最近の家屋は、洋式が多くなり、木製の天井板の木目や節穴を見ることも減っているように思う。しかし、私もそうだったが幼少のころ、木製の天井板を見て不思議な気持ちになったり、なにか怖い気持ちになった方も多かったのではないかと思う。
考えてみれば、木目や節穴などは生物である植物・木の切断面であり、端的に言えば生物の遺骸である。したがって、それを見て、どこかに怖いと感じるのはDNAに組み込まれた道理かもしれない。
身近であった天井板を通して感じた、生命に対する怖れの感情、それは、私たちに何を語ろうとしているのだろうか?
生きるために、生命あるものを食べ、木材その他の資源を使った住居に住み、衣服を着たり、車に乗ったりしている。生命の恩恵にどっぷり使った生活をしているのは昔も今も変わらない。
その中で、同じDNAの構造を持つ生命の恩に関して、私たちはどれほど感謝をしているのだろうか。そして、どれほど心をくばっているのだろうか。
ゆっくり考える必要があると思った。
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