■現実としての第二次世界大戦
終戦記念日までにと思ったが長くなった。岡本喜八はじめ過去の作品には説得力があるものが多い、戦争を知らない我々戦後世代が描く現在の日本映画との違いです。

激動の昭和史-沖縄決戦、1971年の公開ですので1972年の沖縄返還前年にあたり、沖縄戦を考えさせる映画となりました。考えてみますと、1953年に東映が“ひめゆりの塔”を発表していまして、映画として描かれる機会は少なくありません。特に監督の世界観を反映させることができる映画は芸術として表現方法としてはその極致にあるのかもしれません。

日本のいちばん長い日、2015年にリメイクされまして終戦記念日が近いという事で先日民放でも放映されましたが、1967年に、激動の昭和史-沖縄決戦、を監督しました岡本喜八監督が映画化しているものです。実はこの終戦を扱った映画は、日本敗れず、という新東宝が巨匠阿部豊監督作品として1954年に制作していまして、終戦への混乱と努力が描かれた。

日本敗れず、という作品を知ったのは実はかなり後なのですが、1950年代に宮城事件を始め終戦に至る危険な騒擾を描いた事にある種驚かされたのですが、日本のいちばん長い日、と共に違和感なく、当時の歴史を監督の視線から考えさせられ、素晴らしい映画であると感嘆しました次第です。しかし、2015年の映画、日本のいちばん長い日、は違和感が多い。

終戦記念日、毎年8月15日は訪れる訳でして、終戦記念日企画という数多の話題がTVに専門誌にインターネットメディアまで様々な媒体を通じて行われまして、Weblogもその一つなのですが、再現ドラマやドキュメンタリーというものが放映され、期待して視聴します度に、何と言いますか喉に突き刺さるような、目に屑が入るような違和感があるのです。

激動の昭和史-沖縄決戦、感情移入へ違和感が無いこの作品の背景は、想えば監督から俳優の、勿論子役は1971年の映画ですので別としまして、戦争を経験しているのですね。終戦の日に主演の小林桂樹は愛知県白須賀で本土決戦へ陣地構築中だったといますし、仲代達矢は学童疎開中で敗北しても自分も周りの自然も変わらない事を不思議と感じたという。

戦争が終わった事はある意味当然と思っていないか、昨今の、筆頭は2015年の映画日本のいちばん長い日、ですが、俳優にも制作側にもなんといいますか、こうした認識が一つ常識となっており、敗北を念頭とした制作や演技となっていないか、1967年に怒鳴る青年参謀は説得力があるが、悪いが2015年の青年参謀役は単なる街のちんぴら役に見えてしまう。

山本五十六、も同じくリメイクされていますが、CGと特撮、確かに発達したのかもしれませんが、感情がこもっていない。例えば戦闘機の動き一つとっても現物を何度も観た身としては戦術機動などに説得力が無い、空虚なのですね。CG披露のお遊戯会となってしまっている作品が増えたように思う。すると無理に戦争映画をリメイクするのはどうか、と。

戦争はSFではなく紛れもない現実、こうして終戦という実体験を元に突き詰めたのが岡本喜八の激動の昭和史-沖縄決戦であり、日本のいちばん長い日でした。いや、SFといいますとSFさえも終戦と戦後は一つ分岐点となっています。それならば平和や核兵器を考えるならば空虚な現代視点の第二次大戦よりも庵野秀明のシン-ゴジラを視た方が遥かに理解深い。

小松左京、日本を代表するSF作家が1973年に発表した“日本沈没”は終戦後の一億玉砕学徒動員の目の前にいた著者が終戦で全ての価値観が転換し、周りが何もなかったかのようにふるまおうとする中で感じた、虚脱感と無力感と妙な焦燥感に行き処のない怒りが、民族が本当に国を失う事をSFとして書いてみよう、つまり終戦が最初のはじまりとなった。

激動の昭和史-沖縄決戦、それだけに説得力があるのです。現在のところリメイクの動きはありませんが、山本五十六、日本のいちばん長い日、とリメイクが重なりますと、どうしても不安となってしまう。それよりも思い切って日本でもシリア内戦やイラク戦争を描くか、岐阜の名画座ロイヤル劇場で鑑賞しますとDVD版よりも音声と画質劣化が著しく、過去の名画をどう補修し画質音響を維持するかを考えた方が、いいのかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補足-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
終戦記念日までにと思ったが長くなった。岡本喜八はじめ過去の作品には説得力があるものが多い、戦争を知らない我々戦後世代が描く現在の日本映画との違いです。

激動の昭和史-沖縄決戦、1971年の公開ですので1972年の沖縄返還前年にあたり、沖縄戦を考えさせる映画となりました。考えてみますと、1953年に東映が“ひめゆりの塔”を発表していまして、映画として描かれる機会は少なくありません。特に監督の世界観を反映させることができる映画は芸術として表現方法としてはその極致にあるのかもしれません。

日本のいちばん長い日、2015年にリメイクされまして終戦記念日が近いという事で先日民放でも放映されましたが、1967年に、激動の昭和史-沖縄決戦、を監督しました岡本喜八監督が映画化しているものです。実はこの終戦を扱った映画は、日本敗れず、という新東宝が巨匠阿部豊監督作品として1954年に制作していまして、終戦への混乱と努力が描かれた。

日本敗れず、という作品を知ったのは実はかなり後なのですが、1950年代に宮城事件を始め終戦に至る危険な騒擾を描いた事にある種驚かされたのですが、日本のいちばん長い日、と共に違和感なく、当時の歴史を監督の視線から考えさせられ、素晴らしい映画であると感嘆しました次第です。しかし、2015年の映画、日本のいちばん長い日、は違和感が多い。

終戦記念日、毎年8月15日は訪れる訳でして、終戦記念日企画という数多の話題がTVに専門誌にインターネットメディアまで様々な媒体を通じて行われまして、Weblogもその一つなのですが、再現ドラマやドキュメンタリーというものが放映され、期待して視聴します度に、何と言いますか喉に突き刺さるような、目に屑が入るような違和感があるのです。

激動の昭和史-沖縄決戦、感情移入へ違和感が無いこの作品の背景は、想えば監督から俳優の、勿論子役は1971年の映画ですので別としまして、戦争を経験しているのですね。終戦の日に主演の小林桂樹は愛知県白須賀で本土決戦へ陣地構築中だったといますし、仲代達矢は学童疎開中で敗北しても自分も周りの自然も変わらない事を不思議と感じたという。

戦争が終わった事はある意味当然と思っていないか、昨今の、筆頭は2015年の映画日本のいちばん長い日、ですが、俳優にも制作側にもなんといいますか、こうした認識が一つ常識となっており、敗北を念頭とした制作や演技となっていないか、1967年に怒鳴る青年参謀は説得力があるが、悪いが2015年の青年参謀役は単なる街のちんぴら役に見えてしまう。

山本五十六、も同じくリメイクされていますが、CGと特撮、確かに発達したのかもしれませんが、感情がこもっていない。例えば戦闘機の動き一つとっても現物を何度も観た身としては戦術機動などに説得力が無い、空虚なのですね。CG披露のお遊戯会となってしまっている作品が増えたように思う。すると無理に戦争映画をリメイクするのはどうか、と。

戦争はSFではなく紛れもない現実、こうして終戦という実体験を元に突き詰めたのが岡本喜八の激動の昭和史-沖縄決戦であり、日本のいちばん長い日でした。いや、SFといいますとSFさえも終戦と戦後は一つ分岐点となっています。それならば平和や核兵器を考えるならば空虚な現代視点の第二次大戦よりも庵野秀明のシン-ゴジラを視た方が遥かに理解深い。

小松左京、日本を代表するSF作家が1973年に発表した“日本沈没”は終戦後の一億玉砕学徒動員の目の前にいた著者が終戦で全ての価値観が転換し、周りが何もなかったかのようにふるまおうとする中で感じた、虚脱感と無力感と妙な焦燥感に行き処のない怒りが、民族が本当に国を失う事をSFとして書いてみよう、つまり終戦が最初のはじまりとなった。

激動の昭和史-沖縄決戦、それだけに説得力があるのです。現在のところリメイクの動きはありませんが、山本五十六、日本のいちばん長い日、とリメイクが重なりますと、どうしても不安となってしまう。それよりも思い切って日本でもシリア内戦やイラク戦争を描くか、岐阜の名画座ロイヤル劇場で鑑賞しますとDVD版よりも音声と画質劣化が著しく、過去の名画をどう補修し画質音響を維持するかを考えた方が、いいのかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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