■専守防衛政策次段階への変容
トランプ大統領の在韓米軍撤退示唆が将来的に現実となれば、東京中心の防衛政策ではなく、我が国は西太平洋北東アジア地域全般の防衛という広い視野を必然的に持つ事を突き付けられましょう。

価値観の共同体、とはかつて外交専門誌“外交フォーラム”にて欧州を表現した言葉ですが、国際関係においては個々の命題は勿論二国間協定や原則宣言などで結ばれるのですが、ある程度価値観が合致していなければ、成り立ちません、その上で日中の諸制度を考えますと、民主主義や立憲主義と自由権への認識が根本から違い、残念ながら相容れません。

中国の圧力ですが、日本には中国が自国民に対し行っている思想表現の自由への大きな制限、つまり体制批判などの発言への責任を伴う表現という制約、そして21世紀の今に至るまで普通選挙を行わない中国の体制は相容れません。しかし、韓国民主化は1987年、日本は1889年に憲法制定、1925年には普通選挙実現、1946年には男女普通選挙を実現ました。

自衛隊の強化、安全保障環境の変容と表現しますと、一番最初に彷彿させる変革は防衛力の強化、というものでしょう、勿論これは必要な事ではあります、兵力不均衡は国際紛争の武力紛争化への一要素ですから、ね。即応機動旅団や即応機動師団の隷下普通科連隊をすべて即応機動連隊に改編し即応機動連隊を20個単位で改編する事で機動力を強化する。

師団旅団すべてを戦車と装甲車で固めた総合近代化師団や総合近代化旅団にしなければならない、護衛艦隊を冷戦末期に想定したような7個護衛隊群に拡大の選択肢や私案で提示する新しい八八艦隊というようなヘリコプター搭載護衛艦定数8隻への増強とF-35B艦上固定翼哨戒機採用、これが海洋自由原則が実力で脅かされた際のシーレーン防衛への備え。

専守防衛と共に日本本土へのミサイル脅威、そして核兵器を国是として持たないわが国の核抑止力に代わる手段としてのミサイル防衛は必要になりますし、弾道ミサイル基地への策源地攻撃能力が報復的抑止力として必要、航空自衛隊は二方面での航空優勢維持に加え策源地攻撃能力付与へ戦闘機の増勢など。しかし、必要な変革の中それは一部に過ぎない。

防衛政策の根本からの変革を強いられる、自衛隊の強化はその一手段にしか過ぎません。防衛政策の根本からの変革とは、専守防衛という戦後の自衛隊創設以来の国是へも影響を及ぼし、要するに日本の友好国にたいし万一の際には防衛協力を行う、という積極的な防衛政策へ転換、武力攻撃だけではなく今後は国際法上の武力行使に対しても対処が必要に。

要するに日本本土へ直接着上陸があった瞬間から漸く自衛権を行使するという武力攻撃を待つ現状から、日本への国際法上の武力行使が行われた段階で自衛権を行使できる専守防衛への転換が必要となります。これも専守防衛には変わりありませんが、武力攻撃を受けての着手か武力行使の段階での発動か、変容といえる。国際法上の武力行使は武力攻撃よりも幅が広く、軍事圧力や軍事手段に準じる圧力等も含むもので、例えば大規模軍事演習と対抗演習等も含みます。

自国を自国で防衛することは国際法上なんら問題はありません。経済力や人口により限界はあるものの全ての主権国家はこの努力を行っている、もちろん日本も例外ではなく、自衛隊の能力も規模も世界的に見て高い水準にあるのですが、突きつけられている脅威にたいし充分であるか、と問われればまだ一考の余地がのこります。上記試案は処方箋の一つ。

自国だけで防衛できない場合には同盟条約として多国間安全保障枠組みへ参画する事例が多いのですが、日本は憲法上、と制約があるのです。一例として西太平洋地域での安全保障枠組を構築には、韓国と中華民国台湾、フィリピンとの防衛協力がどうしても必要となります、台湾とは直接行わずともシンガポールの様に訓練協力等に留める選択肢もある。

台湾とシンガポールは水陸両用車や防衛装備開発において連携している事が中国の調査で判明し、一時台湾へ向かうシンガポール軍装備が中継地の中国で抑留される等一悶着ありましたが、建前と本音を分けた防衛協力の位地様式とも言えました。しかし、我が国では集団的自衛権行使に関する憲法上の制約があり、協力枠組の構築を大きく制限しています。

国連への支援を国家の安全保障に、という声もありますが、アメリカではなく国連に頼ろうにも、まず、国連憲章には国連への支援義務と国連軍派遣に関する明確な条項があり、そして国連憲章が国際法上の強行規範であるとして一種慣習法化された、国際司法裁判所勧告的意見が示されているものの、南スーダン派遣において我が国立場は否定的でした。

専守防衛政策次段階への変容、というものについて変革を強いられるという立場ですが、現在の憲法解釈と法体系では限界もあります。日本は国連軍以外の国際平和維持活動での集団的自衛権についても極めて抑制的にしか参画しておらず、国連重視への転換ならば、結局、集団的自衛権行使の問題に直面しなければなりません。そして国連重視への転換を行わない場合は、一国での周辺地域への防衛協力やプレゼンスの誇示による、自由と民主主義等の防衛へ責任が増す事でしょう。

幸い日本の国力はかなり大きなものがあります、防衛力に関しては実現する国力がある。実際、経済力と工業力の水準は世界平均を大きく抜いており先端技術基盤も大きなものがありますし、護衛艦の建造や装甲車両の製造はじめ防衛力整備は公共事業としての機能を発揮できましょう。そして日本の防衛装備品あ一昔よりも世界的に見て安価になりました。

過去の歴史としましては、1941年から1945年までの太平洋戦争においての不幸な歴史がありますが、1945年以降一度も対外戦争を行っていない例外的な国家であり、少なくとも1945年以降日本を除くすべての周辺国に軍事侵攻した中国よりは、という認識で、日本の平和国家としての評価は周辺国との防衛協力を行う上で理想的な環境を構築できました。その上で、外征への転換ではなく、繰り返すように専守防衛政策次段階への変容、としての防衛協力の増進ならば、諸外国では受け入れる余地は十分あるでしょう。

立憲主義、しかしこの施策を決定するのは選挙民としての国民です。日本は国民主権の国家ですので、最終的に国民が決定しなければなりません。自由と民主主義のために闘争を覚悟するのか、自由と民主主義を放棄する逃走か、厳しい判断を迫られることもあるでしょう、特に防衛力の増強だけであれば税金の使途、という視点で帰結しますが、防衛政策を外交政策へ繋げ変容を考えるので在れば、それだけに国民の責任は、大きくなることでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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トランプ大統領の在韓米軍撤退示唆が将来的に現実となれば、東京中心の防衛政策ではなく、我が国は西太平洋北東アジア地域全般の防衛という広い視野を必然的に持つ事を突き付けられましょう。

価値観の共同体、とはかつて外交専門誌“外交フォーラム”にて欧州を表現した言葉ですが、国際関係においては個々の命題は勿論二国間協定や原則宣言などで結ばれるのですが、ある程度価値観が合致していなければ、成り立ちません、その上で日中の諸制度を考えますと、民主主義や立憲主義と自由権への認識が根本から違い、残念ながら相容れません。

中国の圧力ですが、日本には中国が自国民に対し行っている思想表現の自由への大きな制限、つまり体制批判などの発言への責任を伴う表現という制約、そして21世紀の今に至るまで普通選挙を行わない中国の体制は相容れません。しかし、韓国民主化は1987年、日本は1889年に憲法制定、1925年には普通選挙実現、1946年には男女普通選挙を実現ました。

自衛隊の強化、安全保障環境の変容と表現しますと、一番最初に彷彿させる変革は防衛力の強化、というものでしょう、勿論これは必要な事ではあります、兵力不均衡は国際紛争の武力紛争化への一要素ですから、ね。即応機動旅団や即応機動師団の隷下普通科連隊をすべて即応機動連隊に改編し即応機動連隊を20個単位で改編する事で機動力を強化する。

師団旅団すべてを戦車と装甲車で固めた総合近代化師団や総合近代化旅団にしなければならない、護衛艦隊を冷戦末期に想定したような7個護衛隊群に拡大の選択肢や私案で提示する新しい八八艦隊というようなヘリコプター搭載護衛艦定数8隻への増強とF-35B艦上固定翼哨戒機採用、これが海洋自由原則が実力で脅かされた際のシーレーン防衛への備え。

専守防衛と共に日本本土へのミサイル脅威、そして核兵器を国是として持たないわが国の核抑止力に代わる手段としてのミサイル防衛は必要になりますし、弾道ミサイル基地への策源地攻撃能力が報復的抑止力として必要、航空自衛隊は二方面での航空優勢維持に加え策源地攻撃能力付与へ戦闘機の増勢など。しかし、必要な変革の中それは一部に過ぎない。

防衛政策の根本からの変革を強いられる、自衛隊の強化はその一手段にしか過ぎません。防衛政策の根本からの変革とは、専守防衛という戦後の自衛隊創設以来の国是へも影響を及ぼし、要するに日本の友好国にたいし万一の際には防衛協力を行う、という積極的な防衛政策へ転換、武力攻撃だけではなく今後は国際法上の武力行使に対しても対処が必要に。

要するに日本本土へ直接着上陸があった瞬間から漸く自衛権を行使するという武力攻撃を待つ現状から、日本への国際法上の武力行使が行われた段階で自衛権を行使できる専守防衛への転換が必要となります。これも専守防衛には変わりありませんが、武力攻撃を受けての着手か武力行使の段階での発動か、変容といえる。国際法上の武力行使は武力攻撃よりも幅が広く、軍事圧力や軍事手段に準じる圧力等も含むもので、例えば大規模軍事演習と対抗演習等も含みます。

自国を自国で防衛することは国際法上なんら問題はありません。経済力や人口により限界はあるものの全ての主権国家はこの努力を行っている、もちろん日本も例外ではなく、自衛隊の能力も規模も世界的に見て高い水準にあるのですが、突きつけられている脅威にたいし充分であるか、と問われればまだ一考の余地がのこります。上記試案は処方箋の一つ。

自国だけで防衛できない場合には同盟条約として多国間安全保障枠組みへ参画する事例が多いのですが、日本は憲法上、と制約があるのです。一例として西太平洋地域での安全保障枠組を構築には、韓国と中華民国台湾、フィリピンとの防衛協力がどうしても必要となります、台湾とは直接行わずともシンガポールの様に訓練協力等に留める選択肢もある。

台湾とシンガポールは水陸両用車や防衛装備開発において連携している事が中国の調査で判明し、一時台湾へ向かうシンガポール軍装備が中継地の中国で抑留される等一悶着ありましたが、建前と本音を分けた防衛協力の位地様式とも言えました。しかし、我が国では集団的自衛権行使に関する憲法上の制約があり、協力枠組の構築を大きく制限しています。

国連への支援を国家の安全保障に、という声もありますが、アメリカではなく国連に頼ろうにも、まず、国連憲章には国連への支援義務と国連軍派遣に関する明確な条項があり、そして国連憲章が国際法上の強行規範であるとして一種慣習法化された、国際司法裁判所勧告的意見が示されているものの、南スーダン派遣において我が国立場は否定的でした。

専守防衛政策次段階への変容、というものについて変革を強いられるという立場ですが、現在の憲法解釈と法体系では限界もあります。日本は国連軍以外の国際平和維持活動での集団的自衛権についても極めて抑制的にしか参画しておらず、国連重視への転換ならば、結局、集団的自衛権行使の問題に直面しなければなりません。そして国連重視への転換を行わない場合は、一国での周辺地域への防衛協力やプレゼンスの誇示による、自由と民主主義等の防衛へ責任が増す事でしょう。

幸い日本の国力はかなり大きなものがあります、防衛力に関しては実現する国力がある。実際、経済力と工業力の水準は世界平均を大きく抜いており先端技術基盤も大きなものがありますし、護衛艦の建造や装甲車両の製造はじめ防衛力整備は公共事業としての機能を発揮できましょう。そして日本の防衛装備品あ一昔よりも世界的に見て安価になりました。

過去の歴史としましては、1941年から1945年までの太平洋戦争においての不幸な歴史がありますが、1945年以降一度も対外戦争を行っていない例外的な国家であり、少なくとも1945年以降日本を除くすべての周辺国に軍事侵攻した中国よりは、という認識で、日本の平和国家としての評価は周辺国との防衛協力を行う上で理想的な環境を構築できました。その上で、外征への転換ではなく、繰り返すように専守防衛政策次段階への変容、としての防衛協力の増進ならば、諸外国では受け入れる余地は十分あるでしょう。

立憲主義、しかしこの施策を決定するのは選挙民としての国民です。日本は国民主権の国家ですので、最終的に国民が決定しなければなりません。自由と民主主義のために闘争を覚悟するのか、自由と民主主義を放棄する逃走か、厳しい判断を迫られることもあるでしょう、特に防衛力の増強だけであれば税金の使途、という視点で帰結しますが、防衛政策を外交政策へ繋げ変容を考えるので在れば、それだけに国民の責任は、大きくなることでしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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