北大路機関

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十二月八日:真珠湾攻撃から七十年 戦後の日本安全保障政策の背景とその変容

2011-12-08 23:22:23 | 北大路機関特別企画

◆東日本大震災は転換点となりえるか

本日は十二月八日、日本が空母機動部隊によりアメリカ太平洋艦隊を奇襲した開戦記念日です。そこで、東日本大震災以降の自衛隊行事写真と共に、少しこれからの安全保障政策を考えてみましょう。

File0835あの太平洋戦争開戦と決定的な敗戦、日本史の大きな転換点、世界政治における日本の関与では最大の分岐点へと繋がっているとして異論は少ないでしょう。2011年、1941年の真珠湾攻撃から長い歴史が過ぎ、米国真珠湾遺族会も今年を区切りとして役割を終えるとのこと。

Img_0092_2戦後日本は、憲法九条という平和主義を国是とし、軍事力に依拠した外交を含め、世界政治への関与を中断。結果的ですが、通商と経済活動を除いた日本の対外武力行使を通じた国際政治は日米安全保障条約に大きく依存することとなり、必然的な外交関係における不均衡が生じ、長い期間維持されてきました。

Img_0569即ち、半年間で世界の十分の一を占領する軍事力を有していたのですが、敗戦により軍事機構が解体され、軍事的独立国としての大きな制約が加わることとなった、この部分を言い方を単純化したならば、外注に出した、という構図を思い浮かべれば納得は行くやもしれません。

Img_1015しかし、専守防衛という政策に依拠した防衛政策を併せて遂行し、自衛隊の発足と自衛隊の能力強化、冷戦という世界秩序においても独立国として当然求められる自国領土の保全を通じた国際公共財としての平和と秩序維持責務を果たしてきたのもという、また事実であるわけです。

Img_1122冷戦構造が継続する中にあっては、日米安全保障条約に依拠する中立、という非武装中立でも重武装中立でもない、一種の箍を有する同盟条約への関与という安全保障政策には一つの意味合いはあったのだと思います。確実に西側に位置し、他方で積極的な領土の軍事利用に対しては制限があったのですから、特殊な中立様式といえるかもしれません。

Img_1301安保下の中立、というところでしょうか。確かに朝鮮戦争やヴェトナム戦争においては後方の巨大な拠点としての日本の位置づけは存在しました。しかし、同時に日本は軍事的な脆弱性、NATOというような欧州地域に対して陸上国境ではなく海洋は隔てているものの、しかし軍事力に限界があったという構図です。

Img_2262日本は軍事的な脆弱性を持ちつつ、しかし、大陸側に対する構成の拠点たり得る策源地としての特性を持っていた、ここに日本型の中立という難しい均衡を成り立たせる要素があった、そう解釈しています。朝鮮半島や台湾といった、緩衝地帯に対しての重要な盤石としての位置づけを持ち、地域的国際秩序を自然形成していたのですね。

Img_2420中立、といいますと日本では理解されているようで、二元論に基づく概略しか理解されていないのかもしれません。実質中立の形態には様々な形態があるのではないでしょうか、少なくとも日本の憲法九条というものの特殊性は世界においても政策決定者には広範に理解されている実情を考えてください。

Img_2642こうした中の中立政策は、形態を区分して考えるべきで、フィンランドのソ連寄りの中立政策がありましたし、スイスやスウェーデンのような重武装の中立政策、これらがあるわけなのです。そして同盟に依拠した日本型中立政策が広義の中立としてあるのだろう、ともいえないでしょうか。

Img_2964以上が冷戦時代における安全保障政策、専守防衛と憲法九条に加え日米安保という関係性に基づく、日本の憲法九条と日米安全保障条約に基づいた、中立、中立政策という表現に難色があるのならば疑似中立政策、という表現もあるでしょうが、日本の安全保障政策の背景です。

Img_4138 いわば、憲法九条に基づく平和主義政策、日米安全保障条約に基づく同盟、この二つは均衡することにより東西冷戦における脆弱性と盤石性、この二つの要素を均衡し、安全保障政策における一つの秩序を形成していた、ということになり、この矛盾は必然だった、ということになるのではないでしょうか。

Img_4416 しかし、この必然としての矛盾する二つの要素は東西冷戦という時代背景においてのみ機能するものだった、ということが出来るかもしれません。即ち、冷戦時代以降においてはこの政策を維持する必然性はなく、他方、国際情勢が、特に周辺情勢が安定している状況では改める必然性もなく、推移してきたのでしょう。

Img_4683 脆弱性と盤石性、これは二類型されるものですが、東西冷戦という、二極時代を背景に成り立ったものですが、冷戦構造終結後に指摘された多極化時代、多極化時代を超えてのグローバリゼーションという時代、ここにあって脆弱性と盤石性を両立させる意義は薄れています。

Img_4801 これは両立させることにより生まれる均衡が、結果的に日本の安定に寄与する、という概念が成り立っていない時代を示すからです。脆弱性とはそのまま脆弱であり、盤石性との均衡は二極構造の転換により安定の維持への世界政治の関心は地域的なものに転換、破綻と併存している状態にあると説明できるかもしれません。

Img_6455 どういうことか。脆弱性と盤石性の両立は、その破綻が日本においてはソ連と日本、ソ連と日米という世界政治において回避するべき軍事対立の要素を持っていたため、これは不可避の結果に米ソ衝突が欧州地域の東西関係にも波及することを意味し、いわば、欧州、米ソ、日本という世界政治における主要な諸国が利害を共有する構造を形成していました。

Img_6611_1 ここでの衝突は、必然的に世界全体へ波及する可能性がある。世界政治の視点からは、その端緒となる脆弱性への攻撃、盤石性に基づく打撃、双方を抑制的に作用させる秩序の継続こそが、世界全体の利益となることを意味していた、こうした構図があったわけです。

Img_7093 それならば、現状はどうか。日本の周辺地域において、中国、朝鮮半島、台湾海峡という地域が安全保障への影響を大きく及ぼすところにありますが、仮に安全保障上の均衡が破綻したとしても、必ずしも地域的な変動を超える可能性は無いことが挙げられるでしょう。

Img_7480 米中衝突となれば、その範囲は増大しますが、環太平洋地域まで及ぶことは無く、現状では西太平洋に限定されるでしょう。当然、アジア地域を大きく超える可能性も限られています。このため、均衡性への関心は、世界全体の利益ではなくなってしまっている、ここに破綻の危険性は現実化していると考えるのです。

Img_7673 考えなければならないのは、ここで破たんを回避するためには、軍事力による均衡が必要になるというところでしょうか。この部分は、強化することについて、周辺国の理解は得られず反発がある、という指摘もあるでしょうが、同盟関係に無い隣国の軍事力強化は基本的に反発を招くことは致し方ないところで、ここを説明し説得することが外交と政治の責務だと考えなければなりません。

Img_7766 さて。ここで新しい視点を入れて論議を昇華させます。軍事力の公共性についてです。自国の領域における主権と突如を維持することは、国際公共財であるというところは、冒頭から少し進んだ部分で説明しました。秩序と安定は国際公共財、無秩序と不安定は国際的脅威になるのです。

Img_7841 日本においては、戦後から今日に至るまで、この責務を維持しています。全ての国家が現状の境界線に基づいてこの義務を履行すれば、事実上世界規模で安定が維持されることになり、世界平和が実現することになるのですが、武力紛争や内戦によりこの秩序と安定を維持できなくなった場合は当然存在する、この点に軍事力の公共性を見出すことが出来るかもしれません。

Img_8379 もちろん、世界政府が存在しない現在の世界において、軍事力の国境を越えての恣意的な運用は、文字通り無秩序と不安定の要素そのものになります。従って、世界政治の合意を依拠した、現在ではこれに当たるものは国連安保理決議など限られているのですが、その条件下で運用されるものについては、秩序と安定を担保する国際公共財としての地位を担うことになるでしょう。

Img_8997 国際平和維持活動、海洋通商路保護、人道的介入まで、その手段としての根本にある軍事力は、用途さえ、またはその運用の源流に正当性と合意があれば、国際公共財足り得ることになる、こういうわけです。諸国へ説明し得る政治力と、その誠実な履行という政策があれば、軍事力は隣国以外からは強大化について、決して疑念を抱かれることにはなりません。

Img_9064_1 また、その使用にあっても、国際公序、即ち秩序と安定のための世界的な公益性に依拠して拡大しない範囲内において行使されるのであれば、それは認められ、秩序の恢復と安定、これに依拠した社会の安定化へ繋げる政策と連動すれば、問題視されることはないことにもなります。

Img_9849 さて、以上までに憲法九条と日米安保は冷戦時代の秩序安定に必要なものであった、という視点と共に冷戦後は必ずしもその限りではないとの論点、そして軍事力は国際公益に寄与する公共財である、という視点を示しました。そして、前者の部分については、これまで、転換する必要性が無かった、とも記しました。これまでは。

Img_1268 これまでは、とは、どの時代までか、ということ。中立政策といえるような、脆弱性と盤石性の均衡は、これを支えるものがあってこそ恒久的に作用するものでした。ならば、その”つっかえ棒"が無くなったらどうなるか、ということ。無くなってはいませんが、この地域の安定と世界秩序維持とのかい離により関心の乖離という形で順次撤去されています。

Img_1579 重要な部分はこの点です、即ち、均衡は世界政治全体からの意関心を離れつつある以上、日本が主体的に軍事力を含めた安全保障政策を討議し合意し画定し推進しなければならない、というところにあり、脆弱性の部分は盤石性により補わなければならなくなっている、この避けられない実情にほかなりません。

Img_1795 無論、軍事力のみを増強すればいい、という短絡的な議論にはなりません。この論点から話を勧めれば、単にもっと多くの予算を投じて、もっと強大な、という果てしない単純な円環に埋没しこのほうが議論は省け、その成果も事業評価も数値化は安易となるのですが、単純化は目的ではない事をご理解ください。

Img_2118 軍事理論といわず、安全保障というものを包括的に考えた場合、その指向性や運用方法、その軍事力と外交政策との連動、外交政策と国内政治の具現化、長期的な政策の継続と国際理解の獲得、これを担う優秀な官僚機構と、これを統制する政治の技量の調和が実現すれば、必ずしも軍事力の大幅な増強に繋げずとも可能、と言えるかもしれません。

Img_2568もっとも、これまで別稿に記したような、様々な視点から日本の防衛力は完全に充足しているとは言い難く、可能ならば増勢が望ましい部分があることも確かなのですが。ただ、軍事力以外の前述した部分の不足の方が著しい、というところについては、同意を得られるのではないでしょうか。

Img_2852 こうしたうえで、軍事力についての国際公共財としての視点、世界の安定と秩序に寄与する運用と合意形成を背景とすれば必要な軍事行動というものが存在する。また、日本の冷戦時代における脆弱性と盤石性の均衡という論理が役目を終え、次の転換点を待っている、この部分との相克を考えます。

Img_5876 東日本大震災以降、特に福島第一原発事故以降に日本は今後脱原子力政策へ転換せざるを得ない、こうしたうえで、エネルギー確保への国際秩序の維持への主体的な参加が必要になる、という視点は繰り返し提示しています。これが、脆弱性という部分からの転換に繋がりえるのではないか、ということ。

Img_6764 脆弱性は冷戦時代型の均衡を保つうえで必要であったのではありますが、現在は脆弱性は単なる脆弱性です。そして、この地域にとどまるのではなく、軍事力を含めた対外政策を自国が主体的に推進してゆく必要がある、そういうことです。脆弱性は、冷戦時代は特に軍事力によるものでしたが、今日的には北方から、西方と南方を含め多方面化した脅威ではあるものの単一脅威は減退、専ら制度的な脆弱性があるのでしょう。

Img_8414_1 制度的な脆弱性とは、抑制された防衛政策を担保する憲法を中心とした法体系にほかなりません。軍事的にはかなり前進、国内被害を無視すれば、少なくとも我が国を根本的に占領するような戦力投射能力を持つ国は、ほぼありません。しかし、制度的に脆弱性を念頭に置いた我が国の法体系は問題が大きいのです。

Img_8547 即ち、これは解釈の仕様によっては憲法九条が日本を護った、という視点も全く否定できないのです。もちろん、日米安保条約が日本を護った、という視点と共に不可分の論理としてのもの、冷戦時代は脆弱性と盤石性双方が必要だったのだから、という視点に立脚した場合の視点ではあるのですが。

Img_2340 しかし、冷戦後、脆弱性を政策に包含してゆく必然性は無くなりました。脆弱性としての憲法九条は、特に世界において日本の平和政策の代名詞的な存在となり、この副次的な作用は非常に大きく、そういう意味で現在においても価値はあるのですが、この憲法九条を維持しつつも、統治行為論、わかりやすくは政治の問題としての外交政策に脆弱性を払拭する努力はあってしかるべきでしょう。

Img_5517 先にも述べたとおり、脆弱性の部分は既に盤石性と不可分であったのは冷戦時代の国際秩序に依拠したもので、現在では可分的な要素を有しています。加えて、エネルギー政策の面で、今後日本は世界と関与し、討議し、参加する、という分野を軍事面にまで広げる必要性に直面してしまいました。

Img_5960 もちろん、個人的には武力紛争への介入は極力避けるべきで、エネルギー政策についても旧式化した原子炉を一掃し、配管を極力排した強靭な新型原子炉に転換する方法も合わせて模索するべき、とは考えています。しかし、その政策を推進するには代替原子炉の建築を急ぐ必要があり、世論として受け入れ難いものがあるでしょう。すると、選択肢は狭まってしまいました。

Img_8287 さて。転換点がこれまで無かったに起因し、特に国内の合意形成を後押しする要素が無かった点も付け加え、冷戦時代の脆弱性と盤石性の不可分を政策として継続してきました。しかし、東日本大震災とこれに連動する一連の変動と強いられる変革は、その転換点となりうるもの、なのかもしれません。

Img_8858_1 安全保障面で、こうした需要な変革を行うには、その遂行に国民が信頼を置くに値する、今後の未来を付託できる政治、同時に官僚機構を統制し得る政治というものを選ぶ、選ぶことが出来ないのならば養成する、ということは並大抵のことではありません。しかし、次世代に進んでゆくためには、考えなければならない、避けられぬ命題、ということになるのではないでしょうか。開戦記念日という点観点から七十年目の本日、荒削りではありますがこうしたことを考えた次第です。

北大路機関:はるな

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