人生を考えるというと、欧米はまず自分の死のことを考える伝統があるようだ。メメントモリ(ラテン語で死を想えという意味)である。私もある欧米系のトレーニングコースで、自分の死を思い浮かべるワークショップに参加したこともある。メメントモリは西欧の常識のようである。
一方日本の伝統はどうなのだろうか?個人個人にメメントモリとつきつける文化ではないようであるが、やはり死を大切にしているようだ。辞世の句である。
辞世の句は、死に至る途上の想いであり、死生観、自分の人生への想い、いろいろなものが現れているが、大きく分けて、①虚無的なもの ②明るく希望を感じさせるもの の二つに分けられるのではと思う。マスコミは暗いものがお好きなようで、暗い辞世の句がいろいろな意味で有名になっているが、②のカテゴリーに入るものも意外と多いようである。
Wikipediaに代表的な辞世の句が沢山のっていた。実に重い内容が多いが、ちょっと思いつくまま私の独断と偏見で2-3分類してみよう。
①ちょっと虚無的なもの
露と落ち露と消えにし我が身かなのことは夢のまた夢 -豊臣秀吉
風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残を いかにとやせん -浅野長矩
音楽が終わったら、明かりを消してくれ。-アドルフ・ヒトラー
②明るく希望も感じさせるもの
極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし -上杉謙信
願わくば坐して死なん -鑑真和上
吾れ入滅せむと擬するは今年三月二十一日寅の刻なり。もろもろの弟子等悲泣することなかれ -空海
あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし -大石内蔵助
この世をばどりゃお暇(いとま)に線香の煙とともに 灰(はい)左様なら -十返舎一九
いろいろ考えさせられるが、皆さんもお時間のある時にでもWikipediaで辞世の句を味わうと何かを見出すかもしれない。
さて、最後に私が今勉強している、持統天皇のことに触れてみたい。持統天皇の和歌は、万葉集にも残されているが、百人一首でも有名(ちょっと文が変わっているが)である。
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
この歌は、いつごろ出来たのか定かではないが、元明天皇(女帝で息子の嫁の立場でもあった)も編纂に関与された可能性もあるそうで、持統天皇の最晩年の頃の歌ではないかと勝手に私は推察している。ひょっとしたら辞世の句のような存在ではなかったのでは。
陰陽思想、その他からいろいろ読み解かれている句ではあるが、私は、何か大きな歴史の中の流れを季節感で歌っているのかなと思う。文武天皇に移譲し、やがて奈良時代が花開く(夏)。しかし、その先の秋や冬も見通すような知性も感じる。しかし、今ここの天女の衣のような、白い衣のゆらめきに天上の幸せも感じる。
あまり知られていないが、持統天皇も秀吉と同じように、朝鮮半島の動乱に関与し敗北の辛酸を舐めている。それにもかかわらず、もし、これを辞世の句とすれば、秀吉の虚無的な句とあまりにかけ離れている。
人生いろいろであるが、自分の人生の最後は、明るく希望を残せるものであったらなと思う。
新ライフデザイン 2/10