イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

お盆のころの、恒例行事!(自分は草原の中の大木か、雑草か? 3/10)

2016-08-13 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 夏休みは、私の父の実家で墓参りをしたり、妻の実家に寄ったりするのが毎年、恒例である。今年は、妻の実家中心だったので、20年ぶりに倉敷の美観地区にもよってみた。大原美術館にもよったが、有名なエルグレコの名画は、何回か今まで見たが今回は格別に印象的であった。「お言葉どおり、この身になりますように」、Let it be.の場面だったんですね、20年前は何を見ていたのだろう。

 大原美術館の後は、昔は存在も知らなかった近くの阿智神社にも足をのばした。なかなかの聖地で、縄文も感じとてもよかった。

   絵葉書のエルグレコ

 

   

阿智神社は宗像三女神が主祭神、大きな岩も点在し迫力あります。

 

暑かったので地ビールも。

 

さて、八月葉月は、恒例の行事が多い月。

お盆関係もいっぱいですが、恒例の我が家の大掃除もまだです。

 

今年は、前期高齢者になった年であり、いろいろ変化が激しいとしでもあるので新しくなるため、大掃除、断捨離をこころゆくまで楽しみ、リフレッシュしようと思ってます。

掃除や家の整理整頓は、生き甲斐の心理学を結構つかう領域があり、心地よい大木としての?自分を大切にする空間づくりをやってみます。やはり、感情と五感体感を生かしての掃除と断捨離でしょうね。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 3/10

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大木をテーマにした、縄文時代の親と子の会話は?(自分は草原の中の大木か、雑草か? 2/10)

2016-08-10 | 第二章「五感と体感」

 この大木は筑波山で撮ったのだが、聖地に行くと大木があり、何か元気になる。

 さて、縄文時代に興味を持つようになると、この木はドングリがなるのかとか、灰汁抜きはどうするのか、これから丸木舟を作ったのかなど見方が変わってくる。また、調べていくと新石器時代は日本だけでなく世界的にもどんぐりが食べられたということが分かってくるので、これまた妄想が広大になってくる。

 米であれば、「これはお百姓さんが丹精込めて作ったのだから、一粒一粒大事にしなさい」などと教わり育ってきたのだが、ドングリをベースに作った縄文クッキーや鍋料理などを食べるとき、あるいは石皿で作るとき、親は子にどのように話しながらドングリに愛着を得るようにしたのだろうか。

 「小さいドングリが、こんなに大きく大木になる。しっかり食べて大きくなりなさい」

 「草原の雑草のように、生まれては枯れたり毟られたりする存在ではなく、100年でも500年でも大地に根を下ろす人になりなさい」

 「ご覧、この漆塗りの木器、家の大黒柱。これはみな大木から切り出したもの。ヒト(魂をもった存在という意味がアイヌ語にはあるそうだ)に役立つ大木のような存在になりなさい」

 「今作っている丸木舟も、裏山の大木を切りこしらえている。大木は山だけでなく、広大な海をも越える存在だ・・・しっかりドングリの粉をすりつぶしなさい」

 さて、皆さんはどのように子供に話すでしょう?

自分は草原の中の大木か、雑草か? 2/10

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どちらがヘンか?(自分は草原の中の大木か、雑草か? 1/10)

2016-08-09 | 第一章「意識と知覚」

 多数が正しく、少数がおかしい・・・というような私の考えが心のどこかにあるようだが、どんなものだろうか。そんなことを今日は朝から考えている。

 例えば車の運転で運転席を前にして運転していると、私の足が短いというようなことを言う人がいる。それで、あなたはヘンといわれるのだが、そうなのだろうか。昔は、そんなことを言われるとちょっと劣等感を抱いたりしたが、オジサンになると「私の足が普通で、世の中の人は足が長くてヘンだ!」と心の中で叫んだりしている。まあ、これは半分冗談であるが、生きる上で心が不自由になり、死ぬときに多くの悔いを残さないためにも、少なくても心の自由は確保したい。そのためには、何が必要かこれから考えていきたい。

自分は草原の中の大木か、雑草か? 1/10

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ルーツ探索の楽しみ!(過去の解釈が将来に影響する 10/10)

2016-08-08 | 第一章「意識と知覚」

 論理的に考えると、昭和も明治も江戸時代も、そして奈良時代や縄文時代も私の祖先は必ず存在していた。そうでないと今の自分がいない。そう考えて歴史を眺めると俄然歴史がイキイキとしてくる。
そして、歴史の勉強と同時に自分の祖先も調べていく。今は個人情報を保護する法律もあったりするが、役所で戸籍を調べたり、図書館で調べたり、墓石を調べたり、実際に現地を訪ね親戚を探すことで 随分情報は集まる。さらに、同好の士がいると、情報集めは加速する。写真は村上水軍で有名な能島であるが、昨年は友人と3代前の故郷を訪ね大島の親戚を訪ねた時にクルーズで接近したものだ。

 最近は、縄文時代にも毎日こころは飛んでいるものの(笑)、幕末・明治にも心は飛んでいて(時代が近くなり少し健全になったという見方もあるかもしれない)新鮮な驚きを得ている。U先生が夏目漱石を愛読していて、しきりに勧めるので私も読みはじめ三四郎をあらためて読んだところだが、夏目漱石は牛込の生まれで若いころ苦労をしたのだが、文豪になる前は建築家を希望していたとのことだった。そして、私の母方の祖父は建築家になったのだが、どうも何かの接点があるようなのだ。夏目漱石も佐幕派の家系、私の曾祖父も元佐幕派のよう、それを探るのも楽しい。

 さて、生き甲斐の心理学で、このルーツ探索を見直してみる。こころの世界でルーツ探索はどういう意味をもつのだろう。まずは自分のアイデンティティが明確になってくる(明るく解釈するのがポイントであるが)。さらに、時代の中で自分だけでなく、いろいろな人との関わりを知るようになり、受容性もますように思える。昨年、今まで知らなかった親戚の御爺さんの言葉が心をうつ。「時代と共に良い時もあれば、悪い時もある」。それから、知人との会話に、こうしたルーツの話がでてくると、意外な関係に驚くこともある。水と油の関係の人が3代前は繋がっていたと知るとどうなるだろう。

 有名な話で、5000年前の遺体がアルプスで見つかりアイスマンとして世の中に知れ渡ったことがあった。遺伝子検査等いろいろな情報がわかった中で、そのアイスマンが祖先という方々が特定されるということがあったそうだ。そのときの子孫の反応は当然ながら時代は随分離れていても身内という感情を持ったそうだ。

 こころの問題としては防衛機制が浮かんでくる。フロイトの14の防衛機制として、同一化、摂取、感情転移、反動形成、逃避・・・と関係し不健全なこともあるかもしれない。しかし、これもバランスで、自分の問題をここちよく向き合いながら、適度に健全にこころを防衛するということもできるように思う。

過去の解釈が将来に影響する 10/10

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親子 (過去の解釈が将来に影響する 9/10)

2016-08-07 | 第一章「意識と知覚」

 幼いころの親と子の関係。日本では実に密な関係があるように思う。そして、親離れをし子離れをして独立していく。一人で生まれ、一人で死んでいくのが人間の姿なので、独立するのは自然な姿なのだろう。

 さて、心の不思議な特性の中で、自他混合ということがあるようだ。甘えの構造が日本では有名で、それも悪いものではないと思う。しかし、度が過ぎてしまうと問題だ。自分を振り返ってみても、過剰に干渉してしまったり、あるいは過剰に干渉されたりという経験がある。

 自分のことすらなかなかろくに分からないのに、いくら他者が近い関係といっても所詮自他は別の存在であり、一線を越えてはならないところもあるようだ。特に親離れ、子離れの問題は、過去にとらわれるところがあるので難しいところがある。私と80歳代後半の母との関係も意外に50年前くらいのイメージが支配していたりする。

過去の解釈が将来に影響する 9/10

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