679年に天武天皇は、妻の後の持統天皇と6人の皇子たちをつれ吉野に行幸された。そして、そこで吉野の盟約をするのだが、その時の天武天皇の歌が万葉集に残されている。
よき人のよしとよく見てよしといひし吉野よく見よよき人よく見つ
複雑な政治情勢の中で、皇親政治を固めていく重要な団結の盟約であるが、天武天皇の嬉しさが伝わってくる。
このケースは総勢8名の盟約であったが、結果的には大津皇子が謀殺されるなど、残念な部分があったが、その効果もあり日本の原型づくりが進んだと私は思う。
さて、心理学の世界では、よく私とあなたの関係を4つのパターンで考察することが多い。
1.自己肯定 他者肯定 (わたしもOK あなたもOK) 対等
2.自己否定 他者肯定 (わたしはNO あなたはOK) 下から目線
3.自己肯定 他者否定 (わたしはOK あなたはNO) 上から目線
4.自己否定 他者否定 (わたしはNO あなたもNO) カオス
そして、自分の日常の思考の傾向をこの4つで分類すると、いろいろなことが見えてくる。ストレスがあまりないとき、ストレスが中くらいなとき、そして凄いストレスのとき。その各ケースでの思考が4つのどれに似ているかを分析してみる。世の中には利害関係など複雑に絡む問題があるが、私はやはり1の自他肯定が一番無駄なストレスがないようだ。
これは、何となく倫理道徳と合致するのだが、最近の脳科学の本を読んだりすると、神経生物学的な生物としての合目的性から考えても同胞を大切にすることが自然なようだ。
ロジャースの命題4は次であるが、思考のスタンスとして2、3、4 より1の自他肯定が、現実化し、維持し、強化することが一番うまくいくケースではないかと思う。鳥の渡りがたとえば綺麗な編隊をくんだり、人間でもfacebookで和気藹々と情報交換していると結果も良いのと同じようかもしれない。
命題4:有機体は、一つの基本的な経験と渇望(striving)をもっている。すなわち、体験している有機体を現実化し、維持し、強化することである。(生き甲斐の心理学 140ページ参照)
有島武雄の一房の葡萄では、心理的描写からすると「僕」は、絵具への想いと裏腹に、3から4のほうに思考がすすみ、最後にジムとの和解で1に到達する。盗むという行動の背景には、3,4に繋がる思考があったのだろう。
そして、あまり目につかないがジムの思考も同じような軌跡をたどるように感じる(3から1のような)。和解とは、そういうものなのだろう。一方、短編に出てくる級で一番大きな、そしてよく出来る生徒や友達は物語の進行に一定の意味をもたらすが、当事者づらをしていても当事者ではない。結局何の経験もつまず、物語から去っていくのではないか。
最後に、「僕」は女教師による劇的な和解により、前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなった・・・という変化が起こる。そして、ジムにも何か変化があったかもしれない。
実は、一房のような経験は私にもある。7歳の時にアラスカで全く言葉の通じない小学校に行ったとき、そこのネイティブの女教師との出会いがあった(下に参考までに以前書いたブログを)。この小説も横浜の恐らく英語がベースの学校の話であるが、キリスト教文化の人間観が印象的だ。恐らく、この一房の葡萄も私の体験も、カウンセリングが普及してくる前の時代である。しかしそれにも拘わらず、傾聴の本質が成され、やはりキリスト教の人間観が裏にあると思う。私は、キリスト教だけが唯一の人間観とはいわないが、子供のいじめや自殺の問題を解決していくには、人間観の問題は抜きにできないと思う。
http://blog.goo.ne.jp/hiroyuki-mori051201/e/c6e5c6d3497e5480ce2db81cdd1a99ff
みんなの性格形成論 5/10
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