自分の青春時代を考えると、哲学・宗教が、自分を幸福にするとは限らないなと実感できる。それは、ある意味当たり前で、どんな哲学・宗教も自分以外の他人が介在していて、自分が実感しつつ身につけるには無理が出てきやすいものだ。そして無理はへんな自己否定に通じてしまう。
還暦を迎えた今想うのは、哲学・思想も大事だが、心の知識も大事で、両者を自分のペースで身に付けていくことが重要だということだ。時間がかかるかもしれないが仕方がない。そして、良き師(人が変わるには読んで判るものではダメで師が必要)につき修行していく。因みに健全な哲学・宗教ということで、U先生の最近のブログ記事は、実に的を得ていると思う。
今回の新ライフデザインはこの意味で、ブログで簡単に表現できない(努力はしているが)。山登りに似てだんだん自分の眼に見えてくるものだ。
さて、そろそろU先生の生き甲斐の心理学の出番である。自分の辞世を考えたり、あるいは自分の傾向と渇望を考えることが、ライフデザインに通じるかもしれないが、自分の世界は意外にも狭い。まずは自分を変えていかなければ、良い結果は得られない。
まずは、必要な時(例えば自分は何をすべきか、生き甲斐は何か、自分を大切にするには?などを考える時)に自分を解放(ある程度か)することができなければならない。
他人はどうか解らないが、少なくとも私の場合は、自分への懐疑、罪の意識、劣等感、などの自信のなさが、抑圧されたり、抑制されたりしている(過去はもっと)。そして、その解放のやりかた、自然体になることはなかなかできないでいた。その状態では、自分は何をなすべきか?など、うまく考えられない。
それではどのように解放していくのだろうか。ロジャースの6条件による傾聴、愛の理解を深める、エンカウンターやフォーカシングといった勉強が遠回りのようで近道なのだと思う。生き甲斐の心理学(植村高雄著 左の本の画像のところをクリックするとアマゾンに行き着く)を購入し、実際に地域の勉強会で師について勉強するのが一番である(私は他の方法を知らない)。
そうは言っても、時間が無いという方にワンポイント。自分の沸き起こる感情(どんな暗いものでも、日記に書いたりして)に自己肯定的な意味付を考える習慣をつけてみたらどうだろうか。ある時、わたしは嫉妬する自分の感情を自己肯定的に理解し、救われた経験がある。
そして、自分を解放し、自然体になることがだんだんできるようになってくると、世の中が違ってくる。自分から離れて行く人。反対に近づいてくる人。そんな現象に出会う。自分の個性の美、あるいは傾向と渇望が少しづつ現れてきているのかもしれない。
逆に、他人の多様性の素晴らしさも見えてくる。海外で人は文化で違うなと想っていたが、日本人は昔は同じようだと思ったが、実は違う(自分以外の他人は驚きの対象)。
まだ、生き甲斐の心理学を学び始めて11年。生意気なことは言えないが(言ってしまっているのも個性なのだろう。U先生ごめんなさい)、学べば学ぶほど自分が見えてくるようである。
新ライフデザイン 5/10