北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【くらま】日本DDH物語 《第十四回》自衛隊の次期主力戦闘機選定、F-104とG.98J-11

2017-06-10 22:33:28 | 先端軍事テクノロジー
■F-X艦載機G.98J-11
 航空自衛隊が最初に評価試験を行い選定したF-X選定、海軍航空の出身である源田実航空幕僚長と併せ、艦載機改良型のG.98J-11戦闘機が一時内定したことはどのような意味があったのでしょうか。

 自衛隊の次期主力戦闘機選定、F-104とG.98J-11、この選定に際し第一次内定が空母艦載機改良型であるG.98J-11となったのは、同時期に研究されていたという23000t型対潜空母艦載機を見込んでいた為ではないか、突飛な意見ですが同時期に艦載哨戒機S-2が採用され空母艦上での運用訓練を受けていた事実と組み合わせれば変な説得力をもちます。

 F-11戦闘機については、海軍での採用は200機に留まったものの、1956年の初飛行から1969年まで運用され、海軍の曲技飛行で知られるブルーエンジェルスにおいても使用された実績があります。1960年代の航空雑誌には残念ながら当時のブルーエンジェルスの世界ツアーの情報を集める事は難しく、しかし、各国軍関係者への展示は行われたのでしょう。

 西ドイツ空軍やスイス空軍がG.98J-11戦闘機を高く評価しているのですが、空母艦載機であることから機体規模が小型であり、且つJ-79エンジンによる超音速飛行能力の期待等が加味されたのでしょうか。F-11戦闘機の空虚重量は6.5tと軽量で、空母艦載機としての利点と共に軽量とは陸上基地では舗装の薄い滑走路での運用が可能であることも意味します。

 西ドイツ空軍が本機を真剣に検討していたのは、滑走路維持という視点でしょう。当時西ドイツ空軍は開戦第一撃の航空攻撃により滑走路を破壊される事を極端に警戒し、F-100戦闘機によるゼロ-ゼロ離陸、車両上にブースター装備の戦闘機を搭載し、滑走路以外から離陸させる研究を真剣に行っていました、短距離離陸能力は大きな評価点であった訳です。

 西ドイツ空軍が短距離離陸能力を極端に考慮した背景に、自衛隊よりも遅れた西ドイツ連邦軍の創設と共に東西ドイツ国境を接して大量の東側航空脅威があった点、そして第二次世界大戦の緒戦にドイツ空軍がソ連空軍を奇襲し、丹念に検証した結果でも実に3000機もの航空機を破壊した実例から、逆に奇襲を受ける警戒が大きかったという点がありました。

 スイス空軍がG.98J-11を評価した背景には、小型化に難渋した国産戦闘機開発という背景があります。スイス空軍は永世中立国として独自の兵器体系を構築し第三国の影響を受けない事を国是としていましたが、戦闘機開発への技術に難渋しました。1948年からジェット戦闘機開発に着手し、四発戦闘機という奇抜なN-20エイグイーロン戦闘機を開発します。

 スイス空軍はN-20エイグイーロン戦闘機を四発とすることで滞空時間を延伸し航空攻撃による基地機能喪失に備えると共に対地攻撃能力を付与させようとするも、使いにくくP-16戦闘機を開発しました。しかし技術的問題から開発が長期化する最中に各国での技術開発が進み陳腐化、結果、山間部の小規模飛行場で運用可能なG.98J-11を注目した訳です。

 日本の場合は当時の航空基地が、米空軍が強化したものを除けば舗装8cm厚の滑走路が主体でした。当時のF-86F戦闘機は舗装8cm厚1800m滑走路で運用可能でした。しかし、F-104では舗装15cm厚2700m滑走路が必要であり、基地機能拡充という重い課題がのしかかった訳です。対して、G.98J-11はF-86Fの設備でも運用可能であったとされています。

 海上自衛隊の対潜空母導入研究に併せて航空自衛隊次期戦闘機選定にG.98J-11が挙げられたとは、推測する事は出来ますが説得力がない、それならば完成し実績があったF-8クルセイダー戦闘機等が候補に挙がっていた方が自然である、と。他方、興味深いのはこの時期、もう一つ自衛隊において航空母艦導入の可能性を示唆する装備計画が進んでいました。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【イギリス下院総選挙2017】メイ首相敗北,与党保守党過半数割れ EU離脱交渉への影響必至

2017-06-09 21:19:56 | 国際・政治
■イギリス下院総選挙2017
 イギリス下院総選挙2017速報記事です。イギリス保守党が議席数を減らし過半数を割りました、EU離脱交渉本格化前の歴史的出来事です。

 イギリス総選挙下院650名、テリーザメイ首相がイギリスのEU離脱交渉の方向性を決めるとして前倒しで実施しましたイギリス議会下院総選挙、日本時間今日の開票の結果が出ました。与党保守党は議席を減らし、過半数を維持できませんでした。ただ、保守党第一党を維持しており、野党第二党も過半数を獲得できたわけではなく、半数議席を握る政党がない“宙吊り議会”という状況となります。イギリス議会は二院制ですが、イギリス上院は終身議員による貴族院で最高裁機能を果たすものであり、下院議会の位置づけは非常に大きいのです。

 与党保守党は改選前の330議席を維持できず317議席へと転落しました。最大野党の労働党は改選前229議席から議席数を伸ばし261議席を獲得します。スコットランド民族党は改選前54議席を35議席へと減らしており、自由民主党は改選前9議席を12議席へと伸ばしました。なお、イギリス独立党は改選前0議席ですが選挙後も現在のところ0議席のまま、残り2議席の開票作業が進められています。

 EU離脱については、保守党とイギリス独立党が賛成を掲げ、EU離脱反対を掲げるのは労働党と自由民主党及びスコットランド民族党です。結果、保守党が過半数を割り込み、EU離脱を掲げる他の政党が議席を獲得できなかったことから、下院議会ではEU離脱反対派が過半数を維持している事となります。ただ、EU離脱交渉は既に数週間を経て本格化するため、保守党は少数与党として政策ごとに野党と調整するか、EU離脱反対政党と連立与党を組み、イギリスへ有利な通商条約等の締結を念頭とした離脱交渉を進めなければなりません。

 メイ首相は第一党を維持できた意義を強調し、第一党としての責務を強調しました。イギリス保守党が維持できた議席数は314議席、下院議席数650議席の過半数は325議席で、過半数に12議席及ばなかったため、今後の議会運営において保守党は野党との連立内閣や妥協などを必要とします。ただ、イギリスは連合王国であり、議会登院を拒否している北アイルランドのシンフェイン党が議席を有している事から、実際の過半数は323議席程度です。しかしそれでも保守党の議席数314議席は足りません。

 EU離脱の方針を画定する事が目的として前倒しの総選挙となりました。これはEU離脱を掲げる保守党支持率の高い時期に敢えて前倒し選挙を行う事で、過半数を維持し、この中でもハードブレクジット、通商交渉などでのイギリスへ有利な内容を維持するための長い交渉ではなく、短期間で確実に離脱する事を重視する基盤を確保する事が目的でした。しかし、結果は少数与党に転落する事となり、メイ首相への求心力の低下、そして今月中旬から本格化するEU離脱交渉への影響等が考えられるでしょう。

 投票に影響を及ぼした要素の一つがテロ対策です。EU離脱に関する当初の楽観論が大きく外れた事は最大の保守党敗北要員、具体的には労働党への支持が集まった背景と云えますが、併せてメイ首相の内務大臣時代に治安関係予算を削減し警察官などを縮小した事がイギリス国内において三か月間に三度ものテロ事件を許したとの解釈があります。保守党は労働党もテロ対策法案に反対したと抗弁しましたが、警察官の不足によりテロ容疑者の充分な監視体制を維持できなかったとのロンドン警視庁発表が有権者を動かしたのでしょう。

 メイ首相は下院議員、枢密顧問官、内務大臣、と保守党の要職を経て第76代イギリス首相に就任しました。第一党を維持したことを強調するメイ首相ですが、過半数維持を念頭に前倒しした選挙での過半数割れは責任を回避する事は出来ません。この為、既に野党労働党のコービン党首はメイ首相が求心力を失っているとして辞任を要求しています。2016年のEU離脱の可否を問う国民投票の結果、保守党でEU残留派のデーヴィッドキャメロン首相が辞意を表明し実施された臨時保守党党首選を経てメイ首相が就任しました。

 保守党は再度首班選挙を行う必要が生じるのか。キャメロン首相の後任を選んだ2016年の保守党党首選ではテリーザメイ内務大臣、アンドレアレッドサムエネルギー大臣、マイケルゴーヴ 法務大臣、スティーブンクラブ 雇用年金大臣、リアムフォックス元国防大臣が候補者となりました。また、保守党のEU離脱論を先導したボリスジョンソン前ロンドン市長は立候補していませんが、外務大臣に指名されEU離脱交渉に当りました。仮に再度保守党党首選を行う場合は、この顔ぶれが再度立候補するのかもしれません。

 ハードブレクジットですが、今回の過半数割れを以て確実に言える事はメイ首相が主導し、保守党部内でも賛否両論があるハードブレクジットについて、強行する事は極めて難しくなった、という事です。議会での多数派を獲得できませんでしたし、EU離脱は確定しているものの、離脱後のイギリス経済と欧州との協調関係を維持するソフトブレクジットの論調への支持も依然として大きく、ハードブレクジットの牽引車であるメイ首相には厳しい結果となりました。

 イギリスは財政難に在ります。特に経済振興策や社会保障の財政負担が限界を超えた事で、EU離脱の論調原点にも厳しい財政状況の中で、EU域内からの安い労働力の流入やEU規制による競争力の阻害、また、事実とは言い難いのですが分担金の負担、分担金を負担する分の補助金を受けている為に言われるほどの負担ではないのですが、この負担を回避する事で経済の活性化や社会保障の強化等が望まれており、逆にこの離脱論の根拠となったほどの経済的な利点が実際の離脱交渉を開始した際に、実は困難な選択肢であることが精査し判明した事で、離脱論の求心力が決定後に失われています。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成二十九年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.06.10/06.11)

2017-06-08 23:40:00 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
ロンドンテロ発生とイギリス下院総選挙、大洗放射線事故等時事が騒然とする中、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末はイギリス情勢を特集するべく行事紹介を前倒しとしました。

大和駐屯地創設61周年記念行事、第6戦車大隊と第6偵察隊が駐屯する宮城県黒川郡大和町吉岡西原の駐屯地です。第6戦車大隊は間もなく、第6師団への機動連隊新編に伴い16式機動戦闘車の配備を受け、74式戦車を運用の戦車大隊そのものの廃止が見込まれています。機動連隊以外の普通科連隊支援へ戦車は必要ですが、これを含め自衛隊改編の行方を見極める行事の一つ。

岩手駐屯地創設60周年記念行事、第9師団隷下の第9特科連隊及び第9高射特科大隊に第9戦車大隊、そして第10施設群第387施設中隊が駐屯する岩手県滝沢市後の駐屯地です。元々は地区施設隊の駐屯地でしたが1970年に第9戦車大隊と第9対戦車隊が八戸駐屯地から移駐し拡充されました。第9師団は冷戦時代青函地区防衛を担う本土で最も重視され重装備も優先されました。

大湊基地・大湊航空基地マリンフェスタ二〇一七、北海道と東北沿岸を防衛警備管区とする海上自衛隊大湊地方隊のマリンフェスタです。大湊航空基地は隣接し第25航空隊が展開しており、マリンフェスタでは護衛艦や掃海艇等の艦艇一般公開や飛行展示、航空機地上展示などが行われ、当日には先着順の支援船による陸奥湾クルーズ等も予定されています。

加茂分屯基地開庁記念行事、三沢基地の分屯基地で北部航空警戒管制団第33警戒隊が展開する日本海側のレーダーサイトです。J/FPS-3改レーダーを運用しており、ロシア機の日本海南下飛行や北朝鮮弾道ミサイルへ警戒を担います。秋田県男鹿市男鹿中滝川に所在し、JR東日本の男鹿線羽立駅からかなり離れています。レーダーサイトは概ね厳しい立地に在る印象ですね。

横須賀YYのりものフェスタ二〇一七、海上自衛隊行事ではありませんが横須賀のりものフェスタに併せて会場となるヴェルニー公園とJR東日本横須賀駅に隣接する横須賀基地も一般公開されます。会場には三笠公園も併せて横須賀市内が広く会場として賑わいます。横須賀が舞台のアニメーション、ハイスクールフリートOVA発売という時期でもあますね。

さて撮影の話題、タクシーについて、都内では1kmまで440円と電車並みに安くなり料金改定により短距離の利用客を開拓するべく利便性を向上させた、との事、タクシーをどのタイミングで使うのかという事が自衛隊行事の一つの分水嶺となります。東京都では1.7kmまでが値下げとなりますが、逆に6.5kmを超えると割高になるという料金改定を行ったということでした。

航空祭等、シャトルバス待ちに一時間前後を要する状況となればそのまま駅前で並びバスを待つよりは、一挙にタクシーにより躍進距離を稼いでしまった方が、そもそも節約するために遠出したのか、飛行展示を撮影するために遠出したのか、という、原則論に立ち返って移動手段を考えますとタクシーというものはそれほど遠くなければ選択肢の一つです。

百里基地航空祭の様に最寄駅から15km離れた場所まで大渋滞が続く場合は少々勇気が要りますし、小松基地航空祭の様にタクシーそのものが大行列が並ぶ場合にはさらに一歩基地まで4kmを歩いた場合の方が早い可能性があり、状況次第ではありますが、浜松基地航空祭等、大都市の基地でタクシーに余裕がある場合はその利便性を実感できるでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・6月10日:大湊基地/航空基地マリンフェスタ二〇一七…http://www.mod.go.jp/msdf/oominato/
・6月11日:岩手駐屯地創設60周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/9d/
・6月10日:加茂分屯基地開庁記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/nacw/hp/gp_sq/p33/history.html
・6月11日:大和駐屯地創設61周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/taiwa_hp/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都発幕間旅情】滋賀縣護國神社、東近江は彦根藩と彦根城址の数奇な歴史と共に歩む

2017-06-07 23:48:19 | 旅行記
■彦根城址の滋賀縣護國神社
 彦根と云えば彦根城、その天守閣の優美と機能美は世界へも誇れる近江の至宝ですが、この城址には滋賀縣護國神社が静かにこれまでの歴史と明日を見守っています。

 滋賀縣護國神社、彦根城を見上げる彦根市尾末町に位置する神社です。日曜日にブルーインパルス彦根城410年祭飛行展示を行いまして、彦根市内は大変な人出でした。なにしろ京阪神地区から新快速長浜行で一本、中京地区からも新快速を米原乗換で一駅ですから。

 彦根城410年祭に進出しながら、余りもの人出で天守閣へは登れなかった、という方も多いのではないでしょうか、当方も大群衆が帰路に就いたのちの時間帯へお城を久々に拝見しようと思いつつ、何しろあれだけの人出では彦根駅からお城へと進むことが出来ません。

 国宝天守閣は次の機会に改めて、と思われた方の多くが彦根との御縁を期して参拝されたという場所が滋賀縣護國神社、成程、自衛隊装備品展示が行われブルーインパルスという我が航空防衛力が上空で妙技を披露した御縁で滋賀縣護國神社、縁、というものと感じる。

 護國神社には殉国の兵士たちを祀ると共に、軍馬や軍用犬と伝書鳩の銅像が国家と国家という人間と人間の社会が激突する無関係な事態に巻き込まれた物言わぬ同胞たちも併せて祀っています。そして多くの遺族会が寄贈した柱が、19世紀から20世紀の激動を物語る。

 戊辰戦争から第二次世界大戦までの滋賀県出身戦歿者を祀っている滋賀縣護國神社、彦根駅から井伊直政の騎馬銅像を拝し、お城へと歩みを進めますと歴史街道、江戸幕府大老として国難に立ち向かい開国の決断と内政引締めの末に殉じた井伊直弼所縁の遺構等が並ぶ。

 彦根藩ですが意外にも大政奉還後にあって徳川譜代筆頭という重鎮ながら新政府側に藩論を転向させてしまいました。井伊の赤備えが泣きそうな実話でして、戊辰戦争では家老の岡本半介こそ幕府軍に呼号し大坂城守備に当りますが彦根藩主力は京都東寺を動きません。

 関ヶ原の戦いでは東軍の雄として井伊直政が徳川本陣に参陣していますが、歴史は江戸時代を経て幕末に大老を排出した彦根藩も、明治政府軍の一員として大垣侵攻の先鋒を担うとともに、小山や本宮を転戦し、果てはかの新撰組近藤勇捕縛という勲功を挙げています。

 井伊35万石、井伊家は伯爵となり元彦根藩主井伊直憲は華族に列し、御家は守る事が出来たのですが、旗本八万旗、という平時に維持費がかかるものの戦時に役に立たない無駄の代名詞という言葉を更に進め、旗本八万旗、徳川譜代筆頭転向という歴史を残してしまう。

 歴史の背景では、桜田門外の変にて大老井伊直弼が暗殺され藩主井伊直弼が志士を名乗る徳川御三家水戸藩士に討たれるという事態、その後の井伊直弼の政敵が幕府の権力を握るという状況に転じ、彦根藩は藩論を統一して官軍となる決断を一致して決めたといいます。

 明治9年西暦1876年に入り、元彦根藩主井伊直憲が戊辰戦争彦根藩士たちを護国の英霊として祀る決心をし、ここに神社を建立しました。明治政府は各地の城郭へ廃城令を発し破壊売却を進めていますが実はこの神社建立は結果的に天守閣を今日へ護ったのでしょうか。

 戊辰戦争小山の戦いでは彦根部隊2000の先鋒を務めた小隊長青木貞兵衛頼実が弾薬を撃ちつくし白兵戦闘に転じ全員戦死しました。官祭彦根招魂社として始まりました神社の歴史は昭和に入り、境内拡張工事が行われました。戦後一時進駐軍の干渉を受けるも今に至る。

 明治天皇巡幸に拝しました明治11年10月、彦根通過の折に城郭を見上げ、城の保存を命じた事で城郭が守られる転機となりました。廃城令は全国で相次ぐ反乱等の際に城郭を籠城等へ利用させぬという防衛上の配慮があった為、保存の勅令というべき配慮は奇跡です。こうした複雑な歴史を経て彦根の街並みは今に至ります。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巨大災害,次の有事への備え 13:南海トラフ地震、3.11型十万名動員とネットワーク型部隊

2017-06-06 20:41:02 | 防災・災害派遣
■新しい災害派遣の模索
 東日本大震災において自衛隊は10万名を動員し災害派遣に当りましたが、これからの防衛力は共同交戦能力と量から質への転換を期するネットワーク型防衛力へ転換し、人的動員力の意味は変容してゆくでしょう。

 第一線部隊と災害派遣の在り方について。東日本大震災を例に取れば、先進国において二十四時間のうちに一万数千の人命がうしなわれ、数万の人命が危機に曝される状況というものは中々21世紀には考えられるものではありません、例えば比較できるものではないにしろ、アメリカ同時多発テロの犠牲者の八倍という人命が失われた訳です、この一点から、大震災の脅威度が明白です。

 南海トラフ巨大地震は、東日本大震災以上の規模の巨大地震が京阪神中京地区という我が国人口密集地域を巨大地震と共に巨大津波が襲うとの想定であり、東日本大震災の救援拠点となった後方策源地、大都市圏が被災する事は、被災地を支える拠点が同時に喪失する事となる訳です。これは国家的災害、危機と云わざるを得ない被害を及ぼすことでしょう。

 自衛隊の災害派遣、自衛隊の第一任務は外敵からの国家国民の防衛に在ります。一つの視点からは、災害派遣任務は自衛隊の第一任務ではない為、主力を投入すべきではない、という視点があるのですが、上掲の通り南海トラフ地震の想定被害は国家危機であり、外敵からの国家の防衛が第一任務としても、災害により国家が破綻しては意味がありません。

 しかし、近年の陸軍組織の専門組織化は、人的充実よりも専門領域の深化とともに装備品の高度化へと指向しています。即ち、旧態依然たる師団よりも近代化された旅団、という意味であり、マンパワーよりも専門職を求める傾向が生まれる訳です。端的な事例は、冷戦時代のトラック機動の普通科部隊と軽装甲機動車主体の普通科部隊、との比較でしょう。

 73式大型トラック、現在の3t半トラックは24名の普通科隊員を輸送可能で、二両あれば一個小隊を必要な個人装備と共に輸送出来る訳です、1/4牽引車を牽引して燃料やその他物資を輸送しても良い。しかし、現在の軽装甲機動車は1個小隊を輸送するのに7両が必要となりますので7名の操縦士と7名の車長が必要となります、無論整備負担も大きくなる。

 軽装甲機動車を運用する現在の普通科小隊は、冷戦時代の小銃班よりも人員を縮小した編成を採用していますので、マンパワーという意味では後退している訳です。すると、車両整備や運転要員の増大や燃料補給所要の増大等を含め、人員が多数必要となる災害派遣においては、近代化されや普通科部隊のポテンシャルはどうしても低下せざるを得ません。

 近接戦闘を考慮した場合、3t半トラック機動の普通科小隊と軽装甲機動車小隊とは能力は比較になりません。電源が数時間で消耗する広帯域無線機一つとっても車両から充電するには、機械化する必要がありますが、トラックは大型過ぎ、競合地域に入る以前に下車展開する必要がありますし、機銃や対戦車火器の機動運用でも根本的に機動力が違います。

 先進国では災害派遣の主力は軍隊では州兵や予備役部隊等、地域に密接に関係する所謂第二線部隊であり、任務は瓦礫除去や輸送支援等に限られると共に、人命救助は専門訓練を受けたレスキュー隊等の任務である、これはとある著名な軍事評論家のお言葉でした。個人的には、日本の災害規模を考えれば、災害派遣は総力戦という認識で納得できません。

 しかし、災害派遣には専門訓練が必要で、軍事機構の訓練体系でも第一線救護や捜索救難とで応用できる分野は多々ある事は確かです。一方で、機械化部隊や情報共有という戦闘任務の専門家は必然と人員規模を縮小させてゆく事でマンパワーに限度が生じる事も、やはり確かなのです。すると災害派遣の認識というものを転換すべきなのかもしれませんね。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジア安全保障会議シンガポール二〇一七,北朝鮮核開発対処の一致と南シナ海問題の混迷

2017-06-05 23:45:19 | 国際・政治
■国際協調阻む手段の平和主義
 平和を目的では無く手段と取り違える事で日本は平和憲法により結果的に国際社会から孤立する、アジア安全保障会議での印象です。

 シンガポールで開かれているアジア安全保障会議、2日から3日間の日程で開催されましたが、北朝鮮核開発問題での関係国の一致はありましたが、中国による南シナ海海洋占領問題については、アメリカの関与自制措置と共に諦観の動きが顕著となりつつあります。そして諦観とは、現在の異常な海洋占有の状況が日米豪の主導権を日米が敢えて積極姿勢に出ない事から

 日本は平和憲法により結果的に国際社会から孤立する、という可能性は主権者の望むところなのか、今回考えてみたいのはこの点についてです。安全保障協力において我が国は友好国との関係を一線を越えない範囲において完全に断ち切っています、具体的には防衛協力という部分で国家の存亡を左右する状況では日本は平和憲法により関与できない、という姿勢を堅持しているわけです。

 国家の命運を左右する状況では協力できないが、それ以外の分野では協力関係を深める、という姿勢は明らかに安全保障への施策として不安要素を持ち、結果的に地域的安全保障枠組みなどの展開を制限してしまう形にほかなりません。憲法は98条に国際協調主義を掲げていますが、例えば日米間の安全保障条約に準じる水準の包括安全保障協力協定などを諸外国と締結する場合、その一歩進んだ安全保障協力へ防衛協力を盛り込む施策が憲法9条により制約されてしまうわけです。

 憲法判例では憲法は最高法規という位置づけですが、条約の優位性が先んじる場合があるとした内閣法制局解釈が現在、最高裁判所から統治行為論として政治問題の授権を受けた解釈となっています。平和憲法と国際協調主義の対立、そもそも1956年に事実上の集団安全保障機関である国連へ日本が加盟した時点で解決すべき命題でしたが、国連加盟から51年を経てまだこの問題について我が国は明確な姿勢を示していません。

 憲法が憲法9条の平和主義を教条主義的に固守した場合、有事の際にはどうなるのか、これは古く新しい議論です。しかしそもそも憲法とは国家の構造を示すと共に人権を提示している訳で、平和的生存権を享受する権利はあっても平和政策の犠牲を国民が受任する義務ではない訳です。平和主義と不戦の誓い、それでは有事の際の国民の生存権はどうなるのか、有事の際に攻撃され破壊される財産権はどうなるのか、有事の際には憲法が事実上機能しない、という状況を醸成しているといわざるを得ないでしょう。

 ただし、この部分については司法府は統治行為論、として政治問題であることは司法が判断することではない、と行政府に判断の権限を授権していますので、平和主義の範疇でも行えることはあります。現行憲法では軍隊ではないが自衛隊は保持できていますし、長沼ナイキ訴訟地裁判決の一回をのぞき、地裁高裁最高裁は自衛隊違憲の判決を出していません。

 それでも、周辺国との安全保障協力を進める際に、その線引きが毎回日本の司法府にゆだねられる、という状況では防衛協力を進めたとしても一定以上の深化は望めません、それは土壇場になって日本からの支援が遮断される可能性があるためです。除籍の余剰航空機供与、中古艦船の貸与、将来的には用途廃止となる陸上防衛装備の第三国貸与という選択肢も開拓される可能性はありますが、これだけでは不十分です。

 自衛隊法改正により中古装備の貸与が可能となりますが、捨てている装備は貴重なものが多い、ゆうしお型潜水艦に潜水艦はるしお型の除籍、はつゆき型護衛艦等は外洋航行可能な水上戦闘艦や比較的新しい潜水艦として今なお大きなポテンシャルを持ち続けつつ除籍されています。L-90機関砲などは170セット導入し、陸上防空の主力を担いましたが自衛隊ではミサイルへの転換によりあっさりと用途廃止されました、レーダー管制方式の近代的な戦術防空システムで、この廃棄は諸外国からは勿体ない、の一言に尽きるでしょう。

 勿体ない、とは。FH-70榴弾砲も自走砲並に高性能だが自走砲並に高価であったとして開発された欧州では普及しませんでしたが自衛隊は479門も調達しました、これとて廃止していますが第二次大戦型火砲さえ残る諸外国からは沿岸防衛に喉から手がでるほど欲しい装備でしょう。陸上装備は74式戦車は古すぎますが、10式戦車の配備と共に90式戦車の除籍が遠からず始ります、これとて第二世代戦車しか持たない諸国からは切望する装備の一つ。

 防衛協力は現在の水準を多少進めても不十分、こういいますのも、我が国内における日米安全保障条約不信論に繋がる視点で、この論点はアメリカは万一の際に日本を見捨てるのではないか、という同盟国への不信論が日本には少なからずありますが、一方、相手国の立場となれば戦争をせず軍隊を持たない国が防衛協力を持ちかけ、最大限の信頼を日本へ託すことができるか、という視点です。

 日本の世論でさえアメリカの有事の協力を万全の信頼が出来ないという声があるのですから、日本が防衛協力を進めつつ、軍事力を背景とした現状変更を許さない有志連合の醸成を試みたとしても、日本の協力に万全の信頼を寄せるという選択肢には無理があります。東南アジア諸国が中国の軍事圧力と経済的牽制を背景に主権を維持する事と衛星国への転落の選択肢を限られた場合、妥協の結果は様々な施策があり得る、ということ。

 日本国憲法により日本は世界から、特にアジア太平洋地域から孤立する可能性はあるのですが、主権者としての我々は、名誉ある孤立として周りの国からの孤立をこれからも強く支持してゆくのでしょうか。安全保障環境が緊迫度を増すなか、考えねばならない視点の一つです。勿論、周辺国と強調し友好関係を維持する事は重要ですが、軍事力の大きな国による現状変更を看過しては誤った外交意志と相手国に取られかねません。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーインパルス彦根城410年祭祝賀飛行(2017-06-04)EOS-M3/KeyMission80撮影速報

2017-06-04 23:02:30 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■千歳・彦根間1574km機動展開
 本日彦根へ、東千歳駐屯地の千歳駅から彦根城の彦根駅まで鉄道ならば1574kmの距離を転進し撮影して参りました。

 ブルーインパルス彦根城410年祭祝賀飛行、彦根に行ってまいりました。東千歳駐屯地祭の土曜日から大きく転進し、多くの方が真駒内駐屯地第11旅団祭へ展開する中の当方は彦根城展開、いやあ彦根城は東千歳駐屯地とは比較にならない程の桁違いに大混雑でしたね。

 国宝彦根城、複合式望楼型 三重三階天守閣を冠する連郭式平山城の彦根城は時代劇にて数多の城郭役を演じ広くその威容が親しまれた城郭界の名優です。この彦根城、築城410年を迎え、今年一杯記念行事が行われます。そして本日、ブルーインパルスが飛行展示です。

 彦根へは京都から新快速で45分、ですが物凄い混雑と熊本での経験から今回は敢えて車両展開としました。航空祭では渋滞に巻き込まれ確実に夜明け前の進出以外は禁忌の車両展開ですが、今回は航空祭とは事情が異なります、多くが登城するため敢えて離れるべき。

 ブルーインパルスは先々月の四月に熊本地震復興祭にて熊本城上空を飛行しました。当日は第8師団北熊本駐屯地祭を撮影しました為、熊本城とブルーインパルスは巡りあえませんでしたが、予行撮影情報から熊本城二の丸跡地等では近過ぎ撮影できなかったとのこと。

 徳川四天王の一翼を担う井伊直政は関ヶ原会戦の軍功を得て近江の緊要地形にあたる近江国北東部佐和山城に入城しました。しかし佐和山城は西軍総大将石田三成居城であり、併せて立地が戦時を想定した居城、行政施設としては不向きの立地に在った事は否めません。

 井伊直政、平時の城郭は軍事上の要所における行政拠点たるべきとの視点から琵琶湖岸へ移駐させる決断を下しますが、関ヶ原会戦での銃創は癒えず、江戸幕府開闢前年の1602年にこの世を去ります。しかし、徳川家康の格段の配慮もあり、城郭造営は為されました。

 彦根城の美しい城郭を撮影するには何処が良いのか、第一案は彦根駅米原方面東海道本線線路上跨線橋橋梁上、ですが、ここは特設駐車場からは近いものの付近に中層建築物及び電線が散見され、やや及第点、すると一番の好立地、歴史的にみて佐和山城付近しかない。

 撮影への展開、新快速を利用せず車両展開で正解だったかもしれません、彦根駅は出場制限するほど京阪神地区と中京地区から新快速が観光客を輸送、当然普通列車も満員御礼の航空ラッシュ、米原駅も新幹線乗換と彦根駅乗降不能との状況にて大混雑だったようです。

 佐和山城は当初案で検討したものの当方は距離大として難色を示していたところですが、現地機動巡察、正確には撮影地探し右往左往の結果で好立地と判断し、特設駐車場から若干距離がありますが佐和山方面、登頂は時間が足りず国道8号線沿い高台に展開する事に。

 彦根市役所付近より市街地上空のブルーインパルスを撮影する事も検討しましたが、市内の大混雑を実際に目の当たりにしますと難しさを痛感し、彦根城登頂はブルーインパルス撮影時間以外でも今日一日難しそう、佐和山城址から彦根城を眺める、歴史を感じますね。

 ブルーインパルスは佐和山城址上空での展示も行われ、結果的に正解でした。城郭とブルーインパルスの撮影は距離を置く、熊本城ブルーインパルス撮影も熊本城と九州新幹線を眼下に収める熊本本妙寺の本妙寺浄池廟高台からが適地であったという事を思い出します。

 ブルーインパルス彦根城410年祭祝賀飛行、本日は快晴に恵まれました。航空祭程の展示内容ではありませんが、築城410年城郭上空を航空自衛隊の展示飛行、中々興味深い情景を撮影する事が出来た。最後になりましたが現地で御一緒の皆様ありがとうございました。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第7師団創設62周年記念東千歳駐屯地祭(2017-06-03)Key Mission80撮影速報

2017-06-03 23:55:50 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■最強!日本唯一の機甲師団祭
 最新鋭10式戦車が第71戦車連隊へ配備開始、東千歳駐屯地創立63周年記念行事へ本日、行ってきました。

 第7師団創設62周年記念東千歳駐屯地祭Key Mission80撮影速報、本日東千歳駐屯地へ展開しまして、千歳空港からつい先ほど戻りましたので、本日掲載予定でした“日本DDH物語”をお休みしまして、第7師団創設62周年記念東千歳駐屯地祭速報記事を紹介します。

 機甲師団、第7師団は日本唯一の機甲師団として1981年に第7師団を機械化師団編成から改編し誕生しました。北海道はソ連本土から指呼の距離にあり、着上陸の蓋然性は必ずしも低いものとは言えません、逆に自衛隊の万全の準備が有事そのものを抑止したといえる。

 北方の脅威は冷戦終結と共に大きく減退したことは確かです。しかし、ソ連崩壊がロシアに平和を齎した結果ではなく経済崩壊に伴い軍事力が維持できなくなっただけであり意志は崩壊しない、故に黒海沿岸や東欧に中東、ロシアは経済再建後に積極姿勢に出ました。

 戦車に機甲火砲に装甲車両が視界を広く埋め尽くす光景は日本にもこれだけの戦車があったのかとの新鮮な驚きと共に、平和国家日本の平和を維持し国民の平和的生存権を護り日本の平和主義を敵対勢力が悪用する事を許さない国家の無言の決意が見て取れるでしょう。

 東千歳駐屯地は新装備の実験場である。これは当方の撮影機材を示します。2012年にCANON-PowershotG-12を一眼レフの支援器材としてレリーズにて同時撮影するというWeblog撮影速報用写真の撮影方法を試験し成功しました。PowershotG-16へと続きました。

 新装備NIKON Key Mission80、今回撮影に用いたのはウェアラブルカメラの新型で自動撮影が可能というものです。ルート撮影機能として一定間隔で記録する機能があり、旅行や冒険探検にて使用者に装着し自動撮影するもので、この実験場に東千歳を選んだわけです。

 撮影機材としてのNIKON Key Mission80は30秒おきに撮影するルート撮影機能は果たして撮影時機を確実に記録できるかは不安要素でしたが、写真を見ての通りある程度の自動撮影は成果を収める事が出来ました。CANON-PowershotG-12程ではありませんが、ね。

 10式戦車の配備が開始されましたが、既に90式戦車で充足した戦車部隊、戦車に随伴し戦闘を支援する近接戦闘部隊と戦闘支援部隊の89式装甲戦闘車に73式装甲車、砲兵火力で敵を叩き潰す99式自走榴弾砲、空からの脅威に備える87式自走高射機関砲等、勢揃い。

 重装備は過去の物、という発想はフランスが全ての師団を旅団化しドイツ軍が猛烈な勢いで戦車を削減した十年前では通じたかもしれませんし、ロシアのウクライナ危機介入やシリア介入と北方領土要塞化の着手前という、五年前でも辛うじて説得力を持ったでしょう。

 しかし、ドイツ軍はロシア脅威へ対抗するべく戦車増強路線を提示し、フランスは2016年に機甲師団を2個再編しました。オランダが全廃した戦車の復活を決定し、戦車廃止計画を撤廃し維持の方針を示したイギリス、重装備維持が必要な国際情勢となってきた訳です。

 師団の編成は、戦車連隊が第71戦車連隊に第72戦車連隊と第73戦車連隊の三個、普通科連隊である第11普通科連隊は完全装甲化、第7特科連隊は自走榴弾砲の最新型を揃える機甲砲兵、防空の傘は第7高射特科連隊の連隊編成、これだけでも圧巻の規模と云えます。

 機動打撃を支える機甲師団は、偵察隊にも90式戦車が装備され本土の旅団戦車中隊に伍する規模です。通信大隊も装甲車で充足され通信搬送も防護、施設部隊も戦車を密接に支援するべく装甲化、後方支援部隊にも支援へ装甲車両が配備されているのだから規模は凄い。

 90式戦車が横五列に並べば50tの戦車が5両で実に250t、機甲師団の観閲行進は各種車両350両が参加する為に高速で疾走しなければ時間を要するため、しかし、高速で250tの一群が大群で進む様子、富士学校でも東北方記念行事でも北熊本や旭川でも見られません。

 観閲行進に続いて実施される訓練展示模擬戦ですが、北部方面隊の訓練展示は、旭川と東千歳については敵を撃退するのではなく押し潰す、という迫力と戦力の誇示に驚かされます、分りやすく云うならば、これだけの重装備があれば、守りは万全だろう、ということ。

 訓練展示は敵機甲部隊の侵攻に対し、第7師団がこれを撃破する、基本的な枠組みはこの通りです。しかし、戦車部隊を中心とする偵察隊が敵の状況を把握した上で戦車連隊が普通科連隊と協同し、特科部隊の支援と高射特科部隊の掩護を受けつつ、という規模が凄い。

 空包戦、というものではあるのですが特に施設大隊は地雷原処理車がロケットを実射しますし、白燐弾による煙幕の展開は富士総合火力演習を思わせるものです。富士総合火力演習の様に実弾射撃が行われないのですが展開する戦車と装甲車両はこちらの方が多数です。

 北海道は本日雨天の予報が出ていましたが、幸い朝には恵庭岳が千歳駅前から一望できるほどに好天に恵まれ、その後徐々にかわり式典は曇天となりましたものの雨天とはならず、戦車連隊を率いる機甲師団の迫力は悪天候さえ叩き返した、といえるところでしょうか。

 こうしたかたちで、第7師団創設62周年記念東千歳駐屯地祭の撮影を完了しました。今年の東千歳駐屯地祭は、先週千歳市で選挙がありまして、この関係で一週間遅れたとの事でした。駐屯地は思ったほど混雑しておらず、JR北海道の特急等を撮影し帰路に就きました次第です。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成二十九年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.06.03/06.04)

2017-06-02 19:59:24 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
六月となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末の行事紹介です。

第7師団創設62周年記念東千歳駐屯地祭、陸上自衛隊唯一の機甲師団として1981年に機械化師団から改編を受けた第7師団の創設記念行事です。北海道千歳市の東千歳駐屯地に所在し、最新鋭10式戦車、90式戦車、89式装甲戦闘車、99式自走榴弾砲、96式自走迫撃砲、87式自走高射機関砲、自衛隊を代表する重装備はロシア脅威への無言の圧力です。

第9師団創設55周年記念青森駐屯地祭、東北北部および青函地区南部の防衛警備及び災害派遣を担当する第9師団の創設記念行事です。冷戦時代は本州で最も着上陸脅威が高かった事から、FH-70榴弾砲の優先配備や戦車大隊規模の強化等、本土師団では北海道に並ぶ高い装備優先度を有した部隊です。先日まで南スーダンPKOへ要員を派遣していました。

第11旅団創設9周年記念真駒内駐屯地祭、道南地区の防衛警備及び災害派遣を担当する旅団です。札幌市内に旅団司令部を置き、第11師団から受け継いだ広大な真駒内駐屯地は地下鉄真駒内自衛隊前駅前という好立地にあります。戦車大隊の90式戦車や特科隊の99式自走榴弾砲に普通科連隊へ96式装輪装甲車等を揃える旅団行事の迫力はなかなかのもの。

第1施設団創設56周年記念行事古河駐屯地祭、東部方面隊の方面施設部隊として位置付けられ、隷下に第4施設群と第5施設群及び第101施設器材隊や第301ダンプ車両中隊、第306施設隊に第307施設隊等が古河駐屯地の他、高田や駒門、座間や宇都宮、松本に駐屯させています。団行事という事もあり、隷下部隊が一堂に会する様子が見られるでしょう。

府中基地開庁60周年記念行事、航空総隊司令部が置かれていたことで知られる基地です。現在は航空総隊司令部が新設の航空自衛隊横田基地へ移駐した為、新たに航空開発実験集団司令部が移駐、また、航空支援集団司令部や航空気象群と航空保安管制群、航空防衛を支える土台というべき部隊の司令部機構が並び、一般公開は何が行われるか楽しみですね。

奈良基地航空自衛隊幹部候補生学校開庁記念行事、航空自衛隊幹部候補生学校の記念行事です。奈良県唯一の自衛隊基地で奈良県では現在駐屯地誘致運動を進めています。基地には滑走路はありませんが、航空自衛隊幹部候補生の式典や観閲行進を行い、更に基地上空へは岐阜基地等から飛来する戦闘機等の航空機が航過飛行し、装備品展示等も行います。

下甑島分屯基地開庁62周年記念行事、第9警戒隊が置かれるレーダーサイトで春日基地の分屯基地です。分屯基地は鹿児島県薩摩川内市下甑町に所在し、離島ですのでフェリーを利用して足を運びます。分屯基地最大の目玉はJ/FPS-5レーダー、通称ガメラレーダーです。弾道ミサイルの探知を期したレーダーでガメラの目はBMD統合任務部隊の目でもある。

大滝根山分屯基地開庁61周年記念行事、入間基地の分屯基地で第27警戒群のレーダーサイトです。標高1192mの大滝根山山頂にレーダアンテナを構えますが、所在する福島県双葉郡川内村は東日本大震災福島第一原子力発電所事故に伴う放射性降下物被害を受けました。実は大滝根山分屯基地は原発30km圏内にある唯一の自衛隊基地となっています。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・6月4日:第11旅団創設9周年記念真駒内駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/
・6月3日:第7師団創設62周年記念東千歳駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/7d/
・6月4日:第9師団創設55周年青森駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/9d/
・6月4日:大滝根山分屯基地開庁61周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/ohtakine/
・6月4日:第1施設団創設56周年記念行事古河駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/kogasta/
・6月3日:府中基地開庁60周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/fuchu/
・6月3日:奈良基地航空自衛隊幹部候補生学校開庁記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/nara/
・6月4日:下甑島分屯基地開庁62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/wadf/taicho/taicho/taicho113.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸上防衛作戦部隊論(第六二回):航空機動旅団、96式多目的誘導弾システムMPMS集中案

2017-06-01 22:10:26 | 防衛・安全保障
■96MPMSを空中機動
 陸上防衛作戦部隊論、第62回は対舟艇対戦車隊の集中運用と機動運用という視点についてです。

 陸上防衛作戦部隊論、前回までに普通科部隊と機動戦闘車に関する視点を提示しました。普通科中隊に対し軽装甲機動車を運用する中隊から小隊単位で一定数の装甲部隊を抽出させ、増強普通科中隊として中隊戦闘群を運用すべき、というもの。元々、本特集、広域師団、という試案は新防衛大綱画定に伴う戦車定数300両への削減を受けて提示しました。

 戦車が約300両という部隊規模では、全ての師団へ戦車大隊を配置し旅団へ戦車中隊を置くという選択肢は無く、それならば戦車という機動打撃力を包括運用する装甲機動旅団を、そして陸上自衛隊の重要な資産であるヘリコプターを、方面隊が隷下に有する方面航空隊を管理替えするというかたちで戦車を持たない軽装備の旅団へ集中、航空機動旅団とする。

 特集“陸上防衛作戦部隊論(第一回):師団旅団の現状と装甲機動旅団航空機動旅団案”を掲載開始したのは2015年4月20日、装甲機動旅団航空機動旅団案として2014年に提示した試案を改めて体系化したものです。装甲機動旅団という編成、前半の特集にて、戦車部隊を集中するもので、第11旅団を増強した程度の部隊を想定した部隊を提示しました。

 航空機動旅団、戦車とは根本的に異なる機動戦闘車の運用、前回はこの16式機動戦闘車をどのような部隊により運用するべきか、という視点から視点を提示しました。この16式機動戦闘車については前々回に、無理に普通科連隊へ編入せず、大隊隷下に二個中隊27両編成、機動砲大隊、可能であれば本部車両を含め30両編成とする、大隊案を提示しています。

 管理替え、防衛予算には現在、弾道ミサイル防衛と南西諸島への経空脅威増大、中国海軍の航空母艦建造という新しい脅威へ如何にして対応するのかという視点から、陸上防衛へは割ける予算が大きく制約されている中で、一部装備の調達は必要ながら現在陸上自衛隊が装備する装備を運用の集中と現実的な範疇での延命維持という方法論を重視しています。

 96式多目的誘導弾システムMPMS、今回からは既に制式化から20年以上を経つつ、しかし同等の装備はイスラエルのスパイクNLOS程度しか見当たらない、極めて高性能な、しかし調達計画の一点と、運用特性から限られた配備に留まった96式多目的誘導弾システムMPMSを、敢えて航空機動旅団へ集中装備させるという視点を提示し、検証してみます。

 96式多目的誘導弾システムMPMS、光ファイバー誘導方式の戦術ミサイルシステムとして世界で最初に開発に成功したもので、何よりも最大限の特色は大きな射程です。普通科連隊が展開する地域において重要地域、緊要地形などへヘリコプター空中機動により急速展開することで、半径10km圏内へミサイルによる精密火力支援網を構築する事が可能です。

 96式多目的誘導弾システムMPMSを旅団対戦車中隊へ装備する、この意味について。要点は戦術ミサイル網を空中機動、ということ。航空機動旅団はその保有する航空機としましてCH-47輸送ヘリコプターを最大限駆使するべく、独自の対戦車中隊を置くべきと考えます。具体的には対舟艇対戦車隊、輸送にはCH-47輸送ヘリコプター複数機を要しますが、96式多目的誘導弾システムMPMSを装備する事で、威力は変わる。

 射程が大きいMPMSは利点ばかりではなく、事実上間接照準射撃に近い運用を必要とする為、第一線とMPMSのデータリンク網、発見した目標情報を瞬時に共有する必要があるため、データリンクの普及以前は使いにくいものでした。中距離多目的誘導弾の配備へ転換しましたが、併せてMPMSは取得費用も大きかった為、多数が調達されていません。限られたMPMSだからこそ、機動運用が必要です。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする