写真は、二十歳前後で初めて鳥取砂丘に行ったときの写真である。夏休みに祖父のブドウ園で働いてから、従兄弟たちと鳥取・島根を旅した時である。あの頃は、自分の人生がどのように展開するのか全く想像もできなかったが、今こうして前期高齢者となってみると感慨ひとしおである。
さて、最近夏目漱石に凝っている。これも母方の従弟からの情報で、夏目漱石が23歳ころまで小説家や文学を目指していたのではなく、建築家を目指していたと聴いたことによる。そして、「坊ちゃん」を読みいくつかの評論を読んだりしたところである。建築家は私が若いころ目指していた職業であり、私の祖父が生涯をかけた職業だった。そして、不思議なことに祖父と夏目漱石も同じ辰野金吾先生と面識があったようである。そんなことから、とても近く感じるようになった。そして、先にブログでも述べたが、夏目漱石の現実吟味力というか、生き方にとても興味を持っている。
幼いころに、明治では祖父もそうだったので意外に一般的だったかもしれないが、夏目漱石は1歳に満たないときに養子にやられ、不幸なことに養子に行ったところが夫婦不和で別れたりで、重要な幼いころの生育史はかなり厳しいものであったようだ。それが、その後の人生をどのように影響したかは生き甲斐の心理学を学ぶ私にとって病理論として一応興味がある点であるが、それ以上に興味があるのは、23歳までなぜ建築家を目指したのか、そして、英語の教師になり学者の道を歩むが、これまた38歳から小説を書き始め、40歳で朝日新聞に勤めるという大転職をする。そして、それから9年小説家としての人生を歩む。このあたりの現実吟味力はどうだったかだ。
模倣とオリジナリティ、内発性と外発性、無意識の中の傾向と渇望、意識された自分の丈に会わない価値観・・・いろいろな言葉が頭の中を駆け巡る。生き甲斐の心理学の観点からはロジャースの10番目の次の命題が駆けめくっている。
いろいろの経験に結びつけられた諸価値や、自己構造の一部である諸価値は、ある場合には他人から投射されもしくは受け継がれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのようにゆがめられたかたちで知覚されるものである。
現実吟味力はあるか? 5/10