北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ISIL(イスラム国)掃討進展!イラク軍&シリア軍戦訓に見る戦車&戦闘ヘリコプターの威力

2017-06-20 22:41:59 | 国際・政治
■ラッカ&モスルで有志連合攻勢
 戦車と戦闘ヘリコプター、近年特に我が国において軽視されつつある陸上防衛の骨幹打撃力について、認識を改める戦訓が現在、築かれつつあるもよう。

 我が国のエネルギー政策へ影響の大きな中東、その中東にて今月に大きな動きが連続しました。ISIL(イスラム国)の首魁バグダディ容疑者戦死の可能性、中東と欧州に猛威奮ったISILのイラクとシリアでの壊乱、このほかシリア領内での米軍機によるシリア空軍撃墜、イラン制裁巡るカタールへの湾岸諸国国交断絶、などなど。しかし今回は別の視点から見てみましょう。

 ISILはイラクでの最大拠点であり最後の拠点、北部のモスルでの掃討作戦が最終段階に入りつつあるようです。市街地では大量の非戦闘員を人間の盾として市内に備蓄された食糧を用い遅滞戦闘を展開していましたが、増援を得られず、イラク軍はアメリカ軍を中心とした有志連合の支援下、市内の最後のISIL拠点となっている旧市街へ進出しつつあります。

 ISILが首都と位置づけるシリアのラッカに対してもアメリカが支援する有志連合軍は攻勢に出ており、シリア軍はロシア軍の支援を受けシリア国内でのISIL拠点へ戦車を中心として次々に攻略、一時はイラクのバクダッドに迫り、将来的に南欧地域へ浸透する可能性が危惧されたISILの過激主義に基づくイスラム国家建設運動は終りが見えつつあるようです。

 ISILの首魁バグダディ容疑者、ロシアの空爆により死亡した可能性が出てきました。現在ロシアとアメリカなどの情報機関が確認中ですが、ISILが首都と位置づけ占領を続けるシリアのラッカ北部へロシア軍が実施した空爆、先月28日にISILの幹部会合を狙って実施された航空攻撃により無力化できた可能性があるとの事です。ただ、確認段階である、と。

 モスル攻略ではアメリカ陸軍が運用するAH-64D戦闘ヘリコプターによる近接航空支援とハンヴィー高機動車の連携が大きな威力を発揮しています。ISILは多数の小型無人機を当初運用していましたが、AH-64Dはその発着位置を正確に標定し打撃を加え、地上部隊上空を常時掩護する事により地上部隊の不機遭遇を徹底し回避、戦線に大きな影響を与えた。

 AH-64Dは2003年のイラク戦争に際し、イラク軍による14.5mm機銃等の従来型防空火器と携帯電話網等を利用した巧みな防空体系に当初大きな損耗を被り、戦闘ヘリコプターの時代は終わったとも論じられたのですが、地上部隊から突出して単独運用を避け、陸上戦闘体系の一端として協同する事で威力を発揮、陸上戦闘での有用性を大きく誇示しました。

 シリア軍の攻勢ですが、ロシア軍から軍事援助を受け損耗分の補填を受け続けたT-72戦車が大きな威力を発揮しています。T-72戦車は我が74式戦車の好敵手として対峙した比較的旧式の戦車で、湾岸戦争ではイラク軍が運用した輸出仕様T-72が米軍M-1A1戦車に完敗しましたが、歩兵部隊の戦闘に防御力を活かし掩護を続ける事で先鋒を担い続けています。

 T-72の難点は弾薬配置が乗員区画と重なり、対戦車火器等で一旦貫徹されると大火災により乗員が死傷する点です。戦車戦闘を留意し車高を抑えた設計も市街地では仰角俯角が限られ苦戦を強いられていますが、ロシア軍は徹底した火災対策を行い一挙に誘爆する危険性を可能な限り排除、更に装甲車と連携し擱座戦車要員救出の戦術を確立した模様です。

 戦車の市街地展開は一時市街地の死角の多さから戦術上の禁忌と論じられたものの、軽歩兵のみの市街地戦闘はそもそも“市街地は兵を呑む”として回避する戦術上の定石があり、敢えて市街地戦闘を掃討作戦として強要された際、戦車を如何に市街地において運用するかが重要である、シリア軍の戦車運用、無論膨大な車両損耗、新しい戦術といえましょう。

北大路機関:はるな くらま
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F-35Aと重なる航空自衛隊調達計画,X-2試験とC-2&E-2D調達にF-15J&T-4後継機選定

2017-06-19 21:25:47 | 先端軍事テクノロジー
■防衛予算確保課題の十年
 F-35が日本の空を飛びましたが、様々な航空機の後継機計画が多様な理由で遅れ、更に新しい装備の調達が決定、これから10年間は予算確保が課題となります。

 X-2に初飛行の翌年に当たる今年、F-35戦闘機の日本FACO初飛行、いよいよ第五世代戦闘機の次代が日本にも到来しましたが、これによりようやくF-4EJ改戦闘機を置き換える事が可能となります。F-4EJ改は改修を重ねていますが原型は1959年にアメリカ海軍空母艦載機として初飛行した機体であり、優秀な機体ではありますが現代航空戦闘には古すぎる事は否めません、漸く置き換わる。

 しかし、航空自衛隊は様々な航空機後継機を必要とする時期が重なっています。これはX-2vsF-35という構図が成立するかもしれません、予算的な意味で。従来はここまで重なる事は航空自衛隊創設以来無かったのですが、元々はF-4EJ改後継機は本命であったF-22戦闘機導入が難航し、導入不可を経て正式に選定し、F-35戦闘機へ次期主力戦闘機が決定するまで時間を要しすぎました。今回はこの点について考えてみましょう。

 X-2実験機、航空自衛隊ではF-2支援戦闘機後継機として将来のF-3戦闘機へ、必要とされる第五世代機以降の戦闘機技術、第六世代戦闘機への構成要素を研究すべく各種将来戦闘機構成要素を技術開発し蓄積しましたが、先端技術実証機として包括技術試験を航空機形状の試験器材により実飛行を経て研究すべく昨年よりX-2実験機による試験を実施中です。

 F-2支援戦闘機後継機の研究が進む最中ですが、航空自衛隊ではF-2支援戦闘機の改修と、将来対艦戦闘へ対応させるべく各種試験を継続中で、この目玉事業としてXASM-3対艦ミサイルの開発を進めています。超音速で航空母艦などによる新しい脅威へ対応し得る優秀装備を期していますが、大型でありF-35には搭載出来ずF-3の開発を加速させるでしょう。

 F-15戦闘機後継機、こちらについても進めなければなりません。アメリカ空軍での初飛行は1968年とこちらも決して原型は新しい機体ではなく、航空自衛隊向けのF-15Jは1981年に配備開始、延命改修と近代化改修は継続されていますが初期型の機体は近代化改修に対応しない構造で、防空能力を維持するには初期型のF-15の代替としましてF-35戦闘機を追加調達しなければなりません。

 T-4練習機は200機以上が配備され操縦特性が良好で戦後の傑作機と云い得る機体ですが、こちらも1985年に初飛行、比較的新しい機体ではあるものの第五世代戦闘機の操縦要員を養成する想定はしておらず、また、練習機という構造上長期間の運用を想定し補強し得る部分があるかについては未知数で、延命改修を今後行わないとすれば200機以上生産したT-4の後継機も留意事項の一つ。

 C-2輸送機の美保基地への配備が開始され、配備開始早々誘導路逸脱事故に見舞われましたが、C-1輸送機の後継機として順次生産を重ねなければなりません。更にE-2C早期警戒機も1980年配備開始で後継機としてE-2Dの調達が開始されましたが、航空自衛隊は早期警戒機増勢を進めている為に調達数は重なり、UH-60J救難ヘリコプター代替も始りました。

 早期警戒機の増勢は南西諸島への中国脅威を受けてのものですが2010年代に決定、一方でC-2輸送機の開発が実に四年も遅延し調達が重なってしまいました。更にここに前述のF-35戦闘機画定への時間を要した事で、F-35調達とC-2調達にE-2D調達が重なり、並行してF-15J後継機選定とT-4後継機選定を実施、F-2後継機のF-3開発を並行せねばならない。

 航空機調達は巨額の費用が必要となりますが、航空自衛隊以外に陸上自衛隊は島嶼部防衛と再来した北方脅威への対応、海上自衛隊も汎用護衛艦勢力の再建とP-1哨戒機調達等が並びます。南西諸島防衛という新しい任務が提示されましたが、長期計画に当たる防衛計画の大綱が短期間で改訂を重ね、指針を決められぬまま大型調達計画が放置されたかたち。

 予算は有限ながら、航空機だけでもこれだけ重なる状況です。しかし、予算不足を理由に長期少数調達方式を採れば、航空機製造ラインを維持する費用だけでも積み重なる事となりますので、整備計画が長期的に破綻しかねません。厳しい財政状況であっても、F-35調達とE-2D調達にC-2調達、軌道に乗るまでこれから十年、予算確保が大きな課題です。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】木更津駐屯地創設45周年航空祭【06】機動飛行は銀幕の如く(2013-05-12)

2017-06-18 22:09:27 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■AH-1Sコブラ機動飛行
 AH-1S対戦車ヘリコプターの迫力ある、映画のような機動飛行が開始されました。

 木更津駐屯地、中央即応集団隷下となった第1ヘリコプター団ですが、中央即応集団は2004年に創設、その前までは長官直轄部隊、という位置づけでした。この木更津という立地、首都圏の航空部隊拠点となっていますが、東京湾沿岸にあり、対岸の横浜も見える。

 首都圏に万一の事態が発生した際には重要な拠点の一つ。また、CH-47輸送ヘリコプターにAH-1S対戦車ヘリコプター多数の航空機と格納庫を有するため、さまざまな映画の撮影地ともなっていまして、日本沈没、ゴジラvsビオランテ、ガメラ2、シンゴジラなどなど。

 1973年の映画”日本沈没”では東京直下地震により大被害がでた東京の救出拠点として登場しています。日本沈没の東京直下地震では350万もの犠牲者がでたという描写がでていまして、これは原作者で日本SF界の至宝、故小松左京氏が大量のデータから分析したもの。

 小松左京氏は大量のデータと取材に基づきSFに現実味を持たせる作風が素晴らしい世界観を構成しますが関東大震災の被害を元に東京の人口増大をうけ、仮に同程度の地震が発生したらば、という原作小説の描写をさらに映画化に当たって検証し示した数値とのこと。

 首都直下地震の発生に際し、東京都内は高速道路と歩道橋などの倒壊により交通網が途絶し、地盤陥没により地下街等を含め高層ビル群が次々と被害を受けるとともに、ダムの崩壊等が広域浸水被害を引き起こし、その後の初期消火失敗により都内が大火災に襲われる。

 巨大火災は沿岸部工業地帯や石油化学コンビナートの大火災を生み、逃げ場を失った被災者へ火災が襲うという状況をでした。一部特撮等はそのままゴジラの都市破壊シーンなどに転用されていますので、日本沈没、1973年版はいろいろな意味でお勧めな映画の一つ。

 首都直下地震による大被害を前に自衛隊へ災害派遣が要請され、木更津と立川の陸上自衛隊航空部隊が都内の火災消火へ、神奈川県知事要請で横須賀地方総監命令で厚木や下総に館山などの海上自衛隊航空部隊が横浜と川崎の火災消火へ出動するという描写でした。

 消防車が建物崩壊などによる道路封鎖により出動できないため、ヘリコプターだけが出動できるという劇中、消火弾という、おそらく液化炭酸ガスとハロゲン消火ガスを内蔵していると思われる特殊装備、勿論自衛隊の装備にこうした消火弾という装備はありません。

 東宝映画独特の東宝自衛隊特殊装備、消火弾についても東宝自衛隊装備ということになると思うのですが、積載し消火任務に当たっていました。もちろん、火災規模が大きすぎ、全く歯が立たない、という状況で、実際ならばバケットによる放水を続けるのでしょうが。

 しかしV-107輸送ヘリコプターとHU-1B多用途ヘリコプターが次々と離陸してゆく映像は、離陸の映像に自衛隊が協力していますから、一瞬ではあるのですけれども、消火弾を機内に次々と搭載し、燃え上がる都心へ、実機ならではの迫力という印象でもありましたね。

 小松左京氏は原作日本沈没において、東京直下地震の被害が拡大する様子を、日本人が災害文化という巨大災害においてその被害拡大を局限するための必要な文化を長く巨大災害が到来しないことで忘れられたことを東京直下地震被害拡大の要因として描いていました。

 そして犠牲者の数についても原作小説では、関東大震災の東京人口と比較した被害規模と比例して増大した結果、としていました。もちろん、首都圏の耐震技術や防災技術は関東大震災の時代には耐震構造という発想そのものがなく、今日とは比較は出来ない事も確か。

 関東大震災では特に煉瓦造りの中層建築物が簡単に崩壊し、建物への防火構造という概念が確立以前であったことから際限なく火災が延焼したという厳しい歴史がありまして、その上で東京大空襲などの被害から復興の都市計画改良をうけ、相当燃えにくくなっている。

 東京は燃える度に燃えにくく造りかえられ、それは江戸時代最初の大火からの復興へ檜葺屋根を延焼しにくい瓦屋根に作り替え、都市計画は災害と共に強靭に、その後も徐々に、という歴史はありますので、350万という犠牲者はSFの世界の描写ではありました。

 原作者の小松左京氏もこの点への認識はあったようなのですが、1995年の阪神大震災にて、高架道路の崩壊や日本沈没ほどの規模ではなかったものの地元を襲った災害に驚かされ、阪神大震災後のエッセイ"未来からのウインク”等、その作風まで影響があったようでした。

 ゴジラvsビオランテでは、自衛隊の最新鋭無人航空機スーパーX2の拠点飛行場として描かれていました、スーパーX2、現在岐阜基地で試験中の防衛装備庁X-2とは関係なく、1984年の映画ゴジラにて防衛庁が装備した首都防衛戦闘機スーパーXの後継機という設定です。

 スーパーXはカブトガニを装甲化したような大型のVTOL航空機で、これを首都でどうやって使うのか不安な航空機、核戦争を想定し核電磁パルス対応の構造を採用していたものの、ゴジラ対策用に特殊弾薬を追加搭載した際に急いで改造した状況での新任務付与です。

 VTOL機ですが航空力学を無視した形状の航空機へ特殊弾薬運用能力付与へ、急いで改修したため機体部分に電波吸収材を装着するまもなく、機体の電磁密閉構造に空隙を造ってしまい、その後いろいろあって核爆発が発生した際、脆弱部分が露呈してしまいました。

 ゴジラvsビオランテでは、この後継として新型航空機を陸上自衛隊が配備し運用しています。陸上自衛隊が運用している理由は不明ですが、高名な軍事評論家の方々と話し合った際に、多分、あれは断れなかったためではないか、という分析をはなしていただきました。

 新装備を運用するという事は所管する事を意味し、多額の予算を装備計画を変更し算出しなければならないことを意味します、たとえば現在導入検討されているという陸上配備弾道ミサイル防衛システムもTHAADならば航空自衛隊が予算を出さなければ成りません。

 しかしミサイル防衛、イージスアショアでしたら海上自衛隊が予算を出して人員と運用費用を捻出するため、航空自衛隊の懐は痛まない、という状況と重なるものがあるかもですね。原作ではアングラーという航空機に高出力レーザーを装備しゴジラに挑む展開でした。

 カブトガニのつぎにはアンコウで挑むという展開は、しかし東宝的にはおもしろくなかったようで特殊ミラーを搭載した潜水可能な無人航空機として登場しました、木更津駐屯地とスーパーX2ですがスーパーX2の格納庫との設定で木更津駐屯地の格納庫が出てきます。

 ゴジラvsビオランテでは第1ヘリコプター団のVー107輸送ヘリコプター大編隊も登場していますね。1995年の映画ガメラ大怪獣空中決戦の劇中では高射教導隊がガメラを東富士演習場に撃墜し、このガメラを害獣として駆除するべく第1師団と富士教導団が出動する。

 この自衛隊出動に弾薬輸送などの支援へ第1ヘリコプター団が支援に向かう大編隊が描かれているのですが飛行するのはCH-47,ゴジラvsビオランテは1989年の作品でガメラ大怪獣空中決戦は1995年の作品ながら、編隊はV-107からCHー47に機種転換していました。

北大路機関:はるな くらま
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米イージス艦フィッツジェラルド,静岡県沖太平洋上で比コンテナ船ACXクリスタルと衝突!

2017-06-17 22:29:00 | 防衛・安全保障
■米艦比船衝突事故!
 本日深夜、静岡県沖の太平洋でアメリカ海軍イージス艦がコンテナ船と衝突しました。

 イージス艦とコンテナ船の衝突事故が発生したのは静岡県南伊豆町石廊崎20km沖、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦フィッツジェラルドとフィリピン船籍コンテナ船ACXクリスタルの衝突事故です。事故は本日0200時頃、第3管区海上保安本部へACXクリスタルよりアメリカ海軍艦船と衝突した旨通報、アメリカ海軍側に負傷者等が出ている事が判明します。

 被害が出ています。フィッツジェラルドは右舷上部構造物の艦橋前方が大きく損傷し、ブライスベンソン艦長ら3名が負傷、更に駆逐艦乗員7名が行方不明となっています。行方不明者捜索へは海上保安庁、アメリカ海軍の他、海上自衛隊の艦艇及び航空機も出動、捜索を実施しています。艦長ら負傷者は航空搬送され、横須賀海軍病院に収容されました。
 衝撃は大変なものだったでしょう。イージス艦は8300t、貨物船は29060t、フィッツジェラルドは浸水し、自力航行は可能であるものの機関出力は大きく制限される状況で、横須賀基地よりアメリカ軍曳船が派遣されると共に、イージス艦一隻が先導艦として派遣されました。報道映像を見る限り船体傾斜が確認され、船内からの排水が実施されています。

 横須賀基地へ帰港したフィッツジェラルドは明らかに傾斜しています。ただ、衝突した部分が仮にもう少し前の区画であれば、29セルのミサイル発射筒を備えたMk.41-VLSが配置されていますので、この弾薬区画へ被害が及べば非常に懸念すべき結果となっていた可能性も否定できず、衝突という最悪の状況下で回避努力が果たされた結果なのでしょうか。

 ブライスベンソン艦長の容体は安定している、CNN報道です。上部構造物が大きく破損している様子が報道映像などから確認できますが、フィッツジェラルドはアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の12番艦です。アーレイバーク級は艦橋基部、報道映像で損壊している下部に通路が配置され、強力なレーダー波から乗員を防護する構造ですがここが潰れている。

 損傷は艦橋基部から中部にかけ破損圧潰しており、SPY-1Dフェーズドアレイレーダー、イージス艦の目というべきレーダーの一部が変形している様子が見え、箱型のSLQ-32V3電子戦装置の姿は見えません。また艦橋見張り員の区画は傾き変形しています。艦橋基部には真下の船体内にCIC戦闘情報室が位置しており、損傷が及んでいる可能性もあります。

 駆逐艦は水上戦闘艦として船体はミサイルの命中や火災などを想定している他、アーレイバーク級からはミサイルの爆風などによるチープキルという被害局限へ一部分にケブラー装甲が施されていますが、現代の水上戦闘艦艇は長距離での戦闘を想定し設計されている為、第二次世界大戦中の巡洋艦や戦艦が有していたような装甲は配置されていません。

 イージス艦は強力な艦隊防空のための水上戦闘艦です。アーレイバーク級ミサイル駆逐艦は60隻以上が建造されアメリカ海軍の主力艦といえます。今回、艦橋が破損した点は一見脆弱に見えますが、現代軍艦がガレー船時代のような接舷戦闘を行わない為の設計です。一方、コンテナ船側の損傷は軽く今夕に目的地であった東京港大井埠頭に到着しました。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.06.17/06.18)

2017-06-16 20:04:13 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 梅雨の季節となりながら空梅雨の青々とした木々と大空を背景に少し夏の渇水へも畏れの気概さえ湧く今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 第2師団創設67周年記念旭川駐屯地祭、道北を防衛警備管区とする自衛隊最精鋭師団、第2師団の創設記念行事です。陸軍第七師団以来の伝統誇る旭川駐屯地は広大な飛行場地区を式典会場とし、第3普通科連隊、第25普通科連隊、第26普通科連隊、第2特科連隊、第2戦車連隊筆頭に大規模な観閲行進と訓練展示が実施、本年はF-15も飛行展示を行います。

 旭川駐屯地祭は、第7師団の東千歳駐屯地祭に続き大規模な観閲行進が行われます。第2師団は冷戦時代から日本の最前線を護る師団、10式戦車に90式戦車と96式装輪装甲車や99式自走榴弾砲に87式自走高射機関砲という優秀装備を揃え、道北の対岸に北方領土の占領を続け我が平和憲法を守る国土へ軍事圧力を突き付けるロシアへ無言の鎮めを果たす。

 滝川駐屯地創設62周年記念行事、第11旅団隷下の第10普通科連隊が駐屯する滝川駐屯地の記念行事です。式典及び観閲行進と訓練展示は日曜日に、土曜日に滝川市にて市中パレードが実施され、土曜日日曜日と第10普通科連隊の精鋭を観覧できます。札幌旭川間結ぶ特急スーパーカムイは滝川にも停車、土曜日と日曜日を分けて観覧する事も出来ましょう。

 さて空梅雨ですが撮影の話題、降雨下の写真撮影、難儀しますがここで一歩状況を過酷にして豪雨下の写真撮影、というものは防滴器材を十分に準備する事で対応できる部分が大きい事は、2016年富士総合火力演習予行にて、後段演習最中に豪雨の幕が東富士演習場畑岡地区を覆い、状況終了後も数時間退くことなく居座り、芯まで体が冷えて、自分自身の防滴の必要性を痛感しました。

 痛感、とは簡単に言いますが、本当に痛みを伴う教訓でしたので、帰宅し撮影機材は全部無事でしたが、乾かしつつ早速その夜の内に登山用品店へ駆け込みまして、ゴアテックス雨衣を上下購入、靴雨衣も調達、万全の態勢を整えました。幸か不幸かこの年は小松基地航空祭が豪雨予報、敢えて飛び込めば天候回復しましたが、往路の雨滴には対応しました。

 しかし、困るのは数日間の撮影展開で現地の天候予報が曇りの場合です。予報とは変わりやすいものですが、現地へ到達し予報が悪化し、勿論万一の備えにて撮影機材の防滴は完璧なのですが、当方自身の防滴が隙を突かれ折畳傘があるのみ、個人用防滴器材は大きく嵩張り旅程の携行品を鞄一つ増やすため携行は難渋しますが、考えさせられたものでした。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・6月18日:第2師団創設67周年記念旭川駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/
・6月17日&18日:滝川駐屯地創設62周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/images/takikawa/top/top.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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東アジア安全保障,フィリピンISIL騒乱が及ぼす米中の南シナ海/南沙諸島情勢への影響

2017-06-15 23:26:14 | 国際・政治
■ISILと南沙諸島問題の連環
 中東から展開したISILのフィリピンでの攻勢、この問題は間接的に我が国を南シナ海問題とシーレーン防衛という意外な形で影響を及ぼすかもしれません。

 フィリピンでのイスラム過激派ISILの勢力顕在化は東アジア地域へのISIL勢力浸透拠点構築という直接的な脅威の展開と共に間接的に大きな問題の可能性を示しています、それはフィリピンのミンダナオ島が南シナ海地域に隣接し、この海域での中国と沿岸諸国との南沙諸島問題と西沙諸島問題という領有権問題に影響を及ぼす可能性があるということ。

 南シナ海での海洋法執行秩序の空隙に乗じてISILは中東のイスラム戦闘員を展開させた、現在までに報道されている中東系ISIL戦闘員のミンダナオ島騒乱関与から見出す事が出来ます。すると、陸上での治安作戦に併せ、対テロ海上阻止行動、過去にアラビア海において同時多発テロ以降に実施され、我が国も給油支援した任務と同様の対処が必要でしょう。

 日中と米中の懸念すべき海洋法秩序問題、この第一線となり中国軍がこの海域と東南アジアを結ぶ海域の他国の環礁を占領し人工島を造成し軍事基地化を進めている、この海域はアメリカ海軍が航行の自由作戦を展開し中国の海洋閉塞化を強く牽制していますが、ここにテロ対策として海洋法執行を強化させる措置を各国が執れば、別の摩擦を呼ぶでしょう。

 バタリカン演習、アメリカも無策であった訳ではなく、バタリカン演習として2002年から実施されている対テロ任務はイスラム武装勢力アルカイダのフィリピン浸透を警戒したもので、これは在比米軍が1992年にフィリピンのピナトゥボ火山噴火により米軍スービック海軍基地とクラーク空軍基地が火山灰被害により閉鎖され、その後のフィリピン政府の在比米軍撤収要請後、活性化したゲリラ対処が主眼です。

 しかし状況が一転したのは親中政策を掲げるフィリピンのドゥテルテ政権発足と共にフィリピン国内での米軍駐留を認めないとして治安作戦の終了を発表した事です。ドゥテルテ大統領の親中気運の反面、ISILはインドネシア国内やマレーシア国内への拠点構築に失敗し、海路を警戒が甘いフィリピンのイスラム社会へ浸透し新たな拠点構築に成功しました。

 影響が南シナ海問題へ飛び火する前に鎮静化が望ましいのですが、この点について。フィリピン陸軍の人員規模は陸上自衛隊と同程度です。しかし、戦車は一両も無く装甲車もヴェトナム戦争後の米軍中古が中心、火砲は第二次世界大戦中のアメリカ製火砲が主流です。島嶼部が多くヴェトナム戦争中の中古水陸両用装甲車をアメリカから供与されていましたが老朽化で稼働不能となり、近年韓国海兵隊中古水陸両用強襲車供与を受けました。

 ISIL対処作戦、問題はフィリピン軍の空中機動能力不足です。フィリピンは陸海空軍共に輸送ヘリを一機も保有せず、多用途ヘリコプターとしてUH-1H多用途ヘリコプター42機が主力、近年ドイツより中古のUH-1Dを11機取得、対地攻撃用にOH-6観測ヘリコプター25機、AW-109観測ヘリコプター6機を装備、国内に製造工場が皆無で整備は専門業者を受け入れ細々と運用しています。

 海軍力の不足も大きく、ISILの浸透や対戦車火器や迫撃砲などの重火器入手経路がはっきりしません。この中でフィリピン海軍には保有艦艇に第二次世界大戦中の護衛駆逐艦や戦車揚陸艦が未だに残る有様で、近年アメリカ沿岸警備隊中古の大型巡視船2隻が導入されましたが、ISILの移動に海上輸送が含まれていた場合、これを遮断する能力がありません。

 赤十字国際委員会によれば、二週間以上にわたる一連の戦闘によりフィリピン国内では既に24万もの国内難民が発生しており、マラウィ市内でのISILとのフィリピン軍の戦闘はさらに長期化する可能性が高く、危機的ではないものの、このまま雨期に入れば避難民には呼吸系疾患などにより衛生面での生命の危険に曝される可能性があると警告しています。

 事態沈静化のため同島を含む周辺地域に戒厳令を布告していますが、フィリピン国内にISILの策源地が構築される事は日本本土へのISILテロリスクが高まる問題と共に、フィリピン国内には多くの邦人が日経企業の進出と共に居住しており、状況がミンダナオ島から無差別テロ攻撃の形でフィリピン全土へ拡大したならば、在外邦人保護の問題も生じます。

 問題は別の視点で。それは日本からの武器供与問題です。現在フィリピン軍では海上自衛隊より貸与されたTC-90練習機を運用中ですが、元々は海洋監視任務、具体的には中国に不法占拠されるミスチーフ環礁問題を受け、海洋哨戒能力構築へ貸与されたものです。しかし、COIN機として転用や観測機として戦闘支援に用いられる可能性は否定できない。

 自衛隊貸与のフィリピン軍機が直接もしくは間接的に今回の戦闘へ使用された場合、勿論全ての軍用装備品は戦闘を抑止し、戦闘に際しては其の拡大を阻止する事が任務故に当然と云えば当然ですが、これからの自衛隊装備品の第三国貸与の在り方への国会論議での野党による、少々安全保障の国際感覚から外れた議論の的となる可能性も否定できません。

北大路機関:はるな くらま
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【京都発幕間旅情】加藤神社、熊本地震復興途上の熊本城内西出丸櫨方曲輪にて清正公を祀る

2017-06-14 23:01:39 | 旅行記
■加藤神社,熊本地震復興祈念
 熊本地震に見舞われ損壊した熊本城、その城郭にて天守閣を望む神社があります。

 加藤神社、熊本城城内に鎮座する加藤神社は熊本発展の礎たる加藤清正公を祀った神社です。熊本、九州防衛の要衝として西部方面総監部と第8師団司令部が置かれる現代の軍都は阿蘇山を遥拝し堅固な熊本城を盤石の構えと共に九州有数の都市圏を構成しています。

 熊本城には42の櫓と天守閣を有する江戸時代に在って規格外の巨大城郭を構成し、熊本の街がそのまま城郭の外線を形成するという総構の構造を有していますが、加藤神社に祭られる加藤清正は豊臣秀吉の腹心として九州中部を任されると共に巨大策源地を築きました。

 熊本地震で傷ついた天守閣、大天守と小天守を見上げ、そして宇土櫓の天守閣に匹敵する櫓に驚いた加藤神社は、しかし一歩視線を石垣に転じれば大坂城と並ぶ巨大な堀の深さが衝撃を与え、成程この城郭を構築した加藤清正が祀られる一つの意義を教えてくれるよう。

 加藤清正は城郭と共にこの熊本を支えるには熊本に営む人々という意味を理解していたのでしょう、農業開発へ必要な用水路整備や城下町の整備と併せ石高を高め街を強く広げました。江戸時代初期には細川氏が転封されましたが街の人々は加藤清正を思い続けました。

 明治4年、1871年に錦山神社として加藤清正を祀る神社が城内へ造営されました。元々は清正を祀った浄地廟が城内にありましたが1614年に本妙寺へ浄地廟は移されています。しかし明治時代に入り新政府の神仏分離令が下され本妙寺から神社を分ける必要が生じます。

 熊本城内に加藤神社は戻りましたが、陸軍熊本鎮台が城内に配置される事となり城外新堀町、現在の京町へ遷座します。ところが遷座したその年に西南戦争勃発、熊本市内の大半が廃墟となり京町も焼失、幸いご神体は健軍神社で難を逃れましたが錦山神社は全焼する。

 西南戦争の被害は熊本城にも大きく天守閣は焼失してしまいました。明治42年、1909年に錦山神社は加藤神社、今日の名称に名を改めます。しかし、加藤隠者は長く熊本城外の京町に縄張りを敷き、社格旧県社にあたる神社として広く熊本の崇敬を集めていました。

 昭和32年、1957年に京町の加藤神社は道路改修を行う為に遷座の必要が生じ、これを機に清正公の社を城内へ戻そうとの県民の熱い声が集まり、熊本城内の西出丸櫨方曲輪、現在地に遷座することとなります。社殿は1957年に遷座した際に建立されたもの、新しい。

 天守閣は加藤神社遷座とともに1960年の熊本城築城350年祭、そして熊本国体開催に併せ市民から広く寄付を募り再建されました。加藤清正が造営した五層の宇土櫓は威容を示し、並び再建された新しい天守閣は鉄筋コンクリート、耐震性も高く勇壮に再建されます。

 2016年4月14日深夜に熊本を巨大な地震が襲いました。九州中部は最大規模の噴火を引き起こせば冷戦時代全ての核爆弾を一度に爆破した熱量を数段上回る巨大火山、阿蘇山を冠しつつ巨大噴火は十万年単位で発生する為に大災害経験が無く完全に虚を突かれました。

 熊本城も天守閣が損傷し倒壊こそ免れたものの城内は夜間の発災故に人的損害は免れたのは不幸中の幸い、城内には自動車大の石垣崩落石が散乱し、実に広い城郭の石垣は50カ所、全体の三割が破損するに及び、櫓などの損壊も大きく全面復興には30年を要するとのこと。

 熊本地震の被害から53日間に渡り城域内への立ち入りが禁じられ、加藤神社へも立ち入りが制限される事となりましたが被災から一年を経て復興祭に城郭上をブルーインパルスが飛行する際に加藤神社を参拝しますと、清正公を慕う街の強さを垣間見る事が出来ました。

北大路機関:はるな くらま
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F-35A三菱FACO初飛行!将来戦担う航空自衛隊初の第五世代戦闘機第五号機AX-5の進空

2017-06-13 22:04:23 | 先端軍事テクノロジー
■F-35A三菱FACO初飛行!
 航空自衛隊次期主力戦闘機F-35A,日本組立分のAX-5が本日、航空自衛隊小牧基地に隣接する三菱重工小牧南工場から初飛行を迎えました。

 岐阜基地へ進入するF-35A,航空自衛隊初の第五世代戦闘機です。F-35A航空自衛隊向け五号機AX-5は三菱重工小牧南工場FACO最終組立検査施設にて胴体部分と主翼及びエンジン部分に関する最終組立を完了したもので、この三菱FACOは2015年12月15日からF-35の組み立てを実施しています。ここでは重整備や改修を行う国際整備拠点MRO&Uも担う。

 F-35Aは第五世代戦闘機として従来の戦闘機を圧倒すると共に陸海空統合戦闘の融合を念頭にシステム構築された画期的防衛装備です。ステルス性が最大の特色で、レーダー反射を徹底し抑える形状と共に機体構成のカーボン複合材は、素材段階よりRAMレーダー波吸収材含有の新技術が用いられ、巨大な機体もレーダー上には舞う葉書程度にしか映らない。

 AN/APG-81 レーダーはAESAレーダー方式が採用され第五世代戦闘機の鏑矢F-22A用のAN/APG-77を改良小型化し、最大探知距離166.7kmを有します。センサー融合によりF-35はレーダー情報に加え多様な情報を元に戦闘優位を構築し、更にF-35単体に加えE-767やイージス艦始め将来的には10式戦車等の各種防衛装備とのネットワークを構築可能です。

 ネットワーク型戦闘機体システムを設計段階から採用したF-35はAN/APG-81 レーダーに加えAN/AAQ-40 EOTS電子・光学式照準システムとAN/AAQ-37 EO-DAS電子式光学画像配信システムを搭載し、地上と航空目標や弾道ミサイル等を包括的に収集し且つ処理し、戦域情報を俯瞰し恰も手に取るが如く操縦士や司令部へ供する事が可能となりました。

 初飛行には岐阜基地飛行開発実験団のF-2Bが同伴しました。本日岐阜基地ではF-2戦闘機後継ステルス戦闘機への技術蓄積を目指すX-2実験機が飛行試験を行い、F-2戦闘機搭載の新型超音速対艦ミサイルXASM-3技術試験も実施されています。併せてF-35Aは航空自衛隊のF-15Jとのデータリンクを念頭としており、防空全体の世代交代に資する航空機です。

 自衛隊ではF-35要員の教育を大車輪で進めており、アリゾナ州ルーク空軍基地では最初の操縦要員2名が操縦課程を修了しました。全て単座であるF-35A要員はFMSフルミッションシミュレーターを用いて実施され、航空自衛隊では老朽化したF-4EJ戦闘機の後継として当面42機を導入し、将来的にF-15J初期型の後継機にもF-35Aが有力視されている。

 三沢基地に航空自衛隊最初のF-35A飛行隊が創設される事となっていまして、今年度末にも臨時F35飛行隊が新編されます。F-35A戦闘機は一機一億ドル、という高価な機体ですが、アメリカ空軍は1763機を導入予定で、海軍が艦載型のC型を260機、海兵隊が各種420機、イギリス海空軍がB型を138機、イタリア空軍の131機等、12か国が採用します。

 日の丸を冠した機体ながら真紅の旭日を描かないのはステルス素材の性能を最大限発揮させる為です。全ての兵装は必要に応じ全て機内に搭載し開戦第一一撃を担う。一方でステルス機ですが航空管制用に機体後部にレーダーリフレクターを装着しています。複数の突起を装着する事で航空管制を混乱させぬようF-2戦闘機程度までレーダーに反射させます。

 平和国家として専守防衛の我が国にとり、第一撃を受け身で受ける為、航空防衛は緒戦を耐え再構築するには優れた戦闘機が必要です。一方、中国海軍の国産空母建造や遂に戦後初めて1000回を超えた対領空侵犯措置任務等周辺での活発な軍事行動は防衛力の重要性を繰り返し認識させる厳しい情勢であり、F-35Aの日本での初飛行は“間に合った”防衛力整備の筆頭といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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フィリピンISIL騒乱緊迫化!戦闘二週間目,戒厳令下のミンダナオ島と東アジアに迫る危機

2017-06-12 20:01:04 | 国際・政治
■難民二〇万!東アジア狙うISIL
 我が国ではテロ等準備罪法案国会審議が大詰めとなっていますが、テロは迫っています。南の隣国フィリピンではイスラム過激派ISILが中東から長躯展開、戦闘は二週間目に入りました。

 フィリピンにおいてISILが大規模な攻勢に出ています。フィリピンと云えば日本の南の隣国、遠い国の話ではありません。既に四月にはフィリピンミンダナオ島においてISILの活動が活性化し、ドゥテルテ大統領は先月、ミンダナオ島当該地域に戒厳令を発令しISIL掃討作戦を展開しています。しかし、当初は短期間で掃討できるとされた治安作戦はISILが対戦車火器や迫撃砲を装備しており、鎮圧作戦は難航しています。

 ISILとのミンダナオ島での戦闘の発端はマラウィ市の刑務所を先月、数十名のISIL戦闘員が襲撃し、服役者を逃亡させた事に端を発します。その後数時間で数百名のISIL戦闘員がマラウィ市の大半を武力掌握し、警察署を攻撃し治安機能を麻痺させた。続いてマラウィ市周辺の主要道路を封鎖、百数十名が死亡、事態を重く見たフィリピン政府が戒厳令を発令しました。

 戒厳令から二週間、フィリピンでは国内難民20万が発生しています。正直此れほど長期化するとは思いませんでした。フィリピン南部の都市マラウィでは9日にフィリピン海兵隊部隊が待伏せ攻撃を受け、13名の戦死者が出ています。これに対しフィリピン軍は空軍の軽対地攻撃機を展開させ航空攻撃を実施すると共に、現在フィリピン国内においてフィリピン軍支援のため、一定規模のアメリカ軍特殊部隊が行動中である事が在比アメリカ大使館の声明により判明しました。フィリピンには過去にアルカイダの武装勢力が浸透した事はありましたがこれほどの攻勢に出た事は無く、アメリカが動いたかたち。

 自衛隊が将来的にフィリピン国内での対テロ戦闘に参加する可能性は現時点でほぼありませんが、このまま戦闘員が定着し、ISILの拠点が構築されたならば、日本や中国でのISILに対するテロ活動の危険性が高まります。特に中国政府は国内のイスラム教への厳しい政策を継続しており、イスラム系少数民族への抑圧政策を経て、フィリピンと中国のイスラム過激派の連携が脅威となる可能性はある。

 日本国内でのISILによるテロの可能性は現時点でこそ、高くはありませんが、”直ちに危険ではない”という水準で放置すれば将来的に脅威となります。特に海洋安全保障など幾つかの政策でフィリピン政府との協力を強化する日本はISILの攻撃目標となり得ます。また、テロに反対する国際協調に参加している日本は過去に何度もISILの攻撃対象であると名指しされており、東京五輪の開催が2020年に迫り、この他に在日米軍基地等もISILの攻撃の口実となり得ます。

 中東の出来事であったISIL、しかし日本も対岸の火事ではなくなりつつある。ISILは中東地域での活動拠点の大半を失い、イラクとシリアの一部都市部に立てこもり最後の戦闘を展開しています。一方で欧州地域での無差別テロを乱発し、イスラム国家建設という当初の民衆支持を得るための試みは自爆テロによる存在の誇示に転落しつつあります。しかしこうした中で東南アジアのフィリピンにおいて最大規模の策源地を構成中です。逆の視点からは基盤が既に構築されたからこそ、市街地を広く占領し二週間以上も戦闘を展開できているのでしょう。

 何故フィリピンにISILが拠点を構築しているのか。元々フィリピンには多数のイスラム教徒が定着しており、これはフィリピン独立前のアメリカ保護領時代から度々摩擦を起こしており、第二次世界大戦中では日本軍との接触もありました。戦後もゲリラ活動を展開しており、2002年からは対テロ戦争の一環として米軍との合同治安任務を展開していました、が、現在のドゥテルテ政権成立後に米軍との訓練が中断し、この軍事的空隙を突かれたかたち。

 サウジアラビア、パキスタン、チェチェン、モロッコ今回の襲撃には遠方からの外国人戦闘員も今回の襲撃に加わっていたとの事で、ISILの東南アジアコネクションが確立されたことを物語ります。フィリピンと共にマレーシアとインドネシア島嶼部は錯綜地形と多島海域が続き、海賊も出没するため、海洋法執行機関の真空地帯ともなっています。しかしフィリピン、過去にはアメリカ軍を退去させた軍事的空白を突いて中国がフィリピン領ミスチーフ環礁を占領された歴史があり、今回のフィリピン政府は軍事的空白を作らないよう国防努力を行う大原則をまたしても忘れた事が要因の一つといえましょう。

 ミンダナオ島での騒擾に併せ、アメリカは特殊部隊による支援を開始すると共にフィリピン軍への対テロ任務用の武器援助を開始しています。これは今月5日に在比アメリカ大使館が発表したもので、過去に無償供与を計画したところ、ドゥテルテ大統領に中古品は不要であるとして拒否したものです。供与品は小銃300と拳銃200に機関銃4丁、軽装備の2個中隊を編成できる規模の装備です。

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【日曜特集】築城基地航空祭二〇一三【7】F-15編隊機動飛行と九州の歴史(2013-10-27)

2017-06-11 20:00:03 | 航空自衛隊 装備名鑑
■制空戦闘機F-15イーグル
 制空戦闘機F-15イーグルの編隊機動飛行の写真と共に航空祭の思い出について、特にもう少し歴史の名所旧跡という九州の昔の歴史から築城航空祭を振り返ってみましょう。

 築城航空祭、かなりの人口密度を覚悟していましたが、なにより入間基地航空祭や浜松基地航空祭に岐阜基地航空祭の物凄い混雑を経験していますので、築城基地航空祭の混雑はそれ程には感じませんでした。そしてなによりも天気が良かった故の充実感が大きい。

 航空祭の写真を見ての通り、撮影位置は順光の立地となっていまして、実は宿泊が若松という少々離れた場所、ホテルは航空祭での先陣確保から本当は小倉に宿泊地を確保したかったのですが、満員御礼の状態ゆえに基地から遠い場所に宿泊、出遅れてしまいました。

 築城駅から築城基地が最寄り駅であると共に徒歩数分という好立地であり、しかも航空祭当日はJR九州臨時特急が多数運行される、その旨博多駅にも掲示されていましたので、出遅れた場合でも交通手段は充分ありまして、青い特急ソニックにて駆け付けましたしだい。

 撮影ですが、しかし、築城基地は横にエプロン地区が広い立地でしたので、到着は少々遅れたものの基地に入場すると同時に地上展示機等の撮影を後回しとする事で滑走路方面に急ぎますと、離着陸を撮影する事が可能となる撮影位置を確保する事が出来たのが幸い。

 順光という撮影環境は重要ですが、一方エプロン地区から撮影をしていますと気付きましたのは外柵沿いからの撮影という選択肢もあるようです。この築城基地は滑走路が海に突き出ており、平日撮影では防波堤上も撮影適地であるということを教えてもらいました。

 さて築城基地は九州防空の要衝です。朝鮮半島に最も近い戦闘機部隊基地であると共に対艦攻撃に当たるF-2戦闘機が配備されていますので、冷戦時代にはソ連軍の対馬海峡での行動への要諦を担いましたし、今日は南西諸島への中国海軍の動向を睨む航空基地の一つ。

 しかし、九州という地は日本史と近現代史を振り返りますと様々な歴史大河の舞台となっていまして、今考えてみますと築城基地航空祭へ撮影展開を機会としまして、もう少し観光を敢行するべきだった、と思うものです。前日土曜日にこの周囲を散策する等して、ね。

 黒田官兵衛、築城基地航空祭へ展開したのだからもう少しこの戦国武将の歩んだ九州を散策しておくべきだったなあ、とは考えるところです。黒田官兵衛は1546年に播磨国は姫路に生を受けまして、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、三英傑との関わりも大きい人物です。

 豊前国主黒田如水、との別名と共に戦国時代の軍師としてもう一人の雄たる竹中半兵衛とともに勇名を馳せ、黒田長政の父であると共に黒田長政が高鍋城を攻め落としたことでこの地を豊臣秀吉から賜り、九州における基盤を確固としたものとしています、城址も多い。

 黒田如水の生涯を描いたNHK大河ドラマ“軍師官兵衛”がこの航空祭を撮影して数か月後に当たる2014年より放映開始となりまして、岡田准一が演じる正統派戦国大河絵巻の放映と共に所縁の地九州では最寄駅に築城駅が紹介される事も多く、歩を伸ばすべきでした。

 軍師官兵衛、NHK大河ドラマには久々の見応えで、前年に同志社大学で明治維新のライフル魔と尊敬されている新島八重を綾瀬はるかが演じた“八重の桜”、その前は松山ケンイチ氏主演の何かと違う意味で話題となった“平清盛”、前があの“江 姫たちの戦国”でした。

 中津城、黒田官兵衛が築城主となった城郭ですが大分県中津市に位置する城郭で、築城基地の位置から距離にしまして僅か15kmという文字通り近傍に在りまして、城郭も模擬天守として独立式望楼型五重五階を奉じ、更に城郭の城址としては石垣と堀が残っています。

 豊臣秀吉より黒田官兵衛豊前国6郡12万3000石を賜りこの統治へ造営された中津城は、周防灘に面した立地で別名中津川城や扇城や小犬丸城若しくは丸山城といわれていまして、日豊本線築城駅から同じ日豊本線中津駅まで所要20分弱、駅より徒歩で15分とのこと。

 九州征伐として豊臣秀吉の九州進攻と共に、その天王山となったのは根白坂の戦いで、豊臣秀吉率いる兵力10万1000名が島津義久島津義弘の3万5000名と全面衝突、その後に豊臣秀吉の信頼厚い黒田官兵衛が九州の抑えとして、この地の防備を任せた訳ですね。

 何故築城基地航空祭前日の土曜日にこの当たりへ早く進出して慣行を敢行しなかったのか、と問われますと、実は迷っていたのは前日土曜日に飯塚駐屯地祭が予定されていまして、飯塚駐屯地祭と築城基地航空祭を土曜日と日曜日に連続展開の選択肢を模索していたため。

 飯塚駐屯地は第2高射特科団本部が置かれ、第3高射特科群と共に長崎県大村市の竹松駐屯地に置かれる第7高射特科群を有する北部方面隊以外では唯一の高射特科団となっています。ホークミサイル多数が配備されていまして、見ごたえ充分とは行った方のおはなし。

 小倉城、こちらも折角間近に宿泊したのですから、新幹線で帰る帰路に少し立ち寄るとか、前日の宿泊先をこの界隈にするなど、やりようはあったのだが、と思ってしまいます。小倉城は北九州市小倉北区、毛利勝信が造営した城郭です。こちらは大河ドラマ関係ない。

 細川忠興が入り、細川家が熊本城へ移封となるまで小倉城はその藩庁としての役割を担いましたが、この城郭、山陽新幹線小倉駅から徒歩15分と近く、一時間弱で往復できたはずです、望遠ズームレンズなどカメラバックは重かったのですが、それを推して凄いらしい。

 勝山城や指月城との別名を持つこの古蔵城ですが、天守や櫓と庭園に大名屋敷等が再建されていまして、城東に位置する河川紫川を防御堀として活用し、その上で城内に城下町を備える総構え、熊本城や小田原城と共通する防御力を考慮した輪郭式平城の城郭でした。

 天守閣は連結式望楼型四重五階のRC造復興天守閣となっていまして、1959年に再建となっています。細川忠興が完成させましたが、熊本への移封と共に新しい城主に小笠原忠真が入り、その後幕末に戦乱で焼けますが、廃藩置県までこの地を小笠原家が治めています。

 小倉城は幕末の文久年間に海防強化を期し、城外郭に当たる紫川河口両岸に砲台として東浜台場と西浜台場を設置しまして、幕末の火力戦闘を想定した改修が為されているのも興味深いものです、明治時代には陸軍歩兵第12旅団本部が城内松の丸跡に駐屯していました。

 築城基地航空祭を俯瞰しまして、何しろ基地のゲートガードにあたるF-86戦闘機が離陸するがごとし雄姿を見上げまして、自衛隊の歴史に触れた気分は感慨深いものでしたが、それよりも少し周りを散策すれば自衛隊はるか前の戦国時代の歴史に触れられた訳ですね。

 築城基地は変革の最中にあります、沖縄防空を固めるべくF-15飛行隊を転出させ、F-2飛行隊のみとなりました、故に今日では2013年築城基地航空祭のF-2とF-15混成の飛行展示は貴重なもの、その後三沢基地からF-2飛行隊が転入、2個飛行隊体制となりました。

 航空祭特集写真掲載、思い出すのは近年の航空祭、飛行展示を急遽中断し実弾搭載の対領空侵犯措置任務緊急発進の状況と直面する事が増え、南西諸島への圧力は西日本へ及び、北海道上空も緊急という緊迫した冷戦時代のような情勢が回帰しています。当時はそれ程では無く、四年前の安定を思い出しました。

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