■203mm自走榴弾砲の迫力!
富士学校創設63周年富士駐屯地祭,元々より前の行事用に解説記事を作成し急遽昨年の富士学校祭写真へ転換しましたので若干写真と解説分の離隔がある事をご了承ください。
自衛隊の牽引砲重視、当時の国鉄貨物列車では自動装填装置を有し高性能の75式自走榴弾砲や安価なM-109A2等は全幅が大き過ぎ運べない、しかしFH-70ならば牽引車で高速道路を100km/hにて飛ばせ、貨物列車にも載せられる、ここに自衛隊がFH-70を評価した背景があります。
特科教導隊第1中隊と第2中隊の観閲行進、74式特大トラック派生型の中砲牽引車がけん引している、普通科部隊を支援し迫撃砲を叩き潰す直掩火砲の105mm砲が軽砲で全般支援にあてる155mm砲が中砲、軍団砲兵用の203mm砲が重砲、として区分していました。
しかしながら、1970年代以降、世界では155mm砲への統合化が進む事となります、二種類よりは統合した方が良い。そこで自衛隊も105mm砲は礼砲用の予備装備を除き155mm砲へ統合されてゆきます。北海道に75式自走榴弾砲、本土用にFH-70榴弾砲、として。
39口径155mm砲というものは砲身の長さを示すものです。155mm×39、という砲身の長さに由来する。方針が長ければ装薬の燃焼効率が高くなり射撃時に砲弾速度が大きくなる。初速が大きければ結果射程が伸びる、走り幅跳びと立ち幅跳びの助走と考えれば良い。
長砲身は有利だが鋳造が難しいという難点があります。仮に鋳造できても精度が低ければ連続発射で変形してしまう、火砲の製造技術向上はこの問題を克服したのですね。我が国では榴弾砲から艦砲まで日本製鋼所が製造していまして、砲身精製精度は世界的にも高い。
FH-70の最大射程はメーカーによれば射程延伸装薬を用いた場合で42km、ただし実用的な射程は30kmという。東富士演習場では地形成約により3kmの射撃しかできません。日本最長の長距離射撃ができるのは北海道矢臼別演習場の14km、それ以上は海外で行う。
自衛隊は第二次世界大戦型火砲の後継火砲として、FH-70榴弾砲を選定する際、FH-70のほかにアメリカ製で軽量だが自走能力が無いM-198榴弾砲とスウェーデン製の3発自動装填装置を持ち瞬発火力が大きいが火砲そのものも大きいFH-77を候補として検証しました。
FH-77は3発の砲弾をクレーンで吊り上げ弾庫に装填すると13秒で全部撃ってしまう、FH-70は緊急射撃で毎分6発というから凄い、しかし日本の道路には大き過ぎたのです。FH-77を開発したスウェーデンは永世中立国、機動力よりは火力重視が要求されている。
大砲の撃ちあいは過酷です。速度が全て結果に反映されるのです。速度とは何か、砲弾は対砲レーダーに映る、射撃から数分で反撃の砲弾が降り注ぐ、だからNATO諸国は牽引砲よりも自走榴弾砲を選んだのは、撃ったらすぐに移動できるという意味がありました。
FH-70はこの点も強いのです、FH-70は富士重工製、いまはスバルか、エンジンを搭載していて短距離を自走できる、半自動装填装置により連続射撃能力が高いので数発撃ったら直ぐ陣地変換します。下手に地下掩蔽陣地に籠るよりも、移動した方が生き残れるのです。
自衛隊はFH-70榴弾砲を479門も調達しました。これはNATOのイギリス、ドイツ、イタリアの調達総数よりも多い。日本製鋼所にてライセンス生産したのですが、量算数を考えますと恐らく日本でFH-70を生産し欧州へ供給した方が安かったのではないでしょうか。
現在火砲は52口径の長砲身が最新型なのですが39口径火砲も依然として多い、これは冷戦後の趨勢です。そして世界を見れば第二次世界大戦中の火砲も意外と現役だ、我が国周辺では先進国の一員である韓国や台湾で第二次世界大戦中の105mm砲が現役でもある。
特科教導隊第3中隊の観閲行進、99式自走榴弾砲を装備する特科中隊です。99式自走榴弾砲の長砲身は勇ましい。日本製鋼所が開発した52口径155mm榴弾砲を装備している、その射程は30kmというが薬室容量や後退駐座器の強度上40kmは超えるともいわれるもの。
北部方面隊の特科連隊と特科隊へ重点配備されており、本土での配備は富士教導団と武器学校のみ。日本の自走榴弾砲は先代の75式自走榴弾砲以来、自動装填装置を採用し素早い射撃能力を持ちます。一効力射30秒3発といわれていたのが75式自走榴弾砲の時代です。
99式自走榴弾砲は射撃速度と射程、標定装置にデータリンク能力を加え性能は凄い。その分高価と云われるが、生産数は130両ほど、先代の75式自走榴弾砲は退役完了したが実は北部方面隊の特科部隊は定数割れの状態となっているので当分生産は続くとのこと。
島嶼部防衛を考えると、射程50kmの火砲が欲しい所ですね。99式自走榴弾砲については未知数ですが、世界を見れはロケット補助推進のRAP弾を用いれば50kmの射程を持つ火砲はある、南アフリカのG-6/52ライノ自走榴弾砲は射程最重視の結果55kmに達しました。
火砲で射程50km以上あるものとしては更に試作に終わったアメリカのクルセイダー自走榴弾砲が70kmを越えています。ドイツのPzH-2000自走榴弾砲も公式では40kmが最大だがアブダビ兵器ショーでは50km超えの射撃を展示し、もっともアフガニスタンで極端に長射程射撃での精度が低下したという欠陥判明はありますが射程は長い。
50kmを越える射程の火砲があれば、宮古諸島を考えると航空自衛隊の宮古島分屯基地と陸上自衛隊の新しい駐屯地が出来る石垣島や与那国島に配備したならば相互の射程で宮古諸島全域を火力圏内に収める事が可能となるでしょう。島嶼部防衛を考えれば理想的です。
ミサイルと違い榴弾砲は上陸前の警告射撃や着上陸後の海岸橋頭堡を叩く事が出来る。那覇駐屯地と奄美大島に建設する新駐屯地に配置したならば沖縄県と鹿児島県の離島防衛を火力網で覆う事が出来る。一個中隊だけでもいい、データリンクで繋げばよいのですから。
陸上自衛隊はFH-70榴弾砲の後継として火力戦闘車という国産装輪自走砲を開発中だ、聞くところでは日野自動車が自衛隊に納入する10tトラックの荷台に52口径火砲か先進軽量砲を搭載し手早く開発する予定だったのですが、メーカーである日野自動車が難色を示す。
射撃の反動に車体の懸架装置が耐えられるかが疑問として日野自動車が難易度の高さを表明したため。しかし、自衛隊は特科火砲を従来の900門から300門まで縮小する施策を示しているので、いっそ本土の特科部隊にも99式自走榴弾砲を装備してはどうかとも思う。
99式自走榴弾砲にFH-70と開発中の口径火砲である火力戦闘車、300門の火砲定数を二種類新旧三種類の火砲で充足するなど、幕の内弁当じゃああるまいし、とおもうのです。99式自走榴弾砲の砲塔システムを大型装甲装輪牽引車へ搭載するという手段もあるでしょう。
特科教導隊第4中隊は203mm自走榴弾砲を装備している中隊です。アメリカ陸軍がM-110として装備していた自走榴弾砲で軍団砲兵用の火力、自衛隊でも方面特科隊に配備している装備で、北部方面隊と東北方面隊に西部方面隊の方面特科に91両が配備されていました。
重厚な砲身が頼もしい203mm自走榴弾砲ですが、既に東北方面隊からは退役しており、北部方面隊と西部方面隊でも除籍が進む終り行く冷戦時代の重装備と云えましょう。火砲300門体制への転換と共に除籍され、方面隊へはロケット砲が配備される為、後継装備としての重砲は調達されませんでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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富士学校創設63周年富士駐屯地祭,元々より前の行事用に解説記事を作成し急遽昨年の富士学校祭写真へ転換しましたので若干写真と解説分の離隔がある事をご了承ください。
自衛隊の牽引砲重視、当時の国鉄貨物列車では自動装填装置を有し高性能の75式自走榴弾砲や安価なM-109A2等は全幅が大き過ぎ運べない、しかしFH-70ならば牽引車で高速道路を100km/hにて飛ばせ、貨物列車にも載せられる、ここに自衛隊がFH-70を評価した背景があります。
特科教導隊第1中隊と第2中隊の観閲行進、74式特大トラック派生型の中砲牽引車がけん引している、普通科部隊を支援し迫撃砲を叩き潰す直掩火砲の105mm砲が軽砲で全般支援にあてる155mm砲が中砲、軍団砲兵用の203mm砲が重砲、として区分していました。
しかしながら、1970年代以降、世界では155mm砲への統合化が進む事となります、二種類よりは統合した方が良い。そこで自衛隊も105mm砲は礼砲用の予備装備を除き155mm砲へ統合されてゆきます。北海道に75式自走榴弾砲、本土用にFH-70榴弾砲、として。
39口径155mm砲というものは砲身の長さを示すものです。155mm×39、という砲身の長さに由来する。方針が長ければ装薬の燃焼効率が高くなり射撃時に砲弾速度が大きくなる。初速が大きければ結果射程が伸びる、走り幅跳びと立ち幅跳びの助走と考えれば良い。
長砲身は有利だが鋳造が難しいという難点があります。仮に鋳造できても精度が低ければ連続発射で変形してしまう、火砲の製造技術向上はこの問題を克服したのですね。我が国では榴弾砲から艦砲まで日本製鋼所が製造していまして、砲身精製精度は世界的にも高い。
FH-70の最大射程はメーカーによれば射程延伸装薬を用いた場合で42km、ただし実用的な射程は30kmという。東富士演習場では地形成約により3kmの射撃しかできません。日本最長の長距離射撃ができるのは北海道矢臼別演習場の14km、それ以上は海外で行う。
自衛隊は第二次世界大戦型火砲の後継火砲として、FH-70榴弾砲を選定する際、FH-70のほかにアメリカ製で軽量だが自走能力が無いM-198榴弾砲とスウェーデン製の3発自動装填装置を持ち瞬発火力が大きいが火砲そのものも大きいFH-77を候補として検証しました。
FH-77は3発の砲弾をクレーンで吊り上げ弾庫に装填すると13秒で全部撃ってしまう、FH-70は緊急射撃で毎分6発というから凄い、しかし日本の道路には大き過ぎたのです。FH-77を開発したスウェーデンは永世中立国、機動力よりは火力重視が要求されている。
大砲の撃ちあいは過酷です。速度が全て結果に反映されるのです。速度とは何か、砲弾は対砲レーダーに映る、射撃から数分で反撃の砲弾が降り注ぐ、だからNATO諸国は牽引砲よりも自走榴弾砲を選んだのは、撃ったらすぐに移動できるという意味がありました。
FH-70はこの点も強いのです、FH-70は富士重工製、いまはスバルか、エンジンを搭載していて短距離を自走できる、半自動装填装置により連続射撃能力が高いので数発撃ったら直ぐ陣地変換します。下手に地下掩蔽陣地に籠るよりも、移動した方が生き残れるのです。
自衛隊はFH-70榴弾砲を479門も調達しました。これはNATOのイギリス、ドイツ、イタリアの調達総数よりも多い。日本製鋼所にてライセンス生産したのですが、量算数を考えますと恐らく日本でFH-70を生産し欧州へ供給した方が安かったのではないでしょうか。
現在火砲は52口径の長砲身が最新型なのですが39口径火砲も依然として多い、これは冷戦後の趨勢です。そして世界を見れば第二次世界大戦中の火砲も意外と現役だ、我が国周辺では先進国の一員である韓国や台湾で第二次世界大戦中の105mm砲が現役でもある。
特科教導隊第3中隊の観閲行進、99式自走榴弾砲を装備する特科中隊です。99式自走榴弾砲の長砲身は勇ましい。日本製鋼所が開発した52口径155mm榴弾砲を装備している、その射程は30kmというが薬室容量や後退駐座器の強度上40kmは超えるともいわれるもの。
北部方面隊の特科連隊と特科隊へ重点配備されており、本土での配備は富士教導団と武器学校のみ。日本の自走榴弾砲は先代の75式自走榴弾砲以来、自動装填装置を採用し素早い射撃能力を持ちます。一効力射30秒3発といわれていたのが75式自走榴弾砲の時代です。
99式自走榴弾砲は射撃速度と射程、標定装置にデータリンク能力を加え性能は凄い。その分高価と云われるが、生産数は130両ほど、先代の75式自走榴弾砲は退役完了したが実は北部方面隊の特科部隊は定数割れの状態となっているので当分生産は続くとのこと。
島嶼部防衛を考えると、射程50kmの火砲が欲しい所ですね。99式自走榴弾砲については未知数ですが、世界を見れはロケット補助推進のRAP弾を用いれば50kmの射程を持つ火砲はある、南アフリカのG-6/52ライノ自走榴弾砲は射程最重視の結果55kmに達しました。
火砲で射程50km以上あるものとしては更に試作に終わったアメリカのクルセイダー自走榴弾砲が70kmを越えています。ドイツのPzH-2000自走榴弾砲も公式では40kmが最大だがアブダビ兵器ショーでは50km超えの射撃を展示し、もっともアフガニスタンで極端に長射程射撃での精度が低下したという欠陥判明はありますが射程は長い。
50kmを越える射程の火砲があれば、宮古諸島を考えると航空自衛隊の宮古島分屯基地と陸上自衛隊の新しい駐屯地が出来る石垣島や与那国島に配備したならば相互の射程で宮古諸島全域を火力圏内に収める事が可能となるでしょう。島嶼部防衛を考えれば理想的です。
ミサイルと違い榴弾砲は上陸前の警告射撃や着上陸後の海岸橋頭堡を叩く事が出来る。那覇駐屯地と奄美大島に建設する新駐屯地に配置したならば沖縄県と鹿児島県の離島防衛を火力網で覆う事が出来る。一個中隊だけでもいい、データリンクで繋げばよいのですから。
陸上自衛隊はFH-70榴弾砲の後継として火力戦闘車という国産装輪自走砲を開発中だ、聞くところでは日野自動車が自衛隊に納入する10tトラックの荷台に52口径火砲か先進軽量砲を搭載し手早く開発する予定だったのですが、メーカーである日野自動車が難色を示す。
射撃の反動に車体の懸架装置が耐えられるかが疑問として日野自動車が難易度の高さを表明したため。しかし、自衛隊は特科火砲を従来の900門から300門まで縮小する施策を示しているので、いっそ本土の特科部隊にも99式自走榴弾砲を装備してはどうかとも思う。
99式自走榴弾砲にFH-70と開発中の口径火砲である火力戦闘車、300門の火砲定数を二種類新旧三種類の火砲で充足するなど、幕の内弁当じゃああるまいし、とおもうのです。99式自走榴弾砲の砲塔システムを大型装甲装輪牽引車へ搭載するという手段もあるでしょう。
特科教導隊第4中隊は203mm自走榴弾砲を装備している中隊です。アメリカ陸軍がM-110として装備していた自走榴弾砲で軍団砲兵用の火力、自衛隊でも方面特科隊に配備している装備で、北部方面隊と東北方面隊に西部方面隊の方面特科に91両が配備されていました。
重厚な砲身が頼もしい203mm自走榴弾砲ですが、既に東北方面隊からは退役しており、北部方面隊と西部方面隊でも除籍が進む終り行く冷戦時代の重装備と云えましょう。火砲300門体制への転換と共に除籍され、方面隊へはロケット砲が配備される為、後継装備としての重砲は調達されませんでした。
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