私は自慢ではないが若いときは沢山引っ越しをしたほうだ。10回を軽く超えている。ただ、有難いことに年をとってからは落ち着いて縄文遺跡が身近な土地に20年以上住み着いている。
ところで縄文時代。私たちが歴史で学んだのは主に弥生時代からで三千年くらいの歴史だが、縄文時代は軽く一万年であり、私たちの祖先が生きた時代であることは間違いないが、その時代のことは殆ど知られていない。今でこそマスメディアで頻繁に取り上げられるようになり、科学技術や発掘の成果でいろいろなことが分かるようになってきたが、それでも有史時代と比べると格段に分かっていないことが多い。
その一つに、よく取り上げられる5500年くらい前から4500年ころまで続いた縄文時代の最盛期(環状集落や火炎式土器、水煙紋土器など)とも言われている縄文中期。その中期が終わるころに、縄文時代の伝統的な環状集落が分散してゆくなど、大きな変化が見られるようだ。私の家の近くの多摩ニュータウンの遺跡も中期が中心なのであるが、後期になると遺跡が激減してしまう。寒冷化などもあっただろうが、ただ一つの要因だけで説明をつけることはかなり無理な話で、大きな謎の一つになっている。
写真は聖跡桜ヶ丘の近くの連光寺周辺から崖を越えて多摩川が見える場所だが、縄文中期で何らかの問題を抱えた環状集落の人々が引っ越し先の一つの候補だったのではと妄想している(実際に、縄文後期の遺跡がいくつか見つかっているが)。私も駅からxx分、南面日当たり良好、・・・といった不動屋さんの宣伝に惹かれるが、当時の人も交通(舟だったり)や生活の利便性(水や食料)などを十分に考え引っ越しを考えたのだろう。しかし情報元は今より限られているのだろう、親戚筋とか、同じ部族や氏族などの身内の情報を今より断然大切にしたのだろう。そして、社命で転勤というのは無くても、リーダー(女性も元気だった)による命令や説得もあったのだろう。
さて、私は50歳代で大企業をリタイアし(引っ越しが原因ではなく別にやりたいことがあったため)、それからは引っ越しもなく過ごしている。絶対的な存在というものをちょっと考える。幼い頃は両親、少年時代は父、年とともにそれは変わっていくが何かの現世的な加護の下でというスタイルは考えてみればリタイアまで続いたのだろう。もちろん主張することは主張したつもりだ。しかし、本当に本音で主張したりしたことはどうだったのだろうか。やはり人間はどんな人でも完全ではない。神や仏と違って絶対的な存在ではない。本当に大事なことは本音で主張(自他肯定のスタンスをとりながらも)することはとても大事なことだが、腹が座ったことは自戒をこめてなかなか言えない。また、経済的な生きる術は極めて大事であり、これを無視しては絵空事になってしまう。
4200年くらい前に世界的に人口が減ったりする時期があるが、そのころからこの多摩でも環状集落が崩壊して引っ越しが増え閑散としてくる。川の上流に住むのを辞めて下流域とか、魚が豊富な山間部とか、あるいはまったく異なる西日本に向かったり・・・その時の縄文時代の祖先たちの間にどのような主張のやりとりがあったのだろうか。心の自由をどう考えるか、自分のアイデンティティをどう腹に据えるか。人の意見を鵜呑みにするのではなく五感と自分の感情に根差した意見を言えるか。時代は大きく変わっていてもその本質は変わらないようだ。
ひょっとしたら、今私がここに居るのも見知らぬ祖先の本音の主張と行動のおかげかもしれない。妄想は続く。
4/10 五感と縄文
「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」
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森裕行
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