北大路機関

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【G3X撮影速報】令和二年第1空挺団降下訓練始め,2020年代拓く日米空挺(2020-01-12)

2020-01-13 20:08:01 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■令和時代初の降下始め挙行
 日曜日の昨日に千葉県の習志野訓練場にて実施されました第1空挺団降下訓練始めの様子を紹介しましょう、本年はアメリカ第82空挺師団も参加しました。

 第1空挺団降下訓練始め視察へ習志野訓練場に到着した河野太郎防衛大臣、第145代と146代外務大臣を経て2019年9月11日より第20代防衛大臣の重責を担っています。大臣はCH-47搭乗中に空挺団幹部の空挺降下を機上から視察、その上での訓練場入りという。

 C-130J輸送機とC-130H輸送機が空中待機しています、C-130Jはアメリカ空軍横田基地より参加の航空機、C-130H輸送機は航空自衛隊小牧基地の航空機、日常的な風景に見えるものではありますが、日米輸送機が一堂に会し参加した、史上初の空挺降下訓練始めです。

 P-3C哨戒機、状況開始と共に飛来、我が国島嶼部が第三国の勢力により侵略されたとの想定で、情報収集へ参加した海上自衛隊の哨戒機です。海上自衛隊下総航空基地より参加の機体で、早朝にP-1哨戒機が厚木基地を離陸したという事ですがこちらは実任務のもよう。

 LR-2連絡偵察機が、P-3C哨戒機の島嶼部への着上陸察知を受けて、敵情を偵察すべく“習志野島”付近へ進出しました。現実的にはLR-2は敵防空火器の前に脆弱性が高く、実際の有事に際しては新装備であるスキャンイーグル無人偵察機が投入される事となりましょう。

 パスファインダーの展開、CH-47JA輸送ヘリコプターより高高度降下を開始します。高高度から滑空する自由降下傘を用いた場合、30kmもの長距離を滑空する事が出来、有事の際には夜間空挺降下による隠密進入等に多用されます。この日の悪天候が雰囲気を盛上げる。

 C-130J輸送機の展開、アメリカ空軍の輸送機が空挺降下の先陣を務めました。概算で航空自衛隊の輸送機はC-130HとC-1輸送機が各1個航空隊の30機、そして最新鋭のC-2輸送機が10機程度ですが、横田基地のアメリカ空軍では、C-130J等を30機装備しています。

 第1空挺団の主力が降下します。先ほどの自由降下は誘導員等を専攻展開させ、この主力を誘導したのですね、しかし時代も変わりました、空挺降下訓練始めの先陣をアメリカ空軍の輸送機から自衛隊の空挺隊員が降下するのです。令和時代初の降下訓練始め、開始だ。

 16式空挺傘が花開く。C-130J輸送機がアメリカ空軍の機体ですので、此処から降下した空挺兵もアメリカ陸軍第82空挺師団の将兵か、と思いますと次々と花開くのは自衛隊が装備する16式空挺傘です、まぎれも無く自衛隊の空挺部隊が米軍輸送機から降下していますね。

 第101空挺大隊臨時空挺練習隊、自衛隊初の空挺部隊が創設されたのは1955年、自衛隊空挺部隊は精強部隊を育てるには空挺部隊が良いとのアメリカ陸軍助言と共に第101空挺師団の支援を受け、第187空挺連隊の教育とともに九州で創設されました。そして現在に至る精鋭部隊が育ちました。

 C-1輸送機からの降下開始、第1空挺団は団本部、団本部中隊、中隊本部、偵察小隊、降下誘導小隊、第1普通科大隊、第2普通科大隊、第3普通科大隊、空挺特科大隊、通信中隊、施設中隊、空挺後方支援隊、空挺教育隊、以上を基幹とする現在2200名規模の編成です。

 C-2輸送機からの空挺降下、2019年の空挺団降下訓練始めより川崎重工が開発した最新鋭のC-2輸送機がこの訓練に参加しています。習志野訓練場は空挺部隊訓練場としては非常に狭く住宅地に囲まれている為、同時降下に制限があり、単機に分かれて降下訓練を行う。

 C-1輸送機が再度続きます。16式空挺傘は空中接触に際しても原型復帰が素早く、こうして左右両方の扉から次々と降下する事が出来るようになりました。前のM696M1空挺傘ではこうは行かず、時間が掛かりました。同時多数の降下、実戦的になったといえますね。

 C-2輸送機からの降下が続く。狭い習志野訓練場でもこうして空挺降下が可能である為、実のところ有事の際には相当狭い地域、飛行場強襲は勿論策源地強襲が重要施設強襲といった任務にも、投入し得る練度が在るようにも思えるのですが、地の利の功名、といえます。

 空挺降下は落下傘により優雅に舞い降りる、と表現されると事ですが無風快晴などの良好状態でも衝撃は建物の二階より荷物を背負って飛び降りるのと同じ衝撃が加わり、この日の様に少しでも風が吹きますと条件は三階から着地するのと同じほどの衝撃があるという。

 第1普通科大隊と第2普通科大隊と第3普通科大隊、第1普通科大隊は第1中隊と第2中隊に第3中隊、第2普通科大隊は第4中隊と第5中隊に第6中隊、第3普通科大隊は第7中隊と第8中隊に第9中隊、全体で9個中隊が置かれ、ローテーションで即応体制を執る。

 空挺普通科群、2004年までは4個中隊を基幹とし各中隊は220名規模の編成でしたが、2004年の改編で3個空挺大隊態勢となり、空挺大隊は380名規模となり、三巡待機体制を執る事が出来る様になりました。各大隊には情報小隊と通信小隊に対戦車小隊、独立性を持つ。

 空挺部隊が精鋭部隊である、という背景には空挺降下に頑強な体力と気力が必要であり、開くかは多少運が在った草創期の空挺部隊にはこれに加えて胆力も必要でした、が、何よりも独立運用が基本で掩護を受け難い挺身運用を背景には戦闘力の高さも求められました。

 精鋭部隊である空挺団は、例えば情勢悪化により在外邦人に危機が生じた場合、邦人救出任務で明日、イランとの緊張が高まるイラクやトルコ親中に揺れるリビアや内戦が続くイエメンや北朝鮮の影響大きな韓国へ出動を命じられる可能性もあり、即応部隊なのです。

 習志野訓練場に降下完了し、落下傘を収容しつつ第一線へ向かう空挺隊員、しかし習志野訓練場が住宅街に囲まれているという事を象徴するように近くの住宅地から降下訓練を眺める方々も、一度はこちら側から撮影してみたい、と思う事もあるのですがどうですかね。

 UH-1J多用途ヘリコプターが2機、次の展開に向けて離陸します。東部方面航空隊に所属する航空機です。さて、降着した空挺隊員と共に異なる迷彩服の一団が参加されていた事にお気づきかもしれませんが、本年はアメリカ陸軍第82空挺師団の空挺兵が参加しました。

 第82空挺師団、AAことオールアメリカンの愛称を冠する師団は1917年創設の歩兵師団が1942年に空挺師団となったアメリカ最古の空挺師団でノルマンディー上陸作戦、マーケットガーデン作戦、ヴェトナム戦争、グレナダ侵攻作戦、湾岸戦争等で勇名を馳せている。

 師団司令部任務大隊、第1旅団戦闘団、第2旅団戦闘団、第3旅団戦闘団、第18砲兵旅団、航空戦闘旅団、以上を以て編成されます。しかし親しみが増すのはベレー帽でマルーンカラーベレーを着用している、マルーン色、つまり阪急電車と同色のベレーを持つのですね。

 第82空挺師団からは本年、副師団長が参加、空挺降下を実施しています。降下に続いて陸上自衛隊が展開する、UH-1Jに続いてCH-47からも空路進入してゆきます。エアボーンに対してヘリコプター空中機動はヘリボーンと云われ、空挺堡を空路で迅速に補強してゆく。

 CH-47JA輸送ヘリコプターは原型のCH-47Jと共に自衛隊に75機が配備され、同じ千葉県の木更津の第1ヘリコプター団に32機が集中配備されています。訓練展示は状況が続き、想定“習志野島”というべきこの地域へは、更に部隊が増強、反撃に転じてゆきました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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