◆率直な印象は本州のほかの基地と同程度
普天間について、こちらでも相当回数触れていますが、写真は海兵航空でも岩国の写真が中心、これでは説得力が、ということで普天間、という現場を遅れながら俯瞰してきました。
那覇基地、嘉手納基地、普天間基地と沖縄の航空基地を縦断した写真、G-12の撮影写真からご報告です。普天間基地へタッチアンドゴーを繰り返すCH-46ヘリコプター。さて、沖縄から戻ったところ、F-XはF-35に内定、しかし防衛省が要求する2016年納入は確実に間に合わない状況、F-35が納入されるまでの間、いっそBAEと今回のF-X選定で関係を構築したのだから、イギリス空軍で早期退役となったトーネードADVを運用支援とともに中古で取得し、繋ぎとしてはどうか、と考えるところです。トーネードADVはF-3からAIM-9LとAMRAAMが運用可能、AMRAAMの運用能力からイギリスの一存では対応できませんが、F-35の繋ぎならばアメリカの理解は得られる可能性があります。少なくとも流石にF-4で悠長にF-35を待つことはできません。
普天間基地、普天間飛行場と呼ばれていますがここは航空基地ということで基地に呼称を統一したいとおもいます。世界一危険な飛行場、と視察した当時のラムズフェルド国防長官から呼ばれたことで有名になったのですけれども、非常に失礼な言い方になるのですが、基地反対派のかたは本州の自衛隊基地をどう考えるのかな、と素朴な疑問も。入間基地、岐阜基地、小牧基地、浜松基地、八尾駐屯地といった当方が足を運ぶ航空基地と比べて市街地が近い、とは言えない気がします。滑走路は安全区域が取ってあり、前述の基地と同程度は一応離れているようにも。滑走路のエンド付近は一応配慮が必要な建物が無いとは言えないのですけれども。反対運動に熱を上げる方はご気分を害されるかもしれませんが、思い切ってほかの基地を見てみてほしいです。しかし、小松基地、明野駐屯地、小松島航空基地、舞鶴航空基地と比べれば、市街地に近いですね、新田原基地も住宅街からは離れています、こんなところ、かな。
CH-46が繰り返し飛行していました。相当話題になりますので、空自のV-107よりも騒音が大きい特性でもあるのかと思っていましたが、正直音はCH-47よりも静かで、他に飛行していたのはKC-130,特段音が大きな離陸を行うでもなく、音が響くな、とおもったのはビジネス機を原型としたUC-35の離陸でしょうか、ジェットエンジンの独特の音がしていました、それでも那覇でのボーイング737のほうが大きい印象。騒音、となると伊丹空港などと比較した場合、やはり相当小さく、騒音が大きく集中できない、滑走路と住宅街が近い、という問題は日本における多くの飛行場、民間空港から自衛隊基地までが抱える問題と似ているところでしょうか。発着数も1100過ぎに到着してからヘリコプターの写真を撮るまで一時間ほど間がありましたし、回数も、そこまで大きいとは思えないのが率直なところですが、どうでしょうか。
テレビ報道ではF/A-18CやAV-8にC-5輸送機まで頻繁に発着する様子が流れていますが、この日は滞在時間僅か四時間半ですけれども、CH-46以外は、KC-130が二機離陸、あとはC-12とC-21といったビジネス機原型の機体が一機と二機、深夜飛行もあるようなのですが頻度は分かりません。もう一度行ってみなければいけませんね。これ、那覇空港や、こちらの伊丹空港や羽田空港と比較してどうなのでしょうか、発着機数が少ない神戸空港よりは多いのでしょうけれども、県営化された名古屋空港と比較すれば普天間は多いという印象がありません。もしかして、他の日は毎日編隊を組んで繰り返しているのでしょうか。もしかしたら地形から響く特殊な場所があるのかもしれませんが、どうしても安全性と騒音量以外の部分からの反対があるように思えてきました。ともあれ、移転は民意、考えなくてはならないことには変わりません。
普天間。CH-46は相当古く、こちらも新しいMV-22へ置き換える必要がある、というところですが試作機が事故を起こしたという印象、映像で広く閲覧できるため危険な機体、という先入観があり反対に繋がっている機体です。CH-46も相当古い機体ですよ、と言いたいところですけれども、初飛行が1958年、海兵隊配備が1961年。・・・、確かF-4の海軍配備が1961年で航空自衛隊用初飛行が1971年、F-4EJと世代的に重なる、というところ。ううむ、変なところで話題がF-Xに戻ってきてしまった。近代化改修と延命措置を行っている、ということですから、そこまで安全面は気にせずともいいところなのでしょうけれども、ボーイング707と同世代機、先入観からMV-22へは異なった印象はあるようですけれども、代替は行えるならば早く行った方が安全性に寄与することは確かです。
ところで、那覇から嘉手納へ国道58号線を進んでゆくと、ほどなくして海側にキャンプキンザーの広大な倉庫群が広がり、もうしばらく進むと内陸側にキャンプフォスターの車両プールが見えてきます。このキャンプフォスターは凄く取得費用で96式装輪装甲車に匹敵する耐爆装甲車MRAPや装甲ハンヴィーが、見渡しただけで陸上自衛隊一個師団を機械化できるほどの車両が置かれていました。有事に備えての備蓄のようですが、膨大な予備戦力と資材備蓄、米軍の底力を垣間見た、というところでしょうか。有事に備える、ということは、平時の無駄を如何に許容するか、ということ。平時の無駄が許されず車両の損耗を即座に補てんできなかった東日本大震災の自衛隊を見ますと、予算を司る財務当局と予算を画定する政府は、この現実をもう少し見てほしい、という思いがあると共に、本気で有事に備えるむずかしさを思い知らされたところ。
宜野湾市では普天間飛行場班看護、オーシャンビューリゾート、幹線道路、住宅街、普天間公園、広場、松並木、以上六つの施策での再活性化を検討しているとのことです。まだまだ観光需要はある、という見方なのでしょうが、そんなに引き合いは多いのでしょうか、住宅街の場合も沖縄はそんなに住宅は不足しているのか、ちょっと興味あるところです。それならば、自衛隊を中心とする広域防災拠点を跡地に造った方が、と考えたりも。実は嘉手納基地に隣接する返還され数年を経た読谷補助飛行場跡地に足を運びたかったのですが、当初あったような商店街やレジャー施設といった再開発計画は実現せず、徒歩では無理で危険、雨天、そして何もないという情報とハブが出る、という話で断念しています。とはいえ、数日間滞在しただけではしっかりとした情報は限界があり、那覇駐屯地祭、那覇エアフェスタ、一眼レフカメラ持ち込み制限がなくなれば普天間や嘉手納の一般公開という機会を利用して、もう少し沖縄へ足を運びたい、とこのように考えています。
北大路機関:はるな
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