「十三湖のばば」(鈴木喜代春著)という絵本をFACEBOOKの友達に教えていただき読んだが、縄文小説を書く上でとても貴重な経験であった。というのも、ひと昔前の津軽半島の十三湖の厳しい環境で生き抜くことが、ほとんど死と隣り合わせであり、その中で生きることがどういうものかを感覚的に知ったからである。
縄文時代も平均寿命が30歳程度と言われ、実際に遺骨などから、少人数(核家族的)で住んでいたらしいということが分かっている。もちろん、今と同じように子供もたくさん生まれているはずなので、核家族なのは沢山の亡くなる人がいたということを示しているようだ(十三湖のばばの世界のように)。
子供が生まれ、希望が産まれたと思ったらなくなる、・・・もう生と死が隣り合わせの世界。その中で祖先は死をどう考えたか・・・
今は、平均余命80歳台とかいろいろ言われていて、ひと昔前のように死が隣り合わせという感覚は一般にはとても希薄である。しかし人間の本質は変わりなく、それが30年であっても90年であってもさほど本質は変わらない。逆にその本質に気づくことが希薄な社会は、ある意味不健全かもしれない。
縄文時代の世界観を知るには、神話や土器の図象などが手掛かりになる。私はU先生に教えられ、縄文中期に栄えていた四大文明のうち最古のメソポタミアの宗教を勉強させていただいた。土器についてはすでに日本人による研究がいくつかあった。また、当時の宗教を研究された方、例えば梅原猛氏の知見も参考になった。そのほか、日本の文字が定着する7.8世紀の記録も参考になる。そして、最新の考古学の知見から、縄文時代の世界観が少しづつ見えてきた。
一生をかけるような問題であり、少し齧ってもなかなかわからないのが現状だが、縄文の祖先たちは、愛をどのように考えていたか。魂をどのように考えていたのか・・・少しづつ見えてきた。縄文時代は精霊とかアニミズムといった概念で単純に考える人も多いが、現代人と同じような知性を持つ縄文の祖先がどのように考えていたかを知るのは、自分を見つめることのほうが大事な気がした。特に大事なのはアイデンティティの問題だと思う。
さて、縄文時代の祖先は何故定住を選んだか(引越しもあっただろうが)は世界観とかかわり興味があるテーマである。
私の家に近いところに、今は公園になっているが多摩ニュータウンNo.446遺跡というのがある。この遺跡調査の中で縄文中期に50名程度の村があり、それが50年程度続いたということが分かっている。近くには1000年村のような縄文遺跡もあり、何故446遺跡の村ができ、そして引越しして消滅したのか・・・などいろいろ興味深い。当時の祖先たちはどのようなアイデンティティをもって逞しく生きたのだろうか。
引越し 4/10