昨日は新宿の勉強会で引越しの話題を中心に生き甲斐の心理学を勉強した。引越しにまつわる悲喜交々(こもごも)。なかなか奥深いテーマであった。
さて、自分の過去の引越しをU先生の生き甲斐の心理学で考える場合、今現在の印象を中心に考えるのと、当時の自分の感情を振り返っての印象を中心に考えるのでは大きな違いがあることに気づいた。
例えば、7歳の時に父のアラスカパルプ建設の仕事の関係で、シトカで約一年暮らした時は、6歳の時の友達の死の遠因もあり、ストレスからちょっとした身体症状まで出てしまった。その原因は今自己分析すると罪悪感の抑圧・抑制だったと思う。しかし、今の自分にとっては、罪悪感の問題はかなり解決しているので、疑惑・恥辱、自律性、意志力の印象が強い。
アラスカに行く前に、父から「アラスカに行きたいか」と訊かれ、いろいろ諭されて「行きたい」と意志力を発揮して答えたことも大きかった。そして、英語しかわからない世界に一人飛び込む。今ではこんな乱暴なことは少ないようだが、1950年代では普通だったようだ。しかし、その中で人の暖かさに支えられ何とかやっていけたのは、疑惑・恥辱、自律性、意志力という観点から見れば私にとって実に貴重な体験だったように思う。
青年時代の父の郷里でのブドウ畑の夏休みの手伝いは、このブログでも以前紹介したが、今考えると大きなポジティブな意味がある旅であった(引越しではないが)。そして、罪悪感(目的志向性、自発性、罪悪感)の問題をかなり解決してくれたように思う。しかし、当時はポジティブな面もあるもののネガティブな意味も感じていたはずだ。孤立感などは典型的だったかもしれない。・・・
引越しをエリクソンの理論で考えると、とても多重的で、本当に悲喜交々(こもごも)だなと思う。
引越し 2/10