■高速対潜機F-4ファントム
高速対潜機F-4、今日から見ればF-35Bを護衛艦へ搭載する、以上の驚きの研究ではあります。
高速対潜機F-4,その可能性の具体性は後述するとして、現在の海上自衛隊が有する洋上航空戦力強化に付随する最大の障壁は海上自衛隊に戦闘機運用基盤が現在存在しないことに起因する、航空母艦や艦載機のみを導入した場合でも運用する事が出来ない、という問題に帰結します。F-4戦闘機にしても、AV-8攻撃にしても、運用も整備も特殊なのです。
AV-8,ハリアー攻撃機は原型となるP.1127試験機の初飛行が1960年、垂直離着陸が可能で最前線の近接航空支援用攻撃機ハリアーとして1968年よりイギリス空軍向けの量産が開始されています。そして全通飛行甲板型巡洋艦でも運用可能であるハリアーはアメリカ海兵隊、イタリアやスペイン等へ輸出され、この後々に海上自衛隊においても検討が度々上る。
ホーカーシドレー社はハリアーを度々海上自衛隊へ推奨しましたが、一方で大きな課題が海上自衛隊の航空教育体系では機敏な空中運動能力と空対空戦闘を担うハリアーの要員を錬成する事が出来ず、また海上自衛隊が全通飛行甲板型護衛艦ひゅうが型、いずも型を整備した今日、F-35B戦闘機導入の検討が為される中においても、この根本部分はそのまま。
教育航空集団、海上自衛隊は千葉県の下総航空基地を拠点として航空要員の教育を実施しています。徳島航空基地や鹿屋航空基地と小月航空基地の教育航空群を隷下に現在もP-1哨戒機やSH-60K哨戒ヘリコプターの要員教育を行っていまして、この運用体系は1958年に前身となる岩国教育航空隊が創設され、1961年に教育航空集団改編以来続いています。
航空教育集団、航空自衛隊は浜松基地へ航空教育部隊の司令部を置き要員錬成を行っているのですが、教育航空集団と航空教育集団の最大の相違点は戦闘機操縦要員の教育課程有無です。これは些細な相違点に見えますが、大きな相違点です。何故ならば海上自衛隊の航空教育制度は操縦課程の錬成に重点を置きますが、航空自衛隊は学生選抜を行うのです。
戦闘機操縦要員の操縦学生は教育航空部隊配属の時点で当然、航空適性や学科と体力などで選抜を行うのですが、海上自衛隊では心身の問題などで辞退する場合を除き、基本的に全員の操縦要員への錬成を重視するのに対し、戦闘機操縦要員錬成では戦闘機以外の輸送機や救難航空機など他機種への転換や操縦以外の職種への転換、選抜を続けるということ。
ジェット機では同じであっても現代のP-1哨戒機とF-35戦闘機ではそれほど操縦特性が異なるもので、これは海上自衛隊がF-4高速対潜機を検討した第四次防衛力整備計画検討当時、P-2J対潜哨戒機とF-4戦闘機ではその操縦特性や運用特性の相違点は尚顕著であったといえます。当時海上自衛隊の練習機はKM-2,現在はT-5練習機、共に初等練習機です。
T-4練習機のような、当時はT-33練習機でしたが、ジェット練習機での戦闘機操縦課程を構築し、その上で戦闘機を実際に用いて操縦課程を、航空自衛隊は超音速練習機T-2を1971年に初飛行させ、1974年より高等練習機として運用を開始するのですが、海上自衛隊には今日至るもこうした練習機は無く、戦後日本の空母建造計画、その都度障壁となりました。
高速対潜機として運用していたらば、教育体系は最終的に海上自衛隊も独自に構築しなければなりません。しかし、その苦労を乗り越えていたならば、現在のF-35B戦闘機導入を巡る条件も大きく変容していたのかもしれません。また、F-4にもドイツ海軍のトーネード攻撃機のように、高速対潜機以外に沿岸防備としての運用体系があり得たかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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高速対潜機F-4、今日から見ればF-35Bを護衛艦へ搭載する、以上の驚きの研究ではあります。
高速対潜機F-4,その可能性の具体性は後述するとして、現在の海上自衛隊が有する洋上航空戦力強化に付随する最大の障壁は海上自衛隊に戦闘機運用基盤が現在存在しないことに起因する、航空母艦や艦載機のみを導入した場合でも運用する事が出来ない、という問題に帰結します。F-4戦闘機にしても、AV-8攻撃にしても、運用も整備も特殊なのです。
AV-8,ハリアー攻撃機は原型となるP.1127試験機の初飛行が1960年、垂直離着陸が可能で最前線の近接航空支援用攻撃機ハリアーとして1968年よりイギリス空軍向けの量産が開始されています。そして全通飛行甲板型巡洋艦でも運用可能であるハリアーはアメリカ海兵隊、イタリアやスペイン等へ輸出され、この後々に海上自衛隊においても検討が度々上る。
ホーカーシドレー社はハリアーを度々海上自衛隊へ推奨しましたが、一方で大きな課題が海上自衛隊の航空教育体系では機敏な空中運動能力と空対空戦闘を担うハリアーの要員を錬成する事が出来ず、また海上自衛隊が全通飛行甲板型護衛艦ひゅうが型、いずも型を整備した今日、F-35B戦闘機導入の検討が為される中においても、この根本部分はそのまま。
教育航空集団、海上自衛隊は千葉県の下総航空基地を拠点として航空要員の教育を実施しています。徳島航空基地や鹿屋航空基地と小月航空基地の教育航空群を隷下に現在もP-1哨戒機やSH-60K哨戒ヘリコプターの要員教育を行っていまして、この運用体系は1958年に前身となる岩国教育航空隊が創設され、1961年に教育航空集団改編以来続いています。
航空教育集団、航空自衛隊は浜松基地へ航空教育部隊の司令部を置き要員錬成を行っているのですが、教育航空集団と航空教育集団の最大の相違点は戦闘機操縦要員の教育課程有無です。これは些細な相違点に見えますが、大きな相違点です。何故ならば海上自衛隊の航空教育制度は操縦課程の錬成に重点を置きますが、航空自衛隊は学生選抜を行うのです。
戦闘機操縦要員の操縦学生は教育航空部隊配属の時点で当然、航空適性や学科と体力などで選抜を行うのですが、海上自衛隊では心身の問題などで辞退する場合を除き、基本的に全員の操縦要員への錬成を重視するのに対し、戦闘機操縦要員錬成では戦闘機以外の輸送機や救難航空機など他機種への転換や操縦以外の職種への転換、選抜を続けるということ。
ジェット機では同じであっても現代のP-1哨戒機とF-35戦闘機ではそれほど操縦特性が異なるもので、これは海上自衛隊がF-4高速対潜機を検討した第四次防衛力整備計画検討当時、P-2J対潜哨戒機とF-4戦闘機ではその操縦特性や運用特性の相違点は尚顕著であったといえます。当時海上自衛隊の練習機はKM-2,現在はT-5練習機、共に初等練習機です。
T-4練習機のような、当時はT-33練習機でしたが、ジェット練習機での戦闘機操縦課程を構築し、その上で戦闘機を実際に用いて操縦課程を、航空自衛隊は超音速練習機T-2を1971年に初飛行させ、1974年より高等練習機として運用を開始するのですが、海上自衛隊には今日至るもこうした練習機は無く、戦後日本の空母建造計画、その都度障壁となりました。
高速対潜機として運用していたらば、教育体系は最終的に海上自衛隊も独自に構築しなければなりません。しかし、その苦労を乗り越えていたならば、現在のF-35B戦闘機導入を巡る条件も大きく変容していたのかもしれません。また、F-4にもドイツ海軍のトーネード攻撃機のように、高速対潜機以外に沿岸防備としての運用体系があり得たかもしれません。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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