昨日は、午後多摩センターで内田樹氏の「街場の文体論」をやっと入手した。そして、早く読みたいという情動のお蔭で夜の読書が楽しめた。
この「街場の文体論」文体論というので一流作家の文章読本のイメージを当初持っていたが、無意識の話や情動の話など、今の私の関心そのもののテーマでワクワクしている。
さて、「街場の文体論」の初めの方に電子書籍が何故はやらないかという問題がでてきた。内田氏によると、紙媒体の書籍は、本の厚みから本のどこら辺を読んでいるのか(半分くらいか、あとちょっとか)が直ぐ判るため、自分の読了した状態や読んでいる今の状態が想像でき、それが情動と繋がってくる。一方電子書籍は、本の厚みがないので、見通しが持ちにくく情動が湧きにくい。良く判るお話であった。
そうなのである。情動には、ウマの鼻先につるす人参のようで、完成の具体的イメージが大切なのである。そして、それが現状に影響を与える。
ひつこいと言われるかもしれないが、一房の葡萄にも事例がある。「僕」が絵具を盗むという問題行動にでたのもジムの絵具で「美しい海や船」を「僕」が描くイメージがあればこそである。
ロジャースの19の命題の中の情動の命題は次のように説明している。臨床心理学の歴史を背負っている文章なので判りにくいが、情動をこれほどきっちり説明している文はない。現象学を基盤にした19の命題は心理学だけでなく、政治、経済、哲学にも影響を与えているといわれるの是非味わっていただきたい。
命題6:情動は前述のような目的指向的な行動をともない、かつ、一般的には、このような目標指向的な行動を促進するものである。情動の種類は、行動の追及的様相が完成的様相に関係しており、情動の強さは、有機体の維持と強化に対する意味についての知覚と結びついている。
情動は自分の人生にプラスに働くこともあるが、マイナスに働くこともある。情動のかじ取りが上手なら、情動を自己実現のためのエネルギーに転嫁できるが、そうでないと、情動でドライブされた行動で他人を傷つけたり、自分が傷ついたりする。さらに習慣化すれば悪癖になってしまう(命題8だが)。
自己事例を考えてみよう。私は40歳台のある時期、ストレスの中で、ゲームソフトに一時的だがのめり込み(逃避)、深夜までゲームをしていたことがあった。そんなある日、ふと「自分の人生の時間をこんなことに費やして良いのだろう?」と気づき、それ以降パタッとゲームを辞めた(勿論、それによりプラスの面もあったが、思い切った)。
また、30歳台のときに体調を崩しタバコをやめた時も、人生でやりたいことがまだあるのに・・・という気持ちが重要なモチベーションであった。
生き甲斐の心理学で考えると、自己実現の3つの問いかけ。「自分は何のために生まれてきたのか?」。「生き甲斐は何か?」。「自分の魂、生育史、身体を大切にしているか?」が情動の舵取りに大切な問いかけだったと思う。
ちょっと浮世離れした問いかけに思えるかもしれないが、試されては?
行動や思考は感情と違い、それ自体では傷つかない(行動や思考の結果として感情を傷つけることは勿論多いが)。従って、自己実現のことを考えたり、自他肯定的な思索をしたりすることが結局は重要ではないか(私のケースだけで一般化はできないが)。自分で納得しなければ始まらない。
写真の公園の水どりの親子。
親の姿を見て子が育つのも、こうした自分の将来像をイメージで、情動の助けがあるのだろう。人も親の後ろ姿で育ったり。師の姿。神仏の姿などが、情動を舵取りする上で、完成的様相として大事なのである。
みんなの性格形成論 7/10