◆防衛費GDP2.5%(冷戦期NATO平均並)で達成可能
我が国を左右する重要な命題は主権者の判断を仰ぐべき、という視点から終点的自衛権論争へ一つ。
一部マスコミを中心に安倍内閣の集団的自衛権行使容認への自衛権行使三原則変更に対して批判的な論調が見られます。これまで集団的自衛権は保持していても行使できない、という解釈でしたので、他に選択肢が無いという必要があれば行使できる、という解釈変更は必ずしも大きな変更ではないとも思えるのですが。
しかし、主権者の頭越しに変更された、という批判や、これを以て日本が戦争のできる国に成る、戦争のできる国になるというよりは、戦争しなければ国土は蹂躙される状況に陥る事を回避する、という視点ではあるのですけれども、この変更が問題ある、とするならば、集団的自衛権行使に寄らない、日本一国で国土の自衛を成り立たせる選択肢を示すべきと言えるかもしれません。
即ち、集団的自衛権行使を反対する主権者に対して、米軍の支援を受けずとも我が国周辺と海上交通路を独力で防衛できる自衛隊の増強と後方支援体制の大幅強化を行うのであれば、アメリカに依存しない強力な自衛力、防衛力の整備、という選択肢を示して、討議する、与党内においての討議を含め行う選択肢を示すべきでしょう。
シーレーン維持へ、戦力投射、例えばインド洋やアラビア海を含めた一定以上の作戦部隊投入能力、隣国からの我が国内陸部攻撃が巡航ミサイルや弾道弾により展開された際の策源地攻撃能力と場合によっては航空撃滅戦の展開能力、専守防衛を国是とする我が国としては第一撃後の着上陸部隊を殲滅する防衛力、など、考えられるところ。
もちろん、我が国のように海洋を中心とした広大な国土を有し、併せて核兵器国である強大な隣国が軍事挑発を仕掛け、隣国の識者が侵攻を仄めかす現状で一国平和主義を掲げての防衛力強化は、単に過度な軍拡競争に発展する危惧から、必ずしも当方としては賛同しかねるものがあります。
多国間の防衛に関する協調を以て自衛権を一国が乱用できない相互依存の体制を構築することの方が、一国での強大な軍事力を保持するよりも武力紛争が起きにくい状況を醸成出来ると考えるのですが、その手段としての同盟国や友好国との防衛協力、即ち集団的自衛権を刻印が拒否するのであれば、主権を維持するには防衛力強化しか選択肢はありません。
そこで、陸上戦力では現在の陸上自衛隊に加え、米軍が極東有事の際に展開する戦力、陸軍戦力では第18空挺軍団規模の緊急展開部隊、第18空挺軍団は第3歩兵師団、第10山岳師団、第82空挺師団、 第101空挺師団、以上の4個師団から成るのですがこの程度を増勢することで、独力対処の可能性が芽生えてきます。
会場では、米軍に依存せず、長大なシーレーンを防衛する、となれば、現状の人員だけではなく、場合によっては一定規模の航空母艦が数隻必要になってきますし、海上からの策源地攻撃能力としてトマホークミサイルもしくは同程度の巡航ミサイルを潜水艦と一部水上戦闘艦に搭載する必要が生じてくるでしょう。
航空防衛力は、米空軍が台湾有事や朝鮮半島有事に際し300機程度の戦闘機を嘉手納に集中させる見積もりがある、とされていますので、全国の要撃体制を維持しつつこの程度の戦闘機を集中させ、作戦能力を維持できる程度の空輸能力や空中給油能力、燃料と弾薬備蓄があれば問題はありません。
幸い我が国は島国ですので、陸上戦力を大動員の前提とした規模の整備は不要です。つまり例えば韓国のように国民に徴兵制を強いる必要は無い訳です。仮に韓国のように二年近い徴兵期間を設定した場合、人口が三倍ですので陸上自衛隊は約十倍の150万人となりますが、こうしたことを行う必要は無く、むしろ現行人員内でヘリコプターや装甲車両の充足率を高め、必要ならば長距離展開できる態勢を構築する方が重要でしょう。
海上防衛力は、逆にシーレーンが長すぎますので、アメリカの支援を期待しない、というのであればかなりの規模を増強しなければなりません。特にシーレーンが展開するインド洋や南シナ海に海上自衛隊は基地を持ちませんので、艦隊防空と航空打撃戦を展開可能な機種、つまり戦闘機ですが、搭載可能な母艦が必要となるやもしれません、アメリカに依存しないとはこういうこと。
我が国はGDP比率0.7から0.8%の比率で防衛費を支出していますが、この壮大な防衛計画、少々非現実的とは当方も考えるのですが、冷戦時代のNATO諸国並みの負担、GDP比で2.5%程度の防衛費を支出する覚悟があれば、隣国を圧倒は出来ないものの、海洋を隔てていることから主権の堅持とシーレーンの防衛は可能でしょう。
ただ、集団的自衛権、過去にも繰り返しましたが、自衛権とは英訳で正当防衛の同語ですので、個別と集団の区分そのものが政治的産物なのですが、集団的自衛権行使が可能となる事で我が国が戦争できる国となる、という論調、マスコミや一部識者に市民団体で解釈されている視点は誤解が多い。
その論調では現行で我が国は独力で戦争できない、と解釈されがちですが、我が国は国家としての自衛権を持っていますので、戦争の定義にもよりますが、外敵に侵攻されたならば、自衛隊で以て反撃し、必要な措置を採る事が出きます、着上陸前に叩くことも、航空優勢やシーレーンを確保することも。
戦争の定義は、そもそも日中戦争を我が国が戦争と認めず事変として戦線を拡大させた事例がありますので、一概には言えないのですが、侵略を撃退する事を以て、我が国は蹂躙されるのではなく自衛することになりますので、所謂戦争は、できる国ではあるのです、無論繰り返しますが、戦争の定義をどうするかにもよるのですが。
もう一つ、事由に戦争できる国になる、との批判についてですが、集団的自衛権の解釈が示す同盟国との連携の下での自衛権行使の姿とは、自衛権行使へ相互依存が前提となる事に他なりません、友好国や同盟国との連携を前提として防衛体系を構築するのであれば、逆に一国での行動可能な選択肢が限られる、ということ。
その状態、逆に戦争できない国、というように考える事は出来ないでしょうか。防衛力を国際協調の枠組みの中に置く、という事なのですから。即ち、現行の解釈変更により戦争できる国に、という視点は、二重の意味で大きな誤解に依拠した、誤った情報と理解に基づく判断、ともいえるのではないでしょうか。
その理解を行った上で、集団的自衛権の行使に反対し独力の防衛力を強化したうえで防衛可能な体系を構築するのか、友好国や同盟国との防衛協力を強化し国際協調の枠組みへ我が国の防衛力を置くのか、これは政府により主権者へ選択肢として提示されるべきでしょう。本来、与党と野党でこうした二択を選挙に挙げるべきなのですが、現在の野党は反対以外の代替案を提示しない怠慢ぶりですので、民主党政権下での野党のような責任ある対案を出せる野党が望ましいですね。
北大路機関:はるな
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