■いせ望む横須賀の高台散歩道
横須賀は坂の街ですが坂道というものは辿りますと眺望が一歩一歩開けてゆくようで趣き深い。
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あまぎり。俯瞰風景という程ではありませんが標高高い立地から。もともと衣笠城という城郭がこの一帯には在りまして、源頼義が1062年に三浦平大夫為通に築城を命じた、源平合戦前の源氏の一大拠点が三浦半島山間部にありました、鎌倉街道の源流はここにある。
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しらぬい、きりしま、そして護衛艦がもう多数。衣笠城は支城として豆師、この地名は今の逗子に繋がるのですが、栗浜、いまの久里浜だ、大和田、横須賀に支城を築城しまして、いわば鎌倉幕府のもととなる源氏の拠点は山城の複郭陣地により成立っていたのですね。
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いせ、巨大さが際立つ。鎌倉時代、東関紀行によれば朝廷の置かれる京都と幕府が置かれた鎌倉とは街道が整備されますが、街道は鎌倉が終着地であり東国への街道とは繋がっていません、これが過度に攻撃を恐れ防御都市鎌倉を形成した際の交通遮断の理念にたつ。
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逸見桟橋全景、いせ、しらぬい、あまぎり、きりしま、はるさめ、はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ、一望に。鎌倉への街道は大磯、酒匂、湯本、と続くのですが鎌倉街道は京都と結ぶ街道に繋がらず、いわば鎌倉への裏街道は秘匿されていました。
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あさひ型、あきづき型の上部構造物相違が少し俯瞰できる。鎌倉時代に横浜はまだ無く久良岐とよばれていましてここから称名寺と金沢、いまの金沢文庫駅付近、六浦と三浦半島の境界線を構成していました、故に此処に細い街道が通ったのですが、未だ歩道に留まる。
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カーティスウィルバー、バリー、マスティン、ベンフォールド、そして次の遊覧船が出航してゆく。昔の鎌倉の地形は由比ヶ浜の沿岸部から扇谷の雪ノ下までが鎌倉時代の市域であり由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に至る大路が当時の官庁街としての機能を有していました。
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いせ、ときわ、いずも。今の横須賀とそして衣笠城とは六浦道を経て朝比奈切通へ至る経路、乱橋材木座から今の横須賀線当りに在った名越谷を経ての名越切通、そして三浦半島中央部を通る小坪切通というものがあり、三浦三十八地蔵尊というものが結んでいます。
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いずも。なんというか100-400mmIS2レンズを持って行けばよかったか、三十八地蔵尊興味はあるが、1番札所大松寺,2番札所大善寺,3番札所満昌寺,4番札所満願寺,5番札所正業寺,6番札所長安寺,7番札所伝福寺,8番札所最宝寺,9番札所十劫寺,10番札所三樹院,と続く。
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はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。札所は11番札所永楽寺,12番札所福寿寺,13番札所福泉寺,14番札所真浄院,15番札所 本瑞寺,16番札所西浜地蔵堂,17番札所天養院,18番札所正住寺,19番札所浄楽寺,20番札所正行院,21番札所西徳寺,と続きまして。
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22番札所万福寺,23番札所相福寺,24番札所延命寺,25番札所海宝院,26番札所能永寺,27番札所信楽寺,28番貞昌寺,29番札所浄林寺,30番札所大泉寺,31番札所能満寺,32番札所常福寺,33番札所東福寺,34番札所常福寺,35番札所東林寺,36番札所円福寺,37番札所海応寺,と。
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ロナルドレーガンを望見する。三十八地蔵尊という名の通り鎌倉時代前の平安朝の頃より歴史がある街並みと云いますか秘密の街道まちが広がっていた三浦半島を地蔵尊が結んでいるのですね。横須賀軍港の散策に併せ、成程こうした深い歴史も見てゆきたいところ。
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いずも沖合を眺めつつ、艦艇日記を完了しました。横須賀線車窓から始まりヴェルニー公園散策と横須賀軍港めぐり遊覧船、そして横須賀の三浦半島街道を往く一日、実はこの後グルメと酒場巡りに休みの日を捻出出来た際には、こうした過ごし方は趣き深いものです。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
横須賀は坂の街ですが坂道というものは辿りますと眺望が一歩一歩開けてゆくようで趣き深い。
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あまぎり。俯瞰風景という程ではありませんが標高高い立地から。もともと衣笠城という城郭がこの一帯には在りまして、源頼義が1062年に三浦平大夫為通に築城を命じた、源平合戦前の源氏の一大拠点が三浦半島山間部にありました、鎌倉街道の源流はここにある。
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しらぬい、きりしま、そして護衛艦がもう多数。衣笠城は支城として豆師、この地名は今の逗子に繋がるのですが、栗浜、いまの久里浜だ、大和田、横須賀に支城を築城しまして、いわば鎌倉幕府のもととなる源氏の拠点は山城の複郭陣地により成立っていたのですね。
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いせ、巨大さが際立つ。鎌倉時代、東関紀行によれば朝廷の置かれる京都と幕府が置かれた鎌倉とは街道が整備されますが、街道は鎌倉が終着地であり東国への街道とは繋がっていません、これが過度に攻撃を恐れ防御都市鎌倉を形成した際の交通遮断の理念にたつ。
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逸見桟橋全景、いせ、しらぬい、あまぎり、きりしま、はるさめ、はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ、一望に。鎌倉への街道は大磯、酒匂、湯本、と続くのですが鎌倉街道は京都と結ぶ街道に繋がらず、いわば鎌倉への裏街道は秘匿されていました。
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あさひ型、あきづき型の上部構造物相違が少し俯瞰できる。鎌倉時代に横浜はまだ無く久良岐とよばれていましてここから称名寺と金沢、いまの金沢文庫駅付近、六浦と三浦半島の境界線を構成していました、故に此処に細い街道が通ったのですが、未だ歩道に留まる。
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カーティスウィルバー、バリー、マスティン、ベンフォールド、そして次の遊覧船が出航してゆく。昔の鎌倉の地形は由比ヶ浜の沿岸部から扇谷の雪ノ下までが鎌倉時代の市域であり由比ヶ浜から鶴岡八幡宮に至る大路が当時の官庁街としての機能を有していました。
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いせ、ときわ、いずも。今の横須賀とそして衣笠城とは六浦道を経て朝比奈切通へ至る経路、乱橋材木座から今の横須賀線当りに在った名越谷を経ての名越切通、そして三浦半島中央部を通る小坪切通というものがあり、三浦三十八地蔵尊というものが結んでいます。
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いずも。なんというか100-400mmIS2レンズを持って行けばよかったか、三十八地蔵尊興味はあるが、1番札所大松寺,2番札所大善寺,3番札所満昌寺,4番札所満願寺,5番札所正業寺,6番札所長安寺,7番札所伝福寺,8番札所最宝寺,9番札所十劫寺,10番札所三樹院,と続く。
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はたかぜ、むらさめ、てるづき、たかなみ、おおなみ。札所は11番札所永楽寺,12番札所福寿寺,13番札所福泉寺,14番札所真浄院,15番札所 本瑞寺,16番札所西浜地蔵堂,17番札所天養院,18番札所正住寺,19番札所浄楽寺,20番札所正行院,21番札所西徳寺,と続きまして。
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22番札所万福寺,23番札所相福寺,24番札所延命寺,25番札所海宝院,26番札所能永寺,27番札所信楽寺,28番貞昌寺,29番札所浄林寺,30番札所大泉寺,31番札所能満寺,32番札所常福寺,33番札所東福寺,34番札所常福寺,35番札所東林寺,36番札所円福寺,37番札所海応寺,と。
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ロナルドレーガンを望見する。三十八地蔵尊という名の通り鎌倉時代前の平安朝の頃より歴史がある街並みと云いますか秘密の街道まちが広がっていた三浦半島を地蔵尊が結んでいるのですね。横須賀軍港の散策に併せ、成程こうした深い歴史も見てゆきたいところ。
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いずも沖合を眺めつつ、艦艇日記を完了しました。横須賀線車窓から始まりヴェルニー公園散策と横須賀軍港めぐり遊覧船、そして横須賀の三浦半島街道を往く一日、実はこの後グルメと酒場巡りに休みの日を捻出出来た際には、こうした過ごし方は趣き深いものです。
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