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【くらま】日本DDH物語 《第十四回》自衛隊の次期主力戦闘機選定、F-104とG.98J-11

2017-06-10 22:33:28 | 先端軍事テクノロジー
■F-X艦載機G.98J-11
 航空自衛隊が最初に評価試験を行い選定したF-X選定、海軍航空の出身である源田実航空幕僚長と併せ、艦載機改良型のG.98J-11戦闘機が一時内定したことはどのような意味があったのでしょうか。

 自衛隊の次期主力戦闘機選定、F-104とG.98J-11、この選定に際し第一次内定が空母艦載機改良型であるG.98J-11となったのは、同時期に研究されていたという23000t型対潜空母艦載機を見込んでいた為ではないか、突飛な意見ですが同時期に艦載哨戒機S-2が採用され空母艦上での運用訓練を受けていた事実と組み合わせれば変な説得力をもちます。

 F-11戦闘機については、海軍での採用は200機に留まったものの、1956年の初飛行から1969年まで運用され、海軍の曲技飛行で知られるブルーエンジェルスにおいても使用された実績があります。1960年代の航空雑誌には残念ながら当時のブルーエンジェルスの世界ツアーの情報を集める事は難しく、しかし、各国軍関係者への展示は行われたのでしょう。

 西ドイツ空軍やスイス空軍がG.98J-11戦闘機を高く評価しているのですが、空母艦載機であることから機体規模が小型であり、且つJ-79エンジンによる超音速飛行能力の期待等が加味されたのでしょうか。F-11戦闘機の空虚重量は6.5tと軽量で、空母艦載機としての利点と共に軽量とは陸上基地では舗装の薄い滑走路での運用が可能であることも意味します。

 西ドイツ空軍が本機を真剣に検討していたのは、滑走路維持という視点でしょう。当時西ドイツ空軍は開戦第一撃の航空攻撃により滑走路を破壊される事を極端に警戒し、F-100戦闘機によるゼロ-ゼロ離陸、車両上にブースター装備の戦闘機を搭載し、滑走路以外から離陸させる研究を真剣に行っていました、短距離離陸能力は大きな評価点であった訳です。

 西ドイツ空軍が短距離離陸能力を極端に考慮した背景に、自衛隊よりも遅れた西ドイツ連邦軍の創設と共に東西ドイツ国境を接して大量の東側航空脅威があった点、そして第二次世界大戦の緒戦にドイツ空軍がソ連空軍を奇襲し、丹念に検証した結果でも実に3000機もの航空機を破壊した実例から、逆に奇襲を受ける警戒が大きかったという点がありました。

 スイス空軍がG.98J-11を評価した背景には、小型化に難渋した国産戦闘機開発という背景があります。スイス空軍は永世中立国として独自の兵器体系を構築し第三国の影響を受けない事を国是としていましたが、戦闘機開発への技術に難渋しました。1948年からジェット戦闘機開発に着手し、四発戦闘機という奇抜なN-20エイグイーロン戦闘機を開発します。

 スイス空軍はN-20エイグイーロン戦闘機を四発とすることで滞空時間を延伸し航空攻撃による基地機能喪失に備えると共に対地攻撃能力を付与させようとするも、使いにくくP-16戦闘機を開発しました。しかし技術的問題から開発が長期化する最中に各国での技術開発が進み陳腐化、結果、山間部の小規模飛行場で運用可能なG.98J-11を注目した訳です。

 日本の場合は当時の航空基地が、米空軍が強化したものを除けば舗装8cm厚の滑走路が主体でした。当時のF-86F戦闘機は舗装8cm厚1800m滑走路で運用可能でした。しかし、F-104では舗装15cm厚2700m滑走路が必要であり、基地機能拡充という重い課題がのしかかった訳です。対して、G.98J-11はF-86Fの設備でも運用可能であったとされています。

 海上自衛隊の対潜空母導入研究に併せて航空自衛隊次期戦闘機選定にG.98J-11が挙げられたとは、推測する事は出来ますが説得力がない、それならば完成し実績があったF-8クルセイダー戦闘機等が候補に挙がっていた方が自然である、と。他方、興味深いのはこの時期、もう一つ自衛隊において航空母艦導入の可能性を示唆する装備計画が進んでいました。

北大路機関:はるな くらま
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