■8.15-日本のいちばん長い日
本日は“日本のいちばん長い日”、太平洋戦争が終わった日です。現代日本最大の転換点であり、僥倖にも日本が経験した最後の戦争が終わった日となった。

岡本喜八監督は1967年“日本のいちばん長い日”を発表した際“終戦の日、私は二一.六歳、豊橋予備士の候補生であった。私にとって終戦とは何であったか?友人が声も無くドンドン死んでいった日々である。やがて同窓生名簿からは、その半数が消えてしまい、私自身の寿命を掴みで二十三才と踏んだものだ”とプレスシートに終戦の日を述懐しています。

八月十五日、“私にとっての終戦は何であったか?その二十三才と踏んでいた寿命が、劇的に、少なくとも日本男子の平均寿命六七.二才位まで延びた日である”とプレスシートは続いているという。しかし監督にとり同作は友人たちが断たれたその視点が描ききれず大変な葛藤を感じたという。その反発が映画“肉弾”であり“沖縄決戦”なのかもしれません。

戦艦大和は第二水雷戦隊と共に沖縄突入を企図し、特攻機400機を集中し天一号作戦を展開します。天一号作戦は同時にレイテ決戦にて試験的に開始された海軍特攻の本格化でもありました。海軍は小録、現在の那覇基地近くに沖縄根拠地隊司令部を置き、25mm機銃240門と重巡用15.5cm艦砲転用要塞砲9門始め徹底した要塞化を図り沖縄に布陣しました。

海軍特攻、鹿屋に司令部を置く500機から成る第五航空艦隊、レイテ決戦敗北後フィリピンより台湾に撤退した第一航空艦隊は残存130機を投入すると共に沖縄方面航空作戦へ海軍航空隊は航空戦力を結集してゆきます。関東防空を担う第三航空艦隊は640機を以て九州に進出し、特に剣部隊と呼ばれた熟練乗員主体の第343航空隊を隷下に有し期待された。

沖縄は見捨てられたのではない、と敢えて強調できるのは沖縄方面作戦に海軍航空隊は此れだけの航空戦力と戦艦大和を投入した点です。更に特攻機主体の3500機から成る第十航空艦隊の作戦準備も進められ、沖縄方面での日本軍航空機損失は特攻機が三分の二を占める3007機、対して連合軍も航空機866機という大きな損害を出し、映画でも特攻機が。

天一号作戦を鏑矢とする海軍特攻は熾烈を極め、駆逐艦など36隻沈没、損傷艦艇は363隻に上りました。映画では画かれていませんが、沖縄戦の地上戦開始は一晩で10万の非戦闘員が殺害された東京大空襲の後です。しかし、大量の特攻機投入はB-29戦略爆撃機を運用する陸軍航空隊と特攻機の標的となる艦船、連合国海軍との間の深刻な対立を招きました。

菊水作戦と展開される航空特攻、イギリス海軍は欧州戦線の一段落により進出させた虎の子航空母艦の5隻に特攻機が命中するという厳しい状況で、この為に海軍のスプルーアンス提督は陸軍航空隊のカーチスルメイ少将へB-29爆撃機の大都市攻撃を一時中止し、九州南部の陸海軍航空基地攻撃へ転用するよう要求、都市攻撃が一時ながら収まった瞬間です。

航空特攻がそれ程戦果を挙げておらず声明を無駄にしただけ、という批判は確かにあり、その根拠に3007機の喪失に対し36隻撃沈のみ、という数字が示される一方、損傷363隻という戦果を挙げ、スプルーアンス提督も現状のまま損耗が続けば駆逐艦は不足する事は無いが日本本土作戦には太平洋大西洋の全連合軍駆逐艦の集中が必要になる、と回顧した。

義烈空挺隊は劇中でも多大な被害を出しつつも投入され、と描かれていますが、航空機による沖縄方面作戦はこの他にも夜間精密航法技量の高い水上機部隊出身の芙蓉部隊による単機攪乱攻撃等、大規模特攻作戦と並行して通常航空作戦が行われると共に剣部隊を筆頭に戦闘機部隊による局地的航空優勢確保を持続的に展開し、沖縄を見捨ててはいません。

集団自決、投降拒否、しかしどう陸海軍の奮戦を振り返っても県民の三人に一人が死亡したという悲劇は隠す事は出来ません。このなかで一つ、英雄たちの選択、NHK歴史検証番組がありますが、識者により深く検討してほしい点は、首里放棄は第32軍にとり、棚原高地と上原高地の失落によりほかに選択肢がなくなった事は理解できます、しかし、です。

摩文仁撤退という選択肢以外には無かったものでしょうか、小録合流、という、海軍司令部へ第32軍が合流し、那覇市南部を中心に更なる遅滞行動を続け、県民の戦闘への付随被害を局限化するという選択肢は無かったのでしょうか。映画では太田中将を池部良が演じていますが、陸海軍の協同という部分が、当時機構上やむを得ないにしても、描写が薄い。

太田提督は第四海上護衛隊司令官から沖縄方面根拠地司令官となった沖縄における海軍側の指揮官で、沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ、との電文で知られています。沖縄方面根拠地隊と第32軍、指揮官が中将と少将ではありますが、小録海軍地下司令部壕はその周辺が要塞化されており、実際、司令部機能も十分ありました。

沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ、との電文を海軍次官宛に送信できたように通信機能も余裕を有していました。小録海軍司令部壕は現在豊見城市、史跡として、立ち入る事が出来ます。そして、首里城から撤退した第32軍は撤退5万の内雨天下砲爆撃で大きく損耗し、撤退できた兵力は僅かに3万、当初戦力の三割に過ぎない。

沖縄戦に限らず、当時日本陸軍が撤退作戦をどのように体系化して実施していたか、散見できる資料でも芳しいものはありません。結局摩文仁、本島南端までの撤退が陣地放棄から洞窟戦への転換という無理を強いた為で、予備陣地の無い地域での露出した兵員が砲爆撃に曝されたに他ならず、それならば摩文仁よりも小録の方が首里から近く撤退も容易だ。

小録の海軍司令部壕が陥落したのは6月13日、摩文仁の第32軍司令部壕が陥落したのは6月23日、十日間の違いです。この中でも映画劇中にも描かれていましたが、5月27日の首里城撤退と共に海軍も一時陣地を破壊し小録を放棄撤退していますが、その後に小録へ復帰し、翌月13日まで戦線を維持しています。もう少し、陸海の連携が出来れば、と思う。

小録放棄も5月23日に第32軍が実施した撤退方針の会議、隷下師団と旅団の旅団長や参謀長を招集し実施した会議が映画劇中に画かれていますが、映画の中でも史実でも、この会議に海軍は招かれていません。もし、海軍との連絡を密に、首里城大地下司令部壕の予備司令部施設に小録海軍司令部壕を充てていたらば、沖縄戦の様子は違ったのではないか。

県民の人命を犠牲に本土決戦と終戦への貴重な90日間を流血で絞り出した沖縄戦、という発想、小録転進としていれば県民を護り80日間の戦闘を、と多少は変わっていたのかもしれません。軍隊の任務は国家を護る事ですが、国家を構成するのは国民です。国民を軍が見捨てる事は即ち国民が軍を見放す事と同義で、この映画を見るたびに考えさせられる。

NHK英雄たちの選択、政治的に難しい命題は敢えて避ける事なかれ主義のNHKですが、インパール作戦や戦時徴用船等で知識不足や見識不足の内容でも敢えて放映するNHKスペシャルを制作しているのですから、摩文仁撤退と小録撤退、即ち県民を巻き込む必至の状況で南端まで下がるか、那覇市南部を死守し県民を護るが妥当か識者の意見を聞きたい。

沖縄戦は悲劇なのですが、悲劇から考えさせられる事は大きく、確かに主観も入らざるを得ない映画という媒体ではあるのですが、激動の昭和史-沖縄決戦、悲惨だねえ怖いねえ可哀そうだねえ、と敢えて深く考える事を避けて明日だけを見てゆこうとする最中で、まぎれもない戦中派であり戦前生まれの岡本喜八監督が突き付けた、一つの問題作といえます。

専守防衛とは本土決戦主義であり、憲法上問題があるとしても敵を洋上と策源地で破砕すべき、在沖米海兵隊撤退を要求するならば同等以上のポテンシャルを持つ戦力を展開させ戦力の空隙を造らない、この映画は監督の意志とは裏腹に21世紀にそんな事も突き付けられるように思います。映画は金曜日までロイヤル劇場にて上映、岐阜市日ノ出町1-20柳ヶ瀬ロイヤルビル4FはJR岐阜駅からタクシー五分、旧徹明町駅や旧岐阜メルサ現ドンキホーテ岐阜から徒歩三分です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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本日は“日本のいちばん長い日”、太平洋戦争が終わった日です。現代日本最大の転換点であり、僥倖にも日本が経験した最後の戦争が終わった日となった。

岡本喜八監督は1967年“日本のいちばん長い日”を発表した際“終戦の日、私は二一.六歳、豊橋予備士の候補生であった。私にとって終戦とは何であったか?友人が声も無くドンドン死んでいった日々である。やがて同窓生名簿からは、その半数が消えてしまい、私自身の寿命を掴みで二十三才と踏んだものだ”とプレスシートに終戦の日を述懐しています。

八月十五日、“私にとっての終戦は何であったか?その二十三才と踏んでいた寿命が、劇的に、少なくとも日本男子の平均寿命六七.二才位まで延びた日である”とプレスシートは続いているという。しかし監督にとり同作は友人たちが断たれたその視点が描ききれず大変な葛藤を感じたという。その反発が映画“肉弾”であり“沖縄決戦”なのかもしれません。

戦艦大和は第二水雷戦隊と共に沖縄突入を企図し、特攻機400機を集中し天一号作戦を展開します。天一号作戦は同時にレイテ決戦にて試験的に開始された海軍特攻の本格化でもありました。海軍は小録、現在の那覇基地近くに沖縄根拠地隊司令部を置き、25mm機銃240門と重巡用15.5cm艦砲転用要塞砲9門始め徹底した要塞化を図り沖縄に布陣しました。

海軍特攻、鹿屋に司令部を置く500機から成る第五航空艦隊、レイテ決戦敗北後フィリピンより台湾に撤退した第一航空艦隊は残存130機を投入すると共に沖縄方面航空作戦へ海軍航空隊は航空戦力を結集してゆきます。関東防空を担う第三航空艦隊は640機を以て九州に進出し、特に剣部隊と呼ばれた熟練乗員主体の第343航空隊を隷下に有し期待された。

沖縄は見捨てられたのではない、と敢えて強調できるのは沖縄方面作戦に海軍航空隊は此れだけの航空戦力と戦艦大和を投入した点です。更に特攻機主体の3500機から成る第十航空艦隊の作戦準備も進められ、沖縄方面での日本軍航空機損失は特攻機が三分の二を占める3007機、対して連合軍も航空機866機という大きな損害を出し、映画でも特攻機が。

天一号作戦を鏑矢とする海軍特攻は熾烈を極め、駆逐艦など36隻沈没、損傷艦艇は363隻に上りました。映画では画かれていませんが、沖縄戦の地上戦開始は一晩で10万の非戦闘員が殺害された東京大空襲の後です。しかし、大量の特攻機投入はB-29戦略爆撃機を運用する陸軍航空隊と特攻機の標的となる艦船、連合国海軍との間の深刻な対立を招きました。

菊水作戦と展開される航空特攻、イギリス海軍は欧州戦線の一段落により進出させた虎の子航空母艦の5隻に特攻機が命中するという厳しい状況で、この為に海軍のスプルーアンス提督は陸軍航空隊のカーチスルメイ少将へB-29爆撃機の大都市攻撃を一時中止し、九州南部の陸海軍航空基地攻撃へ転用するよう要求、都市攻撃が一時ながら収まった瞬間です。

航空特攻がそれ程戦果を挙げておらず声明を無駄にしただけ、という批判は確かにあり、その根拠に3007機の喪失に対し36隻撃沈のみ、という数字が示される一方、損傷363隻という戦果を挙げ、スプルーアンス提督も現状のまま損耗が続けば駆逐艦は不足する事は無いが日本本土作戦には太平洋大西洋の全連合軍駆逐艦の集中が必要になる、と回顧した。

義烈空挺隊は劇中でも多大な被害を出しつつも投入され、と描かれていますが、航空機による沖縄方面作戦はこの他にも夜間精密航法技量の高い水上機部隊出身の芙蓉部隊による単機攪乱攻撃等、大規模特攻作戦と並行して通常航空作戦が行われると共に剣部隊を筆頭に戦闘機部隊による局地的航空優勢確保を持続的に展開し、沖縄を見捨ててはいません。

集団自決、投降拒否、しかしどう陸海軍の奮戦を振り返っても県民の三人に一人が死亡したという悲劇は隠す事は出来ません。このなかで一つ、英雄たちの選択、NHK歴史検証番組がありますが、識者により深く検討してほしい点は、首里放棄は第32軍にとり、棚原高地と上原高地の失落によりほかに選択肢がなくなった事は理解できます、しかし、です。

摩文仁撤退という選択肢以外には無かったものでしょうか、小録合流、という、海軍司令部へ第32軍が合流し、那覇市南部を中心に更なる遅滞行動を続け、県民の戦闘への付随被害を局限化するという選択肢は無かったのでしょうか。映画では太田中将を池部良が演じていますが、陸海軍の協同という部分が、当時機構上やむを得ないにしても、描写が薄い。

太田提督は第四海上護衛隊司令官から沖縄方面根拠地司令官となった沖縄における海軍側の指揮官で、沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ、との電文で知られています。沖縄方面根拠地隊と第32軍、指揮官が中将と少将ではありますが、小録海軍地下司令部壕はその周辺が要塞化されており、実際、司令部機能も十分ありました。

沖縄県民斯ク戦ヘリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ、との電文を海軍次官宛に送信できたように通信機能も余裕を有していました。小録海軍司令部壕は現在豊見城市、史跡として、立ち入る事が出来ます。そして、首里城から撤退した第32軍は撤退5万の内雨天下砲爆撃で大きく損耗し、撤退できた兵力は僅かに3万、当初戦力の三割に過ぎない。

沖縄戦に限らず、当時日本陸軍が撤退作戦をどのように体系化して実施していたか、散見できる資料でも芳しいものはありません。結局摩文仁、本島南端までの撤退が陣地放棄から洞窟戦への転換という無理を強いた為で、予備陣地の無い地域での露出した兵員が砲爆撃に曝されたに他ならず、それならば摩文仁よりも小録の方が首里から近く撤退も容易だ。

小録の海軍司令部壕が陥落したのは6月13日、摩文仁の第32軍司令部壕が陥落したのは6月23日、十日間の違いです。この中でも映画劇中にも描かれていましたが、5月27日の首里城撤退と共に海軍も一時陣地を破壊し小録を放棄撤退していますが、その後に小録へ復帰し、翌月13日まで戦線を維持しています。もう少し、陸海の連携が出来れば、と思う。

小録放棄も5月23日に第32軍が実施した撤退方針の会議、隷下師団と旅団の旅団長や参謀長を招集し実施した会議が映画劇中に画かれていますが、映画の中でも史実でも、この会議に海軍は招かれていません。もし、海軍との連絡を密に、首里城大地下司令部壕の予備司令部施設に小録海軍司令部壕を充てていたらば、沖縄戦の様子は違ったのではないか。

県民の人命を犠牲に本土決戦と終戦への貴重な90日間を流血で絞り出した沖縄戦、という発想、小録転進としていれば県民を護り80日間の戦闘を、と多少は変わっていたのかもしれません。軍隊の任務は国家を護る事ですが、国家を構成するのは国民です。国民を軍が見捨てる事は即ち国民が軍を見放す事と同義で、この映画を見るたびに考えさせられる。

NHK英雄たちの選択、政治的に難しい命題は敢えて避ける事なかれ主義のNHKですが、インパール作戦や戦時徴用船等で知識不足や見識不足の内容でも敢えて放映するNHKスペシャルを制作しているのですから、摩文仁撤退と小録撤退、即ち県民を巻き込む必至の状況で南端まで下がるか、那覇市南部を死守し県民を護るが妥当か識者の意見を聞きたい。

沖縄戦は悲劇なのですが、悲劇から考えさせられる事は大きく、確かに主観も入らざるを得ない映画という媒体ではあるのですが、激動の昭和史-沖縄決戦、悲惨だねえ怖いねえ可哀そうだねえ、と敢えて深く考える事を避けて明日だけを見てゆこうとする最中で、まぎれもない戦中派であり戦前生まれの岡本喜八監督が突き付けた、一つの問題作といえます。

専守防衛とは本土決戦主義であり、憲法上問題があるとしても敵を洋上と策源地で破砕すべき、在沖米海兵隊撤退を要求するならば同等以上のポテンシャルを持つ戦力を展開させ戦力の空隙を造らない、この映画は監督の意志とは裏腹に21世紀にそんな事も突き付けられるように思います。映画は金曜日までロイヤル劇場にて上映、岐阜市日ノ出町1-20柳ヶ瀬ロイヤルビル4FはJR岐阜駅からタクシー五分、旧徹明町駅や旧岐阜メルサ現ドンキホーテ岐阜から徒歩三分です。
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