中学校2年の時、職員室に呼び出された。担任の教師より、思いもかけなかった容疑を聞かされた。私が、自分の昼食の弁当のかすを教室に投げ捨てたというものである。
どうも、事実を曲げて誰かが言いつけたようであった。した、しないの押し問答が続き。私は余りの悔しさに、涙を流した。
結局、担任の教師が折れて、私は職員室を出て教室に戻ったが、ずっと苦やし涙を止めることが出来ず、全員がいるのに、しんと静まったクラスに戻った経験がある。
悲しみ、悔しさ、絶望感、怒り、平安感、ときめき、幸福感、様々な微妙な感情を新鮮に体感してきたのは、中学校から、大学生のころのようである。
しかし、こうした感情を男だからとか、社会人としてとか、立場上とかなどで抑圧・抑制して生きてきたのも事実である。
その結果、私の中では感情は体感ベースのものではなく、記号のような痩せたものに徐々になっていたのではないだろうか。痩せた感情生活、頭でっかちの知的生活。
幸福や生き甲斐は、頭でっかちの知的生活から生まれるのではなく、今ここにある、ちょっとした感情の体感を知覚するところから始まるように、大いに反省しつつ思う。
今日は、鳩が飛ぶ公園を散策した。そして、ちょっとした幸福感を味わうことができた。
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