■観閲行進特集大団円
前回は74式戦車に関する話題で盛り上がりましたところです。
90式戦車、観閲行進特集もいよいよ今回までとなっていまして、諸般事情から毎週掲載できる写真数を此処数週間抑えている為に長々となっているのは恐縮なのですが、いまみても90式戦車の大群というのはいま10式戦車に代わりつつある中でも勇壮といえます。
しかし、この90式戦車、もう少し本州へ広範に配備できなかったのか、と思うのです。もちろん50tという90式戦車の重量は38tの74式戦車ほど簡単ではない、橋梁通過や路盤の問題がある事は承知していますが、10式戦車の44tは運用可能なのですから、と思う。
戦車輸送車、戦車そのものを軽量化できないとしても特大型運搬車が22tで、90式戦車を積載すると72tとなる、ただ、44tの10式戦車を積む73式特大型セミトレーラは18tで合計重量は58tとなるのですから、やりようはあった様にも思うのです。数が揃っていれば。
90式戦車の廉価版を開発できなかったか、要するに冷戦が終結し戦車の予算が下がったのであればそれまで通りの高価な戦車を少数量産するのではなく、予算を抑えた廉価版を前と同じ数量産し、兎に角短期間で74式戦車を第三世代戦車に置換えられなかったか、と。
車長用独立監視装置と砲手用自動追尾装置も画期的な開発ですが、車長用独立監視装置はM-1戦車はもちろんM-1A1戦車にも搭載されておらず、M-1A2になって追加されたもの、開発時から標準装備されていたのは非常に限られたものでしたので、拘る必要はあったか。
砲手用自動追尾装置は1994年に開発されたルクレルク戦車や2004年に開発されたメルカヴァMk4,2010年の韓国K-2戦車くらいです。あれば便利だが無くとも。ならば先ず省略型90式戦車を十分整備した上で近代化改修において後日追加装備する選択肢はあった筈だ。
1500hpのエンジンと複合装甲、これがあれば90式戦車は凡庸と呼ばれたのかもしれませんが、第三世代戦車として役割を担えたでしょうし、なにより年産15両とか20両ではなく74式戦車なみの年産70両、は厳しくとも60両程度、つまり月産5両というものでした。
月産5両ならば現実的に防衛産業が生産ラインというものを維持できる水準で量産はでき、74式戦車を置き換えられた。90式戦車は、もちろんすばらしい戦車です、戦争は数だ、といわれるかもしれませんが戦場には地形があり無限に戦車が入れるわけでもありません。
高性能な戦車は、すると戦域あたり投入できる戦車に地形という上限があるのですから性能で優位を保つという考え方は合理的ともいえます。ただ、それを理由に74式戦車を延々現役に置いたことは失策ではなかったか。最大の失策は戦車削減の方便となった事です。
日本の戦車削減は細川内閣時代に冷戦後の防衛力見直し気運が高まり、1200両の戦車を900両に削減する事から始まりました。ただ、現代の戦車定数300両というのは、余りに無茶です。そして削減される戦車の大半は74式戦車という自然減となる戦車が対象でした。
第三世代戦車への置き換えが遅れたことで、第二世代戦車とともに部隊の枠というものが削減対象になってしまった構図だ。74式戦車は信頼性が高いといわれますが、これは言い換えれば90年代一杯に指摘された90式戦車の自動装填装置の問題、全てが問題ではない。
廉価版という方便で90式戦車から高価な機構を省けば、それだけ量産できたはずです。先日、越えなって74式戦車を間近に見る機会に恵まれましたが、優れた戦車である一方で乗員技量が思った以上に反映される戦車という印象で、世代差を感じました故に思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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前回は74式戦車に関する話題で盛り上がりましたところです。
90式戦車、観閲行進特集もいよいよ今回までとなっていまして、諸般事情から毎週掲載できる写真数を此処数週間抑えている為に長々となっているのは恐縮なのですが、いまみても90式戦車の大群というのはいま10式戦車に代わりつつある中でも勇壮といえます。
しかし、この90式戦車、もう少し本州へ広範に配備できなかったのか、と思うのです。もちろん50tという90式戦車の重量は38tの74式戦車ほど簡単ではない、橋梁通過や路盤の問題がある事は承知していますが、10式戦車の44tは運用可能なのですから、と思う。
戦車輸送車、戦車そのものを軽量化できないとしても特大型運搬車が22tで、90式戦車を積載すると72tとなる、ただ、44tの10式戦車を積む73式特大型セミトレーラは18tで合計重量は58tとなるのですから、やりようはあった様にも思うのです。数が揃っていれば。
90式戦車の廉価版を開発できなかったか、要するに冷戦が終結し戦車の予算が下がったのであればそれまで通りの高価な戦車を少数量産するのではなく、予算を抑えた廉価版を前と同じ数量産し、兎に角短期間で74式戦車を第三世代戦車に置換えられなかったか、と。
車長用独立監視装置と砲手用自動追尾装置も画期的な開発ですが、車長用独立監視装置はM-1戦車はもちろんM-1A1戦車にも搭載されておらず、M-1A2になって追加されたもの、開発時から標準装備されていたのは非常に限られたものでしたので、拘る必要はあったか。
砲手用自動追尾装置は1994年に開発されたルクレルク戦車や2004年に開発されたメルカヴァMk4,2010年の韓国K-2戦車くらいです。あれば便利だが無くとも。ならば先ず省略型90式戦車を十分整備した上で近代化改修において後日追加装備する選択肢はあった筈だ。
1500hpのエンジンと複合装甲、これがあれば90式戦車は凡庸と呼ばれたのかもしれませんが、第三世代戦車として役割を担えたでしょうし、なにより年産15両とか20両ではなく74式戦車なみの年産70両、は厳しくとも60両程度、つまり月産5両というものでした。
月産5両ならば現実的に防衛産業が生産ラインというものを維持できる水準で量産はでき、74式戦車を置き換えられた。90式戦車は、もちろんすばらしい戦車です、戦争は数だ、といわれるかもしれませんが戦場には地形があり無限に戦車が入れるわけでもありません。
高性能な戦車は、すると戦域あたり投入できる戦車に地形という上限があるのですから性能で優位を保つという考え方は合理的ともいえます。ただ、それを理由に74式戦車を延々現役に置いたことは失策ではなかったか。最大の失策は戦車削減の方便となった事です。
日本の戦車削減は細川内閣時代に冷戦後の防衛力見直し気運が高まり、1200両の戦車を900両に削減する事から始まりました。ただ、現代の戦車定数300両というのは、余りに無茶です。そして削減される戦車の大半は74式戦車という自然減となる戦車が対象でした。
第三世代戦車への置き換えが遅れたことで、第二世代戦車とともに部隊の枠というものが削減対象になってしまった構図だ。74式戦車は信頼性が高いといわれますが、これは言い換えれば90年代一杯に指摘された90式戦車の自動装填装置の問題、全てが問題ではない。
廉価版という方便で90式戦車から高価な機構を省けば、それだけ量産できたはずです。先日、越えなって74式戦車を間近に見る機会に恵まれましたが、優れた戦車である一方で乗員技量が思った以上に反映される戦車という印象で、世代差を感じました故に思うのです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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