現実吟味力に大きな影響を与える価値観。年をとってくれば、さまざまな経験をすることで価値観も身のたけにあってくるものの、若いころの価値観は今考えると、かなり眉唾な部分が多い。
例えば、高校1年の時に、A先生のお人柄にもよるが大変興味を持った国語の勉強があった。しかし、高校2年のときに父の価値観に影響され興味を理工科系にシフトしてしまい、せっかくのT先生の授業をないがしろにし離れていく。
それから、何十年も国語などに興味を持たなかったが、最近になって生き甲斐の心理学を学び、また国語や古典に興味がでてきた。その興味は不思議な気がするのだが、私の基本的な生まれ持った傾向と渇望に合致する部分が多いと思う。私は父のようにエンジニアタイプではなく、理数にも興味はあったとしても別の傾向があったのだと思う。
若いころの価値観は自分の価値観(あるいは自己概念)と思い込んでいたものは、意外にあてにならない。
一方、私の知人は同じ高校二年のときに、A先生に出会い、そして国語を愛するようになり、ついには教師になり活躍している。おそらく、その方の傾向と渇望が上手く合致していたのだと思う。
私があのとき父の影響が少なかったらどうだったのだろうか。
試行錯誤を繰り返しつつも、結局は今のように生き甲斐の心理学を学んでいたり、縄文時代に興味をもったかもしれない。自分の傾向と渇望は、表層的な価値観や知識とまた別なもののようだ。
現実吟味力はあるか? 4/10