北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

奄美大島豪雨災害、陸海空自衛隊合同での災害派遣対処へ態勢整う

2010-10-21 23:01:18 | 防衛・安全保障

◆海自ヘリにより陸自部隊が展開

 一時間当たりの降雨量120mmという豪雨により、大きな被害が出た鹿児島県奄美大島へ鹿児島県知事より自衛隊へ災害派遣要請が発令されました。

Img_5255  奄美大島は鹿児島県島嶼部にあたり、自衛隊部隊の常駐はありません。また、空中機動に重点を置いた第15旅団管区ではなく、南九州を防衛警備管区とする第8師団の管区内にあり、空中機動部隊の不足などから、海上自衛隊鹿屋航空基地のUH-60J救難ヘリコプターの協力下で陸上自衛隊の第12普通科連隊が派遣されるというかたちとなっています。

Img_4392  奄美大島は鹿児島県ではありますが、九州本島から距離がありまして、急患輸送などの災害派遣には鹿屋航空基地の海上自衛隊救難ヘリコプターUH-60Jがあたっています。第8飛行隊のUH-1は、パキスタンに派遣中でして、しかしパキスタン水害に派遣中に管区内で大水害の被害、ということですか、偶然とはいえ、そういうこともあるのですね。それでは、被害状況を産経新聞の先ほどの記事から引用です。

Img_5596_2  停電一時1万1100戸に 奄美市で断水 電話7000回線が不通、携帯も2010.10.21 22:29九州電力鹿児島支店によると、奄美大島では21日、一時約1万1100戸が停電した。一部は復旧したが、同日午後8時現在で約7300戸が停電のまま。道路寸断の影響で作業が難航し、復旧のめどは立っていない。 奄美市によると、21日午後8時ごろ、同市名瀬の一部で断水し、復旧作業を開始。同市笠利町の一部でも停電や道路陥没のため約3時間断水したが、復旧した。

Img_2169  鹿児島県によると、奄美大島の道路は21日午後8時現在、夜間だけの1カ所を含め国道58号など計30カ所が通行止め。最大時は39カ所に上った。 NTT西日本によると、電話約7千回線が不通状態。また、NTTドコモなどによると、奄美市や竜郷町の一部で携帯電話もつながらなくなっているhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/101021/dst1010212230011-n1.htm

Img_2145  豪雨災害により、現在奄美大島には孤立集落が多く、通信インフラの途絶によりこの情報収集もままならない状況となっています。現在は、海上保安庁のヘリコプターが上空から情報収集に当たっている段階にあり、一刻も早い被害の全容を把握する必要があります。こうしたなかで、自衛隊は21日0200時に連絡要員を派遣、調整の結果、0830時に正式に災害派遣要請が出されました。

Img_9655  【21日】 02時00分頃 陸自第12普通科連隊(国分)の連絡要員2名が鹿児島県庁に到着。 08時30分 鹿児島県知事から第12普通科連隊長(国分)に対して、孤立者救助に係る災害派遣要請。防衛省災害対策連絡室(室長:事態対処課長)設置。 08時51分 海自第1航空群(鹿屋)のUH-60J×1機が離陸し、陸自第12普通科連隊(国分)の隊員7名を乗せ、10時49分に佐大熊HP(奄美市役所脇)到着。

Img_5261 09時37分 海自第1航空群(鹿屋)のUH-60J×1機が離陸し、陸自第12普通科連隊(国分)の隊員8名を乗せ、11時29分に佐大熊HP(奄美市役所脇)到着。09時55分 海自第1航空群(鹿屋)のUH-60J×1機が離陸し、陸自第12普通科連隊(国分)の隊員7名を乗せ、11時39分に佐大熊HP(奄美市役所脇)到着。到着した陸自隊員は、捜索活動等について地元消防等と調整し、情報収集中。

Img_9573 12時47分 空自航空支援集団(小牧)のC-130×1機が陸自隊員等の輸送のため、鹿屋へ向け離陸。 13時33分 海自第1航空群(鹿屋)のUH-60J×1機が離陸し、陸自第12普通科連隊(国分)の隊員8名を乗せ、15時30分頃に佐大熊HP(奄美市役所脇)到着予定http://www.mod.go.jp/j/press/news/2010/10/21c.html

Img_0413  現在派遣されているのは鹿児島県国分駐屯地の第8師団隷下にある第12普通科連隊、として海上自衛隊では鹿屋航空基地の第1航空群、更に輸送支援へ航空自衛隊小牧基地よりC-130H輸送機が派遣されています。派遣人員は本日1400時の時点では航空機5機、人員約30名となっています。

Img_9928  現在、自衛隊に求められているのは、行方不明者捜索と孤立車救助、関係行政機関の人員輸送となっています。現時点ではまだなんともいえないのですが、今後行方不明者などの事案が報告されるようでしたら、更に部隊が派遣される可能性もありますし、天候状況如何により大きく左右されると言えましょう。

Img_6039  他方、今回の事案で痛感されたのは、島嶼部を管区に持つ師団や旅団について、もう少しヘリコプターの充実を図らなければならない、ということでしょうか。五島列島に対馬、瀬戸内海や隠岐島、佐渡島に小笠原諸島、飛行隊ではなく、第12旅団のようなヘリコプター隊というものは他の部隊にも必要でしょうね。

Img_5762 なお、今週末に鹿児島では護衛艦くらま一般公開が予定されているため、九州南部海域に遊弋しているという事でもあり、緊急時に必要があれば、ヘリコプター搭載護衛艦も災害派遣任務へ加わることが可能です。ともあれ、被害の全容把握とインフラの復旧が急務です。自治体と自衛隊の連携に期待したいです。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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伊丹駐屯地祭2010 装備品展示に並んだ新型(?)装備

2010-10-20 23:51:15 | 先端軍事テクノロジー

◆防弾化すすむトラックを中心に

 本日は、伊丹駐屯地祭で、あれ?と思いました装備を二つほど紹介します。もう少し紹介したいのですが本日は時間がありませんので、ね。

Img_3736  試製自走155㍉砲架。FH-70の後継として日本製鋼により試作されたもので、現在は富士学校装備実験隊において実用試験が行われており、日本原演習場と東富士演習場の長距離機動試験の途上、特別に伊丹駐屯地へ立ち寄った。重装輪改修車に新型の38口径軽量砲を搭載し、誘導砲弾を用いることで射程40kmを実現した装備である。速度が要求される現代砲兵戦に対応するべく迅速な射撃の実現に重点が置かれ、大隊本部にある特科情報装置との連動により車内より射撃情報に基づく火力戦闘が可能で自動装填装置により、停車と6発の射撃から発進までの一連を90秒間で行う事が可能だが、何よりも驚くべきことはここまでの全ての文章が嘘だということである。・・・、スマン。

Img_3743  今回の伊丹駐屯地祭では、03式中距離地対空誘導弾が初めて展示され、大きな注目を浴びていましたが、このほかにも96式装輪装甲車2型と、軽装甲機動車への重機関銃搭載が大きな目玉装備といえました。しかし、よくよく見てみますと、防弾化されたトラックが若干、置かれていまして、これが非常に珍しい、という印象でした。東北方面隊でも展示され、守山駐屯地祭にも展示されていましたが、防弾化された給水車。この種の車両は81式地対空短距離誘導弾や特科部隊の中砲牽引車の方に必要性が高いと思ったのですが。国際貢献任務への派遣を考えれば、給水車の派遣というものは現実的に考えられるものでして、高射特科や野戦特科の車両よりも防弾化の優先順位は高いのでは、という友人の分析もありまして、なるほどなあ、と。キャビン部分は防弾となっているのですが、東北方面隊や先日第14旅団のカーフェリーでの輸送の際に出ていました防弾キットと同じものでした。

Img_4786  第36普通科連隊の車両にも防弾キットが装着されていました。キャビン部分を覆う防弾板とフロントガラスの奥に三分割された防弾ガラスが見えています。高機動車にも防弾加工が行われていて、こちらは残念ながら写真を採る機会には恵まれていないのですけれどもその防弾ガラスも三分割型、ということで、共通化が行われているのでしょうか。先ほどの防弾給水車は第10後方支援連隊の車両でしたが、こちらは伊丹駐屯地の大36普通科連隊に所属する車両、戦闘部隊の戦闘支援用に配備されているのですね。

Img_4773  このトラックがけん引しているのは野外炊具1号。こちらも、災害派遣といいますか、国際貢献任務で派遣される可能性がある装備なのですが、ところで野外炊具の牽引に使うトラックというのは、この車両と決まっているのでしょうか、重迫撃砲の場合は高機動車が砲の牽引車として部品扱いになるのですけれども、野外炊具の場合は、トラックは備品扱いとなっているのか、けん引しているのか、つまりこの防弾トラックが常にこれをけん引しているのかという事が気になるのですけれども、これも支援車両の防弾化の例、といえるのでしょうね。

HARUNA

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自衛隊中央観閲式 その歴史と実施会場の変遷について

2010-10-19 23:45:47 | 防衛・安全保障

◆70年代までは戦車が都心をパレード

 いよいよ中央観閲式が、という今日この頃。本年は日米安保改正50周年ということもあり、米軍機が初参加するようです。当方は、行きたくとも見ることはできませんが、この行事を会場の面から振り返ってみましょう。

Img_8693  警察予備隊創設一周年行事は1951年8月10日、予備隊本部の置かれた越中島で行われ、当時の大橋武夫警察予備隊担当大臣が観閲官を務めました。発足当時は、指揮官不足で一等警察士、いまの一尉にあたる階級の隊員が方面総監を命じられたりという混乱、部隊編成は勿論、駐屯地も見つからないままの発足、この紺来意が続き、対岸には朝鮮戦争の激化が伝えられる中の一周年行事でした。

Img_1630  1952年10月15日、保安庁が発足し、警察予備隊は組織改編を受けました。この保安庁創設記念行事での観閲式は明治神宮外苑国立競技場で行われました、続くパレードは銀座大通りにおいて行われまして、まだ警察予備隊を示すNPRJの表示も残る車両とともに、観閲行進を実施しています。

Img_6908  保安庁創設一周年記念行事は、1953年10月15日、練馬駐屯地において行われまして特車部隊を含む部隊は吉田茂首相、木村篤太郎保安長官の視閲を受けています。続いて保安隊の各部隊は、練馬駐屯地から徒歩部隊を中心に日比谷方面において創設一周年のパレードを実施しています。

Img_4024  1954年7月1日、防衛庁及び陸海空自衛隊が発足します。この一周年記念行事として行われたのが、現在の中央観閲式にあたる観閲式。観閲官に鳩山一郎総理大臣を迎え、神宮外苑絵画館前にて式典が行われました。神宮外苑道路には機械化部隊が集結し、式典後は朝霞駐屯地、練馬駐屯地まで参加部隊は市街パレードを行っています。

Img_5438  1965年、中央観閲式会場は神宮外苑から新しく国立競技場前へと会場を改めました。10月31日の中央観閲式には佐藤栄作総理大臣が観閲官として登壇、人員5700名、車両370両が参加しています。この国立競技場前での中央観閲式は1972年まで実施され、式典後はやはり朝霞駐屯地、練馬駐屯地までの帰路、部隊が自走し、市街パレードを実施しています。この頃には式典には61式戦車なども参加しており、かなり重量のある車両ですが、市街地を自走していたのですね。

Img_6698  そして1973年10月28日、初めて中央観閲式の会場が朝霞駐屯地となり、今日に至ります。当時の観閲官は田中角栄総理大臣。この年の朝霞駐屯地での中央観閲式以来、式典会場と車両部隊の拠点が同じ場所になった事で市街地を通るパレードが行われなくなり、今日に至ります。

Img_8260  市街地を大型車両が連続して走行することは、安全管理や道路統制の面から難しいものがあるのですが、しかし自衛隊への理解が深まる今日、という表現が為される中、こうした行事は一般から距離が大きくなってしまった、と思うのは当方だけでしょうか。例えば、朝霞駐屯地から、そのまま練馬駐屯地へ移動するというかたちで市街パレードを行う事も、国民の防衛への関心を深める上で重要なのでは、と考えます次第です。

HARUNA

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中部方面隊創立50周年・伊丹駐屯地祭2010、観閲行進の写真

2010-10-18 23:39:04 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆多くの総領事が出席する自衛隊行事

 伊丹駐屯地での中部方面隊創設記念行事は、大阪や神戸の多くの総領事館から各国総領事が観閲台から参加するのですし、もっと大規模でも良いのでは、と思いました。

Img_4030_2  伊丹市は、神戸市と大阪市、共に近いのですが、大阪市は京阪神地区の中心地で、日本二番目の人口密集地、そして神戸は、幕末における日本開国の際に開港都市として幕府より指定され、最も初期に外国人居留地が出来るとともに各国が総領事館を置いた都市でもあります。

Img_4100_2  神戸開港の際に、各国が領事館を置き、しかし建物が無かったという事で近くのお寺や神社の軒先を借りたり、海難事故や変死事案が相次いだり、混乱の時代を反映したような開港でしたが、一度開いた総領事館を各国はそのまま維持してくれまして、大阪が発展する最中でも神戸に多くの総領事館が集まっていました。

Img_4116_2  阪神大震災を契機に、総領事館を神戸から大阪へ移した総領事館も多いのですが、しかし、アメリカ総領事は正式な役職名を大阪神戸総領事という役職として、神戸の名前を残して大阪へ総領事館を移しまして、小さい事ですが、こういう気配りをする、というほど、大事にはしてくれていた訳ですね。

Img_4147  さて、行事に先んじて、来賓を乗せたバスが観閲台へ向かうところで、その中の一台に各国総領事、と表示があるバスがありました。そういえば、学部生時代、カナダ総領事の講演会があり、どこかで見た顔だなあ、と思い講義録用PCで伊丹駐屯地祭の写真を見ましたらば、総監の後ろに座っていらした、ということも。

Img_4165  中部方面隊創設記念行事伊丹駐屯地祭。駐屯地祭の規模としては、先日の霞目飛行場で行われた東北方面隊創設記念行事ほど会場が広くありませんし、富士駐屯地祭のように最新鋭装備と重装備が来場者を圧倒する、という規模で行えません。伊丹空港が近いので編隊飛行にも制約がありますし、ね。

Img_4194  しかし、出席する総領事の人数では、日本最大級の行事ではないでしょうか。東京から近い東部方面隊創設記念行事は、ほとんど非公開にちかいかたちですし、各国大使や総領事も出席する中央観閲式は三年に一度の実施です。他の方面隊も、大阪や神戸ほど総領事館が多いところにはありません。

Img_4231  こういうところで、自衛隊の行事を大規模にやっておけば、総領事館に本国の外務省や国務省から、何か有事の際に、日本の状況はどうだ、と問い合わせがあった瞬間、いや、方面隊行事を見てきたのですが物凄い装備の質と量です、日本はいざというときに準備をしっかりとやってます、すごかった、と応える事が出来るでしょう。

Img_4222  同盟国や友好国の総領事へ、自衛隊の能力をしっかりと見せておくのは、総領事の職責は自国民の権利と財産、人命と人権の保護にあるのですから、自国民救出の本国への要請や投資に企業進出の情報提供もあるのでして、日本は防衛にもしっかりとした準備を行っている、と示す事は、同盟国や友好国に対しても好影響を与える方向へつながる訳です。

Img_4243  さて、自衛隊なのですが、マスメディアの多くは防衛予算の時には世界第二位の軍事費、と長い事批判する一方で、国際情勢の問題となりますと自衛隊なんて頼りにならない、というような自己矛盾報道をかなり続けていました。個人的には、正面装備の数やメディア露出ばかり見ればそうかもしれないが、実態は違う、と断言できるのですが。

Img_4244  問題なのは、国民がこれを信じてしまう、という事でしょうか、そして尖閣事案の際や北朝鮮武装工作船事案の時に、不要な心配を抱えてしまう訳です。政府には、もうこれは個人的には不信しか無いのですが、軍事に興味のない人には本当に戦争を仕掛けられたとき、大丈夫なのか、仕掛けられないか、と不安な訳ですね。

Img_4252  こういう時に、自衛隊が行事でその威容を見せつけ、日本にはこれだけの装備があるのだ、ということを誇示出来れば、安心がもたらされます。軍国主義の復活だ、とかいわれるかもしれませんが、復活しているというか、軍国主義が衰えず成長しているのは隣国の方な訳でして、不安を拭い去るには防衛力、民主国家ですから不安と言う前に、管理は国民に付託された政府です。

Img_4286  そこで、です。伊丹駐屯地に面積的な限界があるのは十分承知でして、その中で最大限の行事を行うために、伊丹市の伊丹駐屯地と、第3師団司令部の置かれた千僧駐屯地があるのですが、この二つの駐屯地に車両を待機させて市街パレードを行ってみてはどうでしょうか。

Img_4307  戦車も、各戦車中隊、日本原と今津の中隊から一個小隊を抽出して、特科火砲やミサイルの類も数を揃え、とにかく数を揃えて、圧倒するような市街パレードを行う、という訳です。警察と協力しても交通規制は大変でしょし、自衛隊の訓練計画にも響くでしょう。

Img_4352  しかし、伊丹市は、米軍が大阪第二空港である伊丹飛行場を朝鮮戦争時に拡張して発展した街、大阪第一空港は八尾ですが、まあ、戦後に軍需で発展した街ですから多少の理解はあって然るべきですし。広報は平時の実戦、訓練計画との兼ね合いは大変でしょうけれども、抑止力と軍事力は国民が一体となって初めて実現できる事案。威容を見せつけ、安心させるのも任務です。

Img_4355  市街パレードを行ってはどうか、といっても毎年行うには自衛隊にも伊丹市にも負担がかかりますから、三年に一回程度、というくらいでしょうか、しかしやってみる価値は充分あると思います。もちろん、反対はあるかもしれませんが、防衛力がどの程度あるのか、という事を知るのも主権者としての義務ですし、有事の際に動揺しないよう、主権者として判断を下せるようにすることも務めではないでしょうか。

Img_4378  総領事へ日本の防衛力の高さを見せ安心させ、京阪神地区の国民には防衛費の適正使用と練度の高さを見せ相互信頼を培う。そして、もしかしたら観光需要喚起にも繋がるやも、箕面の陸軍重爆撃機実弾訓練や大阪湾観艦式は戦前、一般公開されないものの望見するだけで物凄い市民が押し寄せ、阪急と阪神がうちの車内からの方が乗客の取り合いをしたほどです。まあ、これは蛇足で、利点はあるのですし、やってみては、と。

HARUNA

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中部方面隊創隊50周年記念行事・伊丹駐屯地祭(2010.10.17)

2010-10-17 23:33:57 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆中部・西日本の防衛警備担い半世紀

 陸上自衛隊中部方面隊は、第3師団、第10師団、第13旅団、第14旅団とともに中部・西日本の防衛警備を担う自衛隊の方面隊です。

Img_4460  50周年を迎えた陸上自衛隊中部方面隊、その創設記念行事が兵庫県伊丹市の伊丹駐屯地において実施されました。晴天に恵まれた本日はまさに式典日和、伊丹駐屯地内の式典会場には、各部隊、府県知事、国会議員、市町村長、各国総領事、歴代指揮官、そして多くの市民が集いました。

Img_3793  伊丹駐屯地へは、阪急伊丹駅とJR伊丹駅からシャトルバスが運行され、万一のテロを警戒しての手荷物検査の後に会場へ入ります。観閲台周辺のスタンド席が招待客向け、そして観閲台と対面のスタンド席が一般席として開放され、会場周辺には部隊が式典準備にあたっていました。

Img_3801  1960年に創設された中部方面隊は、管区に東海北陸地方、京阪神を中心に近畿地方、山陰山陽地方、四国地方をその防衛警備管区としていて、日本海の向こうに脅威を見据えつつ、伊勢湾台風や阪神大震災を筆頭に度重なる災害へ対処を続けてきまして、東西冷戦の激化と終焉、新しい脅威の時代を背景に50周年を迎えたというかたちです。

Img_3828  式典開始とともに部隊の入場が始まりました。今回の式典へは参加人員1007名、広大な警備管区を有する中部方面隊は少数精鋭を強いられており、こうした理由から中部方面隊行事として参加人員が1000名を超えるのは稀有で、中部方面隊が50周年記念行事にかける意気込みが伝わってきます。

Img_3892  中部方面総監荒川龍一郎陸将が整列した式典参加部隊を前に車上から方面総監旗とともに部隊巡閲を行います。中部方面隊に所属する二個師団二個旅団と直轄部隊とともに、西日本という広い地域の防衛警備及び災害派遣の重責を担っているのが、敬礼する総監の荒川陸将です。

Img_3936  総監訓示とともに、大阪府知事、兵庫県知事、防衛協会の祝辞が行われました。盛んに感謝と感激を重ねていた府知事ですが、しかし行政の長というのは同じく人命と財産に責任を負っているように思いまして、同じ行政の一員なのですから、線引きして言葉を重ねるのは、と少し思いました。京都府の山田知事は海外視察中で、副知事が祝辞を代読していました。

Img_4002  観閲行進に先だって、方面隊管区の府県旗が会場にて紹介されます。例年は一列に参加するのですが、本年は第10師団管区、第3師団管区、第13旅団管区、第14旅団管区という順番で分かれて紹介されていました。旗衛兵の乗車するのは、各師団もしくは旅団の車両が当たっていたのが細かい気遣い。

Img_4050  観閲行進の先頭を行くのが四国を防衛警備管区としている第14旅団第50普通科連隊。新しく創設され移転した新高知駐屯地に駐屯している連隊。旅団普通科連隊ということで小回りが利く事を主眼として軽量編成となっており、本部管理中隊と三個普通科中隊から編成されています。

Img_4056  徒歩行進。着剣した89式小銃を携行しています。創立当時はM-1小銃、それが64式小銃、そして今の89式小銃となりました。個々人が自身とともに最後まで戦闘力のよりどころとするのが小銃でして、土地の収奪という戦闘の根幹を担うのが、歩兵、すなわち普通科部隊で、陸上自衛隊は普通科部隊を重視した編成を採って今日に至ります。

Img_4124  金沢第14普通科連隊の軽装甲機動車。徒歩部隊は地形に依拠した柔軟な運用が可能ですが、今日では戦闘の展開が非常に素早く、加えて普通科部隊の個人装備も増大し重量化する傾向にあるため、陸上自衛隊では機関銃やミサイルとともに戦闘状況における人員の運用を期して、既に1000両以上の軽装甲機動車を配備し、運用しています。

Img_4138  米子駐屯地の第8普通科連隊。90年代から陸上自衛隊の自動車化を大きく進めたのが、この高機動車です。トヨタ自動車製で加速力に優れ、頑丈であるのに加え大きな搭載力は高い汎用性にも繋がっており、普通科部隊以外にも広く配備され、1600両以上が配備され、今も生産が続いています。

Img_4179  中部方面情報隊の車両。今回の式典には車両が144両参加し、全てを紹介できないので、一部の車両を紹介します。中部方面情報隊は、沿岸監視機材や無人偵察機により、広大な海岸線を警戒し情報を収集する部隊です。管区は全国の三割に及び、海岸線には人口密度希薄な地域があるため、重要な部隊といえるでしょう。

Img_4211  第8高射特科群の03式中距離地対空誘導弾、通称中SAM.陸上自衛隊の高射特科部隊が運用する最強の地対空ミサイルで、射程は60km程度、対電子妨害能力が高く、同時多目標対処能力や低空高速目標、限定的な弾道弾対処能力を有している国産の地対空ミサイルです。方面隊行事への参加は今回が初。

Img_4374  観閲行進は、特科部隊や施設部隊、後方支援部隊に予備自衛官部隊と続き、最後に74式戦車が登場しました。今津駐屯地の第3戦車大隊に所属する戦車です。今日でも強力な打撃力を持つ戦車ですが、旧式である事は否めず、遠からず最新鋭の10式戦車への本格的な置き換えが始まり、中部方面隊の戦車部隊にも導入される事となるのでしょう。

Img_4407  祝賀飛行には陸上自衛隊のヘリコプターを中心に陸海空自衛隊19機のヘリコプターが参加しました。OH-6観測ヘリコプターやUH-1多用途ヘリコプター、AH-1S対戦車ヘリコプターといった中部方面隊に配備されている様々なヘリコプターがローター音を響かせながら編隊の先頭をゆきます。

Img_4439  航空学校に所属するOH-1観測ヘリコプターやUH-60JA多用途ヘリコプターも編隊に参加。本来はOH-6を置き換えるべくOH-1は250機の生産が見込まれていたのですが、国産ながら高性能と高価格の抱き合わせであったため多数を生産できず、40機程度で生産終了となる見込みです。

Img_4443  AH-64D戦闘ヘリコプター。明野駐屯地の航空学校に所属している戦闘ヘリコプターです。AH-1Sを置き換えるべく導入が開始されたのですが、取得費用が大きすぎ、生産は暗礁に乗り掛けています。ただ、一個飛行隊をAH-1Sの16機に対して9~12機で編成できるので、こちらを修得した方が運用コストは低くなるのでは、と思ったりもしました。

Img_4444  日本海を睨む舞鶴航空基地よりSH-60J哨戒ヘリコプターが参加、三機編隊での参加というのは驚きましたね。航空自衛隊のCH-47J輸送ヘリコプターも編隊に加わっており、陸海空一体となり任務達成に励もう、総監の訓示をそのまま体現した編成での祝賀飛行参加となりました。

Img_4472  観閲行進終了とともに訓練展示となりました。準備時間が今回は非常に短かったですね、もっとも伊丹駐屯地ではここ数年模擬戦が行われていなかったので久しぶり、ということになります。さて、明らかに怪しい装備の仮設敵が小銃を手に進出してきます。武装したコマンドー部隊がわが国に浸透し、市街地へ立てこもっているなか、陸上自衛隊へ防衛出動命令が発令される、という想定です。

Img_4477  情報収集の為に第36普通科連隊の本部管理中隊から情報小隊の斥候オートバイが派遣されました。軽快な機動性を誇るオートバイを最大限活用し、どういう脅威がどのように浸透しつつあるのか、そして任務遂行に必要な部隊や運用はどうあるべきか、その情報を指揮官へ伝えるのが情報小隊の任務です。

Img_4487  コマンドー部隊はBTR装甲車とともに進出していた、という想定、防衛出動した我が部隊に対して盛んに重機関銃で射撃を加えてきます。装甲車、BTR装甲車からの重機関銃射撃は先ほどの仮設敵が運用していた小銃とは明らかに違う、重く響くような銃声を式典会場にとどろかせています。

Img_4531  情報小隊の情報に基づき第36普通科連隊より普通科中隊が出動。しかし、出動した我が部隊から遂に負傷者が、という想定。即座に軽装甲機動車を盾にして負傷者の救出に移るとともに、普通科部隊が携行する火器や迫撃砲など、所在火力を集中して目標の攻撃前進を阻止する行動へとでました。

Img_4534  中隊長は戦車小隊への支援を要請し、これに基づき戦車が出動します、74式戦車の前進が始まりました。戦車は同軸の連装銃により正確に目標へ対処してゆきます。本来ならば、ここで主砲から空包射撃を行うのですが、近隣住民からの要望もあり、大きな音を立てることなく訓練展示を展開。

Img_4574  最後に仮設敵が立てこもる建築物へ、普通科部隊が戦車とともに攻撃を加え、これを無力化、訓練展示は終了しました。特科火砲の空包射撃も行われず、伊丹駐屯地祭の模擬戦は、昔のように戦車や火砲が撃ちまくる、という方式はできなくなったのか、と少々残念でもありました。

Img_4686  音楽演奏、ここでティンパニーの代わりにFH-70榴弾砲が空包射撃を実施。豊川駐屯地の第10特科連隊よりFH-70榴弾砲五門が参加し、音楽に合わせて次々と射撃してゆきます。ああ、豊川駐屯地に行けなかったので見る事が出来なかったFH-70の連続射撃が、こんなところで見られるとは、という印象。

Img_4748  訓練展示と音楽演奏が終了して、装備品展示の準備が開始されました。モータープールは、立ち入ってもいいとのことだったので、早速先ほどの訓練展示で頑張っていた、12.7㍉重機関銃搭載の軽装甲機動車へ。ターレットではなく、車体に機銃を搭載している構造のようで、射界は前方90~110°くらい、でしょうか。中隊本部の重機関銃を機動運用する手法のようでしたね。

Img_4796  おお、2型がいる!、96式装輪装甲車2型。装備品展示で隅の方に置かれていました。増加装甲も取り付ける事が出来る96式装輪装甲車2型、入ったばかりの装備という事で、第3戦車大隊の車両ですが、今津駐屯地祭では出されなかった装備、とのことです。このほか、防弾給水車等、一風変わった装備が多数。

Img_9337  今回驚いたのは58式榴弾砲や60式106㍉無反動砲、64式81㍉迫撃砲にM20ロケットランチャーといった中部方面隊における過去の装備が新旧並べられていたところでしょうか。特に106㍉無反動砲などは砲身肉厚が薄いため野外展示もされておらず、本当に久しぶりに見た装備でした。105㍉榴弾砲も、個人的に好きな装備。

Img_9365  50周年という事で新旧装備が並べられており、このように新型戦車も、と聞こえてきました。よみうりテレビのクルーが夕方のニュース向けの収録を。はて新型戦車、10式?と思い見てみますと、保存展示の61式に“旧”、そして74式戦車が“新”。・・・、いや、その36年型落を新型、といわれても、・・・、方面隊広報の方も苦笑していました。と、まあこのように、いろいろと見る事が出来た一日でした。

HARUNA

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ヘリコプター護衛艦ひえい 堺港祭りにて本日と明日一般公開

2010-10-16 23:16:40 | 海上自衛隊 催事

■護衛艦ひえい一般公開

 本日と明日、海上自衛隊の護衛艦ひえい、が堺港において一般公開されています。本日はこの話題。

Img_3673  ひえい、は、はるな型護衛艦の一隻、来年三月には、ひゅうが型の護衛艦いせ就役とともに自衛艦旗を返納し栄光の功績に終止符を打つこととなっているので、貴重です。一般公開の会場までは南海電鉄堺駅からシャトルバスが運行されていると聞いたのですが長蛇の列、20分間隔で運行とのことでしたので断念してタクシーか徒歩か、と考えていたところ、意外と短い間隔で次のバスがやってきました。阪神基地隊の方曰く徒歩は少し遠いのでやめておいたほうがいい、と。

Img_3442  堺港祭り、ということでしたから、ほかに巡視船などが並び、埠頭は多くの模擬店と市民で一杯、とおもいきや、ひえい、が一般公開されているのみで、普段は業務用の埠頭、客船などは来ない埠頭ということもあり、自動販売機も置いてありませんでした。海上保安庁の巡視船もいるにはいましたが、巡視船というか巡視艇、ひえい一般公開の警備任務にあたっているところで、見学はできません。

Img_3413  一般公開は午前と午後に分かれているのですが、当方が堺駅に到着したのは1330時、一般公開は乗艦が1530時まで、終了が1600時ということで相当余裕があった、と思いきや長蛇の列、乗艦しますと艦橋見学がこちらもかなり混雑していまして、前甲板をぐるりと列が並び、上部構造物に入ることができたのが1520時くらい、この混雑、ひえい、への注目度の高さが垣間見えます。

Img_3382  艦橋へ上るのに多くの列が、ということは降りるまでにも多くの時間が、ということになりまして、言い換えれば艦橋で過ごすことができます。時間がかかる、というのはそれだけ人口密度が過密にならないように調整している、ということですので、その時間を利用してじっくりと、はるな型護衛艦を久々に見学してゆきます。やたらと時間がかかるような書き方ですが、前甲板と航空機格納庫、飛行甲板と哨戒ヘリコプターだけでしたらすぐに見学することができます。

Img_3467  ヘリコプター搭載護衛艦ならではの長大な飛行甲板には小松島航空基地からのSH-60J哨戒ヘリコプターが展示されていまして、個人装具などとともに記念写真を撮ることができるとあって、こちらもにぎわっています。格納庫内では、簡単なグッズ販売、ピンバッジが数種類ですが販売されていました。

Img_3652  一礼して艦を降りますと、すでに1600時、夕暮れ時となりこの一瞬をカメラへ納めます。そんななか、財政難により新しい護衛艦の建造が難しくなっている昨今、ひえい、は古い護衛艦ではあるのですが、思い切って除籍を伸ばし、練習艦としてみてはどうなのか、と思ったりっもしました。後部格納庫は教場に最適ですし、ひえい、を練習艦とすることで、練習艦隊の、はつゆき型、あさぎり型を護衛艦隊に再編入すれば護衛艦不足は何とか補えるのですし、ね。夕暮れの中の艦影を撮影していて、また、そんな事が頭に浮かんできたりもしました。

HARUNA

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平成二十二年度十月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報3

2010-10-15 22:33:49 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 本日は久々に夏日があったようですが、週末はどうなるのでしょうか、今週末は航空祭か、中方50周年行事か!?、自衛隊関連行事の紹介です。

Img_0325 今週末最大の行事は、伊丹駐屯地で行われます中部方面隊創設50周年記念行事と浜松基地航空祭でしょう。中部方面隊創設記念行事は、土曜日に伊丹市内で音楽パレードが行われ、日曜日には伊丹駐屯地において記念行事が執り行われます。今年で50周年、面積的に伊丹駐屯地は制約がありますが、式典と訓練展示が行われるとのことです。

Img_1970 浜松基地航空祭エアフェスタ浜松2010は、浜松基地で誕生したブルーインパルス創設50周年という節目の年の航空祭であったりします。E767早期警戒管制機による機動飛行や第1航空団のT4練習機による編隊飛行、等々。浜松駅から有料シャトルバスが運行されていますが、かなり混雑するので行動はお早めに、です。

Img_8241 航空行事としては山口県の小月航空基地での小月航空基地祭スウェルフェスタ2010が行われます。小月教育航空群が展開している航空基地で、T5練習機による飛行展示、そしてT5練習機の体験搭乗が抽選で行える、とのことです。T5練習機はなかなか見学できない、という印象がありますので、こちらも注目の行事でしょう。

Img_9132 陸上自衛隊関係行事では、今週末、北部方面隊では行事が行われませんが、東北方面隊管区では第44普通科連隊と第11施設群が駐屯する福島駐屯地の創設57周年記念行事、第6戦車大隊と第6偵察隊の駐屯する仙台市からほどちかい大和駐屯地創設54周年記念行事等が行われます。

Img_1911  東部方面隊では土浦駐屯地にて武器学校祭が行われます。写真は富士学校に展示されている各種保存展示装備の写真ですが、土浦駐屯地には自衛隊の各種装備の整備及び稼働率維持に関する専門教育が行われるため、整備と修理のスペシャリストがいまして、なんと旧陸軍の日本最初の国産戦車89式中戦車を修理して動かしてしまうほどの人が揃っています。

Img_0781 西部方面隊の行事は、今週末、かなり広範に行われます。最大の行事は、大村駐屯地祭で、第16普通科連隊と第4施設大隊が駐屯しているのですが、海上自衛隊の大村航空基地も近いことから合同行事として市中パレード等も行われます。飯塚駐屯地創設44周年記念行事、飯塚駐屯地には西部方面隊直轄の第2高射特科団が駐屯しています。

Img_0483 対馬駐屯地創設30周年記念行事、離島警備に当たる対馬警備隊が駐屯していまして、一個中隊と増強部隊を指揮可能な本部管理中隊から編成されています、市中パレードも実施予定とのこと。第40普通科連隊が駐屯する小倉駐屯地では創設54周年記念行事、第8施設大隊の駐屯する川内駐屯地でも創設25周年記念行事が行われます。

Img_3380 都城駐屯地祭。第43普通科連隊が駐屯しているのですが、この都城駐屯地創設59周年記念行事には、かなり注目が集まるのではないでしょうか、というのも宮崎県口蹄疫事案において災害派遣の主力となったのが第43普通科連隊です。行事は土曜日の前夜祭として市総合文化ホールでの行事が行われ、日曜日に駐屯地祭、という予定です。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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鉄道の日(10月14日) 新幹線、在来線、私鉄線の将来に関する備忘録

2010-10-14 22:16:50 | コラム

◆鉄道の日特集

 本日十月十四日は鉄道の日です。新橋と横浜の間に日本最初の鉄道が完成したのが十月十四日だったので鉄道の日、となったわけですね。

Img_1121  鉄道の日に併せた、という事はないのでしょうがJR東海のリニア新幹線に関するルートがようやく日本アルプスを大深度トンネルで貫通して東京と名古屋を最短で結ぶルートに決定する方向となりました。開業は2027年と予定よりも二年遅れる事となるのですが、開業後には東京と名古屋が現在の約90分から40分程度で結ばれる事になります。

Img_1707  これまで大きな問題であった東海道新幹線の混雑緩和が実現しますし、大阪開業後、のぞみ号の多くはリニア新幹線へと移行するといわれていますので、結果的に、こだま号、ひかり号の増発にもなり、のぞみ通過駅の沿線は新幹線が利用しやすくなるという大きな利益にもつながるわけです。

Img_0877  一方で、東海道新幹線は現在、日本の人的移動に欠かせない主要交通手段となっているのですが、沿線はその大半の路線が東海地震、東南海地震、南海地震の危険に曝されている状況にありますから、大規模地震に伴う長期運休という危険性から脱却するためにも一刻も早く北陸新幹線の全線開業に進む必要があります。

Img_3849  長野新幹線、と呼ばれている北陸新幹線は、金沢開業までは目途が立っているのですが最終的には京都府を通り大阪へ向かう、東海道新幹線の予備となる新幹線です。例えば大阪と名古屋の間では新幹線が不通となった際に近鉄の名阪特急が結んでいるのですが、そうした補完関係が期待される訳ですね。

Img_5734  北陸新幹線以外の整備新幹線構想ですが、在来線用特急車両の高性能化により、160km/h運転が可能な車両が整備されてはいるのですが、地点間速度といいますか、移動に要する時間で比較してみますと、在来線では新幹線と比べた場合、大きなカーブが数多くあり、高性能車両を以てしても高速で通過するためには新線建設が必要となってしまいます。

Img_0826  そこまでやるのならば新幹線、という動きとなっている、とも考えられる訳ですね。他方で、新幹線を整備したために並行在来線の特急が廃止されたりして政令指定都市なのに寝台特急と同じ数しか特急が来なくなったり、並行在来線そのものが第三セクターとなったり、といった問題も生じています。

Img_1801  東海道本線などは並行在来線として直通特急が無くなりつつも、新幹線との連携が順調に行っている稀有な事例なのですけれども、北陸新幹線や九州新幹線などでは新しい過疎地域を生む状況となっています。特に路線存続が成っても、長期的にはう透明だったり、運賃に大きく反映されたり、等。

Img_7160  本来、そういう事が想定され、人口流出も考えられての建設賛成と事業前評価だったのでしょうが、元々都道府県と国が主体の事業としての整備新幹線構想ですから、こちらについては地元市町村などの自助努力目標とするのではなく、もう少し様々な政策があってもいいのでは、と考えます。

Img_3395  安易な補助金ではなく、運行方式についての調整といいますか、利益とともに鉄道事業には社会的な役割、公共交通機関としての不可分の要素が経営とともに存在しているはずでして、同時に新幹線事業の誘致というものを勘案して、同じく受益者としての自治体や政府とのもう少し踏み込んだ合議が行われてもいいのではないでしょうか。

Img_9510  都市交通についてですが、近年、路面電車が見直されつつある、という声が一部で聞こえるなか、路面電車を廃止した自治体の中で再度建設した、というような事例は聞こえません。既存の路線網を有する自治体が、拡張した、というものが大半なのですよね。このあたり、もう少しどうにかならないのか、と。

Img_3730  いわゆる軌道線、路面電車は建設費で地下鉄建設の0.3倍で行う事が出来るとされます。もちろん、地下鉄建設は工事深度により工費は大きく変わるのですが、15km分の地下鉄工事で50km近い軌道線網を整備できる、ということになります。建設されればそこには電停という駅が出来ますので、バス路線とは比較にならない経済波及効果がある訳です。

Img_5483  また、中心部と郊外に軌道線は一つの流れを構築することが出来ますので、中心部過疎化を防ぐことも可能です。そして、削減への意味は別としてCO2削減の観点からも自家用車やバス路線よりも輸送量あたりのCO2排出量は少なく、この種の事業に国はもう少し投資を行ってもいいのではないか、と。

Img_5453  同時にローカル線についても、路線が維持される事で維持されている地域もある訳でして、燃料費の不安定や自動車維持の難しさ等が考えられる高齢地域においては、鉄道の存在が考えられる以上に大きくなっている場合もある訳です。しかし、路線維持には採算と施設維持という問題があり、苦しんでいる鉄道会社もあります。

Img_3397  例えば施設維持に関する政府人材バンク制度の構築と、公共事業としての路線維持や車両定期整備への人員派遣等の試み、というのはあり得ないものでしょうか。廃線がそのまま廃村に繋がる事例、とはではいかなくとも限界集落となってしまった話は聞きますし、廃村が山林管理等に悪影響を及ぼし、災害に発展した事例も聞きます。

Img_4210  もちろん、具体的な名前は挙げませんが当初旅客需要の見積もりが杜撰で、工事により路線を整備したのは良いのだけれども、利用者が伸び悩み、そこに建設に関する負債が立ちはだかり、どうにもならない路線、というものはありまして、そういうところにも無差別に補助金を、とは言う事は出来ないのですが。

Img_5740  付け加えれば、これもあえて名前は挙げませんけれども、既に経営的に難しい路線であるにもかかわらず、新しい高速鉄道線の誘致や短絡線建設を求める地域は多々あります。そうしたところに路線を建設して当然の赤字となる、というような事があれば、そういうところにはあまり支援という意義は感じません。

Img_3267  例えばイギリスのブレア政権が試した事業評価と民営化を組み合わせたエージェンシー方式、一時公共事業化した上で事業者を募り、事業評価の上で経営責任者として維持させるのか、交代させるのか、という方式なんかが併用できれば、ある負担者にとっても程度説得力を持つかもしれません。

Img_3798  頑張っているローカル線は多い中で、こうした黒字経営を続ける会社が、傍目に赤字と慣れが支援が期待できる、という構図を見てしまいますと士気に関わりますし、一方でローカル線により維持されている地域もあるという実情、これをどう均衡点を見つけてゆくか、という事は一つ日本として大きな課題なのかな、と。

Img_9725  新幹線の技術移転について。海外への新幹線売り込みが行われているのですが、これについて日本の技術は車両と管理システムとを統合したもので新幹線を構成しているのですが、海外の特にフランスや中国製の車両に対して価格面で劣勢にある、と言われます。また新幹線規格路線でなければ最大限性能を発揮できない、との指摘もあります。

Img_9851  しかし、これかなり当たっていまして、同時に無理に輸出する必要はあるのかな、と思ったりもします。JR東日本は中国に技術移転を行いましたら、すぐさま形状を模倣したコピーが造られましたし、そもそも新幹線というのは日本での運用を考えて整備したものですから、海外で性能が発揮できるのか、と。

Img_3383  新幹線は、そのまま海外で高速鉄道として認識されているのですが、これはもともと東海道本線という幹線が輸送能力の限界に達したために、新しい幹線を整備して高速列車を運行し、輸送力増強に充てよう、という意味があり、新幹線、というわけなのですから、新規の路線という前提があった訳です。

Img_3443  新幹線は速度のほかにも1000km走ってダイヤの誤差30秒以内、最大五分間隔での運行が可能な大量輸送手段、という位置づけがありまして、東京と名古屋と大阪を結ぶからこそ意義があるのでして、もちろん海外に日本の技術が評価され、普及するのは嬉しいのではありますが、しかし日本の新幹線ほど高度なものは必要なのかな、必然性は、と思ったりもしました。

Img_2951  通勤電車について、今度は少し考えてみましょう。研修で一ヶ月ほど銀座線を利用した時には、意外に空いているという正直な感想があるのですが、甘かった、山手線や井の頭線、東横線は凄かった。・・・、いやほんと。・・・、まあ、223系の新快速で京都と大阪も凄いのですが、ね、クロスシートだし。

Img_1952  銀座線は運行本数が大きいのでしょうか、とにかく銀座線は通勤時間帯でも下手をすれば座る事が出来るほどだったのですけれども、山手線の朝の時間帯は凄かった、降車駅がほぼ同じ新快速で混雑しているのと違い、各駅停車であれは凄いと思ったのですよ、なるほど、あそこと東横線は日本一混雑する路線とのことでした。

Img_4227  通勤混雑緩和、というものはもう少し行われてもいいのでは、と考えます次第。特に首都圏。通勤混雑と言えば、押し込み屋&剥ぎ取り屋が不要となった今日、鉄道会社の努力はかなり実っていると言えますし、これ以上運行本数増大は不可能、これ以上連結編成増強も不可能、というところでしょう。

Img_4394  しかし、今の技術だからこそできる部分があると思うのです。例えば乗車率表示。阪急9300系や9000系の運転台には扉開閉状況の表示に並んで乗車率表示が出来るようになっています。古い車両にはこうした表示はないんだけれども、重量などで乗車率を調べて、冷暖房調整等を行っているのでしょうか、数字が出るんです。

Img_4963  乗車率表示というものが出せるのならば、これを駅の列車案内版に表示したり携帯電話のサービスで配信してみては、と思ったり。つまり、どの車両が、まだ乗車率が低いのか、ということの表示ですね。新しい車両だけでも、こうした情報を表示できれば、乗客の密度が分散して、多少はなんとかなるのではないでしょうか。

Img_3265  他方で、昨今は郊外の保育園を始め育児施設の不足から都心保育ということで幼児同伴にて通勤される方が増えているのだとか。優先座席や女性専用車という制度はあっても、女性のみが幼児と都心保育を行っている訳ではないのでなんともいえないのですが、あの乗車率で幼児同伴は危険なのでは、と。

Img_8333  女性専用車があるのだから、これ以上専用車を新設して通常の乗車率を圧迫させる訳にはいかないのだけれども、待機児童問題に決定的な解決策が無い今日では、これも何とかしてゆかなければならない問題。ううむ、嵩が大きいベビーカーを駅ごとにシェアリングして共用、車内に持ち込まない、とかそういうのしか思いつかないけれども。

Img_5687  首都圏の通勤輸送ですがちなみに京阪神地区では、特急料金不要の特急であってもクロスシート車が普通に走ってますし、京阪電鉄のように二階建て、ダブルデッカー車を無料にしているところがあったりします。ラッシュ時は車庫に入るのですが、首都圏のロングシート天国、日中の時間帯は、クロスシート車があってもいいのでは、と少し思ったりしました。

Img_8702  首都圏は混雑するので、という話は結構効くのですけれども関西私鉄でも混雑するところは混雑している中でクロスシート車を投入しています。まあ、京浜急行電鉄なんかはクロスシート車を大胆に投入しているのですが、ううむ、クロスシートでゆったり、という声、乗客からの需要に少ないのでしょうか、あっていいとおもうのですが・・・。

Img_3792  もっとも、クロスシートを重視している鉄道が多い京阪神にも阪神電鉄のようにクロスシート車に全く興味のないロングシート第一主義の私鉄もあると言えばあるのですが、ね。・・・、ここは本線が短すぎるので座る時間が無い、という事ももしかしたらあるのかもしれませんけれども。

Img_7619  夜行列車について。あけぼの、日本海は来年あたり、・・・、なのでしょうか。こういう私もブルートレインは一回しか利用した事が無いのですが、廃止になった富士号。岩国基地に行く際に、早朝に到着するという事で便利なので利用しました。三沢行く時に、と考えているのですが無理でしょうかね。

Img_7116  日本海も使ってみたいのだけれども、青森到着が遅すぎるので使いにくいのが難点、0800時くらいに到着するのならば、と思ったり知るのですが客車方式では、あの速度が限界なのでしょうね。しかし、食堂車も個室寝台も無くて、B寝台で6300円、そこに特急料金というのは少々高いような気がします。

Img_9001  トワイライトエクスプレスも、客車部分は改造客車ですから寿命というものがあるでしょうし、北斗星とカシオペアも北海道新幹線の時代が到来すると時間帯によっては青函トンネルの関係で運行が難しくなるやも。しかし、夜行、という需要はあるのですし、思い切って新幹線の低速でも良いので夜行というのをやってほしくなりますね。

Img_3477  特急について。特急なのですが、昨今、貫通扉があるのかないのか、という安直なデザインがあったり、かつての流線形や展望車、そういうものが無くなってしまって、無難なデザインの特急車両が増加しているように、なんというか特急料金を払って待っていると、そういう電車が来た時にがっかりしそうな、そういう意味です。

Img_0532  もっとも、小田急のロマンスカーや京成の新型スカイライナー、頑張っているところは頑張っているのだけれども、JRなんかでは、そんな電車使うのならまだ485系のほうが、まだ良かったんでないの、というようなものが、設備もどんどん簡素化されていってるような印象もありますし、よくなったのはシートだけ、と。

Img_3515  ううむ、特急の簡素化、というのは車窓や旅の行程を楽しむ余裕が無くなっているようで、ちょっと残念な気がします。もちろん鉄道会社としては流線形よりも車両メーカーの基本型車両を特急とする方が安上がりなのでしょうけれども、ううむ、しかし、この283系みたいな車両が量産されていれば、と。

Img_7725  最盛期は1990年代、という印象が・・・。つまりこれはバブル期、ということになっちゃうんでしょうけれども、・・・、そういえば東武100系は個室料金が随分下がっているようで、余裕というか利用者の経済的な理由があって、あまり高いサービスも提供できなくなってるという事があるのかも。

Img_0064  まあ、いろいろ書いてみたのですが、そういう車両はラピートに対するサザンとか、ビスタカーの三代目と二代目の残念さとか、考えてみれば今だけではないのですし、十年後に今の鉄道車両をみれば、これは、というものもあるかもしれませんし、要は慣れ、ということなのかもしれませんね。

HARUNA

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新護衛艦は『あきづき』 5000t型護衛艦一番艦が長崎にて進水式

2010-10-13 17:25:24 | 海上自衛隊 催事

◆19DDが旧海軍防空駆逐艦秋月型の名を継ぐ

 海上自衛隊の19DDが遂に進水式を迎えました。当方、進水式には行けませんでしたが聞くところでは、FCS-3改を搭載した新型艦は艦名あきづき。旧海軍の防空駆逐艦秋月型の名前を引き継ぎました。

Img_0094_1  日本海軍は1939年に第四次軍備充実計画において当時増強著しい航空母艦の直衛艦として乙型駆逐艦の建造を計画、これが旧海軍の秋月型駆逐艦です。航空母艦と行動を共にするという任務上、基準排水量は当時の駆逐艦が大型で2000㌧となっていたのに対して、基準排水量2701㌧、航続距離は18ノットで8000浬という大きな航続性能が盛り込まれました。この秋月型は防空艦と呼ばれているのですが、10㌢65口径連装高角砲四門を搭載していた事が大きな特色でした。ヘリコプター搭載護衛艦の近代化を行う海上自衛隊にも重なるところですね。もっとも、新しい護衛艦あきづき、は、はるな型護衛艦と並ぶ大型艦として完成するのですが、ううむ、これは大きい。

Img_0144_1  満載排水量で護衛艦はつゆき型に匹敵する秋月型駆逐艦、その最大の特色は、98式10㌢65口径連装高角砲です。従来は旧海軍も12.7㌢砲を搭載していたのですが、高角砲ではないため対空戦闘に対応していなかったのです。唯一、89式12.7㌢高角砲が対空戦闘に対応していたのですが、これ以外は11年式12.7㌢砲で55°まで、3年式12.7㌢砲で30°までしか高角度に操砲できなかったのですね。98式の砲弾重量は13kgで、89式の23kgよりもかなり軽く、必然的に砲弾威力も減退しているのですが、有効射高が98式は11000mと89式の8100mより大きく、初速も98式は1000m/sと、89式の720m/sよりも大きく、砲弾が軽いため秋月型一隻当たり8門の砲から毎分120発を発射できました。

Img_5478  こうして秋月型は舞鶴で建造され、このほか94式高射装置と21号電探を搭載、強力な防空艦として就役しました。他方、一番艦就役が1942年6月でミッドウェー海戦に間に合わず、航空母艦部隊再建に苦慮する中12隻は苛烈な太平洋戦線で潜水艦や航空機と戦い続けています。他方で、秋月型以降、戦局激化と駆逐艦不足に伴い、戦時艦船補充計画である改⑤計画では、1262㌧の松型駆逐艦へ建造は移行しまして、小型駆逐艦が計画で74隻を建造する、という時代に入って行きまして、現代日本は戦時でこそありませんが、あきづき型に続く23DD、こちらも23年度予算では予算不足を理由に実現しなかったので翌年度に盛り込まれ24DDとなるのでしょうが、こちらは建造費縮減の観点から小型化する模様、なにやら妙な運命を感じてしまったりします。

Img_7882  海上自衛隊では、1957年にアメリカ軍域外調達計画として護衛艦あきづき型を建造しています。こちらは、二代目あきづき、と同じ三菱重工長崎造船所において建造され、横須賀基地で護衛艦隊旗艦等を務めました。基準排水量2350㌧、全長118㍍。127㍉単装砲Mk39を三門備えるほか、57式76㍉連装砲一門を搭載するとともに当時最新装備であったMk108対潜ロケット発射器や電子戦装備を搭載した護衛艦で、航続距離は6500浬、戦後初の国産設計艦となりました。大型艦の建造経験豊富な三菱重工としてはもっと大型の軍艦を建造したかったと伝えられるのですが、二番艦てるづき、とともに護衛艦として1980年代半ばまで活躍しまして、特務艦に種別変更した上で1990年代まで現役でした。この間に新型ソナーの搭載、76㍉砲シールド追加、ボフォース対潜ロケット追加、可変深度ソナー追加装備しています。

Img_7977  Weblog北大路機関を開設した2005年から五年間をみただけでも、自衛隊は随分変わりました。ここ十年間を見ますと、9.11以降、自衛隊は与えられる任務も、大きく変わっていきまして、同時に脅威も大きく変化しています。そして自衛隊が任務の多様化とともに前進するのに対して、政治が後退していまして、自ら武力紛争を誘致しているような政党が明後日の方向へ頑張っているのですが、果たして新型艦あきづき、が就役したのちに自衛艦旗を掲げ進む大海原はどのような情景となっているのでしょうか、わが国の繁栄と世界の安定を海より護衛する護衛艦が、また一隻、命名式とともに海へ進んだ一日でした。

HARUNA

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国際緊急航空援助隊、パキスタン大水害に伴う緊急人道支援任務を完了!

2010-10-12 22:39:42 | 防衛・安全保障

◆95任務飛行で物資260㌧を輸送!

 大水害により多大な被害を受けたパキスタンイスラム共和国に対して、防衛省は8月31日より国際緊急航空援助隊を派遣し、人道支援任務に当たってきました。

Img_7982  統合幕僚監部の発表によると、防衛省は10月5日の防衛大臣命令を以て10日、パキスタンイスラム共和国での国際緊急航空援助隊による輸送任務を完了、パキスタンでの任務は終了しました。任務期間は8月31日から10月10日までの一ヶ月半にわたり、陸上自衛隊のヘリコプターが支援を実施してきています。

Img_8987  山間部での大水害で道路網と橋梁の多くが損壊したため、輸送はもっぱらヘリコプターと徒歩搬送が頼りという事で、日本からの国際緊急航空援助隊には、CH-47輸送ヘリコプター、UH-1多用途ヘリコプターが参加し、この輸送支援に航空自衛隊輸送機と海上自衛隊の輸送艦が協力しています。

Img_1360  今回の任務における活動実績は、CH-47が61任務、UH-1が34任務の計95任務飛行で、支援実績では人員49名と支援物資260㌧の空輸です。この内訳は食糧250.5㌧、見ず6.3㌧、医薬品3.3㌧、となっており、大型輸送ヘリコプターを派遣しての人道支援は、世界的にも大きく報じられました。

Img_8213  パキスタンでの水害は山間部において発生した事もあり、海が言報道を見る限りではパキスタン政府は初期の情報収集が拙く、加えて被害の範囲があまりにも広く、友好国で国境を接している中国もの協力が無かった事もあり、救援活動の立ち上がりも被災者には不満の残る状況と報じられています。

Img_6259  こうしたなか、インフラ破壊と救援体制不備の状況下で生じた無政府状態に乗じて隣国アフガニスタンよりアルカイーダ系武装勢力の浸透が報告されるに至りました。こうした中で自衛隊に期待されたのは住民の生活を第一に復旧し、パキスタン政府の復興計画が稼働するまでの一助となることです。

Img_8871   無政府状態は深刻で、米軍を中心にISAFによるアフガニスタンでの掃討作戦が進む中、オバマ政権がアフガニスタン撤退の時期を明確化した事で武装勢力は持久戦を展開する上で期限が設けられ、米軍撤退までの期間、潜伏できる勢力地域を模索していて、それがアフガニスタンとパキスタンの国境山岳地帯でした。それが越境してきた訳です。

Img_0330 自衛隊では災害派遣は本来任務ではない、という言われ方はよく為されるのですけれども、災害による無政府状態が、簡単に外国からの武装勢力浸透を招くということを示してしまい、やはり同じ危機管理として、災害に際しても政府機能を維持し、迅速な復旧活動に着手するとともに復興計画を立ち上げる重要性は高い、と考えさせられました。

Img_0151  他方で、ハイチ地震災害に対して日本政府は国際緊急援助体制の立ち上がりがあまりにも遅く、復旧任務に自衛隊を派遣させることが間に合わず、現在も復興活動を行っています。慢性的人員不足にある自衛隊にあっては、復興を民間に委託できる基盤を復旧することが望ましく、今回は政府の対応も素早かったといえます。

Img_6149  また何よりも、危険な山間部を背景に事故なく派遣任務をこなしたヘリコプター部隊と、派遣に際して迅速に協同体制を確立した三自衛隊の協同、運用基盤と調整に奔走し最善を尽くした外務省の手腕は高く評価されるべきで、この即応体制と協同体制は一つの抑止力ともなるといえるのではないでしょうか。日本では殆ど報じられませんでしたが、パキスタンでの任務が今回も無事完了しました。

HARUNA

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