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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

意味ある偶然の一致が起るとき!(現実吟味力はあるか? 7/10)

2016-09-05 | 第三章「無意識の世界」

 先日、私が知っている限り最大の発明家のNさんのお話しをお聴きし感激した。何かを乗り越えることは誰にとっても大変なことであり、乗り越えられないことも多々あるものだ。しかし、乗り越えることができることもあるだろう。人生の転機でも大発明でも、そういった時には何か不思議な現象がおこるように感じる。ニュートンのリンゴなど、世の中ではセレンディビティとか意味ある偶然の一致と言われる現象だ。それそのものの不思議さも私は関心があるが、それよりもセレンディビティを産む土壌にとても関心がある。

 月並みな表現になってしまうが、「人事を尽くしてて天命を・・」などの言葉の意味するものは結構深い。人は苦難の中で、最後は自分の限界を知り天に祈るのだと思う。それが天命を待つとかであり、そこから新たな展開が始まる。

 生き甲斐の心理学では、現実と理想のギャップで苦しむときに、解決への土壌を「感謝」という、一見「あれ?」というような概念でもって乗り越えようとする。しかし、良く考えるとこれも「天命を待つ」に似ている。

 「天命」を待つとか「感謝」はどこか楽観主義が含まれているように思う、絶望ではなく希望の香りがする。そして、私はそれが大切だと思う。Nさんはプラス志向という含蓄のある言葉を使われたが、生き甲斐の心理学の用語を使っていいかえると、幸福曲線の追求といっても良いかもしれない。誰でも、黙っていてもストレス曲線に覆いつくされがちな人生ではあるが、その中で幸福曲線を敢えて意識することは、意味ある偶然の一致を呼び込む一要素になるのではないだろうか。

現実吟味力はあるか? 7/10

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