■ヘリコプター搭載護衛艦の時代
海上自衛隊にヘリコプター搭載護衛艦の時代が到来した当時は、日本の海上防衛への要求が大きく変容した時代と重なりました。
佐世保基地、ヘリコプター搭載護衛艦くらま竣工から除籍までの母港として位置しており、現在は南西方面海上防衛の最大拠点として位置付けられています。第二次世界大戦後、我が国は主権回復後も国土の一部を占領状態に置かれていましたが、領土的野心ではなく民主主義の普及を主眼とするアメリカは順次占領状態にあった国土の本土返還を行います。
くらま母港、くらま除籍後は全通飛行甲板型護衛艦いせ母港となった佐世保基地ですが、南西諸島防衛の要衝となり、沖止めされる日米補給艦、頻繁に出入港する護衛艦、長崎から竣工と同時に配備される最新鋭護衛艦、入渠へ佐世保を出航し、交代して南西方面警戒監視任務を終えて帰港する護衛艦、横須賀基地や舞鶴基地、呉基地母港の艦艇寄港が続く。
しかし、1973年にヘリコプター搭載護衛艦はるな、が竣工しましたが、はるな計画当時は此処佐世保基地の佐世保地方隊警備管区は現在ほど広くありませんでした、佐世保地方隊の警備管区は大隅海峡の南方、そして奄美返還前には大隅海峡までが境界となり、沖縄県と南西諸島は沖縄返還まで、アメリカ海軍の強力な海軍力が抑止力を発揮していました。
ヘリコプター搭載護衛艦はるな竣工、その前年にあたる1972年5月15日、念願の沖縄県本土復帰が実現しました。護衛艦はるな建造が決定した1968年には小笠原返還が実現しており、日本は第二次世界大戦以前の領域へ、ソ連による不法占領が継続する千島列島南部北方領土や韓国が戦後不法占拠する竹島を除き、その国土を回復させる事となります。
沖縄本土復帰、これは同時に沖縄県の防衛警備管区がアメリカ軍より自衛隊へ移管される事を意味し、同時に広大な南西諸島と小笠原諸島の返還は大陸外縁弧状列島の陸上国家から、本来の海洋国家への回帰を意味するものでもありました。実際問題、この小笠原諸島と沖縄県本土復帰だけでも日本の海洋面積を復帰以前よりも急速に広める事となりました。
海洋国家への回帰、もともと日本は大陸外縁部の弧状列島であり、大洋の島国ではなく大陸地政学的要件の影響下にはありますが、同時にその国境を海洋により隔てており、海洋交易によってのみ繁栄を約束されるとともに、海洋を防衛に用いる事で国境防備を極めて容易とする事が可能です。しかし、その為には、担保としてのシーパワーが不可欠となる。
外洋海軍、ブルーウォーターネイビーへの転換、海洋国家として日本が復帰するには海上防衛力を沿岸防備用の限られたものから転換しなければなりません。海軍力は、沿岸海軍をブラウンウォーターネイビー、外洋海軍をブルーウォーターネイビーといい、その中間を担う海軍力と近海海軍としてグリーンウォーターネイビー、と概して区分されています。
日本国土が第二次世界大戦後のアメリカ占領地の返還、まだロシアの占領地は日本に返還されていませんが、小笠原返還、奄美返還、沖縄返還とともに日本の海上防衛の責任は高まり、その施策としてヘリコプター搭載護衛艦が建造される事となりました、そして重ねて補給艦等、海上自衛隊は外洋での作戦能力の基盤も同時に整備してゆく事となりました。
航空母艦だけを仮に導入したとしても戦力とはなりません、外洋作戦基盤、艦隊航空、補給体系と指揮通信体系、その上で必要な作戦能力と戦術研究を行い始めて防衛力となります。はるな建造と共に海上自衛隊はヘリコプター搭載護衛艦を単体装備から部隊装備へと内部化してゆく事となり、そして次段階として今日の全通飛行甲板型護衛艦があるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
海上自衛隊にヘリコプター搭載護衛艦の時代が到来した当時は、日本の海上防衛への要求が大きく変容した時代と重なりました。
佐世保基地、ヘリコプター搭載護衛艦くらま竣工から除籍までの母港として位置しており、現在は南西方面海上防衛の最大拠点として位置付けられています。第二次世界大戦後、我が国は主権回復後も国土の一部を占領状態に置かれていましたが、領土的野心ではなく民主主義の普及を主眼とするアメリカは順次占領状態にあった国土の本土返還を行います。
くらま母港、くらま除籍後は全通飛行甲板型護衛艦いせ母港となった佐世保基地ですが、南西諸島防衛の要衝となり、沖止めされる日米補給艦、頻繁に出入港する護衛艦、長崎から竣工と同時に配備される最新鋭護衛艦、入渠へ佐世保を出航し、交代して南西方面警戒監視任務を終えて帰港する護衛艦、横須賀基地や舞鶴基地、呉基地母港の艦艇寄港が続く。
しかし、1973年にヘリコプター搭載護衛艦はるな、が竣工しましたが、はるな計画当時は此処佐世保基地の佐世保地方隊警備管区は現在ほど広くありませんでした、佐世保地方隊の警備管区は大隅海峡の南方、そして奄美返還前には大隅海峡までが境界となり、沖縄県と南西諸島は沖縄返還まで、アメリカ海軍の強力な海軍力が抑止力を発揮していました。
ヘリコプター搭載護衛艦はるな竣工、その前年にあたる1972年5月15日、念願の沖縄県本土復帰が実現しました。護衛艦はるな建造が決定した1968年には小笠原返還が実現しており、日本は第二次世界大戦以前の領域へ、ソ連による不法占領が継続する千島列島南部北方領土や韓国が戦後不法占拠する竹島を除き、その国土を回復させる事となります。
沖縄本土復帰、これは同時に沖縄県の防衛警備管区がアメリカ軍より自衛隊へ移管される事を意味し、同時に広大な南西諸島と小笠原諸島の返還は大陸外縁弧状列島の陸上国家から、本来の海洋国家への回帰を意味するものでもありました。実際問題、この小笠原諸島と沖縄県本土復帰だけでも日本の海洋面積を復帰以前よりも急速に広める事となりました。
海洋国家への回帰、もともと日本は大陸外縁部の弧状列島であり、大洋の島国ではなく大陸地政学的要件の影響下にはありますが、同時にその国境を海洋により隔てており、海洋交易によってのみ繁栄を約束されるとともに、海洋を防衛に用いる事で国境防備を極めて容易とする事が可能です。しかし、その為には、担保としてのシーパワーが不可欠となる。
外洋海軍、ブルーウォーターネイビーへの転換、海洋国家として日本が復帰するには海上防衛力を沿岸防備用の限られたものから転換しなければなりません。海軍力は、沿岸海軍をブラウンウォーターネイビー、外洋海軍をブルーウォーターネイビーといい、その中間を担う海軍力と近海海軍としてグリーンウォーターネイビー、と概して区分されています。
日本国土が第二次世界大戦後のアメリカ占領地の返還、まだロシアの占領地は日本に返還されていませんが、小笠原返還、奄美返還、沖縄返還とともに日本の海上防衛の責任は高まり、その施策としてヘリコプター搭載護衛艦が建造される事となりました、そして重ねて補給艦等、海上自衛隊は外洋での作戦能力の基盤も同時に整備してゆく事となりました。
航空母艦だけを仮に導入したとしても戦力とはなりません、外洋作戦基盤、艦隊航空、補給体系と指揮通信体系、その上で必要な作戦能力と戦術研究を行い始めて防衛力となります。はるな建造と共に海上自衛隊はヘリコプター搭載護衛艦を単体装備から部隊装備へと内部化してゆく事となり、そして次段階として今日の全通飛行甲板型護衛艦があるのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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