北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成三〇年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.04.21/22)

2018-04-20 20:09:01 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 晩春と初夏の中間のような摩訶不思議な気候の最中、皆様いかがお過ごしでしょうか。今週末は東北から九州まで自衛隊行事の一斉挙行です。

 第8師団祭か第14旅団祭か、年度末改編において第42普通科連隊を即応機動連隊へ改編した第8師団、第15普通科連隊を即応機動連隊へ改編した第14旅団、四国か南九州か、即応機動師団か即応機動旅団か、今週末は注目の部隊が同日行事を行います。改編記念式典は3月31日に北熊本が、4月1日に善通寺が挙行されていましたが、今回は同日開催だ。

 第14旅団と第8師団、新編の即応機動連隊は機動戦闘車2個中隊を含む強力な機械化部隊で、漸く騎兵連隊に相当する部隊が九州と四国に創設されました。一方、第14旅団では中部方面特科隊が早速旅団特科を移管、戦車中隊が廃止となるなど改編の影響は大きく、旅団の即応機動連隊以外の普通科連隊はどう位置付けられるのか等、行事を通じ関心は高い。

 特科部隊行事では北富士駐屯地祭、郡山駐屯地祭と八戸駐屯地祭が行われ、八戸駐屯地祭はミサイル部隊主体の特科部隊行事で第4地対艦ミサイル連隊、旧第5高射特科群の第101高射特科隊、飛行場を有する事から第9飛行隊と第2対戦車ヘリコプター隊が駐屯していまして、編隊飛行が期待でき、東北方面混成団隷下の第38普通科連隊一部中隊も駐屯する。

 野戦特科部隊は北富士と郡山、北富士駐屯地は第1師団隷下の第1特科隊と部隊訓練評価隊富士訓練センターFTCが駐屯しています、なお仮設敵部隊で有名な第1機械化大隊は滝ヶ原に駐屯しています。郡山駐屯地祭は第6特科連隊と第6高射特科大隊が駐屯しています、特科連隊の今後の改編は先が読めず情報が錯そうしている状況、わたし気になります。

 普通科連隊行事は、新潟第2普通科連隊の高田駐屯地祭、長野第13普通科連隊の松本駐屯地祭、長崎第16普通科連隊の大村駐屯地祭、大阪第37普通科連隊の信太山駐屯地祭、青森第39普通科連隊の弘前駐屯地祭、全国で普通科連隊駐屯地祭が一斉に開催されます。大村駐屯地は加えて第4施設大隊、弘前駐屯地には第9偵察隊が、それぞれ駐屯しています。

 自衛隊関連行事展開の際、一昔は選択肢にブルートレインというものがあり得たのですが、前日の夕方に出発して寝台でゆっくり休み、ブルートレインによってはサロンカーで駅弁と銘酒に舌鼓、食堂車で洒落た贅沢、そして現地に早朝に到着して思い切り写真を撮影し、帰路もゆっくり寝台で休み、月曜日の早朝に新しい一週間を始めると出来た訳です。

 新幹線で便利になった事は確かですが、なんとなく寝ている時間を惜しんで移動している部分が忙しなくなった印象が拭えません。もっとも、早朝到着のブルートレインは数が限られていますので、全廃後に郷愁を感じたとしても単なる懐古趣味であり、実際には客車特急の速度が110km/hまで、在来線でも寝台特急運用に限界があったともいえるのですが。

 しかし、高松と出雲市を岡山で連結し東京へ向かう寝台特急サンライズ瀬戸出雲は大阪駅に深夜停車し、翌日早朝に東京駅へ到着するダイヤで運行され、電車寝台特急とあり速度も速く、車内設備も優れており友人知人で愛好家の声も多い。夜間の内に移動でき、疲れない、という寝台特急は、昔は予算面で厳しかったが、予算の余裕と反面に休養と時間の方が貴重な昨今、今あればと考える今日この頃です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・4月21日:弘前駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/hirosaki/hirosaki/
・4月21日:八戸駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/neainfo/sta/hachinohe/hachiindex.html
・4月22日:郡山駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/unit_hp/koriyama_hp/index.html
・4月22日:高田駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1eb/5eg/
・4月21日:松本駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/haichi/0405matsumoto/matsumoto.htm
・4月22日:北富士駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1d/
・4月22日:信太山駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/shinodayama/
・4月22日:第14旅団創設記念善通寺駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/14b/
・4月21日:大村駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/oomura/index.html
・4月22日:第8師団創設記念北熊本駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/8d/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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検証4.14シリア攻撃:米英仏有志連合限定空爆へ抗するシリア防空軍と巡航ミサイルの意味

2018-04-19 20:11:25 | 国際・政治
■次段階も示唆の米英仏有志連合
 シリア防空軍の防空部隊が健在である中での巡航ミサイルの実による限定空爆は軍事目的を達しつつ、一部のミサイルは撃墜される事となりました。

 シリア軍はロシア軍の軍事援助、特に装備のみならず部隊編成や教育訓練においても大きな影響を受けています。そして現在、ロシアは自衛隊と並び地対空ミサイルの密度が非常に高い。日本の自衛隊はアメリカ陸軍と比較しますと地対空ミサイルが非常に充実しています、性能も高いとされるのですが、それ以上に装備密度が高く特殊とさええいます。

 シリア軍は陸海空軍とは別に防空軍を組織し防空任務に当る。ロシアより軍事援助を受け、射程150kmのS-300地対空ミサイルが高高度まで無人機や爆撃機の接近を許さず、射程37kmのSA11/9K37,低空目標は射程12kmで垂直発射式即応性の高い9M33SA-15/9M330や前型SA-8/9K33、S-1やSA-19複合防空システム、ZSU-23自走高射機関砲等が揃う。

 シリア防空軍は3万6000名規模、シリア陸軍が2015年の人員規模で12万5000名規模、シリア空軍が内戦前の2011年で6万名規模といいますので、防空軍はかなりの規模です。シリア内戦ではイスラエル空軍による予防爆撃などはありましたし、シリア民主軍との戦闘で巻き添えを受けた可能性はありますが、ロシア軍援助で能力が維持されたのでしょう。

 日本の地対空ミサイル部隊を見ますと非常に濃密です。航空自衛隊が射程100km以上のペトリオットミサイル、陸上自衛隊が射程60km以上という03式中距離地対空誘導弾、基地防空用と野戦防空用に射程20kmの基地防衛地対空誘導弾、11式短距離地対空誘導弾、旧型で射程15kmの81式地対空誘導弾、射程5km第一線用の93式近距離地対空誘導弾など。

 ソ連は冷戦時代、自衛隊とは比較居ならない程の高水準の野戦防空部隊を有していました。自衛隊は冷戦時代、1980年代に国産地対空ミサイル大量配備が開始されるまでは改良ホークやナイキ等限られていたのですが、改良ホークを一個大隊取得、または改良費用だけで73式装甲車250両分、と高い費用を要し、限られた予算をミサイルに振り分けた事は確か。

 日本の地対空ミサイルが濃密で、しかも日本全土に配備されるほどに数が多いのは第二次世界大戦中に制空権を奪われ陸上部隊や飛行場と工場や市街地までもが散々航空攻撃により破壊され、人口密集地域に絨毯爆撃から核攻撃まで受けた反省から、防空を重視した為です。そしてシリア軍も同様に四度の中東戦争等でイスラエル空軍に散々空襲されました。

 シリア軍はロシア製地対空ミサイルを装備しています、そしてロシアはソ連時代の第二次大戦中にドイツ空軍に散々地上部隊や市街地と工業地帯を攻撃され、日本と同じように第二次大戦中に叩かれた厳しい経験を基に対空部隊を強化するという指針が組まれ、その基盤の下に今日までの装備体系や部隊体系を培ってきました、実際その能力も規模も大きい。

 準備期間があったのも大きかった、シリアの化学兵器使用に対し、トランプ大統領は一線を越えたとして重大発表を行うとしていました。この期間、即ちシリア軍が化学兵器を非戦闘員の無差別殺りくに使用した事が国際社会に露呈した時点で昨年2017年4月に実施されたような軍事制裁が行われる可能性が生じ、防空砲兵部隊を戦闘配置へ展開できました。

 限定空爆以上の軍事制裁は、そもそも米英仏有志連合も今回考えていなかったと思われます。地中海の空母部隊展開やイタリアへの空軍部隊展開も通常規模、防空制圧任務を行った場合のリスクがあり、シリア防空軍はロシア軍の援助で維持されている為防空制圧任務を行えば当然、軍事顧問として派遣されているロシア軍への損耗も無視できなくなります。

 米英仏有志連合の限定空爆は、それならば意味は無かったのでしょうか、考えてみますと逆です。神経ガスを使用したならば即座に介入する意図を示唆し、アメリカはシリアの人権問題へ無関心ではないことを示しました。そして巡航ミサイルは首都ダマスカスを射程に収めシリアのどこでも攻撃が可能で、シリア防空軍はその分全土を警戒せねばならない。

 アメリカは今回保有する多数の巡航ミサイルのごく僅かな規模、オハイオ級巡航ミサイル原潜やタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦一隻分にも満たない巡航ミサイル攻撃を行っただけですが、シリア軍はこの規模のミサイル攻撃を何度も繰り返された場合、保有する対空ミサイルは短期で払底します。そしてロシアの地対空ミサイル援助も無限ではありません。

 今回は限定空爆でした。しかし、シリアがこれからも神経ガス等の大量破壊兵器による無差別攻撃を行うならば、その都度こうした限定空爆を行う事を、昨年四月のトマホーク攻撃に続いてアメリカが強調し、今回は米英仏の有志連合で実施したことは意味があります。大量破壊兵器使用が繰り返されれば限定空爆では終わらない可能性もあり、一度は廃棄した大量破壊兵器をシリアがどう取得したのかを含め検証し、大量破壊兵器の完全廃棄とシリア内戦の終結を願ってやみません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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検証4.14シリア攻撃:米英仏有志連合“作戦完了”/シリア政府“多数を迎撃”,限定空爆の意義

2018-04-18 20:02:47 | 国際・政治
■軍事制裁“限定空爆”とは何か
 土曜日4月14日に実施された米英仏有志連合によるシリア攻撃について、これがどの程度効果があったのかを見てみましょう。

 米英仏有志連合によるシリア攻撃、B-1爆撃機やイージス艦からの巡航ミサイル攻撃、イギリス空軍のトーネード攻撃機がキプロスのイギリス軍基地より進出、フランス空軍もラファール戦闘機を派遣し巡航ミサイル攻撃を行いました。トランプ大統領は攻撃成功、と強調しましたが、同時にシリア政府も巡航ミサイル多数の撃墜を発表、勿論どれだけ実際に撃墜したかは検証が難しいのですが、こう主張できるのは何故でしょうか。

 トマホーク巡航ミサイルは潜水艦やイージス艦から発射し、GPS誘導に加え慣性誘導装置と地形追随装置を応用し超低空を飛翔、ピンポイントで命中するとの高性能が謳われ、実際に自動車大の目標、例えば電波塔基部や航空機シェルターの入り口部分に弾薬庫等の硬化扉に正確に命中させ、454kgの弾頭と残った個体燃料を用いて破壊する能力があります。命中精度の高さと共に改良型が絶えず開発、実戦での性能が高い。

 アメリカ政府は攻撃成功を強調しつつ、シリア政府はミサイル迎撃成功を誇示している。こうしますと、どちらかが嘘を言っているようにえますが必ずしもそうではありません。この背景には、巡航ミサイルのみによる限定攻撃の特性がよく表れているといえるかもしれません。理由は第一に巡航ミサイルによる攻撃のみであった事、第二にシリア攻撃を国際社会が神経ガス使用を理由に制裁を示唆していた事、この二点を理解すると背景が判る。

 制裁を示唆していたという降車、つまりシリアには防空体制を準備する時間があった。一方で前者の方、巡航ミサイルだけの攻撃であった、考えてみますと特殊です、無人攻撃機を使っていない。米軍には優秀な無人攻撃機があります、例えばMQ-9無人攻撃機、映画シンゴジラ等で米軍が使用し、パキスタンでアルカイダ系武装勢力に、イラクにてISIL系武装勢力に使用している攻撃機で飛行時間21時間、GPS誘導爆弾や対戦車ミサイルを六発程度搭載できます。

 MQ-9を攻撃に使用できたならば、複合光学映像装置により確実に目標を米本土の司令部が確認しつつ目標だけを攻撃できます、巡航ミサイルでは発射時点で大まかな目標を設定する必要がありますし、目標を設定してもミサイルが飛翔している時間、トマホークはジェット旅客機並の高速なのですが、ミサイル到達までに目標が移動してしまう事もあり得る。そして万一撃墜されても無人ですので操縦士が怪我をする心配もありません。

 しかし、トマホークが使用された背景には、MQ-9無人攻撃機ではシリア軍の防空システムにより撃墜される可能性があった為でしょう。無人機をドローンと表現しますが、ドローンとは軍事用語で標的用無人機を意味し、自衛隊も1950年代から使用しています、つまり対空ミサイルの射程内ならば落とすのは難しくは無い。MQ-9は高度13000mという高高度を飛行しますが、自衛隊にも航空自衛隊のペトリオットミサイル、陸上自衛隊の03式中距離地対空誘導弾、改良ホークミサイル、海上自衛隊のスタンダード、落とせるミサイルは多い。

 自衛隊でも準備万端の状況ならば同規模の攻撃があっても、もっと効果を挙げられたでしょう。例えば紀伊半島沖にミサイル爆撃機を進出させる中国軍が、我が国へ同様のミサイル攻撃を行った場合、恐らくミサイルの大半は航空自衛隊と陸上自衛隊により撃墜される事でしょう、こう表現しますと巡航ミサイルの威力はそれほど大きくないように思えてくるのですが、これは空爆ではなくミサイル攻撃という限定空爆における限界を端的に示したもの。

 防空制圧任務、という、本格的な空爆を行う際に必ず実施する任務があります。今回は限定空爆ですので防空制圧を行わずミサイル攻撃を実施している。防空制圧任務とは、地対空ミサイルや防空部隊とこれらを結ぶ通信網そのものを破壊する任務で、非常に危険なのですが囮の航空部隊、1991年湾岸戦争のころはF-4G戦闘機、1998年ユーゴ空爆の時はF-16CV戦闘機、を実際に飛行させ、迎撃する地対空ミサイル部隊を炙り出し攻撃しました。

 湾岸戦争では、F-4Gに対して防空レーダーが照準のための照射を行った電波の発信元を逆探知し、HARMミサイル等対レーダーミサイル、敵のレーダーが発信する送信元を標定し逆に攻撃を行う空対地ミサイル、で最初にレーダーを破壊する。湾岸戦争ではイラク軍レーダー機動を強いるべくF-4Gの他に標的用無人機ファイアービー等を多数投入し、大規模な空襲を模しています。続いてF-4Gに対し発射される地対空ミサイルを狙う、F-4Gはこの際に猛烈な勢いで電波欺瞞装置と囮を発射しつつ逃げるのですが。

 地対空ミサイルも発射された瞬間に下方監視レーダーに発見されますし、ミサイルを誘導する手段も射撃管制レーダーです。ただ、攻撃された囮のF-4Gは逃げなければそのまま地対空ミサイルに撃墜されてしまいますので、発射された敵地対空ミサイル位置を自動記録すると同時に低空飛行し隠れていた別のF-4Gが即座にその位置へ向かい、攻撃するのです。実際危険ですが、防空制圧部隊はその為の訓練を積んでいまして、勿論EF-111電子攻撃機によるミサイル誘導の無効化も併用し、可能な範囲内で危険を冒したことは言うまでもありません。

 巡航ミサイル攻撃のみとなった今回のシリア空爆、防空制圧任務を行わずに実施したので、シリア軍地対空ミサイルに多数が迎撃され、という事です。しかし、防空制圧任務を行えば相応の犠牲が生じ、防空制圧部隊が撃墜される事は当然あり、防空部隊のミサイル要員やレーダー要員にも多数の犠牲者が出る、限定空爆とはこれを避けるため、限定なのです。限定空爆と全面せんそぅにおける本格的空爆は、このように区別する必要がありますね。

 しかし、限定空爆、特にミサイル攻撃ならば準備はイージス艦や攻撃型原潜を展開させるだけで完了です。そして、ミサイルを投射する戦略爆撃機やイージス艦、攻撃型原潜などはシリア防空軍の射程圏内に入らずとも作戦が可能ですので、人的損耗の懸念もありません。準備期間が短くリスクが少ない、しかし巡航ミサイルは迎撃される事を念頭に必要な施設無力化任務を果たしています、そして目標を制圧するという任務を果たしシリア政府に強烈な最後通牒を突き付けるという政治目的を果たした、これが今回のシリア攻撃の特色といえるでしょう。

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米英仏有志連合シリア攻撃!アサド政権東グータ自国民化学兵器無差別使用へ軍事制裁を実施

2018-04-17 20:09:13 | 国際・政治
■シリア政府サリン使用へ制裁
 土曜日日本時間早朝にBBCが米英仏有志連合によるシリア攻撃を速報、当方は高崎で知りました。

 トランプ大統領は日本時間14日土曜日午前、シリアの化学兵器使用に対する軍事制裁として、巡航ミサイル攻撃を実施しました。2011年から続くシリア内戦、シリアのアサド大統領率いるシリア軍が首都ダマスカス近郊のシリア反アサド勢力拠点、東グータ地区への化学兵器攻撃を実施、窒息系塩素ガスに加え神経ガスサリンが使用された事への制裁です。

 アメリカ、イギリス、フランスの有志連合によるシリア空爆は、アメリカ海軍より紅海海上を遊弋する少なくとも一隻のイージス艦よりのトマホーク巡航ミサイル、空軍のB-1戦略爆撃機よりの巡航ミサイル攻撃、イギリス空軍のトーネードGR4攻撃機4機より恐らくストームシャドウ巡航ミサイルが、またフランス空軍もラファール戦闘機を運用しました。

 日本政府はこのシリア空爆を支持しており、ドイツ政府やカナダ政府など先進七か国G7は有志連合支持で一致しています。一方、シリア政府を支援し大規模な軍事援助を継続しているロシア政府は強く反発しており、この米ロ対立が我が国安全保障情勢へも、北方領土での軍事訓練強化や爆撃機の長距離飛行訓練等、間接的な影響を及ぼす可能性があります。

 日ロ関係は北朝鮮核ミサイル攻撃脅威へのミサイル防衛システム構築を前に当初ミサイル防衛へ理解を示していたロシアが一転し、陸上配備型イージスシステム“イージスアショア”の東日本防空用建設へ強く反発している事から摩擦要素があり、間接的ながらもシリア攻撃への支持は、即日ロ緊張まではいかずとも影響を及ぼす可能性も否定できません。

 シリア軍東グータ地区化学攻撃は今月7日に実施、多数の死傷者が現地からの写真多数などで判明しました。過去に神経ガスによる攻撃は数回のみですが、激しい国際社会からの批判を受け塩素ガスによる攻撃や大量の爆発物を樽に詰め込み市街地へ航空機から投下する通常攻撃に切り替えられていましたが、7日の攻撃は神経ガス使用が濃厚とされています。

 グータ地区への化学兵器使用は今回が初めてではありません。2013年8月21日にも実施され、122mmロケット弾改造のロケット弾12発が発射、60リットル程度の化学剤が1500m範囲内に投射され、2000名の死傷者が出ました。国連調査団は現地調査の結果、ロケット弾残骸、遺体や土壌からサリン残留物質を検知すると共に死者350名を報告しています。

 2013年サリン攻撃は当時のアメリカオバマ大統領が軍事制裁を決定、上院軍事委員会がその権限を付与しましたが、シリア政府を支持するロシア政府が全てのシリア軍化学兵器の廃棄と化学兵器全廃条約へのシリア加盟を条件に空爆の中止を要請し、軍事行動は中止されています。しかし、塩素ガス等簡易化学精製有毒剤による攻撃はその後も散発しました。

 サリンの保有は化学兵器禁止条約に違反し、非戦闘員への無差別攻撃はジュネーブ文民保護条約に明白に違反しています。トランプ大統領は2017年4月6日にもシリアのサリン使用に対して巡航ミサイルによる制裁を実施しており、地中海を遊弋するアメリカ海軍イージス艦よりトマホーク巡航ミサイル59発を投射し、シリア空軍飛行場等を破壊しました。

 ミサイル攻撃、意外であったのは三点。一つはシリア首都の化学工場を攻撃した点で昨年のミサイル攻撃が空軍基地へ限定されていた点と比較し精密誘導兵器を使用とはいえ首都攻撃に踏み切った事、もう一つは継続的な攻撃ではなく現時点では次の攻撃の可能性を示唆しつつ、トランプ大統領が既に攻撃終了を宣言しており一回限りの攻撃であった事です、これにより株式市場などへの今回の影響が限定的なものとなったもよう。

 トランプ大統領はシリアにて活動中の米軍撤退を宣言していましたが、これがミサイル攻撃という大規模介入により撤回された事、これが三つ目の意外な点でした。シリアへはISIL掃討支援へ米軍特殊部隊が派遣されており、その派遣兵力も相当規模である事が報じられています。これがロシアとの摩擦要素となっていましたが、撤収を宣言し、その摩擦要素の解消が示唆されていましたが、新しい緊張要素となってしまいました。

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【G7X撮影速報】第12旅団創立17周年/相馬原駐屯地創設59周年記念行事(2018-04-14)

2018-04-16 20:06:03 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■日本空中機動旅団発祥の地
 群馬県は榛東村にある相馬原駐屯地は日本空中機動旅団発祥の地、そして自衛隊最初の戦車部隊が誕生した地でもあります。

 土曜日に第12旅団創設記念相馬原駐屯地祭へ行ってまいりました、北関東信越地方を警備管区とする精鋭旅団です。日曜日は高崎市の吉井分屯地へと考えたのですが、上田城探訪へ転進しました。善光寺、松本城、長野県の名所旧跡を一挙に巡る一大旅行となります。

 第12旅団は2001年に第12師団を旅団へ改編し創設された空中機動旅団です。現在、四国善通寺の第14旅団が即応機動旅団へ改編され全国へ緊急展開する精鋭部隊へ一大転換しましたが、第12旅団の空中機動旅団改編は、その発想の原点にあるといえるかもしれません。

 旅団司令部、司令部同付隊、第2普通科連隊、第13普通科連隊、第30普通科連隊、第12対戦車中隊、第12偵察隊、第12特科隊、第12高射特科中隊、第12ヘリコプター隊、第12施設隊、第12後方支援隊、第12通信隊、第12化学防護隊、第12音楽隊が基幹部隊だ。

 空中機動旅団として第12ヘリコプター隊が置かれており、OH-6D観測ヘリコプター4機、UH-60JA多用途ヘリコプター8機、CH-47JA輸送ヘリコプター8機、が配備されています。師団飛行隊は通常UH-1J多用途ヘリコプター2機とOH-6D観測ヘリコプター2機のみ。

 即応機動旅団の運用構想に先行する旅団編制ですが、改編当時は装甲車が化学防護車のみ、偵察隊に偵察警戒車も普通科連隊には軽装甲機動車は勿論指揮通信車もありませんでしたが2013年の旅団改編にて偵察警戒車、軽装甲機動車、指揮通信車が配備されています。

 相馬原駐屯地は毎回群馬バス相馬原自衛隊前にて降車し、延々駐屯地外柵沿いを榛名山麓相馬原飛行場へ実に40分掛けて登攀していましたが、実はバスの終点榛東温泉が最寄である事に昨年漸く気づいた当方、しかし本年は幸い東京の友人と共に車両展開が出来ました。

 榛名山麓の相馬原駐屯地、式典会場の相馬原飛行場は遠景に赤城山を一望する風光明媚な立地にあり、そして榛東村に司令部が置かれる旅団、陸上自衛隊の全国15個が維持される師団旅団で、第12旅団は唯一、市町村の村に司令部が置かれている駐屯地でもあります。

 赤城山を望む榛名山麓の相馬原駐屯地、地酒に赤城山と榛名山、霧の榛名、という呑み口の優しい清酒がありまして、高崎市内で二晩痛飲したのですが、司令部ご当地の榛東村となりますと、中々に居酒屋や小料理屋を探すのも難しく、此処にホテルがあれば、と思う。

 JR群馬総社駅が最寄り駅なのですがそれでも7kmあり、路線バスで移動するならば高崎駅か前橋駅から一時間ほどかけて展開する他ありません。せめて方面輸送隊の支援を受けて群馬総社駅からシャトルバスでも運行してくれたら楽なのになあ、と少し考えてしまう。

 第12旅団、旅団改編当時は3000名規模の部隊でしたが、順次改編され4000名規模の旅団となりました。実は改編当時、即応予備自衛官主体の第48普通科連隊が新編され4個普通科連隊基幹であった時代があります。しかし、この編成が2013年の改編で転換しました。

 2013年3月の旅団改編にて第48普通科連隊は連隊本部を相馬原駐屯地に置きつつ武山駐屯地の東部方面混成団隷下へ移管、一方、第12通信中隊と第12施設中隊がそれぞれ第12通信隊と第12施設隊へ増強改編を受け、装甲車両も抜本的に強化され、今日に至ります。

 空中機動旅団でもせめて10式戦車の戦車中隊があればとか、即応機動旅団と云わずとも冷戦時代に北方機動演習にて北転師団は同様の機動展開を考えていたとか、コンパクト化というより低充足実情に合わせた、との声も聞こえなくも無いですが、充実した撮影でした。

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【日曜特集】富士学校創設63周年富士駐屯地祭【04】普通科特科の観閲行進(2017-07-09)

2018-04-15 20:17:46 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■普通科教導連隊特科教導隊
 普通科教導連隊の観閲行進、その後続には特科教導隊が行進進入点を越えて待機位置へ前進中だ。

 施設作業小隊の観閲行進、普通科連隊の第一線障害除去や陣地構築などを支援する部隊ですね。すぐ後ろには対戦車中隊が続く。中距離多目的誘導弾は通称中多、ミリ波レーダと熱線暗視装置を併用する事で同時多目標を捕捉し毎秒1発の連続発射能力があります、射程は非公表ですが概ね8kmとされています。自衛隊では重MATに続いて普通科中隊用の87式対戦車誘導弾が開発されています。

 96式装輪装甲車にとうさいされているのは70式地雷処理装置、安全な装甲車から地雷処理が行えるという。中距離多目的誘導弾もこんな方式で運用できればいいのだが。中距離多目的誘導弾通称中多は87式対戦車誘導弾通称中MATの後継という位置づけにもなっています。87式対戦車誘導弾は射程2000m、レーザー誘導方式のミサイルです。射程2000mが中隊の交戦距離、4000mが師団や連隊の交戦距離、と区分していた訳ですね。

 中距離多目的誘導弾のおはなし。重MATの威力も今日的に視て充分なのですが、誘導が赤外線半指令誘導方式という命中まで射手が目標を照準し続ける必要があるため、旧式化したとされました、ちなみに射撃は陣地で行い車上からの射撃は想定されていません、これは機動性という面で問題でしょう。

 中多を初めて富士総合火力演習で射撃展示を見た際には衝撃を受けました、毎秒1発で連続発射し、異なる目標へ確実に命中、3~4秒で戦車小隊を殲滅する能力があります。しかも射程8kmでは戦車砲の射程外から射撃でき、データリンクにより間接照準射撃も出来る。正直なところ、戦車の冷戦後における各国の縮小と反比例して装甲戦闘車が増大している状況では、重装甲の装甲戦闘車を排除するためのこの種の装備、もちろん大口径機関砲を搭載した装甲戦闘車でもいいのですが必要性は高まるばかり。

 中多は戦車が削減される為に普通科中隊へ配備が進められていますが、中隊の装備としては大き過ぎ、連隊に対戦車中隊を置く編成へ転換されるといいます。すると普通科中隊の対戦車小隊に装備が無くなりますが、小銃班の01式軽対戦車誘導弾を移管するもよう。戦車部隊並に対戦車戦闘が強力な普通科部隊、というのも凄いですが野球の強いサッカー部のようで。

 79式対舟艇対戦車誘導弾は赤外線半指令誘導方式のミサイルで今では旧式ですが、照準下方向へと0んで行く。対して01式軽対戦車誘導弾は通称軽MAT,射程1500mのミサイルですが、熱源画像認識装置により射撃後即座陣地変換可能な撃ち放し能力を有します。戦車に対して最も頼りになる装備ですが、陣地攻撃には全く使用出来ず、いわばデジタルカメラのAF機能が使い難い機種のようなもの。しかも電源確保が重要な装備、第一線で使い難い。

 中距離多目的誘導弾通称中多は戦車部隊削減を補う高性能ミサイルです。ただ、戦車の代わりとはいえ一両5億円、戦車は毎年52両生産した場合で一両7億円といいますので、安いには安いのですが、中多を量産する予算でもっと戦車を買ったらどうかと思うのです。どうも、戦車を削減した自衛隊、欧州ヶ国が戦車を削減しているのにつられて、欧州は戦車の仕事がなくなったので戦車を減らしているのですが、日本は戦車の仕事が残っているのに戦車を削減したしわ寄せが対戦車ミサイル増勢に転換しているようにも思えてならない。

 対戦車ミサイルも同様ですが、続行する重迫撃砲中隊も、砲兵火力の任務が残っている最中で特科部隊を削減したツケを普通科部隊がガンバっている構図だ。普通科教導連隊重迫撃砲中隊の120mmRT重迫撃砲、フランス製の重迫撃砲で自衛隊は420門も調達しました。120mm重迫撃砲は普通科部隊は使用する最大口径の火砲です。法そのものに車輪が取り付けられており、重迫牽引車により迅速に展開し、即座に射撃可能だ。

 120mmRT重迫撃砲は通常弾の射程が8.1kmあり、射程延伸弾で最大13kmの射程を誇ります。これはかなりの高性能でして、前に用いていたアメリカ製107mmM2重迫撃砲は射程4kmに過ぎません。持続射撃能力は砲身は榴弾砲よりも薄い為限定的ですが、現代の対砲レーダ装置が発達した砲兵戦闘で持続射撃を延々としたならば十分以内に標定され対砲兵戦闘の敵効力射が降り注ぐ、その点重迫撃砲は持続射撃能力は低いものの一分間の射撃弾数は多く、投弾量は旧式榴弾砲を圧倒できる。もっとも射程13kmの射程延伸弾は特殊弾薬で連続射撃能力が通常弾薬と異なりますが通常弾薬の8.1kmも無視できない。

 開発国であるフランスは砲兵連隊に装備し、戦闘団編成時に歩兵連隊へ小隊単位で編入するのですが、自衛隊は各普通科連隊に重迫撃砲を置いており、重迫撃砲中隊には12門が配備されています。もちろん高機動車派生の重迫牽引車により機動力が凄い、ちなみにこの重迫牽引車、高機動車ではなく重迫撃砲の備品扱いだったりする。重迫撃砲に加えて普通科中隊に81mm迫撃砲もあるので、実は普通科部隊の火力は物凄い。

 105mm榴弾砲の後継という位置づけの迫撃砲でもあるので、現在自衛隊では特科部隊の榴弾砲を大幅に削減する改編を実施中ですが、それならば120mm重迫撃砲を特科連隊に火力支援大隊を編成し、特科情報装置と連携して運用した方がいいのでは、と思ったりもする。ようするに、特科部隊のほうに榴弾砲の他に重迫撃砲専任部隊を置くという構図の提案です。

 現在、全国の師団特科連隊は火砲30門、特科隊は15門です、一昔の編成の一個大隊分でしかりません、しかし、師団の場合で重迫撃砲が36門あるのですから、特科部隊のデータリンクシステムに統合運用したならば、最大射程13kmを最大限発揮できるでしょう。その上で、出来れば重迫撃砲の牽引車輛に82式指揮通信車のような軽装甲車両を充当できますと、重迫撃砲部隊の機動時にいきなり火力急襲を受けた際にも対応出来ます、開発国のフランスは機械化部隊にて実際、120mm迫撃砲をVABという、82式指揮通信車の四輪駆動版のような、実際にはVABは1975年に開発されていますので、日本の方が影響を受けていそうですが、軽装甲車に牽引させています。

 特科教導隊の観閲行進、特科教導隊は隊編成ですので特科教導連隊ではない、故に特科大隊を編成に持たず特科中隊が基幹、全国の師団旅団改編や師団特科縮小に際して特科連隊が特科隊に改編されているその鏑矢が、ここの特科教導隊なのか、と考えたりもします。全国の特科隊が火砲数15門で規模が小さすぎる、と指摘を散見するのですが、案外、富士教導団では小規模の特科部隊を最大限有効活用する手法を検証した結果なのかもしれませんね。

 本部管理中隊の車両、衛生小隊や情報小隊などが観閲行進に参加している、自衛隊の特科部隊は欧米の砲兵部隊がかなり冷遇され、NATO諸国が次々と火砲100門前後に縮小される中、前の戦争で散々敵砲兵火力に痛い目に遭わされた自衛隊は比較的優遇されている。火砲100門以下の陸軍、日本ではちょっと想像できないのですが、欧州の旅団を見ますと最大の火砲が81mm迫撃砲と84mm無反動砲、という部隊が、それもNATO加盟国の現役旅団で、実在したりします。下を見ればきりがないのですが、ちょっと、驚きだ。

 FH-70榴弾砲の観閲行進、一見自走榴弾砲よりもやわな車両に見えるのですが半自動装填装置つきの近代的蚊法です。この恩恵、日本では半自動装填装置が当たり前になっているので恩恵を感じにくいのですが、1990年代まで各国火砲には、砲弾をこう桿で一発一発押込まなければ装填できなかった火砲も多かったのです。日本の自衛隊データリンク能力は実は諸外国の中でかなり進んでいた、特科情報装置3型は敵砲兵の標定と優先火力目標の選定と火力調整を、対砲レーダや前進観測と音響標定に全ての火砲を接続し実施するもので、計算と標定速度が特科部隊の能力そのものといえる。

 データリンク、火砲の砲弾は155mm砲弾で長径45mに有効弾片を散布します、言い換えれば敵の火砲と撃ちあうには相手の45m以内に着弾させなければならない、数門を同時に射撃するのですが自衛隊が求めるのは30km以遠の目標へ誤差50mという厳しいもの。実は陸軍データリンクという概念は砲兵戦の自動化技術を全ての職種に拡大させたものと云ってもいいもので、第一線の前進観測班が把握した目標情報を即座に戦砲隊へ情報を伝送し、30km単位の遠距離戦闘を、誤差50m以下という厳しい条件で達成するのです。

 火砲の精度、ちなみに特科部隊の任務に気象測定もります、砲弾を命中させるには30kmの距離では様々な僅かな偏差でも想定しなければ確実な命中は叶いません。適当に数を撃てば対砲兵戦で撃滅されるばかりか、日本は専守防衛で国土戦闘を想定しているのですから、同胞の民家や工場といった財産、勿論渋滞などで逃げ遅れた同胞も考えられ、命中精度を高くするに越した事はない。偏差には、地球重力の影響に加え、湿度と風力は数十km先を狙う砲兵戦では大きな影響を及ぼすためで、参考までに核攻撃を受けた際の放射性降下物拡散や化学攻撃等に際しての化学剤汚染拡散の気象標定も特科部隊の任務の一つ。

 FH-70榴弾砲の威力を最大限活かす装備に特科情報装置3型があります。この特科情報装置3型、砲兵戦闘を自動化させる細心の装備、だけれども2000年代の装備で、この種の装備の陳腐化はコンピュータの処理技術とともに日進月歩となる、逆に火砲が少々旧式でも標定能力と情報処理システムと連接さえできれば、現代戦には対応できる。

 大砲が最新でも情報処理システムが旧式ならば逆に殲滅される、自衛隊はこの点に抜かりないもので、火砲はFH-70等今日では若干旧式の、正確にはそれ程旧式でもないのですが、20世紀の火砲が維持されていますが、情報関連装備は最大限最新型の配備に注力している。これは意外と思慮が無ければ、普通の軍隊であれば命中精度よりも火砲の数を揃えようとするでしょう、しかし日本の場合は数とともに精度を高めた。

 特科教導隊第1中隊の観閲行進、第1中隊と第2中隊はFH-70榴弾砲を装備している。イギリスドイツイタリア共同開発の39口径155mm榴弾砲です。第1中隊と第2中隊、2個中隊とは師団特科連隊では1個特科大隊に相当する規模で装備するFH-70は10門です。このFH-70が配備される前は特科連隊には迫撃砲制圧と直掩火力を担う105mmM-1榴弾砲の特科大隊が普通科連隊の数と同数だけと、全般支援火力として対砲兵にあたる155mmM-1榴弾砲を装備する一個大隊がありました、FH-70の配備で全て統合できたわけです。

 FH-70,第二次大戦中の火砲を置き換え、1970年代に対応できる将来火砲を開発しよう、という事で開発されたのがFH-70,半自動装填採用等新技術を盛り込んだもので、射撃速度や機動力の面で、高性能ではあるのですが価格が自走榴弾砲なみに高くなってしまいました。この時期には将来的にすべての火砲は自走榴弾砲へ統合されるのではないか、という展望もありましたので、牽引砲に此処まで高性能、というものもある意味浮いた構図です。

 FH-70は半自動装填方式を採用しています。半自動装填とは、第二次大戦中の火砲までは装填まで砲弾をこう桿で砲身へ押し込まなければならなかったのですが、これが意外と大変です、155mmM-1榴弾砲は富士学校に展示されています、そしてこれを運用している資料写真を見ますと、155mmM-1榴弾砲の砲身へ十人近くが棒で155mm砲弾を押し込んでいるものがあり、一言でいえば一門射撃するのに物凄い労力と人数が必要でした。これもFH-70の導入で過去の話に、半自動装填のFH-70は射撃の反動で自動装填できます。装弾架上に砲弾を置くだけでよく自動化できた。

 NATOは自走榴弾砲の装備化を急ぎFH-70には顧みなかった為、欧州では普及しませんでした。アメリカ製M-109A2が安かったのです、M-109A2は砲身が短く射程が劣るが機甲砲兵としては戦車に随伴できるだけよかったのです。M-109A2、近代化改修により39口径へ方針を延伸できました、この為まだまだ使えている、寿命の長い装備です、ならば日本もM-109でも導入した方が良かったのではないか、と思ったりもしたのですが、M-109の砲身換装費用がFH-70の新規調達とあまり変わらない、と聞きました後は考えを改めました。しかし、日本は惑わされる事無くFH-70に飛びつく。

 自衛隊はFH-70を高く評価しました。ほかに牽引砲で三発バースト射撃が可能という規格外の火砲でスウェーデン製FH-77というものがあったのですが、全長も幅も大き過ぎ不適格とされる。FH-70選定の背景、本州特科部隊は有事の際に北海道へ緊急展開しなければならない、39口径火砲は当時の榴弾砲として長砲身で射程が長く、半自動装填装置連続射撃能力を持ち、自走能力さえ持つのですから狭隘国土では非常に理想的な火砲でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【くらま】日本DDH物語 《第四〇回》F-4高速対潜機が目指すは空母構想か対艦哨戒機か

2018-04-14 20:14:20 | 先端軍事テクノロジー
■野心的F-4高速対潜機研究
 未成のF-4高速対潜機、敢えて海上自衛隊が当時最先端のF-4ファントム導入を研究する以上、対潜哨戒機の次の段階をも俯瞰していたのでしょう。

 F-4高速対潜機、海上自衛隊は赤外線探知装置と高性能カメラを搭載し洋上敵艦隊探知や潜水艦の偵察及び対潜掃討任務へ運用するべく、第四次防衛力整備計画当時に検討を進めていたようです。第四次防衛力整備計画には10機程度を導入、最初の航空隊を編成する構想があったといい、ここで考えるのは海上自衛隊はF-4を導入した場合の本来の用途です。

 もし、1970年代後半の第四次防衛力整備計画において海上自衛隊がF-4高速対潜機の導入を開始した場合、続くポスト四次防、当時は第五次防衛力整備計画と称されていましたが、この際に次のF-4航空隊が編成される可能性も考えられたのでしょう。この際に海上自衛隊は本当にF-4戦闘機を高速対潜機として運用するだけに留めたのだろうか、ということ。

 海上自衛隊がミッドウェー級航空母艦をアメリカから取得し、F-4戦闘機を艦載機として運用する、という可能性は、海上自衛隊の人員規模からしてミッドウェー級航空母艦を維持するための乗員も予算もねん出する事は不可能であり、当然、考えられなかったでしょう。したがってF-4を導入した場合でも航空母艦導入の布石とするとは考えにくいでしょう。

 考えられるのは、対艦攻撃任務へ解除自衛隊が本格的に参画する、という事です。当時、対艦攻撃任務は海上自衛隊と航空自衛隊が分担していました。しかし、第四次防衛力整備計画当時はまだ海上自衛隊に対艦ミサイルは無く、初の対艦ミサイルとなるハープーンミサイル配備は、護衛艦いしかり建造を待たなければなりません、長魚雷が当時の主力です。

 支援戦闘機という区分が当時航空自衛隊に誕生しており、これは超音速戦闘機であるF-104戦闘機の配備開始により昼間戦闘機F-86の運用に余裕が生じた事で考えられた新区分です。昼間戦闘機の名の通り、F-86は搭載する12.7mm機銃の照準用に測距レーダーは搭載していましたが、索敵を夜間に行うレーダーはまだ搭載しておらず、夜間運用は難しかった。

 F-104はこの部分を一挙に近代化した超音速戦闘機であった訳ですが、航空自衛隊は草創期から供与機、そして三菱重工での、当時は新日本重工と社名を変更していたのですが、ライセンス生産を行い、実に420機ものF-86戦闘機を保有していました。性能面では陳腐化が始まっていましたが、機体寿命が残っていた為、新用途を考えた結果が支援戦闘機です。

 F-86支援戦闘機は500ポンド爆弾を搭載し、近接航空支援に用いられると共にロケット弾攻撃等様々な用途に充当していましたが、その一つに対艦攻撃任務があったのです。勿論、対艦ミサイルはありませんので伝統的な500ポンド爆弾を用いる対艦攻撃で、海面に跳飛させ艦船に命中させる反跳爆撃訓練を実際に行っていました、この方式は馬鹿にできない。

 実は1982年のフォークランド紛争においてアルゼンチン空軍がイギリス艦隊攻撃に多用したのが従来型の爆弾による攻撃です。フォークランド紛争ではアルゼンチン空軍がフランス製エクゾセ対艦ミサイルにより防空用ミサイル駆逐艦シェフィールドを撃沈し有名ですが、輸入できたエクゾセは4発のみ、イギリス海軍の脅威は爆弾搭載のA-4攻撃機でした。

 高速対潜機として海上自衛隊がF-4の導入を希望した背景には、艦砲と長魚雷と共にF-4を導入する事で航空自衛隊へ依存していた対艦攻撃任務についての主導権を考えていたのかもしれません。他方で海上自衛隊がこの時に戦闘機の運用能力を有していたならば、海上自衛隊航空集団の運用体系も大きく現在とは異なるものとなった可能性、あるでしょう。

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平成三〇年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.04.14/15)

2018-04-13 20:07:55 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 十三日の金曜日の夜、皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介です。

 第6師団創設記念行事、第12旅団創設記念行事、今週末は師団行事と旅団行事が土曜日と日曜日に執り行われます。北関東の旅団と南東北の師団、隣接している部隊ですね。第6師団は南東北を防衛管区とする師団で東北方面隊に所属しています。東北最大の大都市、仙台を警備管区とする第6師団は山形県東根市、神町駐屯地に師団司令部を置いています。

 第12旅団創設記念行事、旅団は群馬県榛東村に旅団司令部を置き、北関東信越地方を防衛警備管区とする旅団、旅団では戦車中隊に代えてヘリコプター隊を有する空中機動旅団としても知られ、UH-60JA多用途ヘリコプター、CH-47J/JA輸送ヘリコプターを装備しています。駐屯地は榛名山麓、式典会場の飛行場からは赤城山を望見できる美しい眺望にある。

 霞目駐屯地祭、東北方面航空隊の置かれる仙台市若林区の駐屯地です。東日本大震災前までは東北方面隊創設記念行事は広大な霞目飛行場において行われていました。隷下には霞目東北方面ヘリコプター隊、八戸の第2対戦車ヘリコプター隊等があり、編隊飛行が注目です。東日本大震災では一大航空救助拠点となり、駐屯地祭では災害派遣展示を行います。

 陸上自衛隊幹部候補生学校創設記念行事、福岡県久留米市の前川原駐屯地にて実施されます。陸上自衛隊の三尉に任官するには、一般大学からの一般幹部候補生も防衛大学校からも部内幹部候補生も、ここ前川原の幹部候補生学校にて幹部自衛官の登竜門を経て任官します。気合の入った明日の新品三尉を目指す候補生の式典と訓練展示は中々のものという。

 久居駐屯地祭、三重県津市の第33普通科連隊が駐屯する駐屯地です。近鉄久居駅から“第33普通科連隊”と大書された隊舎が道路の向かい側に広がっており、駐屯地祭は駐屯地隣接の訓練場にて実施されます。普通科連隊駐屯地の会場としては例外的に広い場所を確保できていまして、隊員と共に整列する車両群、観閲行進から訓練展示まで迫力は中々のもの。

 板妻駐屯地祭、静岡県御殿場市の第34普通科連隊と第3陸曹教育隊の駐屯地です。第1師団隷下にあって富士地区の演習場環境に恵まれた立地にて鍛えられた精鋭部隊の一つ。ただ、若干駐屯地が狭く、その分訓練展示を間近に見れる撮影位置を確保したい。この他、高崎市の吉井分屯地祭、関東補給処吉井弾薬支所、珍しい弾薬庫の記念行事も行われます。

 さて撮影の話題、雨天予報、昨年は相馬原駐屯地祭と練馬駐屯地祭、二日連続で展開しましたが、二日連続で雨天でした。しかし、驚かされたのは軍事専門誌のカメラマンのやる気のなさで、誌上には当たり障りのない装備品展示の写真ばかり、師団広報や旅団広報が折角専用の報道席を確保しているのに、その厚意を無駄にしているとして、誌面を見て少々腹が立ちました。

 雨天ならばいい写真は撮影できない、とは全く逆の発想です、式典が中止されない限り、雨天こそ映える臨場感がありますし、雨幕と雨煙は余分なものを覆い隠す天恵の幕です。そしてもう一つ忘れてはならないのが、雨天の環境下ならば地面に発砲焔が写り込み、巻き上げる泥しぶきと水しぶき、訓練展示では特に晴天時にはない迫力を醸し出してくれる。

 撮影機材に雨天は天敵である、なるほど暴風ならばその通りでしょう、レンズに雨滴が張り付き精緻な撮影機能を秘めた撮影機材の描写力を半減させる事は確かです。しかし暴風でなければ、通常の防滴カバーがカメラの撮影機能を維持してくれます。故に雨天予報に際し雨天への準備を行っていれば、こうした雨天問題は写真にはさほど影響しないのです。

 しかし、式典参加部隊には雨天とは非情な難題に他なりません、被服は濡れ、低体温症の要因と共に跳ね上がった泥しぶきは車両管理上の手間を増大させ、雨衣の洗濯を含め管理業務増大の煩雑さと風邪の猛威の二重苦です。ただ、こうした難題を乗り越えての式典は、平時の実戦と呼ばれる広報の重要性を認識してのものなのですから、少なくとも報道は報道席にいる以上相応の責任がある、ここで手を抜いてはならない、こう考える次第です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・4月15日:霞目駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neaavn/
・4月15日:第6師団創設記念行事神町駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/
・4月14日:第12旅団創設記念行事相馬原駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/
・4月15日:吉井分屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/eadep/sabu12.html
・4月15日:板妻駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1d/
・4月15日:久居駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/butai/sta/hisai/
・4月15日:陸上自衛隊幹部候補生学校創設記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/ocsh/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【7D特報】岐阜基地撮影,F-4特別塗装機実任務飛行と松島&浜松&入間T-4(2018.02.22)

2018-04-12 20:07:36 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■F-4岐阜航空祭特別塗装機
 岐阜基地日常撮影、なかなか昔のようにはいく時間を捻出できないのですが、久々に今年展開しました際の写真をご覧ください。

 T-4練習機690号機、ブルーインパルス塗装の機体で松島基地第4航空団の機体ですね。小牧基地航空祭が間近という事でカメラ越しに遠方からT-4の機影を認め、しかしこの塗装であると一瞬驚きました。川崎重工岐阜工場にて定期整備に入っていた機体のもよう。

 T-4練習機603号機、飛行開発実験団所属機、岐阜基地撮影へ長躯展開しますと、最初に出会う航空機がこのT-4練習機です。航空自衛隊が200機以上を調達しましたし、なによりもここ岐阜基地隣接の川崎重工岐阜工場にてT-4は製造され、定期整備も行っています。

 T-7練習機906号機、飛行開発実験団所属機、こののちにタッチアンドゴーを繰り返します。天候偵察などの試験支援や計器類研究開発も行っているという。航空自衛隊ではヘリコプターパイロットも航空適性検査も含め、まず最初に操縦するのがこのT-7練習機だ。

 F-15J戦闘機928号機、飛行開発実験団所属機、航空自衛隊の主力戦闘機、導入当時はまだ円安で一機190億円と云われましたが、円高とライセンス生産の継続により最終的には108億円まで下がりました、200機以上を継続的に生産し運用基盤を固めたのが正解でした。

 T-4練習機603号機、タッチアンドゴーを開始しました。タッチアンドゴー、一旦滑走路に車輪を設置しつつ急上昇する、有事の際には着陸中が最も戦闘機の脆弱となる瞬間で、緊急時には再離陸しなければ地上で撃破されてしまう、この為に訓練を繰り返しています。

 F-15J戦闘機928号機、滑走路上を航過飛行の後に着陸態勢へ。タッチアンドゴーは平日に撮影する際に、何度も同じ航空機を撮影できる貴重な瞬間でもあります、再度頭上に飛来するまで数分はあります、100m程徒歩移動して撮影位置陣地変換の上、撮影もしたい。

 F-4EJ改戦闘機409号機、特別塗装機です。実はこの日の岐阜基地展開はこの特別塗装機を撮影する事が一番の目的でした、岐阜基地航空祭は曇天に雨天でしたが、当方は航空祭終了後、通常塗装に戻ると思っていましたらば、年明け後もそのまま飛行しているという。

 T-4練習機661号機、航空総隊司令部飛行隊所属機、特別塗装機を撮影している合間に、入間基地のT-4がやってきた。入間基地航空祭でも飛行展示を行う期待ですが、入間基地航空祭は人間基地航空祭と云われる程も混雑しよく見えない、しかし、岐阜で撮れた訳だ。

 F-4EJ改戦闘機409号機、特別塗装機をもう一度、旧陸軍の三式戦闘機飛燕のような塗装だ、飛燕もここ川崎重工岐阜工場にて生産されていました。毎日飛ぶわけではないという特別塗装機、こればかりは撮影できるかは運が大きく、文字通り運がよかったのです。

 T-4練習機732号機、第1航空団所属機、浜松基地のT-4練習機ですね。航空自衛隊の戦闘機操縦要員はここ浜松基地の第1航空団のT-4にて戦闘機操縦要員養成課程の第一歩を歩みます。そうした関係もあるのでしょう、航空教育集団司令部は浜松基地にあるのです。

 T-4練習機775号機、第1航空団所属機が続いての展開です。市松模様の垂直尾翼は浜松基地所属機の証、岐阜基地にてタッチアンドゴーの訓練を、そのまま着陸せず離陸し飛行時間いっぱい、他の基地などでも同様の訓練を繰り返し、空戦機動訓練の基礎とするもの。

 T-4練習機689号機、第1航空団所属機が3機連続で展開です、岐阜基地から浜松基地までは、京都駅から岐阜駅までよりも遠いのですが、航空機だと直ぐの距離という。この日は早い時間帯にF-4特別塗装機を撮影でき、松島に浜松と入間のT-4を撮影できました。

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【京都発幕間旅情】高崎城,霧の榛名と春爛漫の桜香る上野国群馬郡高崎藩庁城址の散策紀行

2018-04-11 20:17:38 | 旅行記
■榛名山望む高崎城と満開の桜
 榛名山見上げる高崎市、北関東と長野県が間近の街は歴史街道の一つ。ここには都市計画を生み、そして現代と融合した美しい城址があります。

 高崎城、上野国群馬郡の、つまり現在の北関東群馬県は高崎市の高松町に位置する城址公園です。高崎駅から徒歩十分ほど、散策にはちょうど良い立地に位置する、しかし新幹線と在来線の拠点駅に近い意味で築城当時から現代までの交通の要衝に位置する城址です。

 桜花満開の高崎城、この城址公園を知ったのは十年ほど前、高崎には“霧の榛名”という榛名を冠した銘酒があると知り、百貨店にて念願の一升瓶との対面を果たしたのちの意気揚々とした散歩道が此処でした。御堀がそのまま桜並木と共に見事な景観を醸成している。

 輪郭梯郭複合式平城の城郭は御三階櫓として独立式層塔型三重三階の天守構造を冠した重厚な城郭を構成していましたが、明治6年に陸軍駐屯地となり歩兵第十五連隊本営となります。これにより城郭は破却されてしまいますが、堀と土塁は維持され、今日に至ります。

 井伊直政が築城主として1597年に利根川水系烏川の自然防御を活用する形で造営しました、しかし遡れば和田城がこの地に在り、1590年豊臣秀吉小田原征伐に際し、城主和田信業は北条氏と共に対抗、和田城は呼号する前田利家上杉景勝連合軍により落城攻略されました。

 徳川家康の関東入部に際し、井伊直政は北関東此の要衝に和田城址の再建を命じられ、特に上越方面からの上杉軍南下に備える要衝として徳川家康がこの地形に緊要地形を結ぶ策源地適地一つと理解していたことが分かります、策源地故、高崎は商都として繁栄します。

 恵徳寺開山龍山詠譚和尚は和田という城郭を商都とする際、井伊直政へ和田を高崎とするよう進言を受け、上野国一円の寺社商家を集め商都を目指します、これは単なる城郭から政経中枢の、しかし必要ならば策源地となる城下町を備えた近代城郭への転換となります。

 彦根城と云えば井伊直政、近江の彦根城は国宝天守閣として有名です。その通り、井伊直政が高崎城主を命じられたのは1597年、1600年に戦国時代に終止符を打つ関ヶ原の戦いが、その戦勝により徳川家康は勢力を強化し江戸幕府開府、天下泰平の江戸時代を迎える。

 関ヶ原の戦いにて勲功を挙げつつ、島津氏との攻防により重傷を負った井伊直政は、関ヶ原に程近い豊かな近江国、佐和山城に移封され高崎を去りました。譜代大名がその後、諏訪氏、酒井氏、戸田氏、藤井松平氏、入れ代わり立ち代わりつつ短期間城主を務めます。

 安藤重信が1619年、高崎城主となりますと以後実に77年に及ぶ高崎改造計画の始りとなりました。安藤重信は小牧長久手の戦いや第二次上田合戦で活躍し、二代将軍徳川秀忠付老中として重用、大坂の陣での奮戦が評価、上野国高崎5万6000石へ加増移封なりました。

 上野国高崎、高崎城改修は三代77年に及ぶ大規模なものとなりましたが三代安藤重博は老中として活躍し備中松山藩へ加増移封、大河内松平輝貞と間部詮房の治世の後、大河内松平輝貞が再び高崎藩主となり、以後幕末まで十代に続く大河内松平家の治世が続きました。

 第12旅団司令部の置かれる相馬原駐屯地は高崎市に隣接する榛東村に所在し、北関東信越地方の防衛警備及び災害派遣を担当しています。冷戦時代には第12師団としてソ連軍の新潟侵攻と首都圏攻撃を警戒した師団で、高崎市の重要性は戦国時代も昭和期も変わらない。

 御三階櫓として独立式層塔型三重三階が城下町を俯瞰した威容はその遺構さえ失われ、往時の繁栄はしのぶ事しかできませんが、商都を目指した高崎の繁栄はその散策の度に、これこそが高崎城の目指した将来の具現化であり、その継承者といえるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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