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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

京都 季節の移ろい 桜花の二条城&晩春の等持院

2008-05-22 12:52:15 | 写真

■京都特集

 桜花っていつのだ!?といわれるかもしれないが、間もなく梅雨、季節の移ろいと過ぎ去りし春の日々を感じられる季節まで、掲載の機会を待っていたわけだ(正直言うと忘れてた)。

Img_6406  今週末は、土曜日に航空自衛隊幹部候補生学校の置かれた奈良基地の開庁記念行事、そして日曜日に京都府の宇治市で行われる第4施設団の大久保駐屯地祭があるということで、新幹線で京都に、というひとも多いかもしれない(普段も多いが)、なんやらこじつけ(実際そうだが)にも聞こえなくも無いが、京都特集である。

Img_6370  京都市の真ん中にある二条城は、二ノ丸御殿が国宝に、そして多くの重要文化財を有し、特別名勝に指定されている文化財である。真ん中というだけあって、京都駅から地下鉄に乗り換えて、烏丸線から東西線に乗り継ぐか、もしくは京都駅から山陰線二条駅に進出し、地下鉄東西線へ、バスでは9系統バスなどで行くことができることもあり、京都観光の定番スポットとして知られている。

Img_6361  今回掲載しているのは今年4月19日まで行われた夜の特別公開で、桜が咲く季節には毎年こういった特別公開が行われている。鴬張りで有名な二ノ丸御殿や、本丸跡地にはこの時間帯はいることは出来ないものの、城郭を包む多くの桜花がライトアップされ、優美な夜桜と大政奉還という歴史舞台となった二条城の取り合わせは、ある種独特な雰囲気を醸しだしている。

Img_6390  この二条城は、徳川家康が京都に上洛した時の宿所として造営された経緯があり、また家康により造営された最後の城郭として知られる。こうして征夷大将軍となった徳川家康の江戸幕府、その歴史に、近代化と国際関係の変動により、大政奉還を徳川慶喜より発布した場所が、この二条城というのは、なにか特別な場所のような気がする。

Img_6431  当時の日本の国内情勢は、薩長同盟と朝廷により、尊皇攘夷という号令とともに事実上の討幕運動が進められており、大政奉還の機会を逸せば、日本は内戦に、そしてイギリスやフランスといった各国の介入を招けば、その後の日本史、そして長期的に見るならば世界史は不幸な方向に進んだことは疑いないだろう、文字通り、歴史の分岐点となった瞬間だ。

Img_6462  大政奉還と、教科書に載ると味気ないが、徳川慶喜は、幕臣や大名との苦しい議論の末、幕府よりも日本の将来に希望を残す決定を下した、その合意形成の場となったのが、ここ二条城なのだ。天守閣こそ、いまはないものの、櫓や大手門、御殿の優美さは、ほかのどの城郭にもひけをとらない。

Img_6485  そして等持院。二条城との関係は余り無いが、掲載しようと考えていて掲載できなかった写真。撮った日にちも実は四月で、晩春というほどではないのだが、とりあえず、写真の雰囲気が梅雨のような印象をあたえてくれるので、そんな感じの写真としてみれば、晩春に見えなくも無いのでは?と(スマン)。

Img_6478  この等持院は、足利尊氏の建立した寺院であり、江戸幕府初代の征夷大将軍が京都に築いたのが城郭として二条城、そして、室町幕府の初代征夷大将軍である足利尊氏が築いた等持院、というように本日の記事の構成はなっている(まあ、偶然ではあるのですけどね)。

Img_6533  もともと、等持院は等持寺として柳馬場にあったのだが、この等持寺が応仁の乱で焼失してしまったため、別院であったこの等持院に移された。ここには初代から15代までの室町幕府将軍の木造が安置されており、この木造が並ぶ霊光殿に足を運ぶと、居並ぶ歴史の人々が醸し出す空気を感じることが出来た。

Img_6520  庭園は夢窓国師によりひらかれたものと伝えられ、これからの梅雨の季節には、こういった庭園や伽藍をゆっくりと楽しみながら過ごしたいものだ。この等持院へは、山陰線の円町駅からバス乗り換え、もしくは京福電鉄等持院駅から徒歩3分で行くことができる。

HARUNA

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