中央自動車道で山梨県から東京方面に向かう時、天気が良いときれいに富士山が見える。私はこの富士山が好きだ。甲州街道は歴史が古く、縄文時代から、同じようなルートで多摩や東京方面に向かう道があったようだ。同じような風景を見つつ峠を越えた縄文の祖先を想うと豊かな気分になる。
道というのは、私の好きな言葉だ。自分の生育史は一番関心があるが、生まれる前のルーツとその背景の歴史も関心がある。そして、この先の道も過去の単純な延長ではなく、何があるのかわからない。道は十字路もあれば五差路などもある。どっちに行くのかで人生が変わりそうだ。
「自分はどこへ流れて行きたいか」という生き甲斐の心理学の自問自答は簡単なようで、大変難しいテーマであることを、実感している。
どこから、このテーマに取り組むか。今に至る自分の傾向、アイデンティティの問題・・・いろいろあるが、今回は自分のストレス曲線。特に自分の理想領域を明確化してみたくなった。例えば、今いろいろ奮闘している縄文小説のことがある。過去のいきさつとか、ここに至るにはたくさんのことがあったように思う。しかし、過去のことをこの場合いろいろ考えても混迷を深めるだけのように思う。それより、私は何をしたいのか、理想領域は何か。その明確化が重要な気がする。
やりたいことをやって、10年くらいしてから、あれは良かった!と思えるケースもあるが、何かここ一つの選択だったということもある。2種免許をとったのはその例だ。意識にのぼる部分はだいたいGo! Go! なので進めたが、どうも変な無意識の部分が正しい選択を邪魔する。まずは成功例と失敗例の理想領域の自己事例研究をしてみようか。
自分はどこへ流れていきたいか 2/10