田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

戦い破れ山河あり・・・ 山城は険しく迎えてくれた

2007年09月05日 | 日記
9月5日(水)曇り 雨 晴れ 雨 ・・・・・
昨晩の蒸し暑さが雨を降らせたようだ。
窓を開けると涼しい風が吹き込む・・・・・
風呂場の窓を開けたままでシャワーを浴びると風の冷たさを感じる・・・
少し前まではこの冷たく感じる風が気持ちよかったが、既にそれを通り越している。
本格的な秋の到来なのだろうか?
庭の夏ハゼもしっかりと紅葉して庭に秋一番を誘い込んでいる。
朝食を簡単に済ませてから出かける用意をした。

今日は『たてしな歴史研究会』の10月の例会で隣町の長窪城の下見に行く予定になっている。
公民館には9時前に到着、まだだれも来ていなかったので事務所に寄ってSさんと10月合同勉強会の打合せをした。
打合せを済ませたと頃に、役員のYIさんが呼びに来た。
今日のスケジュールは午前中、町内の文化財の下見、午後は長窪城の下見を予定していたが、俺の都合で午後は行けなくなったため、急遽午後の部を午前に振り返ることにして出発をした。

長窪城は途中まで車で行き、其処からは歩き出したが途中で出会った地元の老夫婦が「この先はキツイから杖を持って行け」と手渡してくれた。
なだらかな下り坂を歩いていくと大したことはないように思えたが、やがて土塁を乗り越えたり堀を下ったりとかなりの勾配を越すことになった。
幾つかの堀を越すと一気に上りになり頂上へ着いた。
頂上の本郭からは、眺めが良く山城の雰囲気の趣が大だった。
帰りは急勾配の滑りやすい道をロープを伝いながら里まで降りた。
次の見学場所は7km離れた所のため車で移動した。
戦いで敗れた兵千人を葬ったといわれる小高い塚があり、思わず胸が締め付けられる思いがした。
http://www.nagawa.info/furinkazan/01.html
しかし、そのときに“紙ひもをはおる人と片目にパッチを着けた人”が車から降りるところだった。
新聞紙を羽織にして紐で結び、新聞紙で作った兜を被っている。
信玄だろうか?
方や片目に黒パッチをつけたカンスケ!!
彼らは地元依田窪病院の総務課の人だという。
9日の病院祭りのイベントに写真を使うとかで・・・・
下記URLが病院祭りの案内になっている。
http://www.valley.ne.jp/~yodakubo/
昼飯は近くの道の駅で摂ったがそこに有る、観光安内場には資料がきれいに整い受付の女性は好感触でインテリジェンスな人だった。

午後4時からは『ふるさと回帰予備校』の準備会が開かれ、「ふるさといろいろ話」の町の達人を見つけ出して半紙をして貰う企画を練った。
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町内の水・緑・空気を永久に守っていこう

2007年09月05日 | エコな はなし
9月4日(火)快晴 風はあるが熱い 夏が戻ったようだ
午前中は現在課題とされている過去の資料を探し出していた。
ここでは過去にも同様の計画が持ち上がっている。
我家にも“集落長”が署名をする用紙をもってやってきた。
主旨はその紙には書いてないので詳しくは判らないが・・・・・
家族全員が自筆の署名をした。集落によっては家長のみ署名とか、代表者の署名など様々なやり方で署名が集められたようだ。
風の便りでは5500名の署名が集まったとのこと。
現在の町の人口は8509人(平成17年)カラ見ると、如何に子どもが少ないかが判る。(2年間で更に減少しているとのこと)
以下のURLは平成17年度の人口統計表がHPにある。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/5_menu/tyousei/p76-77.pdf
また、数年前には大規模なも養豚施設の建設が計画されたが、これも水を守ることから排除することがあったそうだ。

蓼科山麓の水資源は町内の水道水源は基より農業用水、更には北御牧(現・東御市)望月町(現・佐久市)にまで及ぶ大きな生活の源と考えられる。
町内の高原野菜・米、畜産物など全てにこの水が大切なものとされている。
農畜産物に関しては下記のURLを覗いて欲しい。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b01_gaiyou/nousakubutu/nousaku.html

会は定刻7時30分に開始された。
呼びかけ役が会の進行役となった。
参加団体は町内の団体個人等が参それおぞれの意思で参加された。
農業を志すMFさん、OMさん、IMさんの参加があった。

初めは呼びかけに対して、内容がわからず疑心暗鬼で参加された方が多かったようだが、活発な意見を多くいただき、先達の築いてきたことを継続してしていくことが語られた。
この会の名称も決まったことがうれしい。
更には、この会を現時点の対応だけに留めずに、恒常的な活動としてていくことが求められた。
今後は広く情報の発信をし、其々が協力することが求められた。

次回には、この会の活動が広く認知され、参加する多くの町民により水・緑・空気が永遠に守られるよにしたい。
コメント (3)
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