◆70年代までは戦車が都心をパレード
いよいよ中央観閲式が、という今日この頃。本年は日米安保改正50周年ということもあり、米軍機が初参加するようです。当方は、行きたくとも見ることはできませんが、この行事を会場の面から振り返ってみましょう。
警察予備隊創設一周年行事は1951年8月10日、予備隊本部の置かれた越中島で行われ、当時の大橋武夫警察予備隊担当大臣が観閲官を務めました。発足当時は、指揮官不足で一等警察士、いまの一尉にあたる階級の隊員が方面総監を命じられたりという混乱、部隊編成は勿論、駐屯地も見つからないままの発足、この紺来意が続き、対岸には朝鮮戦争の激化が伝えられる中の一周年行事でした。
1952年10月15日、保安庁が発足し、警察予備隊は組織改編を受けました。この保安庁創設記念行事での観閲式は明治神宮外苑国立競技場で行われました、続くパレードは銀座大通りにおいて行われまして、まだ警察予備隊を示すNPRJの表示も残る車両とともに、観閲行進を実施しています。
保安庁創設一周年記念行事は、1953年10月15日、練馬駐屯地において行われまして特車部隊を含む部隊は吉田茂首相、木村篤太郎保安長官の視閲を受けています。続いて保安隊の各部隊は、練馬駐屯地から徒歩部隊を中心に日比谷方面において創設一周年のパレードを実施しています。
1954年7月1日、防衛庁及び陸海空自衛隊が発足します。この一周年記念行事として行われたのが、現在の中央観閲式にあたる観閲式。観閲官に鳩山一郎総理大臣を迎え、神宮外苑絵画館前にて式典が行われました。神宮外苑道路には機械化部隊が集結し、式典後は朝霞駐屯地、練馬駐屯地まで参加部隊は市街パレードを行っています。
1965年、中央観閲式会場は神宮外苑から新しく国立競技場前へと会場を改めました。10月31日の中央観閲式には佐藤栄作総理大臣が観閲官として登壇、人員5700名、車両370両が参加しています。この国立競技場前での中央観閲式は1972年まで実施され、式典後はやはり朝霞駐屯地、練馬駐屯地までの帰路、部隊が自走し、市街パレードを実施しています。この頃には式典には61式戦車なども参加しており、かなり重量のある車両ですが、市街地を自走していたのですね。
そして1973年10月28日、初めて中央観閲式の会場が朝霞駐屯地となり、今日に至ります。当時の観閲官は田中角栄総理大臣。この年の朝霞駐屯地での中央観閲式以来、式典会場と車両部隊の拠点が同じ場所になった事で市街地を通るパレードが行われなくなり、今日に至ります。
市街地を大型車両が連続して走行することは、安全管理や道路統制の面から難しいものがあるのですが、しかし自衛隊への理解が深まる今日、という表現が為される中、こうした行事は一般から距離が大きくなってしまった、と思うのは当方だけでしょうか。例えば、朝霞駐屯地から、そのまま練馬駐屯地へ移動するというかたちで市街パレードを行う事も、国民の防衛への関心を深める上で重要なのでは、と考えます次第です。
HARUNA
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