イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

楽しい旅行にするためのポイント!(のんびり暮らす 1/10)

2012-07-03 | 第三章「無意識の世界」

 今年は、海外旅行に行くチャンスが不思議にあり(今月も予定が?)、いつになく旅行に燃えている(過去十年以上も行っていなかったのに)。そんなこともあり、知人と旅行談義をしたりすることが多い。旅行はやはり一人がいいという方も多いが、旅費の関係もあり二人で旅行を楽しむ人も多い。

 では、どういう人と旅行に行くかだが、気心の知れた友達と行くのが主流のようだ。夫婦で行くケースは意外に少ない。特に女性は夫婦を敬遠する人が多いようだ。何となく気持ちは判る。

 そして、一週間とかの旅行を経験し帰ってくると、普段以上に一緒に生活することもあるためか、旅行でかえって人間関係が冷えてしまうことも多いようだ。もう死語になってしまったかもしれないが、成田離婚とか関空離婚という言葉もある。

 さて、「生き甲斐の心理学」で、この問題を考えてみよう。私も、楽しいはずの旅行が・・・という苦い経験もある。

 深層心理学の常識といわれる。「自分以外の他人は驚きの対象」はどこか頭の引出に入れとく至言だと思う。他人を信じることは時と場合とても大事だが、だからと言って自分と違う存在なのであるから、思考・感情・行動は違うのも当たり前と考えたい。そして、一番いけないのは、過度に他人に甘えたり、威張ったりで依存することである。

 心の防衛機制で「退行」という現象がある。テキストには次のような説明がある。

 退行:現状が苦しいので幼少期に戻って快楽原則にひたりたい心理

 旅行は、道に迷ったり、トラブルに巻き込まれたりいろいろあるものである。そんな時に、無意識に相手に甘える「退行」現象があっても不思議でない。そんな時に、自分は今どんな防衛機制をしているか、相手に甘えていないかをチェックするのは、旅行を楽しくするポイントだと思う。

 写真のオラウータン。スカイウォークで自然が残るエリアに移動し、のんびりと気持ちよさそう。一人旅もかえって気楽かも。

 のんびり暮らす 1/10

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信西さんはCreative Minority ! (活発に生きる 10/10)

2012-07-02 | 第二章「五感と体感」

 昨晩放映された「平清盛」の録画を先ほど見たが、今回の信西の死を描いた平時の乱は良かった!視聴率は、余りぱっとしないと聞いているが、感動した。

 信西は、恐らく当時にあって類まれな奉仕の心のある政治家だったのだろう。また、「生き甲斐の心理学」でいうところの、自己実現を真面目に考え、逃げることなく自己の本音に生き、悔いを残さず死んだ。そう思う。しかし、当時の世にあって、それを好意的に理解している人はごく少数。等価変換創造論を開発された故・市川亀久弥氏の言葉を借りれば「Creative Minority」で、平治の乱に出てくる多くの人(公家や武士)とどこか違う人だった。ドラマでは、一般庶民が信西を慕い祈っている場面があったが、実際はどうだったのだろう。同時代の多くの人からは全く評価されなかったのではないかと思う。

 さて、Creative Minorityといっても、特別な人ではないと私は思う。「生き甲斐の心理学」でいつものように考えてみると、いろいろな切り口で考えられるものの、今日は防衛機制の「逃避」で思索してみたい。

 逃避: 現状が苦しいので、他のものに心的エネルギーを出して現状の苦しみを回避すること。

 今観た、平清盛。平治の乱も、信西の政治改革の中で、ある意味被害者になった武士や公卿は、信じられないように妄想的謀略にうつつを抜かす。

 こういう私も、人のことは言えず、重大な逃避をたくさんしている。コンピュータゲームで気を紛らしたり、あるときは仕事で気を紛らしたり、そんな感じである。そして、40歳台後半のある日、自分のありのままの姿を観た。そしてそれから、自分の本音や感情、五感の大切さに気が付いたようだ。恐らく、それまでは自分を見ることから逃避していたのだろう。では、それが自分の力かというと、そうでもないようだ。それができたのは自分を越えるSomething Greatのお蔭と言って良いような気がする(私はカトリック信徒なので神とか聖霊というのが当てはまるが・・)。

 とはいえ、逃避する癖は昔とあまり変わらないかもしれない。ただ、生き甲斐の心理学を通して逃避の存在を知ったのが違うところに過ぎない。でも、それも重要。ここ一番の局面というのは、人生の節目に必ずおとずれるようだ。平清盛が熊野詣の時でさえ、鎧兜を離さなかった家貞ではないが、いざという時があるのだ。そういった時に間違いないためにも、逃避という心の仕組みをより理解し、心の眼を曇らせないようにしたい。私は自分をCreative Minorityとは全く思わないが、自分の人生は本質的に自分で見つけるものであり、時に逃げてはいけない時がある。

 活発に生きる 10/10

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敵は〇〇〇にあり!(活発に生きる 9/10)

2012-07-01 | 第二章「五感と体感」

 比叡山を焼き討ちした信長を、「敵は本能寺にあり!」で殺害した明智光秀。百姓に殺害されたということになっているが、その後天海となり、徳川家康と組み江戸建設で、持前の風水の知識を駆使したという異説があるようだ。昨日紹介したレイラインハンターで知ったがとても楽しい。

 さて、今日は桔梗紋で五芒星を彷彿する明智光秀さんの有名な「敵は本能寺にあり!」を朝から思索している。

 といって、いつものように「生き甲斐の心理学」を片手に思索している。こころの防衛機制の一つ、「投影」を考えている。この機制は次のように「生き甲斐の心理学」で説明されている。

 投影: 自分の欠点を正視するのに耐えられないので、自分以外のものに責任転嫁する心理

 明智光秀が、自分の欠点を正視できず信長を打ったかどうかは不明であるが、こうした心理は私の場合結構あるようだ。ある会合に行けたにも関わらず、怠惰から行かなかった。それから敷居が高くなるような心理。何となく存在する自分へのいら立ちを、スポーツ観戦で発散する。仕事が上手くいかないとき、車を運転すると交通規則を守らない人に罵声を浴びせたくなる心理。

 他人に迷惑をかけなければ、それはそれで、心の安定をたもち健康でいられるので良いとも思うが、人生そのものに影を落とすようなケースもある。自分に似ている立場の弱い人に攻撃的になったり、それが度を過ぎて反省する現象。無意識が絡むのでややっこしい。逆に、何で私がそこまで言われるのか?と首をひねるようなことも経験したり。いずれにしても、「投影」という現象があることを、頭のすみに入れとけば、同じ人間の過ちと優しく考えることができる。本質的な人間性の問題ではないのだ(因みに私は人の体は神の神殿を大切にしている)。

 最近、気になる問題は原発危機の問題である。原発に対する恐怖、そして、今までそれを深く考えることもなく反対することもなく平々凡々といきてきた自分に対するいらだち、そういうものが投影というう現象で「敵は〇〇〇にあり!」と叫ばされるように感じる。自分の生き方にバランスさせつつ、等身大で問題を考えなければいけないなと思う。「投影」は、それ故人生を無駄にする危険があるのだ。

 活発に生きる 9/10

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