来月には縄文小説をオープンにしたいと張り切っている毎日ですが、自分なりに当時の社会をイメージしシミュレーションしていると、いろいろなことに気づく。
縄文時代中期の関東や中部地方の文化は、自然や他者との共生に重きをおく社会だと思うが、一方事故や病気なども今より深刻で平均寿命は30歳程度と言われている。今もストレス社会といわれるが、ある意味縄文時代は超ストレス社会だったともいえよう。
この中で、いかに私たちの祖先は生きながらえてきたのか。それは、U先生のオックスフォード流の生き甲斐の心理学で考えると、信じて見える世界、見えなくなるストレス曲線・・・のことを思い出してしまう。多分、そういったこころの仕組みがあることにより私たちは生命をバトンタッチされ、こうして生きているのだと思う。
空海、最澄、親鸞、西行、マザーテレサ、高山右近、コルベ、ボンへッファー・・・厳しいストレスの中を生き抜いた偉人達の生涯も、信じて見える世界を想定すると迫力を増す。そんな不思議なこころの仕組みの一部を理解する心理学がきちんとあることは日本ではほとんど知られていないが、あるのだ(もちろん大切な宗教とは別の次元)。
残念ながら縄文時代の偉人は全く伝わっていないが、一万年以上続いた世界最長の文化のなかで、無名の偉人も当然いたのだと思う。あの世にいったらあえるかなあ?
写真は縄文中期の遺跡、多摩ニュータウンNo.448の近くの丘から見た富士山。今も素晴らしいが、縄文時代でも素晴らしかっただろう(ただ、今と違って噴火していることも多かったようだ)。
引越し 7/10