲「そういう条件は――」
田嶋陽子「北朝鮮に――」
飯島勲「私も小泉総理も、全く聞いておりません」
田嶋陽子「聞いていない?」
飯島勲「ハイ、ハイ」
田嶋陽子「ふーん」
飯島勲「あとからの報道ですね。だから、全然気にしない。帰す必要はない」――
一時帰国は報道が作り上げた捏造だと言っている。
では、なぜ安倍晋三が自身のFacebookで、田中均元外務審議官が毎日新聞のインタビューに答えて、安倍内閣は日本の戦争の侵略性や村山談話、河野談話等の発言で右傾化していると思われ出している、飯島訪朝はスタンドプレーと見られる危険があると批判したのに対して、2002年当時一時帰国した5人の拉致被害者を安倍晋三が北朝鮮に返さない判断をしたのに対して田中均元外務審議官が北朝鮮に帰すことを主張したと、物議を醸すような批判をしたのだろうか。
大体が一時帰国を永久帰国させたのは自分だとする安倍晋三自身の自慢自体が捏造となって、吹き飛ぶことになる。
当時北朝鮮側も約束違反と日本側を批判した。
報道官会見記録(平成14年10月30日(水)17:00~ 於:会見室)に一時帰国ついての記述がある。
記者「5人の方については家族の方とゆっくりした環境で心穏やかに過ごしていただくということが5人の方そのものの狙いとしてあったと思うのですが、今回のような形でかなり厳しいやり取りというか答える側にとっても厳しいやり取りだったと思いますが、このことが5人の方の今後の帰国に与える影響についてはどのようにお考えでしょうか」
報道官「帰国についてはまだ、お帰りになった5人の方々、それから家族の方々と打ち合わせをしている最中で、1週間ないしは2週間という日程がいったい何時までということは決まっておりません。できるだけ御希望に沿うように考えたいと思っておりますけれども、基本的には来ていただいたときがチャーター機で来ていただいているわけで、帰りもチャーター機でということが念頭にありますので、それじゃあ一体いつ頃が一番5人の方々にとっていいのかということを、お話を伺ってまとめるということになろうかと思います」――
1~2週間の滞在となっているのみで、何日までとは決まっていない、チャーター機で来たから、チャーター機で帰すことになると、明らかに一時帰国の文脈て発言している。
事実はどちらか、野党は参院選後の国会で飯島を参考人に呼んで、安倍晋三共々追及しなければならない。どちらが虚偽情報を流したのか。飯島だとしたら、安倍晋三の任命責任を問わなければならない。
拉致された正確な人数、名前は日本政府には分からない、北朝鮮は管理社会だから、全て把握しているはずだと前置きしてから。
飯島勲「全部回答を出せということは言っている。ただね、日本側の方がね、ややこしく約束を破っているのは北朝鮮ではなく、日本なんです。例えばめぐみさんの骨も当時の薮中さんは一筆書いている。必ず帰す。ところが鑑識やったドクターがめぐみさんの骨とも、骨でないとも、何とも言えないという判断を、鑑定結果をしたんです。
それをすぐに隠しちゃった。ニセモノだと」
要するに横田めぐみさんの骨を他人の骨だとすり替えたのは日本側だと証言したことになる。これが事実だとしたら、日本外交の汚点となる。
北朝鮮側があくまでも横田めぐみさんの骨だと言い張ったことに対して事実隠蔽の悪事を犯した。
虚実入り交じった発言となっていること自体が既に適当男の姿を曝している。例え安倍晋三が類は友を呼ぶで飯島勲を内閣官房参与に任命した同類性だろうとなかろうと、自身の任命責任は問われることになる。
同類性を疑われること自体が首相としての資質に問題があることになる。
参議院選挙が後半戦に入って、各党党首が連休初日の7月13日、街頭などに立って支持を訴えたと次の記事。《参院選 連休初日に党首訴え》(NHK NEWS WEB/2013年7月13日 19時8分)
発言は「NHK NEWS WEB」記事の動画から。
安倍晋三(仙台市で)「どうか昨年の今頃を思い出して頂きたいと、思います。なかなか復興から復旧へ(記事=「復旧から復興へ」)、物事は進んでいきませんでした。先ず私たちが取り組んだこと、それはあの大震災・大災害からの復興を加速、することであります。
先ず二つのことに取り組みました。一つは、今まで省庁の縦割りだった。その省庁の縦割りを廃して、復興庁に権限を集中をしていく。そしてもう一つは、もう一つは現場でどんどん、東京にいちいちお伺いを立てなくても、決めていくことができるようにするということであります。
その結果、例えば高台への移転、その計画すら殆どできていなかった。でも、今年に入って、例えば(宮城県)岩沼市に於いては、やっともう、造成に取りかかることができ、我々はこのように、さらに復興を加速化、させて、参ります」――
民主党政権と違って、何もかも復興が加速化しているように聞こえる。
「NHK NEWS WEB」の記事は、「なかなか復興から復旧へ、物事は進んでいきませんでした」となっているが、3度聞き直しても、動画の発言は「なかなか復旧から復興へ、物事は進んでいきませんでした」であった。
どうでもいい些細な間違いであるが、些細な間違いでも、何かを象徴する場合がある。言っていることが大ボラであるために、その些細な間違いによって大ボラを象徴的に暗示していたということもあり得る。
政権交代による安倍自民党政権の復興加速化の一例として岩沼市の高台造成への取り掛かりを上げているが、この一事が実際に全体の加速化の象徴とすることができるのかどうかで、加速化が事実なのかどうか、大ボラなのかどうかが判明する。
12年度に使われないままに13今年度に繰り越された復旧・復興関連事業予算が合わせて1兆2600億円余りに上っているという。《使われない復興予算 1兆2600億円余りに》(NHK NEWS WEB/2013年5月11日 17時45分)
勿論、大半は野田政権の責任である。だが、安倍政権は2012年12月26日から関わって、6カ月経過している。
1兆2600億円余りが繰り越されたということは、1兆2600億円余りの復興計画が遅れたことを意味する。13年度の全復興計画の消化もあるのだから、併せて繰越分を消化するには相当な加速化が必要となる。
未消化の内訳。
▽道路や漁港などのインフラ復旧費が2613億円
▽除染費用が1909億円、
▽漁港のかさ上げなど水産業関連費用が940億円
▽内陸や高台への集団移転費用が426億円
未消化の理由。
●工事を請け負う業者で作業員や生コン等の資材が不足しているため入札不調が起きていて、契約にまで至らな
い例が多くある。
●27の県と市町村が職員の不足が続いているため、集団移転や災害公営住宅の事業で用地確保の交渉などが進
まず、業者と契約もできない。
役所の職員の人手不足、復旧・復興工事に関わる作業員の人手不足は震災後の夏頃から言われていた。役所の職員の人手不足から、仮設住宅の建設用地確保に手間取った自治体もあった。
宮城県は2011年12月に被災15市町について計約1260人の職員派遣を政府に要望している。
2012年2月に国土交通省は全国の自治体から専門知識を持つ職員を募集し、合わせて158人を派遣することを決めている。
2012年3月.20日時点で、東日本大震災被災3県の市町村が12年度に総務省を通じて全国の自治体から受け入れる応援職員が要望約570人に対して270人不足の約300人にとどまった。
住宅の再建や雇用の確保は2012年2月10日発足の復興庁が担う。人手不足は野田政権(2011年9月2日~2012年12月26日)時代からの問題点だったが、なかなか解決することができない問題点であり、それが現在も解決されずに続いているということは安倍内閣の責任課題であるはずだ。
7月11日(2013年)付けの「TOKYO Web」記事が、〈東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県で復興に当たる職員が不足しているとして、3県合同で県外自治体に出向き、応援職員の派遣を呼び掛けることを決めた〉と伝えている。
不足人数は3県で計約350人。呼びかけの対象は3県を除く全44都道府県に要請する予定だという。
国を通しての派遣要請では埒が明かないと見たのかもしれない。
それ程にも深刻な職員不足が現在もなお続いている。復興がなかなか前へ進まないことの現れであるはずだ。
また同じ7月11日付の「NHK NEWS WEB」記事――《震災2年4か月 本格復興にまだ時間》は、土木工事に従事する作業員不足から、集団移転先の土地の造成や浸水した土地のかさ上げ工事、さらに福島県の除染作業、瓦礫撤去が進んでいないと伝えている。
記事は移転先の土地の買い取りに時間がかかっているとも書いているから、仮設住宅用地の借り上げや買い上げが職員不足からなかなか進まなかったのと同じく、役所の職員不足も一因となっている買取りの停滞であろう。
記事末尾の解説。〈被災者の中には、長引く避難生活によって体調を崩す高齢者や、生活再建の見通しが立たず、不安を抱えたままの人などもいて、被災地の本格的な復興にはまだ多くの時間がかかる見通しです。〉――
様々な人手不足も影響している復興の遅滞であるはずだ。
いわば被災地の人手不足は延々として続き、今以て人手不足の状態にあり、このことが集団移転先の土地の造成や浸水した土地のかさ上げ工事、さらに福島県の除染作業、瓦礫撤去等々を遅らせている。
だとすると、安倍晋三の岩沼市の高台造成を以って復興加速の一例とするのは一つの成功を全体の成功のように言う大ボラ吹きと言われても仕方がないだろう。
また、安倍晋三は取り組んだことの一つとして、「省庁の縦割りを廃して、復興庁に権限を集中をしていく」と、順次縦割りを廃していくかのように発言しているが、2月10日(2013年)付け「毎日jp」記事は、被災3県自治体その他からの要望受け付けの窓口となる〈復興庁は、他省庁の役割に及ぶ部分について踏み込んで判断を示す権限を実質的に持たない。〉と伝えている。
〈他省庁の役割に及ぶ部分について踏み込んで判断を示す権限を実質的に持たない〉と言うことは復興庁と他省庁との間に権限上の縦割りが厳格に存在することを意味する。
尤も権限を持たせたとしても、無条件に縦割りを廃することができるとは限らない。他省庁の抵抗という要因も考えなければならない。
尤も安倍晋三は現在改善したと言うかもしれないが、日本人が上が下を従わせ、下が上に従う権威主義が縦割りという行動様式をつくっていることと、そのような行動様式を背景として権限を持つ側がその権限を固守する体質構造にあるから、一朝一夕には改善することはないはずだ。
このことを逆説的に証明する事例ががある。
「子ども・被災者支援法」(正式名:東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)は2012年6月14日、議院東日本大震災復興特別委員会に提出され、2012年6月15日に可決、衆議院本会議に回され、2012年6月21日可決成立、6月27日施行。
但しこの法律の主務官庁が存在しないと、《「子ども・被災者生活支援法」の成立》(国土交通委員会調査室 泉水健宏)に書いてある。
〈「子ども・被災者生活支援法案」の中に主務官庁、主務大臣が明記されていない理由は何か、施策の責任主体となる主務官庁がはっきりしないと施策実施に至るまでに実効性が弱まる懸念があるとの質問がなされた。これに対し、委員長代理者から、政府全体で取り組んでもらいたいとの思いがあること、個々の施策の内容から所管する省庁や中心となる省庁は明らかになることから、特に主務官庁を明記しなくても足りると考えた。
もっとも、基本方針については、復興庁が、東日本大震災復興基本法第2条の基本理念にのっとり、主体的かつ一体的に行うべき東日本大震災からの復興に関する行政事務の円滑かつ迅速な遂行を図ることを任務にしており(復興庁設置法第3条)、中心的な役割を果たしてもらいたい旨答弁がなされた。〉――
この答弁の場は2012年6月19日開催の第180回国会衆議院東日本大震災復興特別委員会のことを指す。
要するに主務官庁・主務大臣は存在しないが、「復興庁が、東日本大震災復興基本法第2条の基本理念にのっとり、主体的かつ一体的に行うべき東日本大震災からの復興に関する行政事務の円滑かつ迅速な遂行を図ることを任務」にしている。
ところが、《子ども被災者支援法施行1年間~省内会議はゼロ》(Ourplanet TV/06/25/2013-14:00)によると、法律施行からこの1年間、〈復興庁は「子ども・被災者法」を推進するための会議を、この間、一度も開催していないことが、OurPlanetTVの取材でわかった。〉と伝えている。
但し、〈「子ども・被災者支援法」は、骨格だけが示されている「プログラム法」と呼ばれる法律で、実際に予算をつけて具体的に運用するためには、行政が「基本方針」を示すことが必要だ。これらは、国の責務とされている。しかし、去年成立以来、1年たっても「基本方針」が示されず、今年3月7日開催された原子力災害対策本部で、根本匠大臣は、「基本方針」の中に盛り込む必要がある「支援対象地域」の設定を、原子力災害対策本部に委ねると発言。現在、たなざらしの状態だ。〉――
要するに法律を運営する主務官庁・主務大臣が決められていたなら、それが責任主体となって主務官庁・主務大臣という上からの縦割りを含めた何らかの権威主義の力学が働いて、法律が制定している責任を進めもするが、逆に主務官庁・主務大臣が決まっていないために権威主義の力学がどこからも働かず、責任行為が停滞するという逆説が生じているということではないだろうか。
自分たちの責任行為を進めるためには縦割りや上からの指示等の権威主義が必要だということであり、簡単には廃することができない縦割り等々となっているということであろう。
だからこそ、政治家が簡単に縦割り排除を言う割には排除が進んでいないことになる。言わなくなれば元の木阿弥元がが横行する。
法律の義務付けの幾つかを「Wikipedia」から見てみる。
被災者自らの意思による居住、移動、帰還の選択の支援
放射線被ばく不安の早期解消努力
被災者に対する謂れ無き差別排除
子ども(胎児含む)及び妊婦に対する特別の配慮
被災者生活支援等施策を総合的に策定し、及び実施する責務――等々を義務付けている。
但しこれは骨格だけのことで、「理念倒れ」と報じるマスコミもある。理念を打ち立てたが、理念から具体化へ向けて一歩も前へ進んでいない。
法律施行後1年は安倍内閣に変わって既に半年の経過を示す。このような停滞を無視して、さも全体的に復興が加速化しているかのように言う。
安倍晋三が言っているように復興が加速化のレールに乗っていたなら、次の報道は存在しないことになる。
《何も進まぬ1年 政府に怒り 方針出して》(TOKYO Web/2013年6月22日 朝刊)
東京電力福島第一原発事故の被災者を救うはずの「子ども・被災者支援法」 が成立して6月21日で1年を迎えた。だが、超党派の議員提出で、衆院、参院とも全会一致で可決したのに、政府は具体化のための基本方針さえ作らないと批判している。
福島県郡山市から札幌市へ自主避難していて、東京・永田町の参院議員会館で開催され、復興庁の担当者も出席した集会に参加した宍戸慈(ちか)さん。
福島県郡山市から札幌市へ自主避難している宍戸慈(ちか)さん「成立した日は、革命が起きたかと思うほどうれしかった。これで私たちの生活が少しでも楽になる、苦しみがなくなると期待したが、変わらなかった。
もう期待していない、という声を聞く。とても気持ちは分かる。事故から二年たつ間に被災者の状況はどんどん変わる」――
集会出席の復興庁担当者は基本方針の決め方の見通しすら話さなかったという。
もし「子ども・被災者支援法」が民主党政権が成立させた法律だから、それを成功させるのは抵抗があり、放置して骨抜きを狙っているとしたら、それこそ民主党に対する自民党の縄張り根性からの発想であり、縄張り根性は縦割りの権威主義的行動様式からも発する。
この勘繰りが当たっているとしたら、当然、この縦割りの権威主義的行動様式から発した縄張り根性は安倍晋三を頂点とすることになる。
益々全体的に復興が加速化しているかのような発言は信用できなくなり、一つの成功を全体の成功のように言う大ボラ吹きの疑いが一層膨らんでくる。
安倍晋三が谷内(やち)内閣官房参与を中国に派遣したのは6月17日、18日の両日。安倍晋三の方は同じ日程でG8サミット出席のため、英国・北アイルランドのベルファストを訪問。G8サミット閉幕後の6月19日にロンドンを訪れて経済政策に関する講演を行い、講演後の記者会見で中国問題について次のように発言している
記者「経済成長には中国との関係改善が必要ではないか」
安倍晋三「何か問題があったとしても話し合いを続けていけることが大切だ。私は常に対話のドアは開いているし、習近平主席といつでも首脳会談をする用意はある」(NHK NEWS WEB)――
話し合いの継続性を訴えている。谷内訪中の結果は知らされていたはずだから、訪中が成果を得ていたなら、継続性ではなく、「色々と話し合いを進めている」と進行中であることを表現したはずだ。
失敗したからこそ、「私は常に対話のドアは開いているし、習近平主席といつでも首脳会談をする用意はある」と、こちらの姿勢を示す必要があったのだろう。
そして6月22日になって、安倍晋三外交ブレーンの一人である谷口智彦内閣審議官が6月28日から中国を訪問する予定だとマスコミは伝えた。
私自身はこの谷口訪中を谷地訪中の一定程度の成功を受けて詰めの交渉を担わせるためと思わせる偽装訪中ではないかと見ていたが、谷地訪中と同じく、谷口訪中の結果についても、マスコミは何も報道していない。政府の発表が何もないからだ。
飯島訪朝と同じく、結果の報道がないこと自体が成果を怪しくする。
ところが7月3日になって中国が東シナ海のガス田開発を巡り、日中中間線の西側約26キロメートルの地点で新たな採掘施設の建設を進めていることが判明したと、《中国が新たな施設建設 東シナ海の中間線付近 菅長官「重大な懸念」》(MSN産経/2013.7.3 13:18)が伝えた。
7月3日午前中の記者会見。
菅官房長官「中国の大型海上クレーン船が新たな海洋プラットホームの建設と思われる作業を行っていることを確認した。
日本政府として外交ルートを通じて重大な懸念を伝えた。(中国側が)一方的に開発を進めているのであれば、受け入れられない」――
「NHK NEWS WEB」によると、〈今回中国が作業を行っている場所は、2008年に日中両政府が、共同開発に向けて協議を行うことで合意したガス田とは異な〉るが、〈日中中間線付近のその他の海域をどのように取り扱うかについては継続して協議することにしてい〉た海域だという。
もし谷内訪中、続く谷口訪中で話し合いが良好な形で進んでいたなら、継続協議を無視する形の態度を取るはずはない。
中国側の7月3日記者会見での返答。
華春瑩中国外務省報道官「自らの管轄海域で開発しているものであり、争う余地はなく、日本側の抗議は受け入れられない」(「NHK NEWS WEB」)――
それから6日後の7月9に、6月17日、18日の谷地訪中から約20日後のことだが、マスコミは谷内訪中の内容を報道した。
《日本「外交問題」として対処 尖閣、中国の領有権主張妨げず》(47NEWS/2013/07/09 02:00 【共同通信】)
昨年9月の野田内閣による尖閣国有化後、中国側が首脳会談開催の条件として「日本が領土問題の存在を認めること」としてきたことに対する「回答」として、谷内内閣官房参与を訪中させ、「領土問題の存在は認めないが、外交問題として扱い、中国が領有権を主張することは妨げない」との打開案を提示したと伝えている。
記事は、〈日中関係の障害となっている「外交問題」として扱い、事態の沈静化を図るのが狙い。〉だと解説している。
だが、「領土問題の存在は認めないが、外交問題として扱い、中国が領有権を主張することは妨げない」には内容に論理矛盾が存在する。
例え「外交問題」として扱ったとしても、中国が領有権を主張できるということは「領土問題の存在」そのものとなる。
中国は領有権を主張できるが、「日本側は領土問題の存在は認めない」から、日本の領有権に揺らぎがないでは、今度は交渉そのものが成り立たなくなる。
この手の交渉の常識は、領土問題の存在を認めて、日中双方が尖閣の領有権を主張し合い、どちらに帰着させるかであろう。
このような条件をつけて打開を図ろうとすること自体が、安倍晋三が口では勇ましいこと言っていても、対中外交に自信のなさが現れたのではないかと疑った。
但しこの報道を菅義偉官房長官は同じ日の7月9日、午前の記者会見で否定している。《「尖閣外交問題」報道を否定=菅官房長官》(時事ドットコム/2013/07/09-11:15)
菅官房長官「外交当局で意思疎通しているが、日本から指摘の提案をした事実はない。
尖閣諸島はわが国固有の領土であり、現に有効に支配している。解決すべき領有権問題はそもそも存在しない」――
この7月9日の報道の2日前の7月7日に安倍晋三がフジテレビ「親報道2001」に出演、尖閣問題で次のように発言している。
歴史認識と同時に発言しているが、あとで取り上げるTBSテレビ「NEWS23」での発言とほぼ同じだから、前半の歴史認識に関わる発言は省略することにする。
安倍晋三(中国は尖閣で「力による現状変更を試みている」と前置きしてから)「日本と中国のというのは切っても切れない関係ですから、戦略的互恵関係の原点に戻って、問題があるからこそですね、対話を進めるべき、対話のドアは常にオープンにしています。
気に食わない、あるいは条件を呑まないから、と言って、首脳会談をやらないというのは外交の姿勢として私は間違っていると思います」――
前半の歴史認識に関わる発言も自分の都合だけで述べているが、相手国に対して、いくら関係が悪化していたとしても、相手がこちらに対して「条件を呑まない」ことを首脳会談開催拒否の理由としていると見做して批判できたとしても、「気に食わない」という感情的理由からだと表現することは安倍晋三自身にしてもあまりに感情的で、冷静さを失っていることになり、礼を逸する。
尤も、一国のリーダーらしくもなく相当に頭にきているなとは理解できる。
安倍晋三自身が中国から見て「気に食わない」対象を自らの歴史認識に置いていると見ていたとしても、公式的には「あなたの歴史認識は間違っている」という認識と態度を取るはずだから、それを感情的なレベルで「気に食わない」と認識している、態度を取っていると露骨に批判した場合、相手がそのような露骨な批判に優る反発に打って出ざるを得ない機会を与えることになり、信頼関係のなおの悪化、両国関係のなおの悪化を招く危険性を予見しなければならないはずだ。
7月8日付の中国共産党機関紙人民日報が反論の論評を掲載している。《安倍首相の「中国は今、力による現状変更を試みている」発言に中国共産党機関紙が反論》(MSN産経/2013.7.8 19:36)
人民日報「中国は隣国との友好関係を維持する政策を堅持している。安倍氏が釣魚島や南シナ海の問題を持ち出して中国のイメージをおとしめようとしている。
事実を無視し、出任せを言えば事態は悪化するばかりだ。一世代前の両国の指導者のように、国の責任や政治的な知恵、歴史的責務を考慮し、関係を発展させるべきだ」――
人民日報が言っている「歴史的責務」とは、「一世代前の両国の指導者」が「尖閣の難しい問題の解決は次世代の指導者に任せよう」と中国側が日中間で取り決めたとすることに対する「歴史的責務」であって、安倍晋三の歴史認識を言っているわけではない。
また、安倍晋三は7月7日の上記テレビ番組で、中国は尖閣で「力による現状変更を試みている」と批判しているが、実際には領土問題の存在を認めさせて話し合いのテーブルに引き出すための自国公船を使った力の行使であって、直接的には尖閣の領有権を対象とした「力による現状変更」ではない。
もし直接的に尖閣の領有権を対象とした「力による現状変更」であるとしたら、軍事的攻撃の形を取るはずである。中国はアメリカの参戦を誘発する可能性のある軍事的攻撃にまでは進まないはずだ。
日本側が領土問題を認めて、話し合いのテーブルに着けば、中国のメンツを立てることになる。一応は話し合いのテーブルについて、様々な証拠書類を提示して日本の領有権を頑として譲らなければ、「現状変更」は不可能となる。
だが、外交に余程自信がないのか、安倍晋三はこの番組の前半の発言で、「13回、海外に出張した、海の自由を守るために力による支配ではなく、法による支配を訴えた」と中国に対して直接主張するのでなく、中国を遠く眺めた各外国から主張することで中国に対する不満の代償としている。
そして「親報道2001」出演2日後の7月7日に出演したTBSテレビ「NEWS23」で、安倍晋三は一見雄弁に自説を主張しているように見えるが、実際はなお一層冷静さを失い、論理的に支離滅裂の状態を示していた。
司会者が外交と歴史認識との関わりについて尋ねた。
志位共産党委員長「あの、私はですね、安倍総理がですね、『村山談話』の見直し、おっしゃった。特にですね、ここではっきり答えて頂きたいのですが、侵略と植民地支配、これについて頑なに認めようとされないわけですよ。
しかし、これは『村山談話』の一番の核心部分で、これをもし否定するということになりますとね、私は第2次世界大戦後のいわば国際秩序を土台からひっくり返すようなことになる。
ですから、この道に進んだらですね、アジアの諸国とまともな友好関係をつくれませんし、ここはですね、やはりそういう時代逆行はやめるべきだと。
やはり95年に『村山談話』という一つの到達点を築いたわけです。それを閣議決定して決めているわけです。ですから、侵略と植民地支配、これは、あの、きちんと引き継ぐとこの場ではっきり言って頂きたい。如何でしょうか」
安倍晋三「それよりもですね、この設定自体が間違っていて、今、日中、首脳会談、なかなかできません。これはですね、日韓もそうですが、まあ、日中、特にそうなんですが、それは歴史問題ではありません。
はっきりと申し上げて、それは今でも毎日のように日本の領海に中国の公船が領海侵犯をしてますね。それだけではありません。えー、潜水艦もですね、えー、まあ、ウロウロしていると、いう状況が、ま、続いている中に於いて、彼らは何とか尖閣についてですね、いわば、力による支配に於いて、現状を変えようとしております。
ここに問題があるんですね。ここで今、事実上しのぎを削っていると言ってもいいと思います。中国は東シナ海だけではなく、南シナ海に於いても、例えばフィリピンもそうですが、力で以って、現状を変えようとしています。
で、私は間違っている思っています。その中で、アジアの国々を私はずうっと訪問して、えー、来ました。そしてまたヨーロッパにも行って来ましたし、中東にも行ってます。
そういう多くの国々とですね、やはり力による現状変更はダメですよ、ルールによる支配、その中に於いて秩序をつくっていきましょう。そういう志を同じくする国々とですね、えー、そういう方向に向かって行こうということをですね、気持と未来に向けるビジョンを併せて、そういう中に於いて、中国の今の姿勢をですね、変えさせていく必要があるんです。
平和的な回答(解決?)に変えていくということが、まさに外交のキーポイントなんですね。
(志位委員長が自身の問に直接答えていないからだろう、何か口を挟むが、無視して続ける。)
そこはポイントだといいうことをはっきりと申し上げて置かなければなりません」
福島みずほ社民党党首と海江田民主党代表が侵略戦争だと認めるところから出発すべきだと主張。
安倍晋三「その、歴史は歴史家に任せるべきだというのが私の基本的な考え方で、もう、何度も述べてるところです。同時にですね、歴史の問題を、外交ですから、自分の国益をより増やしていくためにですね、様々に活用・利用をするんですね。
えー、その中に於いてですね、我々は外交というものをですね、国益を、えー、しっかり守るために、しのぎを削っているわけ、なんですね。
えー、ですから、例えばですね、民主党政権時代に、尖閣を国有化しました。そしてそれに対して尖閣を国有化した、あのタイミングはおかしいと言って、えー、中国は日本に攻勢をかけましたが、私は野党の党首であったんですが、これは付け入る隙は与えてはいけない。
ですから、野田さんの国有化を支持しました。何の問題もありませんよ、ということで支持をしました。つまりまさに外交というものはですね、あらゆる、いわばテーマをですね、自分たちの利益のために使ってくる、という意味に於いては中国はまさに尖閣に於いて海洋権益を増やすために、今まさにアジアの海に於いて、そういう活動を使っていて、歴史問題に於いても、そういう活用もしているんだということをですね、それはやっぱりちゃんと認識する必要があるんだろうと、思っています」
岸井成格司会者「安倍さんは完全に歴史認識問題と外交問題とは別問題だという認識から始められましたが、どうしても議論で外交交渉をやっている中でも必ず戦争の評価って出てくるんですよね」
安倍晋三「それは、それはいわば活用しているんだと。別問題なんですが、つまり相手はそれを活用します。活用するんです。
その中に於いてですね、尖閣の問題に於いて譲歩させようということが起こり得るという現実があるんだということを今私は申し上げておりますが、我々は一切それに妥協することはないということは申し上げておきたいと思います」――
志位共産党委員長が「村山談話」どおりに侵略と植民地支配を認めるべきだと迫ったのに対して直接答える論理性を失って、ただひたすら中国憎しの感情をコントロールもなく激しく露出させている。
何がこうまでも安倍晋三をして中国憎しの感情に駆り立て、頭にこさせているのだろうか。
要するに中国は尖閣を中国領土とするために「歴史の問題」を「様々に活用・利用」していると非難しているが、既に触れたように、小平が尖閣問題は次の世代の解決に委ねようと、いわば「尖閣棚上げ論」を日中で取り決めたとする歴史の経緯を持ち出し「様々に活用・利用」しているが、安倍晋三の歴史認識を「様々に活用・利用」しているわけではない。
また例え中国が自国国益のために歴史問題であれ、安倍晋三の歴史認識であれ、「様々に活用・利用」しようとも、それと対峙して、尖閣の現状維持だけではなく、中国に対する日本の経済的権益や日本の政治的立場等の自国国益を確保するのが外交の力であるはずである。
本人もそのことを承知していたからだろう、谷内内閣官房参与と谷口智彦内閣審議官を訪中させたが、政府による報告は何もない。
そこでテレビ番組出演で発言の機会を得て、外国を訪問して法の秩序・法の支配を訴えたとか、あるいは冷静さを失って論理性もなく感情的に反発を示すのみで、日中関係の進展に何らのキッカケも作ることができない。
また、街頭演説やテレビ番組で野党から安倍晋三の歴史認識を追及されて、相当に追い詰められているという事情もあるに違いない。
このように日中関係と歴史認識問題でにっちもさっちもいかない状況に立たされて、逆に中国憎しの感情に駆り立てられ、日中関係が進展しないのは中国が安倍晋三の歴史認識を「様々に活用・利用」しているからだと中国に責任転嫁することで、日中関係の膠着状態と安倍晋三自身の歴史認識の双方に同時に逃げ道をつくったといったところではないだろうか。
少なくとも発言に論理性を失い、頭にきていた状態にあったのは、中国に対して堂々と立ち向かう意志を欠いていたからだとは確実に言うことができる。
もし堂々と立ち向かう意志を持していたなら、相手の遣り方を「間違っています」、「間違っています」とだけ言うことはしないはずだ。
だが、「間違っています」、「間違っています」とだけしか言うことができない。
安倍晋三が7月10日のテレビ朝日の番組で最低賃金引き上げについて第1次安倍政権下(2006年9月26日~2007年9月26日)で「10円以上上げた」と実績を強調。その上で2013年度改定でも同様の大幅引き上げが「十分に可能だと思う」との認識を示したと、7月10日付「時事ドットコム」が伝えている。
具体的にはいくらなのか、《最低賃金2%超上げへ 10月実施方針 首相、秋に定昇増要請》(MSN産経/2013.7.9 07:00)が伝えている。
今年10月頃に予定している平成25年度改定に合わせて、〈安倍晋三政権が2%の物価上昇を目標に掲げていることを踏まえ、経済回復基調が幅広く国民に行き渡るよう2%を超える引き上げ案が浮上している。〉
現在の最低賃金は全国平均で時給749円。2%超だと、平均15円超の引き上げになるという。
749円+15円超=764円超。
1日8時間働いとしても、764円超×8時間=6112円超
〈6月に閣議決定した成長戦略では「すべての所得層での賃金上昇と企業収益向上の好循環を実現できるよう最低賃金の引き上げに努める」と明記〉してあるという。
問題はあくまでもアベノミクスなる政策が「すべての所得層での賃金上昇と企業収益向上の好循環」を大々的に謳っている以上、最低賃金上げ幅が妥当かどうかである。
政府高官「賃金や家計所得が増加しなければ消費の拡大は続かない。アベノミクスの成否に関わる重要な問題だ」――
当たり前のことを当たり前に言っているに過ぎない。問題は15円超の上げ幅でいいのかである。
記事解説。〈賃金の引き上げに向けて、政府は企業の内部留保が投資や賃金に回るよう誘導策も導入する方針だ。一方、経営基盤が脆弱(ぜいじゃく)な中小企業からは2%の賃金引き上げにも激しい抵抗が予想されるため、中小企業の経営を過度に圧迫しない対応も慎重に検討していく。〉――
秋までに中小企業の抵抗の壁を乗り越える紆余曲折が控えているにも関わらず、ここで打ち出したということは、アベノミクスが盛んに賃金上昇を謳いながら、現実には賃金上昇がなかなか進まない中で、あるいは円安・株高による企業収益は増える一方であるのに反して賃金上昇が一人取り残されている中で、アベノミクスが謳う賃金上昇は間違いのないことだと太鼓判を押す参院選対策でもあるだろう。
アベノミクスと称している景気回復策は企業業績改善を出発点としている。それが雇用改善・賃金上昇へと発展、それを受けて消費者の消費マインドが上向き、消費拡大へと進み、消費拡大は物価高のインフレを招くが、その物価高がさらに企業業績を上向かせて従業員の雇用改善と賃金上昇へと還流してしていき、企業の業績改善と雇用改善・賃金上昇、さらに消費拡大が相互に好循環しながら一体的に雪ダルマ式に膨らんでいき、日本の経済は拡大、税収も増えるというシナリオを描いている。
出発点の企業業績改善は日銀が打ち出した大胆な金融政策によって加速させられ、大企業の多くが勝利を勝ち取るゴールへの駆け込みを頭に描きつつ、現在のところ力強い走りを見せている。
ではどのくらい企業業績が改善したのか、次の記事が教えてくれる。《アベノミクスで企業業績改善 12年度税収 43兆9000億円》(SankeiBiz/2013.6.28 05:00)
財務省がまとめた2012年度の最終的な一般会計税収は今年1月の補正予算時の見込みを約1兆3000億円上回り、43兆9000億円程度。
安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」による円安株高で企業業績が改善し、法人税収や株式の配当など所得税収が増えたのが要因。
この43兆9000億円程度は08年度の約44兆3000億円以来、4年ぶりの高水準だそうだ。
第2次安倍政権が発足したのは2012年度を4分の3も過ぎた2012年12月26日。それから2012年度末までの3ヶ月間で企業業績が格段に改善し、一般会計税収が今年1月の補正予算時の見込み額を約1兆3000億円上回ったというのだから、企業の利益は相当なものとなる。
当然、この格段の企業業績は雇用改善・賃金上昇を次の到達点としていなければ、アベノミクス好循環の謳い文句に偽りあることになる。
円安は第2次安倍内閣発足前の昨年2012年11月中旬以降、その政策への期待から円安・株高が進んでいる。それを日銀による異次元の金融緩和策が円安・株高を決定的なものとした。
この傾向を受けて、財務省が統計を取らずとも、企業は順次自らの業績改善を把握できていたはずである。にも関わらず、今年2月の経団連、 日商、経済同友会の経済3団体に対する安倍政権の直接の賃上げ要請はベースアップに難色を示し、ボーナス等の一時金への対応にとどまっている。
では、ボーナスはどの程度上がるのだろうか。
安倍晋三はこのところの各テレビ局での党首討論で次のように発言している。
「この夏のボーナス、64社、7%のボーナスが上がるんです」
「大手でありますが、7%、あのバブル期以来の伸び率になっていきますから、私は必ず賃金は上がっていくと、このように確信をしております」――
具体的には大企業の今年の夏のボーナス支給額は経団連の調査で前年比7.37%増の約84万円、これは2年ぶりのプラスだそうだが、安倍晋三が「64社」と言っていることは、2006年の経産省の統計だが、大企業数は中小企業約419・8万社(99.7%)に対して約1・2万社(0.3%)となっていて、そのうちの大企業「64社」は約1・2万社に対する0.5%に過ぎない。
「64社」が間違いだとしても、経団連の参加会員数は日本の代表的な企業1300社を加えた1632社・団体だということだから、大企業数約1・2万社に対して13.6%に過ぎない。
因みに第一生命経済研究所が2013年4月4日に発表した「2013年夏のボーナス予測」は次のように記述している。
〈民間企業の2013年夏のボーナス支給額を前年比+0.7%(支給額:36万1千円)と予測する。2012年冬のボーナスは前年比▲1.5%と減少したが、今夏には増加に転じる見込みである。ボーナスの増加は、2010年夏以来6季振りのことになる。
昨年末以降の景気回復や円安効果により企業収益が持ち直しつつあることや、企業の景況感が改善していることなどが背景にある。政府による賃上げ要請が一部影響した可能性もあるだろう。〉――
大企業前年比7.37%増・約84万円に対して全体の前年比+0.7%・36万1千円は事情が全く以って違うということである。
いわば安倍晋三は一般国民には、あるいは一般的な有権者には基準とはならない大企業のボーナスを持ち出して、企業業績改善を出発点として雇用改善・賃金上昇へと向かう好循環の間違いないことの証明とした。
勿論大企業という上流の賃金上昇が下流に向かって少しずつ削られていきながら流れていけば問題はないが、アベノミクスの問題点は大企業の利益が果たして中小企業にも反映され、正規雇用者だけではなく、非正規雇用者をも含めた一般労働者にまでトリクルダウン(いわば再分配)されて好循環を辿るのかどうかにあるのだから、現時点ではその証明とはならない、単に大企業のボーナスのみを取り上げて、さも賃金上昇の好循環が機能しているかのように言うのはゴマ化しがあってこそ可能となる。
このゴマ化しを安倍晋三に許しているのは長らく続いている正規雇用の減少傾向と非正規雇用の増加傾向、その結果としての3人に1人以上が非正規雇用者となっている身分格差・所得格差の現状が新規雇用にも反映、雇用自体にも格差が構成される状況を無視して、「政権が変わってから、前年度比で5月60万人、雇用が増えた」と単に数字だけの統計で自らの政策に矛盾のないことを誇ることのできる客観的認識能力の質であろう。
いわば賃金上昇の波及にしても、新規雇用にしても、格差拡大の方向に進むのではなく、格差縮小の方向に進む性格の好循環でなければならないにも関わらず、その視点を一切欠いているということである。
当然、安倍晋三は格差無視の政治体質をしていることになる。
だからこそ、企業が2012年度に今年1月の補正予算時の見込みを約1兆3000億円も上回る43兆9000億円程度の税金を収めることができる程に利益を上げていることに対して、現行全国平均時給749円の最低賃金を秋に2%超程度の15円そこそこ上げる、格差無視の発想ができる。
アベノミクスが賃金上昇の好循環を自信を持って謳っている以上、時給15円そこそこの増額は自らの自信に対する裏切りであり、いわば口程でもないということになり、数字だけの「60万人」の新規雇用を自己成果とすることができるところに現れている非正規雇用等の社会的弱者や社会の格差の無視が相互反映し合っている時給15円そこそこの最低賃金上げと言うこともできる。
すべては安倍晋三という格差無視の政治体質の成せる技である。格差無視は国民よりも国家を上に置く国家主義者だからこそ可能とすることができる。