自分の引越しの歴史を調べると、気づくことがある。一つは時代の流れである。
昔、天動説が地動説よりまかり通った時代があった。その時の論議の一つは、地球が動いているなら、例えば天候で静かな無風状態などありえないということがある。この議論に似て、とかく私たちは、時代の流れを忘れる傾向がある。そして、いろいろな現象を全て自分に起因させがちだ。
もう一つは、自分の流れだ。人は誰も個性を持っている。そしてロジャース風にいうと、傾向と渇望をもっている。ある引越しが、この傾向と渇望育んだり、逆に阻害することもある。7歳の時にアラスカに行き、そして一年もしないうちに日本に帰ってくる経験をすると。同じようなことをしてもアラスカでは褒められ、日本では叱られる。その反対もしかり。
ここまで書いて、ふと思い出すことがある。それは、旅でこころに残る人の記念館(住んでいた場所が多い)を訪ねることだ。この五年、こうした旅もした。フロイト、リスト、カフカ、高村光太郎、宮沢賢治、石川啄木、柳田国男、・・・そういえば夏目漱石の記念館に行ってなかった。
引越し 6/10