いま売り出し中の新人ということではないが、八巻俊憲の武谷三男論がおもしろい。
このところ武谷三男論を読むことが多い。その中で『昭和後期の科学思想史』に出ていた金山浩司さんの武谷三男論はよく考察された論文だが、それにもかかわらず読んでいてちょっと異論が心にいくつか浮かんだ。それについてはいつか私の考えをまとめて見たいと思うが、続けて岡本拓司さんの武谷三男論も読んだのだが、どうも頭に残っていない。これはまだ何回も読みなおさなくてはならない。
さらに、柏道夫さんの「武谷理論の有効性」という論文を読んだ。これはどうも有効性が時間切れというか、時代に合わなくなっているという主張である。これについてはまだ異論も反論も感じていない。1回しか読んでいないので。
昨日、八巻さんから送っていただいていた彼の「武谷三男の思想構造」をきちんとはじめて読んだ。送ってもらったときにざっと読んだのだが、どうもあまり印象に残っていなかった。この武谷三男論についてはいまのところそれほど違和感とか異論がない。それでもちょっとしたことは感じたのだが、まだきちんとした考えになっていない。
だが、他の人の武谷論と比べて、いちばん違和感がすくない。もちろんすべてお説ごもっともとまではいかないけれども。
塚原東吾さんの「現代思想」に掲載された武谷三男論は金山さんと同じような違和感とか異論があった。塚原さんは金山さんの武谷三男論を出版前に読まれているのだが、それでももちろん金山さんと同じ考えではない。彼は科学思想が社会に有効に働くためのいくつかのヨーロッパ起源の思想等からヒントを得て、モデルを考えている。
もっともそういうところが私の気に入らない。似たようなことをした人は日本にもいるはずなのに。
ただ、唐木の武谷批判に武谷が反論しているところについてある種の感動を覚えたと素直に書いてあるところは評価したい。