生き甲斐の心理学の地域勉強会で、嫌いな人を好きになる方法を話し合ったとき、相手の長所を考えるという意見がいくつか出てきた。確かにそういうところはとても大事(感謝や満足の領域を意識するのは)だが、意識の世界だけでなく無意識の世界もあり、簡単に嫌いでなくなる訳にはいかない。
よく、心理学の講座で、一つの画像を見せて、何に見えるかを問うものがある。お祖母さんと貴婦人・・・など有名であるが、二つの見方が簡単に分かるものものもあれば、そうでないものもある。一度、固定された見方はかなり努力しなければ変えられない。
さて、この2-3年、私は生き甲斐の心理学の勉強も関係で、奈良や京都にとても関心を深めた。しかし、ゆっくり神社仏閣を見学する時間もお金もなく、時には、八王子の家を売って関西に住んでみたいと思うことも。
ただ最近、自分のよく立ち寄る地域も、見方をかえると、魅力的に変わる経験をしている。自分の亡父の郷里に平重盛ゆかりのお寺があったり、妻の郷里が実は東寺の荘園だったたり。それだけで、ずいぶんモチベーションが違う・・・
昨日も、地域の友達と話していたら、東京にも建造物の国宝があり、それが東村山市にあるということで、ちょっと足を伸ばして見学に行った。正福寺、千躰地蔵堂で室町時代の代表的な建物だそうで、ゆっくり見物ができた。
この年になり、歴史にガゼン興味がわいたのは、実は一つの認識を得たためである。どの時代(例えば大化の改新、壇ノ浦の戦い、元寇、原爆の投下・・・)でも、どの瞬間でも自分の祖父母(祖先)がどこかに生きていたという、当たり前のような認識である。
そして、例えば千躰地蔵堂を見ても、きっと、祖先がこの建物を見学したり、あるいはもっと密な関係があった可能性もあると考えると親しみが湧く。
人との出会い。それが嫌いな人でも好きな人でも、二人が出会うというのは何か大きな意味があるのだろう。
好き嫌い 6/10
以下の写真は千躰地蔵堂関係です。