北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】東本願寺,おひがしさん真宗本廟東本願寺は御影堂門が京都駅上京者を迎える

2018-08-29 20:03:43 | 写真
■御影堂は世界最大木造建築物
 豪雨に見舞われても、京都駅からほど近い世界最大の木造建築物、信仰の寄る辺は拝観者を温かく迎えてくれます。

 真宗本廟東本願寺、真宗大谷派本山でお東さん、と親しまれています。本願寺と称されていましたが1987年に真宗本廟と改めており、今日に至るのですが東本願寺の愛称が通りがいい。東本願寺は七条通に面しており、京都駅から烏丸通を上り指呼の距離にあります。

 御影堂門は京都駅から御所へと続く烏丸通に燦然と威容を轟かせ、夕刻にはその門扉を収めますが、早朝から夕刻までは御影堂を拝観する事が出来ます。そしてこの御影堂門は、実に壮大で高さは28m、入母屋造本瓦葺き三門形式を採る二重門として拝観者を迎える。

 阿弥陀如来をご本尊とする東本願寺は京都駅からほど近く、壮大で優美な伽藍と共に学生時代からこちらへ学会等で上京された方々が東海道新幹線にて帰途に就く際、会議が目的故の多忙にも名残惜しむ都情緒を感じるひと時の逍遥場所としてご案内する場所のひとつ。

 御影堂は宗祖親鸞の坐像たる御真影を安置しているお堂です。参拝の度に威容に驚かされますが、世界最大の木造建築物といい、間口実に76m、奥行き58mに達する。幾度か焼失し再建を繰り返し、現在のお堂は1880年起工、そして日清戦争の1895年に落成しました。

 中央に内陣本間を置き、左側に十字の間、九字の間、飛檐の間と称し、右側を六軸の間、新六軸の間、御簾の間、と和様道場形式の堂宇の構造となっています。お堂は、2004年から2008年にかけ、平成の大修理、が行われ外観そのまま、耐震補強なども行われています。

 大谷本願寺としてこの地に伽藍の造営が成ったのは元亨年間の1321年、本願寺第三代覚如が開基となり、この地に壮大な伽藍を造営しました。しかし一つ残念なのは、本願寺は数多の戦災火災に見舞われており、残念ながら創建当時の威容を今日拝むことは出来ません。

 阿弥陀堂は、ご本尊の尊阿弥陀如来木像、阿弥陀如来立像が安置されています。本間右側壇上に聖徳太子御影絵像、左側に源空上人御影絵像が奉じられていまして、拝観者の参拝を淡い光と共に迎えています。御影堂の隣で大きさの感覚が錯誤しますが、規模は大きい。

 内陣右側の北余間に龍樹大士御影、天親菩薩御影、曇鸞和尚御影絵像、そして左側南余間に道綽禅師御影、善導大師御影、源信僧都御影絵像が、やはり奉じられています。こちらも明治時代の建物で、御影堂と再建を合わせ1880年起工し1895年に落成となりました。

 東本願寺として本願寺が西本願寺と二つの寺院となったのは慶長年間の1602年、安土桃山時代最後の年です。そして真宗本廟を正式名称とする東本願寺に対して、西本願寺の正式名称が本願寺、となっていまして、こちらは京都駅から、もう少し距離を隔てています。

 顕浄土真実教行証文類は国宝指定されています。鎌倉時代筆のもので、坂東本教行信証という親鸞直筆の教行信証親鸞真蹟本、重要文化財に絹本著色親鸞聖人像、紙本著色本願寺聖人伝絵が報じられており、戦災火災に多々遭った東本願寺が守り通す信仰の象徴です。

 戦災火災に多く見舞われた事は前述しましたが、江戸時代だけで実に四度の被害に遭っています、内一度は東本願寺から出火しており、東本願寺ではなく火出し本願寺だ、と当時の読み物に揶揄されたともいう。しかし、明治時代以降は戦災火災を免れ、今日に至る。

 平成の大修理は、2004年とその開始がかなり前ですが、順次お堂の屋根を覆い全面的な修復作業を行い、完工は2015年と東日本大震災後でした。お堂が航空機格納庫のようなものに覆われてしまいましたが、今日には修復成って、拝観者をあたたかく迎えてくれます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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