田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

我家のダンボール堆肥 如何なものだろうか

2007年09月15日 | エコな はなし
9月15日(土)晴れ 夏のように熱い日中 夕方は涼しくなった
早朝5時に目覚ましの携帯電話をセットしておいたが・・・・・15分前に起きてしまった。
洗顔の後にたっぷりと水飲み外へでた。
ひんやりとする空気が気持ちよい。
“ダンボール式堆肥造り”でできた堆肥を軽トラに積み込み、我家の畑を一巡してから出かけた。

行き先は15分位離れた所に在る実験農場で、町内の団体「ゴミ減らしま専科」と「アグリの会」が管理している畑だ。
日限地蔵(ひぎりじぞう)の向かいの路地を入り道なりに走ったところだった。
俺は初めて行くところなのでどのようになっているのかは知らない。
現場に行く途中でNさんと待ち合わせをして後を着いて来たのだ。
今日の作業は肥料の造りの方法別にして、野沢菜の種を撒く作業だ。
肥料は“ダンボール式生ゴミ堆肥”“EM菌”“大型コンポスト”“化成肥料”其々の造り方でできた肥料を決められた場所に撒いた。
我家の堆肥は「循環型社会を目指して」生ゴミは全てダンボールに入れて堆肥にしている。
http://garbageate.exblog.jp/
次には「苦土石灰」を上にばら撒き、管理機で軽く耕して終わりだ。
種はパラパラと上から撒いた後に鍬柄で土を掛けていくのだが・・・・・
流石に皆さんベテランで上手にクワを使っていく。
種を蒔いた両側から軽く土をすくいサット撒くのだが、それが綺麗に広がって種の上に薄くかぶさるのだ。
更に其の上に細かく切った藁を振りまいていく・・・・
藁がたりなくなったので脇に積んである藁を俺が切ろうとすると湿っていて切れない!!
そこへ「ゴミ減らしま専科」の会長Nさんが『貸してみろ』っと云って、いとも簡単にズバズバ切って見せてくれた。
藁を切る「押し切り」も鋏と同じ、頭を使わなくては出来ない作業なのだ!!
一通りのことが終わって家に帰ってきたのが7時30分だった。
朝飯を食べたら眠い寝ムイ・・・・

午後は地区の祭りの案内場を造り集落を一回りして配ってきた。
朝から熱い一日だったが・・・夕方は涼しくなった。
窓の外でやらず会のYHさんからいただいた鈴虫が籠の中で啼いている。
そろそろ籠から出して自由にしてやろうと思っている。
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食事中のカマキリ 殿様バッタを食らう

2007年09月14日 | 日記
9月14日(金)曇り 晴れ 蒸し暑い夏を思わせる一日
9時半に公民館でふるさとプロジェクトの仲間が話しをすることになっている。
今朝は5時前に目が覚めてそのまま起きてしまったために午前中が長い。
定刻に公民館に着くと既にTHさんの幌つきの軽トラが止まっていた。
後の二人は俺と同時に着いたようだ。

今日の話はTHさんが企画している「古民具の展示会」をどのように展開していくかを投げかけられた。
数年前に彼の集落で展示したときの資料を持ってきてくれたが、現在の我々のグループで実行するには荷が重過ぎる。
この考えは集まった夢酔氏、TR氏も同感のようだ。
一つのイベントをやるにも様々な協力が必要だし、身体を動かすことと知識を紐解くことが必要と皆が言う。
身体を動かすこととなれば、仲間は直ぐに昔採った杵柄とは云っても口で動くしかないのだ。
マシテヤ、老体を動かせば、何でもやっとことがある奴に限って頑張りすぎて、ギックリ腰や捻挫など故障が起こることは明白なことなのだ。
それほどに皆若くはないってぇことなのだ。

話しは際限なく広がり、皆育った環境は違うのだが、嘗ての悪ガキが集まってわいわいっているのとなんら変わらない。
公民館の事務所のSHさんなどはオヤジたちがワイワイやっているのを不思議に思っているいるだろう。
皆が同年代と思いながら異なる趣味をこなし、集まれば盛り上がって不可能なことはないように語ってしまう。
青年のような愉快な仲間なのだ。

遅い昼飯を4人で済ませてから、俺は夢酔氏のお宅でPCのメンテを試みたが解決には至らなかった。
メールがゼンゼン入ってこないと言う。
自分のアドレスに発信しても入ってこないのだ、使っているソフトが俺の物とは違うため見当が着かない。
早々と辞して家に向かった。
暫くすると彼が玄関に来てくれて、彼の家で収穫したという『完熟のプルーン』を沢山届けてくれた。
其のときに俺の忘れ物携帯電話も一緒に持ってきてくれたのだ。
有難いことだ、携帯にはスケジュールから電話帳全てをあの小さな物に託しているのでなくてはならないものなのだ。

彼が玄関を去ろうと言うときに敷石に怪獣がいるを発見した。
どうやら肉食獣の三角面肉欲獣とでも言うのか?
よく見るとカマキリが殿様バッタを食っているところだった。
其の姿から小さな虫の世界でも弱肉強食なのだろう。
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いろんな人のいろいろ話

2007年09月14日 | 日記
9月13日(木)晴れ スッカリ秋の気配になった一日
午前中は地区の祭りの案内状や寄付をいただくための文章を書いたり消したり書き直したり・・・・
俺の人生で出会わなかったことなので勝手がわからない!!
案内状は良いとしても、挨拶状や寄付集めとなるとやはり荷が重過ぎるのだぁ~
何もまとまらないまま昼飯を迎えた。
昼とは云っても声が掛かったのが1時半だった!!
スッカリと疲れてしまい・・・・
奉加帳でも買ってきて「家順で回してやろう」かと思ってしまう。
※家順(やじゅん):家の並びで順番を決める。又は、家の出来た順で廻す、そうだ。同じように「頬っぺた廻し」と云うのがあり、これも人の順番となる。中には「家長」に限って順番に廻すときもそう云うそうだ。。。。

夜には商工会で「ふるさと回帰予備校の座学第1回勉強会」『いろんな人のいろいろ話』が開かれた。
開かれたと人事のように云うが、「森の事情~炭焼きをめぐって~」をIT氏が
そして、「田舎暮らし願望~夢の実現を誓って~」を俺が受け持つことになった。
実際には表題の「ふるさと回帰予備校」と称し、都会の田舎暮らし願望の人にこの町に来てもらうためのイベントなのだが、それの予行演習と云うわけだった。

しかし、この『いろんな人のいろいろ話』は町民の多くの方に話して貰い、日々の生活を語ることで、共通の悩みや疑問が解決していくことが多々発見できると思うし、新しい改革も始まるのではないか。
都会からエライ先生を呼んできて講演して貰うのも良いが、町民のエキスパートは沢山いるのだ。
十人十色と云うが百人集まれば千色以上のカラーが出せると思う。
其の中で共通する仕事や趣味で協力し合えばこの小さな町の活気が出るのは至極当たり前だと思う。
ど~です?町長さん!!

そんなことで第1夜には当初20人くらいが集まるとのことだったが、40人と大入り満員盛況の一夜だったのが嬉しい。
田舎の常識を持たない都会人が入ってくれば、長屋に熊さんか八っつあんが来たのと同じ、大いに笑っていただき楽しい一夜だった。
立科町商工会の方々がいそがしい中お世話いただいたことに感謝申し上げたい。
ありがとうございました。
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雨続きで畑にはご無沙汰をしていた

2007年09月12日 | 日記
9月12日(水)曇り 晴れ 晴れ 薄雲が広がる
昨夜からの雨が朝方に上がったようだ。
目を覚ましたときにはまだ雨音がしていたと思うが定かではない。
起きだしてPCの有る部屋に行きメールを確認する。
窓を少しだけ開けると鈴虫がの声(羽音)が聞こえる。
彼も目覚めが悪いのか・・・・ゆっくりしたリズムで鈴を振る
その間がなんとも云えない気だるさを感じていて嬉しい。
朝飯の片づけをしている頃には雨は霧のようになっている。

午前中は環境に関わる新しい情報をネットで探っていたが、これと云って
理想的なゴミの処理方法はないようだ。
特に調理済みの残飯は塩分濃度が高いため、堆肥にしても継続的畑に入れるのは不可能と言う。
しかし、今のように重油を使って生ゴミを燃やしているのは矛盾している。
残飯を含む生ゴミの塩分を抜き取り乾燥させる良い方法が見つからないものだろうか?
我家では食べ残しが出ることはない。
これが調理済みの残飯をださない第一の条件だと思う。
調理をして幾日か掛けて食べるものは、それなりに冷凍したり、形を変えたりして口に入れるのがよいだろう。
健康だから出来ることだと思う・・・・
個人の家で出る生ゴミは自分の敷地の中で肥料に変化させるのが良いのではなかろうか。
我家ではダンボール式の堆肥作りをしていて町のごみ収集に生ゴミは出していない。
また、そこで出来た堆肥は家庭菜園で使っているため、植物の色艶も良いし、収穫量も多くなっている。
以下のURLは生ゴミ堆肥作りをブログで記録しているので見て欲しい。
http://garbageate.exblog.jp/

昼過ぎには天気も良くなり、雨続きで畑にはご無沙汰をしていた。
人参も沢山収穫してまだ残っているものがあるので、全て抜き取った。
半分くらいが育ちすぎで実が弾けているのがある。
(写真)《右側のほうずきは食用のものもう少し経ては美味しいお菓子になりそうだ》
調理用のイタリアン・トマトもまだ採れるようだが・・・・
今年は2回も降雹でやられたので、3回目の種蒔きで育った苗だから遅いのは仕方がない。
今月末にはトマト・ソースが出来れば良いと考えている。
バジルの近くに植えたハバネロが色づいていたので、一つだけ齧ってみた。
初めは甘く感じたがそれは一瞬だった!!!!
口の中一杯にカァット熱くなり、咽にまで辛さが刺す!!
こんなに辛いハバネロはたくさん実をつけた木が3本もあるが・・・・
ど~して調理をするか考えなくてはならない・・・・
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新天地と焚き火は男のロマンなのだ

2007年09月11日 | 日記
9月11日(火)曇り 小雨 薄日が指す 雨 曇り ・・・・
秋の空模様らしくクルクル天気が変わる一日だった。
9・11と云う大事件を数字からは思い出すが、
ここ山裾で過ごしていると別世界のものになってきてしまう。
俺にとっても昨年の九月と言えば佐久総合病院、群馬医大付属病院と
己の身体を自覚するために大きなことがあった。
あの時は薬を毎日飲み日々を気をつけながら過ごしていたが・・・・
今では咽元過ぎればなんとやら・・・
困った御仁なのだ!!

今日は一日中町商工会・「ユーユーたてしな」の“いろいろの人いろいろ話し”の
レジメ造りや、どの写真を使うかなどで時間が過ぎてしまった。
写真も俺がこの町を気に入った理由となるものを集めなくてはならない。
一番は蓼科山の穏かな・・・・と行きたいところだが・・・
この町の里から蓼科山を見るのには難しいのだ。
視覚的に感動するのは浅間山と西に続く連山で烏帽子岳までが見渡せる場所が多い。
俺もまだこの町と決めていないときに西からこの町に入り
国道142号線から見た浅間山の雄大さと美しさに惚れたのだ。
あの頃は、いろいろな場所を探して信州を動き回った。
探していた土地は①南に下る緩傾斜地②上下水道を引くことが可能な土地
③土地の中を小さな川でも流れていないところ・・・・・
そんな条件で探していたが、偶然にも現在の土地が見つかったがラッキーだったのだろう。

午後4時近くに、友人・信濃屋中米さんがこの地を離れ、高頭町へ引越しをするという。
そこで、持って行かないもので大きな味噌樽があるが、
良ければ取りに来ないか?と声を掛けてくれた。
早速、愛車軽トラで行くと、味噌樽のほかに焚き火ができる
ステキな形のカマドがあった。
鉄で出来て葡萄の模様などが入ったステキなものだ。(写真)
使いこなされていて俺好みの錆色が綺麗に出ていた。
一目ぼれのように直ぐに軽トラの積み込んで家に向かった。
信濃屋さんは田舎に暮らしながらもご自身に合った環境を求める生き方は
理想的な田舎暮らしだと思う。
引越し先は江戸の文化を引き継ぐ町なので楽しい生活待っていることだろう。
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自己主張をする独活の花

2007年09月10日 | 日記
9月10日(月)曇り 陽が差して蒸し暑くなる 夕方雨 夜 曇り
昨夜も遅く寝たが夜中に目が覚め、慌てて思い出したことをメモした。
夕べの会議の打合せで確認をしたつもりだが・・・・
俺が任されている地区の公民館のまとめ役として、祭りのことで判らないことが多い。
過去の記録を聞いてもいろいろなパターンがあるようで、仕来たりが見えてこないのだ。
寄付を集めるときの文言にしても地区の長に聞くとその年の集める人によって違うから自分のやり方で良いという・・・・
難しいことだ!!

朝飯の後、道普請について隣の人と話し合いが出来たので、回覧を届けた。また、3人のうち1人は高齢弱者なので公民館の周りの目に付く草をむしって貰うことにした。
道普請も「決められた時間に作業をするのでは出来ない」と云われ、決まりの日までに適当な距離の草刈をして貰えれば良いとした。
人それぞれの生き方があるので、限定した日時に道普請をするのが難しいのだ。
昔から集落に住まっていた人には理解できない考えを持っているのかもしれない。
それでも、草刈機を持っているのだから良いが、他の地区ではカマを持ってきて『俺はこれでやれる範囲をやる!!』と云う都会から移り住んできた人がいるそうだ。
価値観の違いだろうが・・・・・

回覧を届けた後に神社へ回り、秋の大祭で子ども相撲の場所を確認した。
砂が一段高く盛り上がっていて、そこに生えている草が枯れている。
手前の方はきれいに草を刈って有るが、相撲の土俵と境内の東側は草が枯れているのだ。
先日の会議で老人会が除草剤を使うと云っていたが、まさか土俵の上には撒いていないだろう??
子どもが裸足で相撲をとり負ければ背中や尻に砂が着く、除草剤の強さによっては反応する子どももいると思う。
除草剤はベトナムの奇形児が生まれた原因とされる『枯葉剤』と同じものなのだ!!
一回りして戻ると我家に戻る急な坂に、休めと云わんばかりに山独活の花が咲いていた。(写真)

夜は“たてしなエコ・クラブ”の定例会があり、10月6日に催すイベント『エコを楽しむ一日』が決まった。
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俺もいろいろ 今日もいろいろ

2007年09月09日 | 日記
9月9日(日)晴れ 雲が多くなる 熱いが風は涼しく感じる 夜雨
昨晩が遅かったので目が覚めたのは7時少し前、太陽は既に高く上がっていた。

遅めの朝飯を摂り終わる頃、東の神社の杜の手前くらいから異様な臭いのする煙が立ち上っている。
東からの風に乗って我家の窓から煙が入り込む位置に有る。
今の時期は田圃の畦に張るビニールのシートで、この次期から不要になるのだ。
普通ははずしてきれいに洗い再利用できるようにしたり、纏めて農業用廃棄物として農協に出すものなのだ。
しかし、中には環境に疎い・無関心な者が、枯葉と共に燃やす人がいる。
今日もその様なもので、空に上がって薄まった煙も黒い色が風に流れている始末だ。

午前中は「ユーユーたてしな」で町内でその道のエキスパートの人に『いろいろな人のいろいろ話』を聞く会の企画が起動し始めた。
手始めに俺とIさんが話をすることになって、いきなり有線で宣伝が始まり、個人名が流れているという。
囲炉裏端の話と思っていたのが、宣伝では講演会だと言う!!
話だけでは困るので慌てて写真を探し出してプロジェクターで流しながら話を進めるように考えている。
思い出の有る写真を探し出しているとあっという間に12時を過ぎていた。

午後は2時に東御市のサンテラスホールで、俺が勤めて頃の学生たちの演奏会があっだ。
会場に着くと懐かしい顔が見えて、皆立派になっていた。
小諸の音楽高校の教員をやっていたり地元で音楽活動をしている者、東京から駆けつけた面々、皆、時の経ったのを忘れて話をした。
しかし、急に「ユーユーたてしな」の打ち合わせが入ったため前半だけでホールを抜け出して立科町へ向かった。

野方のIさんのお宅へ着いたのは予定の15分前だった。
「ユーユーたてしな」の『いろいろな人のいろいろ話』をお願いする人を選びお願いする作業を進めた。
シリーズで全10回で20名の話し手を探さなければならない。
畑をしている人は昼間の明るい時間帯に電話をしてもいない・・・・・
お願いをする人の分野を分けて其々が夜に連絡を取ることにして6時に解散とした。
家に戻り7時頃に数人に電話でお願いをしたところ、皆さんから快諾を得られたのが嬉しかった。

7時半から「憲法9条を守る会」が開かれるのだが、遅れることを連絡するためにYさんの携帯に電話するが電源が入っていない、TH先生に掛けると番号が違っているのか、他人がでた。
我家のMからも電話が有ったと言ってきたが・・・・
連絡が取れないのは困ったものだ!!
7時からは地区の祭りが23日に行われるので、その打合せをした。
各集落の分館長、育成会長が集まり総勢8名になった。
祭りの催し物は、子どもの相撲大会 金魚すくい カラオケ大会 と其々が年代順に楽しめるようになっている。
役員の経験者がテキパキと指示を出して段取りを決めた。
9時には全てが終わったが、それからは其々の組み分けて広告や寄付をいただく算段をした。
後は景品をどのようにして集めるかが俺の課題なのだろう???
今日も遅くなってしまった・・・・・
ブログの掻き揚げは日にちが変わる前に済みそうだ。
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台風の置き土産 ・・・ それ以前の問題!!

2007年09月09日 | 日記
9月8日(土)晴れ 蒸し暑さは酷い 風もなく熱さが応える
早朝に起きだして外へ出るがいつものひんやりする感触はない。
庭のヤマボウシ、シャラの木を云ったりきたりしてカワラヒワが飛び交っている。
鈴を鳴らすように聞こえる声がヒワ特有の囀りだろう。

午前中にMが地下室に行くと水が沢山染み出ているのを発見!!
Mが家を建てた棟梁に電話をした。
この家は上田市の東に位置するT市にあるM住建なのだ。
7年前に家を建てるにあたり、いろいろな業者と合って希望の仕様を説明したりして最終的に決めた会社だ。
手広く東信州を中心に注文住宅を建てていること、M棟梁は『俺の目が黒いうちは自分の建てた家を巡るのが夢だ』と云うコトバで信頼した。
竣工するまではいろいろあったが、住み始めてからのほうが大きな問題が持ちあがっている。
今日の地下室浸水事件は幾つかの大きな問題の一つだ!!
地下部分を掘り下げている途中で、少しだが水が染み出す部分を発見した。
粘土質の下の砂岩帯、次の粘土質の下の砂利の層から水が染み出ていたのだ。
地下室の基礎を作るときに棟梁とは工法についていろいろ話し合いをしたが、暗渠を作り南西の角に枡を設けてそこから勾配をつけて敷地の外にある水路に流すことにした。
当初はそれで解決していたが、だんだんと地下室の中へ水が染み出てくるようになり、昨年の夏の大雨で一挙の大量の水が染み出てきた。
そして対策として井戸を掘り、ポンプアップすることで対処をしたが、完璧とは行かないまま今日に至っている。
昼過ぎにやっと棟梁が来て、今から地下室に出ている水をバケツに取る作業をすると言う。(写真)
午前中の電話では今日は行けないと言いながら、最終的には時間を作れるという曖昧さが許せない。
全ての水を排除するには2日間は掛かるだろう・・・・
月曜日に人出を集めて出直しをすると行って帰っていた。
根本を直さないで出てきた水を拭うという作業だけでごまかしているのが、許せないのだ。

夜には、俺も会員の“やらず会”の『立科落語会』が催された。
演者は「古今亭志ん彌」「林家正楽」「古今亭菊輔」それに前座さんの4人が出演した。
紙切りの名人「正楽さん」の囃子のリズムにのせた身体全体の動きで素晴らしい切り絵ができるのには、会場が沸いた。
また、リクエストでは風林火山や十五夜、牛褒めなどはコトバではわかるが、どのような形になるのかと会場が注目したが、見事に風林火山では幟の文字まで刻んであったのには拍手喝采だった。

昼間に演芸会が無料で開かれたにも関わらず、170余のお客様が足を運んでくれたのには驚いた。
それには“やらず会”の会長他面々がチケットの販売にそれなりに苦労をした。
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台風の置き土産 小鳥の餌が早々と

2007年09月07日 | 日記
9月7日(金)雨 曇り 晴れ 風が強いが心地よい 
昨夜は台風の雨音と風の唸りが激しく、被害は甚大だと覚悟をして目を覚ました。
台風一過 晴天!!
予想は外れて雨・・・・とは行かなかった!!
朝食を済ませて少し経つと青空が見えてきた。
黒い千切れた雲が勢い良く西から東へ飛んでいる。
昨夜の風雨は東から猛烈な風に乗って吹き付けていた、
窓枠から雨水が滲み込んでいるかと心配したが大丈夫のようだ。

外へ出ると畑の脇に立っていたヒマワリは2本を残して全てが倒れている。
根から横になぎ倒されている。
トマトに寄りかかっているもの・・・・
食用のホウズキの木に倒れ掛かっているものなど、ヒマワリ以外はネギが倒れている。
まだ収穫には早いので困ったものだ・・・・
調理用トマト☆無事、世界一辛いハバネロ☆無事、バジル☆全く無事と“トマトソース”の材料は完璧に台風を摺り抜けていた。
これも肥料がダンボールの自家製堆肥のオカゲかもしれない。
長靴を履いて畑に入り、倒れているヒマワリを切り、種を沢山つけているものを纏めて紐で縛った。
乾燥しやすいように実の部分を離して結び、下屋の軽トラのガレージの上に吊るした。
こうして直射日光が当らないところで風通しの良いところに吊るせば、冬の小鳥の餌がたっぷりと作れる。
完熟とは行かないまでも既に黒い種が見えているのだから大丈夫だろう。

昼前にMの東御市の親友が訪ねてくれた。
千曲川の水量が増えていて怖いくらいだったと云う。
河川敷きの野球場や鮎の簗は被害を免れたのだろうか?
東京の多摩川も決壊近かったようだ。
中州にいた人が流されたり、ホームレスのブルー・ハウスはひとたまりもなかったのだろう・・・・

4時ごろに農機具のWSさんが小諸から来てくれた。
我家では地下水の位置が上がると地下室に水が染み出てくるので、井戸を掘りポンプアップしている。
しかし、夕べも停電になったらどうしようかと心配し通しだった。
停電のときの対応として発電機を用意しようとお願いしてあったのだ。
また、畑で使う小型耕運機(管理機)のタンクの底から燃料が漏れるので、それ見て欲しかった。
タンクをばらしてみるとボルトの底から燃料が漏れていると云う。
タンクを新品と変えるしかないようだ!!

管理機がなければクワで畑を起こすしかないが・・・・・
春に向かって起こす時には機械がなければ、一週間は寝て過ごすことになるだろう・・・
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台風の前兆・・・・・ 風雨強し

2007年09月06日 | 日記
9月6日(木)雨 曇り 雨 風雨 強風雨・・・・
朝から雨が横から降ってくる。
風は差してはないが、雨が東側から降ってくるのには台風の影響だろう?

午前中は「ふるさと回帰予備校」の準備で資料を読み漁っていたたと頃に電話が入り、FAXが送られてきた。
某会の次回の会議資料や連絡事項がこまごまと書いてある。
昨夜からの続きでしっかりとした文面と、白黒をはっきりしたい意思が字面に現れている。
おとなしそうな人の何処にこのような強気が隠れているのか判らないが、ありがたいことだ。
奥歯に野沢菜でも挟まっているのは誰のことだろうか?????
文面からは面映いところだろうが・・・・・・
次回の役員会を22日に行うことだけは確認したが・・・・・

午後からは風が強くなり雨も大粒になって来た。
昨晩の雨音も激しく聞こえたが、アメダスを見るとたいしたことはない。
災害がない町として台風が来ても危機感が沸いてこない。
災害を経験してない地域に住む人は冷たいそうだ。
豪雪地帯やいつも水害に晒されているとことは、人への配慮があり愛情を感じるという。
俺にも愛がたりないのかもしれない・・・・・
遅めの午後に東の窓を見ると激しく雨が叩きつけていた。
窓の淵に置いてある人形も思わすあとづさりをしているように見えた。
台風の進路はどうなるのだろうか?

リンゴを生産している歴史研究会のS会長に電話をしたところ、台風で実が落ちてしまうので、収穫のために畑に出ているという。
高齢な彼が雨に打たれながらリンゴの収穫をしているとは、申し訳なく思う。
足場が悪いリンゴ畑、滑って転倒などしなければ良いが・・・・
のんべんだらりとしている俺が心配をするとは・・・・・

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戦い破れ山河あり・・・ 山城は険しく迎えてくれた

2007年09月05日 | 日記
9月5日(水)曇り 雨 晴れ 雨 ・・・・・
昨晩の蒸し暑さが雨を降らせたようだ。
窓を開けると涼しい風が吹き込む・・・・・
風呂場の窓を開けたままでシャワーを浴びると風の冷たさを感じる・・・
少し前まではこの冷たく感じる風が気持ちよかったが、既にそれを通り越している。
本格的な秋の到来なのだろうか?
庭の夏ハゼもしっかりと紅葉して庭に秋一番を誘い込んでいる。
朝食を簡単に済ませてから出かける用意をした。

今日は『たてしな歴史研究会』の10月の例会で隣町の長窪城の下見に行く予定になっている。
公民館には9時前に到着、まだだれも来ていなかったので事務所に寄ってSさんと10月合同勉強会の打合せをした。
打合せを済ませたと頃に、役員のYIさんが呼びに来た。
今日のスケジュールは午前中、町内の文化財の下見、午後は長窪城の下見を予定していたが、俺の都合で午後は行けなくなったため、急遽午後の部を午前に振り返ることにして出発をした。

長窪城は途中まで車で行き、其処からは歩き出したが途中で出会った地元の老夫婦が「この先はキツイから杖を持って行け」と手渡してくれた。
なだらかな下り坂を歩いていくと大したことはないように思えたが、やがて土塁を乗り越えたり堀を下ったりとかなりの勾配を越すことになった。
幾つかの堀を越すと一気に上りになり頂上へ着いた。
頂上の本郭からは、眺めが良く山城の雰囲気の趣が大だった。
帰りは急勾配の滑りやすい道をロープを伝いながら里まで降りた。
次の見学場所は7km離れた所のため車で移動した。
戦いで敗れた兵千人を葬ったといわれる小高い塚があり、思わず胸が締め付けられる思いがした。
http://www.nagawa.info/furinkazan/01.html
しかし、そのときに“紙ひもをはおる人と片目にパッチを着けた人”が車から降りるところだった。
新聞紙を羽織にして紐で結び、新聞紙で作った兜を被っている。
信玄だろうか?
方や片目に黒パッチをつけたカンスケ!!
彼らは地元依田窪病院の総務課の人だという。
9日の病院祭りのイベントに写真を使うとかで・・・・
下記URLが病院祭りの案内になっている。
http://www.valley.ne.jp/~yodakubo/
昼飯は近くの道の駅で摂ったがそこに有る、観光安内場には資料がきれいに整い受付の女性は好感触でインテリジェンスな人だった。

午後4時からは『ふるさと回帰予備校』の準備会が開かれ、「ふるさといろいろ話」の町の達人を見つけ出して半紙をして貰う企画を練った。
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町内の水・緑・空気を永久に守っていこう

2007年09月05日 | エコな はなし
9月4日(火)快晴 風はあるが熱い 夏が戻ったようだ
午前中は現在課題とされている過去の資料を探し出していた。
ここでは過去にも同様の計画が持ち上がっている。
我家にも“集落長”が署名をする用紙をもってやってきた。
主旨はその紙には書いてないので詳しくは判らないが・・・・・
家族全員が自筆の署名をした。集落によっては家長のみ署名とか、代表者の署名など様々なやり方で署名が集められたようだ。
風の便りでは5500名の署名が集まったとのこと。
現在の町の人口は8509人(平成17年)カラ見ると、如何に子どもが少ないかが判る。(2年間で更に減少しているとのこと)
以下のURLは平成17年度の人口統計表がHPにある。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/5_menu/tyousei/p76-77.pdf
また、数年前には大規模なも養豚施設の建設が計画されたが、これも水を守ることから排除することがあったそうだ。

蓼科山麓の水資源は町内の水道水源は基より農業用水、更には北御牧(現・東御市)望月町(現・佐久市)にまで及ぶ大きな生活の源と考えられる。
町内の高原野菜・米、畜産物など全てにこの水が大切なものとされている。
農畜産物に関しては下記のURLを覗いて欲しい。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b01_gaiyou/nousakubutu/nousaku.html

会は定刻7時30分に開始された。
呼びかけ役が会の進行役となった。
参加団体は町内の団体個人等が参それおぞれの意思で参加された。
農業を志すMFさん、OMさん、IMさんの参加があった。

初めは呼びかけに対して、内容がわからず疑心暗鬼で参加された方が多かったようだが、活発な意見を多くいただき、先達の築いてきたことを継続してしていくことが語られた。
この会の名称も決まったことがうれしい。
更には、この会を現時点の対応だけに留めずに、恒常的な活動としてていくことが求められた。
今後は広く情報の発信をし、其々が協力することが求められた。

次回には、この会の活動が広く認知され、参加する多くの町民により水・緑・空気が永遠に守られるよにしたい。
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冬野菜は土づくりで決まるそうだ

2007年09月03日 | 講座受講
9月3日(月)晴れ 夏の熱さに戻った一日
早朝から起きだして、昨日の遠足のゴミをゴミステーションに出す。
朝から熱さが伝わってくる・・・・
畑では落花生の枝から地面に向かって手の指を突き刺すように降ろしている。

朝食を済ませて、集落の公民館経費を帳簿に書き込む。
PCの帳簿ゆえ計算は不必要なので楽だ。
7月末に3万円を会計から預かり、町民祭りに使った酒、おつまり(東信州では酒の肴を“おつまり”と呼ぶ)の費用、昨日の遠足の弁当や酒、おつまりで約、2600円の立替払いとなっている。
費用は予算内で納まっており、集落長(会計)に帳簿のコピーと領収書を提出した。
国行政とは異なり、領収書は1円でも付けなければならない!!

昼前に区の公民館会計係が拙宅に来て、地区の祭りの諸処を教えてくれた。
祭りで寄付をいただいたことを張り出すのだが、金額は一桁多く表示するようだ。
1000円の寄付に対しては『壱満円也』と表記する・・・
一昨年祭り会場に行ったときに、小さな集落の集まりなのに寄付金の額が大きく驚いたことがあった!!
あの時は金額は忘れたが、全てにゼロが二つ位ついていたのかもしれない?
寄付をお願いする文面とか領収書等も用意しなければならないとか・・・
9月23日の祭りの日までは、はたまたいろいろなことが押し寄せてくるようだ!!

午後は望月の農協施設で催される『らくらく菜園塾冬バージョン』に参加した。
今回は“冬の野菜づくり”と称して「土と肥料」「農薬の使用」がテーマになっている。
講師はJA佐久浅間農地コーディネーターの柳沢澄夫氏が担当してくれる。
畑の土作りの基本から堆肥の入れかたや基肥の施し方など初心者にわかるように図面で表して教えてくれた。
元気な土を作るためには肥料も自ら作るのが良いと言う。
農薬は一昔のものとは異なり今では野菜の品種に寄って定められているものがあり、安全に食するためにはしっかりと守らなくてはならないと云う。
俺の野菜づくり等は半分は虫に食われているのだから、落第点を取るようなものだ。
虫が食べる分多めに作れば良いと覚悟している・・・・・
最後に質問を受ける時間が設けられた。
受講生は皆さん素人だと思っていたら、専門的な質問が沢山飛び出していた
質問の内容までに畑に精通するには何年くらい掛かるのだろうか????
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田舎暮らし願望 <夢の実現を誓って>

2007年09月03日 | ふるさと回帰予備校
『ふるさと回帰予備校』と云う聞きなれない言葉だが、今期から我町商工会の肝いりで団塊の世代、いや30才代までをターゲットにしてこの町へ誘い込む活動が始まった。 不肖小生も都会から移り住んだ者として参加を促され企画会議、体験カリキュラム作成にと足を踏み入れた。
田舎暮らしと言えどもパターンは様々文字通りの十人十色の生き方・住(棲)み方がある。
下記の記事は俺の田舎に移り住み且つ5年を経過した経験から、書き留めてみた。
田舎暮らしの先達のご意見をバシバシ コメントをいただき、より良い町になればと思う。
向後 ヨロシクと申し上げたい。

田舎暮らし願望 <夢の実現を誓って> 
はじめに 
  私が生まれ育った東京武蔵野市、昭和22~3年、もの心が付いた6歳くらいだったと思うが、田舎と云うよりも戦後の荒廃をまざまざと見せていた。家の近くにゼロ戦のエンジンを作っていた中島飛行機の工場が米軍の爆撃で廃墟とされ、そこが遊び場の一つでもあった。工場の物資や生産物を運ぶ鉄道の錆びた線路に朽ちたままの蒸気機関車が残っていて格好の遊び場でもあった。田舎にノスタルジーを覚えたのは蒸気機関車につながる原風景が心に染み付いていたのではなかろうか。
  田舎暮らしに適応することは農業の知識でもなく、人付き合いの極意を習得していることでもない。ただ一つ、自然界の全てに好奇心を持つことが必要と思う。しかし、闇雲に全てに好奇心を持つことが良い結果を招くわけでもなく、それを必要とするか・しないかを見極める術を習得しておかないと採りとめもない不可思議な世界へ没入することになってしまう。
田舎暮らしには幾つかのパターンがある。一つは集落の中に住み、全てを受け入れて住民としての義務を果たすことから初め、変えられるところは代えて、変えられないところは受け入れる姿勢が必要だ。しかし、その中で自己主張や意見は明確に理路整然として行くことで習慣を変えていくことは可能と思う。また、二つ目は、田舎の風景や自然のみを相手にして、人との交わりを嫌う人には別荘地か町や村が造成して作り上げた住宅団地を選ぶとよい。此処では都会の郊外に住まうのと同じことで伝統的な文化は存在しない、ややおもすると隣の住民が何をしているか判らないまま過ごしてしまうことがある。残るパターンは農業や養鶏など業を目的とした田舎住まいで、これらには行政やJAなどの支援団体があるが、事前に資金の準備と専門的な研修を受ける必要があるだろう。
私自身の田舎へ移り住んだ目的は、空の区切りがビルの四角い角や直線で区切られるのではなく、自然の山や木の形で空が作られる景色を求め、また、土を素手でいじることができる安心な土地を求めることも同じレベルだった。現実には小さな集落に入り理解できない習慣や因習もあるが、自らそこへ立ち入り何故を続けていくことが大切だと思う。

初めの一歩
 予備知識 ・・・・・・・・・ 本の読み漁り
 45才から ・・・・・・・・ 現実的な将来計画 60才で仕事をやめるには
 55歳チャンス到来 ・・・・ 職場とプライベートの区切り
 土地の模索 ・・・・・・・・ 東信州を範囲とした 南向きなだらかな斜面を探す
 思わぬ出会い ・・・・・・・ 田舎暮らしのエリア発見・即購入決定

現実的な田舎暮らしに向けて <青年の心を持って>
 土地購入手続き ・・・・・・ 信頼から始まる
 土地の造成工事 ・・・・・・ メールとインターネットが役立つ
 集落を知る ・・・・・・・・ 土地の生活を垣間見る
 上下水道の組合加入の不思議 ・田舎のインフラのしくみ
 
家を建てる <施主と棟梁はヤジロベー>
家の建築 ・・・・・・・・・ エネルギーを使い果たす
設計と造作 ・・・・・・・・ 「判った」 と 「する」 の違い
見積もりと契約 ・・・・・・ 話し合いと心を通わせる
トラブルの対処 ・・・・・・ 価値観の違いを理解する
 
田舎に住まう <田舎の常識・話せば判る>
 転居の挨拶 ・・・・・・・・ 集落の組織を知る
 集落の儀式 ・・・・・・・・ 知らない人のお弔いに出かける
 賦役 ・・・・・・・・・・・ 突然の集金にとまどう
 道普請と出不足金 ・・・・・ お金の行方???
 道路補修を集落で ・・・・・ 資材は行政、人手は集落
 宗教的行事 ・・・・・・・・ 秋祭り、御燈講、収穫祭 神事や仏事が集落の行事
 人とのつながりが大切 ・・・ 1人では何もできない

趣味を生かす <エンジョイ田舎暮らし>
 薪ストーブ考 ・・・・・・・ 薪材の収集と薪割
 畑の作業 ・・・・・・・・・ 空いている土地はいくらでもあるが
 行政組織の活用 ・・・・・・ 公民館や福祉センターにはボランティア、趣味の会が多い
 住民活動に参加 ・・・・・・ より広い範囲の人脈が作れる

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遠足に人権学習会、祭り準備会議・・・ 田舎ならではのもの

2007年09月03日 | 山裾集落のこと
9月2日(日)晴れ 雲は多いが 涼しい風が吹く
目覚めと共に天気が気になるが・・・・
窓を開けると涼しい風が吹き込む。
東京ではまだまだ熱いというが、さすが信州は風が爽やか・・・
9時に公民館に行きブルーシートを積み込み、冷蔵庫から飲み物等をアイスボックスへ入れる。
準備が整ったところに全員が集まり出発をした。
今日は集落の遠足がある。

初めの目的地は国道254号線「極楽坂・改良工事」の現場を見る。
ここは十数年前?イヤもっと前からの地元の念願だったバイパスを通す要望がやっと叶ったのだ!!
現在の工事は700m次年度以降は800mと1.5kmの工事だが斜度12%と大きく、更に土質が超粘土質なのが想定外のようだ。
平成21年度にはこの区間の工事は完了し、それ以後の工事はペンディングの状態だという。
此処から次の目的地「九頭竜権現社」までは徒歩で向かう人もいるが、大方は車にに乗って出かけた。
九頭竜権現社は55段の会談を登った頂にあり、戸隠神社奥社との関係が深いとのことで、毎年戸隠講で戸隠神社に詣でている集落としては訪ねる意味が深かった。
次には名刹「津金寺」に向かい、境内を散策しながら住職の法事が終わるのをまった。
予定より15分遅れたが、住職が寺の歴史、戸隠神社との歴史的な繫がりなりなど
見識の有る解説をしてくれた。
我々の集落が戸隠神社に毎年参拝していることから、詳しいレジメを作っていただき大いに参考となった。
御礼を述べて次の中山道松並木公園へ向かった。
ここではお昼を摂ることにしている。

俺は別行動で弁当を受け取りに商店経由で公園へ向かった。
昼には当初の参加希望者を上回る人がきてくれたので良かった。
集落の行事としては高齢者の参加が少なかったが、昼飯のときだけでも迎えに行き参加して貰うことが必要だったと反省している。
この行事は町、社会福祉協議会“ふれあいネット”と“公民館”の共催なのだから集落の100%の人が参加してくれることを目標としなくてはならないだろう。
予定通りに集落へ戻り、片づけを終えたのが午後3時、点数を付ければ70点くらいのできだろうか・・・・

夕方は集落の公民館で「人権学集会」、区の「公民館」では秋祭りの会議が有った。
どちらも大切なので、人権学集会を初めの30分だけ、参加して次へ向かった。
祭りの行事は「子ども相撲大会」「ビンゴゲーム」「カラオケ」が予定されているという。
寄付集め、土俵作りと未体験のものが沢山ありそうだ・・・・・
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