北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

自衛隊発足60周年記念特別企画: 知られざる自衛隊?作戦史 様々な任務へ立ち向かう

2014-07-02 23:51:33 | 北大路機関特別企画

◆カイジュウ対処・現金輸送・タンカー破壊
 自衛隊創設60周年、特別企画として今回は自衛隊の実施した様々な任務について、自衛隊もいろいろなことをやってきました、という視点から紹介してみましょう。
Aimg_2122  自衛隊が怪獣と戦った?、こう耳にされた方、どのくらいいらっしゃるでしょうか、なるほど自衛隊創設は1954年、1954年といえばゴジラ生誕の年、戦っていても不思議ではないかもしれない、と思われるでしょう、多分です。自衛隊がカイジュウと戦った、という話、実際にしてみますとどのくらいの方が信じられるでしょうか、部隊は北千歳駐屯地の第1特科団や海上自衛隊の掃海艇に航空自衛隊のF-86戦闘機、東宝映画のような揃い踏みというところか、です。もっとも、カイジュウ違い、怪獣ではなく海獣です。
Msimg_4301_1  第1特科団、海獣と戦う。これは北海道沿岸で水産資源を食い荒らすトドを漁協の要請で駆除したもので、自衛隊へ要請された背景には猟銃では接近すれば海中に直ぐ潜ってしまうトドに対処できず、重量も1t近くある巨体を駆除する十分な威力が無い、というもの。第1特科団からは団本部付の12.7mm四連装高射機銃が派遣され、その数年後には海上自衛隊掃海艇が水上に頭部を出した瞬間を浮流機雷に見立て掃射、さらに数年後には岩場のトドをF-86が高速で急降下し機銃掃射するなど駆除しました。
Simg_8640_1  F-86といえば東宝特撮の定番、掃海艇も大怪獣バランで頑張りました、映画では残念芳しい戦果はありませんでしたがトドとなると別のようで、12.7mm機銃弾や20mm機関砲弾の威力には流石にトドもマイッタ、という状況だったようで、駆除したトドはクレーンで回収しましたが、物凄い大物だったとのこと、漁協ではお礼にトド肉の缶詰を自衛隊に送りました、なお、調整に東京より内局の課員が派遣されましたが、お土産のトド肉缶詰、重い思いをしつつ東京まで持って帰ったものの余りもの珍味と言いますか珍品につき、あまり部内では歓迎されず、折角重い思いで持ち帰ったのに、と落胆したのだとか。
Fimg_6586_1  現金輸送と自衛隊、自衛隊は様々な民生協力を実施していますが、自衛隊は現金輸送支援を行ったこともあります、場所は沖縄です。沖縄は返還の時点で陸上自衛隊が空中機動旅団配置などを検討するなど主権行使の方策を真剣に検討していましたが、その土台となる支援も行っていたわけです。現金輸送、金額は一回で540億円、平均月給が75000円の時代、映画入場料550円でビール大瓶130円の時代に540億円の現金を輸送していました。自衛隊が現金輸送支援を実施したのは沖縄返還に際して、米ドルから日本円へ交換する必要が生じた際、沖縄県全域の通貨を交換するわけですので金額が膨大なものとなり、日銀は自衛隊の協力を要請した、ということ。
Img_1057  沖縄現金輸送は、1971年、交換用通貨540億円を160個のコンテナに搭載し、海上自衛隊の輸送艦おおすみ、しれとこ、により実施することとなりました。おおすみ、といいますと海上自衛隊の現在の輸送艦ではなく、初代おおすみ型輸送艦、直接海岸線に接岸し揚陸する戦車揚陸艦です。現金の総量が非常に置き鵜、警備には万全に万全を期するもので、コンテナは80個づつ東京港大井ふ頭で二隻に搭載され、周辺は警察機動隊と海上保安庁巡視船、海中には海上自衛隊水中処分隊が警戒にあたり、4月7日に二隻が出航しています、もちろん、海上航空からの護衛が就いていることは言うまでもありません。
Img_1943  二隻の輸送艦は海上自衛隊の哨戒機と護衛艦により護衛を受けつつ5月2日に那覇港へ到着、那覇港は接岸埠頭の三方をコンテナで厳重にバリケートを築き、武装した米軍憲兵が警戒しつつ540億円のコンテナを降ろしました。そして、交換通貨として1億ドルが那覇港において輸送艦に搭載、現金輸送の特命を帯びた艦隊は続いて1億ドルの現金を搭載し、その日のうちに出航、やはり護衛艦と哨戒機の護衛を受け、5日に覆い埠頭へ到着しました。自衛隊にしかできない大量の現金輸送任務の無事達成、日銀総裁より感謝状が贈られています。
Eimg_4171  人工降雨作戦。自衛隊は、雨を降らせたこともあります。自衛隊と雨、特撮ではゴジラvsビオランテにおいて丹波山地を若狭湾の原発へ向かうゴジラを攻撃するべくTC6000サンダーコントロールシステムの使用を決断、F-15よりヨウ化銀を散布し人口雷雨を発生させる描写がありますし大怪獣決闘ガメラ対バルゴンでは見明凡太朗演じる中部方面総監が水が弱点というバルゴンの京都侵攻を食い止めるべく人工的に雨を降らせるのは技術上簡単です、と言いヨウ化銀を撒くのかとおもいきや、まんまH-19ヘリコプターで水を散布したりしていました。
Mimg_6969_1  さて、自衛隊の人工降雨作戦ですが、実施した方法はゴジラvsビオランテとガメラ対バルゴンの中間を、沖縄で実施しています。人工降雨作戦は1991年、干ばつに苦しむ沖縄においてC-130H輸送機を投入して展開されています。実施したのは県が開発した散水装置を機内に搭載し、雲中を飛行しつつ散布するというもの。こうしますとガメラ対バルゴンのH-19から直接散布したような印象がありますが、雲中で散布することで降雨のもととなる核、この場合は水そのものですが、を展開させ、降雨を誘発する、というもの。
Himg_6809  航空自衛隊が協力した背景には、雲中の高度まで大量の水を搭載し飛行できる航空機が沖縄県になかったためで、この為に航空自衛隊の輸送機を運用するという必要があったわけです。この方式、雲が出ていないと対応できないものでした、ちなみにヨウ化銀散布などは世界で広く実施されていますが、自衛隊が散布したのは真水でした。さて気になる効果の程なのですが、一応、3mmの雨量は観測されたようですので、大雨で潤う、というわけにはいかなかったものの、単純に散水するよりは効果があった、といえるでしょう。
Img_1381  タンカー撃沈、自衛隊がタンカーを東京を守るべく撃沈した事例があるのは御存じでしょうか。第十雄洋丸事件と呼ばれています。タンカーと一口にいますが内航の小型タンカーではな日本最大の石油混載タンカー第十雄洋丸でく総トン数44000t、第十雄洋丸事件と呼ばれるこの事故は1974年11月9日に東京湾で発生しました。これは木更津港から東京湾を航行中の総トン数11000t貨物船パシフィックアレスが東京港へナフサなど石油関連材を満載し入港すべく航行中に第十雄洋丸に衝突、これにより大火災が発生しました。タンカー火災、それも世界最大の過密海域である東京湾で、海上保安庁、東京消防庁、横浜市消防局、川崎市消防局、が出動しましたが手が付けられません。
88img_2901  そこで、海上保安庁は協力会社の支援を受け富津沖に曳航し座礁させ、鎮火の上で乗員の救助にあたりました、その後現地解体などが検討されましたが、船内には未だ相当量のナフサが残り、スパークひとつで再度引火爆発しかねない危険な状況であることが判明、海上保安庁は海上自衛隊へ撃沈を要請しました。東京湾外に曳航中、予定海域到達前に突如ナフサに引火爆発、再燃が始まりました。このため、曳船は曳航を断念、自衛艦隊へ破壊措置命令が発動します。自衛艦隊司令官宮田敬助海将は、ヘリコプター搭載護衛艦はるな、護衛艦たかつき、護衛艦もちづき、護衛艦ゆきかぜ、4隻と潜水艦なるしお、P-2J哨戒機が出動しています。
Nimg_9353  ヘリコプター搭載護衛艦はるな、護衛艦たかつき、護衛艦もちづき、護衛艦ゆきかぜ、は11月26日に艦砲射撃を開始、第十雄洋丸の側面に5インチ砲が大穴を空け浸水が始まります、続いてP-2J哨戒機が対潜爆弾及びロケット弾攻撃を展開しナフサの燃焼を促し海洋汚染防止措置を採りました、艦砲により傾斜した船体に潜水艦なるしお、が止めを刺すべく魚雷四発を発射しましたが、炎上し喫水に変化があった第十雄洋丸と調整深度の相違があり、また停止船舶攻撃のため誘導装置を取り外した際の調整不具合か一発が故障し、結果二発が命中したのみでした。結果、沈没には至らず、自衛艦隊司令官命令で艦砲射撃が再開、はるな以下の艦隊が止めを刺しています。90年代にも五島列島沖で同様事案が発生、くらま以下の艦隊が出動しましたが、こちらは行動前に火災で沈没しました。
G12img_9527  オリンピック支援作戦。連合軍による日本本土上陸作戦とは関係ありません、我が国は戦後、平和の祭典として東京オリンピックや札幌オリンピックに長野オリンピックが開催されましたが、自衛隊が支援にあたっています。1964年の東京オリンピックでは、開会式のブルーインパルスと円谷幸吉三曹の銀メダルが有名ですが東部方面総監部にオリンピック支援集団司令部が置かれ、7600名を派遣しています。選手総数が5541名でしたので、自衛隊派遣要員の方がおおかったわけですが、まず、開会式の選手団入場に際して各国国旗の旗手は防衛大学校生徒が務めています。中央音楽隊演奏や開会式の礼砲支援が行われたほか、ヨット競技には海上自衛隊より支援船など艦艇73隻と航空機2機が派遣され、大会を支えていたのです。
Gimg_1289  札幌冬季五輪、1972年のオリンピックへ北部方面隊は真駒内駐屯地に札幌御隣ぴく支援集団司令部を置き、開会式や閉会式に競技実施の際における音楽演奏支援が行われたほか、大倉山ジャンプ競技場の設営及び整備支援などを実施しています。音楽演奏は、北部方面音楽隊と東部方面音楽隊に加え航空自衛隊中部方面音楽隊が参加し、音楽隊員だけで270名という大規模な派遣が行われました。このほか、先立つ1970年の大阪万博でも中部方面隊を中心にのべ3500名を派遣し旗手や音楽演奏を中心として支援を行っています。
Nimg_9442  長野冬季五輪、1998年に開催されたこの冬季五輪へ、陸上自衛隊は東部方面隊第12師団を中心に長野オリンピック協力団を臨時編成し、のべ52500名が支援に参加しました。第5施設群と第12師団の協力で様々な支援が行われましたが、この中で最も大変なのはスキージャンプ台の圧雪作業で、高度差138mの急斜面を人力で梯団を組み圧雪しました。スキー滑降競技の圧雪支援も行われ、中にはスキーフリースタイル競技におけるキッカー等の施設構築にも協力しました。オリンピックと言えばブルーインパルス、という華々しい支援がよく知られますがこうした地道な支援も行われています。次の東京五輪へ向け、準備室が既に自衛隊に配置されており、幅広い支援が行われることでしょう。
Fimg_2213  自衛隊は、ミグ25亡命事件や地下鉄サリン事件対処と言った実任務にルース台風、狩野川台風、伊勢湾台風、三八豪雪、チリ地震津波、日暮里大火、新潟地震、新潟7.17水害、十勝沖地震、41台風26号災害、45青ヶ島豪雨災害、酒田市大火、52有珠山噴火、御巣鷹山日航ジャンボ機墜落、55北陸豪雪、伊豆大島三原山噴火、雲仙普賢岳噴火、北海道南西沖地震、阪神大震災、地下鉄サリン事件、ナホトカ号座礁、東海村臨界事故、平成有珠山噴火、新潟中越地震、東日本大震災、伊豆大島土石流、実任務は数多いです。
Mimg_7565  また、各種演習を通じ、自衛隊の作戦応力を高く維持する努力を継続していますし、これに寄り陸海空自衛隊が即応態勢と高度な練度を維持することにより、我が国への武力攻撃を抑止する最大の任務に当たっているのですが、同時に、こんなことも行っていたのか、という任務の一例を今回紹介してみました。もちろん、自衛隊の最大の任務は我が国防衛という重大任務の遂行を通じて国家国民の主権を維持し自己実現や幸福追求の基盤を維持することに或るのは言うまでもありません。

G12img_7385  他方、こうした任務の行動や訓練の過程で数多くの殉職者が出てしまいました。自衛隊60年史とは隊員一人一人の努力と、日本国民全てとにより織りなされたものです。小字k、今回紹介した事例は、こうした任務も行っていたのか、というものではありますが、様々な任務への対応能力を積み重ねてきた60年の歴史により、例えば東日本大震災災害派遣など、想定外といえた大規模な有事に対しても対応できたといえるでしょう。そして、この歴史は今日も明日からも積み重ねられてゆきます。

北大路機関:はるな

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