イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人生のお引越し!(自分はどこへ流れていきたいか 6/10)

2016-09-21 | 第三章「無意識の世界」

 10月22日に勉強会を久しぶりで開催することになり、そのテーマを考えていたら、突然「引っ越しをしよう!」というテーマが閃いてしまった。これにはちょっとした理由があり、人生の岐路の時は、引っ越しのような非日常的な経験をすることで、自分を結構新しくしてきた思い出があったからである。それを、「生き甲斐の心理学」の理論で当てはめてみると、素晴らしく有意義であり、仲間の方とも面白い経験ができるかなと思ったからだ。

 人生に、いろいろな経験の時があるが、写真は20歳の時夏休みに父の郷里のブドウ畑で働き、そのあとに従兄弟と松江から山口の小旅行をしたときのものだ。思い出してみると、この夏休みの経験・小引っ越し?は、その後の問題を乗り越えるきっかけとなったように思う。

 それまでの自分は、どうもいろいろ問題があったようだ。大学受験で失敗し、大学になんとなくは入れてもここひとつ実が入らず、勉強も趣味も中途半端で、劣等感にさいなまされ自信のない日々を送っていたようだ。そんな時、私の父の実家は広島でブドウ園をしていて、昔から夏休みが出荷時期に重なることがあり、親戚や従兄弟が入れ替わりつつ夏に手伝いをすることが定番だった。特に祖父母は孫たち(つまり私の従兄弟たち)を大事にし、昔は大家族ということもあり、2-3週間従兄弟たちと一緒に楽しく手伝いをした。

 都会で、農作業などは無縁であった私であるが、親戚の人や祖父母に教えられて、2-3週間のうちには、結構仕事もこなせるようになった。そして、農作業なので、小旅行以外は夜に釣りをする程度で、まじめに朝から夕方まで働き、祖父母や親戚、従兄弟たちと楽しく働き勤勉さを身に着けたようだ。

 不思議なことに、その経験を通じて、勉強に仕事に充実感を感じだし、変な劣等感を乗り越えることができたように思う。今から考えると、エリクソンの8つの感情のうちの劣等感は、劣等感を意識するだけでなく、勤勉性、技能にも意識をもっていくことが大切としている。その理論どおりで、私の孤立感や劣等感からくる暗い感情が友好的感情に向き、和気あいあいと楽しみながら技能を向上させることを瞬時に理解したようだ。

自分はどこへ流れていきたいか 6/10

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自然に触れる! (自分はどこに流れていきたいか 5/10)

2016-09-19 | 第一章「意識と知覚」

 人生の夢を持っていても、日々難問がやってくるのもの。そんな中で悪戦苦闘すると、時には夢や理想が凶器となってしまうこともある。そのあたりのことを理解しとくことは大事である。

 今は季節の変わり目、夏の疲れもでてくる時期のようだ。こんなときは、のんびりとする一日も必要だと思う。一昨日。久しぶりに近くの大栗川周辺の散策をした。この時期は写真のようにニラと蝶のコラボが美しい。部屋の中で美しいデジタル画像を見たりしても、こころのそこから満たされることはないように思う。やはり五感と体感が全開するのは本当の自然の中なのだと思う。

 夏目漱石の草枕に次の一節があるが、とても気に入っている。今は秋だが、春のヒバリの話だ。

 春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く臨んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然とする。雲雀が鳴くのは口で鳴くのではない。魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。

      

  

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思い付き・・・と熟慮 (自分はどこへ流れていきたいか 4/10)

2016-09-17 | 第一章「意識と知覚」

 この1年くらい、新しいパソコンの購入についていろいろ模索をし、そして昨日新しいパソコンを入手した。特にトラブルもなく快調に使わせていただいている。今回は、見積まで入手しもう発注まじかという段階で2回ほどパスをした。というのも、現在使っているパソコンのディスクが以前故障で取り換えたため、まだしばらくは大丈夫という気持ちがどこかにあったのも一要因だ。ただ、その間、もう待てない・・・ということでノートパソコンでは見にくい、打ちにくいというキーボードとモニターを安価に先に購入した。某A通販で買うと結構安く、それならば外部のディスクやスピーカなどもと、これまた安価に購入し既存のノートブックで先に使わせていただいた。

 最後はOSやアプリ、パソコンの本体をどうするかがなどであったが、なるべく故障しないもの、長く使えるものという観点でSSD中心のパソコン、しかも有名ブランドにこだわらず調査して購入した。

 パソコン購入という一つのイベントであったが、生きがいの心理学で反省してみると、いろいろなことに気づく。

 パソコンも昔と異なり、どんどんパーツ化、標準化しており、かつてのようにすべてを5年おきに買い替える長高重大時代は過ぎてゆくように思う。この中で、私のような消費者は自分の生きがい等を模索する中で、適度の熟慮と適度の思い付きで、思考・感情(情動含む)・行動を回して行くのがよいようだ。

 熟慮は、例えば今後の自分の人生を考えると文章や写真の制作関係を大事にしたりするといったときに、お金なども有限なので最適な買い物(方針を決めるなど)をするときに大切だ。一方、思い付きも今を大事にするという観点で考えても始まらないことは直観でやってしまうということも必要かもしれない。目の負担を考えてモニターを買ったのは正解であった。基本の主旋律はあるものの、その場で変わる部分も多いジャズのような行動パターンが良いかもしれない。

 それから、今ちょうど生きがいの心理学の勉強会を考えていたり、縄文小説をどうまとめるかということに試行錯誤をしているが、とかく、理想領域が不明確になると、部分の最適化のようなことが起こり、支離滅裂になりがち。昔、企業のマーケティング等で働いたことがあったが、基本計画をしっかり作り、しっかり手を入れていくことは、後悔のない人生を送るうえでも重要だと最近思うようになった。

自分はどこへ流れていきたいか 4/10

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十五夜のお月さま!(自分はどこへ流れていきたいか 3/10)

2016-09-16 | 第一章「意識と知覚」

 昨日9月15日の月は満月・・・そんな話を伝えぎいていたら、昨晩に久しぶりにその15日の月を見ることができた。残念なが微妙に満月ではなく。今日から明日にかけてが満月のようだ。

 ただ、正確には満月でないとしても9月15日(太陽暦)が昔の太陰暦のように15日(15夜は太陰暦ではいつも満月)が満月かのようであり、ちょっとした話題になっていたのかもしれない。

 私はこの数年、月に関しては縄文の関係もあるが、興味を持ち続けてきている。従って、微妙な月の違いには気が付きやすい。それは、どうも私の月に関する理想領域が時間とともに研ぎ澄まされ、例えば10年前のわたしより随分高くなっているのかもしれない。そのため、感情は理想ー現実のギャップという式から考えて、ストレス曲線を受けやすい。

 このアマチュアには気が付かないストレス・・・は結構面白いテーマだ。最近の私でいうと、3年前には殆ど考えたことのなかった小説を書く中で、変化が生じている。

 私の友人の中には、プロの編集にたずさわったことのある方がいて、私の小説の話をしたとき、類語辞典の必要性を言われ、私もその薦めに応じて一冊買った。その後、その辞典はたまにに開くことは会っても正直殆ど使わなかった。ところが、最近まじめに推敲したりしていると、この類語辞典の意味がやっと分かってくるようになった。不思議な感じである。ピタッと当てはまる言葉が理想とすると、ここ一つ当てはまらない言葉(現実)とのギャップが、一つのストレス曲線なのだろう。

自分はどこへ流れていきたいか 3/10

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自分の夢で成功するケースとそうでないケース (自分はどこへ流れて行きたいか 2/10)

2016-09-14 | 第三章「無意識の世界」

 中央自動車道で山梨県から東京方面に向かう時、天気が良いときれいに富士山が見える。私はこの富士山が好きだ。甲州街道は歴史が古く、縄文時代から、同じようなルートで多摩や東京方面に向かう道があったようだ。同じような風景を見つつ峠を越えた縄文の祖先を想うと豊かな気分になる。

 道というのは、私の好きな言葉だ。自分の生育史は一番関心があるが、生まれる前のルーツとその背景の歴史も関心がある。そして、この先の道も過去の単純な延長ではなく、何があるのかわからない。道は十字路もあれば五差路などもある。どっちに行くのかで人生が変わりそうだ。

 「自分はどこへ流れて行きたいか」という生き甲斐の心理学の自問自答は簡単なようで、大変難しいテーマであることを、実感している。

 どこから、このテーマに取り組むか。今に至る自分の傾向、アイデンティティの問題・・・いろいろあるが、今回は自分のストレス曲線。特に自分の理想領域を明確化してみたくなった。例えば、今いろいろ奮闘している縄文小説のことがある。過去のいきさつとか、ここに至るにはたくさんのことがあったように思う。しかし、過去のことをこの場合いろいろ考えても混迷を深めるだけのように思う。それより、私は何をしたいのか、理想領域は何か。その明確化が重要な気がする。

 やりたいことをやって、10年くらいしてから、あれは良かった!と思えるケースもあるが、何かここ一つの選択だったということもある。2種免許をとったのはその例だ。意識にのぼる部分はだいたいGo! Go! なので進めたが、どうも変な無意識の部分が正しい選択を邪魔する。まずは成功例と失敗例の理想領域の自己事例研究をしてみようか。

自分はどこへ流れていきたいか 2/10

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