■制空戦闘機F-15イーグル
制空戦闘機F-15イーグルの編隊機動飛行の写真と共に航空祭の思い出について、特にもう少し歴史の名所旧跡という九州の昔の歴史から築城航空祭を振り返ってみましょう。
築城航空祭、かなりの人口密度を覚悟していましたが、なにより入間基地航空祭や浜松基地航空祭に岐阜基地航空祭の物凄い混雑を経験していますので、築城基地航空祭の混雑はそれ程には感じませんでした。そしてなによりも天気が良かった故の充実感が大きい。
航空祭の写真を見ての通り、撮影位置は順光の立地となっていまして、実は宿泊が若松という少々離れた場所、ホテルは航空祭での先陣確保から本当は小倉に宿泊地を確保したかったのですが、満員御礼の状態ゆえに基地から遠い場所に宿泊、出遅れてしまいました。
築城駅から築城基地が最寄り駅であると共に徒歩数分という好立地であり、しかも航空祭当日はJR九州臨時特急が多数運行される、その旨博多駅にも掲示されていましたので、出遅れた場合でも交通手段は充分ありまして、青い特急ソニックにて駆け付けましたしだい。
撮影ですが、しかし、築城基地は横にエプロン地区が広い立地でしたので、到着は少々遅れたものの基地に入場すると同時に地上展示機等の撮影を後回しとする事で滑走路方面に急ぎますと、離着陸を撮影する事が可能となる撮影位置を確保する事が出来たのが幸い。
順光という撮影環境は重要ですが、一方エプロン地区から撮影をしていますと気付きましたのは外柵沿いからの撮影という選択肢もあるようです。この築城基地は滑走路が海に突き出ており、平日撮影では防波堤上も撮影適地であるということを教えてもらいました。
さて築城基地は九州防空の要衝です。朝鮮半島に最も近い戦闘機部隊基地であると共に対艦攻撃に当たるF-2戦闘機が配備されていますので、冷戦時代にはソ連軍の対馬海峡での行動への要諦を担いましたし、今日は南西諸島への中国海軍の動向を睨む航空基地の一つ。
しかし、九州という地は日本史と近現代史を振り返りますと様々な歴史大河の舞台となっていまして、今考えてみますと築城基地航空祭へ撮影展開を機会としまして、もう少し観光を敢行するべきだった、と思うものです。前日土曜日にこの周囲を散策する等して、ね。
黒田官兵衛、築城基地航空祭へ展開したのだからもう少しこの戦国武将の歩んだ九州を散策しておくべきだったなあ、とは考えるところです。黒田官兵衛は1546年に播磨国は姫路に生を受けまして、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、三英傑との関わりも大きい人物です。
豊前国主黒田如水、との別名と共に戦国時代の軍師としてもう一人の雄たる竹中半兵衛とともに勇名を馳せ、黒田長政の父であると共に黒田長政が高鍋城を攻め落としたことでこの地を豊臣秀吉から賜り、九州における基盤を確固としたものとしています、城址も多い。
黒田如水の生涯を描いたNHK大河ドラマ“軍師官兵衛”がこの航空祭を撮影して数か月後に当たる2014年より放映開始となりまして、岡田准一が演じる正統派戦国大河絵巻の放映と共に所縁の地九州では最寄駅に築城駅が紹介される事も多く、歩を伸ばすべきでした。
軍師官兵衛、NHK大河ドラマには久々の見応えで、前年に同志社大学で明治維新のライフル魔と尊敬されている新島八重を綾瀬はるかが演じた“八重の桜”、その前は松山ケンイチ氏主演の何かと違う意味で話題となった“平清盛”、前があの“江 姫たちの戦国”でした。
中津城、黒田官兵衛が築城主となった城郭ですが大分県中津市に位置する城郭で、築城基地の位置から距離にしまして僅か15kmという文字通り近傍に在りまして、城郭も模擬天守として独立式望楼型五重五階を奉じ、更に城郭の城址としては石垣と堀が残っています。
豊臣秀吉より黒田官兵衛豊前国6郡12万3000石を賜りこの統治へ造営された中津城は、周防灘に面した立地で別名中津川城や扇城や小犬丸城若しくは丸山城といわれていまして、日豊本線築城駅から同じ日豊本線中津駅まで所要20分弱、駅より徒歩で15分とのこと。
九州征伐として豊臣秀吉の九州進攻と共に、その天王山となったのは根白坂の戦いで、豊臣秀吉率いる兵力10万1000名が島津義久島津義弘の3万5000名と全面衝突、その後に豊臣秀吉の信頼厚い黒田官兵衛が九州の抑えとして、この地の防備を任せた訳ですね。
何故築城基地航空祭前日の土曜日にこの当たりへ早く進出して慣行を敢行しなかったのか、と問われますと、実は迷っていたのは前日土曜日に飯塚駐屯地祭が予定されていまして、飯塚駐屯地祭と築城基地航空祭を土曜日と日曜日に連続展開の選択肢を模索していたため。
飯塚駐屯地は第2高射特科団本部が置かれ、第3高射特科群と共に長崎県大村市の竹松駐屯地に置かれる第7高射特科群を有する北部方面隊以外では唯一の高射特科団となっています。ホークミサイル多数が配備されていまして、見ごたえ充分とは行った方のおはなし。
小倉城、こちらも折角間近に宿泊したのですから、新幹線で帰る帰路に少し立ち寄るとか、前日の宿泊先をこの界隈にするなど、やりようはあったのだが、と思ってしまいます。小倉城は北九州市小倉北区、毛利勝信が造営した城郭です。こちらは大河ドラマ関係ない。
細川忠興が入り、細川家が熊本城へ移封となるまで小倉城はその藩庁としての役割を担いましたが、この城郭、山陽新幹線小倉駅から徒歩15分と近く、一時間弱で往復できたはずです、望遠ズームレンズなどカメラバックは重かったのですが、それを推して凄いらしい。
勝山城や指月城との別名を持つこの古蔵城ですが、天守や櫓と庭園に大名屋敷等が再建されていまして、城東に位置する河川紫川を防御堀として活用し、その上で城内に城下町を備える総構え、熊本城や小田原城と共通する防御力を考慮した輪郭式平城の城郭でした。
天守閣は連結式望楼型四重五階のRC造復興天守閣となっていまして、1959年に再建となっています。細川忠興が完成させましたが、熊本への移封と共に新しい城主に小笠原忠真が入り、その後幕末に戦乱で焼けますが、廃藩置県までこの地を小笠原家が治めています。
小倉城は幕末の文久年間に海防強化を期し、城外郭に当たる紫川河口両岸に砲台として東浜台場と西浜台場を設置しまして、幕末の火力戦闘を想定した改修が為されているのも興味深いものです、明治時代には陸軍歩兵第12旅団本部が城内松の丸跡に駐屯していました。
築城基地航空祭を俯瞰しまして、何しろ基地のゲートガードにあたるF-86戦闘機が離陸するがごとし雄姿を見上げまして、自衛隊の歴史に触れた気分は感慨深いものでしたが、それよりも少し周りを散策すれば自衛隊はるか前の戦国時代の歴史に触れられた訳ですね。
築城基地は変革の最中にあります、沖縄防空を固めるべくF-15飛行隊を転出させ、F-2飛行隊のみとなりました、故に今日では2013年築城基地航空祭のF-2とF-15混成の飛行展示は貴重なもの、その後三沢基地からF-2飛行隊が転入、2個飛行隊体制となりました。
航空祭特集写真掲載、思い出すのは近年の航空祭、飛行展示を急遽中断し実弾搭載の対領空侵犯措置任務緊急発進の状況と直面する事が増え、南西諸島への圧力は西日本へ及び、北海道上空も緊急という緊迫した冷戦時代のような情勢が回帰しています。当時はそれ程では無く、四年前の安定を思い出しました。
北大路機関:はるな くらま
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制空戦闘機F-15イーグルの編隊機動飛行の写真と共に航空祭の思い出について、特にもう少し歴史の名所旧跡という九州の昔の歴史から築城航空祭を振り返ってみましょう。
築城航空祭、かなりの人口密度を覚悟していましたが、なにより入間基地航空祭や浜松基地航空祭に岐阜基地航空祭の物凄い混雑を経験していますので、築城基地航空祭の混雑はそれ程には感じませんでした。そしてなによりも天気が良かった故の充実感が大きい。
航空祭の写真を見ての通り、撮影位置は順光の立地となっていまして、実は宿泊が若松という少々離れた場所、ホテルは航空祭での先陣確保から本当は小倉に宿泊地を確保したかったのですが、満員御礼の状態ゆえに基地から遠い場所に宿泊、出遅れてしまいました。
築城駅から築城基地が最寄り駅であると共に徒歩数分という好立地であり、しかも航空祭当日はJR九州臨時特急が多数運行される、その旨博多駅にも掲示されていましたので、出遅れた場合でも交通手段は充分ありまして、青い特急ソニックにて駆け付けましたしだい。
撮影ですが、しかし、築城基地は横にエプロン地区が広い立地でしたので、到着は少々遅れたものの基地に入場すると同時に地上展示機等の撮影を後回しとする事で滑走路方面に急ぎますと、離着陸を撮影する事が可能となる撮影位置を確保する事が出来たのが幸い。
順光という撮影環境は重要ですが、一方エプロン地区から撮影をしていますと気付きましたのは外柵沿いからの撮影という選択肢もあるようです。この築城基地は滑走路が海に突き出ており、平日撮影では防波堤上も撮影適地であるということを教えてもらいました。
さて築城基地は九州防空の要衝です。朝鮮半島に最も近い戦闘機部隊基地であると共に対艦攻撃に当たるF-2戦闘機が配備されていますので、冷戦時代にはソ連軍の対馬海峡での行動への要諦を担いましたし、今日は南西諸島への中国海軍の動向を睨む航空基地の一つ。
しかし、九州という地は日本史と近現代史を振り返りますと様々な歴史大河の舞台となっていまして、今考えてみますと築城基地航空祭へ撮影展開を機会としまして、もう少し観光を敢行するべきだった、と思うものです。前日土曜日にこの周囲を散策する等して、ね。
黒田官兵衛、築城基地航空祭へ展開したのだからもう少しこの戦国武将の歩んだ九州を散策しておくべきだったなあ、とは考えるところです。黒田官兵衛は1546年に播磨国は姫路に生を受けまして、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、三英傑との関わりも大きい人物です。
豊前国主黒田如水、との別名と共に戦国時代の軍師としてもう一人の雄たる竹中半兵衛とともに勇名を馳せ、黒田長政の父であると共に黒田長政が高鍋城を攻め落としたことでこの地を豊臣秀吉から賜り、九州における基盤を確固としたものとしています、城址も多い。
黒田如水の生涯を描いたNHK大河ドラマ“軍師官兵衛”がこの航空祭を撮影して数か月後に当たる2014年より放映開始となりまして、岡田准一が演じる正統派戦国大河絵巻の放映と共に所縁の地九州では最寄駅に築城駅が紹介される事も多く、歩を伸ばすべきでした。
軍師官兵衛、NHK大河ドラマには久々の見応えで、前年に同志社大学で明治維新のライフル魔と尊敬されている新島八重を綾瀬はるかが演じた“八重の桜”、その前は松山ケンイチ氏主演の何かと違う意味で話題となった“平清盛”、前があの“江 姫たちの戦国”でした。
中津城、黒田官兵衛が築城主となった城郭ですが大分県中津市に位置する城郭で、築城基地の位置から距離にしまして僅か15kmという文字通り近傍に在りまして、城郭も模擬天守として独立式望楼型五重五階を奉じ、更に城郭の城址としては石垣と堀が残っています。
豊臣秀吉より黒田官兵衛豊前国6郡12万3000石を賜りこの統治へ造営された中津城は、周防灘に面した立地で別名中津川城や扇城や小犬丸城若しくは丸山城といわれていまして、日豊本線築城駅から同じ日豊本線中津駅まで所要20分弱、駅より徒歩で15分とのこと。
九州征伐として豊臣秀吉の九州進攻と共に、その天王山となったのは根白坂の戦いで、豊臣秀吉率いる兵力10万1000名が島津義久島津義弘の3万5000名と全面衝突、その後に豊臣秀吉の信頼厚い黒田官兵衛が九州の抑えとして、この地の防備を任せた訳ですね。
何故築城基地航空祭前日の土曜日にこの当たりへ早く進出して慣行を敢行しなかったのか、と問われますと、実は迷っていたのは前日土曜日に飯塚駐屯地祭が予定されていまして、飯塚駐屯地祭と築城基地航空祭を土曜日と日曜日に連続展開の選択肢を模索していたため。
飯塚駐屯地は第2高射特科団本部が置かれ、第3高射特科群と共に長崎県大村市の竹松駐屯地に置かれる第7高射特科群を有する北部方面隊以外では唯一の高射特科団となっています。ホークミサイル多数が配備されていまして、見ごたえ充分とは行った方のおはなし。
小倉城、こちらも折角間近に宿泊したのですから、新幹線で帰る帰路に少し立ち寄るとか、前日の宿泊先をこの界隈にするなど、やりようはあったのだが、と思ってしまいます。小倉城は北九州市小倉北区、毛利勝信が造営した城郭です。こちらは大河ドラマ関係ない。
細川忠興が入り、細川家が熊本城へ移封となるまで小倉城はその藩庁としての役割を担いましたが、この城郭、山陽新幹線小倉駅から徒歩15分と近く、一時間弱で往復できたはずです、望遠ズームレンズなどカメラバックは重かったのですが、それを推して凄いらしい。
勝山城や指月城との別名を持つこの古蔵城ですが、天守や櫓と庭園に大名屋敷等が再建されていまして、城東に位置する河川紫川を防御堀として活用し、その上で城内に城下町を備える総構え、熊本城や小田原城と共通する防御力を考慮した輪郭式平城の城郭でした。
天守閣は連結式望楼型四重五階のRC造復興天守閣となっていまして、1959年に再建となっています。細川忠興が完成させましたが、熊本への移封と共に新しい城主に小笠原忠真が入り、その後幕末に戦乱で焼けますが、廃藩置県までこの地を小笠原家が治めています。
小倉城は幕末の文久年間に海防強化を期し、城外郭に当たる紫川河口両岸に砲台として東浜台場と西浜台場を設置しまして、幕末の火力戦闘を想定した改修が為されているのも興味深いものです、明治時代には陸軍歩兵第12旅団本部が城内松の丸跡に駐屯していました。
築城基地航空祭を俯瞰しまして、何しろ基地のゲートガードにあたるF-86戦闘機が離陸するがごとし雄姿を見上げまして、自衛隊の歴史に触れた気分は感慨深いものでしたが、それよりも少し周りを散策すれば自衛隊はるか前の戦国時代の歴史に触れられた訳ですね。
築城基地は変革の最中にあります、沖縄防空を固めるべくF-15飛行隊を転出させ、F-2飛行隊のみとなりました、故に今日では2013年築城基地航空祭のF-2とF-15混成の飛行展示は貴重なもの、その後三沢基地からF-2飛行隊が転入、2個飛行隊体制となりました。
航空祭特集写真掲載、思い出すのは近年の航空祭、飛行展示を急遽中断し実弾搭載の対領空侵犯措置任務緊急発進の状況と直面する事が増え、南西諸島への圧力は西日本へ及び、北海道上空も緊急という緊迫した冷戦時代のような情勢が回帰しています。当時はそれ程では無く、四年前の安定を思い出しました。
北大路機関:はるな くらま
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