イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ひとそれぞれの時間の守り方・・・(自分は草原の中の大木か、雑草か? 8/10)

2016-08-23 | 第四章「愛とゆるし」

 前期高齢者になったのは最近であるが、どうもこの年ごろになると、法事、クラス会とかOB会とか。仲間と集まる機会が増えてくるようだ。そして、XXXにYY時間に集合とかの号令のもとに集まるのだが、その集まり方が人それぞれであり、自分も含めて人間観察を楽しむことができるようだ。

 10分前に必ず来る人。結構前に来て近くで時間をつぶしてくる人。定刻に分単位で正確に来る人。ちょっと遅れる人。さまざまである。

 また、遅刻になる場合、かなり前に連絡をする人、別に焦らずに平然と登場する人。メールを送る人。これもさまざまである。

 自分などは、10分前に現地につくことを良しとする傾向があり、また、遅刻の場合はかなり前に連絡する傾向があるが、他者の時間に対する理想と現実の持ち方を考えると、自分の時間に対する理想と現実の把握のしかたは、実に相対的世界の中の一つのパターンに過ぎないと気づく。

 さて、自分は草原の中の大木というイメージを持つことは、自他肯定の人間観と深く関係があると私は考えている。決して、自己肯定・他者否定(傲慢)、自己否定・他者肯定(へつらい)、自己否定・他者否定(破滅)のスタンスではない。しかし、例えば待ち合わせの時に、他者否定的になったり、自己否定的になったりすることがある。もちろん、何でもよいでは社会は成り立たないのでけじめは必要ではあるが、人間観としては何があっても自他肯定的に大木的になれればいいと思う。ネガティブな感情をうまくコントロールする。やはり、私も修行中であるが、簡単ではない。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 8/10

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大木のように生きてみる (自分は草原の中の大木か、雑草か? 7/10)

2016-08-20 | 第一章「意識と知覚」

 大木を見ていると落ち着く。動物などと違い植物は、天気が悪いからといって、どこかに逃げることもなく、それこそ自然体で嵐や大雪をもやり過ごす。そして、そんな姿はどこか尊く手を合せたくなる。

 今日は、そんな信頼され愛される大木のことについて考えをめぐらしたい。

 さて、大昔の話だが学生時代にフォークソングを聞いて感動し北山修さんの本を買って読んだことがある。北山修さんは現在は精神科医として活躍されているが、私にとっては学生時代に読んだ本が実に衝撃的であった。確か、北山修さんが精神的にまいっていたころの話が載っていたのだが、それが当時の自分に似ていたのだ。それは不安神経症的な症状であった。何故、そんなことになったかについて自己分析をすると論文が書けそうだが、ここでは、先人の心理学の結晶である「生き甲斐の心理学」テキストの一節を中心に考察してみたい。

 人間が信頼関係を築く条件は

  (1)本音で交際できる人物

  (2)秘密を守る人物

  (3)好き嫌いを明確に言える人物

  (4)誠実に自分の思考、感情、行動が出来る人物

 以上テキスト94ページより参照

 蘊蓄のあるお話しだが、私はこの中に心の防衛機制(例えば知性化)を意識してしまう。心を防衛することは大事な働きなのであるが、人間関係に問題(例えば信頼関係を築きにくいなど)を生じさせるだけでなく、自分自身との関係でも問題を生じやすい。それゆえに北山修さんの本に驚いたわけだ。では、どうしたらよいかだが、今の自分にとっては(3)が鍵ではないかと思っている。

 今年の夏は、特に大掃除に拘ったところがある。自分の生活に密着したいろいろなものたちとどう付き合うかが、大掃除とか断捨離とかレイアウトチェンジなどに直結する。昨日は本を処分したが、これも今後好きな本をより大切にし、もう読まない本は役目が終わったとした。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 7/10

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アイデンティティとは何だろう?(自分は草原の中の大木か、雑草か? 6/10)

2016-08-18 | 第二章「五感と体感」

 ブナの雪国適応のことを昨日考えたので、今朝は、アイデンティティの統合のことをもう少し考えてみた。最近は世の中がどんどんサービス化し、修行という考え方が忘れられていくように感じている。お金を出すとあらかじめ決まった何かが手に入る。アイデンティティに関しても、英語ができる=TOEIC900点とか、どういううわけかランキングされている大学や企業に入ることとか、カタカナの職種に就くとか・・・年収がXXXとかがアイデンティティまがいで幅をきかせているようだ。これは、専門の支援をお金で買うと到達できる(うまくいかないこともたくさんあるが)。私もかつて、そのようなアイデンティティまがいを求めたこともあった。

 しかし、生き甲斐の心理学を学んでいくと、そうでもないことが分かってくる。アイデンティティとはどうも、現在進行形であり、死ぬまで追い求めるという大事な側面があるようだ。華道、剣道、~道という感じに近いように思える。修行の世界に似ている。

 それは、「頭で考えた何か」を追うと、自分の五感・体感といったリアルな感じを伴うものとして、ある日、らしきものに到達する。小さい気づきから大きな悟りまでいろいろあるようだ。学問的に言うと自分の価値体系の変更や自己概念の変更というのだろうか、しかもより普遍的になるというような側面もありそうだ(時代とも関係する)。

 生き甲斐の心理学を学ぶことも、私にとってはアイデンティティの統合を目指す側面があるが、最近は縄文小説に凝っていて、これも同じようにアイデンティティの統合を目指すようなところがあり、両者ともきりのない修行の世界だと思う。伝統宗教の世界も、何千年も神学等は研究され進化している。

 写真は、先日行った、岡山の国分寺五重塔。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 6/10

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台風から一夜あけての快晴・・・ウツ感情にどう対処するか (自分は草原の中の大木か、雑草か? 5/10)

2016-08-17 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 今朝は、東京も台風一過で快晴である。昨晩は雨が降る中外出していたので、その落差もあり感情はウツから一挙に幸福感かな?

 さて、二日間本の整理整頓をしていると、中にXX30年記念といった、会社や共同体などの小冊子がいくつか出てきた。今日はオフでもあるので、ぼんやりとそうした一冊を朝から眺めているといろいろなことが思い出された。懐かしい人の若い時の写真・・・。年をとってくると、10年とか20年が速く過ぎ去っていく。その中で、平穏な時もあるが台風のような出来事というのがある。突然の暴風雨のように、気圧の落差が激しいためにストレス曲線は、不安ー>怒りー>身体症状ー>ウツー>錯乱の階段を急激に駆け上っていく。

 こうした時は人間弱いもので一人ではなすすべもなく、ひたすらストレス曲線を登るだけだが、師や友人、知人、家族等に助けられて、台風に耐えしのび切り抜けられたことが印象的だ。うまく切り抜けるポイントは、あわてて台風の中で外に出るような危険行動を控え、温かい会話で少しリラックスし、まず冷静に現実を受け入れるということが重要なようだ。

 暗い感情に共通ともいわれるが、ウツという感情も、その人の持つ理想と現実のギャップから生じると考えると便利だ。そして、自分の理想や現実を見直してギャップを心理的に縮小化するということもあるが、もう一つアイデンティティの統合といったこともあるようだ。今年青森に行ったときにブナをよく見たが、このブナは雪にめっぽう強いそうだ。大雪が降ったりすると枝が折れたり、時には木自体が折れたりするが、ブナは柔軟に耐えて生き抜く。それゆえに生き残り、周りはブナ林となってしまう。大雪というギャップは埋まらないが、自分が変わることで耐えるのだろう。まあ、ブナは何千年という単位でアイデンティティの統合を行ってDNAを変えてきたのだろう。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 5/10

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夏休みも終わりに・・・(自分は草原の中の大木か、雑草か? 4/10)

2016-08-16 | 旅・雑記帳

 恒例の大掃除で、二日がかりで今回は本を随分整理した。これで、私の夏休みはほぼ終わったようだ。明日からは、平常運転というところだが、台風がちょっと心配だ。

 しかし、本を大掛かりに整理すると、頭も整理されるように思う。そして、不思議な発見もする。あらま、2冊もあった・・・など。それから、一時期凝った人の本の山。いったいあれは何だったんだろうと思ったりする。時間が経つと観えてくるものがあったりする。

 写真は、大原美術館前の美観地区。なかなか良いところです。夏休みも終わりに向います。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 4/10

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